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第55号お奨め国内盤新譜(1)



AEON

MAECD1094
(国内盤)
\2940
クレメンティ 四つの短調ソナタ
 〜ベートーヴェンのかたわらで〜
ムーツィオ・クレメンティ(1752〜1832):
 1. ソナタ 嬰ヘ短調 op.25-5(1790)
 2. ソナタ ロ短調 op.40-2(1802)
 3. ソナタ ヘ短調 op.13-6(1785)
 4.ソナタト短調op.50-3「捨てられたディドーネ」(1821)
オリヴィエ・カヴェー(ピアノ)
練習用ソナチネの作曲家? いえいえ! ベートーヴェンを打ち負かすライヴァルです。クレメンティに対する認識が180度変わること間違いなし。現代ピアノで弾くからこそごまかし一切なしに、この巨匠の真価を深々と印象づける。
これほど古楽器演奏がさかんになった21世紀のこのご時勢に、あえて現代ピアノで釈明いっさいなしに、「同じナポリの血を引く者として」という理由でスカルラッティのソナタを録音、その飛びぬけた解釈ゆえにさっそく『レコード芸術』(現在発売号)で特選に輝いたスイスのナポリ系ピアニスト、オリヴィエ・カヴェー...!やれショパンだ、ラフマニノフだ、リストだ、ドビュッシーだ、いやバッハ新解釈だ...などと世のピアニストたちが王道レパートリーで腕を競っているかたわらで、老匠アルド・チッコリーニと超実力派マリア・ティーポという、20 世紀イタリアきっての個性派たちに師事してきたこの異才が次に世に問うのは、またもや「このご時勢に現代ピアノで?」と耳を疑うレパートリー...
あのベートーヴェンの同時代人、フォルテピアノ奏者たちの演奏によってその真髄がようやく明らかになってきた「ソナチネ・アルバムに出てくる作曲家」クレメンティのソナタ集!
イタリアからウィーンに来た若い頃は、皇帝の御前でモーツァルトと即興演奏対決を行い「本場イタリアから来たくせに」みごと敗れてしまったとか、後年はロンドンに渡り、ピアノ製造会社と楽譜出版社も開いて大儲け、音楽都市ウィーンで話題の“前衛作曲家”ベートーヴェンの作品のロンドンにおける楽譜出版権を大枚はたいて買い取ったのはいいが、そこで入手した楽譜のうちには、あの悪名高き「ヴァイオリン協奏曲のピアノ協奏曲編曲版」まであったとか...と、あまり芳しくない史実ばかり伝えられているクレメンティですが、たいてい悪評が後世に残る人というのは、生前に「やっかまれるに足る」成功をものにしていた場合が多いもの。クレメンティも自身ひとかどの演奏家として名を馳せたばかりか、教育者としても抜群のセンスを発揮、プロを目指す若者たちのために上梓した『グラドゥス・アド・パルナッスム』という教程は、後年ドビュッシーが『子供の領分』の1曲のタイトルにいたずらっぽく登場させていることでも有名ですし、作曲家としても立派な交響曲や数々のピアノ・ソナタで大いに人気を博した、まさしく時代の寵児のひとりだったわけです。
ただ問題なのは、彼のピアノ・ソナタというのは(...これ、考えてみればモーツァルトやハイドンの作品と全く同じなんですが)センスのないピアニストが弾くと、ものすごーく退屈な、ベートーヴェンから創意だけ抜き取ったような演奏になってしまうところ。それゆえクレメンティを作曲家として評価しない方も多いでしょうし、曲の機微まで拾いやすいフォルテピアノの演奏でさえない、となれば、聴く価値もないと思う方さえいるかもしれません。ところが——そこであえて現代ピアノでクレメンティを弾いてみせた本盤は、そんな凡百のクレメンティ解釈とは全く無縁だったのです!選ばれたのは初期から後期まで、10年ごとの作風変遷を静かに示すソナタ...で、すべてが短調作品!陰鬱さ、玄妙さ、暗澹たる迫力、艶やかな憂愁、カヴェーの迫真のピアニズムが抉り出す短調世界は、どのソナタから聴き始めても、この大家がベートーヴェンの及びもつかぬほど尊敬された理由を、ごまかし一切なしに正面から教えてくれるのです。現代ピアノでここまでやってみせたからこそ、他の歴史的大作曲家たちと同列でその芸術性を判断できようというもの。

ALPHA

Alpha168
(国内盤)
\2940
バッハ:さまざまな楽器のための協奏曲5
 〜ブランデンブルク協奏曲第6番、管弦楽組曲第3番…〜
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)
 1. 序曲(管弦楽組曲)第3番 ニ長調 BWV1068
 2. チェンバロ協奏曲 ヘ短調 BWV1056
 3.ブランデンブルク協奏曲第6番変ロ長調 BWV1051
 4. 3台のチェンバロと弦楽合奏のための協奏曲ニ短調 BWV1063
カフェ・ツィマーマン(古楽器使用)
パブロ・バレッティ(vn&va)
ダヴィド・プランティエ(vn)
パトリシア・ガニョン(va)
ペトル・スカルカ(vc)
グイード・バレストラッチ、
フリーデリケ・ホイマン(vg)
ハンネス・ルクス(tp)
セリーヌ・フリッシュ、
ディルク・ベルナー、
アンナ・フォンターナ(cmb) ...他
2010年、シリーズ全点が改めて痛快なセールスを記録したAlphaの超・人気シリーズの最新作...ゲストも豪華、曲目も豪華、初来日にも期待が高まります!
2011 年3月には待ちに待った初来日を控え、カフェ・ツィマーマンの超・人気シリーズ「バッハ:さまざまな楽器のための協奏曲」の最新作!

2010 年には、福島章恭氏の充実した新刊『バッハをCD で極める』(毎日新聞社)でご紹介いただいたこともあり、このシリーズは既存第1 作から第4 作までまんべんなく、すべてちょっとした新譜?と思うほどの売れ行きをマークいたしました。絶妙のタイミングでの新作リリースとなりますが、内容がこれまた極度に充実しているので、早くも“音”の到着が愉しみでなりません。
今回も豪勢な「序曲」を除きすべて1パート1人編成、毎回1曲ずつ入っているブランデンブルク協奏曲は、今回「第6番」を収録。ヴァイオリンなし、ヴィオラ2挺が最高音域で、その下にヴィオラ・ダ・ガンバ2本とチェロ・通奏低音が加わる、さながら17 世紀ドイツ音楽かと思うような編成の異色作品です。
何がすごいって、この曲のシンプルなガンバ・パートに起用された顔ぶれの贅沢さにまず驚かされました。どちらもZig-Zag Territoires やAlpha その他のレーベルで数々のソロ・アルバムを発表している超・実力派、グイード・バレストラッチとフリーデリケ・ホイマン!! バレストラッチはカフェ・ツィマーマンが最後に発表した『荒唐無稽のバロックとロココ』(Alpha151・ドミニク・ヴィス参加によるフランス・バロックのカンタータ・コミーク集)でやおらメンバーに加わり、マレの「鐘」などで絶妙のサウンドを響かせてくれましたが、ブランデンブルク第6番もこうした中音域の立ち回りで「格」の違いが出てくる曲だろうと思うにつけ、そしてその上でバレッティの絶妙ヴィオラが、下でスカルカのイキのいいチェロが動き回るのかと想像しただけで、もうドキドキしてきます。
他にはチェンバロ・ソロの加わる協奏曲が今回は2曲。ソロでも名盤あまたのセリーヌ・フリッシュ(cmb)とて負けてはいませんが、3台ものチェンバロが微かなズレで重なりあうニ短調協奏曲も、第3集(Alpha071)にある同編成のBWV1064の興奮再び!という感じが期待大。
しかし今回の第5 集のうまみは、もはやバッハの曲か否かを超えて全世界的に有名なナンバーを含む曲が2曲も含まれていること——かたや映画やCM などにも多く使われている妙にポピュラーっぽい「アリオーソ」(実際はラルゴですが)を含むBWV1056 のチェンバロ協奏曲、そしてもうひとつは...「G 線上のアリア」の名で知られるアリア楽章のある、トランペットやティンパニが大活躍する管弦楽組曲第3 番。「第4 集」(Alpha137)のブランデンブルク第2 番でナチュラル・トランペットとは信じられないくらいの痛快なソロを聴かせた多忙な名手ハンネス・ルクスをはじめ、強力演奏陣が揃い、弦もcb以外は複数員数を動員した拡大編成で、その充実した音響世界をAlpha の自然派録音がどう捉えるかも楽しみです。
Alpha170
(国内盤)
\2940
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750):
 ①ミサ・ブレヴィス BWV233 ②ミサ・ブレヴィス BWV236
 ③ モテット「おおイエス・キリスト、わが命の光」BWV118
ラファエル・ピション指揮
Ens.ピグマリオン(古楽器使用)
ユジェニー・ワルニエ(S)
テリー・ヴァイ(C−T)
エミリアーノ・ゴンザレス=トロ(T)
クリスティアン・イムラー(B)
「Alphaのバッハ」ならではの超・充実盤、ふたたび。
古楽先進国フランスきっての気鋭集団が、2008年の好盤に続く痛快な「下巻」をついにリリースしてくれました!
断章カンタータとして分類されてきたBWV118とあわせ、深みと躍動感、ふたたび...!

