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ルーセル特集
WARNER 生誕150年記念
アルベール・ルーセル・ボックス発売に合わせ




 アルベール・ルーセル。1869年フランス生まれ。

 この頃のフランス。
 今の我々からすると、ベル・エポックやらアール・ヌーヴォーやら印象派やらエコール・ド・パリやらそんな言葉が似合う、なんだか爛熟の芸術文化が栄えた、平和で豊かな時代のように思える。
 が・・・間違いなく戦争の時代だった。
 ルーセルが生まれる1年前に、今まで劣等国家として馬鹿にしていたドイツに戦争で負け、フランスにはいつかやり返してやろうという機運が蔓延していた。また、頼りのアジアの植民地ではイギリス、清と対立。いつどこと大戦争が起きても不思議ではないような不穏な時代。
 そんな時代に北フランスの田舎で生まれた純朴な少年が、国を守るために軍隊を志願してもまったくおかしくない。・・・というか普通だと思う。フォーレだってラヴェルだって軍隊を志望した。
 だから北フランスのトゥールコワンで生まれたルーセル少年は、18歳で海軍兵学校に入学を果たす。そして品行方正、成績優秀だったルーセルは順調に中尉にまで昇進。海軍でインドシナ偵察の任務に就き、長年の航海ののち無事フランスに帰ってきた。
 実はルーセルはもともと音楽好きで、軍隊勤務の途中でも趣味で作曲したり、ときには演奏を披露することもあったという。そんなルーセル、アジアからの長い航海から戻り、故郷に近いルーベの街に落ち着いたとき、その地で作曲のレッスンを受ける。そしてそこでルーセルは類まれな音楽的才能を見せることになる。
 ・・・で、いきなり軍を辞めてしまうのである!
 当時のルーセルは、どこかからだが悪かったと言う説もある。またあまりにも優秀だったので音楽院の院長が「絶対に音楽家になるべき!」と強く薦めたと言う説もある。またこの時期、フランスの軍部には信頼を失墜する事件が相次ぎ、そうした中でルーセルが軍に対して大きな失望感を抱いていた可能性もある。
 いずれにせよ、ここでついにルーセルはプロの音楽家を目指し、パリに向かうことになる。
 ルーセル、25歳。人生をやり直すのにまだ遅くはない。
 そしてそれから4年後、ようやく念願のパリ・スコラ・カントルムに入学。それから長い学業を積み、卒業したときはもう39歳になっていた。
 学業のかたわらおそるおそる作曲も並行していたが、最初の成功作といえる「蜘蛛の饗宴」が生まれたのは、卒業して5年後。ルーセルが40代の中盤の頃である。
 もうすぐ第1次世界大戦が始まろうとしていた。
 しかし大戦が本当に始まるや、ルーセルは敢然と軍隊に復帰。1918年まで今度は陸軍でフランスのために戦う。
 第1次世界大戦は勝利。音楽界に復帰したルーセルはその後安定した作曲活動を行い、優れた交響曲や舞台作品、室内楽曲などを多く生み出し、フランス音楽の大家としてその生涯を終える。

晩年のルーセル


 これが大作曲家ルーセルの生涯だが、・・・ふと思うことがある。
 ルーセルの一生には、ほかの作曲家がほとんど絡まない。
 この時代のフランスの作曲家、ちょっと年上のフランク、サン=サーンス、フォーレ、同時代のドビュッシー、サティ、ラヴェル、次の世代のフランス6人組たちは、その人生で、いやというほど他の作曲家が登場し、くんずほぐれつのエピソードを展開する。
 しかしルーセルの人生に彼らはほとんど登場しない。

フランク
サン=サーンス
フォーレ
ダンディ
ショーソン
 
 
ドビュッシー
サティ
ルーセル
ラヴェル
 
オネゲル
ミヨー
プーランク
 1822-1890
  1835-1880
   1845-1924
    1851-1931
    1855-1899
      (1870 普仏戦争に負ける)
      (1871 国民音楽協会設立)
     1862-1918
      1866-1925
      1869-1937
      1875-1937
         (1914 第1次世界大戦)
        1892-1955
        1892-1974
         1899-1963

