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<グッディーズ・オリジナル>
ダイレクト・トランスファー CD-R
その6  最新新譜
1CD-R\1500


 グッディーズ・オリジナル・ダイレクト・トランスファーCD-R。予想通りのすごい反響。その生々しさはやはりただものではなかった。
 グッディーズは東京にあるクラシック専門のCDショップなのだが、ここが自社製作しているSPレコードの復刻CD-Rの評判がすこぶる良い。東京在住のお客様からときどき「グッディ-ズのCD-R扱わないんですか?いいですよ。」と言われるてきた。
 ということで「グッディーズ・オリジナル ダイレクト・トランスファー CD-Rシリーズ。」
 ご覧のように誰もが知る名盤中の名盤から、知る人ぞ知るレアな演奏家の貴重録音まで、実に多彩。お手持ちの復刻版との比較を楽しんでもよし、ようやくの再会にむねをときめかしてもよし。
 なお編集を一切行っていないため、盤が変わる間には空白が入る。これこそがSPの醍醐味か。

 これ以前の旧譜はこちらをどうぞ。その1 その2 その3 その4 その5

グッディーズより

●SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R
 SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。
 収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。

■ご注意
 編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。
 トラック間の空白部分は統一されていません。
 リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。
 一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。
 最近の復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機が使用されている。


<2022年8月 紹介新譜>
78CDR-3878
¥1500
チャイコフスキー:
 交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
ブルーノ・ワルター指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 ※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源
 独 POLYDOR 69771/5 1925年3月ベルリン録音

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を逃れてフランス、イギリスを経てアメリカに移住した。この録音はラッパ吹き込み末期のもので、ワルターはこの曲をその後再録音をしなかったので貴重な一枚。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用 MC型カートリッジ、スピリッツ(4mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3879
¥1500
ブラームス:
 ピアノ四重奏曲第1番ト短調作品25
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団のメンバー;
 アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
 フーゴー・ゴッテスマン(ヴィオラ)
 ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

 英 COLUMBIA LX 8685/89 1949年5月25日ロンドン、アビー・ロードEMI第3スタジオ録音

 ブッシュ弦楽四重奏団のリーダー、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と、ブッシュの娘婿でピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)が第2次世界大戦後の1949年にロンドンのアビー・ロードで録音した一枚。ピアノ四重奏曲第2番作品26は1932年に開設間もない同スタジオでHMVに録音されていた(78CDR-3790)。この時のヴィオラ奏者はカール・ドクトルだった。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用 MC型カートリッジ、スピリッツ(4mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3880
¥1500
辻吉之助&辻久子 父・娘SP録音集
 (1)ジョスランの子守唄(ゴダール)
 (2)スコットランドの釣鐘草
   辻吉之助(ヴァイオリン)  岩淵繁造(ピアノ)
   日NITTO RECORD 1064A/B 大正13年(1924年)1月発売
   機械式録音(ラッパ吹き込み) 
 (3)ユモレスク(ドヴォルザーク) 途中大きな雑音
 (4)ホーム・スイート・ホーム(ビショップ) 途中大きな雑音
   辻吉之助(K. YOSHIDAの表記)(ヴァイオリン)
   日NITTO RECORD 945A/B  大正12年(1923年)9月発売  
   機械式録音(ラッパ吹き込み)
 (5)トロイメライ(シューマン)
 (6)夏の名残りのバラ(庭の千草)変奏曲
   辻吉之助(K. YOSHIDAの表記)(ヴァイオリン)
   日NITTO RECORD 925A/B  大正12年(1923年)8月発売
   機械式録音(ラッパ吹き込み)
 (7)アヴェ・マリア(シューベルト)
 (8)序奏とタランテラ作品43(サラサーテ)
   辻久子(ヴァイオリン),  田中園子(ピアノ)
   日NITCHIKU(ニッチク)JW 723A/B (1944年録音)
 (9)マラゲーニャ(アルベニス)
   辻久子(ヴァイオリン),  田中園子(ピアノ)
   国際文化振興会 KBS-1003B(1944年録音)

 ※機械式録音(電気録音以前の)を含む

 辻吉之助(1898-1985)は京都出身。初め福井富之助に師事し、吉田吉之助を名乗っていた。その後、大正末期に来日したヴァイオリニスト、ボリス・ラス(1894-不詳)に師事した。昭和期になり、宝塚管弦楽団のコンサート・マスターをつとめた。弟子に娘の辻久子、久保田良作、和波孝禧がいた。辻久子(1926-2021)は天才少女として1935年9歳でリサイタル・デビュー。1938年毎日新聞社主催の音楽コンクール・ヴァイオリン部門で第1位。その後、第一線で活躍した。織田作之助の小説「道なき道」主人公の少女・寿子(ひさこ)のモデルとなった。1984年、父・吉之助との生活を題材にしたドラマ「弦鳴りやまず」が毎日放送によりTVシリーズ化され、自身も出演した。今回のSP復刻は初めてと思われる。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用 MC型カートリッジ、スピリッツ(4mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。



<2022年7月 紹介新譜>
78CDR-3875
\1500
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 日POLYDOR 60024/28(独 POLYDOR 69855/9と同一録音) 1926年10月16日)、10月30日、1927年1月30日ベルリン録音 (古いレコードのため雑音があります)

 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はベルリン生まれの大指揮者。1922年アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)の後任としてベルリン・フィルの常任指揮者に就任した。この「運命」はフルトヴェングラーの初のレコード録音で、1925年に始まったマイクロフォンを使用した電気録音だが、ドイツ・ポリドール社は米ブランズウィック社が考案したライト・レイ方式の電気録音を採用した。若き日の大指揮者の姿が浮き彫りにされているような素朴で力強い音である。全曲を3回のセッションに分けての録音。フルトヴェングラーは10年後の1937年にこの曲を同じベルリン・フィルと再録音している。本シリーズ78CDR-3521で出ている。比較試聴は興味深い。


 
78CDR-3876
\1500
シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44 リュセット・デカーヴ(ピアノ)
ブイヨン弦楽四重奏団
ガブリエル・ブイヨン(第1ヴァイオリン)
アルベール・ロカテッリ(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドゥローベル(チェロ)

 仏 DISQUES GRAMOPHONE DB5138/41 1941年3月18日パリ、ペルーズ・スタジオ録音

 ピアノのリュセット・デカーヴ(1906-1993)は幼少時からマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、パリ音楽院では1923年にイヴ・ナット(1890-1956)のクラスで一等賞を得た。その後音楽院でロンやナットの助手になり1947年に教授に選任され1976年に引退するまでその地位にあった。門下生にはラベック姉妹、ブルーノ・リグット、パスカル・ロジェ等がいる。ブイヨン四重奏団はガブリエル・ブイヨン(1896-1984)によって結成された。ヴィオラのアンリ・ブノワとチェロのカミーユ・ドゥローベルはカペー四重奏団のメンバーだった。デカーヴとブイヨン四重奏団はこのシリーズでフランクのピアノ五重奏曲(78CDR-3713)が出ている。

 
78CDR-3877
\1500
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番変ホ長調 K.481 リュセット・デカーヴ(ピアノ)
アンドレ・アスラン(ヴァイオリン)

 仏 DISQUE GRAMOPHONE W1573/74 1941年3月17日パリ、ペルーズ・スタジオ録音

 ピアノのリュセット・デカーヴ(1906-1993)は幼少時からマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、パリ音楽院では1923年にイヴ・ナット(1890-1956)のクラスで一等賞を得た。その後音楽院でロンやナットの助手になり1947年に教授に選任され1976年に引退するまでその地位にあった。門下生にはラベック姉妹、ブルーノ・リグット、パスカル・ロジェ等がいる。アンドレ・アスラン(1895-1993)はフランスのヴァイオリン奏者。パリ音楽院出身。


 



<2022年6月 紹介新譜>
78CDR-3872
¥1500
ショパン:
 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ作品22
 華麗なる大ワルツ変ホ長調作品18
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
トーマス・シャーマン指揮
リトル・オーケトラ・ソサイエティ

 英COLUMBIA LX1267/8 (米COLUMBIA 72728/9D と同一録音) 1947年11月8日、11月14日ニューヨーク録音

 クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ生まれ。1911年7歳の時チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアニストのフランツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任した。1941年にカーネギー・ホールにデビュー、本拠をアメリカに移しレコード録音も始めた。これは巨匠アラウの初期のもので、あまり知られていない演奏。指揮者のトーマス・シャーマン(1917-1979)はニューヨーク生まれ。指揮法をオットー・クレンペラーに師事した。1939年から41年アメリカ軍に入隊、軍楽隊の指揮者をつとめた。1947年自らリトル・オーケストラ・ソサイエティを創設した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3873
¥1500
メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」 セルゲイ・クーセヴィツキー指揮
ボストン交響楽団

 仏 DISQUES GRAMOPHONE DB2605/07 (米Victor 8889/91 と同一録音) 1935年1月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音

 セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はロシア帝国トヴェリ生まれ。モスクワ・フィルハーモニー協会音楽演劇学校(現ロシア舞台芸術大学)卒業後コントラバス奏者として活動を始めた。1908年にベルリンで指揮者デビューし、ロシア革命後の1920年にパリに移住。1924年にピエール・モントゥーの後任としてアメリカのボストン交響楽団の常任指揮者となり1949年までつとめた。後任はシャルル・ミュンシュ。クーセヴィツキーはボストン交響楽団を世界的に有名にした。またフランスの作曲家モーリス・ラヴェルにムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲を依頼したことも知られている。

 レコード録音はすべて米VICTOR。復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3874
¥1500
サン=サーンス:
 チェロ協奏曲第1番イ短調作品33(単一楽章)
グレゴール・ピアティゴルスキー(チェロ)
フレデリック・ストック指揮
シカゴ交響楽団

