≪ラスコル・ドイツ紀行≫


*****************************************************

 アメリカのテロの悲劇の直後、アリアCD店主ラスコルは9月12日から19日までドイツへ行ってきました。かなりの強行軍ではありましたが、多くの音楽文化・音楽家とのふれあいに、本当にたくさんのことを吸収できました。実際にこの場を借りて皆様に紹介する以外に、文章として表現できない感覚的な体験も多かったのですが、とりあえずここでは向こうで得た情報や、エピソード、そしてそれほどたくさんではないのですが現地で入手したレア・アイテムをご紹介させていただきたいと思います。
 みなさまのご理解を得て思い切って出かけてきて、本当に良かったと思います。ありがとうございました。


−ミュンヘンにて−

 以前来たときは思わなかったのに、今回来たときはその成熟した街の雰囲気に驚いた。日本がいかにあわただしく、また子供の街になっていたか気づかされた。街全体にドイツ最高の文化都市という気概と自信が溢れている。ただ世界最大のビール・フェスティヴァル「オクトバーフェスト」はまだ始まってなかった。残念!


オルフェオ訪問記

 ミュンヘンにあるオルフェオの本社を訪れて、同社のコンサルタントである有名なゴットフリート・クラウス氏を訪ねた。
 クラウス氏は長年ドイツ・オーストリアの放送局で仕事をしていたために現在でも多くの放送局に強力なコネクションをもち、それらの放送音源の中から優れたものを選んでリマスタリングし、DG、BMG、EMIからリリースしてきた。ご存知のとおり最近ではオルフェオ・ドール・シリーズから熱心なリリースを続けている。もちろんクラウス氏自身若い頃からの熱心な音楽ファンであり、多くの伝説的巨匠の名演に立ち会ってきたが、とくにフルトヴェングラーのコンサートは17回も聴いたというおそるべき視聴体験をもつ。実際の演奏会での体験を語り始めると目が潤み始め、いまだにフルトヴェングラーの壮絶さは忘れられないと言う。
 ご自身が復刻したCDには実際の演奏のすごさがどのくらい収められているのかという問いに、それは目の前のブリジッド・バルドーと白黒写真のブリジッド・バルドーを比較するようなものだ、と笑いながら話した。でも、白黒写真でも持っていたほうがいいだろう?とも。そして、優秀な白黒写真を復刻するために、自分の記憶する実際の響きを再現することを最も重視していると熱心に語った。
 リマスタリングにあたり、演奏上の傷や欠落をどのように修正するか、どこまで修正するかという問いに対しては、「すべてをあるがままにそのまま復刻するのがいいという人もいるが、私はその演奏会での雰囲気や色合いを豊かに再現するためには多少の修正も必要だと思う。それによってそのときの演奏がより普遍的な形で後世に残ることになるから。」と話した。
 今後リリースされる予定について、フルトヴェングラーのものはもうないが、ミトロプロス、セル、ギレリスなどが考えられるという。クナッパーツブッシュは、バイエルン国立Oとのブルックナー3,5,8,9などが可能性として残されているらしい。日本人のクラシック・ファンはとても熱心なので、ぜひバイエルンの放送記録やザルツブルグ・フェスティヴァルでの演奏記録をたぐって、これはというものがあれば是非教えてほしい、と話していた。ご自身が復刻できうる音源の数はなんと数千にも上るといわれ、その中にとんでもないお宝が眠っている可能性は高い。


ゴットフリート・クラウス氏の選ぶ、個人的にお気に入りのオルフェオ・ドール・ディスク・ベスト3

ORFEO 140401 ヴォルフ歌曲集 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
ジェラルド・ムーア(P) 1957年
ご自身が譜めくりをされたらしい。ディスカウとクラウス氏は、CD化に当たって激しい口論をするほど熱く真剣なつきあいをしていたという。
ORFEO 484981 ベートーヴェン:「エグモント」序曲、交響曲第5番
         ピアノ協奏曲第3番
ジョージ・セル指揮、ウィーンPO
エミール・ギレリス(P) 1969年
クラウス氏が評論家活動をしていた頃の衝撃的な演奏として記憶に残っていたもの。かつてセルは、「ギレリスなんて知らない」と言っていたのに、一度その演奏に立ち会ってからは毎年ザルツブルグ・フェスティヴァルに呼ぶようになったとクラウス氏は愉快そうに話した。
ORFEO 293921 ベートーヴェン:交響曲第7、8番 フルトヴェングラー指揮
ウィーンPO 1954年
数あるフルトヴェングラーの復刻録音の中でも最高に個性的な演奏。