 パリ・スコラ・カントルムで教えてくれたのがダンディだったとか、逆に教えたのが年上のサティだったとかいう話はあるが、だからどうかなるということもない。
 人はときどきルーセルの音楽にドビュッシーを聴いたり、ストラヴィンスキーを聴いたり、ヤナーチェクを聴いたりするするかもしれない。が、直接彼らがエピソードに登場することもない。チェコのヤナーチェクにいたっては、それはヤナーチェクがルーセルに影響されたのである。
 つまりルーセル、当時のヨーロッパに巣食う最先端の音楽界にまったく興味がなかったのである。ほかの作曲家の動きにも興味がなかった。
 おそらく国民音楽協会にも、印象派や象徴派という動きにも、反ドビュッシーイズムにも。
 彼がさまざまなスタイルの音楽語法を用いるとき、それは主義主張のためではなく、あくまで音楽表現の拡張のためであったに過ぎない。
 だからパリに出て来た田舎出身の元将校のルーセル青年にとって、当時楽壇で行われていた様々な音楽的事件は、きっと奇異なものに映ったに違いない。
 確かに彼は時代遅れ的に保守的な音楽を書いた。しかし彼は積極的に音楽の歴史を変えることになど全く関心がなかっただけなのである。今自分が手にしている、ここにある音楽手法で十分なのに、一体何をまだ欲しがっているのか?何を守ろうとして、何と戦っているのか?と。
 戦うべきは外の国に現実に存在するのに、いったい自分の国の中で音楽のために争う必要があるのか。
 ルーセルはそれを声高に主張したりしなかった。だから、ただの時代遅れの地味な作曲家扱いになってしまったのだ。

 だからルーセルを聴くときは、同時代のほかの作曲家のことはあえて忘れて、どの派閥にも属さない、孤高の、そのときフランスにいたひとりの優れた作曲家として聴くとよいと思う。
 そう思って聴けば、こんなにも本格派で、しかも洗練された凄みを持った素敵な作曲家が、複雑怪奇な音楽史の間に埋もれていたことを改めて発見するだろう。




 ルーセルは幼いときに両親をなくし、祖父、叔父の間を転々とした。
 そんな心のよりどころを失くした少年が、軍隊という大きなものに身を寄せるというのも理解できる。
 ルーセルが生まれたのは北フランスのトゥールコワン。ドイツと紛争の火種になっていたロレーヌ地方からも近く、幼いルーセルが子供ながらに両親からいろいろな話を聞き、自国の危機を感じ取っていた可能性は高い。国を守るという強い意志は、きっと幼い頃から彼の心の中で芽生えていたのではないか。だからルーセルにとってを守るということは、人生の中で非常に重要な位置を占めていたに違いない。

 またルーセルの両親は事業を営んでいたということから、そこそこ裕福だったと思われる。だから両親が幼いルーセルに音楽を教えたり一緒に楽しんだことは十分考えられる。
 もしそうだったとしたら、ルーセルにとって音楽というのは両親との数少ない絆だっただろう。

 そして。ルーセルは生涯海を愛したことで知られる。元々海軍に入ったのも、海を愛していたからと言われるほどである。
 彼の生地トゥールコワンは海まで数十キロ。幼いルーセルが両親と共に海に行ったことはなかったか?きっとあったはずである。だから海を愛するようになった。そして大きくなってからルーセルは海を見て、亡き父と母のことを思い出していたのではないか。
 だから彼は第一次大戦が終わり自国を守る必要がなくなったとき、ヴァランジュヴィルという海辺の町に住んだ。地中海を臨む温暖なリゾート地・・・ではない。故郷の海に近いような、荒々しいノルマンディーの海。
 彼が真の大家として名を成すのは、そこに移り住んでからである。ちなみに「海」に関係する作品は1曲も書かなかったというのがまたルーセルらしい。


 軍人であったということもあり規律正しく勤勉なルーセルに、人が喜ぶような醜聞やエピソードはあまりない。ルーセルという人間のキャラクターをしのばせる話というのもあまりない。そんなだからルーセルは英雄然とした、人間味のない作曲家・・・かというととんでもない。
 国、音楽、海、というルーセルの人生を象徴する3つのキーワードを思うとき、彼が幼い時に亡くした両親への追憶というものに思い当たる。彼は人生を通してずっと、幼い頃に失くした愛を追い求めた人だったのである。