 米 COLUMBIA 11440/41 1940年3月6日シカゴ、シンフォニー・ホール録音

 グレゴール・ピアティゴルスキー(1903-1976)はウクライナのドニプロペトロウシク生まれのチェロ奏者。モスクワ音楽院に学び、15歳でボリショイ劇場の首席チェリスト。18歳の時、短期間ベルリン・フィルの首席チェリストをつとめた。1929年に渡米、1942年アメリカの市民権を得た。1941年から1949年までフィラデルフィアのカーティス音楽院チェロ科の主任教授をつとめた後、晩年はカリフォルニアで暮らした。指揮者のフレデリック・ストック(1872-1942)はドイツ生まれ。1895年アメリカのシカゴ交響楽団入った。1911年にシカゴ交響楽団の終身音楽監督。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 


<2022年5月 紹介新譜>

78CDR-3869
¥1500
ドヴォルザーク:
 交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
ニコライ・マルコ指揮
デンマーク国立放送交響楽団

 HMV Z.7008/12 1949年デンマーク録音

 ニコライ・マルコ(1883-1961)はウクライナ生まれ。父親がウクライナ人、母親がロシア人。1906年ペテルブルク大学を卒業後、1909年にペテルブルク音楽院を修了、マリインスキー劇場の指揮者にに就任、6年後に首席指揮者に昇格した。1909年よりミュンヘンでフェリックス・モットルに指揮法を師事した。1918年にヴィテプスク音楽院の楽院長に就任し、1921年からモスクワ音楽院で教鞭を執った。さらにキエフ、ハリコフでも指揮法の指導にあたった。1925年からレニングラード音楽院教授に就任、翌1926年にはレニングラード・フィルハーモニー交響楽団に常任指揮者になったが、1928年その座をアクサンドル・ガウクに譲り、1929年に西側からの出演要請を受けたのを機に、妻と一緒にソビエト連邦を去り、ウィーン、プラハに移住、さらにコペンハーゲンでデンマーク国立放送交響楽団の創設に携わり永久客演指揮者の称号を与えられた。1940年にアメリカに渡り指揮法の教師をつとめた。コペンハーゲン時代からEMIに多くの録音を残している。さらに1956年オーストラリアのシドニー交響楽団の首席指揮者に就任し、1961年シドニーで没するまで音楽監督の地位にあった。1959年には東京交響楽団の招きで来日している。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3870
¥1500
モーツァルト:弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590 レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

 英 COLUMBIA LX808/10 1939年2月8日ロンドン録音

 レナー弦楽四重奏団はハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人によって1918年に結成された。4人は1884年生まれと1885年生まれの同年代である。1920年のウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリスColumbiaの専属アーティストになった。この録音は結成後20年が経った頃のもの。熟成した演奏を披露している。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3871
¥1500
J.S.バッハ(ターティス編):シャコンヌ(ヴィオラ版) ライオネル・ターティス(ヴィオラ)


 ※機械式録音(電機録音以前)の復刻音源
 米 COLUMBIA 67071D/72D(英 COLUMBIA L-1644/5と同一録音) 1925年11月25日録音

 ライオネル・ターティス(1876-1975)はイギリス北部のウェストハートルプール生まれ。ライプツィヒ音楽院とロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学ぶ。王立音楽院在学中に弦楽四重奏でヴィオラを弾いたことがきっかけでヴィオラに転向、その後ソリストや室内楽で活躍した。20世紀初頭までヴィオラは独奏楽器ではなかったが、ターティスらの登場で、ヴィオラの独奏曲が多く作られるようになった。ターティスは1975年にロンドンで死去。ターティスを記念して1980年にライオネル・ターティス国際ヴィオラ・コンクールが設立された。この「シャコンヌ」はヴァイオリンの原曲を5度低く移調している。機械式録音の最末期の録音。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 




<2022年4月 紹介新譜>
78CDR-3865
¥1500
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番変ロ長調  作品97「大公」 アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)

 米 RCA VICTOR 11-8482/86/1941年9月12日&13日ニューヨーク録音

 「百万ドル・トリオ」と呼ばれたこのトリオの代表作。日米開戦の3カ月前にニューヨークで録音された。ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド出身。20世紀を代表するピアニストの一人。前半生をヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。演奏家キャリアは80年以上。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)は旧ロシア帝国のヴィリナ生まれ。 3歳でヴァイオリンをはじめ、1910年にサンクトペテルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。第1次世界大戦(1914-1918)中に一家でアメリカに渡り、1925年にアメリカの市民権を得た。その後大ヴァイオリニストとして君臨した。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クリンゲル(1859-1933)に師事した。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、上記の二人とのトリオで活躍したが、1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3866
¥1500
ブラームス:
 ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
パウル・コハンスキ(ヴァイオリン)
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)

 日VICTOR JD-41/3 (英HMV DB17828/30と同一録音)/1932年6月15日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音

 パウル・コハンスキ(1887-1934)は 7歳の時ウクライナのオデッサで、レオポルド・アウアー門下のエミル・ムウィナルスキに師事。1898年ムウィナルスキはワルシャワに行き、1901年ワルシャワ・フィルハーモニーを創設すると、14歳のコハンスキをコンサートマスターに任命した。その後コハンスキはワルシャワの上流階級の支援をうけブリュッセルの王立音楽院に留学、4年後に首席で卒業した。ほどなくポーランド出身の大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)と出会い、ロンドン、ニューヨークにデビュー、1924年から没年までジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動を続け、1934年に癌のため死去した。享年47歳。原盤番号の末尾の卍印はEMIのアラン・ブラムレイン(1903-1942)が開発した新型カッターを採用した録音の印で、程なく□印に変わった。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3867
¥1500
モーツァルト:ピアノ・ソナタ
 モーツァルト:
  ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
  ピアノ・ソナタ第18番ニ長調 K.576
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

 加 VICTOR 18279/81/1941年2月20-27日ニューヨーク、VICTOR Studios - Studio No.2録音

 クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ出身のピアニスト。1911年チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアニストのフランツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任した。1935年からベルリンでバッハとモーツァルトのクラヴィーア曲全曲演奏会を開いた。1941年にカーネギー・ホールにデビュー。本拠をアメリカに移し、VICTORに録音を始めた。これはその最初期のもの。その後アメリカCOLUMBIA(1940-1950)、英EMI(1950年代)、オランダPHILIPS CLASSICS(1960年代-1980年代)に多くの録音を残した。Track(5)で終結部が音の途中で切れているのは原盤通り。演奏時間が規定より長かったため録音エンジニアが最終音の途中でリードアウトを作成したため。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3868
¥1500
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550 フレデリック・ストック指揮
シカゴ交響楽団

 米 VICTROLA 7394/96/1930年12月22日シカゴ、220Sミシガン・アヴェニュ、オーケストラ・ホール録音

 フレデリック・ストック(1872-1942)はドイツ出身のアメリカの指揮者。軍楽隊長だった父親から初期の音楽教育を受け、13歳でケルン音楽院のヴァイオリン科に入る。1890年に卒業しケルン市立管弦楽団のヴァイオリン奏者になった。1895年アメリカのシカゴ交響楽団員候補者を見つけるためにドイツ訪問中のドイツ人指揮者セオドア・トマス(1835-1905)に出会い、オーディションの結果シカゴ交響楽団のヴィオラ奏者に選ばれた。渡米後指揮者としての才能を認められ、1899年に准指揮者に昇格。1905年にトマスが急逝するとシカゴ交響楽団の音楽監督の地位を引き継いだ。1911年シカゴ交響楽団の終身音楽監督になった。録音は1916年にColumbiaに、その後Victorにも録音をした。シカゴ交響楽団におけるストックの任期(37年間)はオーマンディのフィラデルフィア管弦楽団と並んでアメリカ人指揮者の最長記録。今や忘れられた名指揮者フレデリック・ストックの演奏を是非楽しんでいただきたい。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 




<2022年3月 紹介新譜>
78CDR-3863
\1500
ポール・ホワイトマン・オーケストラ 
 ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
 グローフェ:組曲「グランド・キャニオン」
ポール・ホワイトマン・オーケストラ

 英ブランズウィック A 5133 (米DECCA 29052 と同一録音)(ガーシュウィン)
 加 VICTOR 36301/4 (米RCA VICTOR 36052/5と同一録音)(グローフェ)
 1938年10月23日(ガーシュウィン)& 1932年4月26日(グロフェ)録音

 ポール・ホワイトマン(1890-1967)はアメリカのバンドリーダー、作曲家で両曲の初演指揮者。ホワイトマンがジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)に作曲を依頼した「ラプソディ・イン・ブルー」は1924年の機械式(ラッパ)録音(VICTOR)、1927年の電気録音(VICTOR)とこの1938年のDECCA 録音と3回録音している。「グランド・キャニオン」の作曲者、ファーディ・グローフェ(1892-1972)はニューヨーク生まれ。1920年にポール・ホワイトマン楽団にピアニスト、アレンジャーとして入り、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の編曲で名声を博した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3864
\1500
メンゲルベルグ指揮
 チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調作品48
ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセトヘボウ
 管弦楽団弦楽セクション

 チェコ ULTRAPHON G14219/21(独 TELEFUNKEN SK2901/3と同一録音)
 1938年11月7日アムステルダム録音

 ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年には合併前のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を兼任。レコード録音は機械式録音と電気録音のニューヨーク録音は米VICTOR、電気録音初期のコンセルトヘボウとの録音は英COLUMBIAと独ODEON に、電気録音完成期には独TELEFUNKENに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音はLP時代になって蘭PHILIPS から発売された。この録音はTELEFUNKEN時代のもので、チェコのULTRAPHON盤から復刻した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

 

 



