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ドイツ孤高のレーベル
レパートリーはドイツの近現代作曲家がメインだが、驚くべき演奏家が続々登場する
独HASTEDT
〜1/28(日)


 日本の大型代理店も接触したらしいがなかなか交渉がまとまらないらしい、ドイツ孤高のレーベルHASTEDT。
 とくにアリアCD独占を謳っている訳ではないが、結果的にそうなっている状況である。

 ということで久々お贈りします。


*****

 こんな大手のレーベルがまだ存在しているのか。
 日本では見たことがない。

 ドイツHASTEDT。

 その音源は膨大。
 レパートリーはドイツの近現代作曲家がメインだが、驚くべき演奏家の名前が続々登場する。

 社長が急逝し、後を継ぐものがおらず、あとは在庫分だけの販売になっている。貴重な在庫も少しずつ減ってきている。
 これだけの優秀なレーベルが姿を消してしまうのはあまりに惜しい。

 どうかお早めに・・・。






HASTEDT異例の歴史的録音


HT 6607
¥3200→\2990
マックス・ロスタル(Vn)
 ビーバー:パッサカリア  1958年7月10日
 ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第3番ハ短調 1960年7月2日
 ベンジャミン・フランケル:
   無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 作品13 1958年7月10日
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 1958年7月10日
マックス・ロスタル(Vn)

(2)ガスパール・カサド(Vc)
  ハインツ・シュレーター(P)
(4)ローター・ブロダック(P)
 グレーテ・フィッシャー1966年の「仕える民、ブレヒトとその他の人々」より:
  《教授があるとき小さなバイオリンをマックスに渡しながら言った「さあ、弾いてごらん!」・・・そうしてマックスは弾き始めた。弾いて、弾いて、全く弾き終わろうとしなかった。そしてその6年後、彼は初めてコンサートで弾いた。マックスは6歳から13歳まで家族を養ったのである。》

 マックス・ロスタル(1905-1991)は、ウィーンではアーノルド・ロゼ、ベルリンではカール・フレッシュに師事、22歳でオスロの交響楽団のコンサートマスターになった。
 25歳でベルリン音楽大学の教授職を受けるが、3年後、ナチ時代開始に伴い取り消される運命となる。1934年、チェロ奏者の妻と娘と共にイギリスへ移住、やがてイギリスでもレッスンを開始、レコードや放送用に録音を行った。1956年にはスイスのベルンに更に移住、のちには、ドイツ、ケルンの音楽大学でマイスター講習などを務めた。
 ロスタルは前世紀の偉大なるヴァイオリニストに並ぶが、度重なる移住や帰国の繰り返しにより、専門家以外には広く知られる事なかった。

 今回のアルバムはロスタルが得意としたベートーヴェンを中心としたもの。第7番は有名なオズボーンとの録音があるが、今回のはそれとはちがう。HASTEDTレーベルなので、また独自の放送音源を発掘してきた可能性が高い。








アニア・タウアー、3枚のアルバム

 まさに伝説のチェリストといっていいだろう、あのタウアーの知られざる録音がHASTEDTのカタログの中にひっそりと隠れていた。
 まだ手元に届いていないので詳細は不明だが、地元での放送録音か?
 とんでもないものを見つけてしまった。


ht 6602
Anja Thauer 60er Jahre
¥3200→\2990
アニア・タウアー
 リヒャルト・シュトラウス:チェロ・ソナタ
op. 6
 レーガー:無伴奏チェロ組曲第3番
 ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタop. 40
 フランセ:チェロとピアノのための幻想曲
アニア・タウアー(Vc)
ルドルフ・マクジンスキー(P)
ピアノのマクジンスキーは作曲家として知られる1907年生まれの大家。

ht 6606
Anja Thauer Konzerte
¥3200→\2990
アニア・タウアー
 (1)サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
 (2)ショパン:チェロ・ソナタ
 (3)ダルベール:チェロ協奏曲
 (4)チャイコフスキー:ロココ変奏曲
アニア・タウアー(Vc)
シュトゥットガルト放送交響楽団
(1)ハンス・ミュラー=クライ指揮
(2)クロード・フランセ(P)
(3)レイト・チュップ指揮
(4)クリストフ・ステップ指揮
サン=サーンスの指揮者は名匠ミュラー=クライ!

HT 6608
¥3200→\2990
アニア・タウアー 新発掘音源登場!
 
(1)ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
 (2)マルセル・ドラノワ:Esquisse lyrique (Lyrische Skizze)
 (3)シューマン:チェロ協奏曲
 (4)ドビュッシー:チェロ・ソナタ
アニア・タウアー(Vc)

(1)ズデニェク・マーツァル(指揮)
 チェコ・フィル
 1968年ドイツ・グラモフォン録音

(2)ヘルムート・シュルテス(P)
 1962年10月23日放送録音

(3)クラウスペーター・ザイベル(指揮)
 ニュルンベルク交響楽団
 1965年7月15日放送録音

(4)ヘルムート・シュルテス(P)
 1962年4月28日放送録音
 若くしてアニア・タウアーはドイツグラモフォンと特別契約を交わしている。その結果以下の録音が残っている。すなわち、1966年のフランセの「幻想曲」とレーガーの「組曲」、そして1968年のチェコ・フィルとのドヴォルザークのチェロ・コンチェルトである。
 この、知る人ぞ知る、才能豊かなチェロ奏者、タウアーの録音がまたハーシュテットより発掘された。バイエルン放送での古くて貴重な録音である。
 タウアーのこの3つ目のCD完成にあたり、改めて、想像力の及ぶ限り最大なる「希望」というものを浮き出させた彼女、そして彼女の漲り溢れる力強い演奏に感謝したい。

 マルセル・ドラノワ(Marcel Delannoy, 1898 - 1962年)
  ドラノワはフランスの作曲家。。最初に絵画と建築を学んだが、20歳の時に音楽に転向した。音楽は独学で、時折アルテュール・オネゲルからアドバイスを受けるだけだった。1927年、オペラ『ポワティエの悲劇』がモーリス・ラヴェルらから好意的な評価を得て、彼の名が知られるようになった。同年には10人の作曲家の共作によるバレエ『ジャンヌの扇』の一部を作曲した。









グスタフ・シェックに思いを寄せて
フルートとピアノによる作品
HT6610



HT6610
\3200→\2990

フルートとピアノによる作品
 グスタフ・シェックに思いを寄せて



ユリウス・ヴァイスマン (1879 - 1950) :
  「ソナタ」 Op. 135 (1942) - グスタフ・シェックに献呈(19:10)
エンドレ・スツェルヴァンツキー (1911 - 1977):
  「ソナチネ」 (1952)(11:21)
クラウス-ペーター・シュネーガス (*1962)):
  「忘れられたスケッチ」Op. 13 (1990)(2:54)
クルト・ヘッセンベルク (1908 - 1994):
  「ソナタ」Op. 38 (1952) - グスタフ・シェックに献呈(16:13)
クルト・ヘッセンベルク:
  「哀歌と道化」Op. 71/1 (1959)(5:25)
アルヴォ・ペルト (*1935):
  「鏡の中の鏡」(1978) - フルートとピアノ用(9:23)
ポエティコ・ムジカーレ二重奏団
  フルート:クリストフ・リードルベルガー
  ピアノ:ミナコ・シュネーガス

 
 今回のアルバムはポエティコ・ムジカーレ二重奏団によるフルートとピアノのための作品集だが、主役はクルト・ヘッセンベルクとユリウス・ヴァイスマンが、フルート奏者グスタフ・シェックに捧げた作品。




 作品を捧げられたグスタフ・シェック(1901-1984)は ドイツのフルーティスト。
 フライブルク市立管弦楽団、デュッセルドルフの劇場室内管で活動したあと、1928年にシェルヘンのいたケーニッヒスベルク放送管の首席奏者となる。
 その後ハンブルク国立オペラ劇場管弦楽団首席奏者をつとめ、ベルリン音楽大学では教授となる。
 1946年にフライブルク音楽大学の設立者の一人として名を連ね、後には学長も務めた。






 一方クルト・ヘッセンベルク(1908年8月17日 - 1994年6月17日)は、ドイツの作曲家。

 フランクフルト・アム・マイン出身。ライプツィヒ音楽院で作曲をギュンター・ラファエルに、ピアノをロベルト・タイヒミュラーに学んだ。
 1940年には国家作曲賞を受賞、1942年にナチスに入党し、1944年にはヒトラーによって「天才名簿」に掲載されたため戦時動員を避けることができた。
 1951年にはデュッセルドルフ市からロベルト・シューマン賞を贈られた。
 1953年からホッホ音楽院の後身であるフランクフルト音楽・舞台芸術大学の教授となり、1973年に引退するまで後進の指導にあたった。
 弟子にはハンス・ツェンダーやペーター・カーンなどがいる。

 こんな作品を作っている。Concerto Grosso per Orchestra。
https://youtu.be/IXca53M1dSQ

 なかなかかっこいい。





 そしてもう一人のユリウス・ヴァイスマン(1879年-1950年)はドイツの作曲家。

 1891年から1892年までミュンヘンでヨーゼフ・ラインベルガーに作曲の指導を受ける。
 ベルリンでヘルツォーゲンベルクらに師事し、その後3年間ミュンヘンでトゥイレに師事した。
 ヴァイスマンはかなり早くからピアニストとして一目置かれていたが、1919年から1930年にかけて全部で5つの歌劇を完成させており、このころヴァイスマンの作品が広まった。

 1935年にドイツ文化闘争同盟の依嘱によって、メンデルスゾーンの上演が禁止された楽曲に取って代わるべく、ウィリアム・シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』のための付随音楽を作曲。また1936年4月20日にアドルフ・ヒトラーによって教授に任命され、1939年にフライブルクの名誉市民に選ばれ、またライプツィヒのヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールでバッハ賞を獲得している。
 1950年12月22日にジンゲンで没するが、没後、1954年にヴィーラント・ワーグナーの提案により、デュースブルクにヴァイスマン資料館が設立された。

 ヴァイスマンは作品番号で数えて150曲以上を遺しており、さらに番号付けされていない曲も数多くある。
 シューマンとブラームスの作曲様式に従ってはいるが、旧師トゥイレの影響や、印象主義音楽の要素、マックス・レーガーへの共感、とりわけ後期作品において
はバッハの対位法への傾倒も見出される。
 これらの影響にもかかわらず、ヴァイスマンの作品は、しばしば素っ気ないほどの簡潔さや箴言めいた含蓄の多さが同時に認められる。

 ここではヴァイオリン協奏曲が聴ける。ドイツ・ロマン派の名残を残したなかなかの力作
https://youtu.be/uNx3KgkNHvo





 上記の二人はそんなわけでナチスとの積極的な関係が指摘されている。
 その真価を見極めるのは時代的にまだ難しいのかもしれない。


ポエティコ・ムジカーレ二重奏団について

  フルート:クリストフ・リードルベルガー
  ピアノ:ミナコ・シュネーガス


 クリストフ・リードルベルガーは、近代フルートと木製のバロックフルート「トラヴェルソ」奏法をニュルンベルクとフランクフルトにて、ミリヤム・ナスタージとペーター・タールハイマーに師事して学び、バルトルト・クイケン、ペーター=ルーカス・グラーフ、ロベルト・エイトケンらのマスタークラスに参加。
 コンサート活動では、国内外ソリストとして、また様々なオーケストラの一員(ミュンヘン・バッハコレギウム、モンテヴェルディ・オーケストラ等)として活躍。
 彼の主流は室内楽。これを音楽的好奇心と世界への開けた感性で解釈、従来のクラシック分野に留まらず、近代の実験的音楽作品やタンゴまで手がける。
 ゲッティンゲン・ヘンデル音楽祭、デッサウでの国際音楽祭等のフェスティヴァルでも積極的に演奏し、ドイツ放送局やテレビでも放映されている。

