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<グッディーズ・オリジナル>
ダイレクト・トランスファー CD−R
その1
1CD-R\1543
旧譜からのDSDリマスター盤&旧譜

 グッディーズ・オリジナル・ダイレクト・トランスファーCD−R。予想通りのすごい反響。その生々しさはやはりただものではなかった。
 グッディーズは東京にあるクラシック専門のCDショップなのだが、ここが自社製作しているSPレコードの復刻CD-Rの評判がすこぶる良い。東京在住のお客様からときどき「グッディ−ズのCD-R扱わないんですか?いいですよ。」と言われるてきた。
 ということで「グッディーズ・オリジナル ダイレクト・トランスファー CD−Rシリーズ。」
 ご覧のように誰もが知る名盤中の名盤から、知る人ぞ知るレアな演奏家の貴重録音まで、実に多彩。お手持ちの復刻版との比較を楽しんでもよし、ようやくの再会にむねをときめかしてもよし。
 なお編集を一切行っていないため、盤が変わる間には空白が入る。これこそがSPの醍醐味か。


 これ以降のアルバムはこちらをどうぞ。その2 その3 その4

グッディーズより

●SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R
 SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。
 収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。

■ご注意
 編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。
 トラック間の空白部分は統一されていません。
 リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。
 一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。



<2010.7.30紹介アルバム>

1142-46は、DSD録音による再発は行なわず、従来商品でシリーズを継続いたします。そのため78CDR-3142〜3146は欠番となります。

78CDR-3140 ヴィヴァルディ=ダンドロー編:
 ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-9 「調和の幻想」より
フォーレ:子守歌作品16
 仏 PATHE PAT154/5
 (1939年9月5日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まのフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にはピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人になった。ソリアノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの指揮者、録音当時パリ音楽院の指揮科の教授だった。ソリアノの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(指揮:ジュール・ブーシュリ)(78CDR-3031)、ヴァイオリン協奏曲第7番 K.271a(78CDR-3108)、とモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3027)、ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(ピアノ:エーヌ・ピニャリ)(78CDR-3047)、フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3135)、アーン:ヴァイオリン・ソナタ ハ長調&ロマンス イ長調(78CDR-3244)が出ている。
78CDR-3141 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 (カデンツァ:ヨアヒム)
 英 DECCA AK2055/59
 (1948年9月13-15日アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール録音)
オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。11歳で演奏旅行をするほどの技量を持っていた。13歳の時にウィーンで正式デビュー。1937年にアメリカに渡り大戦前夜を過ごした。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのはカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの12の奇想曲だった。このデッカ録音は1948年9月のアムステルダムで行われた。録音時レナルディは28歳だった。レナルディは1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの名指揮者。1949年から1962年までボストン交響楽団の首席指揮者をつとめた。ffrr録音。
78CDR-3147 サラサーテ:アンダルシアのロマンス作品22-1
ザルジツキ:マズルカ ト長調作品26
 伊 ODEON N6667
 (1929年6月10-11日ロンドン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)
この「アンダルシアのロマンス」は電気録音初期のものながらフーベルマンの小品レコードの代表盤だった。ヴァイオリンを自在に操り聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏である。ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)ポーランド出身のヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。3年後の1895年13歳の時に名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。このシリーズにはラロ:スペイン交響曲(78CDR-3040)、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3077)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3021)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3128)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3328)、ベートーヴェン:クイロイツェル・ソナタ(78CDR-3006)が出ている。
78CDR-3148 クライスラー:グラーヴェ ハ長調(W.F.バッハのスタイルによる)
スーク:ウン・ポコ・トリステ/「4 つの小品」作品17より第3曲
 独 ELECTROLA DB4577
 (1938年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
ジネット・ヌヴー19歳の初録音盤。ジネット・ヌヴー(1919-1949)はジョルジュ・エネスコ(1881-1955)にヴァイオリンの手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り、8カ月後に一等賞を得た。この8カ月という短期間はヌヴー受賞の50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーは1949年アメリカに向かう航空機事故で30歳の生涯を閉じた。このシリーズでシベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3017)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003)、スーク:4つの小品(78CDR-3063)、R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3076)が出ている。
78CDR-3149 ラヴェル:ハバネラ形式の小品
フォーレ:ドリー第1番「子守歌」作品56
 仏 DISQUE GRAMOPHONE DA4999
 (1944年5月28日パリ、プルーズ・スタジオ録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
タッソ・ヤノプーロ(ピアノ)
ティボーの小品SP盤の中で最も入手が難しい稀少盤。第2次世界大戦下のパリでの録音。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされて楽員に採用された。そのとき、ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日のとき、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。このシリーズでティボーの演奏が多く出ている。
78CDR-3150 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
 英 DECCA K1842
 (1947年6月14日ロンドン、ウェスト・ハムステッド、デッカ・スタジオ録音)
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)
現在も第一線で活躍するイダ・ヘンデルの21歳の録音。彼女は15歳で同じ「ツィゴイネルワイゼン」(英DECCA K940、ピアノ= アデーラ・コフスカ1940年8月9日録音)を弾いてレコードデビューした。イダ・ヘンデル(1924.12.15-)はポーランド生まれ。1935年ワルシャワ音楽院で金メダルとフーベルマン賞を得た。同年開かれたヴィエニャフスキ国際コンクールでジネット・ヌヴー(16歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)に次いで第3位に入賞、その時10歳だった。その後カール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。ヘンデル一家は1939年祖国ポーランドを離れロンドンに移住し、1940年に市民権を得た。その年英デッカと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにも関わらず50枚近い録音を行いデッカ社の看板アーティストになった。その後EMIに移籍し、一時レコード録音から遠ざかった時期があったが、ステレオ時代にEMIに復帰した。現在も積極的に演奏活動をしている。
78CDR-3151 ベートーヴェン:ロマンス ヘ長調作品50
 英 HIS MASTER'S VOICE DB6727
 (1948年5月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アルベルト・エレーデ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
歌心にあふれたヴァイオリンの女神、デ・ヴィトー最高の名演。ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアのヴァイオリニスト。マルティナ・フランカに生まれ、ペザロ音楽院でレミー・プリンチーペ(1889-1977)に師事、1923年16歳でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いてローマにデビューした。1932年ウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞を得た。1934年から1945年にローマ音楽院教授、1945年から1958年サンタ・チェチーリア音楽アカデミー教授を務めた。1945年第1回エディンバラ音楽祭に招かれ、これが縁でEMIの専属となり、SPレコード末期からLPレコード、初期のステレオLPに名演を残した。1962年に引退し1994年にローマで死去。享年87歳。このシリーズではJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3019)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3052)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3113)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3174)、ヴィターリ=レスピーギ編:シャコンヌ(78CDR-3241)が出ている。
78CDR-3152 フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番ト短調作品45
 仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5103/5
 (1940年5月10日パリ、アルベール・スタジオ録音)
マルグリット・ロン(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
モーリス・ヴィユー(ヴィオラ)
ピエール・フルニエ(チェロ)
20世紀のフランスの巨匠4人が一堂に会した夢の顔合わせである。ピアノのマルグリット・ロン(1874-1966)、ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、ヴィオラのモーリス・ヴィユー(1884-1966)、チェロのピエール・フルニエ(1906-1986)はいずれもパリ音楽院出身で、全員一等賞を得た抜きんでた音楽家。この録音が行われた1940年5月10日はドイツ軍がベルギー、オランダ、ルクセンブルグのベネルックス3国に侵攻し無差別攻撃をした日だった。このニュースは録音中の演奏家達に知らされた。ティボーの長男ロジェがベルギー方面に従軍していることを全員知っていたので、悲痛な気分で演奏に没頭したという。そして録音の翌々日の5月13日にロジェが戦死した報せがティボーのもとにとどいた。この演奏は完璧な完成度を持った希有の名演奏である。
78CDR-3153 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K466
 独 GRAMMOPHON 69274/7
 (1941年ドレスデン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ドイツの名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)の壮年期の演奏で第2次世界大戦中の録音である。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍しレコード録音も多かった。だがファン・ケンペンは大戦中に祖国を離れ、敵国ドイツで活動したことをオランダ人は許さず、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世を去った。ケンプ=ケンペンのコンビによるSP録音はベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)がこのシリーズで発売されている。
78CDR-3154 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
*この盤は元録音の第4面において収録途中から回転数の変動がありますが、
修正は行わずそのまま収録しています。ご了承をお願いいたします。
 米 DECCA 25300/304(英PARLOPHON P.E.10856/8 と同一録音)
 (1928年-1930 年ベルリン録音)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
ミヒャエル・タウベ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年ベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れて一時スイスの居を構えたが、1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのルービンシュタインと "百万ドル・トリオ" を結成して活躍した。1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。指揮者のミヒャエル・タウベ(1890-1972)は、1924年にベルリン国立歌劇場に入りブルーノ・ワルター(1876-1962)のアシスタントを務め1935年にイスラエル・フィルの育成に尽力した。フォイアマンはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3045)、シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ(78CDR-3161)が出ている。

<2010.7.23紹介アルバム>

78CDR-3155 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 英 HIS MASTER'S VOICE DB6175/6
 (1944年9月25日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
マルセル・ガゼル(ピアノ)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演してデビューした。神童メニューインはパリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。メニューインは1928年12歳で初録音をしてレコード・デビューした。このヘンデルは第2次世界大戦下の録音。メニューインは28歳だった。師のエネスコも同じ曲を録音している(78CDR-3035)。
78CDR-3156 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ長調作品57「熱情」
 仏 LVSM DB11150/2
 (1947年4月17日パリ録音)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(ピアノ)(ピアノ: ガヴォー)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)はアメリカ生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されエリー=ミリアム・ドラボルド(1839-1923)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。一等賞を得た後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)に、ウィーンでテオードール・レシェツキ(1830-1915)についてさらに技量を磨いた。祖国アメリカージに戻りフィラデルフィアの音楽学校で教え、その後ブエノスアイレスの音楽学校の教授をつとめる傍ら演奏旅行を重ねた。1954年にはパリ音楽院の教授に任命された。ファン・バレンツェンはSPレコードの末期とLPの初期にフランスEMIに録音を残している。
78CDR-3157 ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97「大公」
 伊 DISCO GRAMMOFONO DB1227/7
 (1928年11月18日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
イタリアHMV盤による新復刻。既発売の78CDR-3009はイギリスHMV盤によった。同一録音イギリスHMV盤に較べてノイズが小さく聴きやすい。この「大公」トリオはまさに人類の遺産と言えるかけがえのない名演奏。1905年に結成されたアルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)のピアノ・トリオは電気録音の初期の1926年から1928年に数曲のレコード録音を残した。このシリーズでシューベルトのピアノ三重奏曲第1番作品99とハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長調(78CDR-3199)が出ている。
78CDR-3158 チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64
 英 DECCA AK1032/6
 (1944年6月8日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
シドニー・ビーア指揮
ナショナル交響楽団
デニス・ブレイン(第2楽章のソロ・ホルン)
イギリス・デッカ社の録音技術者アーサー・ハディ(1906-1989)は第2次世界大戦中の1943年に、デッカ社がイギリス政府から委嘱をうけた軍事研究の実験成果を基に、当時SPレコードの50Hz-7.5kHzだった録音帯域を、一挙に15kHzまで伸長させることに成功した。ハディの新方式の最初の録音となったのがこのチャイコフスキーの第5番だった。指揮者はナショナル交響楽団の創立者シドニー・ビーアで、1944年6月8日ロンドンのキングズウェイ・ホールで行われた。ホルンの名手デニス・ブレイン(1921-1957)が第2楽章のソロを受け持っている。バランス・エンジニアはハディ自身が担当、厚みのあるサウンドは後にハイ・フィデリティ録音の代名詞となったfull frequency range recording(ffrr)の最初の録音であることを十分に納得させられる。このSPレコードは1944年(昭和19年)12月新譜として発売された。大戦末期の厳しい状況下でありながら、それを感じさせない優れた演奏である。
78CDR-3159 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
 米 COLUMBIA 69155/7-D (英 COLUMBIA LX699/71と同一録音)
 (1937年12月8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
エゴン・ペトリ(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれの名ヴァイオリニスト。ヨーロッパで名声を確立した後、1940年アメリカに移住した。ピアノのエゴン・ペトリ(1881-1962)はドイツのハノーヴァー生まれ。最初はヴァイオリニストを志したが、大ピアニストのフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に出会い弟子入りし、きびしい指導を得てピアニストに転向した。第2次世界大戦勃発を契機にアメリカに移住した。SPレコード時代に録音も多かった。このブラームスは二人の巨匠のヨーロッパ時代の最後の録音。演奏に大戦前夜の緊張感が感じられる。
78CDR-3160 ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25
 独 ELECTROLA DB5532/6S
 (1940年ベルリン録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ヴィットリオ・ブレロ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ネル(ヴィオラ)
テオ・シュルガース(チェロ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。フィッシャーの偉業は1933年から1936年の4年をかけてバッハの平均律クラヴィーア曲集を録音、バッハのピアノ演奏の規範とした。このブラームスは第2次世界大戦中のベルリン録音でこのピアニストには珍しく感情の昂揚が聴かれる。弦楽奏者はブレロ=ネル四重奏団のメンバー。稀少SP盤の復刻。
78CDR-3161 シューベルト:アルペジョーネ・ソナタ イ短調 D.821
 米 COLUMBIA 69341/3-D (英 COLUMBIA LX717/9 と同一録音)
 (1937年6月29日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
アルペジョーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもった弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒ音楽院でユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年にベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れ一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。名伴奏者として名声が高かった。
78CDR-3162 サン=サーンス:七重奏曲変ホ長調作品65
 英 COLUMBIA 9672/3
 (1927年パリ録音)
フォヴォー(トランペッ)、
カントレル(第1ヴァイオリン)、
ベランジェ(第2ヴァイオリン))、
ヴィユー(ヴィオラ)、
マルネフ(チェロ)、
ナニー(コントラバス)、
フォール(ピアノ)
トランペットとピアノ、弦楽四重奏とコントラバスという風変わりな編成の曲はピアニストでオルガニストだったサン=サーンスが86歳の時芸術院が主催した老作曲家のためのパーティで演奏された。それがサン=サーンスの公開の席での最後の演奏だったという。それから6年後のこの録音にはサン=サーンスと一緒に演奏した音楽家が参加していると推測する。カントレル、ヴィユー、フォールはSP時代に活躍した名手。フランスのエスプリにあふれた洒落た気分を満喫できる。
78CDR-3164 ラヴェル:ボレロ
 英 DECCA K1637/8
 (1946年10月10日ロンドン、
 ウォサムストウ・アセンブリー・ホール録音)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。生家は音楽一家でアルバート・シュヴァイツァー(1875-1965)の甥にあたる。生地の音楽院でオルガンを学んだ後パリに出て、リュシアン・カペー(1873-1928)についてヴァイオリンヲ学び、後にベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1926年からライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリンもつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の指揮のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻って1935年にパリ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としてデビュー、1936年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者に迎えられ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。1938年から1945年までパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめた。1949年にニューヨーク・フィルとさらにボストン交響楽団と全米ツアーをし、クーセヴィツキー(1874-1951)を継いでボストン交響楽団の正指揮者になり1962年までつとめた。この録音は1946年パリ音楽院管弦楽団とのイギリス公演中の録音で英デッカ社への初録音。英デッカのffrr録音が本格的に胎動しはじめた頃の素晴らしい録音で、音楽院の名手たちのこぼれるばかりの妙技が聴ける。
78CDR-3165 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
英 DECCA AK1944/7
(1947年7月7日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
クララ・ハスキル(ピアノ)
カルロ・ゼッキ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ピアニストのクララ・ハスキル(1895-1960)はルーマニアのブカレスト生まれ。1901年6歳でブカレスト音楽院に入った。1902年ルーマニア女王エリザベスの奨学金を得て、ウィーンでリヒャルト・ロベルトの下でピアノ学んだ。同じころウィーンには神童ジョージ・セル(1897-1970)がいた。ハスキルはピアノと一緒にヴァイオリンも学んだ。1905年パリに赴きフォーレに出会った。1907年パリ音楽院に入り最初にコルトー(1877-1962)のクラスで学び、その後ラザール・レヴィ(1882-1964)に師事した。1909年ジャック・ティボーが主宰した"若い音楽家のためのコンクール" のヴァイオリン部門で一等賞を得た。一方音楽院のピアノ部門ではアリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)とユーラ・ギュレール(1895-1981)についで二等賞にとどまったが、1910年に一等賞を得た。1912年にブゾーニ(1886-1924)やパデレフスキ(1860-1941)に出会い影響を受けた。1934年に初レコード(仏ポリドール)録音をした。指揮者のカルロ・ゼッキ(1903-1984)はローマ生まれのイタリアの指揮者。最初はピアニストだったが後に指揮者に転向した。この録音はハスキルの英デッカへの初録音。同時期にシューマンの森の情景(78CDR-3192)も同レーベルに録音した。ffrr録音。
78CDR-3166 サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
 仏 DISQUE GRAMOPHONE L1000/2
 (1935年4月12日&6月25日パリ録音
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ピエロ・コッポラ指揮
パドルー管弦楽団
ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)は1914年にパリ音楽院ヴァイオリン科の一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者をつとめた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターになり、その後ソリストとして活躍した。指揮者のピエロ・コッポラ(1887-1977)はミラノ生まれ。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の協奏曲録音に多く登場した。この録音はメルケルの協奏曲デビューだったラロのスペイン交響曲に続くもの。メルケルはこのシリーズでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)、ラロのスペイン交響曲(78CDR-3107)、ベートーヴェンの七重奏曲(78CDR-3263)が出ている。

