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ドイツ孤高のレーベル
独HASTEDT
〜2/23(日)まで


 こんな大手のレーベルがまだ存在しているのか。ほとんど日本では見たことがない。
 ドイツHASTEDT。その音源は膨大。レパートリーはドイツの近現代作曲家がメインだが、驚くべき演奏家の名前が続々登場する。

 2/23(日)までのご注文をまとめて現地に発注します。完売の際はご容赦ください。


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東独重鎮作曲家
没後50年で本国では盛り上がっていたらしい
ルドルフ・ワーグナー=レゲニーの芸術
ケーゲル、マズア、ボンガルツ、ザンデルリンク、・・・そして若きテンシュテットまで登場!


 ルドルフ・ワーグナー=レゲニー(1903年-1969年)は旧東ドイツの作曲家。
 トランシルヴァニア系ザクセン人として現在のルーマニア北部に生まれ、レゲニーとは生地レギンにちなんでいる。
 民族の坩堝というべきトランシルヴァニア地方に生まれたため、1930年にドイツ国籍を取得するまでに2度国籍が変わっており、1918年まではハンガリー王国国籍、1919年以降はルーマニア国籍であった。

 ベルリンでジークフリート・オックスとフランツ・シュレーカーに作曲を師事。1930年代と1940年代にフリーランスのオペラ作曲家として活動したが、バレエ音楽によって有名になった。その後1947年に芸術学校を創設するなど、ドイツ音楽の向上に貢献、その音楽学校は現在ロストック音楽大学となっている。1950年よりベルリン国立高等音楽学校の教授に就任。

 現在それほど多く聴かれる作曲家ではないが、ダイナミック且つ厳格、しかし案外わかりやすいその作風はもっと一般に浸透しても良い。戦後の東ドイツではまちがいなく超一級の作曲家だった。とくに昨年2019年は没後50年ということでドイツでは大いに盛り上がったらしい。

 さてそのワーグナー=レゲニーの2枚のアルバムが出ていたのだが・・・その演奏陣がものすごい。この作曲家がいかに東独で尊敬されていたかを物語る壮絶な陣容なのである。
 ケーゲル、マズア、ボンガルツ、ザンデルリンク、フォルスター、フリッツ・グール、・・・そして若きテンシュテットまで登場する。
 世界には探せばこんなすさまじいアルバムがあるということを知らされた驚きの2枚。

 ただ・・・さすがに当レーベルでも最大のベストセラーなのだろう・・・在庫数を聞いたところそれぞれ40枚のみ(しかも一部は他国での在庫らしい)。おそらくここで買い逃すと一生手に入らないたぐいのアルバムである。セールス・トークではない。



ht 5331 Stucke mit Orchester
¥3000


ルドルフ・ワーグナー=レゲニー:
 協奏的作品集〜歴史的録音の数々
ピアノによる管弦楽曲
 (Orchestermusik mit Klavier

 (1935)
ハインツ・ボンガルツ指揮
エレオノーレ・ヴィカルスキ(P)
ベルリン放送交響楽団
 1967年
歌劇「ペルシャのエピソード」から組曲
 Suite aus der Oper 'Persiche Episode'

 (1940/50)
クラウス・テンシュテット指揮
メクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリン
 1966年
「ダビデ王の賛美歌」
 Cantica Davidi Regis fur Bass, Chor u. Orchester (1954)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送室内管弦楽団、合唱団
Wolfgang Pfau, Bass
 1968年
序奏とオード
 Einleitung und Ode fur Orchester (1967)
クルト・ザンデルリンク指揮
ベルリン交響楽団
 1968年
14世紀フランスのギョーム・ド・マショーの作曲法への8つのコメント
 Acht Kommentare zu einer Weise des Guillaume de Machaut (1967)
クルト・マズア指揮
ドレスデン・フィルハーモニー室内管弦楽団
 1968年
「ヘルマン・ヘッセの別れの歌」
 Gesange des Abschieds n. Texten von Hermann Hesse (1969)
アドルフ・フリッツ・グール指揮
ライプツィヒ放送交響楽団
ジークフリート・ローレンツ(バリトン)
 1967年




ht 5301 Kantaten
¥3000

完売の可能性あり

ルドルフ・ワーグナー=レゲニー:
 カンタータ集
「起源」Genesis (1955/56) ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団、合唱団
ヘルタ・テッパー(Alt)
  27.11.1956
「太陽へ」An die Sonne (1967/68) クルト・マズア指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルタ・テッパー(Alt)
 6.2.1970
「シルアシリム(アラビア語)」Schir Haschirim (1963/64) ホースト・フォルスター指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
Gerda Schriever, Alt
Gunther Leib, Bariton
  6.5.1966


テンシュテットとメクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリンの演奏にはこんな録音もありました


WEITBLICK
SSS 0056-2
\2500
「テンシュテットのベートーヴェン」
 (1)交響曲第1番/
 (2)同第5番「運命」、エグモント序曲
テンシュテット指揮
(1)メクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリン
(2)キール・フィルハーモニー管