 室内楽界での彼の評価は高く、ブレーメンのドイツ室内楽団の一員として近代作曲家シリーズの演奏にも加わっており、ブレーメンに移る以前の時期にはベルリンの「ハンス・アイスラー音楽大学」にて教授として教鞭を取った。自己の演奏家としての活動の他には、2000年にブレーメンの「近代ダンスフェスティヴァル」、2003年同じくブレーメンの「ジャズフェスティヴァル」で作曲にも携わった。

 ピアノのミナコ・シュネーガスは、デトモルト音楽大学にてアナトル・ウゴルスキーに師事、ヴェラ・ゴルノスタエーヴァ、クリスティアン・ツァハリアス、ロベルト・D.レヴィンのマスタークラスに参加。
2007年、ザルツブルクのモーツァルテウムでの国際スカルラッティ・コンクールで優勝のほか、ポルトガルのオーポルトでの第12回国際ピアノコンクールで表彰される。

 演奏活動は日本とヨーロッパを中心に、シュトゥットガルトの歌曲ホール、ブダペストのリストアカデミー、ザルツブルクのモーツァルテウム、パリの国際芸術ホール、グロッケ・ブレーメン、ハンブルクのフリードリヒ城内、リウブリアーナ会議場ホール、大坂シンフォニーホールなどで演奏している。
 ソリストとしては、様々なオーケストラ、大阪交響楽団、ブダペストのMAV交響楽団、シュトゥットガルトのアルカータ室内楽団、北西ドイツフィルハーモニー・ヘルフォルト等と共演している。










残り在庫僅少
イリス・スツェギー
アンサンブル・スュル・プリュスとのポートレート・コンサート
HT5321



HT5321
\3200→\2990
在庫僅少につき完売の際はご容赦を

1.「バスクラリネットの為のプレリュードと踊り」 (1992)
     演奏:エリッヒ・ヴァーグナー(4:27)

2.「2人の打楽器奏者のための真夏の夜の夢」 (1992)
     演奏:オーラフ・チョッペー、パスカル・ポンス(12:24)

3.「ピアノのための永久的連続運動」 (1993)
     演奏:スヴェン・トーマス・キープラー(4:15)

4.「フルート、オーボエ(イギリスホルン)とバスクラリネットの為の格言集」(1992)
     演奏:マルティーナ・ロート、ペーター・ヴェーレ、エリッヒ・ヴァーグナー(11:38)

5.「ヴィオラのための舞曲シャコンヌ」 (1991)
     演奏:ボードー・フリードリッヒ(11:20)

6.「オーボエと録音テープのための間奏曲」 (1993)
     演奏:ペーター・ヴェーレ(8:08)

7.「クラリネット、打楽器とピアノ用、バルトークによせる民俗音楽」(1996)
     演奏:エリッヒ・ヴァーグナー、オーラフ・チョッペー、ジェームス・アヴェリー(16:45)

録音:1999年11月30日、ラジオブレーメンの放送局ホールでのライブ演奏から抜粋


音楽評論紙「音楽と劇場」より

 スツェギーの音楽は、アンサンブル、スュル・プリュスの心地よい演奏をもって、輝きを帯びながら心に自然と染み込んでくる。
 このCDの持つ良さ、その可能性の深さはもしかすると2度目に聴く事で新たに発見されるものかもしれない。




 TAZ(日刊新聞)ではある批評家ガ「メロディーを恐れてはならない」とのタイトルでコンサートの感想を述べている。
 「驚くべき女性作曲家イリス・スツェギーは次から次へと変化に富む作曲に成功している」


 意欲的エネルギーに溢れるこのアンサンブルのソリストたちは、楽譜をまるでジャズの眼鏡を通して読み取るかのごとく演奏することに成功している。
 鋭い感覚と嘲笑、皮肉のようなものを程よく調和させながら、作曲家イリス・スツェギーの意図を最高の状態で伝えてくれる。




女性作曲家イリス・スツェギーについて


 1956 東スロヴァキアのプレソフ生まれ。

 1971-76 コジーセのコンセルヴァトリウムにて音楽を学ぶ。

 1976-81 スロヴァキアの首都のブラティスラヴァ音大にて作曲法を学ぶ。

 1981-84 同じくブラティスラヴァにて楽理教師を務める。

 1986-89同じくブラティスラヴァにて作曲法の博士課程を修了。

 2000 音楽クラス、奨学等でブダペスト、ワルシャワ、ソリトュード城(シュトゥットガルト)、サンディエゴ、ハンブルク州立歌劇場、ヴォルプスヴェーデ、ボスヴィール(スイス)に学ぶ。


その作品のいくつかをどうぞ。

https://youtu.be/RN61NeXeImA

https://youtu.be/4HAdJ8RhBfM



アンサンブル、スュル・プリュスについて

 1992年ドイツ、フライブルク、ブライスガウにて設立された。
 設立当年にしてすぐにダームシュテットの新音楽のための夏期講習に招待される。
 ソリトュード城アカデミー(シュトゥットガルト)との密接な関係から1994年以来、20人以上の奨学生らとCDを録音している。

アンサンブルマスターのジェームス・アヴェリーについて


 ハチンソン、カンザス生まれ。
 アンサンブル、スュル・プリュスの演奏芸術マスター。
 1967年以来ローヴァー音大のピアノ教授のほか、1980年からはフライブルク音大でも教鞭を取っている。









トーマス・ウィルソン (1927-2001)
ピアノ独奏曲集
HT5322


HT5322
\3200→\2990

トーマス・ウィルソン (1927-2001)
 ピアノ独奏曲集


1.「ソナタ」 (1964)(19:54)
2.「ソナチネ」 (1956)(8:05)
3.「三つの小曲集」 (1964)(6:42)
4.「インクナブラ − 西欧最初の活字印刷」 (1983)(10:25)
   (ラテン語から「ゆりかご」とも訳せます)

ピアノ:ヨハネス・ヴォルフ

録音: 2000/2001 ドイツのルール地方の小都市カーメンのピアノギャラリーにて



音楽評論「フォノ・フォーラム:演奏家の響き、レパートリーの価値」より

 「今回ハーシュテットにてスコットランド人、トーマス・ウィルソン(1927-2001) が登場。
 近代的発想に基づきながら注意深く、でも前衛的な作曲法で伝統を崩さずに表現出している。
 この演奏を新クラシック感覚から「近代クラシック」と呼んでも間違いなかろう。
 ヨハネス・ヴォルフはこの作品の必要とするところの透明感、心情表現と色彩をもって我々を魅了する。」


作曲家、トーマス・ウィルソンについて


 1927 アメリカ、コロラド州、トリニダ生まれ。両親共にイギリス人。

 1940-45 グラスゴーでカレッジに学ぶ。

 1945-48 イギリス空軍兵役

 1948-53 グラスゴー音楽大学にて、エルネスト・ブッロックとフレデリック・リンマーに師事。

 1954 ロンドンのロイヤル音楽カレッジにて作曲法をヘルベルト・ハウエルスに学ぶ。

 1957 グラスゴー大学にて教鞭に立つ。

 1977 教授に昇格。

 1982 退職。

 2001 逝去。


ヴァイオリン協奏曲から抜粋
https://youtu.be/gzKcztj9lP8

ピアノのための3つの小品
https://youtu.be/CMHmnpW24u4



ピアニスト ヨハネス・ヴォルフについて


 ドイツ、バット・マルゲントハイム生まれ。音楽基礎はシュトゥットガルトにて、パウル・ブック、レナーテ・ヴェルナーに、ミュンスターではグレゴア・ヴァイヒェルトに学ぶ。
 ケルンで「アマデウス四重奏団」の一員となる。
 現在はドルトムントにてピアニスト、音楽教師として活躍。

 トーマス・ウィルソンとは、1994年のある近代音楽祭にて知り合った。
 ハーシュテットではテオドア・キルヒナーのピアノ作品をHT6609に録音している。

 







ハンス・アイスラー (1898-1962)



HT5313
\3200→\2990

ハンス・アイスラー (1898-1962):「歌曲集」
 1956年及び1957年のリーダー・アーベント(歌曲の夕べ)より

エレジー(1939作曲)
母バイムライン
結婚式の童謡
マリーヒェン(マリアちゃん)
ウルムの洋服仕立て屋さん
1つ暗い雲が寄ってくる
サクランボ泥棒
人は1日ごとに生きる
子守唄
老子の「道徳経」の起こりの伝説
長生きのガチョウ
女の子の喜びの歌
お金の良い効果の歌
ユダヤ人の女マリー・サンダースのバラード

ハリウッド・エレジー
緑の胡椒の木の下で
この町は天使にちなんで名付けられました
毎朝、今日のパン代を稼ぐために
丘の上で金が見つかる
この町は僕に教えを説いた
結婚の知らせ
年齢
小さなラジオ機によせて
故郷
ホテルの部屋(1942年作曲)
戦争中の宣教師
ある木に寄せる春のつぶやき
世界を変えろ
庭の水遣り

上記は1957年10月14日「アイスラーの夕べ」 シュターツオーパー・ウンター・デン・リンデンにて

花にあふれる庭
水車
ある子供の戦争歌
エレジー(1943年作曲)
希望によせて
歓喜はおじけずかない
伝道師ホラツィオのモノローグ
町へ
フランスのドイツ民謡

上記は1956年11月21日「アカデミーコンサート」

ソプラノ:イルムガルト・アーノルド
ピアノ:アンドレ・アスリエル


1958年のハンス・アイスラー自身のコメントより

「私の歌曲とカンタータの演奏会が決まった際、私は歌手にすぐさまイルムガルト・アーノルドを思った。彼女と一緒に仕事をしたいと常々願っていたからだ。
最初の何回かの練習打ち合わせで既に、私がどんなにラッキーか分かった。才気に溢れ、それでいて親しみやすく、一方で厳しく、また、喜びと強さに満ち、ユーモアと真面目さを同時に持った彼女に打たれた。
そして更に彼女は真剣で、常に向上心をもって更に素晴らしいものを作ろうとしてくれた」

__________________

音楽評論「今日のクラシック」より

「2度に亘る全く別の形の演奏が極めて面白く演奏されている」

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ハンス・アイスラーについて

ボリス・ブラッヒャー
「アイスラーは、音楽で世界を変えられる、と信じる数少ない音楽家の1人である。別の言い方をすると、芸術というものはある効果をもたらすもの、ということだ。この考え方が彼の人間的で個性的な音楽形態を確立しているのである」


 ハンス・アイスラー(1898年 - 1962年)は、ドイツの作曲家。ライプツィヒ生まれのアシュケナジム・ユダヤ人。
 若くして新ウィーン楽派のアントン・ヴェーベルン、アルバン・ベルクとならぶ、アルノルト・シェーンベルクの三人の高弟のひとりとなるが、音楽上、政治上の対立から訣別。
 次いで、労働運動、共産主義運動に目を向け、劇作家ベルトルト・ブレヒトと協働するようになり、演劇や映画関係の歌曲を数多く残す。
 こうして、現代における音楽の社会的機能をきわめて真摯に考察した、音楽上の思想家となった。
 ナチス台頭で米国に亡命して難を逃れ、ハリウッドでは映画音楽などでチャールズ・チャップリンらに協力。
 第二次大戦終結後マッカーシズムで共産主義者の疑いを受け国外追放となる。ベルリンに戻り、ふたつのドイツのうち、ためらわず東ドイツを選んで居を定め、偏狭なスターリニズムと闘い、あるいは妥協しながら独自の音楽をつくる。
 東ドイツの国歌『廃墟からの復活』の作曲者である。