<2010.7.16紹介新譜>

78CDR-3167 フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15
仏 COLUMBIA LFX647/40
(1941年10月23日&1942年4月24日パリ録音)
シャイエ=リシェ四重奏団
セリニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)
マリー・テレーズ・イボ(ヴァイオリン)
マリー・テレーズ・シャイエ(ヴィオラ)
ジャクリーヌ・アイヨーム(チェロ)
ピアニストのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はフランスのリール生まれのピアニスト。14歳(1898年)でパリ音楽院の一等賞を得た。1908年にヴァイオリニストのマルセル・シャイエと結婚。マルセル・シャイエはパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1872-1962)教授や名奏者ジャック・ティボー(1880-1953)と盟友だったが、1936年に惜しくも世を去った。セレニー・シャイエ=リシェは1926年ヴァイオリンのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に出会い、1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲やJ.S.バッハのヴァイオリン・ソナタ全曲の演奏会を開いた。シャイエ=リシェはまた女性メンバーのピアノ五重奏団を組織して話題を呼んだ。この録音はそのメンバーによるもので第2次大戦下のパリで録音された。マルグリット・ロンとジャック・ティボーによるフォーレ:ピアノ四重奏曲第2番(78CDR-3152)と対をなす名録音である。
78CDR-3168 ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
 日本COLUMBIA J7992/5(仏 COLUMBIA D15085/8と同一録音)
(1928年6月10日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミュ・ドローベル(チェロ)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モラン(1822-1894)に師事し1893年に一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からのもの。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた、そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。SP盤10インチが7枚、12インチが44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。80年前の録音ながら、この稀有な四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。
78CDR-3169 グノー:ファウストのバレエ音楽
 ヌビア人の奴隷の踊り
 昔の踊り
 アダージョ
 クレオパトラの踊り
 トロイ人の娘の踊り
 鏡のヴァリエーション
 ヘレネの踊り(終曲)
 英 DECCA AK1339/40
(1945年9月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アナトール・フィストラーリ指揮
ナショナル交響楽団
アナトール・フィストラーリ(1907-1995)はロシアのキエフ生まれ。神童とうたわれ8歳の時チャイコフスキーの「悲愴」交響曲を指揮した。その後パリにデビュー、1931年にシャリアピンがグランド・ロシア・オペラの首席指揮者に任命した。1937年にはモンテカルロのロシア・バレエの指揮者になり、アメリカ公演も行った。第2次世界大戦中にロンドン・フィルの指揮者をつとめ、イギリスの市民権を得た。フィストラーリはバレエ音楽の権威者で、LP時代にチャイコフスキーの「白鳥の湖」「胡桃割り人形」の名録音をデッカに残した。このファウストのバレエ音楽は大戦直後のもの。フィストラーリはSP時代にもデッカに多くの録音をしていた。ffrr録音。
78CDR-3170 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
ベートーヴェン=バウアー編:ガヴォット ヘ長調
 米 VICTROLA 6591/2
(1926年6月14日&7月13日アメリカ, ニュージャージー州キャムデン録音)
ハロルド・バウアー(ピアノ)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイオリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデレフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会を創立した。この「月光」ソナタは電気録音の最初期のもので、バウアーの特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニストの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-3177)が出ている。
78CDR-3171 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9123/5
(1947年6月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。幼少より母親の手ほどきでピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー。ヴィオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのトリオ、ヴィオラのプリムローズを加えた四重奏で活動。さらに1945年にはカザルスが抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。EMIにベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を2回、ピアノ・ソナタ全曲を1回録音した。
78CDR-3172 シューベルト:幻想曲ハ長調作品159, D.934
レーガー:ヴァイオリン・ソナタ第5番嬰ヘ短調作品84より第2楽章
 米 RCA VICTOR 7562/4(英 HIS MASTER'S VOICE DB1521/3と同一録音)
(1931年5月6日ロンドン、小クイーンズ・ホール)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。2歳からヴァイオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンクに師事した。16歳の時に大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、若きユーディ・メニューインを指導したこともある。ナチの台頭でユダヤ系のピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にドイツを去り、アメリカに移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ相手に抜擢され、後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を創設、主宰した。このダイレクト・トランスファーにはノイズが少ないアメリカVICTOR盤を使用した。
78CDR-3173 ショーソン:協奏曲ニ長調作品21
フォーレ:子守歌作品16
 日本 VICTOR DB1649/53 (英 HIS MASTER'S VOICE DB1649/53 と同一録音)
(1931年7月1-2日パリ、プレイエル音楽堂録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
弦楽四重奏団(イスナール、ヴルフマン、ブランパン、アイゼンベルグ)(1-9)
ジャック・ティボー(1880-1953)のヴァイオリン、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のピアノと弦楽四重奏によるショーソンの協奏曲ニ長調。作曲者のショーソンはパリ音楽院でジュール・マスネ(1842-1912)に師事した。フランスのエスプリにあふれた作風を完成した人。ヴァイオリン曲の「詩曲」がよく知られているが、このティボーとコルトーによる協奏曲は、フランスの音楽家の至芸を聴くことができる名演。これまで良い復刻がなかったこのSPにダイレクト・トランスファーでチャレンジした。
78CDR-3174 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
 独 GRAMMOPHON 68308/12
(1941年4月ベルリン録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。この録音はデ・ヴィトーのレコードデビュー。1941年第2次世界大戦下のベルリンでポリドール・レーベルに行われた。この時デ・ヴィトーは34歳だった。初々しく、輝かしいヴァイオリンは戦後のEMIへの再録音とはかなり異なる。指揮者のパウル・ファン・ケンペン (1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にヴァイオリニストとして入団。1916年以降ドイツで活躍。1932年にオーバーハウゼンで指揮者としてデビュー。1934年から1942年の8年間ドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮者を務めた。戦後はオランダに戻ったが第2次大戦中ナチ政権下のドイツで活躍したことで1949年まで指揮活動が制限された。1949年からオランダのヒルファーサムの放送管弦楽団を指揮している。録音はSP期にはドレスデン・フィル、LPになってベルリン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団がある。1955年、62歳で他界した。なお第10面は原盤不良によるダビングで他の面に較べて音質が劣る。
78CDR-3175 ラロ:チェロ協奏曲ニ短調
 日 COLUMBIA J8133/5(仏 Columbia LFX282/4と同一録音)
(1932年6月5-6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
モーリス・マレシャル(チェロ)
フィリップ・ゴーベール指揮
管弦楽団
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院でチェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュカに学び、1911年一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-18)に従軍、戦後の1919年にコンセール・ラムルーにソリストとデビューした。以来世界中を楽旅し、日本にも何度か来訪した。日本コロムビアに日本録音をしたこともある。フィリップ・ゴーベール(1879-1941)はフランスのフルート奏者で指揮者。1914年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得た後、1905年第2回のローマ賞を得た。フルート独奏者としてフランスの一流オーケストラの首席を務め、1919年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となり1938年でその任にあった。SP時代にレコード録音も多い。
78CDR-3176 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
 英 DECCA AK2356/9
(1949年12月19-20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。
78CDR-3177 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1293/4(米 VICTOR 6697/8と同一録音)
(1927年5月10日アメリカ録音)
ハロルド・バウアー(ピアノ)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイオリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデレフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会を創立した。この「熱情」はソナタは電気録音の最初期のもの。バウアーの特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニストの演奏に耳を傾けたい。バウアーはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番「月光」(78CDR-3170)が出ている。
78CDR-3178 機械式録音
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004 より
 「シャコンヌ」
英 HIS MASTER'S VOICE D875/6
(1924年4月7日録音)
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
この曲の初録音。イゾルデ・メンゲス(1893-1976)は20世紀の前半に最も精力的に活動したイギリスの女流ヴァイオリン奏者。1910年、17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーには通算3年師事し教授の最もお気に入りの弟子になった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスの協奏曲の縮刷版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、電気初期のベートーヴェン:「クロイツエル・ソナタ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHIS MASTER'S VOICEにあり、室内楽はデッカに録音していた。この「シャコンヌ」の楽譜の隅々まで行き届いた柔和な表情は、女流ヴァイオリニストならではのもので、マイクロフォンを使わない録音がヴァイオリンの音を素直にひろいあげている。