南ドイツと北ドイツ

 なんとなく雰囲気ではわかるけれど、南ドイツと北ドイツがどんなふうに違うのか今まで知らなかった。北から南に引っ越してきたドイツ人に聞いたところ、人種差別というほどではないけれど、引っ越した当時は「北のやつがきた」ということでかなり好奇の眼で見られたらしい。また北の公演で南の方言を使うと反感を買うらしい(逆も)。大体において南は陽気でおおざっぱ体格は横に太い。北は繊細で神経質、体格は縦に長い。そういわれてみればオーケストラも明らかにその傾向がある。同じヴァントが振っても北ドイツ放送響とミュンヘン・フィルで全然違うのは当然といえば当然のことらしい。またルートヴィヒがワグナーの大劇場を建てようとしてミュンヘンの市民の猛反対にあったのもそうした背景があったらしい。

ミュンヘンの観客

 日本人のクラシック・コンサートでの行儀のよさは有名だが、ドイツ人はもっとすごかった。若い女性でも年配の人でもブルックナーに熱心に聞き入っている。またスタンディング・オベーションはあまりないと聞いたが、ヴァントのコンサートのあとではさすがに観客は総立ちだった。

今は亡きアルス・ヴィヴェンディ

ドイツでは今でもアルス・ヴィヴェンディの「ケーゲル/アルルの女」が平気で売られている、という噂を信じて駆けつけたがやはりなかった。しかし店の片隅の廃盤コーナーにアルス・ヴィヴェンディのスウィトナー&ベルリン・シュターツカペレの「ウェーバー序曲集」を発見。この間ベルリン・クラシックスから復活したが、アルス・ヴィヴェンディというだけでつい嬉しくなって4、5枚買ってきた。実際聴いた感じでもETERNAの原盤により近いひなびた音がする。
スウィトナー&ベルリン・シュターツカペレ
ウェーバー序曲集/「オベロン」、「ペーター・シュモール」、「リューベツァール」、「プレチオーサ」、祝典序曲
ARS VIVENDI MRC 040 ¥1200

ルーマニアELECTRECORDのベートーヴェン

 革命後すっかり姿を消したルーマニアのELECTRECORDレーベル。もう活動をしていないと思ったのに、ドイツのショップで発見。昔の過剰在庫かと思いきや制作は1999年と2000年。まだ生きていたのか!?騙されたと思ってベートーヴェン2タイトルを買ってきたら思わぬいい演奏。結構お薦めかも。

ホリア・アンドレーシュ指揮、ドレスデン・フィルハーモニー
ベートーヴェン:交響曲第3番
EDC 374 ¥1600 完売
ホリア・アンドレーシュ。かつてのアバドのような颯爽としたジャケットの写真につられて買ったが、演奏もきびきびとしたなかなかのもの。極めつけの名演というつもりはないけれど、世の中にこんな録音もあるんだ、というレベルは超えてる。マルコ・ポーロでのグラズノフの成功が偶然ではなったことを知った。


イオシフ・コンタ指揮、ルーマニア放送SO
ベートーヴェン:交響曲第9番

EDC 321 ¥1600 完売
ルーマニアの指揮界の御大コンタ。エネスコなどのおくにもの以外の作品が聴けるのは嬉しい。しかもこれがすこぶる名演。個性的な解釈ながら堂々としたスケールをもち、東欧の音楽家はつくづくなにか異国的だと思わせられる。これはお薦め。



クナッパーツブッシュとケンペのお墓

ミュンヘン郊外の「ボーゲンハウゼンの聖ゲオルク教会」。ここに眠る二人の巨匠。クナッパーツブッシュとケンペ。ケンペのお墓は入ってすぐのところ、こんもりとした茂みの中に真っ白い墓石。案外こじんまりとしている。クナはずっと奥。奥さんと一緒。きれいな十字架に花が添えられていた。日本と違い、ドイツのお墓は契約が切れると掘り起こされてなくなってしまうんだそうだ。
(その後お客様から「ボーゲン・ハウゼンの墓地はミュンヘンに貢献した著名人のための墓所であり、一般の方々が埋葬されている墓所のように、期限が来たからといって掘り起こされるようなことは無い」、というお知らせがありました。よかったです。)


−バンベルク・ローテンブルク・バイロイト・ニュルンベルグ−

あわただしくかけめぐったドイツの古い街。どこもそれぞれ深い味わいをもった素敵なところ。


バンベルク交響楽団とカイルベルト・ザール

 バンベルクは小さな街である。中心こそ観光客でにぎわっているが、10分も歩けばただの住宅街になる。バンベルク交響楽団のお膝元カイルベルト・ザールは、そんな住宅街、レグニッツ川のほとりに建っている。カイルベルトの何かが見られないかと行ってみたけれど建物は閉まっていて中には入れなかった。しかしその閑静なたたずまいと、現在ギーレンとツェンダーの二頭体制でやっているという過激なオーケストラの実情がなんともアンバランスで印象深かった。でもコンサートの帰りにあんなに素敵な風景を見ながら帰れるとはなんとぜいたくな・・・。



ローテンブルグ・ヤコブ教会のオルガン
ウルリヒ・クノール(Or)
バッハ、テレマン、レーガー、ヘルムシュロット、トゥイーレ
完売 EDITION LADE EL CD 021 ¥2300