__________________

ソプラノ:イルムガルト・アーノルドについて

 1919年10月17日ホルン(現在のホルン-バット・マインベルク)生まれ、ミュンヘンで幼少を過ごす。ヴァルター・フェルゼンシュタイン (1901-1975) に才能を認められ、旧東ベルリンのコミッシェオーパーに採用され、ここにて40年活躍した。
 フェルゼンシュタインの推薦を受け、採用されて間もなくから主役級の演奏を続けた。特に秀でたものは、1956年、ヤナーチェックの代表作『利口な女狐の物語』をフェルゼンシュタインが演出した当時のタイトルロール歌唱。また1960年の「椿姫」のヴィオレッタ、そして1971年にユダヤ系のイッディッシュ語の物語をミュージカル化した「屋根の上のバイオリン弾き」をフェルゼンシュタインが演出した際の歌唱が有名である。

 演出家アイスラーと、ソプラノ歌手アーノルドの初共演は、1951年、ジャック・オッフェンバックのオペラ「パリの生活」であった。
 晩年のアイスラー曰く、「彼女は成功とか栄誉を求めないし、それを必要ともしなかった。輝かしい彼女の存在の証として我々がいる、それで良いのだ」


___________

アンドレ・アスリエルの経歴

1922年ウィーン生まれ
1935-38年 ウィーン音楽アカデミーに学ぶ
1946年まで、ロンドンにて、エルンスト・ヘルマン・マイヤーに師事して作曲を学ぶ
1946年から1949年 ベルリン・シャロッテンブルク音楽大学にて学ぶ
1950年から1951年 ハンス・アイスラーのマスター学生として学ぶ
1951年以降 ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学教授
1968年 楽理、音楽基調科教授

アスリエルは、作曲家として多くの歌曲、シャンソンの部門で活躍している。その中でも特にエッセイスト、ペーター・ハックス(1928-2003)の詩を基にしたものが多い。







ユダヤ人女性歌手、リン・ヤルダーティ (1912-1988)


HT5332
\3200→\2990

ユダヤ人の女性歌手、リン・ヤルダーティ (1912-1988)
  「歌曲録音集」



「ユダヤ系ドイツ語のイディッシュ語の歌曲集」
 (モルデッハイ・ゲビルティッヒ、ヒルシュ・グリーク、レオ・ヴァイネル他)


火事だ!
言うな!
森のはずれで
兄弟よ、俺達は決めた
パンと肉と魚とデザートの小歌曲
誰が最初に笑うだろう?
賢き者たちよ
明日は良くなるだろうと望みをもって
失業者の行進
鳥たちは枝で夢みる
ゲットー地区を見つけた子供、イースロレック
昔々の物語
3人の青二才
おしゃべりな女
歌曲「黒いサクランボ」への前書き
黒いサクランボ
ルイス・フィュルンベルクの歌曲集

家の裏から (1937)
風刺的な童謡「クルツ・マーレリアーナ」 (1934)
統一の歌 (1936)
また光が輝くなら (1945/51)
古くて新しい子守唄 (1937)
スペインの子守唄 (1936)
ネズミの母さん (1940/41)
夢みる人たちの歌 (1937)
さようなら (1953)
ハンス・アイスラー「労働者の母達の4つの子守唄」
 (作詞:ベルトルト・ブレヒト) (1932)

我が子を身ごもっていた時
我が子を出産した時
私があなたを産んだの
息子よ、あなたが何になるとしても
「火事だ!」のライブ録音 (18.02.1983)



 このCDは、旧東ドイツ放送協会が、終戦後10年の間に起草した彼女の2つの演奏を収録している。
 このうち、16曲は非常に珍しいイディッシュ語の録音である。

 中でも、ベルトルト・ブレヒトの詞にハンス・アイスラーが作曲した「労働者の母達の4つの子守唄」、そしてイディッシュ-チェコ語、及びドイツ語詩人(同時に作曲家)のルイス・フュルンベルクの9曲はレコード業界の革新的録音となっている。
 更に、ここに収録されている全曲(!)世界初公開である。


 音楽批評:「ユダヤ人新聞」のコメントより
 
「このCDに収められているイディッシュ語歌曲は、決して単なる過去の回想などではない。ヤルダーティは、貧しいユダヤ人食料品店の娘として生まれ育った。・・・1952年、夫でピアニストのエーバーハート・レープリングと、旧東ベルリンに移り、反ファシズム活動に携わった。このCDからは、この彼女の強い希望精神が伝わってくる。また、彼女が望んだ「より良い世界」を求める思想は、丁度現在の我々にも欠かせないのではないだろうか。


 


リン・ヤルダーティの生涯(ウィキペディアより)


 1988年、今から約20年前の8月31日に、リン・ヤルダーティはこの世を去った。アムステルダムで、ユダヤ系オランダ人の貧しい家庭に生まれた彼女は、幼少時代から洋裁仕立ての労働者として何とか溜めたお金を費やして、名高いバレー協会で踊りを習い、自己流の「ソロ表現ダンス」を確立すると共に、その中に「ユダヤ系のテーマ」を加えながら、地道に経歴を積んでいった。

 そんな彼女は、1936年にドイツ移民でピアニスト、音楽研究家のエーバーハルト・レープリングと知り合う。2人は、踊りの傍ら、イディッシュ語、イディッシュ系の歌曲に力を入れていくようになる。この分野において、このヤルダーティとレープリング夫妻は画期的な先駆者として、数多くの新しい境地を切り開いていった。

 第2次世界大戦初期の1940年、オランダがドイツのナチスに占領された後は、2人は危険を回避する為、一旦影を潜め、その間長女を授かった。しかし1944年、リン・ヤルダーティはナチスに発見され、強制収容所アウシュビッツとベルゲン・ベルゼンに送られた。ところが、これを何とか生き延びた彼女は、戦後、夫のレープリングと再び再会、仕事を求めて1952年東ドイツに移り住んだ。

 彼女にとって第2の新たな故郷でも、自分の人生の使命を全うすべく常に忠実に、努力を惜しまなかった。今日の世界において、はたや忘れ去られんともするユダヤ系の心と音楽を、ヤルダーティ夫妻は歌声とピアノで伝えてくれる。

 イスラエル、エルサレムにある「ホロコーストで大虐殺されたユダヤ人追悼記念館」であるヤド・ヴァシェムより、「諸国民の中の正義の人」(自分の危険を冒してユダヤ人を守った英雄)の1人として、栄誉の称号を受けた彼女の夫、ピアニストのエーバーハルト・レープリングは、2008年8月2日にこの世を去った。







オットマー・ゲルスター (1897-1969)


 アドルフ・ヒトラーの「天才名簿」に掲載され、戦後はアメリカ軍の「ブラックリスト」に登録されたオットマー・ゲルスター。
 それでも1947年からはフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学の作曲科の教授となり、1948年から1951年まで学長を務めた。
 最終的にドイツ民主共和国作曲家・音楽学者同盟の議長を務め、東ドイツ政府の要求する「社会主義リアリズム」にのっとった作曲活動を行った。


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オットマー・ゲルスター (1897-1969)
 「製鉄工場東とその他の作品」


I. 「製鉄工場東」 (42:08)
 共産主義者ハンス・マルフヴィツァ自身のテキストによる
  ソプラノ、テノール、バス、混声合唱団、子供合唱団とオーケストラの為のカンタータ
ベルリン放送響
指揮:ヘルムート・コッホ
ソプラノ:ソニヤ-ヴェーラ・コルヒ
テノール:エルンスト・コーツプ
バス:ヘルベルト・レスラー
ベルリン放送楽団のソロ団体、大合唱団
クラインマハノフの高学年合唱団
ベルリン放送楽団合唱団
ドレスデン・聖十字架合唱団の15人のメンバー
1951年9月5日録音 
II. ピアノ協奏曲 (1931/1955) (22:16) ベルリン放送響
指揮:ロルフ・クライネルト
ピアノ:ズィークフリート・シュテッキヒト
録音:1959年12月5日
III. 祝祭前奏曲 (1948) ( 7:16) ライプチッヒ放送交響楽団
指揮:ヘルマン・アーベントロート
1949年3月1日録音



 「製鉄工場東」の詳細なテキスト内容はブックレットに収録されています!

 ハンス・マルフヴィツァは、貧しい鉱山発掘労働者の息子で、自分自身も14歳で既に鉱山で労働、厳しい時代を乗り切った人。
 共産主義に力を入れた人のようなので、この曲もきっとソビエトのプロパガンダ作品的な力強さが満ち溢れていると思われます。



音楽評論より
 「このカンタータは他に類を見ない稀有で最高に貴重な宝である。政治的主張が、旧東ドイツの強い建設力に伴って伝わってくるのだ。
 音楽とテキストが綿密に統合されて、まるでハリウッドのウエスタンを思わせるかのようだ!




 オットマール・ゲルスター(Ottmar Gerster、1897年6月29日 - 1969年8月31日)は、ドイツの作曲家。

 ヘッセン州ブラウンフェルス出身。
 神経科医とピアニストの間に生まれ、幼いときからヴァイオリンとピアノのレッスンを受けた。
 1913年にフランクフルト・アム・マインのホッホ音楽院に入学し、そこで学生のパウル・ヒンデミットと知り合った。
 1916年から1918年にかけての徴兵による中断をはさんで、1920年に卒業した。1921年にフランクフルト交響楽団に入って、最初はコンサートマスターを務め、1923年から1927年までヴィオラのソリストを務めた。
 1927年から1947年までエッセンのフォルクヴァング大学でヴァイオリン、ヴィオラ、室内楽、音楽理論、作曲を講義した。
 また1920年代は労働運動に参加し、労働者合唱団の指導を行った。

 ナチス政権時代には体制への適応が大きな問題であった。
 1933年にはバルドゥール・フォン・シーラッハの詞によるドイツ・キリスト者のための合唱曲を作曲した。
 第二次世界大戦が始まった1939年に道路建設に徴用された。
 1941年に作曲したオペラ『パッサウの魔女』がデュッセルドルフで初演され、ブレーメン、マグデブルク、エッセン、リーグニッツでも上演され、シューマン賞を受賞した。1944年にはアドルフ・ヒトラーの「天才名簿(Gottbegnadeten-Liste")」に掲載され、戦時動員から解放されて作曲に専念することができた。

 戦後、ゲルスターはアメリカ軍の「ブラックリスト」に登録されたが、エッセンで講師を続けることはできた。
 1947年にフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学の作曲科の教授となり、1948年から1951年まで学長を務めた。
 1950年にはベルリンのドイツ芸術アカデミーの創立会員となった。
 1951年にフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒに移り、1962年に退職した。
 また1951年から1968年までドイツ民主共和国作曲家・音楽学者同盟の議長を務めた。


 ゲルスターは比較的穏健な作曲家で、調性に基づいて作曲し、また頻繁に教会旋法を使用し、さらにソナタ形式などの古典的な形式に民謡の旋律を取り入れた。
 その新古典主義音楽的な傾向の音楽は時に友人のヒンデミットと類似したものであった。
 彼は大衆のための音楽を志向していたので、東ドイツ政府の要求する「社会主義リアリズム」に従うことに問題はなかった。
.