<2022年2月 紹介新譜>
78CDR-3859
¥1500
パガニーニ(ウィルヘルミ編曲):
 ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品 6(単一楽章)
ラースロ・セントジェルジ(ヴァイオリン)
クレメンス・シュマルシュティッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 独 HMV EH418/19/1929年10月録音

 ラースロ・セントジェルジ(1910- ?)はハンガリーのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でオスカル・ステューデルとイエノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1927年フランクフルトで開催された世界博覧会でブダペスト交響楽団のソリストとして登場した。1930年にはイエノ・フバイによって開かれたパリでの演奏会で輝かしい技巧を披露し大喝采を浴びた。SPレコードには十数枚の録音があるが、その後の消息は不明。クレメンス・シュマルシュティッヒ(1880-1960)はドイツの指揮者、作曲家。1927年ドイツのELECTROLA 社の音楽監督を務めたことがあり、この録音はその時期のもの。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-7860
¥1500
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
レオニード・クロイツアー(ピアノ)

 日 POLYDOR 5027/29/1931年東京録音

 アレクサンドル・モギレフスキー(1885-1953)はウクライナのオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後モスクワに出てヤン・グルジマリに師事した。モスクワでは弦楽四重奏団を組織したり教員生活を送った後1922年にパリに移住し、ヴァイオリン奏者で弦楽四重奏団のリーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもった。ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独自の音色を身につけた。1926年11月初来日、1930年に再度来日してから1953年に亡くなるまで、演奏家として、また優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。ピアノのレオニード・クロイツァー(1884-1953)はロシア生まれの名ピアニスト。1931年初来日。1933年に再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京藝術大学)教授をつとめた。これは第1回の来日時の録音。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3861
¥1500
シューマン:幻想曲ハ長調  作品17 エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

 英 HMV DB6959/61/1949年5月30-31日ロンドン録音

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニストで指揮者、教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/46)の世界初録音を行った。1942年にスイスに戻った。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3862
¥1500
モーツァルト:幻想曲、ピアノ・ソナタ
 幻想曲ハ短調 K.475
 ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457
リリー・クラウス(ピアノ)

 英 PARLOPHONE R 20438/41/1939年2月28日&4月19日ロンドン録音

 リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)とゾルタン・コダーイ(1882-1967)に師事した。1922年ウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して世界各国で評判をとった。第2次世界大戦後はイギリス国籍を取得し、その後アメリカで活躍した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグNu1DSD録音機を使用した。

 



<2022年1月 紹介新譜>
 78CDR-3857
\1500
ヨーロッパ時代のブライロフスキーの演奏
 ショパン:
  ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
  マズルカ第5番変ロ長調作品 7-1
  幻想即興曲嬰ハ短調作品66
  エチュードヘ短調作品25-2 -
  エチュード変ト長調作品10-5「黒鍵」
  ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2
アレクサンダー・ブライロフスキー(ピアノ)

 米 RCA VICTOR 1650/3, set DM548(auto)(英HMV DB3700/2と同一録音)
 (ソナタ第3番)1938年録音
 独 POLYDOR 95324(マズルカ&幻想即興曲)1929年録音
 仏 POLYDOR 95140 ( エチュード&ワルツ)1928年録音

 アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)はウクライナのキエフ生まれ。1911年にキエフ音楽院をゴールドメダルを得て卒業し、1914年までウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事してさらに研鑽を積んだ。その後チューリッヒでフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に、最後にフランシス・プランテ(1839-1934)についた。1926年にはフランスの市民権を得た。ブライロフスキーはショパンの全160曲のピアノ作品を6回のコンサートで演奏する史上初の快挙をうちたて、その一部ではショパンの所有したピアノを演奏した。ブライラフスキーはこのシリーズで1928年録音のショパン:ピアノ協奏曲第1番(78CDR-3542)が出ている。一味違うヨーロッパ時代のブライロフスキーの演奏に是非耳を傾けて頂きたい。


 
 78CDR-3858
\1500
オーブリー・ブレイン(ホルン)
 モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417
 グラズノフ:夢 作品24
オーブリー・ブレイン(ホルン)
ジョゼフ・バッテン指揮ロイヤル交響楽団
 (モーツァルト)
マリオン・ブレイン(ピアノ)(グラズノフ)

 英 EDISON BELL X508/9 1926年頃録音

 オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレイン(1921-1957)の父親。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から母校の王立アカデミーでホルンを教えはじめた。その生徒の一人が息子のデニス・ブレインだった。指揮者のジョゼフ・バッテン(1885-1955)は初期の英国レコード界で活躍した人物。音楽はほぼ独学。蝋管レコード時代から活躍し、1914年EDISON BELL社に入り、後に英国COLUMBIAに移った。レコード会社専属のハウス・コンダクターの一人だった。ピアノのマリオン・ブレインはオーブリー・ブレイン夫人。デニス・ブレインの演奏するモーツァルト:ホルン協奏曲第2番&第4番はこのシリーズで78CDR-3291、オーブリー・ブレインの演奏するホルン協奏曲第3番は78CDR-3272が出ている。


 




<2021年12月 紹介新譜>
78CDR-3854
¥1500
きよしこの夜(下)
 (1)ロッテ・レーマン(ソプラノ)  オルガン伴奏
 (2)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) 、ハーバート・ドーソン(オルガン)
 (3)ウェストミンスター合唱団(ジョン・フィンリー・ウィリアムソン指揮)
 (4)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、
  ジョン・プリッチャード指揮 、フィルハーモニア管弦楽団&コヴェント・ガーデン合唱団
 (5)ベルリン・モテット合唱団(ギュンター・アルント指揮)

 ※電気録音編

 ヨーゼフ・モール(1792-1848)作詞、フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1963)作曲
 今回は1925年以降のマイクロフォンを使用した通称電気録音編。
 「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。
 日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。
 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 (1)ロッテ・レーマン(ソプラノ)  オルガン伴奏
 COLUMBIA S30062(JP) 原盤:独ODEON O-4810  ドイツ語歌唱  1928年9月4日録音
 ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツ生まれのソプラノ。ヨーロッパで大成功した後、1935年ナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに渡り永住権を得た。

 (2)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) 、ハーバート・ドーソン(オルガン)
 HMV DA1667(U.K.)  英語歌唱 1938年10月22日ロンドン、アビーロード録音
 エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。この録音直後にアメリカに移住した。オペラ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。

 (3)ウェストミンスター合唱団(ジョン・フィンリー・ウィリアムソン指揮)
 COLUMBIA 55009(U.S.)  英語歌唱 1941年ニューヨーク録音
 ウェストミンスター合唱団は1920年に指揮者のジョン・フィンリー・ウィリアムソンによってニューヨークに創設された。現在も活動している。

 (4)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ジョン・プリッチャード指揮 、フィルハーモニア管弦楽団&コヴェント・ガーデン合唱団
 COLUMBIA LO-86(Australia)  英語歌唱 1949年3月3日アビー・ロード録音
 エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915-2006)はドイツ生まれのイギリスのソプラノ。リートとオペラの両分野で活躍した。

 (5)ベルリン・モテット合唱団(ギュンター・アルント指揮)
 POLYDOR P35(JP) 英語歌唱 1952年録音 戦後のLP時代に録音された合唱。

 
78CDR-3855
¥1500
ベートーヴェン:交響曲「英雄」
 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 仏 POLYDOR 66939/44 1929年ベルリン録音

 ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させて行った。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第4番(78CDR-3840)(1924年機械式録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3856
¥1500
ベートーヴェン:交響曲
 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
 交響曲第8番ヘ長調作品93 - 第2楽章
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン新交響楽団(6番)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(8番)

 ※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源

 独GRAMOPHONE 69642/7 1923年12月ベルリン録音

 ハンス・プフィツナーのこの曲の第1回目の録音。機械式録音(通称ラッパ吹き込み)。ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第3番「英雄」(78CDR-3855)(1929年電気録音)、第4番(78CDR-3840)(1924年機械録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」カーリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 




<2021年11月 紹介新譜>
 78CDR-3851
\1500
きよしこの夜(上)
 エミール・ムエンチ(テノール)、オリーヴ・フレムスタッド(ソプラノ)、
 エルネスティーネ・シューマン=ハインク(アルト)、ユリア・クルプ(メゾソプラノ)、
 エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)、フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)、マリア・オルツェウスカ(アルト)、
 ザイトラー・ヴィンクラー三重奏団、ルドルフ・デマン(ヴァイオリン)、
 カール・デヒェルト(チェロ)、オットー・ウラック(オルガン)

 ※機械式録音編
 ヨーゼフ・モール(1792-1848) 作詞/フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1863) 作曲

 「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(18961985)によって書かれた。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 (1)エミール・ムエンチ(テノール) VICTOR 16111B(U.S.) ドイツ語歌唱  1906年2月8日フィラデルフィア録音
 エミール・ムエンチ(1866-没年不詳)はドイツ生まれのアメリカのテノール。1889年からニュージャージー州ニューアークに住み、その後ホーボーケンに移った。1901年から1916年まで、177面のレコード録音を残した。

 (2)オリーヴ・フレムスタッド(ソプラノ) COLUMBIA 30708(U.S.) ドイツ語歌唱  1911年3月30日ニューヨーク録音
 オリーヴ・フレムスタッド(1871-1951)はストックホルム生まれのソプラノ。1911年から1915年に米COLUMBIAに20面のSPレコードを残した。

 (3)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(アルト) VICTOR 6281(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年12月7日キャムデン録音
 エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれのドイツ系アルト。アメリカに移住し大成功した。1903年米COLUMBIAに初録音。1906年から米VICTORに移り140面の録音を残した。