 自分もその一人なのだがローテンブルグの日本人観光客の多さにはちょっとびっくりした。ドイツ観光では必ずこの街が組みこまれるらしい。そんな日本人街のようなローテンベルグだが、街の最大の観光名所ヤコブ教会は、さすがに日本という文化文明に全く汚染されることなく、異様なまでのドイツの敬虔な雰囲気を保っていた。そしてヨーロッパで最も美しいといわれるそのオルガン。なんとかそのオルガンのCDがないかと探していたらありました。切符切りの小屋の中に。EDITION LADE。日本にも代理店はあるけれど、残念ながらこのCDは扱っていない。ローテンベルグに行った事のある人もない人も、この壮麗なオルガンの音色にしばし浸ってみてはいかがでしょう。



バイロイトのマルクグラーフィン・ウィルヘルミーネ
チェンバロ協奏曲、歌劇「アルジェノア」よりアリア

ヴィクトル・ルーカス(チェンバロ)、ルーカス・コンソート
アダルベルト・クラウス(T)、アンジェリカ・ルツ(S)
完売 CONCERTO BAYREUTH CB12005 ¥2200
 バイロイトといえばワグナーだが、この街を音楽的に有名にしたのはワグナーが最初ではなった。バイロイトの中心街に今も残るバイロイト歌劇場。この歌劇場を作ったのが「バイロイトのマルクグラーフィン・ウィルヘルミーネ」と呼ばれる皇女。17世紀に当地を収める辺境伯に嫁いだフリードリヒ大王の妹ウィルヘルミーネは、この街に音楽を根付かせるためにこの歌劇場を作った。そして彼女は作曲家でもあり、ここではその美しい作品が聴ける。とくにアルビノーニに匹敵する洗練されたロマンたたえるチェンバロ協奏曲は傑作。今回この歌劇場に行って、初めてCONCERTO BAYREUTHレーベルがこの歌劇場のCDであることを知った。今は流通経路もなく、かなり貴重なCDといっていいと思う。というよりなにより曲が美しい。


バイロイト・ワグナー博物館自主制作CD
ステファン・ミキシュ/ワグナー・ピアノ編曲集
ローエングリン、ジークフリート、トリスタンとイゾルデ、ニュルンベルグのマイスタージンガー、パルジファルより
ニーチェ:5つのピアノ作品
完売 FAFNERPHON FAF 991 ¥3000

 バイロイトにあるワグナーとコジマの墓地の前に立つワグナー博物館。ワグナー・ファンにはもちろん素敵な場所だが、歴史的録音ファンも狂気乱舞、よだれものの貴重な写真が地下にある。見たこともないフルトヴェングラーやクナやケンペ、そして往年の歌手たちのむちゃくちゃカッコいい写真が所狭しと並んでいる。これを載せた写真集を出せばいいのに・・・。また1階はワグナーも過ごしたホールがあって、そこの音響が異常にいい。かけているCDはEMIのクレンペラーの録音だったりして大した音じゃない筈なのに、そこで聴くとなんだか胸がぐぐぐっと締め付けられるような気がしてくる。
 さて、その博物館でのみ売られているCD。はっきり言ってCD自体はそれほどすごいというわけでもないけれど間違いなく貴重品。今ある在庫を全部くれといったら受け付けのおばさんがびっくりしていた。でもすみからすみまでかき集めたけどわずか5枚。お早めに。


ワグナー新発見オペラの自筆譜 ¥2000

その博物館で売っていたワグナー新発見オペラの自筆譜。ワグナーが青少年オケのために書いた未完のオペラの自筆譜の載った本。全曲ではなく部分部分の自筆譜を載せながら解説されている。ドイツ語。



ニュルンベルグ

ニュルンベルグといえばワグナーのオペラだけれど、ここでは音楽にまつわるエピソードはとくになかった。大量虐殺されたユダヤ人のために建てられたフラウエン教会の異様な峻厳さが印象的だった。



−シュトゥットガルトにて−

シュトゥットガルトは今回最後の訪問先、最もハードなスケジュールとなる。ベンツとポルシェの街ということで街中違法駐車されていない道路はない。観光街ではないのでこれまで回った街とはずいぶん雰囲気が違う。ある意味日本に似ていた。近郊のエスリンゲンという街は素敵なところだった。


