クラシックCD通販ショップ「アリアCD」へようこそ
トップページへ

規約などはこちら・・・

お買い物の方法  

注文方法:
 ご希望商品のチェック・ボックスをクリックし、最後に 「かごに入れる」ボタンを押してください(enterキーを押してもかまいません)。
 新店内のほかのページのお買い物がありましたら、そちらもすませ、一番最後にページ下の「
注文フォームへ」のボタンをクリックして、注文フォーム・ページへ進んでいただいて、そこで注文を確定してください。
 (チェック内容を変更したら、必ずもう一度「かごに入れる」ボタンをクリックしてください。変更内容がかごに反映されませんので)

注文フォームへ



アリア・レーベル第15弾
ARIA AR 0015 1CD-R\1700
エーリヒ・クライバー&アムステルダム・コンセルトヘボウ管
ベートーヴェン:交響曲第7番


 有名な写真がある。
 ワルター、トスカニーニ、クレンペラー、フルトヴェングラーという伝説の巨人が居並ぶその写真の中央で、小柄ながら眼光鋭く、あたりの空気を制する男。

 エーリヒ・クライバー。

 店主はこの写真を見て、この指揮者を愛するようになった。


 ワルター1876生-1962没、トスカニーニ1867生-1957没、クレンペラー1885生-1973没、フルトヴェングラー1886生-1954没。そしてエーリヒ・クライバー1890生-1956没。
 だからこの中では彼が一番年下。
 しかしこの写真を見れば、この男が只者でないことはなんとなく想像がつく。間違いなくこの中で最も強いオーラを放っているではないか。

 しかしその人生は波乱に満ち、そしてこの写真の登場人物の中では最も不遇だった。


 エーリヒ・クライバーは1890年、ウィーンで生まれた。プラハで学びながら歌劇場のたたき上げ指揮者として頭角を現し、1923年にベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任
した。
 しかし1934年のヒンデミット事件(ヒンデミットの歌劇「画家マティス」上演禁止に対してフルトヴェングラーが激怒し大暴れした事件)の際にフルトヴェングラーを支持し、ナチスを公然と批判。ベルリン国立歌劇場の地位を辞任した。
 彼自身はユダヤ人ではなかったが、第10弾でお話したフリッツ・ブッシュと同じようにナチスを嫌ってドイツを去ったのである。

 そして彼が向かった先は中南米。華やかなアメリカは避けたのが彼らしい。
 当時の南米は輝かしい未来をもった希望の土地で、我々が思うよりはるかに芸術的だった。しかしそうはいってもやはり辺境。エーリヒはブエノスアイレスのテアトロ・コロン歌劇場の首席指揮者を務めていたが、結局終戦を待ってヨーロッパに戻ってくる。

 しかしエーリヒにとって辛かったのはこれからである。

 ナチスを嫌って南米に去った者はある意味英雄だったろう。・・・しかし戦争が終わって故郷へ戻った「英雄」を迎えたのは、人々の冷淡な態度だった。
 ナチスを公然と批判し正義の名の下に行動した男を、故郷の人々は歓迎しなかったのである。

 ウィーンでの復帰公演で楽屋にエーリヒを訪ねたのはフルトヴェングラーだけだった。他の指揮者たちはロビーで口々にエーリヒの演奏に文句をつけた。ライバル指揮者を決して批判しないカラヤンが、生涯で唯一悪口を言っていたのがこのときだったともいう。
 とにかくエーリヒにとって故郷はすでに演奏活動ができる場所ではなかった。
 結局彼が「英雄」(1955年)や、「フィガロの結婚」(1955年)、「ばらの騎士」(1954年)といったウィーン・フィルとの名演を残すのは、戦争終結から10年を経た後のことである(「第9」はもうちょっと前だが、名演かといわれると微妙だったりする)。
 また1954年になってようやく東ドイツが支配する「ベルリン国立歌劇場」の音楽監督に招かれたが、そこは彼がかつて所属していた「ベルリン国立歌劇場」とは別物に変わっていた。結局彼は社会主義政権と対立し、就任前に辞任することになる。

 しかしこれだけの才能ある偉人をレコード会社が放っておくはずがない。
 決してその数は多くないが、戦後数年間に素晴らしい録音が残された。
 コンセルトヘボウとの「英雄」(1950年)、「運命」(1953年)、「田園」(1953年)、ロンドン・フィルとの「田園」(1948年)、モーツァルトの第40番(1949年)、パリ音楽院管とのチャイコフスキーの第4番(1949年)、「悲愴」(1953年)。
 その才能に比してなんとなく中途半端な音楽活躍を続けていた戦後のエーリヒだが、レコーディングに関してはまずまず幸せだったと言ってもいいかもしれない。DECCAにはお礼を言いたい。