1980年代、それまで学究的なとっつきにくさもなくはなかった古楽の世界に、フランスのharmoniamundi やEratoといったレーベルの録音が新風を吹き込み、ウィリアム・クリスティ主宰のレザール・フロリサンやフィリップ・ヘレヴェッヘ主宰のシャペル・ロワイヤル・パリなどが「本場発のフランス・バロック」を提案するようになって以来、フランスという国は年を追うごとに「古楽先進国」としてのイニシアティヴを発揮するようになっています。とくに1988 年に発足したヴェルサイユ・バロック音楽センターが体系的かつ公に開かれた演奏・教育活動にも傾注するようになってからは、ル・コンセール・スピリチュエル、ル・ポエム・アルモニーク、コンセール・ダストレ...と続々新たな実力派団体が(概して、若い演奏家たちによって)結成されてはシーンに活況をもたらし、中心的なCD批評誌『ディアパゾン』の金賞受賞作の大半が古楽ものばかりになる月も珍しくないほど。
上述のクリスティやヘレヴェッヘなども自分のアンサンブルでの教育活動や若手育成に熱心で、何かと「若い力」を大切にするお国柄もあってのことなのでしょうが、2008 年にその象徴ともいえる快挙を成し遂げてくれたのが、このラファエル・ピションという1984年生まれの合唱指揮者率いるアンサンブル・ピグマリオン!
20 代(!)の若手古楽歌手・古楽奏者たちを中心に結成されたこのアンサンブル、2008年に「古楽命」のAlpha で録音したバッハのミサ・ブレヴィス2曲(BWV234・235…Alpha130)が各方面から大絶賛を博し、上述の『ディアパゾン』でも(ロマン派・オペラなど全CD リリースを含むカテゴリで)「2008 年の最重要金賞アイテム」に選ばれるというセンセーショナルな大成功を収めたのでした。事実、その演奏内容はブラインドで聴いたらまず「若手団体」とは思えないほど、一糸乱れぬアンサンブルの結集力、精緻な対位法をクリアに聴かせる作品構造把握、どこまでもみずみずしい仕上がりの妙...と欠けたるところの一切ない驚異の名演。
日本でも未だにセールスの途切れない人気を誇る「さすがAlpha のバッハ盤」というほかない名盤だったのでした。その傑作盤に続く「下巻」が、今回ついに登場!
プロテスタント礼拝のなかでも独特の存在感を放ってきた「キリエ」と「グローリア」だけからなるミサ・ブレヴィス(小ミサ)をバッハは4曲残しており、いずれも(ロ短調ミサ曲と同じように)カンタータからの転用楽章も多いのですが、ソロ歌唱の立ち回りやレチタティーヴォの挿入などの見られるカンタータとは違い、これらのミサでは演奏編成全体が一丸となっての合唱+合奏によるナンバーが多く、音楽的な切れ目なしにバッハの語り口展開を味わえるのが嬉しいところ。六つのモテット同様、数少ない新譜は必ずチェックするというバッハ・ファンも少なくない隠れ名曲です。
Ens.ピグマリオンの精緻に整ったアンサンブルは、無駄に若やがず確たる音楽を紡ぎ続け、作品美を引き立てる頼もしさ(逞しくも牧歌的なナチュラルホルンや低弦の響きも痛快)!今では「断章ではなく独立したモテット」と扱われている“野辺送りの音楽”BWV118(カンタータ番号の欠如を不思議に思った方もいるのでは?)の、バロック・オーボエの響きが美しい長調和音が醸す哀調も強く心に刺さります。
Alpha169
(国内盤・2枚組)
\4515
シューマン:ピアノ曲・室内楽作品集Vol.11(最終巻)
 子供の情景、謝肉祭、生涯最後の作品...
ローベルト・シューマン(1810〜1856):
 ①アベッグ変奏曲 op.1 ②トッカータ op.7
 ③子供の情景 op.15
 ④ベートーヴェンの主題による変奏曲WoO 31
  (ローベルト・ミュンスター校訂)⑤謝肉祭 op.9
 ⑥三つのロマンツェ op.28 ⑦アラベスク op.18
 ⑧アルバムのページ(20 の小品集)op.124
 ⑨花の曲 op.19⑩七つのフゲッタ op.126
 ⑪主題と変奏 WoO 24(シューマン最後の作品)
エリック・ル・サージュ(ピアノ/スタインウェイ)
超人気シリーズ、ついに堂々の完結——最終巻に残ったのは、超・本命の名曲群!
「子供の情景」、「謝肉祭」、「トッカータ」、「アラベスク」...シューマン最初の出版作品である「アベッグ変奏曲」からライン川に飛び込む直前の“最後の作品”まで、これひとつで計り知れない充実度を誇るセットに!
シューマン生誕200 周年にあたる2010 年、いくつものリリースが相次ぐ中で特に充実したリリースを続けてくれたのが、このエリック・ル・サージュの全集シリーズ——今年後半には第9巻(Alpha158)でやおら19 世紀製のヴィンテージ・スタインウェイと古楽奏者クリストフ・コワンの参加が見られたほか、待望の日本発売からまだ間もない第10巻(Alpha166)ではベルリン・フィル新首席となった樫本大進(vn)まで登場するなど、「ピアノ曲・室内楽作品集」というシリーズタイトルの「室内楽」の部分で素晴しいリリースが相次ぎました。この調子でさらにジャンルを広げて「詩人の恋」やピアノ協奏曲もやってくれないものか...と思うところではございますが、ひとまずはこの第11 巻で完結でございます。
しかし「ひとまず」などという言葉で片付けるような内容ではないのは、上に示された曲目を見ていただければすぐにおわかりでしょう!! そう——「あれ、まだ収録されてなかった?」と思う落穂ひろい的曲目ばかりが集まるのかと思いきや、見れば見るほど「満を持して」感の強い、よりすぐられた選曲の1作が最終巻とは...
ル・サージュとAlpha の製作陣は、この最終巻に照準を合わせて入念にシリーズ構成を考えてきたに違いありません。
大本命は、シューマンの代名詞的最重要有名作ともいうべき『子供の情景』と、クララを意識するようになる前のふたつの重要作品『謝肉祭』に『アベッグ変奏曲』。とくに後者はシューマンが生まれて初めて楽譜出版した記念すべき「作品1」でもありますが、このアルバムをひときわ感慨深いものにしているのは、CD 1 をこの曲ではじめ、CD 2 の終わりに、心に病を抱えたシューマンがライン川に飛び込むほんの僅か前、作曲家として最後に残した作品である「主題と変奏」を置いていること。このシリーズの解説執筆をずっと手がけてきたフランス随一のシューマン研究家ブリジット・フランソワ・サッペイ教授も、今回のライナー解説文(全訳添付)に「アルファからオメガまで」と象徴的なタイトルを付しています。作曲家の心に巣食い、少しずつ大きくなっていったものは、何だったのでしょう——そしてこの作曲家が最後まで失わなかったものは? そんなことを考えさせてやまない謎めいた音楽内容は、彼と近しいヨアヒムやクララが精神崩壊の兆候を見て取ったという、あの賛否両論のヴァイオリン協奏曲にも比しうる不思議な印象を残すことでしょう。
他にも1977 年にようやく楽譜校訂されて世に出た「ベートーヴェンの主題による変奏曲」が収録されているのも気になるところ(このル・サージュのシリーズでは、各巻必ず何かしら意外なトラックがあったものでした。ドビュッシー編曲による足鍵盤付ピアノ作品や、ホルンと二つのチェロを伴う異色の変奏曲や...)。また忘れがたい印象を残してやまないのは、これまた超有名曲であるはずなのに極度に新鮮な響きで甦る「アラベスク」!作曲者への共感と適度な客観性の相半ばするル・サージュの解釈は、どちらも隠れファンの多い名品「トッカータ」や「花の曲」の魅力もしみじみ美しく引き出します。「シューマンを知るならこの1点」と言っても過言ではない、堂々の1作です。
Alpha527
(国内盤)
\2940
アンサンブル・アロマートのバルカン幻想
 ①エキ ②ドスパート ③シルト ④ダンス25
 ⑤グロズデナ ⑥ダイチェヴォ ⑦ヴァルナ ⑧ハッシ
 ⑨プレリュード ⑩グラオフスコ ⑪マナキ ⑫オイザク・マネ
 ⑬レレ・ネド ⑭ドラガニナタ ⑮ズレトスコ
ミシェル・クロード(各種打楽器)
Ens.アロマート
イザベル・デュヴァル(各種フルート)
ジャン=バティスト・フリュジエ(ヴァイオリン)
ジャン=ルー・デカン、
フランソワーズ・エノック(中世フィドル、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
エリーザベト・ザイツ(プサルテリウム)
ジャン・ブランシャール(コントラバス)
フレディ・エシェルベルジェ(オルガネット)
「ミルテの庭」(2006)、「月の光さす」(2008)につづく、古楽と民俗音楽のはざま、 西洋と東洋のはざまをゆくアンサンブル・アロマート第3の冒険は、はるか東と南の  交わるところ、バルカン半島が舞台——土臭さと洗練のはざま、これは絶妙に美しい!
フランスきっての小規模レーベルAlphaといえば、1998年のレーベル発足当初から古楽系のすぐれた録音で音盤シーンに革命をもたらしてきたことで有名ですが、このレーベルがもうひとつのテーマとして注目してきたのが、「楽譜に起こされていない音楽」。即興演奏や、口伝えと耳コピーで伝わり続けている伝統音楽などを、クラシックや古楽のミュージシャンたちが(しばしば民俗音楽やジャズのミュージシャンたちまで交えながら)独特の感覚で再現し、桁外れに素晴しいアルバムが次々と制作されてきました。
この種のアイテムは王道クラシック&古楽系の黒いジャケットとは違い、一貫して白いジャケットに美麗白黒写真というパッケージコンセプトで統一され、品番数字が5で始まるシリーズで制作されています(シリーズ名は「レ・シャン・ド・ラ・テル」、すなわちフランス語で「大地の歌」)。初期には英国ルネサンスのカントリーダンスを集めたレ・ウィッチズの革命的なアルバム『このジグは誰のもの?』(Alpha502)やマルコ・ビズリーとラルペッジャータの奇跡的コラボレーション『ラ・タランテッラ』(Alpha503)、あるいはル・ポエム・アルモニークの2作(Alpha500/513)、中世ヴィエル奏者ブリス・デュイジの弾き語り(Alpha505・520)...と、徹底した作品研究を怠らないと同時に、即興演奏にもすぐれたセンスを発揮する古楽系ミュージシャンのユニークなアルバムの数々は、日本でも静かな(否、しばしば(たとえば『ラ・タランテッラ』のように)ジャンルを超えて注目される)ムーヴメントをつくりあげてきました。
そんな中、このシリーズでスペインの中世イスラム支配時代に思いを馳せる東洋的サウンドを提案してきたアンサンブル・アロマートが、待望の第3アルバムを世に問いました——舞台は一変、さまざまな民族が飛びぬけたリズム感覚の舞曲を織り上げてきた諸民族揺籃の地・バルカン半島へ!5/8拍子、7/8拍子、はては25/8拍子(!)などといった変則的なリズムをものともしない、そんな天性のリズム感覚を誇るブルガリア、ギリシャ、セルビアなどの天才的楽師たちが自然と培ってきた拍動とメロディとを、絶妙のアレンジで最前線の気鋭古楽奏者たちに割り振ってみせたのは、ル・ポエム・アルモニーク初来日時に圧巻の叩き込みで全会場を魅了しつくした超絶的パーカッショニスト、ミシェル・クロード!土くさい「東」の風情にからみつくのは、素材感を感じさせてやまないオルガネット(手持ちオルガン)、プサルテリウム(弦を叩いて煌びやかな音を得る打楽器)、ヴィエルの素朴な弓奏、あるいは19世紀のアンティーク・フルートの古雅なニュアンス...なにしろ弾き手は即興演奏の達人ばかりですから(上のメンバーリストにピンと来られた方!「そのとおり」の演奏結果ですよ)、興奮必至なのはいうまでもなく。
前2作が強烈にイスラム&アラビア風のサウンドだったのに対し、今回はむしろ「シルクロードのバルトーク」といった線での、切なさと異国情緒の入り混じる音作り。弓奏楽器の嘆き節や打楽器のアクセント、プサルテリウムの美音など、聴き手を選ばず、さりとて異国らしさも失わない痛快な仕上がりなのです!
Alpha174
(国内盤)
\2940
ヴィヴァルディ/ フルート協奏曲の真相
〜八つのフルート協奏曲、二つの断片楽章〜
 ①協奏曲 ト長調 RV435(op.10-4)
 ②協奏曲 イ短調 RV440 ③協奏曲 ト長調RV436
 ④協奏曲 ホ短調 RV430 ⑤協奏曲断章 ホ短調 RV432
 ⑥協奏曲 ト長調 RV438
 ⑦アンダンテ「ごしきひわ」〜
   協奏曲ニ長調 RV428(op.10-3)より
 ⑧協奏曲 ニ長調 RV429
 ⑨協奏曲 ヘ長調 RV434(op.10-5)
 ⑩協奏曲 ニ長調 RV427
アレクシス・コセンコ(各種フラウト・トラヴェルソ)
アルテ・デイ・スオナトーリ(古楽器使用)
Alpha、ここまで来て「ようやく2枚目のヴィヴァルディ盤」…それは、待った甲斐のある超・充実盤!空気のふるえ、楽器のふるえ、そして聴き手の魂のふるえ——音楽とは、振動が伝わるということヴィヴァルディ芸術の至芸を解き明かす、こだわりの古楽器を使い分けた、絶妙すぎる名演。もはや日本でもおなじみ、古楽先進国きっての超・秀逸レーベルAlpha——しかし、きわめて個性的な制作姿勢を貫いてきたこのレーベルには、創設10 年を過ぎ、タイトル数が200 を超えた今でもなお、意外にほとんど登場しない重要作曲家というのが何人かいます。たとえばヘンデルのアルバムはいまだ1 枚もありませんし、ハイドンはようやくレギュラー128 番目のCD で登場、モーツァルトもレギュラー89 番目のCD までいっさい出てきませんでしたし、ジョスカン・デプレもパレストリーナもいまだ未登場。ああ、まだコレッリとテレマンも出てきていません。フランス・バロックものでも大家カンプラが無視されたままですし、リュート系の作曲家はド・ヴィゼーくらいしか単独アルバムがなかったり…そう、つまりはまだ、楽しみがすごくたくさん残っているってことなんですが。
そんな「Alpha では意外にもレア」だった作曲家のひとりに、フランスでも大人気なはずの超メジャー作曲家、ヴィヴァルディがいます。今度の新譜はなんと、レーベル発足間もない頃にブリュノ・コクセが録音したチェロ・ソナタ集(Alpha004)以来、10 年ぶりくらいの「Alpha2枚目のヴィヴァルディ」!しかし、それは積年の沈黙を破る存在として充分すぎるくらい、とほうもない充実度を誇るかけがえのない1枚に仕上がってきました。フルート協奏曲集…一見地味と思われたこの企画、その演奏者がフランス古楽界でも飛びぬけてこだわりの強い、そしてそれ以上に飛びぬけて優れた音楽性を誇るトラヴェルソ奏者、アレクシス・コセンコなのですから、通り一遍の軟弱バロック・アルバムで終わるはずがありません。C.P.E.バッハの協奏曲を全曲録音(Alpha093・146)したときと同様、パートナーはポーランドの超・実力派古楽集団アルテ・デイ・スオナトーリ…俊敏にして歌心あふれるこの最強団体(弦編成は3/3/1/1/1 で、これにテオルボとチェンバロ、時折ファゴットが参加)をバックに、コセンコはデンナー、ブレッサン、アイヒェントップフ、ステインズビー、ロー、パランカ…といった錚々たる名工たちの貴重な作例から周到に復元された6本のトラヴェルソを使い分けて、ひとつひとつの作品を音楽学的に隅々まで検証、現時点での決定的な演奏解釈に仕上げてみせたのです!
ヴィヴァルディは1728 年に世界初の「(リコーダーではない)横吹きフルートのための」協奏曲集(作品10)を出版したことでも知られていますが、この曲集の収録作品でさえ、当初はリコーダーのために書かれていた可能性が高いとされていたりで、リコーダー奏者よりもむしろトラヴェルソ(バロック時代の横吹きフルート)奏者たちが逆に手を出しにくい側面もあるようなのですが、コセンコは理論武装も完璧、自ら長大な解説文を1曲ごとに執筆(例によって全文日本語訳添付)、18 世紀のトラヴェルソ人気の根幹をふまえた解釈を打ち出してみせます。しかし、こうした理論的側面も、けたはずれに美しい演奏の素晴しさなくしては、まったく意味をなしません——黒檀、ツゲ、象牙といった高価な材質の、なんと忘れがたい振動音!弦楽との一糸乱れぬアンサンブル、緩急の交錯のスリリングさ…「静」と「動」のまたとない交錯を、Alpha 最高のエンジニア、ユーグ・デショーが完璧に、空間に息づく静かな興奮まで自然に収めてみせました。全てが、最上質——Alpha の名に恥じない超・充実盤です!
Alpha156
(国内盤)
\2940
女吟遊詩人たち〜女声でうたう北フランスの中世音楽〜
 ◆傷ついた女、安らげない女
 ◆ ①ああ...ああ...どうしよう
  ②もう二度と恋はしない RdF
  ③ああ、なんたる不運か
  ④人は、恋が素敵なことのように言うが
  ⑤やさしい恋人、わたしを癒してください JdL
  ⑥マルゴ、マルゴ、恋の作法とはひどいものです
 ◆あなただけじゃないの!
 ◆ ⑦わたしの夫は嫉妬深すぎて EdM
   ⑧まっぴらです、ひとりで森を通るなんて/
    神よ!わたしの恋路はひどいものでした
   ⑨耐えてください、わが夫
 ◆祈る気持ちで
 ◆ ⑩神よ、どうすれば脈ありかわかるでしょうかEst
   ⑪恋する方、私はあなたに悪いことをしましたねJdL
   ⑫あなたに慎ましくお仕えするということは JdL
   ⑬おとめの花 ⑭恋人よ、わたしが恋ゆえに死んでもいいと JdL
 ◆希望、そして気高き愛へ
 ◆ ⑮いつでもイェスについて歌い、その教えに学ぶべきです
   ⑯あのおやさしいかたが、わたしを虜にする
   ⑰わたしは歌おう、はげしい恋心で Est
   ⑱わたしのなかに輝く太陽、それはわたしの喜び
   ⑲恋人よ、恋人よ——こんなに長く、わたしを異国に追いやったままですか
   ※無印:作者不詳/
   RdF:リシャール・ド・フルニヴァル作/
   JdL:ジャン・ド・レスキュレル作/
   EdM:エティエンヌ・ド・モー作/
   Est:アントワーヌ・ゲルベによる同曲にもとづくエスタンピつき
ディアボルス・イン・ムジカ(中世声楽集団)
「女性はご法度」が中世音楽? いやいやいや、女性のいない世界なんてありえませんAlphaの看板グループのひとつ、フランス最高の中世音楽集団が艶やかに歌いあげる吟遊詩人の歌...男たちの歌に女心の行間を読み、虚空に放つ、その不思議な響き。張り詰めた緊張感を味わう音楽も素敵ですが、徹底してオーガニックな響きが感じられる中世音楽には、確かにヨーロッパ的でありながら「ここではない、どこか」を感じさせる、安らぎと不思議な浮遊感の入り混じる魅力がたっぷり詰まっていて、聴く人を選ばず親しみを感じさせてくれるもの——深く知ろうとすれば、確かに歴史・言語学・思想...とあれこれ知的な話題をいくらでも膨らませられる面白みもありますが、古楽先進国フランスの最先端をひた走るAlpha レーベルの看板グループにして世界最高の中世音楽集団ディアボルス・イン・ムジカが、そうしたことを全て踏まえつつ、予備知識なしに誰でも「思い当たるふし」のある切り口で、中世音楽の魅力を意外な視点から解き明かしてくれる魅力的なアルバムを作ってくれました!キィワードは「女吟遊詩人たち」。ゲームの世界ならいざ知らず、歴史的にはヨーロッパ中世の吟遊詩人はみな男性ばかりで、女性がいたなんて話はめったに聞きません(実際には多少いた形跡もあるようですが...詳細は主宰者ゲルベールによる解説(全訳付)参照)。しかし当然ながら、中世ヨーロッパは男性しかいなかったはずはなく、中世の文献や文学作品には女性を敬愛の対象にしてみたり、あれこれ理由をつけて嫌悪してみたり、理想の美や優しさを女性に見出そうとしてみたり...と、男性目線でさまざまな女性が登場するのもまた事実。もちろん、そこに書かれていることが中世の女性の真相であるわけがない、“生の声”であるはずがない!と、ここではその“行間”を読みながら、実際に活躍していたであろう女性音楽家たちの歌い語りという形をとって、ほんとうの中世の女社会というものを探り当ててみせようではないか...というプログラムが展開してゆくのです(上記参照...テーマ別に選曲されていますが、そのテーマだけを見てもまあ、なんと興味深いこと...なお、今回も訳詩つきでお届けする予定です)。もちろん歌い手は女声歌手だけに絞り、中世ハープと弓奏ヴィエル(ヴァイオリンの先祖)、素朴な音で鳴る中世の横笛に簡素な打楽器が穏やかな響きを打ち出し、なんとも静謐で安らかな(まさに美しい女性のような?)心地よさが漂うサウンドは、歌詞ぬきでも充分心に沁みるオーガニックな魅力に満ちています(もちろん、歌詞がまた一筋縄ではいかないのですが)。女性奏者だけのグループとも違い、主宰者含め男性器楽奏者が2人、絶妙の引き立て役に廻ってみせているのも、この快さの原因かも。