<旧譜からのDSDリマスター盤>

これに伴い旧品番(78CDR-1000番〜)は廃盤となります。

78CDR-3000 ショパン: ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
 英 HIS MASTER'S VOICE DB8658/61
 (1935年7月8日アビー・ロード第 1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジョン・バルビローリ指揮
管弦楽団
ピアニストのアルフレッド・コルトー (1877-1962)がどんなに輝かしい音を出していたか、どの復刻盤(LPを含めて)も再現していなことが、このCD−Rを聴くと分かる。オーケストラの録音もいささかも古さを感じさせない。
78CDR-3001 ショパン: エチュード作品10 (全12曲)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2207/09
 (1933年7月4&5日,ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
アビー・ロードに設置されたEMIの自社開発による録音システムが稼働しはじめて間もなくの録音(原盤番号の後に□のマークで区別)だが、今は聴けないエラール社のピアノの音が光輝いている。コルトーは曲順を楽譜通りではなく配列して曲の相互に関連性を持たせているのも聞きどころ。
78CDR-3002 ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
 英HMV DB3068/70
 (1936年2月6日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第 9番イ長調作品47「クロイツェル」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3071/74
 (1936年6月17,18,19日,11月8日ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ (ピアノ)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を録音した。SPレコードで27枚が4巻のアルバムで発売された。ソナタ第7番ハ短調と第9番イ長調「クロイツエル」はアルバム第3巻(7枚組)として発売された。1935年に60歳を迎えたクライスラーのベートーヴェンソナタ全曲は、人生経験を積んだ音楽家のもつ深い思慮で紡ぎ出された演奏。クライスラーの音色もまたこれまでの復刻盤では、十分に再現できていなかったことが、お分かりいただけると思う。
78CDR-3003 ブラームス: ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9126S/9130
 (1946年8月16-18日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
イザイ・ドブローウェン指揮フィルハーモニア管弦楽団
フランスの女流ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカに向かう航空機の事故で30歳の命を失った。ピアニストで実弟のジャン・ヌヴーも同乗していた。彼女の天才ぶりは1930年に11歳でパリ音楽院で一等賞を得たことでも推し量れる。第2次世界大戦が終わり占領下のパリが解放され、世界に羽ばたく緒端の期の録音である。原録音は磁気テープと思われるが78回転SPで発売され、LPでは味わうことのできない実在感のあるヴァイオリンが聴ける。
78CDR-3004 J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
 英 HIS MASTER'S VOICE DB8414/19
 (1936年11月23日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年に録音された。この録音の生々しさは1930年の半ばにしてEMIの録音技術は完成していたことの証である。
78CDR-3005 ルクー: ヴァイオリン・ソナタ ト長調
 日本ポリドール 80104/7 (1932年録音)
アンリ・コック(ヴァイオリン)
シャルル・ファン・ランケル(ピアノ)
この名曲の世界初録音盤である。この曲が日本で未だに人気があるのは、このSP盤に端を発している。アンリ・コックはフランコ=ベルギー派の名手でルクーのスペシャリストでもあった。骨太の筆致で奏でるルクーはSP時代のメニューインやLPのリュミオーと一味違う。この演奏はLP時代も復刻盤がなかった初復刻。
78CDR-3006 ベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
 仏Parlophone 59.532/5 (英Columbia LX72/5 と同一演奏)
 1930年9月12日ウィーン,ミッテラー・コンツェルトザール録音
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イグナツ・フリートマン(ピアノ)
フーベルマンは「快刀乱麻」とあらえびす(1882-1963)が評した演奏である。荒々しいまでのフーベルマンの演奏は復刻盤では古臭く聞こえるが、SPダイレクトでは圧倒的な力で迫ってくる。
78CDR-3007 ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 英HIS MASTER'S VOICE DB2927/31 (1936年6月16日録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
フリッツ・クライスラーは初期の電気録音時代の1926年にベートーヴェンを録音していて、この曲の決定盤と評価されていた。1936年のこの録音は61歳のクライスラーの録音。ヴァイオリン・ソナタ全集と同一時期のもので、ここでも人生経験を積んだ音楽家だけが持つ演奏を繰り広げてきる。EMI録音の完成期の見事な音はSP時代の再生法では再生不可能だった。
78CDR-3008 サン=サーンス: ピアノ協奏曲第4番ハ短調作品44
 英HIS MASTER'S VOICE DB2577/9
 (1935年7月9日アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ・フィルハーモニー協会管
1936年作曲家サン=サーンス (1835-1921)の生誕100年記念演奏会がパリとロンドンで開かれた。ロンドンの演奏会の直後にアビー・ロードのEMIスタジオで録音された。ソリストはコルトー、オーケストラはパリで活躍していたソリストや音楽院教師などで特別に編成され、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)が指揮者に起用された。前出の78CDR-1000 のコルトーによるショパン:ピアノ協奏曲第 2番の翌日の録音。フランス人指揮者とフランスのオーケストラによるこの曲とイギリス人指揮者とイギリスのオーケストラによる比較ができる。SPレコード録音の極致とも言える音がダイレクト・ランスファーで聴ける。
78CDR-3009 ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調作品97「大公」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1223/7
 (1928年11月18日ロンドン小クイーンズ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー (ピアノ)
ジャック・ティボー (ヴァイオリン)
パブロ・カザルス (チェロ)
まさに人類の遺産とも言えるかけがいのない名演奏。アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)のピアノ・トリオは電気録音の初期に数曲の録音をした。SP時代最高品質と言われた HIS MASTER'S VOICE 盤は盛大な雑音があるが、楽音の彫りの深さも圧倒的。ダイレクト・トランファーで3人の巨人の妙技に浸れる。原盤番号の末尾の△は電気録音の開発者ウェスタンエレクトリックの録音機を使用した記号。
78CDR-3010 パガニーニ(ヴィルヘルミ編):
 ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 作品6(単一楽章)
 独 COLUMBIA LWX 354/5
(1942年ベルリン録音)
グィラ・ブスターボ(ヴァイオリン)
フリッツ・ツァウン指揮
ベルリン市立管弦楽団
グィラ・ブスターボ(1919-2002)はアメリカのウィスコンシン州生まれのイタリア系女流ヴィオリニスト。第2次世界大戦中ドイツで活躍した。ドイツ・コロンビアにシベリウスとパガニーニの協奏曲を録音していた。他に小品が数曲英コロンビアにあった。彼女は晩年インスブルックの音楽院で後進の指導にあたっていた。
78CDR-3011 ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調 Hob. VIIa-1
 仏 DISQUE "GRAMOPHONE" W1579/80
 (1943年10月7日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジャック・ティボー指揮
パリ音楽院管弦楽団
パリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)について学んだミシェル・オークレール(1924-2005)が1943年のロン=ティボー・コンクールで優勝し、その記念として師の一人のジャック・ティボーの指揮で録音した記念レコード。こぼれるような初々しい表情のヴァイオリンに父親のように暖かい手をさしのべるティボーが微笑ましく感じる。
78CDR-3012 フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
 英 COLUMBIA DX239/242
(1930年6月3&6日パリ録音)
ジョアン・マッシア(ヴァイオリン)
ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)
ブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞、1904年にJ.S.バッハのクアヴィーア曲集を全曲ピアノで演奏した。ヴァイオリンのジョアン・マッシアはカタロニア出身で1923年にセルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。
78CDR-3013 ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調 作品37(単一楽章)
 仏 COLUMBIA LFX14/6
(1929年9月27日ブリュッセル録音)
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
デジレ・ドゥフォー指揮
ブリュッセル王立音楽院管弦楽団
アルフレッド・デュボワ(1898-1949)はフランコ=ベルギー派の中核のヴァイオリニスト。ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)を師に仰ぎ、アルテュール・グリュミオー(1921-1985)を弟子に持った。作曲家のアンリ・ヴュータン(1820-1881)はまたイザイの師にあたる。ハイフェッツの名演奏で知られるこの第5番の世界初録音であった。フランコ=ベルギー正統派の演奏が聴ける貴重盤。
78CDR-3014 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
 ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
 ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
英 HIS MASTER'S VOICE DB8054/60
(第4番&第5番=1935年4月,第8番=1936年2月
 ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)が1935年と1936年に録音したベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲の第2巻とした発売されたSPレコード7枚組のセット。60歳を越えたクライスラーの深い音楽的心境が聴く者の心を打つ。
78CDR-3015 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調 作品47「クロイツェル」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1328/31
 (1929年5月27&28日パリ, プレイエル音楽堂サル・ショパン録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(1880-1953)とアルフレッド・コルトー(1877-1962)が電気録音初期に録音したベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタの唯一の録音。ベートーヴェンの「大公トリオ」と同様天馬空を行くごときの名演奏。
78CDR-3016 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 英 HIS MASTER'S VOICE DB8127/31
 (1936年6月18&22日ロンドン, アビー・ロード第1スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
フリッツ・クライスラー(1875-1962)が1936年に再録音したもの。録音が優れ、深みを増したクライスラーの心の襞を恐ろしいほど捉えている。ソロ・ヴァイオリンとオーケストラのバランスも最高。
78CDR-3017 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9007/10
 (1945年11月21日ロンドン, アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキンド指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ジネット・ヌヴー(1919-1949)の極め付きの演奏で、彼女の初の協奏曲録音でもあった。
78CDR-3018 ショーソン:詩曲作品25
 日本コロムビア J7880/1
 (1929年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
サンフォード・シュルッセル(ピアノ)
ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家の全能音楽家だったエネスコ(1881-1955)がアメリカ・コロンビアに録音した電気録音6枚の中の一曲である。全霊精根を傾けてひたすら弾くこのアーティストのベストフォームで、ヴァイオリン・レコードの最高峰。
78CDR-3019 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
  英 HIS MASTER'S VOICE DB21063, DB21300, DB6632/3
  (1950年&1947年ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年からEMIに録音を初めた。最初に「シャコンヌ」が、残りの4つの楽章は3年後の1950年に録音された。燃える炎のようなバッハが聴ける。
78CDR-3020 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 (カデンツァ:H.レオナール)
 仏 DISQUE GRAMOPHONE W1508/12
 (1941年11月10-11日、パリ、アルベール・スタジオ録音)
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団
アンリ・メルケル(1897-1969)はスペイン交響曲やサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番のSPレコード録音で知られているフランスのヴァイオリニスト。1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターを勤めた後ソリストに転向した。このベートーヴェンはフランスがドイツの占領下だった1941年11月の録音である。フランスの名ヴァイオリニストだったレオナール(1819-1890)のカデンツァが聴ける唯一のレコードであろう。レオナールはティボー(1880-1953)、フレッシュ(1873-1944)、エネスコ(1881-1955)を弟子に持った名教師マルシック(1848-1924)の師にあたる。
78CDR-3021 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 (カデンツァ:フーベルマン)
  英 COLUMBIA LX494/6
  (1934年6月14日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドの大ヴァイオリニスト。6歳よりヴァイオリンを学び、1892年10歳の時ベルリンに出てドイツの大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の下で8ヵ月学び、師のヨアヒムの指揮でデビューした。その後ヨーロッパ各地で演奏し天才少年として名を高めた。名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)が彼の演奏を聴いて感心し、ウィーンで1895年に開かれた「パッティ告別演奏会」に招かれ演奏した。また同年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて驚かせたという逸話もある。フーベルマンは活動拠点をウィーンに置き演奏会を開きながら子弟の育成をした。1935年にフルトヴェングラーからベルリン・フィルの独奏者として招かれたとき、書簡でナチ専制国では演奏する意思のないことを表明した。1935年にはパレスチナを訪問しドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィルである。このSPレコードの生々しい演奏を聴くとフーベルマンが当時のヨーロッパの聴衆に受け入れられたのがよく理解できると思う。
78CDR-3022 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
 (カデツァ:ヨアヒム)
  英 PARLOPHONE E109121/4 (原録音:独 ODEON O-7635/8)
  (1928年9月15日&19日ベルリン録音)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(ヴァイオリン)
フリーダー・ヴァイスマン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(1899-1931)はウクライナのレンブルク(現リヴォフ)に生まれた。1912年13歳の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。フレッシュは彼をオーケストラに入れ最初はゲオルグ・クーレンカンプ(1898-1943)の後任としてブレーメン・フィルのコンサートマスターになった。1921年にはスウェーデンのオーケストランのコンサートマスターを務めた後、1922年からフェレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年指揮者オットー・クレンペラー(1885-1973)の要請でベルリンのクロル・オペラのコンサートマスターに就任。1930年11月にインフルエンザに感染、それをこじらせて翌1931年2月、32歳で他界した。レコード録音は機械式録音の後期と電気式録音初期にある。このモーツァルトはベルリン・クロル・オペラのコンサートマスター就任の頃のもので、この曲の世界初録音だった。透明で銀色に光るヴァイオリンはSPレコード・ダイレクト・トランスファーだけで聴くことができる。
78CDR-3023 モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
 (カデンツァ:ピエルネ)
  米 COLUMBIA 68566D/68D(原録音:仏 COLUMBIA LFX408/10)
  (1935年12月13日パリ録音)
マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ交響楽団
マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイヤン(1907-1982)、ジャック・フェブリエ(1900-1979)、ニコール・アンリオ=シュワイツァー(1925-)等初期LPの時代に活躍した人がいる。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンは高名な割に録音が少ない。2006年のモーツァルト生誕250年にSP録音のモーツァルトを復刻した。SP原盤に小傷が多いのをご容赦願いたい。
78CDR-3024 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2460/62
  (1935年4月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀前半に活躍した大ヴァイオリニスト。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は電気録音初期の1926年に録音していたが、これはクライスラーが60歳の時の2回目の録音。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。ベルリナーの平円盤レコードの黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音を薦めた功労者でもある。1909年にロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者となり、機械式録音の時代にも多くの録音を残している。電気録音になってからは協奏曲の指揮をとり、コルトー(1877-1962)とシューマンのピアノ協奏曲を1927年と1934年の2回録音している。
78CDR-3025 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
 ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
  英 HIS MASTER'S VOICE DB3296/3301
  (1936年2月4日=第6番,6月19日=第10番
   ロンドン,アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲を録音した。これらはSPレコード27枚で "ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ・ソサイエティ" として4巻のアルバムで発売された。この第6番と第10番は第4巻にあたる。楽譜に書かれた一つ一つの音に生命の息吹が込められているのは60歳の演奏家の芸術と言える。
78CDR-3026 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調 K.526
 仏 DISQUE GRAMOPHONE DB2057/8
  (1933年9月29日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヘフツィバー・メニューイン(ピアノ)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ、サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを習いシグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。1924年6歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団と一緒にラロのスペイン交響曲を弾いてデビュー、神童として評判になった。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきをうけた。1928年には12歳で初レコード録音を行い、同年ベルリンでブルーノ・ワルター(1876-1962)指揮ベルリン・フィルでバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの "3大B" のヴァイオリン協奏曲を弾いた。このモーツァルトは17歳の録音。ピアノは妹のヘフツィバー・メニューイン(1920-1981)で当時彼女は13歳だった。この屈託のない生き生きとした演奏を聴いているとモーツァルトの生き写しのように思えるから不思議だ。
78CDR-3027 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454
 仏 PATHE PAT84/5
  (1937年4月22日&5月11日パリ録音)
ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)
マグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれのピアニスト。サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ音楽院に入り、 9カ月後に一等賞を得た。その後コルトー(1873-1962)に師事した。ソリストとしての活動だけでなくジャック・ティボー(1880-1953)、ジュール・ブーシュリ(1878-1962)、パブロ・カザルス(1876-1973)などの弦楽器奏者、エドゥアール・リスレル(1873-1929)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)らとピアノ・デュオを組んだこともある。ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事した。ブーシュリのクラスは美人のヴァイオリニストを多く輩出している。ソリアーノは音楽院でブーシュリ教授の助手を務め、1958年に結婚しブーシュリ夫人となった。タリアフェロとは1934年に録音したフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番があり、1934年の第1回ディスク大賞をとった。78CDR-1027は英コロンビア盤だったが、今回はオリジナルの仏パテ盤を使用した。
78CDR-3028 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ長調 BWV1016より