 そしてそのなかで店主があえてエーリヒの代表的録音として推すのが・・・今回のベートーヴェンの第7番。
 通常エーリヒの交響曲録音を薦めるなら、2つの「田園」であり、2つの「英雄」だろう。
 しかし第7番。

 これが、・・・変な演奏なのである。

 「英雄」や「田園」は、多くの評論家が言うように「派手な効果をそぎ落としつつ、張り詰めた緊張感が強烈なインパクトを与える」名演なのだが、この第7番はちょっと違う。

 終楽章。

 ウィーン風の立ち昇る香気・・・ではない。音楽の都の、粋で洒脱な洗練された舞踏・・・でもない。
 はっきり言ってしまえば田舎の盆踊り。ダサくて、品がなくて、ズンドコズンドコしている。
 ではエネルギッシュでアグレッシヴでパワーあふれる力感かというと・・・それも違う。
 山積みの米俵を積んだ荷車を引いて山を越えている感じ。

 こんなにもっさりとして、こんなにも田舎くさく、こんなにも珍妙なベートーヴェンの第7番は聴いたことがない。
 何か間違えているんじゃないかと言うくらい異様な演奏なのである。
 しかしこの異様さ、不器用さがなんともたまらない。
 エーリヒがゲテモノでないことは百も承知なのだが、この人が突如として垣間見せた人間的側面とでもいおうか。カタブツ牧師が宴会で突如弾けてしまった感じとでも言おうか。
 中南米でヒロイックな活躍をしてヨーロッパに戻ってくるも故郷では歓迎されず、アムステルダムの一流オケを振っているとき、突然何かブチっと切れてしまった・・・そんなことを想像させるこの演奏。

 エーリヒというと男性的でストイックな演奏が思い浮かぶが、戦前には「新世界」や「舞踏への勧誘」といったぶっ飛び演奏が多い。あられもない濃厚なポルタメントやダイナミックで大胆なレガートが、エーリヒの「禁欲的な気品」と交わって特別な演奏効果を生み出すことがあった。
 ・・・そう、ここでのエーリヒ・・・まるで突然タイムスリップして、「もうええわい!昔のようにやったるんや!」とぶっ飛んでしまったかのようなのである。

 でも、いいじゃないですか人間ですから。
 そういうことがあっても。

***************************

 さて、ということでエーリヒの演奏は戦前(のヨーロッパ時代)と戦後でガラリと変わる。

 今回のボーナスとして登場してもらった2つの小品。
 ベルリオーズの「幻想交響曲」から『舞踏会』、そして グルックの「アウリスのイフィゲニア」序曲。戦前の演奏である。

 これがまあ絶品。

 まず「幻想」からオーケストラ小品として「舞踏会」抜粋。これがまさにウィーン生まれのエーリヒならではの濃密でちょっと香水臭い「ワルツ」。彼はホンモノのウィンナ・ワルツも指揮しているが、それらより100倍も強烈。
 そしてグルック。ものすごい曲だと思うのになかなか録音が出てこない名曲。これもまたエーリヒの手にかかるとまるで魔法か呪文をかけられたかのように美しく麗しく蘇る。久しぶりに聴いたが、その夜夢の中でも流れてきた。これぞ戦前エーリヒの真骨頂。

 戦後の音源ばかりが注目されるエーリヒだが、これを聴けば1930年代前半の彼がどんなに個性的でどんなに才能にあふれた指揮者だったか分かっていただけると思う。

 ・・・そして返す返すも戦争が恨めしく思われてならないのである。
 


AR 0015
\1700
エーリヒ・クライバー
 (1)ベートーヴェン:交響曲第7番
 (2)ベルリオーズ:幻想交響曲より「舞踏会」
   グルック:「アウリスのイフィゲニア」序曲
エーリヒ・クライバー指揮
(1)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(2)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
原盤:(1)12inch (F)DECCA LXT2547
    (2)78rpm Ultraphon E808 & E844
録音:(1)1950年5月9日 モノラル アムステルダム
    (2)1931年1月12日 モノラル ベルリン