ARCANA

Mer-A339
(国内盤)
\2940
シュメルツァー:バレット(舞踏音楽)とソナタさまざま
 〜ウィーンとプラハの宮廷音楽〜
ハインリヒ・シュメルツァー(1632〜1680):
 ①騎馬のバレット(1667)
 ②『聖と俗との音楽的協和』(1662)より ソナタ第6番
 ③同 第1番 ④『第2ソナタ集』(1659)よりソナタ 第8番
 ⑤歌曲「どこの野にも」
 ⑥『第2ソナタ集』(1659)より ソナタ 第9番
 ⑦『聖と俗との音楽的協和』(1662)より ソナタ 第12 番
 ⑧ソナタ「フェンシング指南」
 ⑨皇帝フェルディナント3世の逝去に寄せるラメント
 ⑩マルハレータのバレットさまざま〜13 の小品
ローレンツ・ドゥフトシュミット(バス・ガンバ)指揮
Ens.アルモニコ・トリブート・アウストリア(古楽器使用)
グナール・レツボール(vn)
アンドレアス・ラックナー(ナチュラルtp)
ミヒャエル・オーマン(リコーダー)
ジャン=ピエール・カニアック、ジャン・チュベリー(コルネット)
イェルク=アンドレアス・ベッティヒャー(cmb/org)
ミーケ・ファン・デル・スライス(S)
ごらんのとおり、1995年のEns.アルモニコ・トリブートには21世紀の巨匠が続々参加!
ほんの僅か流通したとたんに廃盤になった「幻の豪華録音」が、新生Arcanaから再登場 !!
「在りし日の音楽大国」の宮廷に思いを馳せるなら、この名演は絶好の1枚となることでしょう。
「チェコ生まれのオーストリアの作曲家」マーラーよりも230 年ほど年上のシュメルツァーは、生粋のオーストリア人でありながらチェコでの活躍もめだつ作曲家。17 世紀前半まではイタリア人が大いに幅を利かせていたウィーンのハプスブルク皇室で、オーストリア人として初めて宮廷楽長を任されたものの、バッハが生まれる5年前、ウィーンで猛威を振るっていた疫病を避けて皇室とともにプラハに移りながら、結局はその疫病がもとで亡くなったシュメルツァーは、17 世紀ドイツ語圏を代表するヴァイオリン芸術家のひとりでした。そして同時代の後輩ビーバー(1644〜1704)などと同じく、神聖ローマ帝国きっての音楽愛好家だったオロモウツの司教君主リヒテンシュタイン=カステルコルンからも熱烈な支持を受け、数々の作品の楽譜が今も司教の離宮クロムニェジーシュ城に収蔵されています。彼はヴァイオリンにさまざまな変則調弦(スコルダトゥーラ)を施し、音による描写を盛り込んだソナタを書いたり、ユニークな運弓法によって独自の歌いまわしで聴き手を魅了したりと、多芸にセンスを発揮し、皇室のみならず全ドイツ語圏から高い評価を得ていたのでした。
そんなヴァイオリン芸術家シュメルツァーの作品を、ここではオーストリアを代表するヴィオラ・ダ・ガンバの名手ローレンツ・ドゥフトシュミットの指揮で、幾本もの金管やさまざまな弦楽器の加わる編成を動員し、鮮やかなコントラストと躍動感あふれる演奏で堪能できます。何がポイントかって、アンサンブル主宰者がヴァイオリン奏者ではなくガンバ奏者である、ということ。日頃シュメルツァーといえばバロック・ヴァイオリン奏者たちにとって「腕の見せどころ」ともいえるヴァイオリン曲を提供してくれる作曲家、という認識でしょうが、ここでは彼の「ハプスブルク家の宮廷音楽家」という立場にむしろ注目、金管合奏だけの作品なども含め、多彩な編成を通じてのバレット(宮廷舞踏劇の音楽)メインで楽しませてくれます(もちろん、鬼才レツボールのソロが冴えわたるヴァイオリン曲も多々含まれていますが)。
アルバムの主役は後半にまとめられた、ハプスブルク家の子女であるスペイン王女マルハレータに捧げられたバレット。折々に打楽器なども入るエキサイティングな展開は、バロック・ファンの心を捉えて離さないはず——なにしろ上に少し名前をあげているとおり、演奏陣の豪華さもこのアルバムの魅力のひとつで、レ・サックブーティエのカニアックやラ・フェニーチェのチュベリーまで参加していたりで、なるほどウマいわけだ、と唸らされてしまいます。
明敏なバロック・ファンも「17 世紀のオーケストラ作曲家」として、シュメルツァー認識を新たにすること請け合いの充実盤!
Mer-A357
(国内盤)
\2940
カベソーン:鍵盤のための作品集
〜スペイン16世紀、人の心を宿した鍵盤芸術〜
 アントニオ・デ・カベソーン(1511〜1566)
  ①ティエントII ②グレゴリオ聖歌「めでたし、海の星」*
  ③「めでたし、海の星」による第1曲
  ④第4旋法によるティエント ⑤「ラ・アルタ」の旋律で3題
  ⑥イタリア風パバーナ
  ⑦スペイン風パヴァーナ(スヴェーリンク作曲)
  ⑧「不幸がわたしを打ちのめす」によるティエント
  ⑨ティエントI ⑩美しきひと、わたしの人生は(アルボー編)*
  ⑪「かの貴婦人がそれを望む」の歌による変奏曲
  ⑫第1旋法によるティエント
  ⑬グレゴリオ聖歌「父と子と聖霊に」*
  ⑭「牛どもを見張るぞ」による即興演奏
  ⑮「牛どもを見張るぞ」による変奏曲(ナルバエス作曲)
  ⑯「牛ども」で変奏5題(作者不詳)
  ⑰「牛ども」による変奏曲
  ⑱お伝えください、かの騎士に(ゴンベール作曲)*
  ⑲「お伝えください」の旋律による変奏曲
  ⑳ロマンセ「誰がためにこの髪は伸びる」
  (21) アントニオ起譜によるパバーナ
パオラ・エルダス
(チェンバロ/J.クーシェ1652年モデル1段鍵盤リュート・ストップ付)
リア・セラフィーニ(ソプラノ)*
ルネサンス——それはスペインの黄金時代! イタリアよりもネーデルラントよりもこの国は強く、文化は豊かだった...当時の音楽芸術の頂点に立つ盲目の巨匠カベソーンの精巧な音世界を、血肉通った「生きた芸術」として甦らせてみせた傑作録音!現時点で古楽界の頂点付近にいるヴィオラ・ダ・ガンバ奏者ジョルディ・サヴァールがスペイン出身で、かつて彼がメジャーレーベル(EMI、DHM など)にいた頃、自国のルネサンス〜バロック音楽をかなり意識的に復活させてくれ、それらが定期的に再発売されているおかげもあり、「スペイン古楽」というものの存在感は古楽ファンのあいだで確かに認知されつづけていることと思います。ギターの祖先ともいえる撥弦楽器ビウエラ・ダ・マノの存在や、トランペット管と呼ばれる派手なパイプが水平に突き出し、賑やかで色彩的な響きを演出する独特のオルガン音楽、そして逸早く芸術楽器の仲間入りを果たしたハープの素晴しさ…しかしそのかたわら、フレスコバルディ(イタリア)やシャンボニエール(フランス)、フローベルガー(ドイツ)ら17 世紀の作曲家たちの活躍よりもずーっと前から、音楽先進国だったこの国ではチェンバロのための音楽がいち早く栄えていたという事実は、同じ鍵盤楽器であるオルガンのための音楽の影に隠れて、意外と知られていないのではないでしょうか? ドイツでラッススが、イタリアでパレストリーナが、精緻なア・カペラ合唱曲を次々と綴っていた頃に、スペインではフレスコバルディの遥か先をゆく鍵盤芸術が栄えていたなんて、エキサイティングな話ではありませんか。そんなスペインのチェンバロ芸術の先端を支えたのが、強力な為政者フェリペ2世から絶対的な信頼を受け、「神のごときアントニオ」と讃えられた盲目のオルガン奏者=作曲家、アントニオ・デ・カベソーン。しかしこの作曲家、エンシーナやビクトリア、ナルバエス、ムダーラといった、ラテン的な情感表出がしやすい曲を書く同時期のスペイン人作曲家たちの裏で「頂点の存在」と神格化され(あまりに天才的で、残した曲がみな精巧すぎたからでしょうか?)、堅苦しい作曲家というイメージもまとわりついていたような。英国ルネサンスにおけるバードやタリスと同じく、そのチェンバロ作品を「血肉の通った音楽」として印象づけてくれる録音が意外に見当たらなかったのでは——そんな中、世界随一の古楽レーベルArcana からリリースされた新譜が画期的なブレイクスルーをもたらしてくれました。弾き手はイタリア・サルデーニャ島から世界に羽ばたき、Stradivarius レーベルで充実した録音を連発していた名手パオラ・エルダス!スペイン支配下のアントヴェルペンで製作された歴史的銘器のニュアンス豊かな美音もさることながら、抑揚のつかないチェンバロという楽器から彼女が紡ぎ出す音は、なぜか実に人間的、色濃い情感を描き出してやまないのです!変奏曲の主題には、古楽好きには有名なメロディもちらほら。適宜アクセントをつける歌唱トラック(ゲストはイタリア古楽界きっての名歌手リア・セラフィーニ!)もこれまた絶妙。飲み頃に熟したリオハの年代物ワインでも開けて、じっくり聴き深めたい極上古楽盤です。

ARCO DIVA

UP0129
(国内盤)
\2940
少年マーラーの聴いた金管合奏〜1875年、イフラヴァにて〜
 フランツ・シューベルト(1797〜1828):
  ①軍隊行進曲第3番op.51-3/D733
 ダニエル・フランソワ・エスプリ・オベール(1782〜1871):
  ②歌劇『ポルティチの物言わぬ娘』序曲
 ヨハン・シュトラウス2世(1825〜1899):
  ③ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
 リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883):
  ④歌劇『タンホイザー』〜結婚行進曲
 ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770〜1827):
  ⑤ヨークシャー行進曲
 フランツ・マサーク(19世紀後半に活躍):
  ⑥第40連隊行進曲 第1番
  ⑦トランペットと軍楽隊のためのカヴァティーナ
   (tp独奏:パヴェル・フロマートカ)
  ⑧第40 連隊行進曲 第2番
 フィリップ・ファールバッハ2世(1843〜1894):
  ⑨セレナーデのポルカ
 フランツ・マサーク:
  ⑩軍楽隊のための行進曲 第19番
 ヨゼフ・フランツ・ワーグナー(1856〜1908):
  ⑪フォン・へス将軍行進曲 第49番 作品234
ヴァーツラフ・ヴラフネク大佐 指揮
プラハ城警備隊・チェコ警察隊バンド
19世紀は、金管楽器の躍進期——その発展を支えたのは、ほかでもない軍楽隊だった!
チェコの風光明媚なイフラヴァの地で育ったマーラーが、少年時代の憧れたであろう当時のプログラムを完全再現、その管弦楽法のルーツへ。
行進曲も舞曲も序曲も、端正!
2010 年の生誕150 周年に続き、2011 年もマーラーの記念年——今度は「歿後100 周年」で、まだまだマーラーへの注目は続くことでしょう(って、日本はいつでもマーラー大歓迎ムードといえばそうでしょうが)。ここで思わぬ盛り上がりを見せているのが、マーラー自身の生まれ故郷でもあるチェコ(1860 年当時はオーストリア帝国の属領でした)。ご紹介しているような交響曲の注目録音も出てきたりする一方で、この小さな国の限りないマーラー愛なくしては生まれえなかった注目企画。本盤もまさにそうしたラインのアイテムで、テーマは「1875 年頃のイフラヴァ」...イフラヴァ(ドイツ語名イグラウ)はボヘミア地方の小都市で、マーラーが少年時代を過ごした場所として知られていますが(お父さんも当地の男声合唱団と深く関わっていたそうです)、そこでは18 世紀以来、ヨーロッパに冠たる軍楽隊「第49 連隊バンド」が活躍していたのでした。このバンドが1875 年(ちょうど、マーラーがウィーンの音楽院に行くか行かないかの頃)に行った公演のプログラムが残っていて、本盤はそれを再現、19世紀の軍楽隊を甦らせながら、マーラーという管弦楽作曲家の心に刷り込まれたであろう優秀な金管合奏に思いを馳せてみよう、という企画なのです。
チェコはポルカ系の民族音楽でもブラスが大活躍する隠れブラス天国でもあり、そんな国の首都プラハで多くのプレイヤーたちの羨望を集めるプラハ城警備隊・チェコ警察隊バンドのすぐれた演奏でイキのいい名曲群をたっぷり味わえるのは、それだけでもまさに至福というもの!
パリ・オペラ座のこけら落としで(初演から何十年も経っていたのに)演目に選ばれたりした19世紀屈指のヒット作、『ポルティチの物言わぬ娘』序曲のブラス編曲なんていう雰囲気たっぷりの演目もあれば、スーザと並び称される「オーストリアのマーチ王」、傑作『双頭の鷲の旗のもとに』で知られるJ.F.ワーグナーの痛快な行進曲がトリを飾ったり、ファールバッハやシュトラウス2世などワルツ系作曲家の舞曲があったりと、「時代はまさにハプスブルク帝国のたそがれ」といった雰囲気満点で、マーラーには一家言ありの玄人筋のクラシック・ファンにも十分納得いただける内容になっています。
チェコのブラス・サウンドに酔いしれながら、マーラー作品との関連を探るも一興、シンプルに「中欧ムード満点のBGM」として、ビールのお供にするもよし(チェコはビール大国ですから)...本場チェコ直送の充実盤、お見逃しなく!
UP0122
(国内盤)
\2940
マーラー:交響曲第6番「悲劇的」 ペトル・ヴロンスキー指揮
オロモウツ・モラヴィア・
フィルハーモニー管弦楽団
「わたしは、三重の意味で宿なしなのです」——幸福の絶頂のさなかにマーラーが描きあげた悲劇の傑作を、歴史ある中欧の名門楽団が否応なしに深く味あわせるマーラーを同国人とみなすチェコの芸術集団による、真似できない「本場」の響き。
モラヴィア地方、オロモウツ——かつてはドイツ語でオルミュッツと呼ばれ、ベートーヴェンの重要な擁護者だったルドルフ大公が司教君主をつとめていた土地でもあり、さらに遡れば(上段新譜の作曲家シュメルツァーともゆかりの深い)17 世紀きっての音楽愛好家、司教君主リヒテンシュタイン=カステルコルンの本拠でもあった、中欧きっての音楽都市。芸術とゆかりの深いこの街の気風は、20 世紀に入っても変わらず続いていました。
第二次大戦が終わるとともに、チェコの東半分を占める(そしてオロモウツもその一部に含まれている)モラヴィア地方を代表する重要なオーケストラが結成され、折々にメニューイン、ノイマン、ペシェクといった大指揮者、あるいはリヒテル、クレーメル、フルニエ...といった東西の名演奏家たちと名演奏を繰り広げてきたのです。オーケストラの国際化・平準化が進行する昨今、小さいながらに自国の文化を大切にしつづけるチェコのオーケストラには、他国の楽団にはない滋味あふれる「お国柄」が保たれている場合も多いのですが、このオロモウツ・モラヴィア・フィルもまさにそうしたオーケストラのひとつではないでしょうか。一方、オーストリア=ハンガリー二重帝国の一部だった、オーストリアの作曲家マーラーが幼少期を過ごしたチェコの小村イフラヴァでは、この作曲家を「故郷の音楽家」とみなして愛着を寄せながら、深い音楽愛に貫かれた音楽祭(マーラー音楽祭)が開催されているのですが、そこでライヴ収録されたのが本盤。「オーストリアではチェコ出身扱い、ドイツではオーストリア出身扱い、そして世界のどこでもユダヤ人扱い」と帰属意識を得られず、常に両面的・多義的なものを愛したマーラーの芸術性の象徴ともいうべき、人生では成功と幸福の絶頂にあった時期に書かれたにもかかわらず極度に悲壮な内容を誇る傑作・交響曲第6番の、思わぬ名演なのです!
全4楽章形式、中間のスケルツォと緩徐楽章を「どちらを先に演奏してもよい」とした、いわば両義性のきわみにあるような本作の錯綜する魅力を全身で受け止め、逞しく引き締まったリズム感、滔々と流れる歌心、しなやかな和音のドライヴで、つまりモラヴィア・フィルの古雅な響きを十全に生かした音作りで壮麗な解釈に仕上げてみせるのは、同じモラヴィア地方の名門ブルノ・フィルを13年にわたり一流オーケストラに育て上げてきた名匠ヴロンスキー!暗澹たる深みが、曲全体のたおやかな温もりと相半ばする演奏に、マーラー時代から連続する中欧の伝統の味わいをひしひしと感じさせる、充実した名演なのです。
まだまだ続くマーラー記念年、じっくり聴き深めたい逸品です!
UP0048
(国内盤)
\2940
プラハのショパン
フレデリク・ショパン(1810〜1849):
 1. アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22
 2. バラード 第1番 ト短調op.23
 3. 夜想曲 第2番 嬰ニ長調 op.27
 4. スケルツォ 第2番 嬰ニ短調 op.31
 5. 四つのマズルカop.24(マズルカ第1〜4 番)
 6. ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58
マルティン・カシーク(ピアノ)
同じスラヴ系でありながら、背景が違えばセンスも変わってくる——音楽大国チェコの「いま」を代表するピアニストが、その感性をフルに発揮した貴重なソロ・アルバム!じっくりショパンを聴き込んできた今なら、この名手の感性のみずみずしさも一層格別に。イヴァン・モラヴェッツ、ルドルフ・フィルクシュニー、あるいはイヴァン・クラーンスキーやヤロスラフ・クヴァピル…中欧随一の芸術大国チェコは「弦の国」として知られながらも、実は昔から、独特のセンスを宿したピアニストを折々に輩出している国でもあります(少し遡って19世紀まで見てみれば、それこそモーシェレスにドライシェックにトマーシェクに…と超凄腕ピアニスト=作曲家が続々と世に出ていたわけですし)。他者との協調をとても大切にするお国柄ゆえか、むしろ室内楽に活躍の場を見出している実力派も多いのですが、それは何より、彼らが確たる自分自身の音楽性を持っていればこそ——他の音楽家の感性と向き合ったときでさえ、自分を見失わずにおれるからこそ、チェコのピアニストは素晴しい室内楽奏者たりえるのではないでしょうか? この歴史ある音楽大国の「いま」を支える実力派たちをマネージメントしている音楽事務所が主宰するArco Diva レーベルで、無数の録音に参加しながらその多くが室内楽アルバムゆえ、独自のピアニズムが(少なくとも日本の音盤シーンでは)あまり表に出てこなかったマルティン・カシークも、まさにそうした「確たる自己のある室内楽ピアニスト」にほかなりません。1976年生まれのカシークは、修業時代には知る人ぞ知るチェコの名匠イヴァン・クラーンスキーに学んだほか、ドイツのツァハリアス、オーストリアのバドゥラ=スコダ、フランスのクロード・エルフェ(!)、ロシアのラザーリ・ベルマン(!!)といった諸外国のさまざまな異才・名匠たちに師事してきた俊英。弊社ではArco Diva から発売されているシューマン&ドヴォルザークのピアノ五重奏曲(ヴィハンSQ)、スメタナ&ドヴォルザークのピアノ三重奏曲(AD トリオ名義)、ピアノ連弾によるドヴォルザーク『スラヴ舞曲集』などで活躍してきましたが、そんな彼のピアニズムが本来どういったものだったかを端的なレパートリーで強く印象づけてくれる、決定的なソロ・アルバムが本盤!ごらんのとおり、「アンダンテ・スピアナートと〜」で始まり第3ソナタに終わる大曲2作の「枠」のあいだ、大小さまざまな名曲をバランスよく集めたプログラムで、ショパンの「静」と「動」とを美しく浮き彫りにしてゆく1枚です。聴いていて、しみじみ「ピアノっていいなあ、ショパン作品はなんて美しいのだろう…!」とあらためて思わずにはおれない、そんな本盤の充実度はおそらく、筋違いな自己主張とはまったく対極にある、しかし徹頭徹尾インスピレーションあふれる解釈姿勢からくるのでしょう。余計な作為なしに、曲そのものを、おのずと歌わしめる——これがショパン作品のようなピアノ曲で大いに困難なことは、いうまでもないでしょう。それをごく自然に体現してみせるカシークのみずみずしく透明なテンポルバート、そしてまるで空気のように、どこから響いてくるのかこの美音?というタッチの妙...作品を知り尽くしていればこその、多くの人を魅了せずにおかないショパン像。他者(作曲家)を重んじることのできるチェコ人なればこその「プラハのショパン」、どうぞご注目を!