オットマー・ゲルスターの生涯年譜

1897 6月29日ブラウンフェルス・ラーン生まれ
1913年 フランクフルトのコンセルヴァトリウムにて音楽を学ぶ
1921年 フランクフルト交響楽団にてコンサートマスターを務める
1922年 フランクフルトのオーバーラートの「労働者統一合唱団」の団長を務める
1927年から1947年までエッセンの「芸術と人生」をテーマとするフォルクスヴァング学校の校長
1947 年ワイマールのフランツ・リスト音楽大学にうつる
1948 年ワイマールの音楽大学校長
1950 年マックス・ブッティングとハンス・アイスラー、エルンスト-H・マイヤー、ルドルフ・ワーグナー-レゲニーと共に、ベルリン芸術アカデミーにて音楽部門を設立
1951-1962年 ライプチッヒ音楽大学にて作曲、楽理科教授
1969年 ライプチッヒ近郊のボルスドルフにて死去










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廃盤
クルツ、マズア、ヘルビッヒ登場
ライナー・クナート (1936-1995)
:オーケストラ作品集
I. 「各4つの弦楽器、金管楽器とティンパニーを
   四角に配置して4角度のステレオ効果を狙った4チャンネル曲」(1973)
ドレスデン・シュターツカペッレ
指揮:ジークフリート・クルツ
録音:1974年4月25日初演
(11:54)
II. 「オルガン、2つの弦楽オーケストラとティンパニーの為のコンチェルト」(1971) ドレスデン交響楽団
指揮:クルト・マズア
オルガン:クリスティアン・コルム
録音:1971年9月11日、初演
(22:33)
III. 「オーケストラの為のコンサート風景」(1975) ドレスデン交響楽団
指揮:ギュンター・ヘルビッヒ
録音:1976年5月30日、初演
(14:34)
IV. 「ピアノ・コンチェルト」(1969) ドレスデン交響楽団
指揮:クルト・マズア
ピアノ:ギュンター・コーツ
録音:1971年1月15日、初演
( 22:16)

音楽批評:「ダス・オーケストラ」より
 「このCDに収録されている曲は、どれをとっても類を見ない音色に輝いている!」

「オルガン、2つの弦楽オーケストラとティンパニーの為のコンチェルト」の一部が聴けます。



作曲家ライナー・クナートの経歴

1936 10月24日ケムニッツ生まれ
1955-56 ドレスデンのコンセルヴァトリウムに学ぶ
1956-59 ライプチッヒ音楽大学にてフィデリオ・F・フィンケとオトマー・ゲルスターに師事
1960-74 ドレスデン国立歌劇場の劇音楽部長を務める
1972-84 ドレスデンとベルリンの州立歌劇場会員
1973 ドイツ音楽賞「ハンス・アイスラー賞」受賞
1974 旧東ドイツ芸術アカデミーの正式会員
1975旧東ドイツ賞受賞
1978 ドレスデン音楽大学教授
1982-84 ザルツブルクのモーツァルテウムの客演教授
1984 旧西ドイツに亡命、テュービンゲンにてフリー作曲家として活躍
1995 ロイトリンゲンにて死去







ギュンター・コッハン (1930 - 2009)


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ケーゲル、ペーター・フロール、ツェヒリン登場
 ギュンター・コッハン:「オーケストラ作品集」

I. ピアノとオーケストラの為のコンチェルト op. 16 (1957/58) ライプチッヒ放送響
指揮:ヘルベルト・ケーゲル
ピアノ:ディーター・ツェヒリン
録音:1959年2月9日
(18:06)
II. ヴァイオリン・コンチェルト (1980) ヴァイオリン:エゴン・モルビッツァー
ベルリン・シュターツカペッレ
指揮:フリードリッヒ・ゴルトマン
録音:1982年2月19日初演演奏
(26:30)
III. 交響曲第5番 (1985/87) ベルリン・シンフォニーオーケストラ
指揮:クラウス・ペーター・フロール
録音:1987年11月13日の初演録音
(19:08)



音楽評論:「ディー・ツァイト」より

「ギュンター・コッハンのソロ・コンチェルト、及び交響曲は、当時の東ドイツの生んだ珠玉の最高作品である!」

ここで交響曲第5番がまるまる1曲聴ける・・・
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=4aFeHTQRqxo



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 ギュンター・コッハン:「作品集」


I. 「アウシュヴィッツ(ユダヤ人収容所)の灰」
  (アルト・ソロとオーケストラの為のカンタータ) (1965)
テキスト:シュテファン・ヘルムリン
ライプチッヒ放送響
指揮:ヘルベルト・ケーゲル
アルト:アンネリース・ブルマイスター
ライブ録音:1975年4月29日
(16:30)
II. ヴィオラとピアノのためのソナタ (1984/85) ヴィオラ:アルフレッド・リプカ
ピアノ:ディーター・ツェヒリン
録音:東ドイツ放送局製作、1988年6月7日
(14:13)
III. ヴァイオリンとオーケストラの為のコンチェルト、ニ長調op. 1 (1950/1952) ライプチッヒ放送響
指揮:アドルフ・グール
ヴァイオリン:ギュンター・グラース
録音:東ドイツ放送局製作、1976年1月29日
(20:12)
IV. 「そして私は人生の闇の中で微笑む」
(マルクス主義者として歴史に残るローザ・ルクセンブルク女史の書簡より)
交響曲第2番 Nr. 2 (1987)
ケムニッツ・ロベルト・シューマン交響楽団
指揮:ディーター-ゲルハルト・ヴォルム
録音:1989年2月14日の初演ライブ録音より
(18:42)

音楽評論:「音楽の為の新雑誌」より

 「ヘルムリンのカンタータ「アウシュヴィッツ(ユダヤ人収容所)の灰」、ローザ・ルクセンブルク女史書簡に基づく「そして私は人生の闇の中で微笑む」からは、嘆き、脅し、そして対抗が入れ替わり立ち代り音楽を通じてひしひしと伝わってくる。作曲家コッハンの先駆者的表現、情熱的な人類平等感は、カール・アマデウス・ハルトマンに比較できると言えるが、一方で、例えば「ビヴィオラソナタ」では、政治的背後を持たない純粋な音楽としても注目される。すなわち、ここでは曲頭から、ヴィオラとピアノの開放感豊かな掛け合いが、音楽形式に則ったダイナミックさをもって表現されているのだ。







ギュンター・コッハンの経歴

1930 10月2日、ニーダーラウニッツのルクナウ生まれ
1946-1950 ベルリン、シャロッテンブルク音楽大学で、K.F.ネーテル、H.ヴンシュ、ボリス・ブラッハーに師事
1953-1953 「ベルリン、ドイツ芸術アカデミー」にて、マイスター学生としてハンス・アイスラーに師事
1950以降 ベルリンの「ハンス・アイスラー音楽大学」にて教師を務め、1967年かは作曲科の教授を務める
1985から1991 教授、1985年以降は型にはまらないフリー作曲家として活躍
1966-1992 ベルリン東部の「芸術アカデミー」会員
1972-1981 「旧東ドイツ作曲家団体」の副会長
1964年と1979年旧東ドイツ国賞受賞
1973年にはベルリン東部のゲーテ賞受賞
1965年 ウルグアイのモンテヴィデオにて「アメリカとの芸術振興作曲賞」受賞
1978年 ロサンゼルスにて「チューバ作曲コンテスト」優勝
2009年2月22日死去






クルト・シュヴェーン (1909 - 2007)


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クルト・シュヴェーン:
 オペラ「レオンスとレーナ」 (1960)

ベルリン室内楽団
指揮:ルドルフ・ノイハウス
テノール:フレッド・プランスキー、
ハンス-ヨアヒム・ロツシュ
ソプラノ:レナーテ・ホーフ
バリトン:ギュンター・ライプ
アルト:アンネリース・ブルマイスター
バス:ライナー・ズュース
ソプラノ:レナーテ・クラーマー
テノール:ヘンノ・ガルドゥーン他
録音:1968年
(54:40)

音楽評論:「ダス・オペラグラス」(2011年5月号)

 この録音は、聴く者を完璧に満足させる。
 録音当時の名歌手、ギュンター・ライプは、カルロス・クライバーの華々しい「魔弾の射手」(ウェーバー)の名録音を残しているし、アンネリース・ブルマイスター、ライナー・ズュース、フレッド・プランスキーらを聞かずにはいられない!
 ベルリン室内楽団とルドルフ・ノイハウスの共演は、遊び心に満ち溢れて、このオペラがいかに素敵な音楽的ユーモアを持つものであるかを伝えてくれる。





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クルト・シュヴェーンについて


 作曲家クルト・シュヴェーン(Kurt Schwaen、1909年6月21日 - 2007年10月9日)は、ドイツの作曲家。
 劇作家ベルトルト・ブレヒトと親しい関係を持ち、2007年、98歳に至るまで活躍した。

 シュレジエンのカトヴィッツ(現ポーランド領カトヴィツェ)出身。1929年から1933年までベルリンやブレスラウの大学で学び、クルト・ザックスやアルノルト・シェーリングの教えを受けた。
 1930年にはハンス・アイスラーと出会い作曲のスタイルに大きな影響を受けた。
 反ファシズム学生運動に参加し、ドイツ共産党に入党したため1935年から1938年まで拘束された。

 第二次世界大戦後はベルリンで、アマチュア音楽団体・合唱団・音楽学校・室内楽団のために作曲したり、出版社のアドバイザーを務めるなど音楽文化の再建に尽力した。
 1953年から1956年までベルトルト・ブレヒトとともに仕事をした。1961年に東ドイツ芸術アカデミーの会員となり、1965年から1970年まで音楽部門の長を務めた。
 1962年から1978年まで東ドイツ国立民俗音楽委員会の委員長を務め、さらに1973年から1981年までライプツィヒの子ども音楽劇場の監督であった。
 東ドイツ政府より多くの賞を受け、1983年にはカール・マルクス大学(現ライプツィヒ大学)から名誉博士の称号を贈られた。作品は620以上に及ぶ。(ウィキペディアより)


 こんな曲を書いてます。
 https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=WhSw0LMGoO8
.

1909 シュレーズィエン州のカトヴィッツ生まれ
1929 - 1933 ブレスラウにて、音楽学、ゲルマン語学、芸術歴学、心理学を学ぶ
1935 政治的理由にて3年間懲役
1938 オーダ・ショットミュラーとマリー・ヴィーグマンのもとでコレペティートア(音楽稽古伴奏者)を務める
1953 -1956 ベルリンのアンサンブル「ホラティア兄弟(ローマの勇者)とクリアテリア」で、劇作家ベルトルト・ブレヒトと仕事を共にする
1961 ベルリンの「芸術アカデミー」の正会員
1953以降 ベルリンにて、外界に左右されないフリー作曲家をして活躍
2007 ベルリンにて死去
.