  第3楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ
  仏COLUMBIA LFX105/8
  (1929年3月13日&1930年6月2日=ベートーヴェン、
   1929年1月2日=バッハ、マドリッド録音)
ジョアン・マッシア(ヴァイオリン)
ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)
ピアノのブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院で学び、1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)のクラスで作曲を学んだ。1902年から同校で教鞭をとるようになり、彼女の死の1942年までつづいた。ジョアン・マッシアはカタロニア出身のヴァイオリニスト。1923年からセルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。78CDR-1012のフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調と共に希少SPレコードの復刻である。
78CDR-3029 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 仏 PATHE PDT 246/7
  (1951年6月16日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ミシェール・ブーシノー(ヴァイオリン)
モーリス・フォール(ピアノ)
ミシェル・ブシノ(1929-)はパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年のコンクールの創設者のジャック・ティボー(1880-1953)が審査員を務めた最後の年になった。同年の9月に日本に向かう飛行機の事故でティボーは73歳の命を落としたからだ。コンクールの審査員の一人だったダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)はブーシノーをソ連政府を説得し助手にした。この録音はコンクールの2年前のものでSPレコード末期の貴重なもの。ブーシノーのSPはこのヘンデルだけでLP時代の録音もごく僅かしかない。ジョルジュ・プレートル指揮のサン=サーンス:死の舞踏(EMI)の中でソロを聴くことができる。
78CDR-3030 ボッケリーニ:チェロ協奏曲変ロ長調 G.482
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3056/8)
 (1936年11月29日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン交響楽団
パブロ・カザルス(1876-1973)が HIS MASTER'S VOICE で初めてのソロ協奏曲録音である。録音はJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第2番と第3番(78CDR-3004)の6日後に行われた。録音時カザルスは60歳。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はイギリス指揮界の長老で、コルトーやクライスラーの協奏曲録音も務めたベテラン。録音当時63歳だった。
78CDR-3031 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 (カデンツァ:G.エネスコ)
 仏 PATHE PAT127/9
 (1937年6月3-4日パリ録音)
ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
ジュール・ブーシュリ指揮
管弦楽団
ドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まれたフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1936年にはピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-1135)がディスク大賞を受賞した。ソリアーノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたった。ソリアーノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。この録音は師のブーシュリが愛弟子のために指揮棒を取った唯一の録音。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは機械式録音時代に録音はあるが、電気録音になってからは録音をしなかった。ソリアーノは本シリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番K.454(78CDR-3027)、ヴァイオリン・ソナタ第34番 K.378(78CDR-1047)、ヴァイオリン協奏曲第7番 K.271a(78CDR-1108)、ヴィヴァルディ=ダンドゥロー編:ヴァイオリン協奏曲作品3-9「調和の幻想」より(78CDR-1140)が出ている。
78CDR-3032 ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3885/6)
 (1939年5月12日パリ、アルベール・スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
モーリス・ラヴェル(1875-1937)は第1次世界大戦(1914-1918)で負傷し右手を失ったオーストリアのピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタイン(1887-1961)の依頼で「左手のためのピアノ協奏曲ニ長調」を作曲した。初演はヴィットゲンシュタインのソロ、ロベルト・ヘーガー(1886-1978)指揮で1931年ウィーンで行われた。ヴィットゲンシュタインは力量不足で楽譜通りに弾ききれず勝手に手を加えて演奏した上にピアノがあまりにも難技巧のため音楽性がないと曲を非難した。そのため以降このピアニストとラヴェルの仲は険悪となった。楽譜通りの初演は1933年にジャック・フェヴリエール(1900-1979)によってパリで行われた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)の演奏は、彼のあらゆる録音の中の最高傑作ではなかろうか。この曲はSP時代にコルトーを含めて3種類の録音があり、そのいずれもシャルル・ミュンシュ(1891-1968)が指揮をしていた。録音時コルトーは62歳だった。
78CDR-3033 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
 ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
 ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2554/60
  (1935年4月2日=第1番,4月3日=第2番,
  4月3-4日=第3番ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はウィーン生まれの20世紀最高のヴァイオリニスト。1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲をSPレコード27枚に録音し、HIS MASTER'S VOICEは "ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ協会" としてアルバム4巻で発売した。この第1番から第3番は第1巻にあたる。この録音時クライスラーは60歳だった。第2巻は第4番、第5番「春」、第8番(78CDR-3014)、第3巻は第7番、第9番「クロイツェル」(78CDR-3002)、第4巻は第6番、第10番(78CDR-3025)で発売されている。
78CDR-3034 フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調
 日本コロムビア J8242/6
 (1928年10月10日&15日パリ録音)
マルセル・シャンピ(ピアノ)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
カペー弦楽四重奏団の最後の録音。この録音の数週間後リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)が急逝したのだった。享年55歳。カペー弦楽四重奏団は1893年に結成された。途中メンバーの交代があったが、1927年と1928年にフランス・コロンビアに録音した時は1919年以来のメンバーであった。ピアノのマルセル・シャンピ(1891-1980)はパリ生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1909年に一等賞を得て、1941年から1961年でパリ音楽院の教授の地位にあった。弟子には、イヴォンヌ・ロリオ、エリック・ハイドシェック、セシル・ウーセなどがいる。
78CDR-3035 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 米 COLUMBIA 50187/8-D
 (1929年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
サンフォード・シュルッセル(ピアノ)
ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家の全能音楽家だったエネスコ(1881-1955)が1929年にアメリカ・コロンビアに録音した電気録音6枚の中の一曲である。全霊精根を傾けてひたすら弾くこのアーティストのベストフォームで、ヴァイオリン・レコードの最高峰といえる。録音時エネスコは48歳だった。復刻にはアメリカ・コロンビアの初版ブルー・シェラック盤を使用した。第3楽章と第4楽章の前半で周期ノイズが出るのをご容赦願いたい。
78CDR-3036 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330(300h)
モーツァルト:ロマンス変イ長調 K.Anh.205
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3424/5)
 (1937年3月6日=K.330,1938年3月8日=K.Anh.205  
  ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼルの音楽院で学んだ後ベルリンに出て、リストの高弟マルティン・クラウゼについた。1930年にベルリン高等音楽院の教授に就任し、演奏家としても活躍した。1942年にスイスに戻りソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(後にヴォルフガング・シュナイダーハン)、チェロのマイナルディとフィッシャー・トリオを結成した。弟子にアルフレッド・ブレデル、パウル・バドゥラ=スコダ、レーヌ・ジャノーリらがいる。このモーツァルトはフィッシャーが51歳の時の録音。
78CDR-3037 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3552/3)
 (1938年3月29日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヘフツィバ・メニューイン(ピアノ)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)は6歳の時、サンフランシスコ交響楽団でラロのスペイン交響曲を弾いてデビューし、神童と騒がれた。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の指導を受けた。このソナタはメニューインが22歳の録音。他に17歳の時に録音したヴァイオリン・ソナタイ長調 K.526(78CDR-3026)もある。ヘフツィバ・メニューイン(1920-1980)は 4歳年下の妹で1933年以降しばしば兄と共演した。
78CDR-3038 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番ヘ長調 K.377(374e)
 米 VICTOR 15176/7 (英 HIS MASTER'S VOICE DB3373/4と同一録音)
 (1937年10月9日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1935年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。ブッシュもまたドイツを去りスイスに移住、その後アメリカに定住した。この録音はブッシュが46歳、ゼルキンが34歳の時のもの。70年前のドイツではどのようなモーツァルト演奏が行われていたかの良き例。
78CDR-3039 ルクー:ピアノ四重奏曲(未完)
 仏 POLYDOR 516.555/7
 (1933年1-5月録音)
シャルル・ファン・ランケル(ピアノ)
アンリ・コック(ヴァイオリン)
ジャン・ロジステル(ヴィオラ)
リド・ロジステル(チェロ)
24歳の生涯を閉じたギヨーム・ルクー(1870-1894)未完のピアノ四重奏曲をルクーのヴァイオリン・ソナタト長調を録音したヴァイオリンのアンリ・コック(1903-1969)とピアノのシャルル・ファン・ランケルにヴィオラのジャン・ロジステル(1879-1964)とチェロのリド・ロジステルが加わっての演奏である。これら4人の音楽家はベルギーのリエージュで活躍した。長老格のジャン・ロジステルはストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽団の首席ヴィオラを務めたこともある。第2楽章をルクーに代わって師のヴァンサン・ダンディ(1851-1931)が補筆したこのピアノ四重奏曲は、ヴァイオリン・ソナタト長調と同じくベルギーの大ヴァイオリニスト、ウジェ-ヌ・イザイ(1858-1931)が作曲委嘱した作品だった。コックとランケルによるヴァイオリン・ソナタト長調は78CDR-3005で発売されている。
78CDR-3040 ラロ:スペイン交響曲作品21
 日本コロムビアJ8320/22(英COLUMBIA LX-347/9 と同一録音)
 (1934年6月20日&22日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。 3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。この「スペイン交響曲」の録音は1934年フーベルマンが52歳の時のもの。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ、最初にウィーン、後にライプツィヒで学んだ。ヨーロッパ各地のオペラ劇場で指揮した後、ニューヨークに移住。1942年から1946年はメトロポリタン歌劇場、1946年から死去する1970年までの24年間はクリーヴランド管弦楽団を指揮した。この録音はセルが37歳の時のもの。ヴァイオリンをもってオーケストラに真剣勝負で切り込んでいくフーベルマンの鬼気せまる演奏がダイレクト・トランスファーによって初めて聴ける。このシリーズではのフーベルマンのベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3006)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番K.216(78CDR-3021)、チャイコフスキー:ヴァイオリオン協奏曲(78CDR-1077)、ベートヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1128)、サラサーテ:アンダルシアのロマンス他(78CDR-1147)が出ている。復刻には最高品質を誇っていた時代の日本コロムビア盤を使用した。
78CDR-3041 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV1003
 米 COLUMBIA 68152/3-D(英COLUMBIA LX-259/60と同一録音)
  (1933年6月2日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音も行なっている。このバッハはシゲティが41歳の録音。復刻には米 COLUMBIA のブルーシェラック盤を使用した。
78CDR-3042 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番イ長調作品18-5
 日本コロムビアJ5091/4(仏COLUMBIA D-13066/9と同一録音)
 (1928年10月4日録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P. モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からもの。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた、カペーは1928年6月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そしてその年の10月までに弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音である。約80年前の録音ながら、この洗練された四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-1056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-1168)、ハイドン:弦楽四重奏曲第67番「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。
78CDR-3043 ショパン:24の前奏曲作品28
 英HIS MASTER'S VOICE DB957/60
 (1926年3月22日&23日イギリス、ヘイズ "A"スタジオ録音)
 (HMV盤特有のノイズがあります)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第1回目の録音。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。
78CDR-3044 ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ドビュッシー(ハルトマン編曲):ミンストレル-「前奏曲集第1巻」より
 仏DISQUE "GRAMOPHONE" DB1322/3
 (1929年6月7日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)の1929年6月7日の録音。ティボーが49歳、コルトーが52歳だった。二人はこの録音の10日前の5月27日と28日にベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」とフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調(HMV DB1347/50)をパリのプレイエル音楽堂で録音していた。ヴァイオリンのティボーは1953年(昭和28年)9月2日(フランスでは9月1日)、日本を含む東南アジア公演に向かう途中、搭乗機が夜のアルプスの南峰スメ山に激突して命を落とした。享年73歳。ティボーとコルトーはベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-1015)が出ている。
78CDR-3045 モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
 米COLUMBIA 67664/7D(英 COLUMBIA L-2252/5と同一録音)
 (1928年11月2日録音)
チャールズ・ドゥレイパー(クラリネット)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴァイオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
レナー弦楽四重奏団は1918年にハガリーのブダペストで結成された。メンバーの全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィッド・ポッパー(1843-1913)に師事した。 4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成し2年間、田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年にウィーンでデビュー。そこに居合わせたモーリス・ラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招き、公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカでデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初で、1927年のベートーヴェン没後100年では弦楽四重奏16曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このモーツァルトのクラリネット五重奏曲はイギリスのクラリネット界の祖父と尊敬されたチャールス・ドゥレイパー(1869-1952)を迎えて録音された。ドゥレイパーはブラームスのクラリネット五重奏曲もレナーと録音している。
78CDR-3046 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ウェーバー:アンダンティーノ(変奏曲ヘ長調 J.94)
 米COLUMBIA 69081/3-D(英COLUMBIA LX-641/3 と同一録音)
 (1937年6月28日&29日=ベートーヴェン、
  1936年12月22日=ウェーバー録音)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
マイラ・ヘス(ピアノ)(ベートーヴェン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(ウェーバー)
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミアに生まれた。1909年にウィーンに移りアントン・ワルターに師事し11歳でコンサートデビューした。さらにライプツィヒでチェロの名教師ユリウス・クレンゲルについた。1929年から1933年にベルリン高等音楽院の教授をつとめ、1935年にナチスの迫害を避けるためにチューリヒに在住し、1938年にアメリカに移住した。この録音は35歳の時のもの。フォイアマンは1934年(昭和9年)と1936年(昭和11年)に来日し、演奏会の傍らコロムビアに録音した。ピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)はロンドン生まれの女流で1907年17歳の時トーマス・ビーチャム(1879-1961)指揮でベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番でデビューした。その後デイム(男性のサーにあたる)の称号が与えられたイギリス・ピアノ界の重鎮で、門下にソロモン(1902-1988)やビショップ=コワセヴィッチ(1940-)らがいる。ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスの名ピアノ伴奏者。
78CDR-3047 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
 仏PATHE PDT163/4
 (1947年12月24日録音)(小さなキズによるノイズがあります)
ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
エレーヌ・ピニャリ(ピアノ)
ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院で名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスで研鑽を積み、1932年16歳で一等賞を得た。1934年にピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。このモーツァルトは第2次世界大戦後の1947年の録音で、当時ソリアーノは32歳だった。ピアノのピニャリはパリ音楽院出身の女流奏者。ソリアーノはモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454(ピアノ=タリアフェロ)(78CDR-3027)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216(ブーシュリ指揮)(78CDR-3031)が出ている。
78CDR-3048 ロッテ・レーマンのアメリカ・コロンビア録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
 (1)第1曲「おやすみ」
 (2)第2曲「風見の旗」
 (3)第3曲「凍った涙」
 (4)第4曲「かじかみ」
 (5)第6曲「あふれる涙」
 (6)第7曲「川の上で」
 (7)第8曲「鬼火」
 (8)第10曲「休息」
 (9)第11曲「春の夢」
 (10)第12曲「孤独」
 (11)第14曲「霜おく髪」
 (12)第16曲「最後の希望」
 (13)第24曲「辻音楽師」
 米COLUMBIA 71174/6D, 17367/9D
  (1941年3月14日&19日ニューヨーク録音)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツの名ソプラノ。1945年にアメリカ国籍を取得しカリフォルニアのサンタバーバラで晩年を過ごした。1910年ハンブルクのオペラで「ラインの黄金」のフライアでデビュー(22 歳)、以後ドイツ・オペラの最高のソプラノとして君臨した。またリートの分野でも活躍した。電気録音の初期に録音したシューマンの「女の愛と生涯」は広く聴かれた名演である。この「冬の旅」はアメリカのコロンビアに録音したもの。13曲を10インチ盤3枚、12インチ盤3枚に録音した。レーマンはソプラノでありながら低声域が豊かで、女声の「冬の旅」でもまったく違和感がない。声をはりあげて歌うのではなく、聴き手に語りかける歌い方が好ましい。レーマン53歳の録音。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。
78CDR-3049 ロッテ・レーマンのアメリカ・ヴィクター録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