AUDITE会談


 シュトゥットガルトではAUDITEの前社長と現在の社長からいろいろお話しを聞くことができた。
 AUDITEの創設者である前社長マウエルマン氏は、バイエルン放送の理事を務めていたお兄さんに連れられて(このお兄さんもそこに来ていて、いろいろ興味深いエピソードを語ってくれた)たくさんのコンサートに行ったが、その中でもクーベリックの演奏には深く心を打たれたという。
 それから20年後、自分でAUDITE社を興し、レアな作品のレコーディングを中心に行っていたが、どうしてもクーベリックの録音を復刻させたくてついにカーゾンとのモーツァルトのピアノ協奏曲のCD化に踏み切った。(第21,24番 AU 95453 その後 第23、27番 AU 95466 / ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4、5番 AU 95459 もリリースされた)それを聴いたAUDITEの日本代理店キング・インターナショナルの担当者がAUDITEに対して「クーベリックとバイエルン放送響のマーラーもぜひ復刻させてほしい」、と要請、それを受けAUDITEはマーラーの第5番をリリース、それが世界的な大ヒットとなった。(その後の一連のマーラー・チクルスによってAUDITEは一気に世界中のクラシック・ファンに知られる名レーベルとなった。)現在は、社長の座をかつてFERMATEレーベルを創設しハイペリオンなどでディレクターをやっていたベッケンホフ氏に譲り、今はそのベッケンホフ氏が今まで以上に熱心に歴史的録音の復刻に取り組んでいる。
 クーベリック・マーラー・チクルスは第3番、第8番の編集が終り、1970年の大地の歌を発見したことで、残るは第4番のみとなり、現在この音源を全力をあげて探しているとのことである。
 またそれ以外には、最近はあまり注目されなくなったズーカーマン、彼が1969年4月に急病のミルシテインに代わって登場してきたときのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲も控えているらしい。そのヨーロッパ・デビューは、奇跡的な名演として当時の新聞では大きく取り上げられ、テクニックだけでないドイツ的で甘い、色彩色豊かな演奏、と大絶賛されたらしい。もちろん指揮とオケはクーベリックとバイエルン放送響。
 さらに1980年代のザンデルリンクの録音のリリースも予定。ショスタコーヴィチの5番、ブルックナーの4番などが計画されている。そして最近にわかに再評価の機運が高まり始めた名匠リステンパルトもリリースされる。非古楽器系の巨匠として再注目されているリステンパルト、今回のリリースでは彼がいつもこだわった共演者にも興味が集まる。シェリングやヴンダーリヒ、アンドレといった大アーティストとの録音が復刻されるかもしれない。最後に渋いながら日本でのセールスも順調なライトナーも予定されているとのこと。膨大なバイエルン放送の音源をふんだんに盛り込んだAUDITEの快進撃はまだまだ続きそうである。

AU 95453 モーツァルト:ピアノ協奏曲第21,24番 カーゾン(P)
クーベリック指揮
バイエルン放送響
AU 95466 モーツァルト:ピアノ協奏曲第23、27番
AU 95459 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4、5番


ベルンハルト・ハースのオルガン

 AUDITEは多くのオルガン・アルバムをリリースしているが、レーガーの録音をリリースしているベルンハルト・ハースのオルガン・コンサートを聴くことができた。演奏曲目はブルックナーの交響曲第6番とリストのピアノ・ソナタのオルガン編曲版。シュトゥットガルト州立音楽大学の最新のオルガンを使った異常なほどに白熱した演奏。このオルガンは、手動で左右の音響を蓋で封じ込めて音量を調節できる。ブルックナーの交響曲ではこの蓋を全開にすることでコンサート・ホールが地響きを立ててゆれるような最大音量を経験できた。またリストのピアノ・ソナタ編曲版も、超絶技巧よりも作品の巧みな構成に改めて驚かされ、これは会心作であった。いずれも近いうちにAUDITEからリリースされる予定で、非常に興味深いアルバムとなることは間違いない。


AUDITEの創設者マウエルマン氏のお兄さんエーリヒさんは、バイエルン放送で長年理事を務めていたという(でも外見はミュンヘンのただの気のいい酔っ払い)。そんなお兄さんから2つの興味深い話しを聞いた。

ソビエト時代のザンデルリンクを救ったのはショスタコーヴィチ

 ドイツ生まれのザンデルリンクは20代半ばでナチスを逃れてソ連に移住し1960年までずっとモスクワ放送SOやレニングラード・フィルで活躍した。しかし、第2次大戦中、独ソ戦争での敵国人でありながらどうしてソ連で活動を続けられたかずっと疑問だった。
 エーリヒ氏の話しによると、ムラヴィンスキーの次席指揮者として活動していたザンデルリンクだったが、戦争中突然当局から指揮活動・音楽活動の中止を命じられたらしい。もちろん抵抗すればシベリア送りか最悪死刑という状況で(というか抵抗しようがないけれど)、ザンデルリンクはショスタコーヴィチになんとか助けてほしいとお願いしたのそうだ。ショスタコーヴィチはザンデルリンクに「あまり期待しないでほしい」と言いつつ、スターリンに対して「偉大な音楽家がいなくなることになる」と進言、その3日後、ザンデルリンクはまた音楽活動ができるようになったという。

クーベリックとマーラー

 DGで華やかな録音活動を行っていたクーベリック。しかし彼の最大の希望はマーラーの交響曲全集を録音することだった。しかし当時はまだマーラーの交響曲全集を録音することに臆病だったDGはそれを拒否。それに対して、クーベリックはマーラーを録音させてくれないのなら、ドヴォルザークもスメタナも指揮しないと抵抗。ついにDG側が折れて、晴れてクーベリックはマーラー交響曲全集に着手することができたという。やはりクーベリックにとってこの全集録音への思い入れは並大抵のものではなかったのだ。この全集での演奏は穏健で中庸なものとされるが、その背景にはこの全集によって正統で堅実なマーラー演奏を後世に残したいというクーベリックの願いがあったのだろう。