 (4)ユリア・クルプ(メゾソプラノ) VICTOR 566(U.S.) ドイツ語歌唱  1914年1月26日キャムデン録音
 ユリア・クルプ(1880-1970)オランダの「ナイチンゲール」と呼ばれた卓越したメゾソプラノ。1914年から1924年までに米VICTORに58面の録音を残した。

 (5)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ) COLUMBIA 58246(U.S.) ドイツ語歌唱  1917年1月29日ニューヨーク録音
 エレナ・ゲルハト(1883-1961)はドイツのソプラノ。大指揮者アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められニキシュのピアノ伴奏でデビューした。これはアメリカ公演の際にニューヨークのCOLUMBIAのスタジオでの録音。

 (6)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ) Edison Record 6714(U.S.) 英語歌唱  1919年4月3日ニューヨーク録音
 フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はドイツのソプラノ。ヨーロッパとアメリカでオペラとコンサートの両分野で活躍した。これはアメリカ公演の際にエジソン・レコード(縦振動盤)に録音したもの。復刻にはステレオMM型カートリッジを横振動キャンセル接続して、3.5mil針で再生した。

 (7)マリア・オルツェウスカ(アルト) ザイトラー・ヴィンクラー三重奏団 Seidler-Winkler Trio SCHALLPLATTE GRAMMOPHON 72823(Germany) ドイツ語歌唱  1922年頃録音
 マリア・オルツェウスカ(1892-1969)はドイツのアルト。1919年-22年にハンブルク国立歌劇場で活躍した。1932年録音の「バラの騎士」(ロベルト・ヘーガー指揮)の抜粋盤で、ロッテ・レーマン、エリーザベト・シューマンと共に出演していた。

 (8)ルドルフ・デマン(ヴァイオリン)/カール・デヒェルト(チェロ)/オットー・ウラック(オルガン) VOX 6056(Germany) 1925年頃ベルリン録音
 曲は教会の鐘の音で始まり終わる。ヴァイオリンのルドルフ・デマン(1880-1960)はウィーン生まれのヴァイオリン奏者。1918年-1930年にベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターを務め、一方デマン弦楽四重奏団のリーダーとして幾つもの録音を残した。独VOXはSPレコード時代のレコード会社で、マイクロフォンを使った電気録音が導入(1925-)された後も機械式録音に固執し1926年に倒産消滅した。

 
 78CDR-3852
\1500
ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98 ヘルマン・アーベントロート指揮
ロンドン交響楽団

 英 HMV D1265/70(1927年3月27日録音) 初期HMV盤特有の針音大

 この曲の初の全曲録音。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はドイツの名指揮者。1923年ベルリン・フィルを指揮したR.シュトラウス:死と変容(独POLYDOR 65871/3)他数枚が機械式録音時代にあったが、これは電気録音初期にブラームス:交響曲第1番(英HMV D1454/8)(1928年3月28日)と共にロンドン交響楽団を指揮した貴重な演奏。アーベントロートはロンドン響を1937年まで指揮した。その後はドイツを中心に活躍し、正規録音の他ライヴ録音が多数CD化されている。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
 78CDR-3853
\1500
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299(297c) リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ルネ・ル・ロワ(フルート)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

 英 HMV DB6485/7(1947年3月11-12日録音)

 ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988) は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得て、コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとして活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのルネ・ル・ロワ(1898-1985)は1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。その後も名フルーティスト、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)の指導を受けた。彼は主に室内楽奏者として活躍、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院(1932-1950)、カナダのモントリオール音楽院(1943-1950) 、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学。1932年のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を作り、戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米
では受け入れられた。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 




<2021年10月 紹介新譜>
78CDR-3848
\1500
ヨハン・シュトラウス 2世(1825-1899)
 ウィーンの森の物語  作品325
(1)ブルーノ・ワルター指揮 交響楽団
(2)ロッテ・シェーン(ソプラノ) 、
 レオ・ブレッヒ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
(3)ミリッツァ・コリウス(ソプラノ)、
 トッシャ・ザイデル(ヴァイオリン)、
 ナサニエル・フィンストン指揮 MGMスタジオ管弦楽団

 1929-1934年録音

 オーストリア生まれの作曲者J.シュトラウス2世(1825-1899)は1844年自らの楽団を組織してヨーロッパ各地で演奏しウィンナ・ワルツの全盛時代を築いた。「ウィーンの森の物語」は1868年6月19日ウィーンの舞踏場で初演され大好評をだった。このワルツはウィーンの人々の憩いの場であった「ウィーンの森」を主題にしている。「ウィーンの森の物語」のレコードは機械式録音黎明期の1899年にライプツィヒ音楽協会のグラモフォン盤から始まり、1926年の機械式録音終了時までに約50種類が登場した。著名指揮者によろものではレオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(グラモフォン6581)(1917年録音)、ウィレム・メンゲルベルグ指揮ニューヨーク・フィル(Victor 6427 & HMV DB805)(1924年2月録音)、ニコライ・ソコロフ指揮クリーヴランド管弦楽団(Brunswick 50052)(1924年10月録音)、エーリヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(独 VOX 08234/5=4面収録)(1926年9月録音)などがあった。
 電気録音のSPにはオーケストラによるもので約30種類の録音があった。


 (1)ブルーノ・ワルター指揮 交響楽団
 COLUMBIA W54(JP)COLUMBIA L2334(U.K.)と同一録音 30cm 盤両面収録  1929年5月18/19日ロンドン録音
 この交響楽団とあるのは、ロンドンの録音のための臨時編成オーケストラ。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれの指揮者。幼少期からピアノに親しみ、ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビューしたが、しばらくして指揮者に転向。グスタフ・マーラー(1860-1911)に認められ交流を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、イギリスを経てアメリカに逃れた。

 (2)ロッテ・シェーン(ソプラノ) 、レオ・ブレッヒ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
 HMV D1733(U.K.)30cm 盤片面収録  ドイツ語歌唱 1929年9月25日ベルリン録音
 ロッテ・シェーン(1891-1977)はウィーン生まれ。1912年にウィーン・フォルクス・オーパーでデビュー。1917-1925年にはウィーン国立歌劇場のメンバーだった。またザルツブルク音楽祭の常連で、ベルリン国立歌劇場やロンドンのロイヤル・オペラにも出演した。ナチスの台頭によってユダヤ系の彼女はパリに逃れオペラ・コミックのメンバーになった。1937年ブルーノ・ワルターの指揮でモーツァルトのオペラに出演した後舞台から退いた。フランスがナチス・ドイツに占拠されると、彼女は身を潜めていた。1945年戦争が終結すると、シェーンは復帰し、コンサート歌手として活躍した。1953年に引退し、パリで声楽教師になった。1977年パリ郊外のボビニーで世を去った。

 (3)ミリッツァ・コリウス(ソプラノ)、トッシャ・ザイデル(ヴァイオリン)、ナサニエル・フィンストン指揮 MGMスタジオ管弦楽団
 VICTOR 4410(U.S.) 25cm盤両面収録  英語歌唱 1938年12月11日ハリウッド録音
  ヨハン・シュトラウス 2世の生活を描いた伝記映画「グレート・ワルツ」の主題曲として録音され、ソプラノのコリウスが出演している。ミリッツァ・コリウス(1909-1980)はポーランド生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。ヨーロッパ屈指のコロラトゥーラ・ソプラノだったが、アメリカに移住しハリウッド映画のスターとして、またコンサートで歌手としてのキャリアを積んだ。映画「グレート・ワルツ」で1938年度アカデミー助演女優賞を受賞した。これは映画用にシュトラウス 2世の原曲をオスカー・ハマーステイン 2世(1895-1960)とディミトリ・ティオムキン(1895-1979)が編曲したもの。ソロ・ヴァイオリンのトッシャ・ザイデル(1899-1962)はオデッサ生まれのロシアのヴァイオリン奏者。3歳の時に祖父にヴァイオリンの手ほどきを受け、1912年にペテルブルク音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1918年にアウアーと共に渡米し、カーネギー・ホールでデビューした。1930年代後半からロサンジェルスに移住し、移住後はハリウッドのミュージシャンとして活躍した。

 
78CDR-3849
\1500
バルトーク:弦楽四重奏曲第2番 作品17 Sz.67 アマール弦楽四重奏団
リッコ・アマール(第1ヴァイオリン)
ワルター・カスパール(第2ヴァイオリン)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)
ルドルフ・ヒンデミット(チェロ)

 独 POLYDOR 4/7 1926年録音

 ハンガリーの大作曲家バルトークが1915-17年に作曲した作品で世界初録音。
 リーダーのリッコ・アマール(1891-1959)はハンガリー生まれでベルリン・フィルのコンサート・マスターも務めたヴァイオリニスト。この四重奏団は1921年にドナウエッシンゲン音楽祭でヒンデミットの弦楽四重奏曲第2番ハ長調作品16の初演を機に結成された。1929年にヴィオラのパウル・ヒンデミットが脱退するまでアマール=ヒンデミット四重奏団とも呼ばれた。パウル・ヒデミット(1895-1963)はドイツ生まれの作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者。第1次世界大戦(1914-1918)後にロマン派からの脱却を目指し20世紀ドイツを代表する作曲家として活躍、生涯に600曲以上の作品を残し、また後年は指揮者としても活躍した。チェロのルドルフ・ヒデミット(1900-1974)はパウルの弟。この録音は電気録音(1925-)最初期のもの。音を聴くとアメリカのBRUNSWICK社が開発したライト・レイ(Light Ray)式電気録音のように思う。この方式の録音は一時ドイツのポリドール社で採用されたが、音が機械式録音とあまり変わらないという理由ですぐに使用されなくなった。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「運命」(1926年)はこの方式で録音され欧米では早期に廃盤になった。