 テンシュテットは旧東独出身の巨匠ながら、出身地での活躍はほとんど知られていない。若い頃から、録音時のトラブルが多かったため、テンシュテットとは録音の仕事をするなというのが放送業界では不文律になっていたそうで、旧東独放送録音ではごく初期のオペラ・アリアの伴奏、東独現代音楽が少々しか現存しない。1962年から音楽総監督を務めた古都シュベーリン州の歌劇場管=メクレンブルク・シュターツカペレとのベートーヴェンは、奇跡的な存在ともいえるもので、立派な演奏である上に、一点一画を疎かにせず、しかも十分な高揚がある。この時代から、すでに巨匠的風格を備えていた。 「運命」と「エグモント」は、すでに東独から亡命し、アメリカ、イギリスでの活躍で名を挙げてからの演奏。1972年から音楽総監督を務めたキール歌劇場管=キール・フィルとの凄絶な名演奏。ピリピリとした緊張感とド迫力が共存。マニアからはプライヴェート盤他でテンシュテット最高のベートーヴェンとして知られるものです。

(1)1968年4月19日 ステレオ・スタジオ録音 (2)1980年3月20日 ステレオ・ライヴ録音




ルドルフ・ワーグナー=レゲニーのアルバム

5人の作曲家による共作
ユダヤ年代記
 ボリス・ブラッハー、 ルドルフ・ワーグナー=レゲニ
 カール・アマデウス・ハルトマン
 ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、 パウル・デッサウ共作
  BERLIN CLASSICS

Judische Chronik
BERLIN CLASSICS
0032802BC
¥2800
5人の作曲家による共作:ユダヤ年代記
 ボリス・ブラッハー
 ルドルフ・ワーグナー=レゲニ

 カール・アマデウス・ハルトマン
 ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ
 パウル・デッサウ共作  
Ekkehard Schall (ナレーター)
Hilmar Thate (ナレーター)
Anna Barova (メゾ・ソプラノ)
Vladimir Bauer (バリトン)
ライプツィヒ放送合唱団
ライプツィヒ放送交響楽団
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ショスタコーヴィチ:
 ユダヤの民族詩より Op. 79(ドイツ語歌唱)
マリア・クローネン(ソプラノ)
アンネリース・ブルマイスター (アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ベルリン交響楽団
クルト・ザンデルリンク指揮


 ブラッハー、ワーグナー=レーゲニ 、ハルトマン、ヘンツェ、デッサウ共作というおそるべき作品「ユダヤ年代記」。しかも指揮がケーゲルときた。前衛ではなく聴き易い作品だが、こんな恐ろしい作品を一介の日本人が聴いていていいのか、悩んだ。
 カップリングは知られざるザンデルリンクの名演。1963年、ショスタコーヴィチに管弦楽伴奏版のスコアを渡されたザンデルリンクが、旧東独ベルリンで行った世界初演ライヴ。体制を批判する告発的意味合いがあることはもちろんであるが、スケールが大きく起伏の激しい作品で、そのバックボーンを知らずともショスタコーヴィチの傑作と認識できる。ときどき映画音楽に通じるダイナミズムを感じるが、手放しで楽しむ雰囲気はもちろんない。それにしても真摯な正攻法演奏。ザンデルリンクが、ロシアで世話になったショスタコーヴィチに対する敬愛の念をこめて演奏しているその心情が伝わってくるようである。取り上げる曲は案外ポピュラーだったザンデルリンクの、隠れた名録音。なぜかあまり日本では流通してこなかったアルバム。









HASTEDT演奏家シリーズ



ht 6603
Poldi Mildner
¥3000
こんなすごい人がまだいるのか
 ピアニスト、ポルディ・ミルトナー Poldi Mildner (1915-2007)
リスト:ピアノ協奏曲第1番
ウェーバー:ピアノと管弦楽のための小協奏曲 作品79
ポルディ・ミルトナー(P)
A.M.ローター指揮
ベルリン・RIAS響
リスト:パガニーニ大練習曲 第3番「ラ・カンパネッラ(鐘)」(編曲: ブゾーニ)
ローゼンタール :ヨハン・シュトラウスの主題によるウィーンの謝肉祭
アドルフ・シュルツ=エヴラー:「美しき青きドナウ」の主題によるアラベスク
ショパン:練習曲 Op.25
      バラード第2番

 こんなすごい人がまだいるのか。まったくその存在すら知らなかった。
 ポルディ・ミルトナー。

 1915年、ウィーン生まれ。現在のチェコ、旧ボヘミア王国、クルノフ公国地方に育つ。12歳にてウィーンフィルとリストのピアノ協奏曲変ホ長調を共演。1926年より、フランツ・リストの弟子で音楽史に残るピアニスト、モーリッツ・ローゼンタール(1862−1946)に師事。
 16歳ごろから国際的活躍を開始、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカの各国で、トスカニーニ、ワルター、ピエール・モントゥー、クナッパーツブッシュ、アーベントロート、チェリビダッケ、フルトヴェングラーらと共演。
 1939年、母と共にスウェーデン経由にてアメリカに移住、ニューヨークにて、プロコフィエフに出会い共演。ラフマニノフのコンサートに学び、ラヴェル、ガーシュイン、アルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラらと出会う。ラテンアメリカの大コンサートツアーののち、ブエノスアイレスに留まる。
 戦後になって再びヨーロッパでの活躍を再会、1970年代半ば以降は、ドイツのフランクフルトに居住、音大ピアノ講師を務め、1982年以降はマインツ音大でピアノ教授を務める一方、ブエノスアイレスでの年に二回のマスタークラスを務めた。
 2007年にブエノスアイレスにて生涯を終えた。



ht 6604
Branka Musulin
¥3000

ブランカ・ムスリン Branka Musulin (1917-1975)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第16番
        ピアノ協奏曲第20番