HANSSLER社訪問

 新しい「FASZINATION MUSIC」シリースがベストセラーを続け、ここへきて一躍脚光を浴び始めたシュトゥットガルトに本拠を置くHANSSLER社。その社屋は広大な敷地に最新の設備を整えた最先端工場。もともと出版系の会社らしくその倉庫は8割が書籍だったが、HANSSLER社は我々音楽関係者が考えるよりはるかに巨大な企業であった。音楽部門の社長は知的で合理的、そして西洋風の帝王学を身につけた颯爽とした人。彼はHANSSLER社の歴史を語るより、今話題の二人のアーティストに引き合わせてくれた。


ヘルムート・リリング

 HANSSLERから偉大なバッハ大全集録音をリリースしたヘルムート・リリング。真っ赤なベンツ(ナンバーもJSだった)に派手なグリーンのチェックのジャケット。哲学者然とした人ではなく、70歳近い高齢にもかかわらず洒落っ気と、毅然としたオーラをまとった野心的な人だった。おそらくシュトゥットガルトの音楽界でも最高の権力をもっていると思われ、紹介してくれた社長のギュンター・ヘンスラー氏もこのときばかりはかなりの緊張を見て取れた。
 ただ、リリングとHANSSLER社の出会いは、学生だったリリングがバッハの楽譜を探していて、その楽譜をHANSSLER社の先代社長が持っていてタダでリリングに渡したところから始まったらしい。しかしそれ以来一途にHANSSLER社のために録音活動を行ってきたリリングもすごい。
 もちろんリリングは録音活動だけを行ったわけではなく、なんと30年間ずっとバッハのカンタータを毎週末演奏し続け、毎回400人近い聴衆が聴きに来ていたという。リリングの音楽活動の根底には「音楽は専門家のためだけにあるのではない」という考えが根付いている。世界中のバッハ・アカデミーを統括するという職務にあたっているのも、世界中の多くの人にバッハを聴かせたいというリリングの願いがあるからである。
 リリングに言わせれば、バッハはすべての音楽の教師である。バッハ以降の音楽はすべてみなバッハの音楽の影響を受けずにはいられなかった。だから彼はバッハを演奏するのである。
 そして意外なことに彼はまた現代音楽にも大きな興味を抱いていた。彼はバッハのマタイ、ヨハネ、ルカ、マルコ受難曲に対応する現代音楽を作り上げるプロジェクトを組み、ドイツのリームに「ルカ」、ロシアのグバイドリーナに「ヨハネ」、アルゼンチンのゴリヨフに「マルコ」、中国のタン・ドゥンに「マタイ」を作曲依頼、シュトゥットガルトの2000年現代音楽プロジェクトの最大の目玉に仕立て上げることに成功した。
 壮大なバッハ・レコーディング・プロジェクトを完成させ、フェスティヴァルでも大きな企画を成功させてきたリリング。彼は優秀な音楽家であるとともに、優秀なプロデューサーでもあったのだ。そして彼の新たな挑戦への意欲はまったく尽きることがない。今度何をやってくれるのか、今から楽しみである。

Haenssler J.S.バッハ:新バッハ・エディションによる大全集
92 510(172CD)  ¥120000→¥98000
終了

 ドイツの正しきバッハ。172枚組に及ぶ世界最大となるヘルムート・リリングの大バッハ大全集。国際的バッハ研究家として知られるリリングが自ら校訂に参加したベーレンライター新バッハ・エディションによる大全集。声楽、器楽、室内楽のジャンルなどレーベルを超えた豪華演奏陣で、リリングを慕う名人大家が大集結。大変な大全集となった。



HANSSLER 現代受難曲3部作

CD 98.397
2CD
リーム:「ルカ受難曲」 ユリアーネ・バンゼ、イリス・ヴァーミリオン
コーネリア・カリッシュ、クリストフ・プレガルディエン
アンドレアス・シュミット
ヘルムート・リリング指揮
シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム・カントライ
御大リリングが登場するリーム。しかしすごいメンバー。下のゲルギエフにしてもリリングが直接お願いして引っ張り出したというからその顔の広さ、人望にはおそれいる。ここでも今をときめく歌唱陣たちの素晴らしい歌声に思わず聞き惚れてしまう。
CD 98.405
2CD
グバイドリーナ:「ヨハネ受難曲」 ナタリア・コルネヴァ、ヴィクトル・ルトシウク
フェードル・モザエフ、ゲンナディ・ベズベンコフ
ヴァレリー・ゲルギエフ指揮
サンクト・ペテルブルグ室内合唱団
サンクト・ペテルブルグ・マリインスキー劇場O
ロシアからはグバイドリーナ。深遠で重厚な作品は、ゲルギエフとキーロフの面々によってさらにいっそう厳しい音楽に作り上げられる。250人の大合唱団の高度な技術も必聴。
CD 98.404
2CD
オズワルド・ゴリヨフ:「マルコ受難曲」 ルチアナ・スーザ、
レナルド・ゴンザレス・フェルナンデス
マリア・グィナンド指揮
カラカス・スコラ・カントルム
弱冠41歳、アルゼンチン生まれの鬼才ゴリヨフの大作。力作。ペンシルヴァニアでジョージ・クラム、タングルウッドでナッセン、ルーカス・フォスらとともに学んだというが、その作風は明らかに南米の土俗音楽・ポップスを土台にしたアンチ・クラシック。ずばりフラメンコだったり、タンゴだったり、サンバだったり、ボサノヴァだったり、その無茶苦茶とも言える混合ぶりが壮絶なまでのエネルギーを生む。実際シュトゥットガルトでの初演ライヴは、さながらロック・フェスティヴァルのような盛り上がりだったとリリングも興奮しながら語っていた。南米の伝統音楽とポップスとクラシックの激しい融合、これはおすすめ。