 (1)第5曲「菩提樹」
 (2)第8曲「かえりみ」
 (3)第13曲「郵便馬車」
 (4)第15曲「からす」
 (5)第17曲「村にて」
 (6)第18曲「嵐の朝」
 (7)第19曲「まぼろし」
 (8)第20曲「道しるべ」
 (9)第21曲「宿」
 (10)第22曲「勇気」
 (11)第23曲「幻の太陽」
  米VICTOR 2108/9, 17190/1
  (1940年2月25日&26日録音)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
ロッテ・レーマン(1888-1976)の「冬の旅」はアメリカのコロンビアとヴィクターの2社に録音された。ヴィクター社への録音はコロンビアの1年前の1940年で11曲が10インチ 2枚、12インチ 2枚だった。レーマン52歳の録音。シューベルトの書いた曲順で収録すると、レコード会社による音の違いが気になるため、コロンビアとビクターを別々に収録した。ピアノのパウル・ウラノフスキー(1908-1968)はウィーン生まれでニューヨークに没した。アメリカ時代のレーマンの録音の伴奏の多くを手掛けた。シューベルト:「美しい水車屋の娘」ほかのレーマンとの録音がある。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。
78CDR-3050 モーツァルト=クライスラー:
 ロンド ニ長調 K.250 -「ハフナー・セレナード」より
パガニーニ=クライスラー:
 ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調(第1楽章より)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3731(モーツァルト)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3234/5
  (原録音=米 VICTOR 14420/1 パガニーニ)
 (1938年 2月14日ロンドン,
  アビー・ロード第3スタジオ録音=モーツァルト,
 1936年12月13日&1937年1月9日フィラデルフィア、
 アカデミー・オブ・ミュージック録音=パガニーニ)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)(モーツァルト)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団(パガニーニ)
20世紀最高のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)は作曲家としても編曲者としても才能を発揮した。昔の作曲家の名前を冠した多くの作品を弾いて名声を上げたが、後にそれらは編曲ではなく、作曲家の名前を借りたクライスラー自身の作品であることを公表した。この2曲は実在する作品をクライスラーが編曲したもの。モーツァルトの「ロンド」はクライスラー以前にティボー(1880-1953)の録音もあった。パガニーニはクライスラーの手になる絢爛豪華なオーケストレーション。ソロ・パートは原曲を尊重しているが第4部のカデンツァはこの演奏は最大の聞きどころである。このシリーズでクライスラーはベートーヴェン:ヴァイオリンン・ソナタ集 I-IV(78CDR-3002, 3014, 3025, 3033分売)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3007新版、1090旧版)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003新版、1105旧版)、メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3024新版、1091旧版)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(旧版)(78CDR-1074)が出ている。
78CDR-3051 ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
 英 HIS MASTER'S VOICE DA1333/6
 (1933年7月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
20世紀最高のフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。ワーグナーに心酔し1897年バイロイトに赴き合唱指揮者となった。1902年には「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演をし、またソプラノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このショパンのピアノ・ソナタ第3番はコルトーの2回目の録音。録音時コルトーは56歳だった。このシリーズでコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3000)、ショパン:エチュード作品10(78CDR-3001)、サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3008)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)、ショパン:24 の前奏曲(1926年版)(78CDR-3043)、ショパン:エチュード作品25(78CDR-1061)、ショパン:ワルツ集(78CDR-1072)、ラヴェル:ソナチネ+水の戯れ(78CDR-1083)、J.S.バッハ:コンチェルト・ダ・カメラ+アリア(78CDR-1094)、フランク:交響変奏曲(78CDR-1130)、ショパン:24の前奏曲(1933年版)(78CDR-3181)が出ている。
78CDR-3052 J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
 英 HIS MASTER'S VOICE DB6884/6
 (1949年2月17日録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アンソニー・バーナード指揮
ロンドン室内管弦楽団
ジェレイント・ジョーンズ(ハープシコード)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)は20世紀イタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年エディンバラ音楽祭に出演を機にEMIのアーティストとなった。このバッハの協奏曲は彼女の初期の録音にあたる。SPレコード末期の優秀録音で、典雅なヴァイオリンが聴く人を魅了する。ダイレクト・トランスファー・シリーズではデ・ヴィトーのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3019)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1113)、ベートーヴェン:ロマンシ第2番ヘ長調(78CDR-1151)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)が出ている。
78CDR-3053 ハイドン:ハープシコード協奏曲ニ長調作品21 Hob. XVIII-11
ハイドン:ピアノ・ソナタ第36番嬰ハ短調からメヌエット&ドイツ舞曲
 英 HIS MASTER'S VOICE DB8782/4
 (1937年4月19日パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ウジェーヌ・ビゴー指揮 管弦楽団
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。彼女はピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせ、生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカにのがれた。パリに残したハープシコードは後にアメリカ軍によって彼女の手元に送られた。このハイドンはランドフスカが58歳の録音。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て1923年パリ音楽院管弦楽団、1928年フランス放送管弦楽団、1935年ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。パリ音楽院の指揮科の教授も務めた。SPレコードの録音も多い。ランドフスカはこのシリーズでJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(78CDR-1073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集(78CDR-1081)とピアノによるモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(78CDR-1117)が出ている。
78CDR-3054 モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
モーツァルト=ブルメスタ-編:
 メヌエット-ディヴェルティメント第17番 K.334より
 仏 COLUMBIA LFX201/3
 (1931年6月12日録音)
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
デジレ・ドゥフォー指揮
ブリュッセル王立音楽院管弦楽団(協奏曲)
フェルナン・ゴーヤン(ピアノ)(メヌエット)
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1986)の師として知られている。デュボワはウジェーヌ・イザイ(1858-1931)に師事し、1920年のヴュータン賞を受賞、ソリストとしてデビューした。1927年に母校ブリュッセル王立音楽院の教授に就任、ピアノ三重奏団や弦楽四重奏団のリーダーもつとめた。このヴァイオリン協奏曲第6番はモーツァルトの死後 8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたという。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。モーツァルト学者の間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在では疑わしい作品としてモーツァルトの作品表から除外されている。デジレ・ドゥフォー(1885-1960)はベルギーのガンに生まれた指揮者。1943年から1947年シカゴ交響楽団の指揮者を務めた。デュボワはこのシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番作品37(78CDR-3013)、フランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)で出ている。
78CDR-3055 モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.387
 米 COLUMBIA 67806/9D(原録音:英 COLUMBIA LX-24/27)
 (1930年1月20-21日録音)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカ・デビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年では、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このシリーズではモーツァルト:クラリネット五重奏曲K.581(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421(78CDR-1062)、モーツァルト:弦楽五重奏曲K.516(78CDR-1085)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」(78CDR-1097)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」(78CDR-3196)が出ている。この復刻にはアメリカ・コロンビアのブルーシェラック盤を使用した。
78CDR-3056 シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1
 日本コロムビアJ7629/31(原録音:仏 COLUMBIA D15107/9)
 (1928年10月3日録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
フランスのカペー弦楽四重奏団は史上最高の弦楽四重奏団。1928年12月18日にリーダーのリュシアン・カペー(1876-1928)の死でその活動は終止符を打った。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。第1ヴァイオリンのカペー以外は何回か交代したが、1918年からは不動のメンバーであった。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開いていた。カペー弦楽四重奏団は1928年6月にフランス・コロンビアに録音を始めた。その年の10月迄の5カ月に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲を録音した。10インチSP盤が7枚、12インチSP盤が44枚である。このシリーズでは、フランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)とベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番作品18-5(78CDR-3042)、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番作品131(78CDR-1082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR--168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。
78CDR-3057 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB7899/7901
 (1935年2月12日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、また演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。弟子にレーヌ・ジャノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-)らがいる。この「熱情」はフィッシャーが49歳の時の録音。このシリーズにはモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」(78CDR-1096)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲(78CDR-1142-1146分売)、ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番作品25(78CDR-1160)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3202)が出ている。
78CDR-3058 ヘンデル=ブルメスタ-編:
 アリオーソ
 メヌエット
 独 GRAMMOPHON 47984/5
(1909年9月27日ベルリン録音)
(古いレコードのため雑音大)
ヴィリー・ブルメスター(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
電気録音以前の機械式録音。ヴィリー・ブルメスター(1869-1933)はハンブルグ生まれのドイツのヴァイオリニスト。ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に師事し、1894年ベルリンでセンセーショナルにデビューした。1909年に録音した4枚8面のレコードだけで約100年後の今日に語り継がれている。ヴァイオリン教師として有名なカール・フレッシュ(1873-1944)はブルメスターのレコードを、メジャー演奏家の残した録音で、最もリズム感に欠けた生気のない非音楽的なものと酷評した。だがこの言葉は正しいだろうか疑問を感じる。盛大な雑音の中に潜んでいる澄みきった湖の底を覗くような透明なヴァイオリンの音色は、日本古来のワビサビの世界に通じるものがあるように思う。それは電気録音ではとても不可能と思わせる。ラッパ吹き込み(機械式録音の俗称)ならではの世界がここにある。ブルメスター1923年来日し公演の合い間に大阪のニットーに録音を残した。
78CDR-3059 ベートーヴェン:ロマンスヘ長調作品50
 英 GRAMOPHONE 47975
 (1909年ウィーン録音)
 (注:古いレコードのため雑音大)
アルノルト・ロゼー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
電気録音以前の機械式録音。アルノルト・ロゼー 1863-1946)はルーマニア生まれ。1874-7年にウィーン音楽院で学び、1881年ウィーン宮廷歌劇場オーケストラのコンサートマスターになり1938年までその地位にあった。また弦楽四重奏団も組織した。ロゼーはグスタフ・マーラー(1860-1911)の妹のユスティーヌと結婚した。1888年バイロイト・フェスティヴァル・オーケストラのコンサート・マスターになり、また宮廷歌劇場オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団として演奏会を開くようになった。コンサート・マスターの傍ら1893年から1924年までウィーン音楽院で教鞭をとった。1938年にナチの迫害でロンドンに移住した。ロゼーはソリストとしてラッパ吹き込み時代にかなりのレコード録音をした。この録音はロゼーが45歳の時のもの。ここにもラッパ吹き込みならではの独特の弦の音が聴き取れる。ロゼーはこのシリーズでJ.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-1119)が出ている。
78CDR-3060 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
 米 VICTOR 163665/9(Set DM458)
 (英 HIS MASTER'S VOICE DB3288/92 と同一録音)
 (1937年4月28日プラハ, ドイチェ・ハウス録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)のボッケリーニに続くソロ協奏曲録音第2弾にあたる。録音場所には作曲者ドヴォルザークの故郷プラハが選ばれ、録音時カザルスは61歳だった。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒで学び、10歳の時ピアニストとしてウィーン交響楽団演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のベルリン・オペラ時代(1915-1917)アシスタントを務めたこともある。1930年から1936年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から1946年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇を指揮し、1946年にアメリカ市民となった。1946から1970年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めた。これはセルが40歳の録音。SP時代のチェコ・フィルのHIS MASTER'S VOICE録音はほとんどがロンドンで行われた中で、プラハでの録音は珍しい。ちなみにセル指揮チェコ・フィルのドヴォルザーク:「新世界」(78CDR-1104)は1937年10月30日のロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音だった。カザルスはこのシリーズでJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番&第3番(78CDR-3004, 78CDR-1100)第4番&第5番(78CDR-1070)、ボッケリーニ:チェロ協奏曲(78CDR-3030)、ブラームス:チェロ・ソナタ第2番(78CDR-1084)、エルガー:チェロ協奏曲 78CDR-1137)が出ている。
78CDR-3061 ショパン:エチュード作品25(全12曲)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB12308/10
 (1934年6月18-19日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
20世紀最高のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン:エチュード集作品10(78CDR-3001)と対になるもので、録音は作品10の1年後のもの。コルトーは録音時57歳だった。曲順はSPレコードの順のままで収録した。コルトーは第2次世界大戦中の1942年にパリでエチュードを再録音している。このシリーズのコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3000)、サン=サーンスピアノ協奏曲第4番(78CDR-3009)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)、ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 78CDR-3051)が発売されている。
78CDR-3062 モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421
 英 COLUMBIA L1965/7
 (1926年3月26日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
レナー弦楽四重奏団は20世紀前半の活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。この録音は電気録音最初期の1926年3月のもの。SP時時代の決定盤だった。このシリーズのレナー弦楽四重奏団はモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3055)、モーツァルト:弦楽五重奏曲K.516(78CDR-1085)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」(78CDR-1097)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」(78CDR-3196)が出ている。
78CDR-3063 スーク:4つの小品作品17
 第1曲 クワジ・バラータ
 第2曲 アパショナータ
 第3曲 ウン・ポコ・トリステ
 第4曲 ブルレスク
英 HIS MASTER'S VOICE DB6359/60
(1946年8月12-14日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)にクラスにはいり、8カ月後に一等賞を得た。8カ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3017)、R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-1076)が出ている。
78CDR-3064 ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
 仏 ODEON 165.243/5
 (1928年2月3日録音)
マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ジノ(ヴィオラ)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1906年に一等賞を得、1908年にソロ・デビューした。1913年から1938年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から1949年にパリ音楽院の教授もつとめた。1952年にルドルフ・ゼルキン(1903-1991) 、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と共に若い音楽家を育成するマールボロ音楽祭の創立に加わった。SPレコードの録音も多い。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソロ奏者としても活躍した。1948年から1958年にはパリ音楽院の教授も務めた。ラスキーヌもSPレコード時代から、LP時代、ステレオ時代と録音が多い。
78CDR-3065 機械式録音盤(電気録音以前)
 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219-第3楽章
 マスネ=マルシック編:タイスの瞑想曲
  仏 ZONOPHONE X77906/77913
  (1906年パリ録音)
ジュール・ブーシュリ(ヴァイオリン)
ルイ・ディエメール(ピアノ)
ジュール・ブーシュリ(1878-1962)はフランスのヴァイオリニスト。ジャック・ティボー(1880-1953)の2歳年上で、1892年に15歳でパリ音楽院の一等賞を得た。ちなみにティボーは1897年に17歳で一等賞を得た。モーツァルトの演奏を得意としたブーシュリだったが、病弱のため早い時期にコンサート活動を停止しパリ音楽院のヴァイオリン科の教授として後進を育成にあたった。録音は1906年、28歳の時に13面を残したのみで、これはその中の2面である。ブーシュリの弟子には、後にブーシュリ夫人となったドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)、ジャニーヌ・アンドラード(1918-)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、イヴリー・ギトリス(1922-)、ミシェール・オークレール(1924-2005)、ドゥヴィ・エルリー(1928-)ほかがいる。ピアニストの名前はレーベルに記載されていないが、ルイ・ディエメール(1843-1919)という説がある。ディエメールはパリ音楽院のピアノ科の教授として弟子にコルトー(1877-1962)、リスレル(1873-1929)、カザドゥシュ(1899-1972)らがいた。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは電気時代になってからは録音をしなかったが、愛弟子ソリアーノのために指揮棒を取ったモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番がこのシリーズ(78CDR-1031)で発売されている。