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1950〜60年代の歴史的録音
 「インゲボルク・ヘルコーマーとユリアーネ・レルヒェの2台のピアノ4手連弾」


I. ハンス-ゲオルグ・ブルクハート
 2台のピアノとオーケストラの為のダブルコンサート(1958)
ライプチッヒ放送交響楽団
指揮:ハインツ・フリッケ
 1961年7月3日、ドイツ放送局製作
  演奏時間:27:23
インゲボルク・ヘルコーマー(P)
ユリアーネ・レルヒェ(P)
II. ギュンター・ラファエル
 2台のピアノのためのトッカータop.45 (1937)
 1961年5月12日、ドイツ放送局製作
  演奏時間:11:46
III. ツェーザー・ブレスゲン
 ホールバイン(画家)の「死の舞踏」によせる作品(1947)
 貴重な歴史的録音
  :1956年11月26日、ワイマールにて
   演奏時間:34:06


 HASTEDTには珍しい「演奏家主体」のアルバム。

 インゲボルク・ヘルコーマーとユリアーネ・レルヒェという2人のボヘミア出身女性ピアニストのデュオ。

 インゲボルク・ヘルコーマーとユリアーネ・レルヒェのピアノ二重奏にまつわる1950年代、60年代当時の音楽評を探してみると、ワイマール、ウィーン、プラハ、ベルリン、ザルツブルク、ドレスデン、ケルン、ハッレ、リンツ、その他、東西に関わらずヨーロッパの数多くの都市で、どの音楽評論家も口を揃えて褒め称えている。

 同時に指揮者、カレル・アンチェル、ハインツ・フリッケ、クルト・マズア、ロルフ・ロイター、ホルスト・シュタインらも、「ピアノ二重奏ならこの2人!」と一押しであったという。


インゲボルク・ヘルコーマー



 1921年、チェコ、ボヘミア地方のイェーガンドルフ-ノルトメーレン生まれ。ハンス・カイテルのもと、トロッパウにてピアノを学ぶ。
 1941年、プラハにて音楽教師試験に合格、1944年にはザルツブルクのモーツァルテウム、エリー・ナイのもと「マイスター」タイトルを受ける。
 1949年から1951年はドレスデン音楽と劇の為のアカデミーで教壇に立ち、1951年にはワイマールに移り音楽教授を続ける。
 1966年にはフリーデマンとヨハネス・ベーツェルと共にワイマールシュターツカペッレのコンマスを務め、同時にワイマール三重奏団を設立。
 旧東ドイツのショパン協会委員としても活躍し、「ポーランド音楽を語る」という講義を定期的に行い、芸術、音楽の普及に努めた。
 2003年に亡くなっている。

ユリアーネ・レルヒェ

 1913年、チェコ、北ボヘミア地方のシュルッケナウ出身。
 プラハにてオイゲン・カーリックス、ドレスデンでカール・フェーリング、ザルツブルクではエドヴィン・フィッシャーに師事してピアノを学ぶ。
 音楽職としては、初期はプラハの「ドイツ弦楽三重奏団」に所属、またエミー・ルーズの伴奏者として活躍。1940年から45年は、チェコのライヒェンベルク、46年から48年はライプチッヒの音楽大学にてピアノ教師活動を始める。
 1948年にはワイマールのフランツ・リスト音楽大学から招待を受け、1956年から同大学にて教授を務める。
 レルヒェ女史は、チェコの種々のピアノ音楽協会より「ピアノ音楽の新鋭」と評価され、数々のピアノコンテストの審査員を務めた他、「ワイマール国際音楽セミナー」を開設した。
 2001年に亡くなっている。


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 コメント:チューリンゲン州、州営新聞より

  「多くの詩的感情に満ち溢れ、まるで奇跡のようだ!」

 参考までにハンス・ホールバイン「死の舞踏」。
 当時の死への不安とか、それがいつ急に訪れるかも分からないのだ、というテーマでの絵画







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ヴィクトア・ブルンス(1904-1996):「管楽器コンチェルトとバレエ組曲集」

I.「ファゴットとオーケストラの為のコンチェルト」第2番ハ長調op. 15(1946) ベルリン放送交響楽団
指揮:ロベルト・ハーネル
ファゴット:オットー・ピシュキットル
 録音:1973年2月
  (18:50)
II. 「フルート、イギリスホルン、弦楽団と打楽器の為のコンチェルト」op. 74 (1982) ライプチッヒ放送交響楽団
指揮:ローター・ザイファルト
フルート:ヴェルナー・タスト
イギリスホルン:ディーター・ワーグナー
 録音1988年10月
  (18:48)
III. 組曲2番「初夜権」(バレエ音楽、1953)   ベルリン放送交響楽団
指揮:ハインツ・フリッケ
 録音1970年6月
  (15:59)
IV. オーボエとオーケストラの為のコンチェルトop. 28 (1952) ライプチッヒ放送交響楽団
指揮:ハインツ・レーグナー
オーボエ:ハンツ-ヴェルナー・ヴェッツィッヒ
 録音:1971年10月
  (16:01)




作曲家、ヴィクトア・ブルンスについて


 ロシアのサンクト・ペータースブルグ、レニングラード出身。作曲とファゴットを学ぶ。最初のファゴットコンサートは1933年の修了演奏コンサート。
 1926年から1937年は、サンクト・ペータースブルグ、レニングラードのオペラとバレエの為のアカデミー劇場オーケストラの会員。1938年、ドイツ人である為、当時のソビエトを去らなければならなくなり、ベルリンに移住、フォルクスオーパーにてオーケストラ奏者を短期務める。
 その後戦争に出兵され、捕虜となったが、1945年にはまたベルリンに戻る事を許可され、1946年から定年退職まで活躍した。
 1969年にはベルリン・シュターツカペッレの会員となっている。

 ブルンスの作品は100を越えるが、そのうちソロコンチェルトだけで25個を占める。このうちの4つは彼の楽器ファゴットに捧げたものである。

 彼の作曲で特徴的に優れているのは、個々のソロ楽器の持つ可能性を最大に生かしていることのみならず、彼の持ち前のリズム感に溢れる想像力に満ちたアイディアに富む事である。
 よって、我々聴く者は活き活きと語りかけられ、心地よいひと時に恵まれるのだ!


「ファゴットとオーケストラの為のコンチェルト」第2番より
 Victor Bruns: Second Concerto for Bassoon and Orchestra, Mvmts 1 and 2
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=ICwCWa-1vdk
 少し観られます。




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音楽評論紙「ダス・オーケストラ」のコメント
 2011年2月号、評論家ハイケ・アイクホーフ


 まるで真珠のような輝きに満ち、細やかな変化に富む動き、軽やかで美しい音楽的感情豊かな独自性に魅了され続ける。
 遊び心を随所ほのかに感じさせる演奏だ!
 ファゴット部分が長いとはいえ、ファゴット以外の共鳴感も失われる事無く引き出されて、聴くものを存分に魅了させてくれる。とはいうものの、その一方で決してくどくどした印象も全く与えないのだ。
 1946年の作曲であるにもかかわらず、新鮮でモダン、一小節ごとに聴く価値があると言っても過言ではない!
 ハンツ-ヴェルナー・ヴェッツィッヒのオーボエは、歌い、踊り、この作品を見事に表現しており、彼の生涯での指折りの好演奏の1つである事に間違いない!




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ジーグリット・エルンスト(1929):
「室内楽と声楽作品」

I. メゾソプラノ、フルート、チェロとピアノのための作品「パーラ」(2004) メゾソプラノ:アンナ-マリア・デゥール
フルート:カーリン・レヴァイン
チェロ:ルドルフ・マイスター
 録音:ケルン放送局
  (13:42)
II. フルート、ビオラ、ギターの為の作品「トリオ」 (1999) フルート:クリストフ・リードルベルガー
ビオラ:マティアス・コルデス
ギター:ラルフ・ベネッシュ
 (8:22)
III. ライモンド・ケノーの「形式練習」に基づくソプラノソロの為の作品
   「10のユーモレスクからなる螺旋」 (1997)
ソプラノ:シュテファニー・ゴーリッシュ
 (14:23)
IV. 2人の演奏家による縦笛、フルート、打楽器タムタムのための作品
   「二重の回転モード」 (2001)
演奏:アンネ・ホルストマン、デルテ・ニーンシュテット
 (14:10)
V. ヒルデ・ドーミンのテキストに基づく、混声合唱団、オルガンの為の作品
   「私たち皆、全ての始まりが一風代わったものであるように」 (1982)
指揮:ローマン・ヴァーレック
ARSブルネンシス 合唱団
オルガン:マーティン・ヤクビチェック
 (14:45)



ARSブルネンシス 合唱団のサイト
http://www.arsbrunensis.cz/de/

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音楽評論:東チューリンゲン新聞より


 この音楽的肖像画は、多彩性にあふれた有益的なものとなっている。
 これまでのポーランドの枠にはまらずに、自己告白、実験性を伴ない、生きるエネルギーに満ちた自由な演奏に成功している。現代的な環境の中で、歌と騒音、遊びと表現、線と色を使いながら独自の形を作り上げている。
 高度な演奏家がこの作品のオリジナル性を特出させている事も素晴らしい!

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2006年2月15日の新聞「ヴェーザー速報」、及び他社の評論にも以下同様内容が多く掲載された。


「温かい色合いによる音楽画」
 近代、現代音楽を冷たくて単に技術的なものと考える人には、このジーグリット・エルンストは欠かせない。
 従来の作曲法から12音技法に至った技術を適切にまとめながら、感情の色合いを出し、聴く者に個々の色を当てさせようとするかのごとく鮮明に表現するのだ。
 「この肖像画のようなCDは絶対に一聴の価値あり!声楽も楽器も聴いて驚くようなものばかりだ」

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ジーグリット・エルンスト(1929):「初期作品集」
I. ピアノのための小さな組曲 (1963) ピアノ:ミナコ・シュネーガス
 (10:15)
II. 木管楽器用六重奏を基にした
   フルート、クラリネット、ファゴットの三重奏(1965)
演奏:「風に魅かれる三重奏団」
 フルート:クリスティアーネ・ヘルトゲ
 クラリネット:ゲルト・リューケン
 ファゴット:ヘルガ・ヴァルナー-ブールマン
  (9:26)
III. メゾソプラノとピアノのための12曲集「私の手の中の小さな手」(1966) メゾソプラノ:シュテファニー・ゴーリッシュ
ピアノ:ズィーグリット・エルンスト
 (24:34)
IV. 大オーケストラの為の変奏曲集(1965) ブルガリア・ルース交響楽団
指揮:ツァンコ・デリボツォフ
 (13:58)


作曲家、ジーグリット・エルンストについて

 1929年ドイツのルートヴィッヒスハーフェン生まれ。ピアノ独奏をフランクフルトにてアウグスト・レオポルダー、ウィーンにてリヒャルト・ハウザーに学ぶ。
 作曲法は、ハイデルベルクにてゲルハルト・フロンメル(1906-1984)に師事。
 その後、ダームシュタット(ドイツ)の「近代新音楽の為の国際夏期講習」に、リゲティや、クセナキスらと参加。
 ピアノ独奏では、種々の室内楽団と演奏、また、ピアノ二重奏ではのちの夫、コンラート・マイスターと共演。

 彼女は「女性と音楽の為の国際活動団体」の発起人の1人で、1980年から1993年まで、同団体の会長を務める。
 彼女の「ドイツ音楽界」「ドイツ作曲科協会」「音楽美術芸術界の後継者支援団体GEDOK」での活躍は、フロリダにて「インターアメリカ大学、人類的推進教授としてのタイトルH.C.」や、ミラノの「ヨーロッパ文化協会」からの「特別金賞」受賞などで賞賛された。

 作曲家としてのオーケストラ作品には、「大オーケストラの為の変奏曲集」(1965)、「3つの曲集」(1984)、「弦楽団の為の感情豊かなレチタティーヴォ」(1985)、「室内楽団による3つの基盤」(1994)、「今、平和なれ」(1997)などがある。

 声楽曲、カンタータには、「日本の俳句を基にした、低声、ビオラ、チェロ、ピアノのための7つの小作品」(1961)、メゾソプラノとピアノのための12曲集「私の手の中の小さな手」(1966)、3つのグループのための作品「いずこへ」(1972)、合唱団の為の作品「まだ道はすべて開かれている」、1台ピアノの4手の為の連弾曲「内へ、外へ!」(1975)、テノールサックスの為の作品「長々と待とうではないか!」(1992)、「ピアノと電子音楽の境界線」(1998)、「縦笛と打楽器の為の演奏会用2重奏曲」(1991)などが主に挙げられる。