ARS MUSICI

AMCD232-266
(国内盤・2枚組)
\3885
ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809):
 オラトリオ『四季』Hob.XXI-3
  〜3人の独唱、合唱と管弦楽のための
ハンス・ミヒャエル・ボイエルレ指揮
フライブルク・バッハ管弦楽団
フライブルク・バッハ合唱団
マティアス・キリアン(フォルテピアノ)
マヤ・ボーグ(S)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(T)
ペーター・リカ(B)
この名盤、埋もれさせては勿体ない——フライブルクという古楽都市の至芸が詰まった、深く聴き確かめ続けたい充実の『四季』!
晩年のハイドンが命を削って最大編成のオーケストラと合唱のために書いた超・傑作の、磨き抜かれた名演を!
かつてドイツ・ハルモニア・ムンディを主宰していたフライブルクのムジークフォールムという組織は、このレーベルがBMG 主導に移ったとき、独自企画のための別レーベルを発足。これがArs Musici となったわけですが、なにぶん創設母体がしっかりしており人脈も確かだったため、時として贅沢なプレイヤーが参加していることも少なくありません。ホールディング会社やディストリビューション体制の違いから、日本では輸入盤としてしか流通しなかった傑作盤も少なくないのですが、ぜひそうしたアイテムも国内仕様で広く供給し、多くの方にお聴きいただきたいと思います。
さて!今回紹介するのも、このArs Musici を扱い始めて以来すぐにでもリリースしたいと考えていた充実盤——ハイドン晩年の傑作中の傑作、『天地創造』(1797)に続く「19世紀人ハイドン」の大作オラトリオ『四季』(初演は1801 年4月...新しい季節へ臨むシーズンにはぴったりのリリース?)を、古楽都市フライブルクが誇る充実集団、フライブルク・バッハ管弦楽団&合唱団という素晴しい顔ぶれで聴ける充実盤!
ペーター・リカやブロホヴィッツなど、アルノンクールやアバド、マリナー、マズアといった巨匠指揮者たちの名盤で秀逸な実績をあげてきた超実力派歌手がソロに居並び、初演当時サリエリが弾いたという通奏低音楽器フォルテピアノを中心に据え、織り上げられる音楽は冒頭のティンパニ入りの管弦楽総奏からいきなり強烈な求心力で迫ります! なにしろ『四季』のオーケストラ編成は、ハイドンがロンドン滞在時に作曲した最後の交響曲群よりもさらに大きな、トロンボーンまで動員する最大編成(そのこともあってか、老ハイドンは「一生でこれほどたくさんの音符を書いたのは初めてだ」と、『四季』の作曲ですっかり疲労困憊し、引退を決意したとか...)。
これを指揮するのが、音楽学と演奏活動の双方でレヴェルの高いシーンを築いてきたフライブルクで長年合唱指揮者として一流の腕前を誇ってきた叩き上げの名匠、H-M.ボイエルレというのが本盤の「核」なのだと思います。合唱と管弦楽のからみ、ソロ楽器の歌いまわし、繊細な牧歌性を忘れずに痛快に音を割ってみせるホルンの響き、コントラファゴットの低音...どこまでも充実した音楽作りが起伏に富んだ音楽を紡ぎ出し、ドイツの地方で紡がれる音楽の豊かさがいやおうなしに引き立てられるのも、この大作で合唱の果たす役割をよくふまえ、合唱を中心に音楽を組み立てられる実力派指揮者のセンスゆえのことなのでしょう。
音楽大国ドイツの水準の高さを否応なしに印象づけてくれる、聴き応えたっぷりの『四季』をどうぞご堪能ください!
AMCD232-346
(国内盤)
\2940
ヨセフ・スーク(1874〜1935):
 1. ピアノ四重奏曲 イ短調 op.1
ガブリエル・フォーレ(1845〜1924):
 2. ピアノ四重奏曲 第2番 ト短調 op.45
フォーレ四重奏団
もはや紹介不要? Grammophon アーティストとなるだけの風格十分、ドイツ楽壇の「いま」を支える超・重要団体フォーレ四重奏団が、メジャー移籍直前に紡ぎ出した「その名に恥じない」艶やかなフォーレ解釈と、隠れ名匠スークのとほうもない若書き傑作ドイツ楽壇——19 世紀以来、オーケストラ演奏会やプロ演奏家の室内楽など、近代スタイルのヨーロッパ・クラシック界をつねにリードしてきたこの豊穣な世界は、21 世紀もなおその主導的立場を失ってはいません。ベルリン・フィルやバイエルン放送響などの超一流楽団の活躍もさることながら、ソリストやアンサンブルでも21 世紀以降なお、その充実したハイレヴェルな楽壇から次々と「新世代の大御所」を輩出してきました。すっかり風格のついてきたハーゲン四重奏団やアルテミス四重奏団と並び、近年ではGrammophon アーティストとなってドイツのみならず世界から注目されるようになったフォーレ四重奏団も、そんなドイツ楽壇の「いま」を代表するスター団体のひとつ——堂々と黄色いジャケットをまとって世に現れたモーツァルトやブラームスのピアノ四重奏曲録音は、日本でも高く評価されています。しかし彼らとて、一朝一夕でそこまでのキャリアを築いてきたわけではありません。この厳しいご時勢、Grammophon が契約を交わそうというアーティストが概してすでに名声を確立している大家たちにほかならないのはご存知の通り(まあ、今に始まったことではありませんが——その厳しい審美眼がブランド力を築いてきたのですし)。1995 年の結成から約10 年、このメジャーレーベルとの契約直前まで彼らの快進撃を音盤面から支えてきたのが、Ars Musici レーベルだったのです。フランスから目と鼻の先の国境近辺にある、昔から様々な人が行き交ってきた文化都市フライブルクに本拠を置き、多くの新世代アーティストの良きパートナーでありつづけてきた同レーベルで、彼らがキャリア最盛期に録音した音源はしばし廃盤状態でしたが、レーベル運営体制変更とともに徐々にカタログ復活。ここにお届けできるようになったのは、彼らの団体名にもなっているフォーレの傑作と、隣国チェコがまだ公式にドイツ語圏だった頃、ドヴォルザーク門下で頭角をあらわしたチェコ近代の巨匠、スークの処女出版作!いずれも1880 年代、新古典派・国民楽派・ワグネリスムなどの入り乱れる充実した晩期ロマンティシズムの時代に世にあらわれた作品です。 前者は循環ソナタ形式を用い、フランス独自の室内楽のあり方を提案した意欲作…数年前の「第1 番」よりも充実した音楽内容ゆえ今でもファンの多いこの傑作を、堅固な形式感覚とドイツ人特有の叙情あふれる感性で仕上げた演奏は、まさしく「団体名に恥じない」飛びぬけた名演!対するスークの名品は、このあと半世紀にわたってチェコ四重奏団のメンバーとして数々の傑作を世に送り出してゆく一方、自らも「アスラエル交響曲」などの名曲を残しチェコ近代の大御所となっていった「未来の巨匠」が、早くも情感濃やかな表現を、聴き応えある充実した楽曲形式とあざやかに融合させる卓越したセンスを持っていたことを雄弁に示してやまない長大な名品です(師匠ドヴォルザークは、自らの作曲クラスの課題回答としてスークが持ってきたこの楽譜を読み終えると、「大した奴だ!」と呟き作曲者を固く抱きしめたと言われています)。名演あればこそ、有名作も秘曲も、その美質はいや増すもの。極上の室内楽体験が、ここにあります!
AMCD232-342
(国内盤)
\2940
ゲオルク・ベーム オルガン作品集Vol.1
 〜大バッハが教えを受けた「直接の師匠」〜
ゲオルク・ベーム(1661〜1733):
 ①コラール変奏曲「主イエス・キリスト、我らを顧みたまえ」
 ②コラール変奏曲「わが愛しき神に」
 ③コラール・パルティータ「ああ、何と儚く、何と空しきかな」
 ④コラール「天にまします我らが父よ」
 ⑤コラール・パルティータ「讃美を受けよ、汝イエス・キリスト」
 ⑥コラール「今ぞ我ら祈らん、聖なる霊に」
 ⑦コラール・パルティータ「大いに喜べ、おお我が魂」
 ⑧コラール「いと高き天にはただ神にのみぞ栄光あれ」
ヨゼフ・スライス(オルガン)
使用楽器:H.G.トロースト1722〜30年建造
(ヴァルタースハウゼン市立教会、ドイツ中東部チューリンゲン地方)
大バッハにレッスンを施したことが知られている、数少ない「直接の師匠」——それがG.ベーム。演奏者は、半世紀にわたりブリュッセル大聖堂で正規奏者をつとめてきた超・大御所!3世紀前のピリオド・オルガンのあまりに美しい音色で縦横無尽、作品美を解き明かします!「1年で最も教会音楽が似つかわしい時期」——クリスマスが近づいていますが、それがきっかけになるならぜひ、オルガン音楽の魅力にも浸ってみては?...と提案してみてもアレですが、実際にすごーく美しいオルガンの音を聴いて、誰でも脊髄反射的に「そうだ、オルガンを聴こう」と思う時期があるとすれば、それは間違いなくこの時期だと思うのです。そんな折、店頭演奏で誰もが抗いがたく魅了されてしまうような、古色蒼然とした味わい深い美音のオルガン・アルバムが——Deutsche Harmonia Mundi と系譜を同じくするARS MUSICI レーベルで、ベルギーの巨匠ヨゼフ・スライスが録音したゲオルク・ベーム作品集! 使用されているオルガンは、なんと1730 年に完成したときの状態を良好に留めている、非常に貴重な歴史的銘器...「バッハが生きていた頃のドイツ語圏において達成をみた、ひとつの絶頂期ともいうべきオルガン建造のあり方を端的にしめす最重要作例」と原文解説(全訳付)にありますが、それはまさしく、奇跡的な保存状態のアンティーク家具のような味わいというか、絶妙に古色蒼然、温もりと力強さ、滋味深いニュアンスの妙をたたえた、歴史的オルガンにしか出せない美音を発する銘器なのです。「オルガン聴こう」というか「ヨーロッパ行きたい!」と思わせるような...。さて、肝心なのはその演奏されている内容。本盤の主人公は18世紀初頭の名匠、ゲオルク・ベーム——大バッハよりも20歳ほど年上で、亡くなったのも20年ほど早いこの大家、ハンブルクにほど近いリューネブルクという町で活躍したのですが、音楽史のうえでは「大バッハに直接レッスンを施したことが知られている数少ない巨匠」として有名。しかし、その作品をこれだけまとめて聴ける機会は意外に貴重——「第1弾」と銘打たれた本盤は、オルガン芸術の王道ともいうべきコラール(プロテスタント教会の賛美歌)にもとづく大小さまざまな名品8曲を通じ、このバッハの先達がいかに多彩な作風を誇っていたかを端的に教えてくれます。なんだかチェンバロ音楽か?と思わせるような作法、さまざまなパイプの美音の対比、いっぱしフランス風のお洒落な装飾音...聴けば聴くほど面白く、なるほどこの引出しの多さが、若きバッハを触発して才能開花を促したのだな、としみじみ感じ入らずにおれません。「聴けば聴くほど」、なにしろ出てくる「音」が美しすぎる(歴史的銘器の底力!)せいもあり、つい聴き込んでしまうこと必至!美音だけじゃありません——弾き手のスライスは1936 年生まれ、さりげなくベルギー・オルガン界の重鎮と呼ぶにふさわしい多芸な巨匠でもあり、その解釈センスのたくみさ(たとえば音色選択や「タメ」の作り方)もまた、本盤から耳が離せなくなる重要なポイントなのです。バッハ好き必聴、これが「師」の至芸!

CARO MITIS

CM003-2007
(国内盤
SACD-Hybrid・
2枚組)
\5040
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750):
 『イギリス組曲』BWV806〜811(全6編)
※ボーナストラック:
 ガスパール・ル・ルー(?〜1707)「ジグ イ長調」
オリガ・マルティノヴァ(チェンバロ)
ロシア最先端をゆくCaro Mitis レーベル、初の2枚組アルバム登場!名手マルティノヴァがたおやかなセンスで聴かせる、満を持してのバッハ録音はなぜか新録音の出ない超・充実曲集『イギリス組曲』の、手堅くもあざやかな名演奏!バッハのチェンバロ作品のなかでも、『平均律クラヴィーア曲集』に次いでとりわけ重要な作品といえば、やはり3セットある「組曲」ではないでしょうか——つまり『フランス組曲』『イギリス組曲』そして『六つのパルティータ(ドイツ組曲)』。しかしどうしたものか、これほど音盤シーンにバッハの新録音が続々登場するにもかかわらず、これら三つの組曲の全曲録音というのは、びっくりするくらい少ないのです。それも特に、チェンバロによる新録音というのが思いのほか出てこない…『イギリス組曲』について言うなら、ブランディーヌ・ランヌー(ZZT)、曽根麻矢子、渡邊順生が相次いで新録音を出したのも早5年ほど前ですし、そのちょっと前にルセがAmbroisie で録音したかというくらい、その前後もぱったりチェンバロ録音は当面なし。つまり「なまじなチェンバリストがおいそれと録音できない」曲目というわけです(あとあるとすれば、グスタフ・レオンハルトのVirgin 盤とか、Teldec のアラン・カーティス盤とか、その世代...)。定期的に出てくるヴァイオリンやチェロの無伴奏曲集の活況を思うにつけ、なんと少ないことか——しかしながら、それは裏を返せば「出せば注目盤」という状況でもあるわけでして、そして実際(いま挙げた5年前の「幻のリリースラッシュ」での録音がみなそうであるように)出てくる全曲録音はほぼどんな場合でも、格別なクオリティと注目すべき演奏内容を誇っている、という結果を生んでもいるのです。並居るロシア・ピアニズムの巨匠たちさえフォルテピアノ演奏に注目するほど躍進めざましいロシア古楽界で、すでに後進の育成者としても重要な存在となりつつある実力派奏者オリガ・マルティノヴァによる『イギリス組曲』最新録音も、まさにその名に恥じない充実ぶり——アルマンド、クラント、サラバンド、任意舞曲、ジグ...と続く舞踏組曲のすべてに壮大なプレリュードが付加される、その壮大さがおのずと浮かび上がる端正な解釈は、スキがないのに泰然自若。チェンバロはある意味、弾き手に容赦のない楽器ですから、こういうのが一番難しいのでは? ついついじっくり聴き深めてしまうのも、そんな周到解釈あればこそ。そしてDSD 録音にこだわりありのCaro Mitis だけあって、まるですぐそこで弦がはじかれているような、緊張と弛緩の交錯する生々しい直接音の拾い方がまた絶妙——使用楽器は18 世紀フランスの名工ブランシェが、1730 年(まさに演奏曲目と同時代!)に製作した楽器をモデルにした名工フォン・ナーゲルの銘器で、協和音も単音も不協和の瞬間も、なにもかも繊細・精緻な味わいを感じられる...くりかえしますが、こういう自然さをチェンバロから引き出せるのは、やはり弾き手の圧倒的な技量あればこそなのです!全バッハ・ファンに贈る、思わぬ国からの貴重な贈り物!じっくり末永く聴き深めたい秀演です!