モネ:「ヴァランジュヴィルの漁師小屋」


 それではそんなルーセルの作品を見てみましょう。
 実はルーセルの作品はそれほど多くありません。ルーセルは作曲に対してかなり慎重で、綿密に練り上げて完成度の高いものを送り出すという姿勢を貫いていたようです。
 その分技巧的に難しかったり、構成も緻密なうえに、音楽的にややとっつきにくいものも多く、聴いて楽しい!という作品が少ないこともルーセルを一般的にしない理由かもしれません。
 上でもお話しましたが、ルーセルは印象派ではなく、かといってダンディやサン・サーンスと同じタイプかというとそうでもなく、ちょっと分類不明なところがあります。そのため「印象派」を期待して聴いた人はそうでないことを知ってがっかりし、近代フランスのダンディなどの豪壮なイメージを期待した人は、逆にあまりに洗練された雰囲気にがっかりする。思いっきりポピュラーなところもあれば、きわめて深刻な作品もあり、同時代のフランスの作曲家の誰かをイメージして取り込もうとすると失敗します。
 なので、ルーセルはほかの誰でもなくルーセルとして聴く、という姿勢が一番良いような気がします。
 
 さてそんなルーセルの作品を見るには、
  1910年代までの創作初期時代
  第1次世界大戦をはさんだ1910年代中盤から1920年代初頭まで
  その後安定した音楽家生活を送り、アメリカで交響曲第3番を披露するなどする1930年まで
  大病のあとの晩年
 の4つに区分するとわかりやすいかもしれません。

1910年代初頭まで 交響曲第1番「森の詩」 1906 「蜘蛛の饗宴」 1912
1920年代初頭まで 交響曲第2番 1921 歌劇「パドマーヴァディ」 1918
1930年まで 交響曲第3番 1930 ヘ調の組曲 1926
ピアノ協奏曲 1927
小組曲 1929
「バッカスとアリアーヌ」 1930
セレナード 1925
最晩年(〜1937年) 交響曲第4番 1934 シンフォニエッタ 1934 弦楽四重奏曲 1932
弦楽三重奏曲 1937



 まずルーセルの作品の中で圧倒的な地位を持つのが交響曲。彼の作品の中では比較的ポピュラーな内容で、交響曲好きの日本人がもっと飛びついても良いと思う作品群です。
 フランスのオケが日本の公演などでよくルーセルの作品を披露するのは、ルーセルの交響曲ならオケとして恥ずかしくない品格を見せ付けられるからでしょう。
 ルーセルの交響曲は4曲。

 第1番は1904-1906年に作られた39歳のときの作品。まだ勉強中の身とはいえすでに教授活動も行っており(サティを教えていた頃)、しかも社会人としても立派な品格を見に付けていたルーセルが満を持して発表した交響曲。悪かろうはずがない。「印象派」と規定されてしまうのはどうかと思うが、そうしたくなるのもわかるような牧歌的で繊細な作品。事実「森の詩」というロマンティックなタイトルが付けられていて、各楽章には「冬の森」、「春」、「夏の夕べ」、そして「牧神と森の精」などという、誰かを連想させるタイトルまでついている。でも確かにその幻想的で美しい作品はドビュッシーなどを髣髴とさせる瞬間もある。「若書き」と言われる一方で、店主のように4曲の中でこの曲が一番好き、という人もいたりする初期の傑作である。

 そして第2番。40分を超える、ルーセルの交響曲の中では最大の規模を持つ三楽章形式の交響曲。当初、第1楽章を「青年期の熱狂」、第2楽章を「壮年期の喜びと感傷」、第3楽章を「悲惨、反抗、彼岸」と呼んでいたがその後撤回した。そのままにして「人生」とかいうタイトルを付けたら・・・どうだっただろう。非常に味わい深い通好みの作品である。

