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アリア・レーベル第13弾
ARIA AR 0013 1CD-R\1700

ヘルベルト・フォン・カラヤン&トリノ放送交響楽団
モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」 1942年10月


 前職のウルム歌劇場を事実上クビになったその男は、そのときベルリンで仕事を探していた。

 ヘルベルト・フォン・カラヤン。26歳。

 ベルリンに来れば何かツテがあると思っていたのだろう、数ヶ月の職探しの後、彼は幸いにもアーヘンという古都で指揮者の仕事が決まる。さらに生まれつきの政治的手腕とチャンスを逃さぬ獰猛さで、わずか1年で前職者を出し抜き、早くも音楽監督に就任する。
 「そのためにはナチスに入党すること」、という条件もクリアしていた。

 時代は1930年代。もちろんすでにドイツはナチスに支配されていた。
 政治の世界にも音楽の世界にも魑魅魍魎が跋扈し、多くの権謀術数が渦を巻いていた。そんな連中に担ぎ出されたのがカラヤンだった。しかしそれはカラヤンにとっても望むところ。
 かくしてこの男がいよいよ表舞台に登場することになる。
 
 当時のドイツの音楽界に君臨していたのはもちろんフルトヴェングラー。しかし彼は政治的な理由からベルリン国立歌劇場に登場することを拒んでいた。それに対して、この頑固おやじに一泡吹かしたいと考えるプロイセン州首相ゲーリング、またこの人に登場してほしくないベルリン国立歌劇場総監督ティーティエンは、華と才能のある新しいナチ党員の指揮者の登場を願っていた。
 そこで白羽の矢が立ったのが、カラヤンだったわけである。

 1938年。いよいよベルリン・フィル、そしてベルリン国立歌劇場に、華も才能もある新人指揮者が登場した。
 大成功だった。
 みなさんもご存知の「奇蹟のカラヤン」という新聞見出しが躍り、またたく間に彼は大偉人フルトヴェングラーのライバルと目されるようになる。背後にうごめく連中の思惑通りに。
 さらにカラヤンはこの大偉人に喧嘩を売る。レコード録音にあまり積極的でないフルトヴェングラーに対して、カラヤンはこの技術がやがて未来を築くことを認識し、積極的にレコード録音を行った。

 今回登場する AR 0013 の1曲目の『ヴェルディ 歌劇「運命の力」序曲』。1939年。カラヤン2番目の録音は、このときのものである。
 75年前に録音されたとは思えない、この颯爽としたエネルギッシュな演奏。今の我々が聴いても、新しい時代がすぐ目の前に来ているような思いにとらわれる。30歳のカラヤン、野心の塊といっていい。
 そしてさらにカラヤンはフルトヴェングラーが録音したばかりの「悲愴」を、同じベルリン・フィルを使って録音する。それはおそらくフルトヴェングラーに対する挑戦状だったのだろう。

 煽るマスコミ、盛り上げる政治家たち。ついにフルトヴェングラーは挑発に乗ってしまう。音楽以外のことに掛けてはおそろしく素朴な人だったフルトヴェングラーは、ベルリン・フィルに対して、この若い指揮者の登場を認めない旨通達する。そのためカラヤンは、1942年12月以降10年以上ベルリン・フィルの指揮台に立てなくなる。
 しかしカラヤンにはフルトヴェングラーが指揮を拒んでいるベルリン国立歌劇場があった。しかも1939年のヒトラーの誕生日に「シュターツカペレマイスター」という称号まで受ける。
 フルトヴェングラーの牙城を揺るがすには至らないが、カラヤンはまさしくドイツを代表する指揮者としてその才能を発揮することになったわけである。

 そうしてカラヤンはその後も大指揮者の道を邁進し、やがてフルトヴェングラーの地位を脅かすようには・・・。
 ならない。
 全然まったくそうはならないのである。
 我々が思っている以上に世の中は厳しい。
 これからカラヤンは辛酸を舐めることになる。地べたに這いつくばることになる。
 
 まず1939年6月、ヒトラーならびにナチス高官臨席の「マイスタージンガー」で、ヒトラーお気に入りのルドルフ・ボッケルマンが取り返しのつかないミスをしてしまう。しかしカラヤンはそれを修復できなかった。その責任は「暗譜で指揮」をしていたカラヤンのものとなり、以後、カラヤンはヒトラーに疎まれることとなる。
 さらにカラヤンは翌年、ユダヤの血を引く女性と結婚する。それがドイツにおける地位の低下を意味することは本人が一番分かっていたはずである。しかしカラヤンは誰からの忠告も聞き入れずその結婚を断行した。(話はそれるが、カラヤンは目的のためなら手段を選ばないというタイプの男ではないということが、この一件からなんとなく伺える)
 そして決定的なことが起きる。
 宣伝相ゲッペルス、さきほどのベルリン国立歌劇場総監督ティーティエン、そしてカラヤンをベルリンから追い出したいフルトヴェングラーの思惑が絡み合い、カラヤンの舞台のはずだったベルリン国立歌劇場にフルトヴェングラーが復帰することになる。
 もちろんそうなるとカラヤンの居場所はなくなる。
 1942/43年のシーズンからカラヤンのベルリン国立歌劇場でのオペラ公演はあっさりなくなってしまう。彼に残されたのは、国立歌劇場管弦楽団を使ったコンサートが申し訳程度・・・。あっけないものである。
 1942年にはリンツ帝国ブルックナー管弦楽団が創設され、カラヤンはなんとかこのオーケストラの音楽監督に滑り込む算段がついていたが、その計画もまたフルトヴェングラーによって妨害された。さらに1943年のドレスデン音楽総監督のポスト争いにも敗れる。