ハンス・ミュラー=クライ指揮
SWRシュトゥットガルト放送響
ショパン:「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲 作品2 ヘルムート・ヴェッセル・テルホルン指揮

 そしてまたもうひとり。
 ブランカ・ムスリン。

 1917年8月6日、クロアチアの首都ザグレブ生まれ。幼少からピアノ演奏への憧れが強く、即興の才能をみせる。9歳で初の公開演奏、13歳にてピアニスト、スヴェティスラフ・スタンチッチに師事する。
 コンサート資格獲得、高校卒業後、アルフレッド・コルトーとイヴォン・レフェビュレーの元で学ぶ為、パリに移る。そののち、マックス・フォン・パウアーに師事すべくドイツのバーデンヴュルテンベルク州に、またその後はアルフレード・カセッラを訪ねローマで学ぶ。
 1940年代末以降、ソロコンサート、またチェリビダッケ、カイルベルト、フランツ・コンヴィチュニーらの指揮者と共演、しばしば客演も行う。1958年には、フランクフルト音大で教鞭を執り、のち教授を務める。
 ブランカ・ムスリンはヨーロッパ、特にドイツ、また日本でも支持される。これは彼女のカリスマ的演奏のみならず、音楽への真摯な活き活きとした態度、それを非の打ち所の無い技術で奥深く作曲内容に踏み込んでいく姿勢、そして音楽の持つ心を表現する所によるものである。
 1975年1月1日、彼女が57歳でこの世を去ると、生前契約していたレコード会社も含め音沙汰がなくなる。彼女の貴重な録音はCDの時代になってゆっくりと日の目をみるようになる。
 今回のアルバムは、25年ほどの期間に残された大量の放送録音から発掘されたものである。彼女の名前、ブランカ・ムスリンは決して忘れ去られてはならない。



 音楽評「フォノ・フォールム」(2013年2月号、音楽評論家ペーター・ケスター氏の2ページに亘る記事の一部)

「奇才ピアニストへの回想」(記事より抜粋)…ここでブランカ・ムスリンの純潔な演奏に触れることができる。モーツァルト演奏では、控えめで自然なフレージング、清やかでニュアンス深いタッチ、真珠のような輝く運び、ショパンでは、楽器でありながらベルカントのようで繊細なルバート。これらは、各演奏形式を全て認知した上で、精神的にそして意味深く選りすぐられて極められている。…20世紀ピアノ界の歴史の中で、心から推薦せざるを得ない!」





ht 6605
Abel & Szidon
\3200

Jenny Abel / Roberto Szidon
ジェニー・アベル&ロベルト・シドン
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 1979.5.29
メシアン:主題と変奏 1986.10.11
メットネル:ヴァイオリン・ソナタ第1番 1986.10.11
プーランク:ヴァイオリン・ソナタ 1978.1.27
ラフマニノフ:2つの小品 作品6 1979.5.29
ジェニー・アベル(Vn)
ロベルト・シドン(P)

 ジェニー・アベル(ヴァイオリン)

 ドイツの北、北海に面したフースムの出身。7歳でデビュー。幼少はマックス・ロスタル、ヘンリック・シェリングに、続いて指揮者ルドルフ・ケンペ、ハンス・ロスバウト、ハンス・シュミット=イッセルシュテットらに師事。
 初のアメリカツアーは1975年、その後南アメリカ、カナダ、アジア、オーストラリア、ニュージーランドで演奏。1983年、ドイツのソリストとして中華人民共和国より招待され、セントラルフィルハーモニーオーケストラ北京と共演。

 録音では、シューマン、ブラームス、バルトークのヴァイオリン、ピアノ全曲集などがあり、「ドイツレコード賞」「グランプリレコード賞」などを受賞、「フォノ・ドーラム」で「世紀に残る録音」と高く評価されている。

 西ヨーロッパに限らず、東西統一の前から東ヨーロッパでも定期的に演奏、1998年にはブカレストで「ルーマニア音楽批評家賞」を受賞、これは彼女のソロ活躍のみならず、ルーマニア音楽、音楽家を支援する為に彼女自身で発足した「ルーマニア・フィルハーモニカ」の功績にもよるものである。

 レパートリーは古典派、ロマン派の他、20世紀、21世紀の作品もしばしば演奏している。ゲルハルト・ローゼンフェルト以外、多数の作曲家、フォルカー・ブルーメンターラー、ヤルミ・ブルクハウザー、ヴィオレタ・ディネスク、ラルフ・エーミッヒ、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、タマラ・イブラジモヴァ、ヤンニス・A・パパイオアンヌらが彼女の演奏を評価している。

_________________________________

ロベルト・シドン(ピアノ)

 1941年、ブラジル、ポルト・アルグレ生まれ、幼少から少年ピアニストと賞賛される。1959年、医学修士課程を学び、医者業を始めるが、6年後にピアニストに移行を決心する。

 国際的活躍はアメリカ大陸、日本、ソビエト、そしてヨーロッパに及ぶ。1960年代末、ドイツグラモフォンにて、ロシアのピアノ音楽の録音を開始。スクリャービンのソナタ全集、リストのハンガリー・ラプソディー、スケルツォ集、ショパンの即興曲、シャルル・ イヴェスのソナタ集など次々に録音。