 その他、彼女は子供の為の音楽作品も手がけ、1990年には子供の為のオペラ「ヤーガー、そしてフルートを持つ小さな男の子」を成功させている。






HT5320
\3200→\2990

フィデリオ・F・フィンケ(1891-1968)

 「5つの年代層からのピアノ曲集」


I. 「2台のピアノのための小コンチェルト」(1931) ユリアーネ・レルヒェ、インゲボルク・ヘルコーマー(P)
 (21:26)
II. 「人形劇音楽」(1922) ローゼリース・イェーガー(P)
 (11:50)
III. 「気まぐれ、道化、カプリッチョ」(1909) ハインリッヒ・ベルク(P)
 (4:35)
IV. 「ピアノのための2つの組曲」(1928) ジェラルド・フォース(P)
 (6:10)
V. 「ソナチネ」(1945) ゲルハルト・ベルゲ(P)
 (9:15)
VI. 「スラブ系民俗音楽を基にしたピアノ曲集」(1952) アンネローゼ・シュミット(P)
 (9:55)
VII. 「ピアノとオーケストラの為のポーランド民俗音楽的カプリッチョ」(1953) ロルフ-ディーター・アーレンス(P)
大ベルリン放送交響楽団
指揮:ロベルト・ハーネル
 (12:08)


 HT5317でも特集したユリアーネ・レルヒェ、インゲボルク・ヘルコーマーによるデュオ、さらにアンネローゼ・シュミットの名も見える。

 1900年代初期のボヘミア作曲家による地方色豊かな作品集。
 独自性と新鮮さでピアノ音楽ファンがどんどん惹き込まれる!






「ピアノとオーケストラの為のポーランド民俗音楽的カプリッチョ」

Capriccio uber ein polnisches Volkslied fur Klavier und Orchester
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Lr2JWvbxNrs

独創的で斬新で、しかもポップ!
なんなんだ、この作風は!
是非聴いてみて!



音楽批評:NZF音楽紙

「この作品集はどれも現在の音楽界で発掘されずにいる何かを高いレベルで示すものといえる」

音楽批評:OTZ新聞

「近代、現代音楽にいまひとつ馴染めないでいるピアノ音楽ファンにも、この作品集はきっと気に入る事間違いなし!」

___________________


作曲家、フィデリオ・F・フィンケ(1891-1968)の経歴

1891年 10月22日、チェコ、ボヘミアのヨーゼフスタール生まれ。
1908-1911年 プラハのコンセルバトリウムで音楽を学ぶ。
1915年 同音楽学校にて音楽学とピアノを教える。
1920年 プラハの「音楽と芸術の為のドイツアカデミー」にて作曲法教師、また、当時のチェコスロバキア共和国の国家審査官を1938年まで務める。
1927年 同「ドイツアカデミー」の学長、及び、作曲科マイスタークラスの主任を務める。
1932-1938年 「国際音楽教育協会審議会」会員、並びに、「新音楽の為の国際団体(IGNM)」の主要会員の1人を務める。
1946-1951年 ドレスデンの「音楽と演劇の為の国立アカデミー」の校長を務める。
1951-1958年 ライプチッヒ音大にて、音楽理論と音階学教授を務める。
1956年 東ベルリンの「ドイツ芸術アカデミー」公式会員、その一環として旧東ドイツ共和国賞授与。
1961年 旧東ドイツ共和国の国家貢献者賞授与。
1968年 6月12日、ドレスデンにて亡くなった。





HT5309
\3200→\2990

フリードリッヒ・ゴルトマン (1941-2009):「管弦楽作品集」

I. ピアノ協奏曲 (1979) ベルリン・シュターツカペッレ
フリードリッヒ・ゴルトマン指揮
ベルント・カスパー(P)

録音:1982年の東ドイツ音楽祭ライブ録音より(2月19日)
II. 交響曲第4番 (1988) コミッシェオーパー管弦楽団
フリードリッヒ・ゴルトマン指揮

録音:1989年12月15日、東ドイツ共和国の為の初演ライブ録音より


音楽評論:音楽雑誌「フォノ・フォーラム」より
 「このCDに収録されているフリードリッヒ・ゴルトマンの交響曲第4番は、この音楽形態に於ける最高峰、莫大な説得力を持つ!」




テンシュテットがゴルトマンの「Schweriner Serenade」を演奏しているライヴ音源がここで聴ける。

https://www.youtube.com/watch?v=o6G7-Mr1Tyc&feature=player_detailpage

_________________

指揮:作曲家フリードリッヒ・ゴルトマンの経歴

1941 年4月27日、旧東ドイツザクセン州のズィークマー・シェーナウ生まれ
1951-59年 ドレスデン聖十字架少年合唱団に所属
1959年 ダームシュテット集中セミナー受講、カールハインツ・シュトックハウゼンに師事
1959-62年 ドレスデン「カール・マリア・フォン・ウェーバー」音楽大学にて作曲科修了、ヨハネス・パウル・ティルマンに師事
1962-64年 旧東ドイツの芸術アカデミーにて、ルドルフ・ワーグナー-レゲニーのマイスター弟子、のち1978年以降は同氏の会員として学生達の育成に務める
1964-68年 フンボルト大学にて音楽学を学ぶ、ゲオルグ・クネープラー、及びエルンスト・ヘルマン・マイヤーに師事
1968-90年 ベルリンを拠点として作曲活動、1070年意向は指揮者としても活躍 1988年以降 ベルリン芸術音楽大学にて、「ボリス・ブラッハー・アンサンブル」の指揮者を歴任
1990年以降 国際近代音楽協会ドイツ部門の最高責任者、及び、ベルリン芸術音楽大学会員
1991-2006年 ベルリン芸術音楽大学作曲科教授
2009年7月24日死去

受賞歴:

1973年、ハンス・アイスラー賞
1977年、旧東ドイツ芸術賞
1987年、旧東ドイツ賞第3位





HT5310
\3200→\2990
完売

ヨハン・ツィレンシェク (1913-1998):「管弦楽作品集」

I. 交響曲第5番(1959) ベルリン放送交響楽団
ホルスト・シュタイン指揮

録音:1960年3月5日、7日、ドイツ放送局製作
II. 大ピアノ協奏曲 (1966) ワイマール・シュターツカペッレ
ゲルハルト・プフリューガー指揮
ディーター・ツェヒリン(P)

録音:1967年12月4日、ドイツ放送局製作
III. ヴァイオリン協奏曲 (1974) ライプチッヒ放送交響楽団
マックス・ポンマー指揮
コンラート・オーター(Vn)

録音:1988年2月21日、ベルリンシャウシュピールハウスでのライブ録音より抜粋


音楽評論:「音楽の為の新新聞」より
 「…このヴァイオリン協奏曲は、詩的感情にあふれるヴァイオリン・ソロ、それに続く霊感の高まりと共に聴く者をまるで宙に浮かせるようだ!」



ピアノ協奏曲がここで聴ける。
https://www.youtube.com/watch?v=Bi419EIjx_A&feature=player_detailpage

___________________

ヨハン・ツィレンシェク について


1913 年12月4日、東ドイツザクセン州、バウツェン近郊のグロースドゥブラウに生まれる
1935-1939年、ライプチヒにてヨハン・ネポムック、フリードリッヒ・ヘーグナーに師事して作曲とオルガンを学ぶ
1945-1947 年、エアフルト・コンセルヴァトリウム教師を務める
1947 年、ワイマールのフランツ・リスト音楽大学にて教授を務める
1966-1972年、ワイマールのフランツ・リスト音楽大学学長
1961年、旧東ドイツ芸術アカデミー協会会員
1998 ドイツエアフルトで死去


以下はインフォメーションとして、ウィキペディアより…

 ヨハン・ツィレンシェクの生涯:

 スロベニアから移住した陶工の子として生まれ、1924年から1933年までバウツェンの学校でツィター・ピアノ・チェロ・オルガンを学んだ。
 その後国家労働奉仕団を経て、1935年からライプツィヒ音楽院でヨハン・ネポムク・ダーフィトに作曲を学んだ。
 1937年にナチスに入党し、第二次世界大戦中は旋盤工として徴用された。戦後はドイツ社会主義統一党に入党した。
  1945年からエルフルトで音楽理論を教え、1947年からフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学の教授となった。
 1978年に引退するが、1980年まで客員講師として教壇に立った。さらに東ドイツ作曲家連盟のテューリンゲン地区の議長を1951年から1956年と1964年から1966年の2度にわたって務めた。
 また1961年には芸術アカデミーの会員に選ばれ、1978年から1990年まで副議長を務めた。

 ヨハン・ツィレンシェクの作品:

  作品の大部分は器楽曲で、初期はダーヴィトとパウル・ヒンデミットの影響を強く受けていた。バルトーク・ベーラとドミートリイ・ショスタコーヴィチの影響を受け、その時期には5つの協奏曲と5つの交響曲を作曲した。
  やがて1960年代になると無調や十二音技法を取り入れるが、ヴィトルト・ルトスワフスキと比べると限定的であった。1970年代以降は伝統的な協奏曲や交響曲の形式を捨てコンサートピースという形式をとった。





HT 5319
\3200→\2990

ヴィルヘルム・ヴァイスマン(1900-1980) :「1940年から1970年代の合唱曲集」

I. 3つのマドリガル (1948) テノール:エッケハルト・ワーグナー
演奏:ライプチッヒ放送合唱団
指揮:ホルスト・ノイマン

1975年10月16日、17日ドイツ放送局製作
II. 混声合唱とソリスト、オルガンの為のコンチェルト (1957) ソプラノ:ヴァルトラウト・フォーゲル
アルト:アンネ-クリスティン・マイ
バリトン:ユルゲン・クルト
オルガン:クリスティアーネ・ケーブラー
5つのライプチッヒ市民合唱アカデミー合唱団

1987年7月29日、ライプチッヒ・ゲヴァントハウスでのスポーツ祭のライブ録音より抜粋
III. 6声混声合唱の為の詩篇121アカペラ (1955) ソプラノ:リカルダ・フォルプレヒト
バリトン:ズィークフリート・ハウスマン
合唱:ベルリン放送合唱団
指揮:ミヒャエル・グレーザー

1988年4月7日、ドイツ放送局製作
IV. フリードリッヒ・ヘルダリンの詩による3つのマドリガル (1964) 合唱:ライプチッヒ放送合唱団
指揮:ホルスト・ノイマン

1971年2月25日、26日、ドイツ放送局製作
V. 8声混声合唱の為の詩篇126アカペラ (1968) 合唱:ライプチッヒ放送合唱団
指揮:イェルク-ペーター・ヴァイグレ

1986年6月9日、ドイツ放送局製作
VI. 「スラミト(旧約聖書に出てくるヘブライ語の女性名)」
    ソプラノソロと合唱、オーケストラの為のコンチェルト (1975)
ソプラノ:アンナ・コロンディ
合唱:中央ドイツ合唱団
演奏:中央ドイツ室内フィルハーモニー
指揮:ホヴァルト・アルマン

1999年7月2日、中央ドイツ音楽祭の初日開幕コンサートより
会場:マゲットブルガー大教会
録音:「中央ドイツ芸術」ライブ録音

音楽評論:「東チューリンゲン州新聞」より
 このCDは、この上ない美しい声楽と合唱芸術を愛する聴衆には見逃せない特選盤である!」

音楽評論:「歌曲と合唱」より
 「これは、この作曲家との極めて印象的な出会いと言えよう」




レジーナ・ヴェルナーが歌うヴァイスマンの「3つの歌曲」、ここで聴けます。
https://www.youtube.com/watch?v=rEqAomT8Shc&feature=player_detailpage
__________________