 
78CDR-3850
\1500
シューベルト:ヴァイオリン・ソナチネ、ピアノ・ソナタ
 シューベルト:
  ヴァイオリン・ソナチネ第1番ニ長調作品137-1, D.384
  ピアノ・ソナタ第17番ニ長調作品53, D.850よりRondo(Fridberg編曲)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)

 米 COLUMBIA 71489/90 1941年11月25日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音

 ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917-24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音はアメリカ定住直後のニューヨーク録音。このシリーズでシゲティの重要録音が多数出ている。




<2021年9月 紹介新譜>
78CDR-3845
\1500
ヨハン・シュトラウス 2世(1825-1899)
 美しく青きドナウ作品314
近衛秀麿指揮、新交響楽団
マリア・イヴォーギュン(ソプラノ)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
アダ・サリ(ソプラノ)
カール・アルヴィン指揮 管弦楽団

 オーストリア生まれの作曲者J.シュトラウス2世(1825-1899)は「ワルツ王」とたたえられ、1863年から70年にかけて宮廷舞踏会の指揮者として活躍し、1871年からはオペレッタの作曲を手がけた。「美しく青きドナウ」は1867年にウィーン男声合唱協会に献呈された。普墺戦争(1866年6月14日-8月23日)(プロイセン=オーストリア戦争)敗北後の沈滞した空気からウィーンを立ち直らせるための曲として作曲された。初演はそこそこの成功だったが、1867年4月にパリ万博が開催され、パリのオーストリア大使館のイベントで、臨席したフランス皇帝ナポレオン3世からも絶賛をうけ、フランス語の新しい歌詞がつけられ、パリの人々によって口ずさまれた。さらにシュトラウス2世はロンドンに渡り、ここでもパリと同様に絶賛された。


 近衛秀麿指揮、新交響楽団
  PARLOPHONE E 10022/3(JP)30cm盤 4面収録 1930年頃録音
 SPレコード時代のパーロフォン・レコードは昭和4年-8年(1929-33)に日本で販売された。その後日本コロムビアに統合された。近衛秀麿(1898-1973)は指揮者、作曲家。東京帝国大学文学部を中退して1923年ヨーロッパに渡り、ベルリンで指揮をエーリヒ・クライバー(1890-1956)に師事した。ヨーロッパ滞在中にベルリン・フィルを私費で雇い、指揮者デビューをした。1925年、山田耕筰(1886-1965)と共に「日本交響楽協会」を設立、このオーケストラは後に「新交響楽団」(新響)となり、近衛は1935年までこの楽団の指揮者をつとめた。
 新響は1951年にNHK交響楽団(N響)になった。近衛と新響の録音は、30cm盤4面(通常は2面)収録だが、これは機械式録音の最末期にあった近衛の師クライバー盤(独 VOX 01896/7)(1925年9月機械式録音)の4面録音に倣ったものと想像する。

 マリア・イヴォーギュン(ソプラノ)、レオ・ブレッヒ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
  HMV DB4412(U.K.)30cm盤片面収録  ドイツ語歌唱 1933年ベルリン録音
マリア・イヴォギュン(1891-1987)はハンガリー生まれのソプラノ。ウィーン音楽アカデミーで学んだ後、1913年指揮者のブルーノ・ワルター(1876-1962)の紹介でミュンヘンのバイエルン国立歌劇場でプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」のミミ役でデビューした。1917年バイエルンの宮廷歌手の称号を授与された。1921年にテノール歌手のカール・エルプ(1877-1958)と結婚し、カップルは熱狂的な嵐を引き起こした。その後ベルリン国立歌劇場の専属となり活躍した。1932年にカール・エルプと離婚し、1933年ピアニストのミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)と再婚した。しかし、目の病のためオペラのキャリアを終えた。その後はベルリン高等音楽院の教員として後進の指導にあたった。さらにウィーン音楽大学(1948-1950)でも教鞭をとり、再びベルリン高等音楽院の教授となり、人生の最後をスイスで過ごしたが、事実上盲目だった。
 門下生にはエリーザベト・シュヴァルツコプフ(1915-2006)、リタ・シュトライヒ(1920-1987)、イヴリン・リアー(1926-2012)などがいる。1987年10月3日スイスのベアテンブルクで死去。享年95歳。指揮者のレオ・ブレッヒ(1871-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。1908年にベルリン国立歌劇場の指揮者に任命され1937年までに2846回の公演を指揮した。1937年ラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出し、1940年ラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年ドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密裏にスエーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の音楽監督に就任した。

 アダ・サリ(ソプラノ)、カール・アルヴィン指揮 管弦楽団
 GLAMOLA ES459(Czechoslovakia)30cm 盤片面収録 ドイツ語歌唱  1934年1月録音
アダ・サリ(1886-1968)はポーランドのコロラトゥーラ・ソプラノ歌手、女優で教育者。20世紀前半にヨーロッパの歌劇場やコンサート・ホールのステージで絶賛された。ウィーンやミラノで声楽を学んだ後、ローマでデビュー。ヨーロッパ各地の舞台を踏んだ後、南米、北米で名声を高めた。その後ワルシャワに戻り教育者に専念し1968に没した。1985年以来「アダ・サリ声楽コンクールが開かれている。指揮者のカール・アルヴィン(1891-1945)はドイツのケーニッヒスベルグ生まれ。ベルリンで勉強した後1910年にベルリン宮廷歌劇場、1912年からバイロイトで補助指揮者、1913年にはハレ、1914年にはポズナニ、1915-1917年にデュセルドルフ、1920年までハンブルク、1920-38年はウィーン国立歌劇場の指揮者をつとめた。ナチスのウィーン侵攻でユダヤ人だったアルヴィンはアメリカに移住し、シカゴ市民歌劇場(1939/40シーズン)、その後メキシコに行き1941年から1945年までメキシコ・シティ歌劇場を指揮し、また音楽院で教えていた。アルヴィンは1920年-33年まで、名ソプラノのエリーザベト・シューマン(1888-1952)と結婚していた。

 
78CDR-3846
\1500
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26 ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 独 TELEFUNKEN SK3712/4(1941年ベルリン録音)

 クーレンカンプのこの曲の第1回目の録音。第2回目は1947年のシューリヒト指揮で本シリーズ78CDR-3123で出ている。ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ。第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍ら、ベルリン高等音楽院ヴァイオリン科の教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。指揮者のヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)はカールスルーエ生まれ。1935年カールスルーエ国立歌劇場の音楽監督、1940年にプラハのドイツ・フィルハーモニーの指揮者に転任。さらに終戦までドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者を務めた。その後バンベルク交響楽団、ベルリン国立歌劇場、ハンブルク・フィル、バイロイト音楽祭(1952-56)の指揮をした。1965年、1955年、1968年に来日しNHK交響楽団を指揮した。

 
78CDR-3847
\1500
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93 ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 米 BRUNSWICK 90252/4(独 POLYDOR 15020/2と同一録音)1933年ベルリン録音

 ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させて行き、ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家になった。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。このシリーズでは機械式録音(1924年)のベートーヴェン:交響曲第4番(78CDR-3840)、電気録音(1928年)のシューマン:交響曲第2番(78CDR-3837)、1930年録音のベートーヴェン:交響曲第6番「田園」(78CDR-3843)が出ている。




<2021年8月 紹介新譜>
78CDR-3842
¥1500
ヨハン・シュトラウス 2世
 春の声 作品410
  (1)エルナ・ベルガー(ソプラノ)、ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団
  (2)マリア・チェボタリ(ソプラノ)、ロベルト・ヘーガー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
  (3)エルナ・ザック(ソプラノ)、ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
  (4)ミリッツァ・コリュス(ソプラノ)、ルートヴィヒ・リュート指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
  (5)クララ・クライルベール(ソプラノ)、アルベール・ウォルフ指揮 管弦楽団
  (6)フェリシー・ヒュニ=ミハチェック(ソプラノ) 、オーケストラ伴奏

 オーストリア生まれの作曲家J.シュトラウス 2世(1825-1899)はJ.シュトラウス1世(1804-1849)の長男。1844年自らの楽団を組織してヨーロッパ各地で演奏しウィンナ・ワルツの全盛時代を築いた。彼は「ワルツ王」とたたえられ、1863年から70年にかけて宮廷舞踏会の指揮者として活躍し、1871からはオペレッタの作曲を手がけた。「春の声」は1882年に親友のピアニストで作曲家でもあったアルフレート・グリュンフェルト(1852-1924)に捧げられ、コロラトゥーラ・ソプラノ歌手ビアンカ・ビアンキ(本名ベルタ・シュヴァルツ)がアン・デア・ヴィーン劇場でフランツ・ヨーゼフ皇帝とエリーザベト皇后の臨席のもとにオーケストラ伴奏付の歌曲(歌詞はリヒャルト・ジュネによる)として発表した。

 (1)ELECTROLA DB 6951(Germany) ドイツ語歌唱 1949年5月25日アビー・ロード録音
 エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツの名ソプラノ。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はプラハの生まれ。プラハ音楽院で作曲とにピアノを学び、さらにプラハのドイツ・アデミーではジョージ・セルに指揮の指導を得た。ナチスの迫害を逃れてイギリスに移住した。LP初期に HMVのハウスコンダクター的活躍をした。

 (2)COLUMBIA JD6029(JP) ドイツ語歌唱 1935年12月19日ベルリン録音
 マリア・チェボタリ(1910-1949)はルーマニア国籍のソプラノ。ドレスデン国立歌劇場の音楽監督フリッツ・ブッシュに見いだされ、その後ベルリン国立歌劇場に移り、看板歌手となった。戦後はウィーン国立歌劇場に出演、「モーツァルト・アンサンブル」の一員として活躍した。1949年肝臓癌のため39歳で死去した。指揮者のロベルト・ヘーガー(1886-1978)はドイツ生まれ。1933年から50年までベルリン国立歌劇場の指揮者だった。