 ジェニー・アベルとは1970年代にバルトークのバイオリンとピアノの為の全曲集、シューマン、ヴィラ=ロボスのソナタ等を共演。後継者支援では、デュッセルドルフ音大で教授を務める。

 1980年代、病気の為コンサート活動を終止、1992年に、トーマス・クヴァストフと最後の録音、シューマン歌曲集を残した。2011年12月21日、70歳にて他界。








ht 6609
Theodor Kirchner
\3200
テオドール・キルヒナー/ピアノ作品集
Theodor Kirchner (1823 - 1903)

I. スケルツォ op. 8
II. カプリッチョ op. 27
III. ピアノのための小品 op. 62
IV. ロマンス op. 22
V. スケルツォ op. 54
ヨハネス・ヴォルフ(P)
Johannes Wolff
2012,2013年録音


 フュルヒテゴット・テオドール・キルヒナー(1823年12月10日 - 1903年9月18日ハンブルク)は、スイスの作曲家・ピアニスト・オルガニスト・指揮者。シレジア・ドイツ人。
 当時はドイツ楽壇の重鎮の一人であり、19世紀の多くの指導的な作曲家から友情や尊敬を勝ち得ていながらも、明らかに浪費癖や賭博癖といった自堕落な暮らしぶりのために、成功した活動を維持することができなかった。

 すでに8歳にして洗練されたオルガニストにしてピアニストであったことから、1843年にフェリックス・メンデルスゾーンの推薦状を得てヴィンタートゥールのオルガニストに就任する。その地でほぼ20年を過ごしたが、たびたびドイツを訪れ、シューマン夫妻やヨハネス・ブラームスと親交を結んだ(クララ・シューマンはキルヒナーのことが大変気に入り、1860年代にはいちど秘密裡に交際したようだが、それでも「彼の性格には、およそ安定感というものがない」と書き残している)。1862年にチューリヒに移り、定期会員制の演奏会を監督した。この職務はわずか3年間しか続かず、ピアニストや伴奏者として巡業に取りかかった。
 1868年に結婚するも、生活は不幸であった。1870年からチューリヒでオルガニストを勤めた後、1872年に宮廷ピアニストとしてマイニンゲンに赴任し、翌年ヴュルツブルク音楽院の院長に就任する。1876年から1883年までライプツィヒに暮らし、その後1890年までドレスデンでスコアリーディングを指導した。1884年、ギャンブルで重ねた負債を清算できるように、ブラームスやハンスリック、ニルス・ゲーゼ、グリーグ、ハンス・フォン・ビューローが3万マルクを掻き集めてくれた。1890年に妻と家族を見棄ててハンブルクに移り、その地で以前の弟子の世話を受けた。1894年に2度の脳卒中によって不随となり、最晩年には全盲となった。

 キルヒナーは、メンデルスゾーンや(『新音楽時報』紙上で手離しで褒めそやした)ローベルト・シューマン、フランツ・リストやリヒャルト・ワーグナー、ブラームスやグリーグからも評価されていた。有能な編曲家であり、ブラームスの二つの弦楽六重奏曲をピアノ三重奏曲に仕立てたり、《ドイツ・レクイエム》のボーカルスコアを作成したり、《ハンガリー舞曲集》の第3部・第4部や《ワルツ集「愛の歌」》をピアノ独奏用に編曲した。作曲家としては、濃密な抒情主義者であり天性の小品作家として、演奏時間が1分しかないような小曲を1000曲以上つくり出し(そのほとんどは小品集として収められている)、あたかも19世紀におけるアントン・ヴェーベルンの《バガテル》の先駆のようである。《ワルツ集》作品23(1876年作曲)はブラームスに献呈されており、性格的小品集《夜景》(Nachtbilder)作品25には、ブラームスの歌曲《ご機嫌如何、僕の女王様》(Wie bist du, meine Konigen)からの引用が含まれる。オルガン曲や歌曲、多少の合唱曲や室内楽曲も手懸けてはいるが、管弦楽曲はまったく遺さなかった。
 しかし友人のハインリヒ・シュルツ=ボイテンによって、キルヒナーのピアノ曲が管弦楽曲に編曲されている。


 「…28曲から成るこのCDは大きく分けて二つのスケルツォを枠組みとしている。リストが「繊細な音楽」と評した奇想曲、小曲と自由形式のロマンスである。踊りのように軽いバラード音調、喜び、ピアノの活き活きとした色鮮やかさ、そして魅力的な新しさが至る所に見られる。ピアニスト、ヨハネス・ヴォルフはこれらの独自性を心地よく表現する事に成功している。ブレーメンのハーシュテット・エディションの評価すべき成功と言えよう」(OTZ東ヒューリンガー新聞、2014年1月18日の記事より)