ヴィルヘルム・ヴァイスマンについて

1900 年9月20日、ドイツヴュルテンベルク州のアルフドルフに生まれる
1919-21 年、シュトゥットガルト音楽コンセルヴァトリウムに学ぶ
1921-23 年、ライプチッヒ「ズィークフリート・カルク-エーレルト」にて音楽学と作曲を学ぶ
1924-28 年、音楽雑誌社にて執筆活動
1929-1965 年、ライプチッヒのエディソン・ペータース社にて主任講師を務める
1948 年、教授
1946-1955 年と 1961-1976年、ライプチッヒ「音楽と劇場芸術大学」講師
1980 年5月14日、ライプチッヒにて死去









マンフレッド・シューベルト(1937 - 2011)

 1937 年ベルリン生まれの作曲家マンフレッド・シューベルト。
 ワーグナー・レゲニィに作曲を師事、室内楽や管弦楽、ピアノ曲などの作品を書き、ドイツの中堅作曲家や批評家として活躍した。


ht 5308
¥3200→\2990

マンフレッド・シューベルト(1937 - 2011):
協奏曲作品

I. 2つのヴァイオリンとオーケストラの為のコンチェルト (1988)
ベルリン放送大管弦楽団
指揮:ロベルト・ハーネル
 ミヒャエル・エルクスレーベン(Vn)
 ローター・シュトラウス(Vn)

スタジオ録音:1989年9月6日-8日録音 (24:07)
II. カンツォーニ・アモローゼ(愛の歌曲集)(1973)
  ヨハネス・ボブロフスキーの詩によるバリトンと大オーケストラの為のコンチェルト
   「鳥の巣」小曲1
   「君の声と共に」小曲2
   「ドリアーデ」(ギリシャ神話の森の妖精)小曲3
ベルリン・シュターツカペッレ
指揮:マンフレッド・シューベルト(作曲家本人)
 ズィークフリート・ローレンツ(バリトン)

1987年3月5日のライブ録音からの抜粋
(25:00)
III. 「鳥の会話」3
   1人の演奏家による6声のフルートと弦楽交響楽団の為の奇想曲 (1990)
ベルリン放送大管弦楽団
指揮:ハンス−ディーター・バウム
 カール-ベルンハルト・ゼーボン(Fl)

録音:1992年9月、ドイツ文化放送局のスタジオ録音
(23:31)

 
 ミヒャエル・エルクスレーベンはベルリン交響楽団、現在名ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団の首席ヴァイオリニスト

音楽批評(ベルリン新聞より):
 「マンフレッド・シューベルトの作品からは芳しい地中海の香りが漂ってくる!」

ht 5318
¥3200→\2990

マンフレッド・シューベルト(1937 - 2011):オーケストラ作品

I. オーケストラの為の踊りの試み (1965) ライプツィヒ放送響
指揮:ギュンター・ブルムハーゲン

放送局製作、1971年11月12日、15日
(16:03)
II. 「夜の歌声」 (1986)
   カール・フリードリッヒ・ツェルターの5つのゲーテ曲集によせる間奏曲2曲
     (程よい高さの独唱と小オーケストラの為の作品)
演奏:ベルリン・シンフォニエッタ
指揮:ハンス-ペーター・フランク
 バリトン独唱:ジークフリート・ローレンツ

録音:1987年1月4日のライブ録音より抜粋
(20:51)
III. 第1作目の大オーケストラの為の交響曲 (1979/82) 演奏:ベルリン・シンフォニーオーケストラ
指揮:ハンス-ペーター・フランク

録音:1986年2月21日、
「東ドイツ音楽祭」初日オープニングコンサートのライブ録音より抜粋
( 31:34)



音楽批評:アメリカン・レコードガイドより
「…積極的に聴く心を持つ聴衆に持ってこい、と言わんばかりの冒険心あふれる作品、100%の実感が味わえる!」

ht 5323
¥3200→\2990

マンフレッド・シューベルト(1937 - 2011):
協奏曲作品第2巻
ギュンター・ヘルビッヒ指揮
 I. オーケストラの為の組曲 (若者達に捧げる 1966)
ライプツィヒ放送管弦楽団
指揮:ギュンター・ヘルビッヒ

録音:放送局製作1969年5月2日
(24:43)
II. バイオリンとオーケストラの為の歌唱と気まぐれ (1974) 演奏:ベルリン・コミッシェオーパー
指揮:ヨアヒム・ヴィッレルト
バイオリン:マンフレッド・シェルツァー

1977年2月24日、初演ライブ録音
(14:36)
III. 「主よ、憐れみたまえ」(ラテン語) (1996)
 2つの混声合唱団の為のアカペラ交唱(キリスト教会で合唱2組が交互に歌唱する形
演奏:ベルリンARSノーヴァ・アンサンブル
指揮:ペーター・シュヴァルツ

録音:2001年3月26日、中央ドイツ放送局コンサートライブ録音より
(12:54)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
 IV. クラリネットとオーケストラの為のコンチェルト (1971)
演奏:ライプチッヒ放送シンフォニーオーケストラ
クラリネット:オスカー・ミヒャリック
指揮:ヘルベルト・ケーゲル

1974年9月15日ライブコンサート録音
(21:40)




音楽批評:著者マリーナ・ラバノヴァ(音楽雑誌「ダス・オーケストラ」より

「今回のハーシュテットのマンフレッド・シューベルト新盤は、ここ過去30年に登場した数多くのCDと比較すると、ただものではない、と思わせる。例えばヘルビッヒの指揮する組曲は、伝統的なクラシックを基盤とするものの、新たな個性的な新芽を感づかせる。また、クラリネットコンチェルトは、作曲家マンフレッド・シューベルトのスタイル転換を強く示している。野性的で色彩豊か、想像力にたけ、時には過激的とも思えるほどのパワーを持つ。その実験的な勢いは、皮肉的な遊び心を秘めて現代と向かい合い、ついにはサンバのフィナーレへと聴衆を見事に引き込んでゆく。

4曲目は、クラリネットのオスカー・ミヒャリックとライプチッヒ放送シンフォニーオーケストラが、指揮ケーゲルのもとでこれまた見事に華々しく飾っている他、2曲目では、コントラスト豊かな各楽章内でソロ演奏の重心的存在がひしひしと感じられる。バイオリンのマンフレッド・シェルツァーは、このCDという形、言うなれば映像的には表現が不可能な形体であるにもかかわらず、単なるバイオリニストに留まらない、演劇的で非常に効果的な終止形の表現に成功している。

3曲目の「主よ、憐れみたまえ」では、マンフレッド・シューベルトは、聖なる音楽を着実な形での理解し表現することで、またまったく別の一面をみせてくれる。一語一語の持つ色彩を精密に、また劇的に象徴的に伝えるのだ。神の恐れと神の慈悲、まさにこの両面の共存である。」

ht 5329
¥3200→\2990

マンフレッド・シューベルト(1937 - 2011):室内楽曲集

I. 弦楽四重奏第2番「ラーガー四重奏」(1970) コミッシェ・オーパー弦楽四重奏団
バイオリン:ペーター・ティッツェ、ゲルハルト・シュミット
ヴィオラ:クラウス・シュヴェルスキー
チェロ:ハンス-ヨアヒム・シャイツバッハ

録音:ドイツ放送局、1971年7月16日
(13:53)
逆から読んだら
II. Trazom Suedama (2002)〜「トルアツーモ・スウデマア」
オーボエ、バイオリンとチェロの為の3重奏
オーボエ:スツィヴィア・パパイ
バイオリン:アンドレアス・フィンスターブッシュ
チェロ:クリストフ・バッハマン
録音:2005年1月21日、ベルリンコンサートハウスの小ホールでの初演ライブ録音より
(17:59)
III. 2楽章からなる七重奏曲 (1967) ドイツ国立歌劇場室内楽団
指揮:マンフレッド・シューベルト(作曲家本人)
クラリネット:ヘルムート・ホフマン
ファゴット:ヘルベルト・ハイルマン
ホルン:ゲルハルト・マイアー
バイオリン:フリードリッヒ-カール・エルベン
ビオラ:アルニン・オルラミュンデ
チェロ:ヴォルフガング・ベルンハルト
コントラバス:クラウス・トルンプ

録音:ドイツ放送局1971年3月30日
(10:23)
IV. 弦楽四重奏の為の3つの小さな奇想曲(1969) ベルリンコミッシェオーパー弦楽四重奏団

録音:ドイツ放送局1971年6月5日
(5:55)
V. 5つの管楽器の為の音楽のひととき (1967) ベルリンコミッシェオーパー管楽器五重奏団
フルート:ヴェルナー・タスト
オーボエ:ペーター・バーシェ
クラリネット:オスカー・ミヒャリック
ファゴット:ユルゲン・ロイター
ホルン:ズィークフリート・シェルガウト

録音:ドイツ放送局1973年5月30日
(12:55)
VI. 夜曲とパッサカッリア
   (スペイン由来のギターと声楽による「通りがかりの」音楽) (1967/1968)
     クラリネット、ファゴットと弦楽5重奏の為の八重奏
ベルリン八重奏楽団
 クラリネット:ベルトルト・バイヤー
 ファゴット:フリッツ・フィンシュ
 ホルン:ライナー・ホフマン
 バイオリン:ベルント・ベンカー、クリスティアン・メンケ
 ビオラ:ヘルムート・レッヘル
 チェロ:ロルフ・デーラー
 コントラバス:バーバラ・サンデリング

録音:ドイツ放送局1969年12月4日
(15:04)


 
音楽批評:音楽雑誌「ダス・オーケストラ」より

「彼の音楽が、これまで既に既存の近代音楽の枠に当てはまらないという事は、作曲家シューベルト自身も熟知している。流通している近代音楽には反抗し、いわば「第2のロマン派」を強調している。このCDに収録されたものは、どれも歴史上既に忘れかけられた作曲法を思い起こさせ、これを力強く弁護するものなのだ!」


アイスラー/デッサウ/ブッティング/ワーグナー=レーゲニ:管弦楽作品集(ポンマー/デッサウ/ケーゲル)

BERLIN CLASSICS
BC18450
(5CD)
\9990

NOVA −旧東ドイツの作曲家による作品集


 アイスラー:5つの交響的小品、室内交響曲/
 デッサウ:ベルトルト・ブレヒトの思い出に、海の嵐/
 ルドルフ・ヴァーグナー=レゲニー(1903?1969):3つの管弦楽曲/

 マックス・ブティング(1888?1976):交響曲第9番/
 ヨハン・ツィレンシェク(1913?1998):交響曲第4番/
 フリッツ・ガイスラー(1921?1984):交響曲第2番/
 ジークフリート・マトゥス(1934-):交響曲第2番/
 フリードリヒ・ゴールドマン(1934-):交響曲第1番/
 ゲオルク・カッツァー(1935-):管弦楽のための協奏曲第1番/
 マンフレッド・シューベルト(1935-):交響曲第1番/
 マンフレッド・ワイス(1935-):交響曲第3番、他
ベルリン交響楽団
ハンス=ペーター・フランク
ケーゲル、マズア、ノイマン指揮、
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、他
在庫残りわずか






ht 5304
¥3200→\2990

ゲルハルト・ローゼンフェルト(1931 - 2003)
 アシジのオラトリオ、ほか


(1) 「愛と熟知」 Amore e Sapienza (1996)
  アシジの聖フランシスコのテキストによるオラトリオ
   (バリトン、合唱、15の木管金管楽器のための)