 さすがに(2)のSP録音は「優秀録音」とはいいがたく、とくにベルリオーズではSPのつなぎめが少し気になる。ただその黒々とした質感はやはりSP特有。

 フォーマットはCD-R。ケースは薄型で、シンプルなデザインのジャケットと盤面印刷の仕様です。
 針音や歪みなどのオリジナル・ノイズがありますがご了承ください。





ARDMORE RECORDS
エーリヒ、戦後のDECCA録音

ASSR-3005
1CD-R\1700
エーリヒ、1955年の「英雄」
 ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」
  12inch Decca (UK)ACL-35 -
  1955年4月11日〜14日 
   ウィーン、ムジークフェラインザール録音MONO
エーリヒ・クライバー指揮
ウィーン・フィル

 エーリヒ亡くなる1年前の伝説的演奏。

 「構成的で骨太な演奏であるが、そこでつけられた切れのよいフレージングとアクセントは、まるで抑圧されたエロティシズムの表出であるかのように、「エロイカ」の巨大な音楽の肉体の上で波打つ。このエーリッヒの独特のアクセントは、聴いていてまさに快感である。」(渋谷和邦「名指揮者120人のコレを聴け!」)
 「全楽章を通じて演奏に漲る強烈なエネルギーとはりつめた緊張感がすさまじく、あらゆる表現が実に明快に示されている。第1級の職人芸であると同時に、優れた知性を感じさせる指揮ぶり。」(那須田務「クラシック名盤大全」)

 終楽章のストレート且つ即興的な歌わせ方は見事。現代音楽とオペラの血が「古典音楽」で花開いた、とでも言おうか。アリア・レーベルで出そうと思っていた録音を一つ持っていかれてしまった。まさにエーリヒの代表的録音。

ASSR-3006
1CD-R\1700
エーリヒ・クライバー、パリ音楽院管との「悲愴」
 チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」
  12inch DECCA LXT2888 - 1953年パリ録音MONO
エーリヒ・クライバー指揮
パリ音楽院管弦楽団
 うー、アリア・レーベルでエーリヒを取り上げると決めたら、ARDMOREが便乗してパリ音楽院Oとの「悲愴」を取り上げてきた!便乗商法か!
 ・・・とはいうものの、戦後もうひとつ乗り切らないエーリヒを使って大曲を録音させていたDECCAの偉業の一つ。今ではあまり振り返られることはないけれど、これもなかなかいい演奏。
 第3楽章のジワジワジワジワと追い込んでいく切迫感、決然と潔い哀しみを歌う終楽章・・・やっぱりエーリヒはすごい。





アリア・レーベル全体インデックス(こちらからも全タイトル注文可能です)

第1弾 クリップス&ウィーン・フィル/チャイコフスキー:交響曲第5番

第2弾 クレンペラー&フィルハーモ二ア管/ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

第3弾 シュミット=イッセルシュテット&北ドイツ放送交響楽団/チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

第4弾 シルヴェストリ&ウィーン・フィル/ドヴォルザーク:交響曲第7番

第5弾 バーンスタイン/ニューヨーク・フィル音楽監督就任直後のハイドン:交響曲第104番「ロンドン」&メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」

第6弾 カール・ベーム&ウィーン・フィル/1954年6月/シューベルト:交響曲第8番「未完成」&交響曲第5番

第7弾 パウル・ファン・ケンペン指揮&ベルリン・フィル/ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

第8弾 オイゲン・ヨッフム指揮&ベルリン・フィル/ブラームス:交響曲第1番

第9弾 ジャン・マルティノン指揮&コンセール・ラムルー管弦楽団/モーツァルト:交響曲第31番「パリ」、第32番、第33番

第10弾 フリッツ・ブッシュ指揮&デンマーク国立放送交響楽団/ブラームス:交響曲第2番

第11弾 フルトヴェングラー&ベルリン・フィル/1943年6月/ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」、第4番

第12弾 ハンス・クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル/1944年9月9日、ブラームス:交響曲第3番

第13弾 ヘルベルト・フォン・カラヤン&トリノ放送交響楽団 / モーツァルト:交響曲第35番「ハフナー」 1942年10月

第14弾 カラヤン&ウィーン・フィル/1948年11月チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

ページ内の商品チェック・ボックスをクリックしたら、最後に 「かごに入れる」ボタンを押してください。
新店内のほかのページのお買い物がありましたら、そちらもすませ、最後に「注文フォームへ」ボタンを押して注文フォームで注文を確定してください。
(チェック内容を変更したら、必ずもう一度「かごに入れる」ボタンをクリックしてください。変更内容がかごに反映されませんので)


注文フォームへ


アリアCD トップページへ



Copyright(C) 2013 ARIA−CD.All rights reserved.44.45.46