 今日ではまだ無名に近いこの作曲家は小曲のマイスターであった。大曲は残していないが、1000曲というものすごい数のピアノ曲、そして僅かではあるが歌曲、合唱曲、オルガン曲、室内楽曲も書いている。
 当時の同僚たちは驚き、一部は軽蔑する者もあったが、作曲法はロベルト・シューマンに敬意高く、その内心的、幻想的、天才的な作品に影響を受ける。
 1823年12月10日、ドイツのケムニッツ近郊、ノイキルヒェンに生まれ、家族の住むヴィットゲンドルフを敬愛する。14歳でライプチッヒにてメンデルスゾーン、シューマンと知り合い、基礎を学ぶ。
 1843年、メンデルスゾーンの紹介で、オルガニストとしてスイス、チューリッヒ州のヴィンタートゥールへ。チューリッヒ、ドイツに戻ってチューリンゲン州のマイニンゲン、ヴュルツブルク、そして再びライプチッヒを経てドレスデンへと、収入源、また才能発揮の場を求めて絶え間なく移動を繰り返す。ワーグナー、ブラームス、マティルデ・ヴェーゼンドンクらと出会う他、特にクララ・シューマンとは交友を深める。1903年9月18日、ハンブルクにて病死。
 (エーバーハルト・クナイペル記、2014年1月18日、OTZ東ヒューリンガー新聞)



 ヨハネス・ヴォルフ(ピアニスト)

 1958年、 ドイツ、バーデンヴュルテンベルク州のバート・メルゲントハイムに生まれ、シュトゥットガルトにてパウル・ブック、レナーテ・ヴェルナーに、ミュンスターではグレゴール・ヴァイヒェルト、ケルンではアマデウス・カルテットの演奏家たちに師事。ピアニスト、及び音楽教師としては、主にドルトムントで活躍。





HT 6607
\3200
マックス・ロスタル(Vn)
 ビーバー:パッサカリア  1958年7月10日
 ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番ハ短調 1960年7月2日
 ベンジャミン・フランケル:
   無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 作品13 1958年7月10日
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 1958年7月10日
マックス・ロスタル(Vn)

(2)ガスパール・カサド(Vc)
  ハインツ・シュレーター(P)
(4)ローター・ブロダック(P)
 グレーテ・フィッシャー1966年の「仕える民、ブレヒトとその他の人々」より:
  《教授があるとき小さなバイオリンをマックスに渡しながら言った「さあ、弾いてごらん!」・・・そうしてマックスは弾き始めた。弾いて、弾いて、全く弾き終わろうとしなかった。そしてその6年後、彼は初めてコンサートで弾いた。マックスは6歳から13歳まで家族を養ったのである。》

 マックス・ロスタル(1905-1991)は、ウィーンではアーノルド・ロゼ、ベルリンではカール・フレッシュに師事、22歳でオスロの交響楽団のコンサートマスターになった。
 25歳でベルリン音楽大学の教授職を受けるが、3年後、ナチ時代開始に伴い取り消される運命となる。1934年、チェロ奏者の妻と娘と共にイギリスへ移住、やがてイギリスでもレッスンを開始、レコードや放送用に録音を行った。1956年にはスイスのベルンに更に移住、のちには、ドイツ、ケルンの音楽大学でマイスター講習などを務めた。
 ロスタルは前世紀の偉大なるヴァイオリニストに並ぶが、度重なる移住や帰国の繰り返しにより、専門家以外には広く知られる事なかった。

 今回のアルバムはロスタルが得意としたベートーヴェンを中心としたもの。第7番は有名なオズボーンとの録音があるが、今回のはそれとはちがう。HASTEDTレーベルなので、また独自の放送音源を発掘してきた可能性が高い。




ロスタル、貴重な復刻CD-R
GOODIES
78CDR-3176
CD-R\1500
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
 英 DECCA AK2356/9
(1949年12月19-20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。
 
GOODIES
78CDR-3187
CD-R\1500
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
英 DECCA AK1817/9
(1946年7月22-23日ロンドンNW6、デッカ・スタジオ録音)
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。このシリーズにはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番(78CDR-1176)が発売されている。
ARDMORE
M-008
CD-R\1600
ベートーヴェン:
 ロマンス第1番ト長調 第2番ヘ長調
(ヴァイオリン)マックス・ロスタル
 ワルター・ゲール指揮 ヴィンタートゥール響
   [1950年代初期 録音] LP 7inch Club National Du Disque MMS917
(ヴァイオリン)クリスティアン・フェラス
  レオポルド・ルートヴィヒ指揮
  ハンブルグ国立フィル [1950年代 録音]
   LP 7inch Telefunken UV114      
  
ロマンスの聞き比べの魅力を堪能。ロスタル盤は以前CDが発売されていたが今は廃盤?知る人ぞ知るゆったりとした旋律は魅力的。
(Ardmore Classics)
ロスタルとフェラスの聴きくらべ。
ロスタルは1905年生まれなので、これは40代の演奏。フェラスは1933年生まれなので20代の時の録音。しかもともに伴奏がゲールとルートヴィヒという当時の名匠。こんなことを言っては失礼だが協奏曲の伴奏をやらせたら天下一品の二人。本当にしみじみと音楽を奏でてくれる。
そして主役の二人。聴き比べというには、あまりに贅沢な聴き比べ。オーストリア出身のロスタルの甘く、そして優雅な音色。そしてきりりと引き締まった情感をかっこよく決めてくれるフェラス。どちらも絶品!


HT 6608
\3200
アニア・タウアー 新発掘音源登場!
 