CONCERTO

CNT2052
(国内盤)
\2940
アストル・ピアソラ(1921〜1992)
 1. ブエノスアイレスの四季(G.スカラムッツァ編)
 2. 二重協奏曲「リエージュに捧ぐ」
  〜ギター、バンドネオンと弦楽合奏のための
マヒモ・ディエゴ・プホル(1957〜)
 3. 光あふれるブエノスアイレス
  〜ギター、バンドネオンと弦楽合奏のための
ジャンパオロ・バンディーニ(ギター)
チェーザレ・キアッキアレッタ(バンドネオン)
パルマ合奏団 (イ・ムジチ・ディ・パルマ)
イタリア人にしか弾けない、特別なタンゴの響きがある——クラシック領域に足を踏み込んだアルゼンチンきっての“タンゴの神様”ピアソラの世界が、地中海の「うたごころ」と交わるとき。ジャケットのセンスも絶妙、ぬくぬくと部屋で聴き込むにもぴったり。極上のラテン芸術、ここに。今年はアルゼンチン建国200 周年——そのせいか、世界中のレーベルがこの国にまつわる新譜をリリースしてくるのですが(近々、仏Transart からも2枚連続で登場予定)、ここに堂々登場したのは、イタリア中の超・実力派たちを脈絡ナシに次々と登場させてくれるミラノの気鋭レーベル、Concerto からの新譜!アルゼンチン音楽といえば、何よりもまずタンゴ——本格派のタンゴ編成による音楽のかたわら、私たちクラシック・ファンを魅了してやまないのは、ふだんクラシックの側にいる演奏家たちが(さながら、ストラヴィンスキー世代の作曲家たちがジャズを自分たちの表現語彙に取り入れていったように)自分たちの演奏スタイルで、タンゴを吸収・咀嚼して世に送り出してくる演奏ではないでしょうか。ギドン・クレーメルやヨーヨー・マらが先陣を切った後、今やすっかりクラシック・シーンに確たる立脚点をタンゴが見出すに至ったのは、20世紀最大のタンゴ改革者、“タンゴの神様”アストル・ピアソラが自ら“クラシック側”の研鑽も積んできた人だったから——あるときはタンゴ・オペラ、あるときはタンゴの語彙を盛り込んだ古典形式による楽曲、とクラシックの領域で数々の傑作を生んできたこのピアソラの作品のなかでも、両ジャンルの魅力をまったく損ねず稀有の調和をみせた逸品が、『リエージュに捧ぐ』と副題のある二重協奏曲!バンドネオン(アコーディオンに似たタンゴ楽器)の名手でもあったピアソラが、世界的なギター音楽祭の開催地であるベルギーのリエージュで、キューバの天才ギター芸術家ブローウェルの指揮と共演して初演したという伝説的傑作です。ギターとバンドネオンがエッジの効いた弦楽合奏と交錯するこの名品の演奏編成で、本格タンゴ五重奏のために書かれた『ブエノスアイレスの四季』を編曲演奏、さらにアルゼンチン最前線のメロディメーカー、プホルによるクラシカル&ラテン情緒満点の艶やかな名品まで織り込んだプログラムを、イタリアの最前線の気鋭奏者たちが鮮やかに仕上げてくれました。季節柄、贈り物にも似合いそうな紙カヴァー・ジャケットの美しさも好感度大で「さすがはファッションの聖地ミラノ」とも思いますが(こういうのが、意外と商品力を左右するんですよね)、演奏も企画もイタリア人であることの素晴しさは、何よりもまず、演奏の隅々まで脈々と流れている「イタリア人だけが可能な歌心」にほかなりません——この長靴型の半島に住む人々だけが持っている歌のセンスは、本場アルゼンチンのタンゴにも望み得ない部分ではないか、と。ニーノ・ロータの新古典主義作品で素晴しい演奏を聴かせた精鋭集団、パルマ合奏団のえもいわれぬ弦音、天才的なセンスで音を重ねるバンドネオンとギター。隅々まで芳醇な響きの1枚です。

FOK

FOK0001
(国内盤)
\2940
スメタナ:連作交響詩『わが祖国』(全曲) トマーシュ・ネトピル指揮
プラハ交響楽団 (FOK)
“FOK”は、伝統の証。創設1934年、巨匠スメターチェクが育てたチェコ随一の名門楽団が「チェコならでは」でありながら常にみずみずしい、そんなサウンドをお届け致します。俊才ネトピルが陰翳鮮やかに振る、引き締まった解釈の「わが祖国」に感じる「伝統の今」!スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク、マルティヌー、あるいはターリヒ、クーベリック、ノイマン、ペシェク、マーツァル...と大作曲家や指揮者たちをはじめ、さまざまな巨匠・楽団・室内アンサンブルなどを輩出してきた伝統を誇る音楽大国、チェコ。狭い国土からは信じられないくらい多くの名手たちが、というのはきっと間違いで、ドイツや旧ソ連のような大国に挟まれた小さな国だからこそ、文化に対する強い思い入れが連綿と育まれ続けているのでしょう(小説家が大統領に就任するお国柄です)。日本にも毎年のように多くの音楽家やオーケストラがこの国を訪れますが、そうしたなか本年1 月にも(名盤あまたの)ズデニェク・マーツァルと来日、滋味あふれる響きで多くの人々を魅了したばかりのプラハ交響楽団は、創設1934 年の老舗楽団でありながら、色々な意味で「叩き上げ」の適応力を見せてきた筋金入りの実力派集団!何しろ似た名前の多いチェコのオーケストラだけに、近年ではブランドを明示すべく“FOK”という創設当初以来の略称をことあるごとに添えているようですが、これは「映画・オペラ・演奏会」の略。オーケストラが人々を愉しませるべき場所ではどこでも活躍しよう、という創設者の意図に従って、躍進めざましき両大戦間のチェコ映画界を盛り上げもすれば、1942 年に首席指揮者となり、30 年にわたって同楽団を世界的に通用する一流楽団として印象づけてきた巨匠スメターチェクのもと、チェコ国民楽派の作品はもちろん多彩なレパートリーで、幾多の感動を届けてきたのでした。昨今のオーケストラ自主レーベル制作の流れに乗って、この名門が自分たちの言葉で自国の文化を紹介してゆくFOK レーベルが、チェコのArco Diva を通して発売となりました(近日、後続盤もご紹介できると思います!)。この第1 弾リリースでも、新世代を続々輩出してきたチェコ楽壇の伝統を印象づけるかのように、指揮者は同郷のヤクプ・フルーシャや隣国のユライ・ヴァルチュハらとともに中欧の若手世代を代表する気鋭、トマーシュ・ネトピル!明媚なクラシック・ファンの方々なら、まんざら聞き覚えのない名前でもないのでは——なにしろこの俊英、10 月にチェコ音楽の権威、チャールズ・マッケラス(1925〜2010)が本当に惜しくも急逝したさい、予定されていたベルリン・フィルの公演に急遽代役で登場、超短期間でマルティヌーの難曲をこの名門と仕上げ、口うるさい批評家勢から続々絶賛を引き出してしまったばかりなのですから。マッケラスの偉業を知る人の多い日本でも、これは一部で話題になっていたようです…後半は奮わなかったようですが、ともあれ何が重要かというと「ベルリン・フィルでのマッケラスの代役に選ばれたのが彼」という事実ではないでしょうか?それほど絶大な信頼あればこそ、チェコ楽壇を代表する老舗オーケストラが、この第1 弾リリースで「わが祖国」などという同国の音楽史上最重要な曲目を振る指揮者として選び取るという事態も起こるわけです。この楽団ならではの滋味あふれる歌心を十全に引き出しながら、締めるところではきりりと引き締まった表現をメリハリよく聴かせる手腕は、まさに新時代を担うにふさわしい絶妙のセンス!チェコの歴史が「いま」に引き継がれていることをひしひし実感する、新世紀チェコ直送の「わが祖国」の登場です!

FUGA LIBERA

MFUG572
(国内盤)
\2940
バッハ:オルガン独奏のための六つのトリオ・ソナタ
〜巨匠たちの2台ピアノ編曲で〜
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)
 1.ソナタ第1番変ホ長調BWV525(フェルディナント・ティエリオ1838-1919)
 2.ソナタ第2番ハ短調BWV526(イシドール・フィリップ1863-1958)
 3.ソナタ第3番ニ短調BWV527(ヴィクトール・バビン1908-1972)
 4.ソナタ第4番ヘ短調BWV528(ヴィクトール・バビン1908-1972)
 5.ソナタ第5番ハ長調BWV529(ヴィクトール・バビン1908-1972)
 6.ソナタ第6番ト長調BWV530(ヘルマン・ケラー1885-1967)
 7.羊は静かに草をはみ〜BWV208より(メアリー・ハウ 1882-1964)
クロディーヌ・オルローフ、
ブルカルト・シュピンラー(ピアノ)
「2台ピアノ」という表現形態が、バッハの音楽とこんなに相性が良いなんて!
オルガニストが一人三役をこなす「独奏トリオ・ソナタ」は、4本の手でようやく丁度良い複雑精緻な音楽だった。

「作曲された当時の楽器と奏法で」という古楽復興のムーヴメントもすっかり定着した末に、『マタイ受難曲』のメンデルスゾーン蘇演版が古楽器演奏で録音されたり(OPUS111)、かと思えばシューマンのピアノ曲「楽しき農夫」をチェンバロで鮮やかに弾く人が現れたり(Caro Mitis)、ショスタコーヴィチの交響曲に時代考証とは無関係に「純粋に音楽内容を見つめなおした結果」古楽器を適用して飛びぬけた演奏に仕上げてしまう人がいたり(Alpha)、あるいはエリック・ル・サージュのように、演奏曲目の時代とは必ずしも関係なく、楽器の素晴しさと作品に対する適性ゆえにヴィンテージ・ピアノを使う名手がいたり(Alpha)...
「過去との向き合い方」がこれほどまでに多様化している今だからこそ出てくるアプローチというのは確実にあって、このアルバムもそうした一筋縄ではいかない企画のひとつ。しかし演奏結果があまりに説得力と美にあふれていて、特に最終トラックの美しさは息をのむほど絶品!。
まずは一応、企画の説明を——オルガン演奏の達人だったバッハは、長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの教育用にと、2段の手鍵盤と足鍵盤にそれぞれ独立したメロディを宛て、ひとりでトリオを奏でるオルガン・ソナタを6曲作曲しているのですが、これが作曲家の生前から18 世紀を通じ、今に至るまで途切れず人気を保っている非常に珍しいバッハ作品で。N.フォルケルによる史上初のバッハ評伝(1802)にも言及されているこの6曲、バロック楽器でトリオ編成に編曲して弾く古楽器奏者はしばしば見受けられますが、よもやロマン派末期から20 世紀にかけて作られた「2台ピアノ編曲版」を総結集したアルバムが出てこようとは...!
その編曲者が実に注目すべき人ばかりで、ブラームス(バッハ全集刊行にも大きく寄与した人ですね)の友人で作曲家としても知られるF.ティエリオ、ペータース楽譜出版の名校訂者ケラー、シュナーベルの門弟でクリーヴランド音楽院の学長もしたV.バビン、そしてショパン直系のヴィルトゥオーゾ、イシドール・フィリップまで。バッハの音の綾が驚くほどきれいにピアノの音に乗ってくるのは、彼ら編曲者の才覚に負うところも大きいに違いありません。
弾き手はベルギーを拠点に活躍する若き俊英ふたり——緩急自在のタッチで一心同体のアンサンブルを繰り広げるさまは実に気持ちいいのですが、上にも書いたとおり、最後に収録されているカンタータBWV208 からの有名なアリア(かつては「NHK-FM 朝のバロック」のテーマ曲でした)の静謐な美は、ちょっと真似できないと思います。
MFUG574
(国内盤)
\2940
ドメーニコ・スカルラッティ:鍵盤のためのソナタ(20 曲)
 ①ソナタト短調 K12 ②ソナタ ト長調 K144
 ③ソナタ ハ短調 K99 ④ソナタ 変ロ長調 K441
 ⑤ソナタ 変ロ長調K373 ⑥ソナタ ニ短調 K32
 ⑦ソナタ ト短調K43 ⑧ソナタ 変ロ長調K202
 ⑨ソナタ ハ短調 K40 ⑩ソナタ ハ長調 K225
 ⑪ソナタ ト短調 K8 ⑫ソナタ 変ロ長調K70
 ⑬ソナタ ハ長調 K95 ⑭ソナタ ハ短調 K56
 ⑮ソナタ ロ長調 K244 ⑯ソナタ イ長調 K83
 ⑰ソナタ 嬰へ短調 K25 ⑱ソナタ ヘ短調K69
 ⑲ソナタ ヘ長調 K85 ⑳ソナタ ヘ長調 K59
アリス・アデール(ピアノ)
フランク→バッハ→ムソルグスキー...と録音を続けてきた、フランス屈指の知性派にして「近現代もののエキスパート」が、今度はなんとスカルラッティの充実盤を提案!ついつい先へと聴き継いでしまう“脱構築”的ピアニズム、今回もたっぷり愉しめます。
ドビュッシーやエルサンなど、いくつかのレーベルでフランス近現代作品を中心にすぐれた解釈を残してきたアリス・アデールは、およそ2005 年以降Fuga Libera に録音をするようになって以来、フランク(ピアノ五重奏曲と独奏&編曲)、バッハ(フーガの技法)、ムソルグスキー(ほぼ全集)...と、それまでのキャリア形成と得意曲目からは予想できなかったような(というより、他のピアニストがめったに手がけない)レパートリーでの思わぬ名演ばかりを提案しつづけ、その全てで非常な高評価を勝ち取っている、ほんとうに目が離せないピアニスト!
日本でも過去3 盤、『レコード芸術』では準特選→特選→特選、と快進撃が続いています。そんな彼女が次に世に問うてきたのは、なんとバロック末期の天才鍵盤作曲家、ドメーニコ・スカルラッティ!
ナポリ生まれで後年スペイン宮廷に迎えられ、王妃に気に入られた鍵盤教師として長年にわたり絶大な権勢を宮廷内で発揮、それぞれ単一楽章からなる鍵盤楽器のためのソナタを555曲も残した...もちろん、それらのソナタの大半はチェンバロを念頭に置いて作曲されているわけですが、作曲家の歿後も、古くはクレメンティやモーシェレスら晩期古典派〜初期ロマン派の大家たちがそれらのソナタを高く評価し、演目にとりあげてきたこともあり、古楽復興などが叫ばれる遥か前から、どちらも同い年であるバッハやヘンデルの作品同様、スカルラッティのソナタは多くのピアニストたちの重要なレパートリーとなってきました(ホロヴィッツやミケランジェリなどの名演も有名)。
鍵盤楽器の面白さをくまなく味あわせてくれるそれらの作品群にはしかし、独特の装飾音や歌いまわしなど、チェンバロという楽器の機構と切っても切り離せない要素が非常に多く、近年では基本的にチェンバロでの演奏でこそ映えるもの、という理解が一般的になってはいますが、そこであえてピアノでスカルラッティを録音する名手というのは意外に少なくなく、そうした「あえて」の演奏結果は個々のこだわりが聴かれ、たいてい格別に面白く仕上がっているもの(最近の例では、これも『レコ芸』特選を頂いたaeon レーベルでのオリヴィエ・カヴェー盤・MAECD0874)。
アデールも自らライナーノートを執筆(全訳添付)、自らのスカルラッティ初体験がランドフスカのチェンバロ録音だったことから語りはじめ「なぜ今ピアノでスカルラッティなのか」を言葉でも解き明かしながら、独特のテンポ感・タッチ・雰囲気で次々と聴き進めずにはおれないトラックの連続をつくりあげてみせました(ちなみに、ジャケットはスカルラッティの故郷(イタリア)や活躍地(スペイン)の特産でもある生ハムの美しい写真(おいしそう... )。
サン=ダニエレやイベリコの名品同様“とまらない”感が演奏内容の“旨味”とダブるあたり、レーベル主宰者の遊び心も感じられます)。既存盤と併せて聴けば、音楽鑑賞がさらに面白くなること必至!注目の逸品です。
MFUG573
(国内盤)
\2940
ブラームス(1833〜1897):
 1) ハイドンの主題による変奏曲 op.56b
 2) ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 op.15
ヴァルター・ヴェラー指揮
ベルギー国立管弦楽団
プラメナ・マンゴヴァ(ピアノ)
まさに岩山のよう——それでいて、あたたかく、透明感に満ちている。プラメナ・マンゴヴァの風格あふれる“異能ぶり”は、この超・王道曲目でこそいかんなく発揮されるもの!名手ぞろいの老舗楽団をあざやかに歌わしめる“ウィーンの名匠”ヴェラーの棒も冴える!ピアノの世界というのは多士済々、相当な個性派が次から次へと登場するジャンルではありますが、ブルガリアからベルギーへ出て、エリザベート王妃国際コンクールで圧倒的な存在感を印象づけた桁はずれの異才プラメナ・マンゴヴァは、そうした世界舞台を充分渡ってゆけるだけの「格」を感じさせる大器のひとり!ラ・フォル・ジュルネの主宰者ルネ・マルタン氏が心底惚れ込んだ…という売り文句で日本にも紹介され、初来日したのが2年前の5月の連休。その後2009 年末には待望のリサイタル来日も果たし、鮮烈なパワーで、ピアノの上下からオルガン並の風圧と迫力を感じさせる響きを噴出せしめ、会場を圧倒したものでした。そうした力強さだけでなく、シューベルトの繊細やプロコフィエフの精緻、ショスタコーヴィチの錯綜する作品構造などにも印象的な適性をみせるマンゴヴァが、まさにあらゆる意味で彼女にうってつけの曲目を録音してくれました。ブラームスの、ピアノ協奏曲第1番!オーケストラは、彼女を世に送り出した国・ベルギーを代表する老舗楽団のひとつ、ブリュッセルのベルギー国立管弦楽団——指揮はその音楽監督で、かつてウィーン・フィルの最年少コンサートマスターとして大活躍、名演あまたの弦楽四重奏団のトップとしても知られた巨匠ヴァルター・ヴェラー…21世紀に入り年を追うごとに相性を深めているこのタッグが長大かつ迫力充分の序奏を響かせたあと、ひっそり歌い始めるピアノの音色から、明らかに只者ではない印象が。白熱も叙情もどこまでもユニーク、すべてが彼女独特のテンポで進み、立ち止まり、興奮し、安らぎ、哀調を漂わせる...これほど強烈な感性を誇る音楽家が徹頭徹尾マイペースを貫くと、これほどまでに迫真の表現力をまとうものなのか!と。その音色も実に味わいある美しさをたたえ、そのイメージはまさしく、ジャケットに掲げられた透明感あふれる北国の岩山そのもの。強固で荘厳でありながら、懐深く、やさしい詩情をまとっている、鮮烈なブラームス像を50分じっくり味わいつくした後は、山ひとつ征服したくらいの深い充足感が訪れる...というより、早くも「第2番も聴きたい!」と気持ちが騒いでしまうかもしれませんが。しかし本盤でもうひとつ嬉しいのは、カップリング曲として『ハイドンの主題による変奏曲』が収録されている点。フランス的なものとドイツ的なものを兼ね備えたベルギー随一の楽団が、各員の自発性そのまま、ヴェラーの雄大なタクトでゆっくり織り上げてゆくブラームス管弦楽の世界には、オーケストラ音楽の旨味というものをしみじみ感じさせてくれる味わいが宿っています。CD トラック順に聴くと、こうしてじっくりオーケストラ側の感性を味わったあとにマンゴヴァとの強烈体験が待っている、という仕組み。あらゆる角度から聴き確かめ続けたい、超・圧巻の1枚なのです!