 第3番はルーセルの最も人気が有る作品で代表作と言っていいと思う。ボストン交響楽団の設立50周年を記念して委嘱された。そのせいもあって華麗で元気強い曲想を持つ。熱狂的で躍動感あふれるクライマックスはまさに大興奮状態。往年の大指揮者も好んで取り上げ、熱血演奏もいくつか残っている。

 ルーセルは第3番の成功のあと重症の肺炎にかかり生死の境をさまよい、世間では「ルーセルはもう死んだ」とまで思われていた。晩年ヴァランジュヴィルで静養していたのはそうしたこともあったからなのだが、そうした妙なうわさを吹き飛ばすべく、復活したルーセルが放ったのがこの第4番。この作品でルーセルは自分が到達した「彼岸」の境地とも言うべき透徹した抒情を見せた。純粋無垢で透明感あふれる音楽の向こうに、果てしなく深い海が広がるかのような。エネルギッシュでロマンティックなのに、そこに地上ではなく天国を垣間見させる。作曲家ルーセルが到達したひとつの頂点とも言うべき最晩年の傑作である。


 

 続いてルーセルの作品でポピュラーなのは「蜘蛛の饗宴」と「バッカスとアリアーヌ」という管弦楽作品。

 「蜘蛛の饗宴」は昆虫の世界を描いた珍しいバレエ作品として知られるが、その後ルーセルは「交響的断章」とも呼ばれる組曲「蜘蛛の饗宴」に編曲した。今はこちらのほうが取り上げられる機会は多い。なのでコンサートやCDで「蜘蛛の饗宴」と表記されている場合、どっちかを確認しておいたほうがいい(バレエだと30分強、「組曲」だと大体15,6分。)。
 「蜘蛛の饗宴」は交響曲第1番よりもうちょっとあとの1912年に作られた。ルーセルの数少ない青年時代の傑作で、どういうわけか「印象派的な作品」と呼ばれることが多いが、そんなことはまったくない。明快で痛快な、若き(といっても40代だが)ルーセルのエネルギーが満ち溢れた美しく楽しい作品。

 もうひとつの「バッカスとアリアーヌ」は1930年、あの交響曲第3番の大成功の後に書き上げたバレエ音楽。孤島に置き去りにされたアリアドネ(アリアーヌ)がバッコス(バッカス)と結ばれるというギリシャ神話を題材としている。バレエの上演はあまり大成功ではなかったようで、これもルーセルは後に組曲第1番、第2番に編曲。今はこの組曲のほうがオーケストラ・レパートリーとして残っている。ひょっとしたら第2番あたりは交響曲よりも人気が高いかもしれない。交響曲第3番にも直結する、華麗で派手で、ルーセルが最も元気いっぱい活躍していた頃の作品。無条件でかっこよいが、適度に節度を保った品格高い作品。確かにルーセルを初めて聴く人に薦めるとしたら、この曲かもしれない。


 さあ、その後になると、これからはけっこうマニアックになってくるので、上記6曲を聴いて「ルーセル好きだなあ」と思ったら、さらに奥まで入っていくことにしましょうか。
 管弦楽作品の「ヘ調の組曲」 、「小組曲」 、「シンフォニエッタ」、そして「ピアノ協奏曲」などは聴いてみてもいいかもしれません。




 ということでいよいよルーセルの音楽を実際に聴いてみましょう。
 ルーセルは20世紀中盤にフランスの指揮者を中心に結構取り上げられ、カラヤンもレパートリーに組み入れた時期があったり、バーンスタイン、ブーレーズが録音したものもありましたが、今は気軽に手に入る状況ではありません。フランスの大指揮者たちの堂々たる録音も、廃盤になったり、小曲が一曲ポツンと入っているだけだったりして、「これをどうぞ!」とお奨めできるアルバムがなかったので、今回のEMI音源を中心としたボックスの登場はレコード史に残る偉業かと。