 (3)TELEFUNKEN E 1774(Germany) ドイツ語歌唱 1935年4月2日ベルリン録音
 エルナ・ザック(1898-1972)はベルリン生まれ。 "ドイツのナイチンゲール" と言われ人気を得た。戦前の批評家あらえびすはその著書「名曲決定盤」で彼女の魅力を述べていた。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)はドイツ生まれ。ハンブルク国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ総監督、戦後は北ドイツ放送交響楽団の指揮者として活躍した。

 (4)ELECTROLA EH-860(Germany) ドイツ語歌唱 1934年1月録音
 ミリッツァ・コリュス(1909-1980)はポーランド生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。ヨーロッパ屈指のコロラトゥーラ・ソプラノだったが、アメリカに移住しハリウッド映画のスターとして、またコンサートでのキャリアを積んだ。女優としてハリウッド映画「グレート・ワルツ」で1938年度アカデミー助演女優賞を受賞した。

 (5)POLYDOR 35016(JP) イタリア語歌唱 1933年録音
 クララ・クライルベール(1899-1970)はベルギーのソプラノ。第1次世界大戦中、コーラス隊で歌っていた時コーラス・マスターの目にとまりパリでソリストとして訓練された。大戦後、退役兵士や負傷した兵士の慰問コンサートに度々出演し、その結果ブリュッセルのモネ歌劇場のディレクターの目にとまった。その後1920年代から1950年代の引退までモネ劇場のプリマドンナとして活躍した。1970年ブリュッセルで死去した。

 (6)POLYDOR 60150(JP) ドイツ語歌唱 1928年録音
 フェリシー・ヒュニ=ミハチェック(1891-1976)はハンガリー生まれ。主にドイツで活躍した。ウィーンで声楽を学び、1916年にハンブルク国立歌劇場でデビュー。1919年にウィーン国立歌劇場でR.シュトラウスの「影のない女」の初演に参加し、1925年までウィーンに居た。1931年にミュンヘン国立歌劇場でプフィツナーの歌劇「心」の初演に参加した。1953年ミュンヘン公演を最後に引退した。

 
78CDR-3843
¥1500
ベートーヴェン:
 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
 ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調作品11「街の歌」よりAdagio
  (4:40)95383B(523 BI 4)
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
M.ラウハイゼン(ピアノ)
J.スザント(クラリネット)
J.ディスクレツ(チェロ)

 独GRAMMOPHON 95378/83 1930年(1-11)、1929年(12)ベルリン録音(強音で少しビリツキがあります)

 ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。レコード録音は機械式録音の後期から電気式録音の初期の時代にベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものが独GRAMMOPHONに残されているが、その後は作曲活動に専念したためか、録音はほとんど無い。このシリーズではシューマン:交響曲第2番(78CDR3837)とベートヴェン:交響曲第4番(78CDR-3840)が出ている。
 ピアノ三重奏曲は1930年頃ドイツで活躍した器楽奏者によるもので、ピアニストのラウハイゼン(1889-1984)は歌曲伴奏者として活躍、生涯に1000人以上のアーティストと共演したと伝えられる。


 
78CDR-3844
¥1500
シューベルト
 楽興の時 作品94 D.780
アドリアン・エッシュバッハー(ピアノ)

 独 SIEMENS SPEZIAL(POLYDOR)67752/4 1941年-43年 ベルリン録音(盤のキズのよるノイズと音飛び(トラック-2)があります)

 アドリアン・エッシュバッハー(1912-2002)はスイス生まれ。作曲家だった父親に音楽の手ほどきを受けた後、チューリッヒ音楽院に入った。その後ベルリンでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)にも指導を受け、1934年にヨーロッパ及び南米への演奏旅行でピアノ奏者としての名声を確立した。これはエッシュ
バッハーの最初期の録音。第2次世界大戦中のもの。1967年にLPに再録音していた。


 


<2021年7月 紹介新譜>

78CDR-3839
¥1500
レーガー:マリアの子守歌  作品76-52


 1917-1937年録音

 作曲者のマックス・レーガーはドイツ生まれ。同年生まれの作曲家にはロシアのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)がいた。レーガーは作曲家、オルガン奏者、ピアニスト、指揮者、音楽教師として活躍したが、43歳の時心筋梗塞で没した。この「マリアの子守歌」は1903年から1912年にかけて作曲された「素朴な歌」
(6巻60曲)の52曲目に入っていた。

 (1)ユリア・クルプ(コントラルト)  ケンラート・ファン・ボス(ピアノ) VICTROLA 64683(U.S.)1917年3月28日キャムデン録音 ※機械式録音 (Ed. Techmacher)(英語歌唱)
 ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダ生まれ。リートを専門にした最初の歌手とされている。1906年から1926年の間に約90面のレコード吹き込みをした。

 (2)竹岡鶴代(ソプラノ)  榊原  直(ピアノ) NIPPONOPHONE 15619(JP)  ※機械式録音  1925年4月発売(ドイツ語歌唱)
 竹岡鶴代(1895-1966)は岡山県出身。1917年東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)を卒業後ドイツに留学。帰国後は声楽家として大きな足跡を残した。また国立(くにたち)音楽大学の創立にもかかわり教授として多年のわたって音楽教育に尽力した。ここではこの時代に珍しくドイツ語で歌っている。ピアノの榊原  直(1894-1959)は東京出身。

 (3)クレール・デュックス(ソプラノ)  フレデリック・パーソン(ピアノ) BRUNSWICK 10251(U.K.) 1926年5月27日イギリス録音  ※電気録音(ドイツ語歌唱)
 クレール・デュックス(1885-1967)はポーランド出身。ベルリンとミラノで声楽を修め1906年ケルン歌劇場でデビュー。1911年-18年にベルリン国立歌劇場のメンバーだった。その後ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、スウェーデン王立歌劇場、さらにシカゴ市民歌劇場のメンバーだった。これは電気録音最初期のも
の。

 (4)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)  ケンラート・ファン・ボス(ピアノ) HMV DB1030(U.K.)1927年3月11日イギリス録音  電気録音 (ドイツ語歌唱)
 エレナ・ゲルハルト(1883-1961)はライプツィヒ郊外のコネヴィッツ生まれ。ライプツィヒ音楽院で声楽を学び、当時音楽院長だったアルトゥール・ニキシュ(1885-1922)に認められ、20歳の誕生日にニキシュのピアノ伴奏でデビューした。
 その後ヨーロッパ各地に演奏旅行し国際的名声を確立した。1933年からロンドンを拠点に活躍した。

 (5)リア・ギンスター(ソプラノ)  ジェラルド・ムーア(ピアノ) HMV DB1874(U.K.)1933年1月30日アビーロード録音  電気録音 (ドイツ語歌唱)
 リア・ギンスター(1898-1985)はフランクフルト生まれ。ベルリン音楽アカデミーで声楽を修めた後すぐにヨーロッパ各地の音楽舞台に登場してスターになった。 1938年チューリッヒ音楽アカデミーの教授になり、30年以上その地位にあった。
 ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。多数の著名歌手と共に多くのレコード録音をした。

 (6)クラウディア・ムツィオ(ソプラノ)  オーケストラ伴奏 COLUMBIA(JP)1935年イタリア録音  電気録音 (イアリア語歌唱)
 クラウディア・ムツィオ(1889-1936)はイタリア生まれ。幼少の頃から両親にロンドン、ニューヨークのオペラ劇場に連れて行かれオペラを体感した。1910年21歳の時アレッツォで「マノン」を歌いデビュー。1913年にスカラ座、翌年ロンドンのコヴェントガーデン、1916年のクリスマスにはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招かれた。さらにブエノスアイレスのテアトロ・コロン歌劇場とサンフランシスコ歌劇場にも出演した。ムツィオは1911年にHMV に初録音、その後パテとエジソン・レコード(いずれも縦振動)に多数録音した。その後レコード会社から声がかかからなくなり、1935年にイタリア・コロンビアに自費録音した。これはその中の一枚。ムツィオは1936年ローマのホテルで心臓発作のため死去した。享年37歳。

 (7)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)   ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団 HMV DA 1619(U.K.) 1937年アビーロード録音  電気録音  ドイツ語歌唱
 エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツのメルゼブルク生まれ。ドレスデンとハンブルクで学び1909年にハンブルク歌劇場でデビューした。1937年ナチスのオーストリア併合でアメリカに移住、後年をニューヨークで過ごした。

 
78CDR-3840
¥1500
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60 ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 ※機械式録音 独 SCHALLPLATTE "GRMMOPHON" 68663/67(1924年6月ベルリン録音)
 ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。この録音は機械式録音後期のもので、この曲の世界初録音。プフィツナーはこのシリーズで電気録音初期のシューマン:交響曲第2番(78CDR-3837)が出ている。

 
78CDR-3841
¥1500
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581 ルイジ・アモディオ(クラリネット)
シュトループ四重奏団;
マックス・シュトループ(第1ヴァイオリン)
ヘルマン・フ-ブル(第2ヴァイオリン)
ヘルマン・ヒルシュフェルダー(ヴィオラ)
ハンス・ミュンヒ=ホーラント(チェロ)

 独 ELECTROLA DB5683/86 1941年ベルリン録音
 ルイジ・アモーディオ(1902-1941)はイタリア生まれのクラリネット奏者。ボローニャ音楽院出身。指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の目にとまり、ミラノ・スカラ座管弦楽団のクラリネット奏者に起用され、その後ベルリン・フィルに招かれウェーバーのクラリネット協奏曲を演奏した。アモーディオはヘビー・スモーカーで肺ガンと診断された後、クラリネットの主要室内楽作品をベルリンで録音し40歳で世を去った。弦楽四重奏団のリーダー、マックス・シュトループ(1900-1966)は1920年代に頭角を表しベルリン高等音楽院で最年少のヴァイオリン科教授になった。1936年弦楽四重奏団を組織した。この録音時のメンバーは第2世代のもの。このシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」(78CDR-3750)とカール・ベーム指揮のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3215)が出ている。