GRAMOLA

GRML98868
(国内盤)
\2940
ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809):
 1) ピアノ協奏曲 ニ長調 Hob.XVIII-11
 2) ピアノ協奏曲 ト長調 Hob.XVIII-4
 3) ピアノ協奏曲 ヘ長調 Hob.XVIII-3
ナターシャ・ヴェリコヴィチ(ピアノ)
パヴェル・ドレジャル(vn)指揮
カメラータ・ヤナーチェク
現代楽器ならばこそ、の静かな魅力——バドゥラ=スコダの精神を受け継いだ、これが生粋の「中欧流儀の正統派」!
ハイドンを育てた旧・ハプスブルク帝国領の風土が「いま」に育んだ、何度も聴き確かめたくなる、現代楽器ならではの豊かな味わい。

19 世紀もかなり後半まで古楽器演奏で聴かれる昨今ですが、とはいえ時代は21 世紀、現代のすぐれた楽器による演奏が廃れる理由はどこにもありません。ウィーンの演奏家たちなどは、しばしば「古楽器演奏どうのというより、私たちが肌で感じてきたことにも“正統的”な要素がたっぷりある」とひしひし思うそうですが、それはダウランドの歌を英国人がうたうときの絶妙さや、フォーレのピアノ曲でフランス人だけが響かせられる味わいというのがあるのと、何ら違わないのでしょう。ウィーンが本場であるワルツなどはもちろん、18 世紀にすぐれた楽器奏者たちを続々輩出してきた「旧ハプスブルク帝国領」、つまりオーストリア、チェコ、ハンガリーなどの地域は、古典派音楽にも独特の「本場感」があるようです。
昨今ではそのいずれもが古楽器演奏にもすぐれた実績をあげていますが(たとえばウィーンのコンツェントゥス・ムジクスやヴィーナー・アカデミー、ハンガリーのフェシュテティーチ四重奏団、チェコのコレギウム・マリアヌムやムジカ・フロレア...)、そうした古楽器ブームが起こる前から、古典派音楽の正統的解釈ということに独自の取り組みをみせてきたのが、この地域。とくに、小編成・指揮者なしを基本とするプラハ室内管弦楽団のモーツァルトや、ヘルマン・シェルヘン率いるウィーン国立歌劇場管のハイドン解釈などは、実に半世紀以上も前から(サウンドは大きく違いますが)「ピリオド的解釈」と相通じる精神をみせていた活躍ぶりで有名です。そうした時代から積み重ねられてきた「中欧の、現代楽器による古典派解釈」は、いま、どのような音楽体験を生んでいるのか? 昨年はクララ・シューマンのピアノ作品を夫ローベルトの『謝肉祭』などとあわせて録音したアルバム(GRML98827)で静かな話題を呼んだセルビア出身のピアニスト、ナターシャ・ヴェリコヴィチが現代ピアノで聴かせるハイドンの協奏曲は、そうした魅力的な音楽世界が現在なお失われず、豊かに育まれていることを端的に教えてくれる好解釈——テンポの取り方ひとつひとつ、阿吽の呼吸ひとつひとつ、力まずたゆまず、絶妙の穏やかさで綴られる現代ピアノの音には、往年のイングリット・ヘブラーの妙なるピアニズムを彷彿させもすれば、20世紀における現代ピアノによるモーツァルト解釈の大家、バドゥラ=スコダに相通じる当意即妙も...と思って本人も大きな記事を執筆している解説(全文訳付)を読めば、演奏に使った楽譜のいたるところに付加されたカデンツァ的楽想はまさにバドゥラ=スコダ版とのこと(ピリオド奏法の検証が日常的となった今、なぜ現代楽器を使うのか?という根本命題にも、ウィットに富んだ解説が寄せられています)。彼女のタッチと呼吸ぴったり、室内楽のように手がたくも味わい深い弦楽合奏で合いの手を入れるのは、何かと活躍のめだつチェコ・オストラヴァの気鋭楽団、ヤナーチェク・フィルの精鋭メンバーによる室内合奏団!コントラバス1本の10 人強編成は、協奏曲というより室内楽に近いハイドンのピアノ協奏曲の親密さを、一切ダレない充実したアンサンブルで織り上げます。「ああ、いいものを聴いた!」という喜びがこみ上げてくる、休日の午後を穏やかに過ごしたい時にも絶好な、本場ならではの確かな1 枚。
GRML98830
(国内盤)
\2940
ウィーン、20世紀、ピアニストはひとりで
 ①ラッシュ・ライフ(ビリー・ストレイホーン)
 ②CAのフーガ(ディジー・ガレスピー&ルーディ・ヴィルファー)
 ③春はきっと来る(ミシェル・ルグラン)
 ④『ポーギーとベス』より(ジョージ・ガーシュウィン)
 ⑤ターン・アウト・ザ・スターズ(ビル・エヴァンズ)
 ⑥子供の情景(ローベルト・シューマン&ルーディ・ヴィルファー)
 ⑦フォー・ジョー(ルーディ・ヴィルファー)
 ⑧ミッツィとフェリクス(ルーディ・ヴィルファー)
 ⑨わたしを憐れんでください
  (ヨハン・ゼバスティアン・バッハ&ルーディ・ヴィルファー)
ルーディ・シュテファン(ピアノ)
現代音楽? それともジャズ? フリードリヒ・グルダやジョー・ザヴィヌルらとともに “生のままの”ウィーン20世紀世界を生きてきた鬼才ピアニスト=コンポーザー、地元では  「生きながらにして崇拝の対象になっている」と称されたヴィルファーのピアニズム、ここに。

「音楽の都」と呼ばれるウィーンですが、そこから生まれたのはウィーン古典派やヨハン・シュトラウスのワルツばかりではありません。かつて新ウィーン楽派が新しい芸術をこの町で着々と準備し、その後ウィーン・フィルがレコード録音を通じて数々の名演を世界に送り届けるまでのあいだ、そこは第二次大戦の悲運にさらされもすれば、戦後の解放によってアメリカ文化が流入し(いわば映画『第三の男』の時代ですね)、当時ウィーンで青春時代を過ごした偉大な音楽家たちのなかには、ジャズという音楽スタイルと切っても切り離せない精神遍歴を送った人も少なくありません。誰もがよく知るフリードリヒ・グルダのジャズへの傾倒、あるいは後年ジャズ=フュージョンの世界的巨星となったウェザー・リポートのシンセサイザー奏者ジョー・ザヴィヌルの活躍など、20世紀中盤のウィーンには「ジャズ抜き」では決して語りつくせない音楽シーンが広がっていたのです!
そんな時代にあって、シュランメル(19世紀以来のウィーン大衆音楽)の音楽家を父に生まれ、生粋のウィーンっ子として同地の音楽院で育ち、数々の大物ジャズ・ミュージシャンたちと共演、もちろんグルダやザヴィヌルとも密接な関係を保ちつつ、クラシックとのつながりも忘れずに、多方面にわたる活躍を通じて「生きながらにして崇拝の対象となった」とまで賞賛されているピアニスト=コンポーザーが、ウィーンにはいます。ルーディ・ヴィルファー、1936年生まれ——グルダよりも6歳年下ながら、すでに大御所というよりも巨匠の域にあるこのピアニストが、ジャズやポピュラーの名曲なども含め、絶妙の即興的テイストを感じさせるソロ・アルバムを制作(収録は2007年)したのが、ウィーンの中央グラーベン広場で第二次大戦前から続く老舗レコード店を母体とする生粋のウィーンのレーベルGramolaだったのは、いわば当然のなりゆきと言えるでしょう。巧まざるして軽妙なタッチに、この大都市が経験してきた歴史の深みと、動乱の時代となった20世紀を生きたピアニスト自身の感興とを、1音1音、おのずと感じ取れずにはおれない——この味わいは、そもそもどんなジャンルに属するのでしょう?
ジャズというにはあまりに彫琢が深く(いわば、テオ・アンゲロプロスやアンドレイ・タルコフスキーの映画を「娯楽作品」とは言いにくいのに似ています)、現代音楽というにはあまりに聴きやすく、心にまっすぐ届いてくる...特に『子供の情景』やバッハの『マタイ受難曲』の名旋律がさりげなく響いてくるトラックなど、すぐにはその旋律に気づかないような即興的フレーズから、徐々に原曲の姿が浮かび上がり、さまざまに変容してゆくところなど、クラシック・ファンこそゾクゾクさせられる瞬間がいたるところに。「これもまたウィーン」な、本格味あふれる1枚です。
GRML98869
(国内盤)
\2940
ブルックナー :男声合唱傑作集
アントン・ブルックナー(1824〜1896):
 ①夕暮れの空IWAB55 ②真夜中に WAB89
 ③夕暮れの空II WAB56
 ④「結婚式の合唱」の主題によるオルガン即興演奏
 ⑤結婚式の合唱 WAB49
 ⑥「音楽は慰め」の主題によるオルガン即興演奏
 ⑦音楽は慰め WAB88 ⑧秋の歌 WAB73
 ⑨墓場にて WAB2 ⑩真夜中 WAB80
 ⑪3本のトロンボーンのためのエークヴァーレ WAB114
 ⑫修道院長アルネートの墓の前で WAB53
 ⑬3本のトロンボーンのためのエークヴァーレ WAB149
 ⑭わたしは下僕のダヴィデに目をかけWAB19
 ⑮祝典カンタータ「主をほめたたえ」WAB16
トーマス・ケルブル指揮
男声合唱団「ブルックナー08」
アンサンブル・リンツ
ブルックナー・ファンには意外と数多い、合唱愛好家の方々にぜひとも聴いていただきたい!
出るようでなかなか出ない、この深遠にして素朴なる作曲家の手がけたロマン情緒あふれる世俗合唱曲の数々を、本場オーストリアの俊英団体が比類ない詩情とともに歌い上げる!9曲プラスアルファの交響曲群が何より有名な、マーラーの先駆者にして時代を超越した芸術性の持ち主、アントン・ブルックナー——ドイツ・オーストリア系の音楽こそ至高・という意識が根強く息づいている日本のクラシック・ファンのあいだで、この作曲家ほどカルト的人気を誇る作曲家がいるでしょうか?ことによると、バッハとモーツァルトに次いで単独作曲家で深く愛されているのが、このブルックナーという謎の天才なのかもしれません。しかし、ニコラウス・アルノンクール御大が「音楽史上に突然、宇宙から落ちてきた隕石」と呼んだほどの、19 世紀という時代をはるかに超越した音楽性のありようは、晩年になってから作曲するようになった交響曲の数々においてのこと。そしてこの作曲家の全作品のなかでは、作品数としてみた場合、圧倒的に多いのは合唱作品なのです。40 歳くらいまでのブルックナーは、教会音楽や世俗の合唱曲ばかりを作曲していた朴訥な作曲家だった——そしてその時代の集積が、この大家の交響曲に息づく「詩情」の側面をかたちづくっていったわけです。アマチュア合唱団員の方々も、ブルックナーの合唱作品に目がない、という方は思いのほか多いはず。しかしながら、かの有名な3曲の大作ミサ曲をはじめとする宗教曲は何とか録音にも恵まれているものの、彼の世俗合唱曲ばかりを収録したアルバムというのは、そう数多く登場するわけではありません。ブルックナーは若い頃から男声四重唱団を自ら結成して歌を続けたり、アマチュア合唱団の指揮者として活躍したりで、俗世間向けの詩情豊かなロマン派的合唱曲を相当数残しているにもかかわらず、です。そんな渇を癒すかのごとく、ブルックナーの故郷でもある音楽大国オーストリアのGramola レーベルから登場してくれたのが、この傑作新譜! なんと収録作品の大半が世俗合唱曲で、ア・カペラ作品の滋味ぶかい味わいもさることながら、ブルックナー芸術の隠れた本質を解き明かす楽器でもあるオルガンも随所で大活躍。さらに、これもやはり耳の肥えたブルックナー・ファンには忘れがたい小品である「3本のトロンボーンのためのエークヴァーレ」2曲もしっかり収録。こうした企画をドイツの合唱団がやると、かなり引き締まった硬派な美質が打ち出されることも少なくないでしょうが、ここで歌唱にあたるのは、ほかでもないブルックナーの故郷オーストリアを拠点に活躍している合唱団。気張らず泰然自若、にもかかわらず一糸乱れぬ繊細な音の重なりを描き出してみせ、えもいわれぬ郷愁をたたえたブルックナー作品の美質を、おのずと浮かび上がらしめるセンスは、まさに脱帽。バロックとの意外な親和性、ロマン派ならではのハーモニー感——合唱の響きの濃やかさとは、オーケストラ以上に雄弁なもの。それを改めて教えてくれるという意味で、交響曲一辺倒のブルックナー・ファンや、この作曲家を誤解している方々にも強く推したい1枚なのです。※邦訳解説&訳詞付