78CDR-3066 機械式録音盤(電気録音以前)
 クライスラー:プロヴァンスの朝の歌-L.クープランの様式による
 ダンブロジオ:セレナード作品4
 米 COLUMBIA 20023-D(1924年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
エドワード・C・ハリス(ピアノ)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で作曲を5歳で始めた。1888年、7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年、12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に入学、1899年までにヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後進の指導にあたった。この録音は1923年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録音時エネスコは42歳だった。彼は1929年にもニューヨークで12面6枚の電気録音を行った。このシリーズでショーソン:詩曲(78CDR-3018)とヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3035)、プニャーニ:ラルゴ・エスプレッシーヴォ、クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット、コレッリ:ラ・フォリア(78CDR-1088)が出ている。
78CDR-3067 機械式録音盤(電気録音以前)
 マルシック:スケルツァンド作品 6-2
 J.S.バッハ:
 ガヴォット-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV1006 より
 伊 FONOTIPIA 39087/39222
 (1905年マルシック、1904年バッハ、パリ録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏(1)
20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(1880-1953)は1893年14歳でパリ音楽院にはいりマルシックに師事した。1897年一等賞を得た。卒業後生計を立てるためパリのカフェ・ルージュで演奏しているところを指揮者エドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見出され、コロンヌの主宰するオーケストラに入った。ある日急病のコンサート・マスターの代役を務めていたとき、サン=サーンスのオラトリオ「大洪水」の前奏曲のソロ・パートを弾き、聴衆から絶賛され、以降コロンヌのソリストとしてパリの楽壇の寵児となった。1903年にアメリカにデビュー世界的なヴァイオリニストとして名声を確立した。この録音は1904年のティボーの初レコードで、録音時ティボーは24歳だった。このシリーズでティボーはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(78CDR-3015)、ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3044)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-1071)、モーツァルトヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-1080)、ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための複協奏曲(78CDR-1101)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(78CDR-1118)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219(78CDR-3209)が出ている。
78CDR-3068 機械式録音盤(電気録音以前)
 ヴィターリ:シャコンヌ ト短調
 独 GRAMMOPHON 68074/6
 (1923年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(オルガン)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)チェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。この録音はプシホダの最初期のもので、伴奏がシートマイヤー・フリューゲル(オルガン)である。片面盤3面に収録されたノーカット版であることもこの時代には珍しい。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ。ピアノの神童と言われた。録音プロデューサの草分けで、作曲・編曲・オーケストラ指揮・ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。19世紀末からドイツ・グラモフォンで活躍し、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」や第9番「合唱」の電気以前の録音もある。1935年から1944年はドイツ・エレクトローラの専属だった。
78CDR-3069 機械式録音盤(電気録音以前)
 ドヴォルザーク=ウィルヘルミ編:ユモレスク
 ヴェチェイ:奇想曲第2番「滝」
 独 VOX 06294
 (1925年録音)
フランツ・フォン・ヴェチェイ(ヴァイオリン)
カロル・シュレター(ピアノ)
フランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。神童で10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。42歳で惜しまれつつ早逝した。シベリウス(1865-1957)のヴァイオリン協奏曲はヴェチェイに献呈された。ドイツのVOX 社は機械式録音時代の末期に存在したレコード会社。機械式録音に自信があったため電気録音に乗り遅れ倒産した。他社が電気に切り換えた後の1927年まで旧式録音を継続していた。
78CDR-3070 J.S.バッハ:
 無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
 無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011
 米VICTOR 12-0890/06,英HIS MASTER'S VOICE DB6538/44S と同一録音
  (1939年6月13日パリ,アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス (チェロ)
パブロ・カザルス(1876-1973) はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリでデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004)、第2巻は組曲1番と5番で1938年録音、この組曲4番と5番は1939年4月にパリで録音され、アルバム第3巻として発売された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。
78CDR-3071 J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042
デプラーヌ=ナシェ編:イントラーダ
 英HIS MASTER'S VOICE DB789/91
 (1924年10月21,31,11月1日ヘイズ, スタジオ "A" 録音)
ジャック・ティボー (ヴァイリン)
R.オートマンス指揮 オーケストラ (バッハ)
P.アダミ (ピアノ)(デプラーヌ)
機械式録音盤。ジャック・ティボー (1880-1953)の残した数多いSPレコードの中の最高傑作。録音は1924年、ティボーが44歳の時のもの。1924年にはおそらく電気録音開発を知っていたであろうHMVが敢行した録音で、大ヴァイオリニスト、ティボーの気力漲るベスト・フォームが聴ける。これはSP時代からの稀少盤で、「珍品レコード」(グラモフィル社1940年刊、復刻版富士レコード社1972年刊)によれば、「我國に輸入された數は三組と言い、或いは五組と噂されてゐるが、その後歐州から直接求めた人士、おあるから實際は最少限度十組はあると想像される。久禮傳三氏の調べたところに依ると七八組所有者が判ってゐると云うことであるから、或いはもう少し多いかもしれない。」との記述がある。
78CDR-3072 ショパン:ワルツ集
 英HIS MASTER'S VOICE DB2311/6
 (1934年6月19-20日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー (ピアノ)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1896年一等賞を得て卒業した。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアニ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年パリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。この「ワルツ集」はコルトーのショパン録音の中核をなすもので、「エチュード」作品25(78CDR-1061)と同時期に録音された。コルトーは録音時57歳だった。この時代のコルトーが弾いていたフランスのプレイエル社のピアノの絢爛たる音色がダイレクト・トランスファーで聴ける。
78CDR-3073 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
 英HIS MASTER'S VOICE DB4908/13
 (1933年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)がSP時代に録音した初の大曲で、「ゴルトベルク変奏曲」の原点。ランドフスカは二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。ランドフスカの「ゴルトベルク変奏曲」は英HMVの "バッハ・ソサイエティ" の第1回発売で、英国盤の初版300部のアルバムには、ランドフスカの紫色のインクと羽根ペンによる自筆署名のシールが貼られていた。これは愛蔵家番号No.272のセットからのダイレクト・トランスファー。
78CDR-3074 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K.218
 (1924年12月1-2日ヘイズ、スタジオ "A”録音)
フリッツ・クライスラー (ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮管弦楽団
機械式録音盤。この録音は電気録音出現前夜のものである。機械式録音時代の大曲録音は省略版で演奏されることが多かった中で、ノーカットでの録音である。これもSP時代から人気の高かった稀少盤で、理由は聴いてみると納得する。クライスラー(1875-1962)の49歳の録音である。これも人類の遺産的な価値を持つ偉大なレコードである。
78CDR-3075 ラヴェル:
 ピアノ協奏曲ト長調
 亡き王女のためのパヴァーヌ
英 COLUMBIA LX194/6
(1932年4月パリ録音)
マルグリット・ロン(ピアノ)
モーリス・ラヴェル指揮 交響楽団(協奏曲)
フレイタス・ブランコ指揮 交響楽団(パヴァーヌ)
マルグリット・ロン(1874-1996) はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。この録音はロンが作曲者モーリス・ラヴェル(1875-1937)自身の指揮で録音した音楽史上の記念碑的レコード。この名曲演奏の原点である。録音時ロンは58歳、ラヴェルは57歳だった。ロンは1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1954)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンの弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイアン(1907-1982)などLPの時代に活躍した人がいる。
78CDR-3076 R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調作品18
タルティーニ=クライスラー編:コレッリの主題による変奏曲
 英HIS MASTER'S VOICE DB4663/6
 (1939年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー (ヴァイオリン)
グスタフ・ベック (ピアノ)
ジネット・ヌヴー (1919-1949)の20歳の時の録音。初録音はこの録音の前年の1938年、同じくベルリンで12インチ盤2枚と10インチ盤1枚だった。リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは作曲者が24歳の作品で、シュトラウスは室内楽の作曲をこれ以降せず、交響詩やオペラに集中するようになった。ヴァイオリン・ソナタにはその後の交響詩やオペラに聴くフレーズが顔を出して思わず微笑んでしまう魅力的作品。ヌヴーは真摯な情熱を傾けて演奏を展開する。
78CDR-3077 チャイコフスキー:
 ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
 メロディ変ロ長調作品42-3
 独 PARLOPHONE P9855/59(英COLUMBIA L2335/8と同一録音)
 (1928年12月28,30日ベルリン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ウィリアム・スタインバーグ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1-7)
ピアノ伴奏(8)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランソ出身のヴァイオリニスト。1892年10歳で当時の大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。このチャイコフスキーは電気録音初期のもので、SP時代にはこの曲の決定盤だった。フーベルマンはヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏である。これはよりリアルな音を持つドイツ・パーロフォン盤からのダイレクト・トランスファー。
78CDR-3078 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
 米COLUMBIA S70198-D/70200-D
 (1935年12月,1936年2月ニューヨーク録音)
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと出会い一緒に演奏旅行をした。1929年にアメリカ・デビュー、1942年のアメリカ市民権を得た。このSP録音は「シャコンヌ」の演奏を生涯の芸術としたミルスタインが31歳の時のもので、ほとんど知られていないもの。後年の演奏との比較が興味ある。
78CDR-3079 シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795
 米COLUMBIA 71778-D/71783-D(1-6,8-20)
 英HIS MASTER'S VOICE DA1467(7) (原録音:米VICTOR 1371)
 (1942年録音「いらだち」を除く、「いらだち」は1935年10月17日録音)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)(1-6,8-20)
エルノ・バロー(ピアノ)(7)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はオペラだけではなくリートを得意とした。この「美しき水車屋の娘」はアメリカ・コロンビアに録音したが、第7曲「いらだち」だけがアメリカ・ヴィクター社に録音していたため、コロンビア盤からは除外された。「冬の旅」(78CDR-1048,78CDR-1049)につづくレーマンのシューベルトで、第2次世界大戦のため日本ではSPレコードでは発売されなかった。
78CDR-3080 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
 米 VICTOR 6744/6(英HIS MASTER'S VOICE DB1018/20と同一録音)
(1927年2月23日ロンドン、クイーンズ・ホール録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
マルコム・サージェント指揮
管弦楽団
20世紀フランス最高のヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)が生涯コンサート・プログラムに載せた協奏曲。ティボーの電気録音時代の最高傑作。息づまるような名演奏を繰り広げている。ヴァイオリン協奏曲第6番はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたという。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在では疑わしい作品としてモーツァルトの作品表から除外されている。このシリーズではベルギーの巨匠アルフレッド・デュボワの演奏(78CDR-3054)も出ている。
78CDR-3081 フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集
 英 HIS MASTER'S VOICE DB4941/6
 (1934年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)は二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。このランドフスカによるクープラン作品集の録音はバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の翌年に行われた。「ゴルトベルク変奏曲」と同じく英国 HIS MASTER'S VOICE初版300部のアルバムには紫色のインクと羽根ペンによるランドフスカの自筆署名の愛蔵家番号シールが貼られていた。
78CDR-3082 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
 日本コロムビア J7529/33 ( 仏COLUMBIA D15097/101 と同一録音)
 (1928年10月5,8日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドロベル(チェロ)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1876-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年52歳。カペーはパリ音楽院でジュマとJ.-P. モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。この録音時のメンバーは1918年からのもの。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していたカペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そして同年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音である。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ハイドン: 弦楽四重奏曲第67番「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。
78CDR-3083 ラヴェル:ソナチネ(1905)
ラヴェル:水の戯れ(1901)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1533/4
 (1931年5月11日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
スイスに生まれたフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積んだ。1896年一等賞を得て卒業。1897年バイロイトに赴き合唱指揮者となった。フランスに戻った後、1902年に「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演を指揮した。同年ソプラノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このラヴェルのソナチネはコルトーが54歳の時の録音。録音時作曲者のラヴェル(1875-1937)は56歳だった。コルトーによるラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3084 ブラームス:チェロ・ソナタ第2番ヘ短調作品99
 米 VICTOR 14699/702 (英HIS MASTER'S VOICE DB3059/62と同一録音)
 (1936年11月28日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
パブロ・カザルス(1876-1973)が英HIS MASTER'S VOICEの主要アーティストとして活躍しはじめた1936年録音で、バッハの無伴奏チェロ組曲第2番と第3番の5日後の録音。まるで昨日の録音のような音の生々しさは圧倒的。録音後70年以上を経たものとはとても思えない。
78CDR-3085 モーツァルト:弦楽五重奏曲ト短調 K.516
 米COLUMBIA 67838/41-D (英 COLUMBIA LX61/4と同一録音)
 (1930年3月2日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
L.ドリヴェイラ(第2ヴィオラ)
レナー弦楽四重奏団は20世紀前半の活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。このシリーズのレナー弦楽四重奏団はモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3055)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番(78CDR-3062)が出ている。
78CDR-3086 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
 英 HIS MASTER'S VOICE DB8282/5
 (1937年3月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれの20世紀最高のヴァイオリニストの一人。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、10歳の春にデビュー。その後ロシアの諸都市で演奏、1913年にはベルリンでニキシュ指揮の下で演奏した。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住した。以降天才少年は一流演奏家としての待遇を受けた。この協奏曲は36歳の時の録音。録音場所をロンドンに選んだのも、当時の英国のクラシック音楽の録音技術がアメリカを越えていたからであろう。
78CDR-3087 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
 デンマーク TONO X25065/7
 (1946年8月31日,9月9日,1947年6月16日録音)
エミール・テルマニー(ヴァイオリン)
トーマス・イェンセン指揮
室内管弦楽団
エミール・テルマニー(1892-1988)はハンガリー生まれのヴァイオリニストでブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1919年来デンマークのコペンハーゲンに在住、作曲家カール・ニールセン(1865-1931)の娘婿となった。テルマニーはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータをカーヴドボウ(彎曲した弓)"Vega" で弾いて注目され、初期LP時代に英DECCAに録音もあった。TESTAMENT社からCDが発売されている。
78CDR-3088 プニャーニ:ラルゴ・エスプレッシーヴォ
クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット(プニーニのスタイルによる)
コレッリ:ラ・フォリア
 日本コロムビア JW232&J7940
 (原録音:米COLUMBIA 50235D,50161D)
 (1929年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
サンフォード・シュルッセル(ピアノ)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で、作曲を5歳で始めた。1888年7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に入学、1899年までヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926) 、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後進の指導にあたった。この録音は1929年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録音時エネスコは48歳だった。このシリーズでショーソン:詩曲(78CDR-3018)、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3035)とクライスラー:プロヴァンスの朝の歌&ダンブロジオ:セレナード(78CDR-3066)が出ている。
78CDR-3089 チャイコフスキー:カプリッチョ風小品作品62
グリンカ:メロディア
 ソ連 Dolgoigratsia 78 D450/1
 (1952年録音)
ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(チェロ)