<2021年6月 紹介新譜>
78CDR-3836
¥1500
ブラームス:子守歌  作品49の4 (その2) 藤原義江(テノール)  マクシム・シャピロ(ピアノ)
関屋敏子(ソプラノ)  日本ビクター管弦楽団
リア・ギンスター(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)
エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ワルター・ゲール指揮管弦楽団
ブランシュ・シーボム(メゾソプラノ)
マックリン・マーロウ指揮 ヴィクター弦楽オーケストラ
三宅春恵(ソプラノ)  三宅洋一郎(ピアノ)

 1928-1953年録音

 今回はブラースの「子守歌」の後編として日本人アーティストを含めてた7枚を取り上げた。録音年代は1928年から1953年である。すべて電気録音。ブラームスの子守歌の作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年12月22日にウィーンで行われた。
 復刻には「音のエジソン」のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 (1)藤原義江(テノール)  マクシム・シャピロ(ピアノ)
 NIPPONOPHONE 16747(JP)(25cm両面盤)  1928年発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱)
 藤原義江(1898-1976)は大阪府生まれの男性歌手。父親がスコットランド人で母親が日本人。戦前から戦後にかけて活躍した。藤原歌劇団の創設者。ピアノのマクシム・シャピロ(1885-1958)はロシア出身。1927年から1939年まで日本で活躍した。1917年のロシア革命後にドイツに亡命。1927年日本に移住し、映画「藤原義江のふるさと」にピアノ伴奏者として出演した。1933年に大阪音楽学校のピアノ科教授。1939年にアメリカに渡った。

 (2)関屋敏子(ソプラノ)  日本ビクター管弦楽団
 VICTOR 13076(JP)(25cm両面盤)  1930年9月発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱)
 関屋敏子(1904-1941)は東京生まれ。少女時代に三浦環(たまき)(1844-1946)に学び、東京音楽学校に進むが中退し1925年にデビュー、その後イタリアに留学、ボローニャ大学で学んだあとスカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で歌った。1929年に帰国、翌年、藤原義江と「ラ・トラヴィアータ」をを共演した。その後ふたたびアメリカ、ヨーロッパに渡り演奏活動を続けた。1934年に帰国するが、芸術上と生活上の行き詰まりから1941年に37歳で睡眠薬自殺を図った。

 (3)リア・ギンスター(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)
 HMV DB1874(U.K.)(30cm両面盤) 1933年1月30日ロンドン、アビーロード録音(電気録音)ドイツ語歌唱
 リア・ギンスター(1898-1985)はフランクフルト生まれ。ハイスクール卒業後フランクフルト高等音楽院で声楽を学び、さらにベルリン音楽アカデミーで指導を受けた後ヨーロッパ各地の音楽舞台に登場しスターになった。1938年チューリッヒ音楽アカデミーの声楽科の教授になり、30年以上その地位にあった。

 (4)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
 POLYDOR 47068(Germany)  1936年6月16日録音 ドイツ語歌唱
 エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。1926年フリッツ・ブッシュに認められドレスデン国立歌劇場と契約、のちにベルリン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場を中心に活躍した。1955年引退後ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。1958年に来日。

 (5)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ワルター・ゲール指揮管弦楽団
 HMV DA1562(U.K.)  1937年3月11日ロンドン、アビーロード録音 ドイツ語歌唱
 エリーザベト・シューマン(1888-1952)はメルゼブルク生まれ。ドレスデンとハンブルクで学び1909年にハンブルク歌劇場でデビューした。1937年ナチスのオーストリア併合でアメリカに移り、ニューヨークで晩年を送った。

 (6)ブランシュ・シーボム(メゾソプラノ) マックリン・マーロウ指揮 ヴィクター弦楽オーケストラ
 VICTOR 10-1173(U.S.) 1945年4月3日録音(訳詞: Arthur Westbrook) 英語歌唱
ブランシュ・シーボム(1915-2010)はアメリカのオペラ歌手(メゾソプラノ)。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の専属として20年以上活躍した。1961年に来日。

 (7)三宅春恵(ソプラノ)  三宅洋一郎(ピアノ)
 VICTOR NK-3136(JP) 1953年頃発売(訳詞: 大木淳夫、伊藤武雄 日本語歌唱)
 三宅春江(1918-2005)は福岡市生まれ。1939年東京音楽学校卒業。ヘルマン・ヴーハー=プフェニッヒに師事した。ドイツ、オーストリアに留学。フェリス女学院短期大学名誉教授。ピアノの三宅洋一郎(1914-1994)は熊本県生まれ。長年にわたり日本女声合唱団の指導、フェリス女学院短期大学楽長などをつとめた。三宅春恵の夫君。

 
78CDR-3837
¥1500
シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61 ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場のメンバー

 独 POLYDOR 95412/6 (1928年ベルリン録音)

 ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。この録音は電気録音初期のもので、ベルリン国立歌劇場管弦楽団は数々の指揮者のレコード登竜門になった。ブルーノ・ワルター、エーリッヒ・クライバー、オットー・クレンペラー等の後の大物指揮者も同時期に録音している。

 復刻には「音のエジソン」のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3838
¥1500
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041 マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
フリッツ・シュタイン指揮、ベルリン大学器楽合奏団

 独 ELECTROLA DB5527/8 1939年ベルリン録音

 マックス・シュトループ(1900-1966)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年、当時ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサート・マスターに就任。1924年から1928年にはワイマール音楽学校のヴァイオリン教授になり、一方オットー・クレンペラーの要請でベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターも務めた。大戦後の1947年からはデトモルト音楽アカデミーでヴァイオリンと室内楽の指導にあたった。指揮者のフリッツ・シュタイン(1879-1961)は神学者で教会のオルガン奏者でもあった。1919年から1933年の長期にわたりキール大学で教鞭をとり、ナチス政権の下ではユダヤ人関連音楽の排斥に尽力した。そのため大戦後はは失職し1961年に世を去った。このレコードはドイツ国内だけで発売され、英HMVや米VICTORでは出なかった。原盤番号の末尾の「T」は、演奏会場から電話回線で音声信号を録音室に送り原盤を作成したという記号。フルトヴェングラー指揮ベートーヴェンの「運命」(78CDR-3521)のドイツ盤SPレコードにもこの記号がある。ドイツ以外で発売された盤ではこの記号は削り取られていた。

 復刻には「音のエジソン」のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 



<2021/5 紹介新譜>
78CDR-3833
¥1500
ブラースの「子守歌」の機械式録音(ラッパ吹き込み)4枚
 ブラームス:子守歌 作品49の4(その1)
(1)カール・イェルン(テノール)
 ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(チェレスタ)
(2)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)
 ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
(3)ユリア・クルプ(コントラルト)
 ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
(4)エルネスティーネ・シューマン=ハインク
 (コントラルト)

 ※機械式録音盤からの復刻音源
 1913-1915年録音

 今回はブラースの「子守歌」の機械式録音(ラッパ吹き込み)4枚を取り上げた。
 録音年代は1913年から1915年の2年間である。ブラームスの子守歌は既発売の「モーツァルトの子守歌」(78CDR-3827)や「シューベルトの子守歌」(78CDR-3830)と同様にラッパ吹き込みのSPレコード時代から数多く発売された。作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年12月22日にウィーンで行われた。

 (1)カール・イェルン(テノール) 、ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(チェレスタ)
 独GRAMOPHONE 4-42561 1913年10月20日ベルリン録音(機械式録音) ドイツ語歌唱
 カール・イェルン(1873-1843)はラトビアのリガ生まれ。1896年22歳でドイツのフライブルクとリヨンでデビュー。1898年チューリッヒの州立歌劇場、1899年ハンブルク歌劇場、1902年-1908年ベルリン国立歌劇場に出演していた。皇帝ヴィルヘルム二世のお気に入りだった。1908年にアメリカに行きメトロポリタン劇場に出演した。1913年秋ベルリンに戻り、「パルシファル」が絶賛されヨーロッパ永住を説得されたがアメリカに戻った。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はドイツ生まれのピアニスト、指揮者、編曲者。1890年代にドイツ・エジソン会社の録音ディレクタを務めた。1903年から1923年にはドイツ・グラモフォン会社に奉職し数多くの録音に携わった。1908年のビゼー:歌劇「カルメン」の初の全曲録音(カルメン役はエミー・デスティン)、1923年にはベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」の初の全曲録音を行った。また1938年のジネット・ヌヴーの初録音(78CDR-3148)のピアニストをつとめていた。

 (2)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ) 、ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
 独GRAMOPHONE(25cm片面盤) 1914年1月13日ベルリン録音(機械式録音) ドイツ語歌唱
 エレナ・ゲルハルト(1883-1961)はライプツィヒ郊外のコネヴィツの生まれ。ライプツィヒ音楽院で声楽を学び、当時音楽院の院長だったアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められ、20歳の誕生日にニキシュの伴奏でデビューした。1933年からロンドンを拠点に活動するようになり、1947年に引退した。ゲルハルトはこのシリーズで電気録音時代のものが多く出ている。

 (3)ユリア・クルプ(コントラルト)、 ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
 VICTROLA 566-B(25cm両面盤) 1914年2月6日キャムデン録音(機械式録音) ドイツ語歌唱
 ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダのフロニンヘン生まれ。1896年アムステルダム音楽院に入りコルネリ・ファン・ツァンデンにした。クルプはリートを専門にした最初の歌手とされている。クルプはこのシリーズで1910年録音のシューマン:「女の愛と生涯」(78CDR-3792)が出ている。