WARNER
9029548916
(11CD)
\4800→\4390

生誕150年記念
 アルベール・ルーセル・エディション


CD1
 1-4. 組曲嬰ヘ短調(ピアノのための) Op.14, L.15*
 5-6. ソナチネ(ピアノのための) Op.16, L.18*
 7. ミューズたちのもてなし L.27*
 8. 前奏曲とフーガ Op.46, L.58*
 9-11. 3つの小品(ピアノのための) Op.49, L.62*
 12. セゴビア(ギターのための) Op.29, L.34
 13. 即興曲(ハープのための) Op.21, L.23
 14-17. フルートを吹く人たち(フルートとハープのための) Op.27, L.32
  ジャン・ドワイアン(ピアノ:1-11)、トゥリビオ・サントス(ギター:12)
  リリー・ラスキーヌ(ハープ:13)、ジョナサン・スノーデン(フルート:14-17)
  アンドルー・リットン(ピアノ:14-17)

CD2
 1-3. ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 Op.28, L.33*
 4-6. セレナード(フルート、ハープ、弦楽三重奏のための)Op.30, L.36
 7-9. フルート、ヴィオラ、チェロのための三重奏曲 Op.40, L.51
 10-12. 弦楽三重奏曲 Op.58, L.73
 13-16. 弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.45, L.57
  ピエール・ドゥーカン(ヴァイオリン:1-3)、テレーズ・コシェ(ピアノ:1-3)
  パトリック・ガロワ(フルート:4-9)、フレデリック・カンブルラン(ハープ:4-6)
  パリ弦楽三重奏団(4-12)、ヴィア・ノヴァ四重奏団(13-16)

CD3
 1-3. ピアノ協奏曲ト長調 Op.36, L.44
 4-6. チェロと管弦楽のためのコンチェルティーノ Op.57, L.72
 7. 交響的前奏曲『復活』 Op.4, L.4
 8-11. 交響曲第1番ニ短調『森の詩』 Op.7, L.8
  ダニエル・ラヴァル(ピアノ:1-3)、アルベール・テタール(チェロ:4-6)
  ジャン=ピエール・ジャキャ指揮、パリ管弦楽団(1-6)
  ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・キャピトール管弦楽団(7)
  シャルル・デュトワ指揮、フランス国立管弦楽団(8-11)

CD4
 1-3. 喚起(独唱、合唱、管弦楽のための) Op.15, L.16
 4-16. バレエ音楽『蜘蛛の饗宴』 Op.17, L.19
  ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト:3)、ニコライ・ゲッダ(テノール:3)
  ジョゼ・ヴァン・ダム(バリトン:3)、オルフェオン・ドノスティアラ(合唱:1-3)
  ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・キャピトール管弦楽団(1-3)
  ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団(4-16)

CD5
 1-3. 交響曲第2番変ロ長調 Op.23, L.26
 4. 交響詩『春の祭りに寄せて』 Op.22, L.25
 5. 異教徒の儀式のためのファンファーレ(ブラス・アンサンブルのための) L.28
 6-8. 組曲ヘ長調(管弦楽のための) Op.33, L.39
 9-11. 小管弦楽のためのコンセール Op.34, L.41*
  ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団(1-3)
  ジャン=ピエール・ジャキャ指揮、パリ管弦楽団(4)
  ジャン=フランソワ・パイヤール指揮、パリ金管合奏団(5)
  シャルル・ミュンシュ指揮、ラムルー管弦楽団(6-8)
  ピエール・デルヴォー指揮、コンセール・コロンヌ(9-11)

CD6
 1. フランク族の軍歌(男声合唱、金管楽器、打楽器のための) L.40
 2. ミューズへのマドリガル(女声三部合唱のための) Op.25, L.30
 3-6. 詩篇第80番(テノール、合唱、管弦楽のための) Op.37, L.46
 7-9. 小組曲(管弦楽のための) Op.39, L.50
 10-13. 交響曲第3番ト短調 Op.42, L.53
  エリザベート・ブラッスール合唱団(1)
  ジョルジュ・ツィピーヌ指揮、パリ音楽院管弦楽団(1)
  ジャン=ポール・クレダー指揮、ジャン=ポール・クレダー声楽アンサンブル(2)
  ジョン・ミッチンソン(テノール:3-6)、ステファヌ・カイヤー合唱団(3-6)
  セルジュ・ボド指揮、パリ管弦楽団(3-6)
  ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団(7-9)
  シャルル・ミュンシュ指揮、ラムルー管弦楽団(10-13)