シュトゥットガルト・バッハ・アカデミー

 リリングと話しをさせてもらったのはシュトゥットガルトのバッハ・アカデミー。昔の印刷所を買い取って20年程前にそこに移ってきたらしい。演奏用ホールや、図書館、サロンなどもあるなかなかの施設。世界中のバッハ研究の中枢である。この施設がここにできたことを記念して、市は建物の前の通りの名を「ヨハン・セバスティアン・バッハ・ストリート」と改名したという。中にはリリング専用の書斎もあり、そこでサインとかしてもらったのだが、机の上に「フィデリオ」の楽譜があったので「やるんですか?」と聞いたら「来年くらいにね」と言ってウィンクした。


HANSSLER期待の若手ピアニスト ユージン・ムルスキ

 HANSSLER期待の若手ピアニスト、ユージン・ムルスキが同社のサロンにあるリスト時代のピアノを用いてプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」、リストの「メフィスト・ワルツ」を演奏してくれた。あまりの打鍵の強さに時代ものピアノはガクガク。途中で少しづつキーがおかしくなるほどの強打。わずか1メートルのところで聴いてしまったためにこちらの耳までおかしくなってしまった。これほどのパワー・テクニシャンがまだ世界にはいるのだ。次回リリース予定の「ロシア・ピアノ作品集」はスクリャービンのエチュード、ラフマニノフのソナタ、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」を収録。前半の抒情溢れる演奏もいいが、圧巻はやはり「ロメオとジュリエット」。シャ−プでダイナミック、実演でのすごさを再体験させてくれた。
HANSSLER
CD98412
スクリャービン:エチュード 作品2-1、42-5、8-12
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番
プロコフィエフ:「ロメオとジュリエット」
ユージン・ムルスキ(P)





ロジャー・ノリントン

 日本で高い人気を誇るノリントンだが、なぜかCDリリースでは常に受難に遭うことが多かった。かつてEMIからリリースされた名盤たちは次々廃盤、ようやく最近になってVIRGINの普及盤でいくつか復活してきたが国内盤はさらに目も当てられない状況。DECCAから新録音が出てもノリントンの名前がクローズアップされることはあまりない。そんな状況の中で、FASZINATION MUSICからリリースされたシューマンの交響曲第2番、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスは抜群の出来で、手兵ロンドン・クラシカル・プレイヤーズを解散して新たに踏み出した活動が順調であることをうかがわせてくれた。しかし、とにかくいかんせん彼の情報は乏しい。一体今何を考えて、どんな音楽活動を送っているのかさっぱりわからなかった。
 そんなときに、ノリントンが主席指揮者を務めるシュトゥットガルト放送交響楽団との練習風景に立ち会うことができた。そのあとにはほんのちょっとだけ話しをする機会もあり、今のノリントンを知る格好のチャンスを得ることができた。
 リハーサルの演奏曲目はヴォーン・ウィリアムズの田園交響曲。4楽章すべてがモデラート、レントという、第1次大戦の犠牲者に対するレクイエムとなっている。このあたり今回のテロ事件と関係があるのかもしれない。7月のプロムスで演奏をしたことがあるらしいが、メンバーもかなり変わっているという状況でしかも今回が最初の練習ということだが、驚くべきことにほとんど曲はできあがっていた。プロのオケとはこんなものなのか?明日のコンサートのためのリハといわれてもわからない。しかもノリントンのきびきびした指示に俊敏に応えるオケの面々。そうとうに反応性の高いオケである。ノリントンは一時期心配されていた大病の影響は全く感じさせないはつらつとした指揮ぶり。ときおりユーモアを交えながら団員といい感じで練習をすすめていく。チェリ時代からの生き残りのこわもて奏者達もとくに場違いな風もなくノリントンの音楽性と共存している。指揮者とオーケストラの関係がかなりいいものであることを感じさせてくれた。