 (4)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(コントラルト)
 VICTROLA 838-A(25cm両面盤) 1915年9月14日キャムデン録音(機械式録音) ドイツ語歌唱
 エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれ。15歳でドイツ楽壇にデビュー。ワーグナー歌手としてヨーロッパ各地で活躍の後、1908年にアメリカに帰化。豊かな声量、声域の広さ、すぐれた解釈力などで、多くの役柄をこなし、オペラ歌手、リート歌手として一世を風靡した。1921年(大正10年)に来日し、帝国劇場でリサイタルを開いた。

 
78CDR-3834
¥1500
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」 アルトゥール・ニキシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 ※機械式録音盤からの復刻音源
 英 HMV D89/92 1913年11月18日ベルリン録音

 アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)はハンガリー出身の大指揮者。ウィーン音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、ウィーン宮廷歌劇場のヴァイオリン奏者として音楽活動をはじめた。1878年にライプツィヒ歌劇場の指揮者になり、1885年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮してブルックナーの交響曲第7番の初演をした。1895年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者になり生涯この地位にあった。この録音は1913年に行われた。ベルリン・フィルの最初の録音とされている。マイクロフォンもアンプも使わない機械式録音で、大きなラッパの前で演奏してレコード原盤を作成した。電気録音が始まったのは1925年だった。途中にキズがあるが、古いレコードなのでご容赦いただきたい。

 
78CDR-3835
¥1500
フェルッチョ・ブゾーニ全録音集
 ショパン:夜想曲第5番嬰ヘ長調作品15
 ショパン:練習曲変ト長調作品10-5「黒鍵」
 ショパン:練習曲ホ短調作品25-5
 J.S.バッハ:
  前奏曲とフーガ第1番ハ長調 BWV.846「平均律クラヴィア曲集-1」
 リスト:ハンガリー狂詩曲第13番イ短調
 ショパン:前奏曲第7番イ長調作品28-7
 ショパン:練習曲第5番変ト長調作品10-5「黒鍵」
 J.S.バッハ(ブゾーニ編曲):
  コラール前奏曲「いまぞ喜べ、愛するキリスト者の仲間たち」
 ベートーヴェン(ブゾーニ編):エコセーズ
フェルッチョ・ブゾーニ(ピアノ)

 ※機械式録音盤からの復刻音源
 英COLUMBIA L-1432, L-1445, L-1456 & L-1470 1922年2月22日録音

 フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)はイタリア生まれのピアニスト、作曲家、指揮者。1886年ライプツィヒに行き、その後ロシア、アメリカでピアニストとして演奏旅行をした。1894年にベルリンに居を構えた。この機械式録音の英コロンビア盤はブゾーニが残したSPレコードのすべてで1922年55歳の録音。伝説の音楽家の演奏に耳を傾けて頂きたい。


<2021/4 紹介新譜>
78CDR-3830
¥1500
シューベルト:子守歌  作品98の2, D.498
 (1)エミー・デスティン(ソプラノ) 、ワルター・B・ロジャース指揮、管弦楽団
 (2)三浦 環(ソプラノ) 、アルド・フランケッティ(ピアノ)
 (3)宮川美子(ソプラノ)  、日本コロムビア交響楽団
 (4)関屋敏子(ソプラノ) 、ナサニエル・シルクレット指揮、ヴィクター・サロン・オーケストラ
 (5)ロッテ・レーマン(ソプラノ)、エルネ・バロー(ピアノ)
 (6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)、ジェラルド・ムーア(ピアノ)

 1915-1937年録音
 ※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源

 シューベルトは「子守歌」を四曲書いている。1815年に作曲した「子守歌」Wiegenlied D.304(T.ケルナー詞)、1816年作曲の「子守歌」Wiegenlied 作品98の2,D.498の2(M.クラウディウス詞)、1817年作曲の「子守歌」Schlaflied 作品24の2,D.527( マイルホーファー詞)、1826年?作曲の「子守歌」Wiegenlied 作品105の2,D.867(J.G.ザイトル詞)である。今回取り上げるのは二番目の作品98の2。なおこの曲の作詞者はM.クラウディウスとなっていたが、最近の研究で作者不明とされた。また日本語歌詞「ねむれねむれ、母の胸に」で始まる内藤濯訳がよく知られている。

 (1)VICTOR 87214(U.S.)25cm片面盤 1915年1月13日録音(機械式録音) ドイツ語歌唱 (3:00)
 エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年20歳の時、ベルリン国立歌劇場でデビューし大成功を収めた。その後ロンドンのコヴェント・ガーデン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のスーパー・スターになった。オーケストラを指揮するワルター・B・ロジャース(1865-1939)は軍楽隊のコルネット奏者出身。1904年にヴィクター・トーキング・マシン会社に入り、指揮者、編曲者、作曲者として活躍した。

 (2)NIPPONOPHONE 5154(JP)(25cm盤) 1922年録音(機械式録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱) (3:10)
 三浦 環(1884-1946)は日本人演奏家と初めて国際的名声をつかんだオペラ歌手。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。1912年の初レコード録音は日本での本格的なクラシック音楽の最初のレコードとされている。1914年医師の夫と共にドイツ留学。第一次世界大戦(1914-1918)の勃発でイギリスに移動。翌1915年イギリス・デビュー。同年渡米し各地で公演。1920年にヨーロッパのオペラ劇場に客演。1922年に帰国した。1925年から再び海外で活動し1936年に帰国して日本国内で活躍した。

 (3)COLUMBIA 35216(JP)(25cm 両面盤) 1931年録音(電気録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱) (3:04)
 宮川美子(1911-1995)はアメリカのサクラメント生まれ。1929年フランスに留学、1931年パリのオペラ・コミック座でデビューし、宮川美子の「マダム・バタフライ」が高く評価された。その年の8月に初めて日本を訪問し、全国で演奏会を開いた。この録音は大中寅二編曲のオーケストラ伴奏でレコード会社も力を入れた一枚だった。宮川は戦後の1946年に兄弟のいるアメリカに戻り、声楽の指導者として活躍した。その後時々来日していたが、1995年アメリカのフロリダで死去した。

 (4)VICTOR 13233(JP)(25cm 両面盤) 1932年ニューヨーク録音(電気録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱) (3:34)
 関屋敏子(1904-1941)は大正・昭和時代前期に活躍したソプラノ歌手、作曲家。8歳から三浦 環に師事。1937年イタリアに留学、スカラ座のオーディションに受かり各地をまわる。帰国後オペラ、歌曲などの作曲・公演を行った。1941年11月23日睡眠薬自殺を図った。伴奏指揮者のナサニル・シルクレット(1889-1982)は作曲家、指揮者、ピアニスト、クラリネット奏者。1926年VICTOR社の軽音楽部門の責任者となり多くの録音を残した。

 (5)VICTOR 1856(U.S.) 1937年3月13日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱) (3:34)
 ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場、1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。1935年にナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノのエルネ・バロー(1897-1989)はハンガリー生まれのアメリカのピアニスト、作曲家、教師。

 (6)VICTOR 15168(U.S.)same as HMV DB3426(U.K.) 1937年11月29日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱) (2:41)
 エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。1938年にアメリカに移住し1944年に市民権を得た。彼女はオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。

 復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3831
¥1500
ドメニコ・スカルラッティ:ハープシコード・ソナタ集  第2巻(20曲)
  仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB11205/11211(1939年1月&1940年3月パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
 ソナタ
  (1)ニ長調 L.206(K.490)/(2)ロ短調 L.449(K.27)/(3)ニ長調 L.213(K.400)/
  (4)ハ長調 L.102(K.423)/(5)イ短調 L.138(K.109)/(6)ヘ短調 L.382(K.69)/
  (7)ヘ長調 L.520(K.276)/(8)ニ短調 L.422(K.141)/(9)ト短調 L.49(K.234)/
  (10)ニ短調 L.423(K.32)/(11)ニ長調 L.418(K.443)/(12)ニ長調 L.14(K.492)/
  (13)ニ長調 L.461(K.29)/(14)変ロ長調 L.497(K.544)/(15)ヘ長調 L.228(K.256)/
  (16)ヘ短調 L.187(K.481)/(17)ト長調 L.103(K.259)/(18)ハ長調 L.255(K.515)/
  (19)ニ長調 L.56(K.281)/(20)変ロ長調 L.97(K.440)

 ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)によるドメニコ・スカルラッティ・ソナタ集第1巻(78CDR-3260)の続編。第1巻の5年後の録音。録音時パリは戦火に見舞われTrack1の演奏中に爆弾の破裂音が入っている。ランドフスカはワルソー生まれ。1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二段鍵盤と七個のペダルを有する自分用のハープシコードをパリのプレイエル社に特別注文し生涯この楽器を使用した。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は生涯500曲を越えるハープシコード曲を作曲した。L.はロンゴによる整理番号、K.はカークパトリックによる整理番号で便宜のために両方を記した。

 復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3832
¥1500
エネスコ:
 ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調作品25
  「ルーマニアの民俗様式で」
   仏 COLUMBIA GFX 121/3 1948年パリ録音
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
セリニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)

 ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)が作曲した最後のヴァイオリン・ソナタ。1926年11月に完成し、同年に他界したルーマニア出身のヴァイオリニスト、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に献呈された。エネスコはルーマニア出身。1894年13歳でパリ音楽院に入りヴァイオリンをマルタン・マルシック(1848-1924)、和声と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ジュール・マスネ(1842-1914)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1910年にピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を開いた。録音の数は多くなかったが、それらはいずれもレコード史上に輝く傑作と言われている。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1898年14歳で一等賞を得た。彼女は1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を何度も開いた。エネスコとシャイエ=リシェの演奏は本シリーズですべて出そろった。

 復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 






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