CD7
 1-15. バレエ音楽『バッカスとアリアーヌ』 Op.43, L.54
 16. 栄光の日(吹奏楽のための) Op.48, L.61
 17-19. シンフォニエッタ(弦楽オーケストラのための) Op.52, L.66
 20-23. 交響曲第4番イ長調 Op.53, L.67
  ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団(1-15)
  デジレ・ドンディーヌ指揮、パリ警視庁音楽隊(16)
  アンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団(17-19)
  シャルル・ミュンシュ指揮、ラムルー管弦楽団(20-23)

CD8
 1-13. バレエ音楽『アエネアス』 Op.54, L.68
 14. 夢 L.82
 15-18. 4つの詩 Op.3, L.3
 19-22. 4つの詩 Op.8, L.9
 23. 炎 Op.10, L.11
  ジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団&合唱団(1-13)
  コレット・アリオ=リュガ(ソプラノ:14,19-23)、クルト・オルマン(バリトン:15-18)
  マディ・メスプレ(ソプラノ:19-22)、ジョゼ・ヴァン・ダム(バリトン:19-22)
  ダルトン・ボールドウィン(14-23)

CD9
 1. 凶兆 Op.9, L.10
 2-3. 2つの中国の詩 Op.12, L.13
 4-5. 2つの歌 Op.19, L.21
 6-7. 2つの歌 Op.20, L.22
 8-9. ロンサールによる2つの詩 Op.26, L.31
 10-15. アナクレオンの頌歌 Op.31&32, L.37&38
 16-17. 2つの中国の詩 Op.35, L.43
 18. ヴォカリーズ第1番 L.45
 19. おお良き葡萄酒(ワイン)よ、おまえは活き活きしているか? L.47
 20. ヴォカリーズ第2番 L.48
 21. 夜のジャズ Op.38 L.49
 22. わが娘に与えた花 L.55
 23-24. 2つの牧歌 Op.44, L.56
 25-26. 2つの中国の詩 Op.47, L.60
 27-28. 2つの歌 Op.50, L.63
 29-30. 2つの歌 Op.55, L.69
  コレット・アリオ=リュガ(ソプラノ)、クルト・オルマン(バリトン)
  マディ・メスプレ(ソプラノ)、ジョゼ・ヴァン・ダム(バリトン)
  ダルトン・ボールドウィン(1-7,10-30)、パトリック・ガロワ(フルート:8-9)

CD10
 1-11. オペラ・バレエ『パドマーヴァティ』 Op.18, L.20(第1幕、第2幕第1場&第2場)

CD11
 1-4. オペラ・バレエ『パドマーヴァティ』 Op.18, L.20(第2幕第3場)
  マリリン・ホーン(コントラルト)、ニコライ・ゲッダ(テノール)
  ジョセ・ヴァン・ダム(バリトン)、ジャーヌ・ベルビエ(メゾ・ソプラノ)
  シャルル・バーレ(テノール)、マルク・ヴェント(バリトン)
  ローレンス・デイル(テノール)、オルフェオン・ドノスティアラ(合唱)
  ミシェル・プラッソン指揮、トゥールーズ・キャピトール管弦楽団
 5-11. バレエ音楽『蜘蛛の饗宴』(交響的断章) Op.17, L.19
 12. アルベール・ルーセル自声によるコメント
 13. 付随音楽『竪琴の誕生』 Op.24, L.29(抜粋)
 14. 雨にぬれた庭 Op.3-3, L.3
 15. 祈り Op.8-2, L.9
 16. 中をさかれた恋人たち Op.12-2, L.13
 17. 光 Op.19-1, L.21
 18. サラバンド Op.20-2, L.22
 19. 夜のジャズ Op.38, L.49
  アルベール・ルーセル指揮、管弦楽団(5-11:1929年録音)
  アルベール・ルーセル(語り:12:1929年録音))
  ピエロ・コッポラ指揮、管弦楽団(13:1930年録音)
  クレール・クロワザ(ソプラノ:14-19:1928-29年録音)
  アルベール・ルーセル(ピアノ:14-18:1928-29年録音)
  ジョージ・リーヴス(ピアノ:19:1929年録音)