JB RECORDS

JBR001
(国内盤)
\2940
ポーランドのクラリネット
 〜クラリネットとピアノ 近現代の美しい室内楽〜
 ①ゲルゲイ・ヴァイダ(1973〜):
  闇から光へ 〜無伴奏クラリネットのための
 ②レオ・ヴェイネル(1885〜1960):ペレギ・フェルブンク
 ③タウデシュ・バイルト(1928〜81):二つの奇想曲
 ④アンドレ・ブルック(1873〜1960):デンネリアーナ
 ⑤アンリ・ラボー(1873〜1949):試験用独奏曲 作品10
 ⑥ピエール・ガベー(1930〜):ラルゴ(「ソナチネ」より)
 ⑦シャルル=マリー・ヴィドール(1844〜1937):
  序奏とロンド 作品72
 ⑧ロベルト・クルディバハ(1971〜):風景さまざま
 ⑨ヤツェク・グルジェイン(1961〜):海からの風
 ⑩レナード・バーンスタイン(1918〜90):
  クラリネットとピアノのためのソナタ
 ⑪マーカム・アーノルド(1921〜):
  クラリネットとピアノのためのソナチネ 作品29
ヤン・ヤクプ・ボクン(cl)
カテジナ・カチョロフスカ(p)
「ショパンの国」ポーランドの最前線をひた走る、超・実力派クラリネット奏者の「名刺代わり」。
 アーノルドやバーンスタインの傑作ソナタも、フランス近代の超・重要作品も絶妙なら、 ポーランド人の普遍的センスに貫かれた近現代作品も...緩急しなやか、全てが「美しい」。

血気盛んで情熱にあふれ、革命もいとわぬ気概を持ちながら、他者や異文化へのまなざしは温もりにあふれ、いったん音楽を紡ぎ出すや、誰をも魅了せずにはおかない強烈な求心力の調べを紡ぎ出す...外国人からみた典型的なポーランド人気質というものがあるとすれば、同国きっての巨匠ピアニスト、クリスティアン・ツィメルマンが主宰する超ソリスト集団・ポーランド祝祭管弦楽団でクラリネットを吹いているヤン・ヤクプ・ボクンという芸術家は、まさにその王道をゆくような人物——もうひとつ付け加えるなら、自分の仕事領域には揺るぎない自信を持ち、その自信を裏付けてやまない期待以上の「結果」を出してくれる、そんなポーランド随一の仕事人。
このボクン氏自身によるソロ・アルバムも、その最たる「結果」のひとつです。
クラリネットと、ピアノ。収録作品はフランス近代やいくつかの近代ソナタと、ポーランドの現代作品をいくつか——こういったスペック紹介だけでは、本盤は単なる凡百の(あるいは、傑出してはいるが同種のものが無数にある)管楽器ソロ盤と思われるかもしれません。しかし、その実態は「気鋭奏者の自意識過剰」とは大きくかけ離れた、純然たる室内楽アルバムにほかならないのです。入念に考え抜かれた曲順も含め、一聴いただければその意味がはっきりお分かりいただけるでしょう。冒頭の無伴奏曲からして明らかな、桁外れの風格。フランス系の定番曲に聴く繊細な音色のニュアンス、バーンスタイン初期の傑作ソナタや有名なアーノルドのソナチネなどでの堅固な形式感覚と、自由な歌いまわしの伸びやかさ、そして自家薬籠中の得意曲目であろう、故郷ポーランドの作曲家たちの作品にみせる、限りない共感に裏打ちされた表現のあざやかさ...日本語オビ用の邦題に「美しい」という言葉を使いましたが、どの作品もこの一語に尽きると思います。現代作品といえど、聴き手を挑発するような難解さは一切なく、ただひたすら洗練された、触感的に心に響く美しさに貫かれている。そうした音楽の深みと味わいは、ポーランドという紆余曲折の歴史をたどった国そのものにさえ深い興味を抱かせるに充分な魅力に満ちていると思います。これからの季節、そこに息づく北国の音楽家特有な「室内生活の温もり」も嬉しいところです。
JBR009
(国内盤)
\2940
ポーランドとスペイン ギターの対話
 〜ショパン、グラナドス、ロドリーゴ、ポーランドの作曲家たち〜
 ホアキン・ロドリーゴ(1901〜1999):
  ①トナディーヤ
 アンジェイ・ツフォイジィンスキ(1928〜):
  ②舞曲形式をふまえた組曲
 マレク・パシェチニ(1980〜):
  ③タンゴの印象 〜ピアソラの至芸に捧ぐ
 フレデリク・ショパン(1810〜1849):
  ④マズルカop.68-3 ⑤マズルカop.6-1
  ⑥マズルカ op.24-2 ⑦マズルカ op.56-2
 エンリケ・グラナドス(1867〜1916):
  ⑧詩的なワルツ
アンジェイ・クラヴィエツ&
グジェゴシュ・クラヴィエツ(g)
スペインを想う、ポーランド人——「ショパンの国」の新世代たちは、ギターの世界でも天才続々!ふたつの文化の対話が、いま面白い。技巧も音楽性もいうことなし、センス抜群で実に心地よい「東」と「西」の傑作たち...ショパンの憂愁もグラナドスの詩情も、秀逸録音で、隅々まで!レコード販売の世界は、便宜上ジャンル区分と無縁ではいられません。そこではクラシックというジャンルに、ヤンソンス指揮コンセルトヘボウ管のマーラー!とか、アルゲリチの弾くショパン!といった王道的なアイテムもある一方、演奏者や受け手の感覚そのものが、もはやクラシックとは言い切れない、ジャンル区分など無意味なラインで成立していて、そこで桁外れの洗練された音楽が生まれている…というようなものまで含まれていたり(他ジャンルでもそうですが)。昨今なぜかクラシック扱いになるタンゴの世界のピアソラなどは、その極端な好例でしょうし、ある意味では中世以前あたりの古楽だって、もはやサウンド的にはばっちりワールドミュージック…なんて例も珍しくありません。そうした状況下で、それこそ昔からボーダーライン上を歩くのが得意だった?のが、クラシックギターのミュージシャンたち——ジャズやロックを取り入れて独自の境地を切り開いたキューバ現代音楽界の大家ブローウェル、ヴィラ=ロボスからビートルズからコスマのシャンソンから何でも弾きこなす大萩康司、ブローウェル同様に作曲家としても随一なローラン・ディアンス、とほうもないレパートリーの広さを誇るロサンジェルス・ギター・カルテット…と枚挙に暇がないほど、「クラシックらしからぬのに棚区分はクラシック」という例に事欠きません。そう考えると、自身クラリネット奏者でありながら彼らと同じくらい既存の枠にとらわれないセンスを発揮してきたポーランド人の名手、J.J.ボクンの主宰するJB Records からの最新新譜は、むしろぐっとクラシック寄りと言えるかもしれません。ポーランド人ギタリストふたりが、スペインへ思いを馳せ、ギターの故郷であるスペインの傑作群と、自分たちの故郷であるポーランドの名曲・秘曲を、あざやかなデュオで綴ってゆく。それも、クラシック・ギターの通念を覆すほど磨き抜かれたテクニックで…!いや、このサウンドは素晴しく気持ちいいですよ!人はよく「スペインの光と影」とか「ポーランドの憂愁」なんてフレーズを口にしますが、ここではその両方が、表裏一体、あざやかな流れで絶妙の交錯をみせてゆくのです。東と西との、対話——ギターとギターとの、対話。ギター音楽の常で、現代作曲家たちの作品も空虚な前衛性とはまったく無縁、きわめてスタイリッシュなクラシック楽曲の連続と思って頂いて間違いありません。しかしやけにウマいなあ…と思ってよく見たら、なんと弾き手は5年前にMA Recordings で絶妙なソロ・アルバム「道行」を発表したポーランド最先端の俊英ギタリスト、グジェゴシュ・クラヴィエツと、その兄弟で15 年来のデュオ・パートナーであるというアンジェイ!「お家芸」ショパンでのクールな郷愁、グラナドスでの余裕綽々な機知と大人っぽさ、舞踏組曲のスタイリッシュさ…冷戦終結20 年、芸術大国ポーランドの新世代、本当によい音楽を紡ぎます。良盤!

RAMEE

RAM1007
(国内盤)
\2940
ルイ・シュポーア(1784〜1859):
 1. 大九重奏曲 ヘ長調 op.31(1813)
ジョルジュ・オンズロウ(1784〜1853):
 2. 九重奏曲 イ短調 op.77(1849)
アンサンブル・オスモーシス(古楽器使用)
ケイト・クラーク(fl)
オーファー・フレンケル(ob)
ニコール・ファン・ブリュッヘン(cl)
ベニー・アガシ(fg)
ヘレン・マクドゥガール(hr)
フランク・ポルマン(vn)
エリーザベト・スマルト(va)
ヤン・インシンゲル(vc)
ピーテル・スミットハイゼン(cb)
ベートーヴェン前後の同時代人のなかでも、古くからor昨今ひそかに注目を集めてきた超・実力派の「隠れ名匠ふたり」——コントラバスも管楽器群も、もちろん弦楽器も、19世紀そのままのサウンドと解釈で聴けることの刺激と喜び。じっくり楽しめます。

ピリオド奏法も古楽器演奏も躍進めざましい昨今、なにしろマーラーの交響曲が古楽器演奏で録音されるご時勢ですから、19 世紀前半、ベートーヴェンやショパンの時代はもう完全に範疇内。そのわりにはどうしたものか、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲だけは古楽器録音がいまだ滅多に登場しないなど、古楽器演奏によるこの時代の「開拓度」はまあ、だいたい40%くらいでしょうか。本盤が光をあててくれるのも、まだまだ古楽器録音が充実しているとはとうてい言いがたい注目ジャンル、管・弦とりまぜての大規模室内楽!
この形式に先鞭をつけたベートーヴェンの七重奏曲(1800)とシューベルトの八重奏曲(1828)のほかにも無数の傑作があることは、コンソルティウム・クラシクム(cpo)やアンサンブル・ヴィラ・ムジカ(MD+G)、ナッシュ・アンサンブル(CRD)などの名盤群でご存知の方も多いはず——小さな管弦楽のような、室内楽のような、その独特の音響世界には明らかにオーケストラ音楽と相通じる「響きの可能性」が秘められていて、古楽器で聴くことによって19 世紀の人々が思い描いていたサウンドが、現代楽器のものとどう違っていたのかを如実に体感できるジャンルだったのだ(特に管楽器やコントラバスなどの響き具合...)と、この名手揃いのアルバムを通じて思い知らされました。
弾き手はヨーロッパ随一の古楽最先端地域、つまりイギリス、オランダ、ベルギーの3国の第一線で多忙な活躍を続ける実力派奏者たち——そして演目2曲はなんと、昔から隠れファンの少なくない巨匠シュポーアの最も有名な作品「九重奏曲」と、昨今あらためて「フランスのベートーヴェン」との呼び声が高まってきた室内楽曲の大家、オンスロウの名品!(いずれも音盤シーンではかなり見られている作曲家・作品で既存盤もありますが、もちろん現代楽器ばかり。)
ヴァイオリン演奏の大家シュポーアはドイツにおけるパガニーニの好敵手のひとりで、経験豊かな指揮者でもあり(指揮棒を初めて使ったのが彼、とも伝えられています)、ワーグナーを最初に評価した人物のひとり。NAXOS にまとまった録音のある弦楽四重奏曲・五重奏曲、CPO での協奏曲全曲録音などはもとより、ハイフェッツが二重弦楽四重奏曲とレチタティーヴォ入り協奏曲「劇唱の形式で」を録音するなど、隠れた名盤も多数なその作品群はみな、静かに表情を変えてゆく曇り空のような、静かに聴き深めたくなる独特の魅力に満ちています。
対するオンスロウは英国からフランスにワケあり亡命してきた一家の出身で、生前は絶大な敬意を集め、「フランスのベートーヴェン」の呼び名を得るほど味わい深い室内楽曲を多数残した人物——このところ日本でもとみに注目が高まっている一人でもあります。本盤収録の九重奏曲は1849 年作とかなり後年の曲で、深い陰翳を感じさせるロマン的味わいたっぷり!シュポーア作品同様、曲構造を語りほぐすようなアーノンクール的テンポで、一瞬ごとに思わぬ響きの魅力を垣間見せてくれます。
シュポーア作品の魅力の一つである「第1ヴァイオリンの活かし方」も、両者の管楽器ひとつひとつの扱いの妙も、この録音でなくては伝わらない「旨味」もたっぷり...!他のロマン派のオーケストラ音楽なども、本盤に触れたあとでは俄然新たな楽しみ方ができるはず。秀逸古楽レーベルRamee の快挙です!

RICERCAR

MRIC298
(国内盤・2枚組)
\3885
マレ:トリオによる小品集(1692)〜六つの組曲
 〜国王ルイ14世の眠りに寄せて〜
リチェルカール・コンソート(古楽器使用)
フランソワ・フェルナンデス、
エンリーコ・ガッティ(バロック・ヴァイオリン)
フィリップ・ピエルロ、ライナー・ツィパーリング、
ソフィー・ワティヨン(各種ガンバ)
マルク・アンタイ、ダニエル・エティエンヌ(フラウト・トラヴェルソ)
フレデリク・ド・ロース、
パトリック・ドゥネッケル(リコーダー)
シーブ・ヘンストラ(チェンバロ)
ヴァンサン・デュメストル、
ブライアン・フィーハン(バロックギター、テオルボ)
眠るまでのあいだ、一流音楽家たちに合奏をさせたとは...ルイ14世はなんて贅沢、しかし本盤のプレイヤー陣も、これまたなんて贅沢な...!