 練習後2,3の質問をすることができた。といっても本人はいたっておだやかで優しく、愉快な人で、写真を撮るときもおどけてばかりいた。(また練習風景を見やすいように巨大スピーカーの位置を自分でずらしてくれたりした)
 ラスコル: 5年程前に大病をされたと聞いて心配していたのですがもう大丈夫なのでしょうか。
 ノリントン: 10年前だよ。ご覧のとおり、今はすっかり元気。
 ラスコル: よかったです。シュトゥットガルト放送交響楽団と新しいベートーヴェンの全集を出すと聞いたんですが。
 ノリントン: え?そんな計画はないよ。でも頭にはあるけどね。いつかはやりたいと思ってる。ほかにもやりたいことはいろいろあるしね。
 ラスコル: 日本にはなかなかノリントンさんの情報がはいってきません。ですので今度の来日は多くの人が期待していると思います。これからも何度も来日してファンを喜ばせてください。
 ノリントン: そうなるようにがんばるよ。
 ラスコル: ありがとうございました。
 そのあとわざわざ日程を変更して今度はベートーヴェンの「田園」を聴かせてくれるということで張り切っていたノリントンだったが、どうしても先を急がねばならず、本当に残念ながらその場を後にした。ノリントンの優しさとちゃめっけが印象に残った。でも「田園」、聴きたかった。金管とティンパニは楽団からの提案でオリジナル楽器でやるのだそうだ。


≪ノリントンおすすめアイテム≫
93 011 ハイドン:交響曲第104番「ロンドン」
シューマン:交響曲第2番
サー・ロジャー・ノリントン指揮
シュトゥットガルト放送響
93 006 ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス
93 000 エルガー:交響曲第1番
ワーグナー:マイスタージンガー第1幕前奏曲


VIRGIN VERITAS

5616052 ブラームス:ドイツ・レクイエム   ドーソン(S) サー・ロジャー・ノリントン指揮
ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
5452652 ヘンデル:水上の音楽&王宮の花火の音楽
5617352 メンデルスゾーン:交響曲第3&4番「イタリア」
5613842
(2CD)
モーツァルト:歌劇「魔笛」全曲
 ロルフ・ジョンソン、アプショウ、ド・メイ、ハウプトマン
5615202 モーツァルト:レクイエム
5617342 シューマン:交響曲第3&4番
5453012 スメタナ:連作交響詩「わが祖国」全曲



ノリントン&ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
ベートーヴェン:交響曲全集 
 VIRGIN VC5619432 5CD¥2400
値下げ値下げの末にここまで来ました。

モーツァルト:ディヴェルティメントK.136/交響曲第41番「ジュピター」
ストラヴィンスキー:交響的舞曲
ノリントン&ザルツブルク・カメラータ・アカデミア
ORFEO  567011 ¥2000
最新新譜。録音は98年。ヴェーグと聴かせてくれたあの優美な抒情に、ノリントンのシャープさが
加わって、ディヴェルティメントは超・極上の味わい。すでに鬼才ではなく巨匠の風格が漂う。


*********************


極秘!シュトゥットガルト放送交響楽団の歴代指揮者の横顔

シュトゥットガルト放送交響楽団の楽団のかたに歴代の主席指揮者について本音で語ってもらった。ちょっとショックな話しもありますけど・・。

・セルジュ・チェリビダッケ

完全主義者。演奏曲については団員にそのすべてを一から教えた。
幼稚園の園児のためのコンサートであっても絶対に気を抜かない。団員も、いつもこの曲が終わったらそのまま死んでもいいと思いながら必死で演奏したという。
厳格な練習は噂どおりだが、実は大変な団員思い。シュトゥットガルト放送SO就任時も自分の報酬より先に団員の報酬、待遇の改善を求めたという。給料を上げて、ホテルの部屋をシングルにして、移動の際の客室をよくして、休日を増やすように細かく要望したという。いい音楽を奏でるにはいい環境にいなければならないという考えだったらしい。ミュンヘン・フィルに着任した際も団員の給料をバイエルン放送響の団員と同じにしろ、というのが最初の要求だったという。
たださすがに最後のほうは団員にも多少の疲れが出てきていて、ミュンヘン・フィルへの移動はチェリビダッケにとっても団員にとってもいいタイミングではあったらしい。
ちなみにミュンヘン・フィルにチェリビダッケが招かれたいきさつは、ご推察のとおり、ドイツ最大の文化都市であるはずのミュンヘン市のお抱えのオケが、ケンペ以後あまりにみすぼらしくなってしまったということで、市あげての熱烈な要望によるものだったらしい。もちろんその計画は成功した。
またミュンヘン・フィルのときは「音楽やるのに何で金取るんだ」と言ってリハは一般の人に無料で公開していたらしい。

・ネヴィル・マリナー

チェリビダッケの後ということで、適度に気を抜ける指揮者として選ばれた。ただ実際に主席指揮者として着任してみると全然棒が振れず、本番でもオーケストラが止まることがしょっちゅうだったという。しかしレコーディングに関してはピカイチで、あれだけ実演でだめなのに録音になるとストップウォッチを持参して完璧な演奏に仕上げたという。団員も出来上がった録音を聞いて驚愕したらしい。ただしオケの力量はまたたくまに低下した。