(1)ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
 (2)マルセル・ドラノワ:Esquisse lyrique (Lyrische Skizze)
 (3)シューマン:チェロ協奏曲
 (4)ドビュッシー:チェロ・ソナタ
アニア・タウアー(Vc)

(1)ズデニェク・マーツァル(指揮)
 チェコ・フィル
 1968年ドイツ・グラモフォン録音

(2)ヘルムート・シュルテス(P)
 1962年10月23日放送録音

(3)クラウスペーター・ザイベル(指揮)
 ニュルンベルク交響楽団
 1965年7月15日放送録音

(4)ヘルムート・シュルテス(P)
 1962年4月28日放送録音
 若くしてアニア・タウアーはドイツグラモフォンと特別契約を交わしている。その結果以下の録音が残っている。すなわち、1966年のフランセの「幻想曲」とレーガーの「組曲」、そして1968年のチェコ・フィルとのドヴォルザークのチェロ・コンチェルトである。
 この、知る人ぞ知る、才能豊かなチェロ奏者、タウアーの録音がまたハーシュテットより発掘された。バイエルン放送での古くて貴重な録音である。
 タウアーのこの3つ目のCD完成にあたり、改めて、想像力の及ぶ限り最大なる「希望」というものを浮き出させた彼女、そして彼女の漲り溢れる力強い演奏に感謝したい。

 マルセル・ドラノワ(Marcel Delannoy, 1898 - 1962年)
  ドラノワはフランスの作曲家。。最初に絵画と建築を学んだが、20歳の時に音楽に転向した。音楽は独学で、時折アルテュール・オネゲルからアドバイスを受けるだけだった。1927年、オペラ『ポワティエの悲劇』がモーリス・ラヴェルらから好意的な評価を得て、彼の名が知られるようになった。同年には10人の作曲家の共作によるバレエ『ジャンヌの扇』の一部を作曲した。





アニア・タウアー、2枚のアルバム

 まさに伝説のチェリストといっていいだろう、あのタウアーの知られざる録音がHASTEDTのカタログの中にひっそりと隠れていた。
 まだ手元に届いていないので詳細は不明だが、地元での放送録音か?
 とんでもないものを見つけてしまった。


ht 6602
Anja Thauer 60er Jahre
\3200
アニア・タウアー
 リヒャルト・シュトラウス:チェロ・ソナタ
op. 6
 レーガー:無伴奏チェロ組曲第3番
 ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタop. 40
 フランセ:チェロとピアノのための幻想曲
アニア・タウアー(Vc)
ルドルフ・マクジンスキー(P)
ピアノのマクジンスキーは作曲家として知られる1907年生まれの大家。

ht 6606
Anja Thauer Konzerte
\3200
アニア・タウアー
 (1)サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
 (2)ショパン:チェロ・ソナタ
 (3)ダルベール:チェロ協奏曲
 (4)チャイコフスキー:ロココ変奏曲
アニア・タウアー(Vc)
シュトゥットガルト放送交響楽団
(1)ハンス・ミュラー=クライ指揮
(2)クロード・フランセ(P)
(3)レイト・チュップ指揮
(4)クリストフ・ステップ指揮
サン=サーンスの指揮者は名匠ミュラー=クライ!







 以下、ドイツの大御所作曲家の濃いアルバムをご紹介しましょう。


マンフレッド・ヴァイス(1935−)



経歴:
1935年2月12日、ザクセン州、ゲルリッツ近郊のニエスキー生まれ。
1952年から55年、ハッレ、ザーレの音楽大学に学ぶ。(作曲はハンス・シュティーバー氏に師事)
1955年から57年、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学に学ぶ。(作曲はルドルフ・ワーグナー=レゲニーに、また和声はルート・ツェヒリン、対位法はユルゲン・ヴィルブラントに師事)
1957年から59年、東ドイツの芸術アカデミーでルドルフ・ワーグナー=レゲニーのもと、マイスター学生として学ぶ。
1959年から70年、ドレスデンの「カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学」にて作曲法、聴音の分野で教授アシスタント及び指導を務める。
1970年から83年、同大学にて作曲及び作曲法の講義を務める。
1983年、教授に昇格。
1986年から92年、芸術教授に昇格。
1991年から97年、ドレスデン音楽大学の副校長を務め、同校の近代化に貢献。
1997年、退職

受賞歴:

1977年、ドレスデン芸術賞(作曲)、ハンス・アイスラー賞(東ドイツ放送)、ハンス・シュティーバー作曲賞
1985年、東ドイツ芸術賞

彼の作曲法は、伝統を20世紀のポジティブに発展した独自作曲法と見事に結び付けたものであり、表情豊かで色彩的な特徴を持つ。



ht 5306

Orchesterwerke
¥3000
マンフレッド・ヴァイス:オーケストラ作品集
オルガンと弦楽合奏と打楽器のための協奏曲 (1975/76) ジークフリート・クルツ指揮
ドレスデン・シュターツカペレ
1977.1.7
ヴァイオリン協奏曲 (1976) ヨハネス・ウィンクラー指揮
ドレスデン・フィル
ラルフ=カルステン・ブロムセル(Vn)
1979.6.21
交響曲(1986) ローター・ツァグロセク指揮
ドレスデン・フィル
3曲全てが初演の貴重な録音。
ゾンターク紙「彼の作品は現代物に馴染まない聞き手にも溶け込めるものである」