キリル・コドラシン指揮
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団(1)
A.A.デディムヒン(ピアノ)(2)
2007年4月27日に80歳の生涯を閉じたチェロの巨匠ムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ(1927年3月27日生まれ)の78回転盤録音。ロストロポーヴィッチが西側に姿を現したのは1956年だった。鉄のカーテンの向こう側の時代のロストロポーヴィチ25歳の演奏が聴ける。ローストロポーヴィッチ初録音の一つの貴重な一枚。LPと同じ音ミゾでカットした10インチ78回転盤。
78CDR-3090 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番 BWV1001からアダージョ
 米 VICTOR 8074/9(英 HIS MASTER'S VOICE DB990/5 と同一録音)
 (1926年12月15-16日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
フリッツ・クライスラー(1875-1962)はこの1926年と1936年の2回ベートーヴェンを録音した。この1926年版はSP時代この曲の決定盤と評価されていた。電気録音の最初期のためまだ録音機の回転精度が悪く、面によってピッチが異なっていた。また第12面に収録されたバッハの無伴奏も圧倒的な感動を覚える名演奏である。クライスラーが51歳の時の録音。クライスラーの主要録音のほとんどはこのシリーズで出ている。
78CDR-3091 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
 米VICTOR 8080/3 (英 HIS MASTER'S VOICE DB997/1000と同一録音)
 (1926年12月9-10日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は1926年と1936年の2回メンデルスゾーンを録音した。この1926年版はクライスラーが電気録音になって初の協奏曲録音で、SP時代この曲の決定盤と評価されていた。クライスラーが51歳の時の録音。クライスラーの主要録音のほとんどはこのシリーズで出ている。
78CDR-3092 ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
ショパン: マズルカ第38番嬰ヘ短調作品59-3
 米 COLUMBIA 67800/3-D(原録音:仏COLUMBIA D15236/9)
 (協奏曲:1928年6月28,29日録音,マズルカ:11月6日録音)
マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ音楽院管弦楽団
マルグリット・ロン(1874-1966)は17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年に19歳でコンサート・デビューし、1906年32歳で母校パリ音楽院の教授に就任した。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1953)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。この録音はロンが54歳の時のもの。ロンの録音はモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 K.488(78CDR-3023)、ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(78CDR-3075)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3093 モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」
 仏 DECCA TF141/4
 (1930年パリ、ガヴォー音楽堂録音)
 (注:原録音のオーケストラ音に著しい歪みがあります)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)
レナルド・アーン指揮
コンセール・パドゥルー管弦楽団
マグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ、サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ音楽院に入り9カ月後に一等賞を得た。その後コルトー(1877-1962)に師事した。指揮のレナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカスに生まれ、3歳の時にパリに移住した。6歳の時に神童としてナポレオン3世の従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノでのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦で10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、パリ・オペラ座の指揮者として活躍、またザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。この録音はベルエポックのスター二人によるもので、パリのモーツァルト演奏がどんなものだったかを知ることができる貴重なもの。残念ながら録音技術に欠陥があり音質が非常に悪い。だが他に聴くことができない歴史的モーツァルト演奏のためこのシリーズに加えた。
78CDR-3094 J.S.バッハ=コルトー編曲:コンチェルト・ダ・カメラ
 (原曲=ヴィヴァルディ:協奏曲作品3の11「調和の幻想」の
  J.S.バッハによるオルガン協奏曲ニ短調 BWV596)
J.S.バッハ=コルトー編曲:
 アリア(原曲=クラヴィーア協奏曲第5番ヘ短調 BWV1056- 第2楽章)
  米 VICTOR 15463/4, 15412
  (原録音:英 HIS MASTER'S VOICE DB3261/2)
  (1937年5月18日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)がソロ・ピアノに編曲したバッハの協奏曲である。コルトーはバッハのブランデンブルグ協奏曲の全曲を自らの指揮とピアノで録音したほどにバッハを敬愛していた。ここにはコルトーのバッハ感が集約されている。
78CDR-3095 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
 仏 COLUMBIA LFX841/3
  (1948年7月6日パリ録音)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
アンドレ・ナヴァラ(1911-1988)は1920年、9歳でトゥールーズ音楽院に入り4年後に一等賞を得て、さらにパリ音楽院出研鑽を積み1927年に一等賞を得た。卒業後クレトリー弦楽四重奏団に入り1935に退団、1937年にウィーン国際コンクールで優勝、ソリストとして華やかな活動を開始した。1949年にパリ音楽院教授に迎えられ、イタリア、シエナのシギアーナ音楽アカデミーの教授もつとめた。1940年代後半からソロよりもむしろ室内楽の分野で活躍し、ステレオ時代になってからもソロ録音が多い。この録音はナヴァラ38歳の録音。
78CDR-3096 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.311(284c)「トルコ行進曲つき」
 独 ELECTROLA DB1993/4
 (1933年4月25,28日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)のHIS MASTER'S VOICEへの初録音。フィッシャーはスイスのバーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンでリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年にベルリン高等音楽院の教授に就任し後進の指導にあたる一方、演奏家としても活躍した。弟子にはレーヌ・ジャノリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ・スコダ(1927-)、イエルク・デムス(1928-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-) 、ダニエル・バレンボイム(1942-)らがいる。フィッシャーはモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-3057)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3097 モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458「狩り」
 米 COLUMBIA 67740/2-D (原録音:英 COLUMBIA L2261/3)
 (1928年11月3日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団
この録音が行われた1928年秋、英国COLUMBIA社はカペー弦楽四重奏団とレナー弦楽四重奏団の2大カルテットを擁していた。この時代は同一レーベルが同一曲を別団体で録音することは極力避けられていた。レナー弦楽四重奏団の「狩り」はこのような状況の下で録音された。この団体の最も得意とした曲と言える。ハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人の奏者は、革命後祖国を離れてロンドンを中心に活躍した。モーツァルトの録音はクラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、弦楽四重奏曲第14番K.387(78CDR-3055)、弦楽四重奏曲第15番 K.421(78CDR-3062)、弦楽五重奏曲ト短調 K.516(78CDR-3085)がこのシリーズで出ている。この復刻には米COLUMBIAのブルー・シェラック盤を使用した。
78CDR-3098 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第30番ニ長調 K.306(300l)
 ベルギー HIS MASTER'S VOICE DB4703/4
 (1950年1月20日録音)
カルロ・ファン・ネステ(ヴァイオリン)
ナウム・スルズニー(ピアノ)
カルロ・ファン・ネステ(1914-)はベルギーのブリュッセル王立音楽院出身でジョルジュ・エネスコに師事した。1933年にアンリ・ヴュータン賞を受賞した。ベルギーの生んだ世界的ヴァイリニスト、アルテュール・グリュミオー(1921-1986)の先輩にあたる。ナウム・スルズニー(1914-1979)はステファン・アスケナーゼに師事したピアニスト。第2次世界大戦直後の録音。フランス・ベルギー楽派の伝統が生きている。このソナタの初レコード。
78CDR-3099 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調 K.380(374f)
 スカンジナヴィア HIS MASTER'S VOICE DB5258/9(デンマーク)
  (1941年録音)
エールリング・ブロッホ(ヴァイオリン)
ホルゲル・ルンド・クリスティアンセン(ピアノ)
エールリング・ブロッホ(1904-1992)はデンマークのヴァイオリニスト。演奏活動の傍ら教師として後進の指導にあたった。ピアノのホルゲル・ルンド・クリスティアンセンは尊敬を集めたピアニスト。これは第2次世界大戦中の録音。この二人はニールセンのヴァイオリン・ソナタ第2番をデンマークHMVに録音していた(DB5219/20)。
78CDR-3100 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
 米 RCA VICTOR 16015/16020
 (英HIS MASTER'S VOICE DB8414/19と同一録音)
  (1936年11月23日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年にパリで録音された。1930年の半ばにしてEMIの録音技術は完成していた。ノイズの少ない米RCA VICTOR盤からの復刻。英 HIS MASTER'S VOICE盤からの復刻は78CDR-3004で出ている。
78CDR-3101 ブラームス:
 ヴァイオリンとチェロのための複協奏曲イ短調作品102
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1311/4
 (1929年5月10-11日バルセロナ、オリンピア劇場録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
アルフレッド・コルトー指揮
バルセロナ・パブロ・カザルス管弦楽団
アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)の壮年期の3人が一同に会した最後の録音。ここではコルトーが指揮者を務めている。香り立つロマンが横溢して、タイムカプセルが80年前の世界に導いてくれる。
78CDR-3102 ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
 独 ELECTROLA BD7666/71
 (1943年3月31-4月1日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)による唯一正規録音の「英雄」。第2次世界大戦の真っ只中、ヒトラーの統制下のベルリンで行われた録音。ク
ナッパーツブッシュはベルリン・フィルと1942年からエレクトローラ(EMI)に録音を始めた。そしてこの「英雄」がベルリン・フィルの戦前最後の商業録音になった。このレコードは戦中のためプレス枚数が極めて少なく、現在SP盤を見ることは滅多にない。この時期のベルリン・フィルはフルトヴェングラーやヨッフムが指揮して帝国放送局(RRG)に録音を行っていた。それらはLP時代になってウラニアやメロディア、VOX等から発売された。
78CDR-3103 チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
 独 ELECTROLA BD4609/14
  (1938年10月25-27日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がEMIに録音した正規録音。正規録音とは指揮者自身がレコードとして承認したもので、放送録音など指揮者が生前レコードになることを許可しなかった演奏とは違うものをさす。今回の復刻はオーケストラの細部を克明に彫りだすことに努めたことで、演奏の感動がまた新たになるだろう。
78CDR-3104 ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
 米RCA VICTOR 12259/63
 (英HIS MASTER'S VOICE C2949/53 と同一録音)
 (1937年10月30日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒ学んだ。10歳の時にピアニストとしてウィーン交響楽団の演奏会でデ
ビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のアシスタントを務めたこともある。1930年から36年にはチェコ・フィ
ルの音楽監督、1942年から46年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者だった。1946年にアメリカ市民となり、46年から70年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の地位にあった。この録音はカザルスをソリストに迎えたドヴォルザーク:チェロ協奏曲(78CDR-3060)の半年後、チェコ・フィルがヨーロッパ・ツアーした際にアビー・ロードで録音された。
78CDR-3105 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 独 ELECTROLA BD1120/24
 (1927年11月21,23,25日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は電気録音最初期の1926/7年にベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を指揮者レオ・
ブレッヒとベルリンでHIS MASTER'S VOICEに録音した。このブラームスがベートーヴェン、メンデルスゾーンより1年遅かったため前2作品より優れた音質の録音になっている。クライスラーは1936年に3大協奏曲をロンドンで再録音した。これらはすべて78CDRシリーズで復刻されている。50歳代初頭のクライスラーと60歳代に入ってからの演奏を聴きくらべるのも面白い。
78CDR-3106 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
 独 ELECTROLA DB3707/8
 (1938年ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-86)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授になり、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーのベートーヴェンの演奏は同時代に活躍したバックハウス(1884-1969)やシュナーベル(1882-1951)には無い "心の内に燃えさかる感情の炎" が見える。
78CDR-3107 ラロ:スペイン交響曲作品21
 仏 DISQUE GRAMOPHONE L-923/6
  (1932年2月パリ録音)
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ピエロ・コッポラ指揮
コンセール・パドゥルー管弦楽団
アンリ・メルケル(1897-1969)はパリ・オペラ座の管弦楽団やコンセール・ラムルー管弦楽団の団員を務めた後、1927年にパリで独奏会を開いた。1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターになり、その後ソリストとして独立した。このスペイン交響曲はSPレコード時代にカットされることが多かった第3楽章インテルメッツォが収録されている。指揮者のピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれ。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍した。大バス歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。メルケルはこのシリーズでベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)が出ている。
78CDR-3109 サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」
 米 RCA VICTOR 13238/41
 (仏 DISQUE GRAMOPHONE
  W1092/5と同一録音)(1930年2月パリ録音)
アレックス・スイエ(オルガン)
リュシアン・プティジャン&
ドニーズ・エルブレシュト(ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
交響楽団
その昔、このオルガンを聴きえた人は居たのだろうか。電気録音初期のこの曲の初レコードで、SPレコードながらオルガンが自然なバランスで録音されている。当時の蓄音機や電蓄などでは再生が難しかったと思われる。またこのディスクは作曲家サン=サーンス(1835-1921)の生前の演奏様式を知ることができる貴重な録音。ライブを彷彿させる熱気溢れる演奏。ピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれの指揮者で作曲家。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍したほか、大バス歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。
78CDR-3110 サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調作品75
 米 COLUMBIA P-71214/6D(仏Pathe PAT 15/7と同一録音)
 (1934年6月28 & 30日パリ録音) 
アンドレ・パスカル(ヴァイオリン)
イジドール・フィリップ(ピアノ)
フランス近代ヴァイオリン・ソナタの名作であるフォーレの第1番(1877年作)やフランクのソナタ(1886年作)の間に埋もれている感のあるこのソナタはカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)が1885年に作曲した。ピアニストのイジドール・フィリップ(1863-1958)はハンガリー系のフランスのピアニストで、1883年パリ音楽院で一等賞を得てサン=サーンスにも師事した。1903年から1934年まで母校の教授を務め、門下に多くの名ピアニストを輩出した。ヴァイオリンのアンドレ・パスカル(1894-没年不詳)はパリ音楽院に学び、パリ音楽院管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院の教授を務めた。この録音は作曲者サン=サーンスの生誕100年の年に、故人と縁の逢った演奏者によって録音された貴重なもの。この曲の世界初録音であった。
78CDR-3111 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
 (カデンツァ:J.ヨアヒム)
日COLUMBIA J8445/7 (英 COLUMBIA LX-386/8と同一録音)
(1934年10月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音もしている。このモーツァルトはシゲティの長い録音経歴で唯一のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲。トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。シゲティとビーチャムの顔合わせはメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1124)で出ている。
78CDR-3112 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37
 独 POLYDOR 67946/50
 (1942年6月11日ドレスデン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。機械式録音時代からステレオ録音の時代まで多くの録音を残した。パウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。1932年から1942年までドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮者を務めた。ケンプとファン・ケンペン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:ピアノ協奏曲全5曲はLP初期の1953年の録音が有名だが、これは1942年第2次世界大戦下のドレスデン録音。ケンプ47歳の壮年期の演奏が聴ける。物資窮乏の時代のためプレス枚数が極めて少なく、おそらくこれが初復刻だと思う。ケンプとファン・ケンペンの組み合わせはベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120), モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-1153)が出ている。
78CDR-3113 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 蘭 HIS MASTER'S VOICE DB9570/2
 (1949年5月3-4日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。戦後の1947年にエディンバラ音楽祭に初登場、同時にEMIの専属アーティストになった。この録音はSP時代の末期のもの。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSP時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。デ・ヴィトーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番BWV1004(78CDR-3019)とJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV1042(78CDR-3052),ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)が出ている。
78CDR-3114 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9413/5
 (1949年6月10日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に学び、10歳の春にデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高ののヴァイオリン奏者として崇められた。この録音はSP最後期の録音。ハイフェッツ初のメンデルスゾーンであった。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ハイフェッツはチャイコフキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3086)が出ている。
78CDR-3115 ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
 英 DECCA AK1610/3
 (1947年2月14日ジュネーヴ放送局スタジオ録音)
カール・シューリヒト指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
おそらくLP、CDでの初復刻。カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。SP時代からベートーヴェンやブルックナーの録音を独ポリドールに残していた。これはシューリヒトがスイス・ロマンドを指揮した珍しいもので、わが国ではほとんど知られていなっかった。LP時代にパリ音楽院やウィーン・フィルを指揮していたこの大指揮者の第2次世界大戦直後のスイス録音は、颯爽とと直進する若々しさが横溢している。英デッカのffrr録音。