   *初CD化

 ルーセル生誕150年記念エディション。
 印象主義から新古典主義への時代に作曲に取り組んだアルベール・ルーセル。北フランス、フランドル地方のトゥールコアンに生まれ、7歳で孤児となり、祖父に引き取られた後、さらに11歳でその祖父を亡くすなど不幸な幼少期を経験。しかし早くから音楽的才能を発揮し、教会オルガニストに師事して最初の音楽教育を受けました。海に憧れて海軍兵学校へ進学、軍属として世界各地を航海しましたが、健康を害してこれを退いています。1894年、25歳で本格的に音楽を学ぶことを決意し、パリでウジェーヌ・ジグーにピアノ、オルガン、和声法、対位法を学び、1898年にはヴァンサン・ダンディによって設立されたスコラ・カントールムに進みダンディに師事。4年後には同校で教鞭を執るまでになりました。その教え子としてジャン・マルティノンがいました。ルーセルは作曲家としてすぐに成功をおさめ、1909年のインド旅行で新たなる音楽を認識し『パドマーヴァティ』や『喚起』の作曲に影響を与えました。

 ルーセルの作品は、曲によって和声法などに印象主義の影響もうかがえますが、循環形式を好んで用いるなどフランクやダンディの影響が濃く、より形式的で保守的な作風を得意とし、ラヴェルとともにドビュッシー亡き後のフランス楽壇をリードしました。
 
 ここに収録された作品は、主なルーセルの代表作のほとんどが収録されたもので、ジャン・マルティノン、シャルル・ミュンシュ、アンドレ・クリュイタンス、ミシェル・プラッソンといったフランスの名指揮者、名器楽奏者たちによるモダニズムの探求心が込められた名演ばかり。ディスク11には、ルーセルの自作自演によるヒストリカル録音も収録されています。また初CD化の作品、及びアナログ録音の音源は、パリの「Art & Son Studio」にてオリジナル・マスターより24bit/96kHzにてリマスターが施されております。
 
 ボックス表紙の写真は、アルベール・ルーセル国際センター所蔵の、『蜘蛛の饗宴』を作曲するために蜘蛛を研究するルーセル本人の貴重な写真が使用されております。
 





ルーセル:歌曲
 番号を見てお分かりのとおり、ルーセルはその人生にわたって満遍なく歌曲を残している。これはルーセルの作品番号付き歌曲を網羅した作品集。上記室内楽ボックス同様、きわめて貴重なアルバムである。
 初期の頃の罪のない幸せな小品から始まり、「夜のジャズ」というルーセルにしてはちょっとがんばってみた作品や(やはり交響曲第3番あたりの作品)、最晩年のかなり晦渋な作品、そして異様な軽快さを持った最後の作品50まで、まるでルーセルの人生を回顧しているかのようなアルバム。
 ラストは1900年代の作品「凶兆(脅迫)Op.9」というオーケストラ伴奏作品。個人的には「ヴォカリーズ」という不可思議な曲に惹かれた。




ルーセル:歌劇「パドマーヴァティ」
 ルーセルの残した、現在上演が期待できる唯一の歌劇「パドマーヴァティ」(もう1作「カロリーヌおばさんの遺言状」というオペラ・ブッファが残されている)。13世紀インドの伝説を基にした、王妃パドマーヴァティの話。
 とはいえ大人数のキャストと高度なバレエが必要なため、公演のチャンスは滅多にない。そういう中でこのキャスト。今後これ以上の上演はありえないのではないだろうか。
 
 作曲は1914年から1918年。初演は実に1923年。間に第1次世界大戦が入ったのが遅れた理由だが、結果的にそれが作品に深みと厚みを増したのは間違いない。ルーセルは海軍時代にアジアに赴いていたし、1908年の新婚旅行ではインドに行ってパドマーヴァティにまつわる場所を訪れたりしていた。ルーセルにしてみれば一世一代のオペラ製作だったのだろう。状況によったらプッチーニの「トゥーランドット」のような人気を勝ち得ていたかもしれない。
 1983年録音。







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