ht 5335
Chorwerke

¥3000
マンフレッド・ヴァイス:「合唱曲集」
I. 「混声4声のアカペラ合唱による旧約聖書の3つの詩篇」(1967)  Meisner Kantorei 1961
エーリヒ・シュミット指揮
1975
II. 「混声アカペラのための4つの旧約聖書詩篇」 (1986) Chor der Hochschule fur Kirchenmusik
クリストフリード・ブローデル指揮
1986
III. 「神の救い−新約聖書のヨハネの黙示録に基づくカンタータ」(1997) Dresdner Kreuzchor Studenten der Hochschule f. Musik, 
R. クレイル指揮
1998
IV. 「…しかし愛こそが最大なものである」 (1999) Meisner Kantorei 1961,
Chor der Hochschule fur Kirchenmusik
クリストフリード・ブローデル指揮
1999
V. 「…死の中に生が生まれるかの如く」 (2001) Sachsische Vocalsolisten
マティアス・ユング指揮
2002
1,3,4,5がてが初演の貴重な録音。
CLASSIS TODAY紙 「ある種の力強く心地よい響きの構造が花開く。その中に作曲家ヴァイスの作曲法的進化の過程が活き活きと目に見えるように感じられる。また、5曲目の「レクイエム、死の中に新たな生が生まれる如く」はナチのユダヤ人大量虐殺の死者に捧げられるもので、「自分はあくまでも作曲家として仕える者」という対等な立場を保ちながら、ネリー・ザックスとパウル・ツェランの詩を音楽化している」

ht 5339
Kammermusik

¥3000
マンフレッド・ヴァイス:「室内楽曲集」
ヴァイオリン・ソナタ バーバラ・メイニン(Vn)
ゾンヒルト・フィーバッハ(P)
2005.2.2
フルートとチェロとピアノのためのトリオ コルドゥラ・ブラウアー(Fl)
カール・B・フォン・ストゥンプ(Vc)
ミカエル・ルディケ(P)
1995.4.23
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ トーマス・メイニン(Vn)
1995.4.23
Vier Lieder auf Texte von Joh. Bobrowski エリザベス・ウィルケ(Ms)
ミカエル・ルディケ(P)
1995.4.23
弦楽四重奏のための「Emotionen」 ドレスデン歌劇場弦楽四重奏団
2010.2.1
1曲目は初演録音となる。



フリッツ・ガイスラー(1921-1984)



1921 年9月16日、ザクセン州、ライプチヒ郊外ヴルツェン、貧しい家庭に生まれ、喫茶店でのバイオリン演奏等を始める
1936-39年、ライプチヒ近郊のナウンホーフの音楽院に学ぶ
1939-40 年、ダンス音楽団の一員の一方個人レッスンを受ける
1940-45 年、自衛隊で訓練を受ける(これは長年義務教育の一環でした)
1945-48 年、戦争で捕虜となる
1948-50年、ライプチヒ音楽大学に学ぶ(師事はマックス・デーナート氏、ヴァイスマン氏)
1950-51 年、ビオラ奏者としてテューリンゲンのゴータで、州立オーケストラに所属
1951-53年、ベルリンのシャロッテンブルクにて作曲法を学ぶ(ボリス・ブラッハー、フリードリッヒ・ネーテル、ヘルマン・ヴンシュ各氏に師事)
1954-58年、ライプチヒのカール・マルクス大学にて音楽理論の教師
1959-1964年、音楽理論専任講師に昇格
1965-70 年、教授に昇格
1970-74 年、独立作曲家の一方、ドレスデンで音楽講義
1972 年、東ドイツ芸術アカデミー会員
1974-78 年、ライプチヒ音楽大学の作曲科教授
1984 年、ブランデンブルク州のバート ザーロフにて、1月11日死去

受賞歴:
ライプチヒ芸術賞 (1960)
東ドイツ芸術賞 (1963)
東ドイツ国家賞(1970)





ht 5312
Instrumentalwerke
¥3000
フリッツ・ガイスラー:作品集
室内交響曲 (1954) ベルリン放送響
ロルフ・クライネルト指揮
1968.5.21
交響曲第3番(1965/66) ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル指揮
1968.3.12
ナイチンゲール頌賦 (1966) ライプツィヒ放送響メンバー
1971.10.12
ピアノ協奏曲 (1969/70) ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ロルフ・ディーター・アレンス(P)
1977.2.27
「苦しみの中から怒りと凶暴さを打ち出す音楽。しかし、境遇から思い起こされるスウェーデンの作曲家アラン・ペッタションとはまた別のものである」(音楽新雑誌より)

ht 5334
Orchesterwerke
¥3000
フリッツ・ガイスラー:管弦楽作品集
交響曲第5番 (1969) ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル指揮
1972.11.18
チェロと小オーケストラのためのコンチェルティーノ (1981) ハンス・ヨアヒム・シェイツバッハ(Vc)
エルフルト・フィル
ウーデ・ニッセン指揮
1982.2.22
交響曲第11番 アルトと大管弦楽団のための (1982) ロストック・フィル
ゲルド・パルス指揮
1988.3.23
クラリネット協奏曲(1983) ミカエル・シム(Cl)
ベルリン響
リボル・ペシェク指揮
「彼の交響曲11番は別名〔3つの最後の曲〕とも名付けられよう。これは〔永遠なるもの〕と〔死〕への別れを歌うもので、ガイスラーの生涯最後の2年を費やした感慨深い作品である。彼は惜しくも62歳で亡くなっている。」
「ガイスラーの作品はものによってその作曲法に差が見られるのが特徴であるが、それでも彼のみの独自の技巧がうかがえる。彼の自分本来の生の意味を問うような作曲による訴えが秘められているのである」(クラシック・ドット・コムより)
「1983年のクラリネットとオーケストラの作品は驚異的な強い印象を与えるものである」(CLASSIC TODAY紙より)