古楽界最高の名手が集結、フランス・バロック随一のガンバ芸術家マレが残した意外な室内楽曲集は、隅々まで名品揃い。およそフランス音楽史上、この国ならでは!という音楽のあり方が初めて確立されたのは、芸術擁護に資金を惜しまなかったルイ14 世の時代、17 世紀後半から18 世紀初頭のことでした。ヴェルサイユに豪奢きわまる宮殿を建造、有能な画家・彫刻家・音楽家たちを身辺に集め、舞踏劇やオペラに興じつづけたこの王様、野心あつく国土拡張を続けて戦争にも明け暮れ、亡くなった時にはフランスの国庫に莫大な借金が残ったとか。その後始末のため、後継者ルイ15 世が幼少のあいだ摂政をつとめたオルレアン公が“人柱”的に失脚したり、そのツケがめぐりめぐってフランス革命につながったりと、輝かしき絶対王政は大きな犠牲も払わずには成立しなかったのですが、ともあれおかげで17 世紀はフランス史上でも「偉大なる世紀」と呼ばれるほどになり、このとき残されたさまざまな文化遺産が今まで何世紀にもわたって観光資源となり、あるいは文化交流の重要な糧になってきたのですから、長い目でみればやはり、ルイ14 世はフランスに大きな貢献をなしたことになるのでしょう。
その生前の文化環境はなにしろ豪奢そのもの、宮廷に集められた偉大な音楽家たちは王の寝室まで駆り出され、夜はその超一流の演奏をずっと、陛下が眠りにつくまで聴かせつづけたとか...(今でいうならさしずめ、ルイサダとカピュソン兄弟のトリオにレ・ヴァン・フランセが加わって、毎晩その出演料をフランスの税金で払っているようなものでしょうかね)。そんな「セレブな寝酒的音楽」を、演奏者たちの豪華さそのまま、現代きっての古楽奏者たちが結集して織り上げた素晴しい音源が、Ricercar レーベルのカタログに10年ぶりくらいで復活してくれました! ごらんください、この演奏陣の強力さ——
いまルイサダ云々、と書きましたが、昨今の古楽シーンにおける、まさにそれと同等クラスの現代最高級スーパープレイヤー「しかいない」編成!その大半がフランス語圏の古楽奏者で、つまりルイ14 世が聴いたであろう響きに何らひけをとらないフランス・バロック解釈が聴けるといっても過言ではないでしょう!
そもそも、演目が絶妙です——ヴィオラ・ダ・ガンバの巨匠マレが、珍しくガンバを主役にせず、管楽器やヴァイオリンを通奏低音と一緒にトリオ編成にして(実際の演奏はトリオ以上になる場面もしばしば——事実上、バロック流の室内管弦楽くらいな瞬間も)、国王が眠りにつくまで寛いだ舞曲を弾き連ねる...という「フランス版ゴールトベルク変奏曲」。ガンバの独奏曲集を出しはじめるよりずっと前、マレが当初こうしたアンサンブル曲ばかり出版していたというのは意外に知られていない事実かも。1曲ごと磨き抜かれた音の重ね方、音符の並べ方のセンスは、同時代人クープランに通じる繊細さ。組曲の最後には繰り返しの続く静かで長い変奏曲があり、安らかに眠気を誘う仕組み…王といわず、私たちにも贅沢な眠りを約束してくれる名録音です。
MRIC302
(国内盤・2枚組)
\4515
アンドレ・モデスト・グレトリー(1748〜1814):
 歌劇『セファルとプロクリス』(1773)全曲
ギィ・ヴァン・ワース指揮
Ens.レザグレマン(古楽器使用)
ナミュール室内合唱団
ピエール=イヴ・プリュヴォ(バリトン)
カティア・ヴェレターツ(ソプラノ)他
「ラモー以後、ケルビーニ以前」の最重要フランス歌劇作曲家、グレトリーの復権!!その管弦楽書法は、古典派スタイルでありながら実にユニーク——聴き手の心をとらえて離さない絶妙のメロディセンス!古楽大国ベルギーの超・実力派が結集、至高の全曲録音グレトリー!このオペラ作曲家の復権がいま、フランス語圏では急速に進みつつあります。パリで頭角をあらわし、革命前後のフランスを陶酔させたこの偉大なベルギー人作曲家、かつてはベルギーフランの高額紙幣に肖像画が出ていたほど知名度はありながら、20 世紀にはほとんど聴かれずじまい——それがいかに不当だったか、その管弦楽作品を集めたRicercar での絶妙アルバムを通じて端的に教えてくれたのが、古楽大国ベルギーの俊英指揮者ギィ・ヴァン・ワースでした(MRIC235・これは日本でも『レコード芸術』誌で特選に輝いています)。従来は現代楽器録音か、あるいは散発的に室内楽(もっともグレトリーらしからぬ領域?)が録音される程度だったのに、その後J-C.マルゴワール御大がK617 にすばらしいモテットを録音、さらに2009 年には「あの」ヴェルサイユ・バロック音楽センターが「グレトリーによる偉大なる日々」と題した集中企画を通じ、『アンドロマック』『嫉妬深い恋人』『セファルとプロクリス』と3作ものオペラを古楽器演奏で復活させてしまったのですから、古楽関係者各位もいやおうなしにグレトリーという作曲家の素晴しさを追認することに。またその前年には、またしてもRicercar レーベルが、1990 年代に天才マルク・ミンコフスキが慧眼あらたかにも録音していた『カイロの隊商』を廃盤から復活させ、やはり『レコ芸』特選に輝いています(MRIC268)。そんな実績を誇る「Ricercar のグレトリー録音」に新たなページを加えてくれるのが、上述のヴェルサイユ・バロック音楽センターの企画にさいしてヴァン・ワースが臨んだ『セファルとプロクリス』全曲録音!嫉妬深くも人間くさい古代神話の神々によって引き離された狩人セファルと大地の精プロクリスの物語そのものは、いかにもロココ時代に好まれたような牧歌性あふれる筋書なのですが、それを絶妙にコントラスト鮮やかな音作りで抑揚ゆたかに音楽化してしまうグレトリーの、なんとたくみな音楽手腕...!モーツァルトのオペラが好きで、さらにラモーも結構楽しめる、といったラインのオペラ好き(否、古楽好き?)なら、1773 年にヴェルサイユ王宮で初演されたこの逸品から耳が離せなくなるのではないでしょうか?かつてモーツァルトは「フランス語はまったく音楽に適さない」と愚痴をこぼしたそうですが、グレトリーのオペラを聴いたなら、その意見に首をかしげざるを得ない——絶妙にキャッチーな名旋律をひねり出すセンスも、クラリネットやティンパニまで動員しながら全ての楽器に全くムダのない動きを割り振る巧みさも、いわば交響曲におけるハイドンのような自然さと巧妙さで、飽きるどころかどんどん引き込まれてしまいます。主役を歌うプリュヴォ以下、歌手陣もなかなかの顔ぶれではありますが、密かに充実しているのが、いつもシーン最前線の名手がさりげなく潜んでいる古楽器バンド・レザグレマンのメンバー構成...なんとクラリネットには大御所ホープリッチ、コンサートマスターは名手レミ・ボーデ、ヴィオラにはさりげなくムジカ・アンティクヮ・ケルン初期の実力派ハーヨ・ベース(!)が陣取り、なんとティンパニは18 世紀オーケストラの天才奏者マールテン・ファン・デル・ファルク が!
MRIC307
(国内盤・2枚組)
※邦訳解説&訳詞付
\4515
グラウプナーの「降誕祭オラトリオ」
 〜バッハと同時代の巨匠、九つの傑作カンタータ〜
 クリストフ・グラウプナー(1683〜1760):
  ①カンタータ『夜は過ぎ去った』GWV1101-22(1722)
  ②同『涙せよ、主の時は近い』GWV1102-26(1726)
  ③同『イエスを救世主と信じる者は』GWV1103-40(1740)
  ④同『悔い改めよ、そして救世主の名のもとに』GWV1104-34(1734)
  ⑤同『なんと早く、あなたは苦しみにさらされることか』GWV1109-14(1714)
  ⑥同『天よ歓呼せよ、地よ湧きかえれ』GWV1105-53(1753)
  ⑦同『彼らは神を切望している』GWV1106-46(1740)
  ⑧同『神よ、わたしたちを憐れみ、祝福してください』GWV1109-41(1741)
  ⑨同『ふかく留めおけ、わが心』GWV1111-44(1744)
フロリアン・ヘイエリック指揮
マンハイマー・ホフカペレ(古楽器使用)
エクス・テンポレ声楽Ens.
ゼレンカを「バッハに比肩する宗教音楽の大家」と持ち上げるなら、あえて今こそ言いましょう——グラウプナーこそ、バッハを凌駕しかねない天才である、と!
大小さまざまな編成による9曲の教会カンタータを通じ、バッハの作例にも比しうる表現力を、痛快な古楽器演奏で堪能しましょうグラウプナー!! それも、弦楽合奏だけの伴奏から金管やティンパニを伴う大規模編成のものまで、大小さまざま、作曲年代も1714 年から1753 年まで(つまり、バロック盛期から初期古典派の時代にかけて!)ヴァラエティ豊かな、バッハの作例にも比しうるカンタータ群をたっぷり楽しめるとは...!

ZIG ZAG TERRITOIRES

ZZT080803
(国内盤)
\2940
ヴィヴァルディ(1678〜1741):
 1. 協奏曲 ト短調 RV578a〜2挺のヴァイオリン、
  チェロ、弦楽合奏と通奏低音のための(op.3-2初期稿)
 2.ヴァイオリン協奏曲変ロ長調RV372「キアラ夫人に」
 3. ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 RV390
 4. 四つのヴァイオリン協奏曲op.8-1〜8-4『四季』
アマンディーヌ・ベイエール(バロック・ヴァイオリン)
リーダーは「カフェ・ツィマーマン出身」でもある南仏のスーパープレイヤー、その他のメンバーは大半がイタリア人…!“これぞ本場の響き”なんて甘い言葉では済まされない「古楽にうるさい」フランスの批評誌も大絶賛した、リ・インコニーティの超・傑作ここに!
気に入らない盤は口をきわめてののしることさえ珍しくない批評地獄のフランスで、熾烈な古楽系アイテムの生き馬の目を抜くような競争をみごと勝ち抜き絶賛を博したうえ、あの『ル・モンド・ド・ラ・ミュジーク』誌などは「2008年最優秀ディスク」とまで推した、『四季』の新時代決定盤のひとつ!
もちろん国内仕様はこれが初出で、音楽学者オリヴィエ・フールの充実した解説も、演奏者のコメントも、全訳添付。
さてその超・名演を体現してしまったのは、長らく気鋭集団カフェ・ツィマーマンの第2 首席だった南仏出身の情熱あふれる名手アマンディーヌ・ベイエールが、近年自ら結成した血気盛んな名人集団、リ・インコニーティ!
名門バーゼル・スコラ・カントルムのヴァイオリン科で重要なポジションを占めているベイエールはフランス人ですが、他のメンバーはほとんどイタリア人、グループ名はヴェネツィア・バロック期の知識人サークルの名称をとってつけられたというだけあって、演奏テイストは基本的に「情熱型」。イギリスやオランダ、ドイツなどの古楽集団とは一味違い、歌うところは艶やかに歌い、飛ばすところは大いに飛ばす(でも乱れない!)、陶酔をさそうような緩急自在の音作りはまさに「ラテン系」というほかない天才的センスに貫かれ、およそ他の追従を許さないヴィヴァルディ解釈に仕上げてくるのです。
「春」での犬の遠吠えをあらわす繊細な弦音、秋の躍動感あふれる狩のシーン、たたきつけるような夏の嵐と雷光、心から切なくなる冬の終楽章...歌も言葉もない音楽なのに、なんと饒舌に、なんと説得力ゆたかに四季折々の情景を描き上げてしまうのでしょう!ただ圧倒すればいい、というのではない、作品の本質をあざやかに伝える手腕あればこそ、辛口で知られるフランスの批評誌もこれほど絶賛することになったに違いありません。
さらに嬉しいのは、『四季』のほかにヴィヴァルディの魅力満載!なヴァイオリン協奏曲が2曲も併録されているうえ、録音セッション数日前に楽譜が発見されたという「作品3−2」の初期稿(終楽章などは全然違った感じの音楽)まで聴けること。テオルボ独奏と聞き違えるほど音の揃ったピツィカートで始まるその不思議なサウンドがアルバム冒頭を飾るあたりも、実に効果的な演出になっています。いや語りだしたらキリがない盤です。
ZZT061105
(国内盤)
\2940
ラフマニノフ:ふたりのピアニストのための作品集
セルゲイ・ラフマニノフ(1873〜1943):
 1)2台のピアノのための組曲 第1番「絵画的幻想曲」op.5(1893)
 2) 2台のピアノのための組曲 第2番 op.17(1901)
 3) ピアノ連弾のための六つの小品 op.11(1894)
ヨス・ファン・インマゼール、
クレール・シュヴァリエ
(1896 年製&1905 年製エラール・ピアノ)
明らかに、違う。「世紀末のピアノ」の美質——楽器を知り尽くしていなければ、まず引き出しえない“100年前の人々を魅了したピアノの響き”...圧倒的な音楽性で魅了、鬼才インマゼールとラヴェル「左手」でも名演を聴かせた超・俊英シュヴァリエが提案する「ラフマニノフの“真の詩情”」。ラヴェルやチャイコフスキーなど近代作品を“当時のまま”の古楽器によるオーケストラで再現するだけでなく、並外れた音楽性でこれまでの作品像を続々と塗り替えてきた鬼才古楽指揮者、ヨス・ファン・インマゼール。ご存知のとおり、彼はもともとチェンバロとフォルテピアノの演奏家として頭角を現してきた人で、Channel Classics で録音を続けていた1990 年代にはフォルテピアノの“弾き振り”によるモーツァルト協奏曲シリーズや、エラール・ピアノでドビュッシーのピアノ独奏曲を演奏、この印象派の作曲家が本当などんな音響理念を持っていたのかについて再考させてくれたりと、ただ古いものを使っているだけではない、才能豊かな音楽家だからこそ可能な「音楽的提案」を続けてきたのでした。Zig-Zag Territoires に録音をするようになってからもその快進撃は衰えていないのですが、このアルバムはなんと「ラフマニノフを古楽器で」!ヴィンテージ・ピアノでの後期ロマン派作品の演奏は昨今ずいぶん増えてはきましたが、ラフマニノフは意外に盲点だったのでは——というよりも、楽器の特性を知り尽くした上でなくては良い音で鳴ってくれないヴィンテージ・ピアノで、この作曲家のとほうもない難曲群を弾きこなして「新境地」を垣間見せるなど、まさにインマゼールでもなければ不可能な芸当だったに違いありません...と片付けるのは楽かもしれませんが、このアルバムのすごいところは、その境地が彼一人に終わっていないところ。選ばれた曲目は、2台のピアノないし連弾のための作品ばかり、もちろん多重録音なんてしません。ここでインマゼールと対等に、あるいは一体となって音楽を創ってゆくのは、ヴィンテージ・ピアノを独学で徹底研究、自ら所有する1905年製のエラールをまるで手足か自分の声か、というほど鮮やかに弾きこなす俊才、クレール・シュヴァリエ。そう、先日国内盤初出で登場したインマゼール指揮のラヴェル管弦楽曲集で『左手のためのピアノ協奏曲』のソロを同じピアノで弾いている名手です!彼らがここで演奏しているヴィンテージ・エラールは、それぞれ1897 年と1905 年、つまりラフマニノフがピアニストとして頭角をあらわしながら、幾多の傑作ピアノ曲を次々と作曲していた時期に造られた楽器。その澄み切ったクリアな音色といい、高音域に宿るアンティークグラスのような独特の渋味ある輝かしさ、新品の革靴の底が床を鳴らすような低音のメリハリといい、柔軟にニュアンスを変える中音域といい、明らかに現代ピアノとは別物の美質が、次々と私たちを魅了してゆきます。二人の天才が提示しているのは、楽器の力なのか、曲の力なのか——そう、ここであらためて気づかされるのは、彼ら二人が圧倒的なセンスで弾きこなしている作品群のどれも、たいへんな演奏技巧を弾き手に要求しているにもかかわらず、それはあくまで、比類ないポエジーや音楽性を打ち出すための手段にすぎなかったのだ、という事実。作曲家のインスピレーションを育んだ「当時の楽器の響き」で描き出されるラフマニノフ初期作品のうつくしい詩情(のちの「音の絵」を思い起こさせます)は、演奏者二人の交わす室内楽的共感とともに、“生”のままの霊感を鮮やかに甦らせてくれるのです!
ZZT100901
(国内盤)
\2940
モーツァルト(1756〜91):
 1) ピアノ協奏曲 第9番 変ホ長調 KV271「ジュノム」(1777)
 2) ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 KV414(1783)
 3) ピアノ協奏曲 第14番 変ホ長調 KV449(1783)
エドナ・ステルン(ピアノ)
アリー・ファン・ベーク指揮
オーヴェルニュ室内管弦楽団
これが、本当に現代ピアノ——? モーツァルトの音楽にぴったり寄り添う、当時の楽器さえ髣髴させる繊細・自在なタッチは、弾き手が腕利きのフォルテピアノ奏者だからこそ...!ラ・フォル・ジュルネ常連の俊英団体オーヴェルニュco.も精巧・爽快、これぞ新時代の名演。ヨーロッパの音楽シーンは、本当に奥が深くて変幻自在です——伝統にしっかりと根ざして脈々と深められ続けているものもあれば、続々と新機軸を打ち出してくるものごともある。常々驚かされっぱなしですが、そんなヨーロッパでも他のどの国にもまして新鮮なことが起こりやすいのが、フランスのクラシック音楽シーンではないでしょうか? 現代音楽の最先端でスペクトル楽派などという「音楽」というものの根本を揺るがす音響芸術を開花させたのも、地方政府が古楽バンドに出資し、その地方の伝統と密接に結びついた、歴史遺産としての古楽を思いがけないフレッシュな演奏で聴かせてくれるのも、あるいは地元の伝統とはまったく関係なくとも、シャンゼリゼ劇場やグルノーブル歌劇場のような大舞台がヘレヴェッヘやマルゴワールといった指揮者に企画を任せ、ロマン派以降の音楽をどんどん古楽器演奏で“脱構造化”してきたのも、物事の停滞をきらうかのように(物事の本質を歪めずに)新鮮な息吹をどんどん取り込むフランス人たちならではの感性なのかもしれません。古楽路線...といえば、逆に現代楽器の演奏家たちも積極的にピリオド奏法を取り入れるようになった昨今、カリスマ指揮者の鶴の一声ではなく、演奏者ひとりひとりの個性・自発性の集成としてピリオド的なアプローチを具現化しているオーケストラもフランスには少なくありません。ラ・フォル・ジュルネで日本にもしばしば登場している、レ・シエクル室内管と(このアルバムにも登場している)少数精鋭・オーヴェルニュ室内管は、その二大巨頭と言っても過言ではないでしょう。前者は適宜古楽器を使いますが、オーヴェルニュ室内管は基本的に現代楽器だけを用いつつ、鋭角的にきびきびとコントラストの強い表現を打ち出し、古典派やバロックの造形美をあざやかに浮き彫りにする演奏を続けている名団体(5月の連休、東京フォーラムでその粋な響きを愉しまれた方も多いことでしょう)。しかしこのモーツァルト・アルバムが何より驚きなのは、徹頭徹尾現代楽器、つまりピアノも現代楽器もいいところのゴージャスな楽器を使っているのに、過度にロマンティックな喧しさとは無縁、フォルテが鳴りすぎることもピアノが感傷的すぎることも全くない、いかにも古典派的な音作りで迫ってくるところ...というか、ペダルもちゃんと上手に使って鳴らすところは鳴らしているのに、基本的にタッチが繊細かつ1音1音、天才的なセンスでぴたりと無駄のない音量の音を探り当て続けているせいか、何だかモーツァルト時代の構造を残したフォルテピアノの演奏を聴いているような気になってくるんです! なぜか。それは演奏者が、自身フォルテピアノや時代ごとのヴィンテージピアノを的確に使い分けて名演を続けている才人エドナ・ステルンだから!Naive で1842 年製プレイエルによるショパン解釈を聴かせたのも記憶に新しいところ、最大の難関ともいえるモーツァルトでこんな偉業を達成してしまったのですから、これは先を期待するなというほうが無理でしょう。「出れば逸品」、やりますねZig-Zag Territoires レーベル。




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