・ジャンルイジ・ジェルメッティ

その頃ときおり客演していたイタリア生まれのジェルメッティ。その豊かな音楽性とイタリア生まれらしい天性の陽気さが団員に受け、次の主席指揮者に。しかし実際に着任してみると指揮台の上で踊っているだけで、半年でオケは崩壊し、すぐに退任することに。ただひらめきの感性だけはやはりすごかったらしい。

・ジョルジュ・プレートル

次に団員たちが目をつけたのがプレートル。しかしオケの事務はやりたくないということで主席指揮者にだけはならない、と突然名誉指揮者の地位を作ってそれに収まる。棒は決してうまくないが、純粋な変人だったという。一般に受け取られている穏健なイメージとはまったく逆で、とんでもない信じられない解釈を平然とやってのける勇気と発想力を持った人だった、と妙な絶賛をされていた。

・ロジャー・ノリントン

棒自体は難しいが、その発想と感性はすごいものがあるらしい。また通常自分が主席を張っているオケにはあまり他の指揮者を呼びたがらないものだが、ノリントンは団員の希望があると自らその指揮者に手紙を書いて客演を要望するという。団員の提案や要望をきちんと受け止め、それを実現してくれる包容力を持った人らしい。現在団員ともかなりいい関係にあるらしく、今後も長くその主席指揮者の地位にいると思われる。
・カール・ベーム
初めて客演してきたときにブルックナーを振ることになったが、初日いきなりオケの日本人を指さして「日本人にブルックナーは分かるはずないから出て行け」と言ったらしい。おいおい。



路傍のCD−ホルヴァート/ブルックナー:ロマンティック

シュトゥットガルトのとある街角。ワゴンの投売りCDセール。悪い癖でそれらをあさっていたら、始めはショルツやナヌットばかりだったのだが、あらま、ホルヴァートの「ロマンティック」を発見。オーストリア放送交響楽団(ホルヴァートは最初の首席指揮者)。ほんまかいなと思いながらもかえって聴いてみたらなかなかの演奏。とりあえずワゴンの中の4枚はすべて買い占めてきた。ひょっとして日本のどこかのワゴンにも入っているんだろうか。レーベル名は不明。

ミラン・ホルヴァート指揮、オーストリア放送交響楽団
ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」
完売 506.2200 ¥1200



シュトゥットガルト国立歌劇場で手に入れたCD

 シュトゥットガルト国立歌劇場は、街のメインストリートのすぐ裏、素敵な宮殿庭園の中にある。その歌劇場の売店で売られていたCD。


チャイコフスキー(クルト=ハインツ・シュトルツェ編):バレエ音楽「オネーギン」
ジェームズ・タグル指揮、シュトゥットガルト国立O
完売 ANIMATO ACD 6048 2CD¥4000

 世界的な名声をもつシュトゥットガルト・バレエ。街中いたるところでバレエの人気を思わせる広告や造形物に出会う。このCDは大物振り付け師ジョン・クランコによって一世を風靡したバレエ「オネーギン」の音楽を収録したもの。主役はあくまでそのクランコなのだが、われわれクラシック・ファンは、シュトルツェのたくみな編曲に魅惑される。チャイコフスキーの華麗で甘いロマンを1時間半たっぷり楽しませてくれて、思わぬ拾い物のアルバムとなった。


シュトゥットガルト国立管弦楽団400周年
フェルディナント・ライトナー1950年代録音集
完売 445387-2 ¥3000

ワグナー:「ニュルンベルグのマイスタージンガー」より前奏曲 1952年
ワグナー:「ワルキューレ」第1幕より ミュラー、ウィントガッセン 1952年
ベートーヴェン:「エグモント」序曲 1953年
R・シュトラウス:「ばらの騎士」より トレッチェル、ミリンコヴィチ 1955年
フランツ・シュミット:「ノートルダム」より間奏曲 1953年
トーマ:「ミニヨン」序曲 1953年
レズニチェク:「ドンナ・ディアナ」序曲
日本ライトナー協会の会長に見せたら10万円でいいから譲ってほしいといわれたお宝CD。すでに売店でも残り5枚しかなく、極東の日本人が全部買い占めてしまって本当によかったのだろうか。すべてライトナー50年代のDG録音。もちろん初CD化。


 そしてシュトゥットガルト国立歌劇場で手に入れたCDを急ぎかばんに詰め込み、シュトゥットガルトからフランクフルトへ飛行機で渡り、そこからまた8時間の空の旅。
 こんなふうに世界のいろんな音楽事情を訪ねる旅ができたというのはとても幸せでした。みなさまには1週間事務所を留守にしてご迷惑をおかけしました。必ずやいろいろな形でお返ししたいと思っています。
 今回の旅にご理解いただいたお客様、いろいろな形でお世話をおかけしたみなさま、本当にありがとうございました。