 ゲルハルト・ローゼンフェルト
管弦楽作品集&ヴァイオリンとピアノのための作品集

 ゲルハルト・ローゼンフェルトは1931年生まれ、2003年に亡くなったドイツの作曲家。
 ベルリンのフンボルト大学にて、上記ルドルフ・ヴァーグナー=レゲニー氏に師事して音楽理論と作曲を学び、卒業後は教師等も務め、ヴァイオリン協奏曲 (1963) が大成功して以来、東ドイツ映画音楽作曲家の一人者に数えられ、国民栄誉賞他、様々な賞を受けている。


ht 5305
¥3000
ゲルハルト・ローゼンフェルト
 管弦楽作品集
ヴァイオリン協奏曲  (1963)   ゲルハルト・ロルフ・バウアー指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
グスタフ・シュマール(Vn)
 1963年
「アンドレアス・シュリューターの為の建築家的な草案」
 Architektonischer Entwurf fur Andreas Schluter 
ジークフリート・クルツ指揮
ベルリン放送交響楽団
 1987年
フルート協奏曲 (1972) オラフ・コッホ指揮
Halleschenフィル室内管弦楽団
オーットー・ルールマン(Fl)
 1977年
交響曲 (1983) ペーター・ギュルケ指揮
ワイマール・シュターツカペレ
 1983年
 ヴァイオリン協奏曲については、南ドイツ新聞が「1963年のヴァイオリン協奏曲から、一気に猛烈な影響力が感じられる。この作品は、音楽的に泣かせる要素やテクニックを一切用いることなく、精神的嘆きというものを非常に濃厚な「気」をもって再現している」と評していた。
(ちなみに、この一曲目のバイオリンコンチェルトも初演のライブ録音とのことです!)」
 アンドレアス・シュリューターという人は、17世紀プロイセンの著名な建築家、彫刻家で、ベルリンやハンブルクに多くの銅像や建築物を残している。ちなみにこの録音は1987年9月20日の初演のライブ録音!

ht 5324
¥3000

ゲルハルト・ローゼンフェルト
 ヴァイオリンとピアノのための作品集
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ (1991) ジェニー・アベル(Vn)
ミハイ・ウングレアーヌ(P)
「彫刻家ブランクーシに捧ぐ−ヴァイオリンとピアノの為のソナタ」
 Pour Brancusi - Sonate fur Violine und Klavier (1995)
3つのピアノ小品 (1999)
ヴァイオリン・ソナタ 2002
 「これらの作品は10年の歳月をかけて、女性バイオリニストのジェニー・アベルと彼女のピアノ伴奏者ミハイ・ウングレアーヌの為に作曲されたものである。
 ローゼンフェルトは、この作品で類を見ない特殊性を見せている。演奏家のもつ驚異的な技巧能力や才能を考慮し、活かしつつ、聴衆の耳を疲れさせない作曲法が生きている、という点である。聴く者には、演奏家のこの上ない演奏の喜びが伝わり、冷静さとユーモア、思慮といたずら心が最高に調和しているのである。」
 ブランクーシはルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家。この作曲家自身がルーマニア生まれであるが故に、故郷を思う気持ちや、故郷を誇る気持ちと重なっているのかもしれない。
 ジェニー・アベルについて
 北海に面した来たドイツのフスム出身。7歳でデビュー。マックス・ロスタルとヘンリック・シェリングに師事。ルドルフ・ケンペ、ハンス・ロスバウト、ハンス・シュミット・イッセルシュテットからも絶賛された。
 海外演奏は1975年のアメリカに始まり、南アメリカ、カナダ、アジア、オーストラリア、ニュージーランドに及ぶ。1983年には、中国北京での客演に呼ばれ、ドイツ共和国初のソリストとして演奏。その録音はドイツレコード賞、グランプリ・デ・ディスクなどの賞を受賞している。
 ミハイ・ウングレアーヌについて
 1958年ルーマニアのクライノヴァ生まれ、ブカレスト音楽院にてピアノを学ぶ。1985年、1986年、1987年にはピアノソロ演奏コンテストにて3年連続一位受賞、ルーマニアの音楽、劇場批評家に高く評価される。ドイツ東西統一前は、活動範囲に限られたが、その後はヨーロッパのほぼ全各国、アルゼンチン、カナダ、アメリカでも演奏している。
 彼のレパートリーはクラシックの大家バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、リスト、ラフマニノフ、チャイコフスキーからガーシュインに及ぶ。これに加えて欠かせないのは、もちろんルーマニアの作曲家、ベントイウ、リパッティ、そして音楽界の全時代に至るピアノ、室内楽曲の数々である。近年は多くのルーマニアの音楽コンテストの審査員を務めるほか、定期的にマスタークラスを行い、後継者の育成に貢献している。

 ジェニー・アベルとミハイ・ウングレアーヌは1991年以来パートナーとして共演を重ねており、二重奏の夕べやコンサート、また種々のオーケストラとの共演を行っている。






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