78CDR-3116 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
 英 COLUMBIA LX8673/6
 (1947年12月1&6 日ウィーン録音)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
フリートリヒ・ヴューラー(ピアノ)
おそらくLP、CDでの初復刻。ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれ。幼少期に神童と注目されヴォルフィの名でオーストリア・コロンビアに小品の録音があった。17歳でウィーン交響楽団の第1ヴァイオリン奏者になり、その後ウィーン・フィルハーモニーに入り、1937年から1950年までコンサート・マスターの地位にあった。その時期にシュナイダーハン弦楽四重奏団のリーダーやエトヴィン・フィッシャー・トリオのメンバーとしても活躍した。このSP録音はシュナイダーハンがドイツ・グラモフォン専属になる前のもの。ピアノのフリートリヒ・ヴューラー(1900-75)はウィーン音楽アカデミーに学び、母校の教授をつとめた。LPの初期に米VOXに録音を残していた。
78CDR-3117 モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K.397
 仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB3147/50
 (1937年3月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ピアノ)
ワルター・ゲール指揮管弦楽団
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランド出身のハープシコード&ピアノ奏者。パリのプレイエル社に2段鍵盤の特注したハープシコードでSPレコードの電気録音初期から多くの録音を残した。この「戴冠式」はランドフスカが初めてピアノを弾いた録音。イギリス国王ジョージ6世(1895-1952、現エリザベス女王の父君)の即位を記念した録音と伝えられる。指揮者のワルター・ゲール(1903-1960)はドイツ出身でシェーンベルクについて作曲を勉強した後イギリスに亡命。指揮者として活躍した。ランドフスカはJ.S.バッハ:ゴルトベルグ変奏曲(78CDR-3073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集18曲(78CDR-3081)が出ている。
78CDR-3118 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 仏 POLYDOR 566230/232
 (1947年10月29日パリ録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ポール・パレー指揮管弦楽団
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。モーツァルトの作品を得意として生涯プログラムの中心だった。この録音は第2次世界大戦後の1947年、ティボーが67歳の時のもの。指揮者のポール・パレー(1886-1979)は1911年パリ音楽院の作曲部門でローマ賞を得て、後に指揮者として活躍した。戦後の1951年アメリカのデトロイト交響楽団の指揮者に就任1963年まで務めた。DSDトランスファーによってこれまでの復刻LPとは違ったティボーのエレガントなヴァイオリンが聴ける。ティボーはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219(78CDR-3209)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-3080)が出ている。
78CDR-3119 J.S.バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001からアダージョ
 チェコ HIS MASTER'S VOICE ES663/5
 (1929年5月29日ウィーン録音)
アルノルト・ロゼー(ヴァイオリン)
アルマ・ロゼー(ヴァイオリン)
室内管弦楽団
ロゼー父娘による唯一の録音。アルノルト・ロゼー(1863-1946)はウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場オーケストラのリーダーを50年間(1881-1931)務め、機械式録音時代にも録音していた名手。アルノルト・ロゼーはグスタフ・マーラーの妹ユスティーネと結婚し、娘のアルマ・ロゼー(1906-1944)をもうけた。アルマはヴァイオリニストとなり、1932年に女性だけのオーケストラである "ウィーン・ワルツ・オーケストラ" を組織し好評を得た。アルマ・ロゼーはチェコ出身のヴァイオリニスト、ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)と1930年に結婚したが1935年に離婚。1938年にナチスのウィーン侵攻でロゼー父娘はロンドンに逃れたが、アルマはヨーロッパ大陸の戻りフランスで演奏活動中、ナチスのゲシュタボにつかまりアウシュウィッツに送られた。アルマはガス室に送られる人々の僅かの時間を慰めるために楽団を作ることを許されたが、1944年アウシュヴィッツで他界した。ガス室ではなく食中毒が死因とされている。ロゼーはベートーヴェン:ロマンスヘ長調作品50(78CDR-3059)が出ている。
78CDR-3120 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
 独 POLYDOR67674/8
 (1941年4月ベルリン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)とパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)のベートーヴェン:ピアノ協奏曲はモノLP初期の1953年に録音したベルリン・フィルとの演奏が有名だが、これは第2次世界大戦下の録音。オランダの指揮者ファン・ケンペンが指揮するベルリンのシャルロッテンベルグ・オペラのオーケストラとの共演。
78CDR-3121 シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61
 英 DECCA AK1748/52
 (1947年9月18-19日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ジョルジュ・エネスコ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニア出身。ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍した全能音楽家。この録音は第2次世界大戦後、英国デッカ社に残した極めて貴重な録音。わが国に多いエネスコ・ファンの間でも殆ど知られていないもの。エネスコ65歳の晩年の録音だが、透明で香り立つような親しめるシューマンである。英デッカのffrr録音。
78CDR-3122 ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
 英 DECCA AK1875/9
 (1948年3月22,24,25日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)によるこの曲の唯一のスタジオ録音。フルトヴェングラーはこの録音の翌日フィルハーモニア管弦楽団を指揮してヴァーグナー:楽劇「神々の黄昏」より、ブリュンヒルデの自己犠牲をソプラノのフラグスタートと録音した。この演奏をSP盤のダイレクト・トランスファーで聴いて、初めて周到なリハーサルと録音に3日間かけた成果が明らかになった。デッカのオロフ=ウィルキンソンのコンビによるffrr録音である。
78CDR-3123 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
 英 DECCA AK1603/5
 (1947年1月23&27日チューリッヒ放送スタジオ録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
カール・シューリヒト指揮
チューリッヒ・トンハレ管弦楽団
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルェツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。この録音は死の1年前のもので、クーレンカンプの良さがシューリヒトの絶妙なバックで最高に発揮されている。同じ時期に英DECCA にブラームス:ヴァイオリン・ソナタ全3曲をショルティのピアノで録音していた。ffrr録音。
78CDR-3124 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
パガニーニ:奇想曲作品1より第9番ホ長調「狩り」
 英 COLUMBIA LX262/4(一部日本コロムビア盤)
 (1933年9月28日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団((8)は無伴奏)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。1940年アメリカに移住した。シゲティは1931年の初来日以降何度も日本を訪れた。SP時代の日本録音も数多い。メンデルスゾーンはシゲティの唯一のスタジオ録音で、LP時代にも再録音しなかった。
78CDR-3125 フランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1099/1102
 (1927年12月12日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー( ピアノ)
インターナショナル弦楽四重奏団
( マンジョー、ペッカー、ハワード、ウィザース)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)が電気録音初期に残した貴重な録音。カペー四重奏団とマルセル・シャンピのピアノによる録音(78CDR-1034)の1年前のもの。作曲家フランクを敬愛していたコルトー50歳の演奏である。インターナショナル弦楽四重奏団は1919年にアンドレ・マンジョーによって、イギリスの現代音楽と諸外国の音楽との交歓演奏を目的にロンドンで組織された。マンジョーは1883年パリ生まれのヴァイオリン奏者。
78CDR-3126 モニク・ド・ラ・ブルショルリSP録音集
 (1)サン=サーンス:6つのエチュード作品111 から
  ピアノ協奏曲第5番のフィナーレによるトッカータ
 (2)シューベルト(I.フィリップ編):ワルツ作品9 D.365 から
 (3)-(4)第19番&第20番(2:35)DB1888B(0EA12445-2)
 ハイドン:ピアノ・ソナタ第34番ホ短調作品42 Hob.XVI:34
 ドメニコ・スカルラッティ(タウジッヒ編):
  (5)田園曲 L.413 (2:38)4001A(HD94RE)
  (6)奇想曲 L.375 (2:44)4001B(HD95RE)
英 HIS MASTER'S VOICE DA1888((1),(2)), DB21038((3),(4))
英 NIXA 4001((5),(6))(原録音:仏 PACIFIC 3720)
((1)-(4) 1947年10月22日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
((5)-(6) 1950年10月パリ録音)
モニク・ド・ラ・ブルショルリ( ピアノ)
モニク・ド・ラ・ブルショルリ(1915-72)はパリ生まれのフランスの女流ピアニスト。アルフレッド・コルトー(1877-1962)とイジドール・フィリップ(1863-1958)の弟子。1928年パリ音楽院の一等賞を得た。コンサート・アーティストとして活躍した傍ら母校で後進の指導にあたった。ヨーロッパ各地で演奏をしていた最中に自動車事故でキャリアを断たれた。最近マイナーレーベルに残されたこのピアニストの演奏がCD化されているが、ここに集めた30歳を越えたばかりの演奏は後年のものとは違った華麗な輝やきがある。SP録音末期のもので、(5)-(6)は最初期のテープ録音と思われる。
78CDR-3127 ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60
 独 POLYDOR 68139/43
 (1942年6月ベルリン録音)
カール・シューリヒト指揮
ベルリン市立管弦楽団
カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮した。シューリヒトのベートーヴェン:交響曲第1番から第9番は戦後のパリ音楽院管弦楽団を指揮したEMI録音がよく知られているが、この録音は第2次世界大戦下の1942年ベルリンで行われた。80歳を越えてもまだ現役の指揮者だったシューリヒトの62歳の録音である。
78CDR-3128 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調
 BWV1003 より「アンダンテ」(お詫び:中間部にゴトゴト・ノイズ)
日COLUMBIA J8491/5(原録音:英COLUMBIA LX509/13A & LX410B)
(1934年6月18,19,20,26日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団((1)-(9))
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。このベートーヴェンは1934年6月にラロ:スペイン交響曲(78CDR-1040)と同時期に録音された。聴く人の心を抉るような個性的な演奏。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ。ヨーロッパで活躍した後、アメリカに移住、1946年から1970年までの24年間はクリーヴランド管弦楽団を指揮しこのオーケストラを世界有数のものに育て上げた。
78CDR-3129 ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21
 独 ELECTROLA DB7657/8
 (1942年10月19-22日ウィーン録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれで、主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年にEMI のアーティストとなり、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行った。フィッシャーは協奏曲の演奏では独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活した。この録音も自らの指揮による「弾き振り」である。第2次世界大戦下のウィーン録音で超希少盤。第2楽章のカデンツァがことのほか美しい。終楽章は戦争終結の願いをピアノにぶつけるように突っ走る激しさがある。
78CDR-3130 フランク:交響的変奏曲
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2185/6
  (1934年3月13日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンデフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽陰にルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。この録音は作曲家フランク(1822-1890)を敬愛していたコルトーが57歳の時の録音。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。レコード黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音をすすめた功労者。ピアニスト出身で1909年ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者になり多くの録音を残した。電気録音になってからはコルトーやクライスラー(1875-1962)の協奏曲の指揮者をつとめた。
78CDR-3131 シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調作品99
 独ELECTROLA DB947/50
 (1926年7月5-6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
カザルス・トリオは1902年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)の三人によって結成された。当時三人はまだ20歳代の若い演奏家だった。このシューベルトはこのグループの初録音である。電気録音の最初期の1926年に行われた。ベートーヴェン:大公トリオ(78CDR-3009)、ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長調(78CDR-3199)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3132 ラロ:スペイン交響曲作品21
 米 COLUMBIA 12067/69-D(Set MM-564)
 (1944年11月19日&1945年3月15日
  ファイラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音)
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
ナタン・ミルスタイン(1903-1992)はロシアのオデッサ生まれ。11歳でペテルブルク音楽院に入学、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。のちにピアニストのホロヴィッツと知り合い一緒に演奏旅行をした。1929年にストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のコンサートでアメリカにデビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。この「スペイン交響曲」は第2次世界大戦末期の録音。溌剌として生気に満ちた演奏は後年のものとは違った味を持つ。ミルスタインはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)が本シリーズで出ている。
78CDR-3133 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」
 独 POLYDOR 67682/3
 (1940年録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)は機械式録音(ラッパ吹込)時代から活躍したドイツのピアニスト。モノーラルやステレオLP時代の録音は広く知られているが、SP録音はあまり知られていない。この「悲愴」は第2次世界大戦中の録音で、日本ではSP時代に発売されなかったようだ。特に第3楽章はこのピアニストの持ち味がよく出た美しい演奏。本シリーズではケンプの戦中録音のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3120),モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-1153)が出ている。
78CDR-3134 グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45
 ノルウェー HIS MASTER'S VOICE DB11900/02
 (1947年頃録音)
グンナール・クヌドゥセン(ヴァイオリン)
ロベルト・リーフリング(ピアノ)
作曲者エドゥアルト・グリーグ(1843-1907)と同郷のノルウェーの演奏家による録音。ヴァイオリンのグンナール・クヌドゥセンは1907年生まれ。ノルウェー録音のLPが十数枚あるがSP録音はおそらくこのソナタだけと思われる。ピアノのロベルト・リーフリング(1911-1988)はオスロ生まれ、ドイツでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に師事した。20世紀ノルウェーを代表するピアニストだったリーフリングはJ.S.バッハ平均律クラヴィア曲集を生涯2回録音した。このソナタの演奏は作曲家と同じ言語を感じさせる。第2楽章の玲瓏な響きは、他の演奏家では聞けない美しいもの。
78CDR-3135 フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13
 仏 PATHE PAT3/5
 (1934年2月17日パリ録音)
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)
1934年第1回フランス・アカデミー・シャルル・クロ・ディスク大賞受賞盤。ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院でマルセル・シャイエ(1881-1936)とジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し、1932年に16歳で一等賞を得た。ソリアノはソリストとして活躍すると同時にブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人となった。ピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ。両親はフランス人。1906年にパリ音楽院に入り9カ月後に一等賞を得た。本シリーズでは二人の演奏によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調K.454(78CDR-3027)が出ている。ソリアノのヴァイオリンではモーツァルトヴァイオリン協奏曲第3番K.216(ブーシュリ指揮78CDR-3108)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.378(78CDR-3047)、アーン:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3244)、ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-9 「調和の幻想」より&フォーレ:子守歌(ミュンシュ指揮 78CDR-1140)が出ている。
78CDR-3136 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 蘭 HIS MASTER'S VOICE DB6574/9
 (1947年8月29日録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は1945年のドイツ敗戦後、戦時中のナチス協力を疑われ、1947年4月まで演奏活動が禁止された。この録音は1947年8月にフルトヴェングラーが音楽祭に再登場した記念の録音。ソリストのユーディ・メニューイン(1916-1999)はフルトヴェングラーのナチス協力疑惑を晴らす証言で、大指揮者の弁護にあたった。録音時メニューインは31歳だった。SPレコード最後期の録音。
78CDR-3137 エルガー:チェロ協奏曲ホ短調作品85
 英 HIS MASTER'S VOICE DB6338/DBS6341
(1945年10月14日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
BBC交響楽団
サー・エドワード・エルガー(1857-1934)はイギリスの作曲家・指揮者。チェロ協奏曲ホ短調は1919年の作品。パブロ・カザルス(1876-1973)は20世紀最高のチェリスト。1939年母国スペイン内戦でフランスに亡命、スペインのフランコ政権を認める国では演奏しないと宣言し、スペインとの国境に近いプラドで隠棲していた。1945年6月から演奏活動を再開、同年10月にアビー・ロードで6年ぶりの録音したのがこのエルガー。だが各国政府がフランコ政権を容認したことで、11月から演奏活動を再び停止。それは5年後の1950年にプラド音楽祭が開かれるまで続いた。指揮者のボールト(1889-1983)はニキシュの影響を受けたイギリスの指揮者。1930年にBBC交響楽団が設立され初代首席指揮者になった。
78CDR-3138 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)
 英 COLUMBIA LX174/8
(1932年4月18日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮
ブリティッシュ交響楽団
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940にアメリカに移住した。シゲティは1931年の初来日以降何度も日本を訪れ、SP時代の日本録音も数多い。これはシゲティ40歳、初めてのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲録音。英COLUMBIAのエンジニア、アラン・ブルムレインが開発したMC型録音機による最初の録音。シゲティは後年ニューヨークでもブルーノ・ワルター(1876-1962)と同曲を再録音した。
78CDR-3139 ラロ:スペイン交響曲作品21
 仏 COLUMBIA LFX610/13
(1942年7月23日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団
ローラ・ボベスコ(1921-2003)はルーマニアのブカレスト生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1934年13歳で一等賞を得た。同年ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団でデビューした。さらに1937年ブリュッセルのイザイ国際コンクールで入賞し以後ソリストとして活躍、ブリュッセル音楽院の教授もつとめた。1970-80年代に日本を数回訪問し録音も多い。これはボベスコ21歳の時の初録音。第2次世界大戦下でドイツ軍に占領されたパリで録音された。ここでは通常カットされる第3楽章「間奏曲」が演奏されている。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの名指揮者。SPレコード時代に多くの録音を残していた。







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