 戦後あれだけの権勢を誇ったカラヤンだが、その1942年から1944年までの年譜に書き記されることがらはほとんどない。
 カラヤン、完全に干されたのである。

 ・・・しかし、この時期があるから、店主はカラヤンが好きである。
 この空白年譜の時期のカラヤンが好きである。
 帝王になる前の、腹をすかし目をギラギラさせた野獣のようなカラヤンが好きである。

 有り余る才能とそれ以外の才能も持ち合わせながら、時代に翻弄されてまさに辛酸を舐めさせられるカラヤン。しかしこのとき彼は「絶対にいつか這い上がって、もう一度栄光をつかんでやる。」そう思いながら虎視眈々と機会をうかがっていたに違いない。
 そんな時期のカラヤンの演奏が、今回の2曲目と3曲目。
 
  AR 0013 の2曲目の『モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」』。1942年。
 どうなのだろう。後年帝王に登り詰めたカラヤンのモーツァルトのシンフォニー録音は評価が高いか?同郷ザルツブルグ二人のシンパシーを感じさせるような名演か?・・・それはあえてここでは言うまい。
 しかし、この時期のモーツァルトはすごい。
 ここで我々の目の前に現れるのは、シモネタを言って女性を笑わせている軟派な成り上がり作曲家ではない。18世紀末、単身ウィーンに乗り込み、貴族を中心とする体制に敢然と戦いを挑み、新たな音楽の歴史を作ろうとする革命の芸術家。たくましく、勇敢で、かっこいい。それはカラヤンの姿と重なる。
 どうだろう、これほどギュルギュル突っ込んでくる「ハフナー」はまず聴いたことないのではないか。とくにこの終楽章。速さだけならライナーやモントゥーのほうが速い。しかし彼らの演奏にここまでの獰猛さはない。アグレッシヴさはトスカニーニにも似るが、もっと凶暴。しかも末恐ろしいのはその凶暴さの奥に一種スタイリッシュなクールさが垣間見えること。美しき獣。野蛮な優雅さ。同時期の「ジュピター」も壮絶な演奏だったが、これもすごい。イタリアのオケの連中は狂ったように繰り出される指揮棒におそらくめまいすら催していたに違いない。

 そして3曲目の『R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」』
 カラヤンのリヒャルトを聴くなら後年の完全完璧な大伽藍的演奏が良いではないか・・・そう思うのも当然だと思う。しかしアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団も、当時おそるべきパワーを秘めていた。カラヤンはかつて30年代後半にもこのオーケストラを指揮していたが、ベルリンで干されていた時期に、このメンゲルベルクが築き上げた鉄壁のオケを指揮していくつかの録音を残している。そのうちの一つがこの「ドン・ファン」。後年の鉄筋サイボーグのような完璧さはない代わりに、コンセルトヘボウの名手たちの魅力を前面に押し出す一方で、決して手綱を緩めない。そんな高次元の「争い」を味わうことができるカラヤン戦中の名演の一つなのである。
 そのとき、若き天才を見たメンゲルベルクはどう思っただろう。偶然とは思うが、その頃からメンゲルベルクは全く録音を残していない。


 「運命の力」と「ハフナー」は貴重なSP復刻。
 もちろんステレオのLP復刻録音のようにはいかないから聴くにあたってそれなりの覚悟は必要だが、店主は率直に「SPというのはこんなにすごい音なのか」と思った。
 「スースー」という音の向こうから、「バリバリ」割れる音の向こうから、地鳴りのように響いてくる重低音、無理なく突き抜けてくる高音。
 存在感が違うのだ。
 最近の廉価復刻CDからは、こんな地の底から湧き出てくるような音は聴けない。ノイズを全部カットした干物のような盤からは、当時のカラヤンの執念の思いは聴けない。
 




AR 0013
\1700
ヘルベルト・フォン・カラヤン
 (1)ヴェルディ:歌劇「運命の力」序曲
 (2)モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」
 (3)R・シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
(1)ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(2)トリノ放送交響楽団
(3)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
原盤:
(1)78rpm Grammophon 67466
(2)78rpm Grammophon (Siemens) 67986/8
(3)12inch Decca DL9529

録音:
(1)1939年2月 ベルリン
(2)1942年10月 トリノ
(3)1943年9月 アムステルダム

 フォーマットはCD-R。ケースは薄型で、シンプルなデザインのジャケットと盤面印刷の仕様です。
 針音や歪みなどのオリジナル・ノイズがありますがご了承ください。





第1弾 クリップス&ウィーン・フィル/チャイコフスキー:交響曲第5番

第2弾 クレンペラー&フィルハーモ二ア管/ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

第3弾 シュミット=イッセルシュテット&北ドイツ放送交響楽団/チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

第4弾 シルヴェストリ&ウィーン・フィル/ドヴォルザーク:交響曲第7番

第5弾 バーンスタイン/ニューヨーク・フィル音楽監督就任直後のハイドン:交響曲第104番「ロンドン」&メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」

第6弾 カール・ベーム&ウィーン・フィル/1954年6月/シューベルト:交響曲第8番「未完成」&交響曲第5番

第7弾 パウル・ファン・ケンペン指揮&ベルリン・フィル/ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

第8弾 オイゲン・ヨッフム指揮&ベルリン・フィル/ブラームス:交響曲第1番

第9弾 ジャン・マルティノン指揮&コンセール・ラムルー管弦楽団/モーツァルト:交響曲第31番「パリ」、第32番、第33番

第10弾 フリッツ・ブッシュ指揮&デンマーク国立放送交響楽団/ブラームス:交響曲第2番

第11弾 フルトヴェングラー&ベルリン・フィル/1943年6月/ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第4番

第12弾 ハンス・クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル/1944年9月9日、ブラームス:交響曲第3番


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