(2)「夜鳥の隠れ家」 (1976)

   (ソプラノソロ、男女2声の為の合唱、オーボエ、ドラムパーカッションのための)
     テキスト:サルヴァトーレ・クアズィモード


(1)アンドレアス・シャイプナー(バリトン)、
  ポツダムオラトリオ合唱団 、
  サグラ・ムジカーレ・ウンブラのオーケストラ・ディ・フィアーティ
  指揮:マティアス・ヤコブ
録音:1996年9月28日初演の貴重な録音より


(2)クリスタ・ヒルピッシュ(ソプラノ)、
 ブルクハルト・グレッツナー(オーボエ)、
 ヴェルナー・レグトケ、ハンスヨアヒム・ノイマン、
 ゲルト・シェンケ(パーカッション)
録音:1976年6月21日の初演より
 
 ゲルハルト・ローゼンフェルトは1931年生まれ、2003年に亡くなったドイツの作曲家。このページの一番下でも詳しくご紹介しておりますのでご覧ください。

アシジはキリスト教のイエズスが洗礼を受けたといわれる聖地で、イエズスに洗礼を授けたのが聖人の聖フランシスコです。
「…精神的に輝くばかりの音楽表現に成功している。聴衆を心地よく、しかし着実に引き込む力を秘めている」(音楽の為の新雑誌社より)

ht 5315
¥3200→\2990
ローゼンフェルト:
 「拒み」(15章からなる室内オペラ)

   テキストはゲルハルト・ハートマン、N.ゴーゴルの「狂気の証し」を基にしたもの。

Frieder Stricker, Sofie,
seine Tochter: Ulrike Wagner

Katja Bolotowa, Violine,
Vladimir Botchkovsky, Viola
Annika Pigorsch, Kontrabas,
Martin Seel, Flote,
Birgit Dalla Vecchia, Horn
Julia Saucke, Klarinette,
Nuno Barroso, Klavier

指揮Felix Krieger

録音:1996年10月16日、19日、ハンブルク音楽大学ホールにて
 
 テキストのゲルハルト・ハートマンは1931年生まれ、ロシア系及び英文学者。
 ローゼンフェルトにより音楽化されている貴重な作品、「平和へのグローリア」(1985)のテキスト、その他多くの作品が数々の作曲家によりオペラ化されている。

 今回のテキストはこのCDのブックレットに全て掲載されている。

 「音楽劇の最高峰といえよう」ベルリン早朝新聞より

ht 5316
¥3200→\2990


ローゼンフェルト:
 「トカゲの声」


(1))クリスティーナ・アッシャーに捧げられた
   メゾソプラノのための作品「孤独なオグヌーノ」
    (詩:サルヴァトーレ・クアズィモード)

(2)シャルル・ボードレールによる「3つのフランスのソネット(音楽詩)」

(3)「トカゲの声」

(4))「ギリシャ神話の記憶の女神、ムネモシュネ」
(1)クリスティーナ・アッシャー(メゾ・ソプラノ)
  録音:1991年12月

(2)アラン・マークス(Klavier)
  録音:1987年1月

(3)Lucille Thoyer, Gitarre
  録音:ドイツ放送局ベルリン、1991年のポツダム音楽祭の録音より抜粋

(4)カールスルーエ・シュターツカペレのメンバー
  Frithjof Haas指揮
  1984年3月26日の初演より抜粋
  録音:南ドイツ放送局シュトゥットガルト

 第1曲目のクリスティーナ・アッシャーとは・・・



 声楽作品「孤独なオグヌーノ」はニューヨーク出身の彼女の為に特別作曲されたものである。彼女はオベリンとジュリアード音大で声楽を学び、メトロポリタンオペラのキャサリン・ルッド奨学金でレッスンを続ける。
 多くの劇場との契約でシカゴ、ダラス、カールスルーエ、ボン、ハンブルク、ベルリン、ミュンヘン、グラーツ等で活躍。コンサートではベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、ウィーン・クラングフォーラム・アンサンブルらと共演。近代音楽の多種に至るアヴァンギャルドなソロ・プログラムのほか、オラトリオや歌曲の歌唱も忘れてはならない。ゲルハルト・ローゼンフェルトのみならず、テオ・ブラントミュラー、ヴィオレタ・ディネスク、フォルカー・ハイン、マイヤー・クプファーマン、ヴォルフガング・リーム、ゲルハルト・シュテーブラーらが彼女に魅了されて作曲作品を残している。

コメント:「なんという声だろう・・・」音楽新雑誌より




ht 5341
¥3200→\2990
マンフレッド・ワイス( 1935年):
 「数々の調査」Erkundungen


(1)フルートとピアノのためのソナチネ(1966)
(2)4つの弦楽四重奏曲(1972)
(3)ピアノ三重奏曲2(1972)
(4)「ほのかな愛情」(1974、1975年)
   バリトンとオーケストラの為の歌曲集
   詩:ゲオルグ・マウラー
(5)12の管楽器と打楽器の為の作品(1974)
(6)「フルート独奏の多彩さ」(1977)
(7)8つの管楽器、打楽器の為の作品(1983)
(8)J.S.バッハの合唱前奏曲「アダムのしかけ」を主題にしたカプリッチオ
(9)ヴィオラ独奏による誡め(2002)

(1)Eckart Haupt, Flote
 Christina Haupt, Klavier
 録音:コンサート録音1995

(2)Siering-Quartett der Dresdner Philharmonie
 制作:ドイツ放送局:1983年3月

(3)Klaviertrio der Dresdner Philharmonie
 制作:1979年11月ドイツ放送局

(4)Gunther Leib, Bariton
 ベルリン放送管弦楽団、
 指揮:ヨアヒム・フライアー
 制作:1979年6月

(5)Volker Rohde指揮
 シュターツカペッレ・ドレスデン
 制作:ドイツ放送局1987年12月

(6)Eckart Haupt, Flote
 制作:ドイツ放送局1979年11月

(7)ドレスデン・シュターツカペッレの管楽器ソリスト、
 及び室内ハーモニー演奏
 制作:ドイツ放送局1986年6月

(8)Musica-viva-Ensemble Dresden
 Jurgen Wirrmann指揮
 2000年コンサート録音より

(9)Vladimir Bukac, Viola
 2003年コンサート録音より

 ヴァイスについてはこのページの下のほうでもご紹介してます。どうぞご覧ください。



ht 5325
¥3200→\2990
パスカル・ベントイウ (1927年〜):協奏曲集
 ヴァイオリン協奏曲 (1958)
 ピアノ協奏曲第2番 (1960)
 ピアノとヴァイオリンのための協奏曲 (1962)
ジェニー・アベル(ヴァイオリン)
ミハイ・ウングレアヌ(ピアノ)

ホリア・アンドレエスク(指揮)

北西ドイツ・フィル

 ベントイウは現代ルーマニアを代表する作曲家で現時点までに8つの交響曲、2つのピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、3つの歌劇、その他多数の室内楽曲を発表している。
 またジョルジュ・エネスコの交響曲第4番と第5番の補作・校訂なども行っている。
 作風は初期はショスタコーヴィチ、ヒンデミットの影響を感じさせ、やがて12音技法を取り入れ、表現主義的な激しい音楽を手がけ、交響曲第8番ではシュニトケとも若干相通ずる多様式主義的な作風へと変貌している。いずれも大管弦楽を駆使したダイナミックな音楽である。 

(解説より)
 ベントイウの作品は一見すると伝統的で見た目の美しい作品にみえる。しかし、よくよく聴いていくと彼が、伝統にこだわっているのではなく、作曲の最初から既に彼なりの解決法を追求し、それを獲得している事に気付く。
 初期の作品は、その作品公開当初から早くも注目された歌曲、ソナタ、カンタータなど、宗教的作品が多い。かれは作曲家としてだけでなく、ジョルジェ・エネスクに続くルーマニア出身の音楽評論家、音楽研究家、音楽美学研究家として、この時代作曲家の中でも一際強烈なキャラクターを発揮して40年以上活躍した。

(音楽評論より)
 「ベントイウは、この時期の作曲家のうち、なんと強烈な驚異であろうか!彼は伝統伝承をまるで前衛的な技法と近代的共鳴体として扱っているではないか。彼の新発明的で表現豊かな音の言語は、強い理論と豊かなメロディー、優しいテキストと踊り的リズムによって我々を納得させるものである。この録音では各音楽家が一致団結し、素晴らしい録音化に成功している」
 「この作曲家は世紀の大発見である」
 「ベントイウは、ネオクラシック音楽家でありながら、それを12音音楽を新奇的メロディーとリズムで表現する事に成功している」芸術シュピーゲル社

 
パスカル・ベントイウの経歴


1927 ブカレスト生まれ
1945 - 1948 プライベートにてミハリ・ヨラに作曲法を学ぶ
1964 ルーマニア国賞受賞
1971-1994 ルーマニア作曲家協会より10回作曲家賞受賞
1989-1991 ルーマニア作曲家協会会長
1995 ルーマニア音楽アカデミー栄誉会長就任

 
 ジェニー・アベル(ヴァイオリン)


 ドイツの北、北海に面したフースムの出身。7歳でデビュー。幼少はマックス・ロスタル、ヘンリック・スツェリングに、続いて指揮者ルドルフ・ケンペ、ハンス・ロスバウト、ハンス・シュミット=イッセルシュテットらに師事。
 初のアメリカツアーは1975年、その後南アメリカ、カナダ、アジア、オーストラリア、ニュージーランドで演奏。1983年、ドイツのソリストとして中華人民共和国より招待され、セントラルフィルハーモニーオーケストラ北京と共演。
 録音では、シューマン、ブラームス、バルトークのヴァイオリン、ピアノ全曲集などがあり、「ドイツレコード賞」「グランプリレコード賞」などを受賞、「フォノ・フォーラム」で「世紀に残る録音」と高く評価されている。
 西ヨーロッパに限らず、東西統一の前から東ヨーロッパでも定期的に演奏、1998年にはブカレストで「ルーマニア音楽批評家賞」を受賞、これは彼女のソロ活躍のみならず、ルーマニア音楽、音楽家を支援する為に彼女自身で発足した「ルーマニア・フィルハーモニカ」の功績にもよるものである。
 レパートリーは伝統クラシック、ロマン派の他、20世紀、21世紀の作品もしばしば演奏している。ゲルハルト・ローゼンフェルト以外、多数の作曲家、フォルカー・ブルーメンターラー、ヤルミ・ブルクハウザー、ヴィオレタ・ディネスク、ラルフ・エーミッヒ、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、タマラ・イブラジモヴァ、ヤンニス・A・パパイオアンヌらが彼女の演奏を評価している。


ミハイ・ウングレアヌ(ピアノ)


 1958年ルーマニアのクライノヴァ生まれ、ブカレスト音楽院にてピアノを学ぶ。1985年、1986年、1987年にはピアノソロ演奏コンテストにて3年連続一位受賞、ルーマニアの音楽、劇場批評家に高く評価される。ドイツ東西統一前は、活動範囲に限られたが、その後はヨーロッパのほぼ全各国、アルゼンチン、カナダ、アメリカでも演奏している。彼のレパートリーはクラシックの大家バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、リスト、ラフマニノフ、チャイコフスキーからガーシュインに及ぶ。これに加えて欠かせないのは、もちろんルーマニアの作曲家、ベントイウ、リパッティ、そして音楽界の全時代に至るピアノ、室内楽曲の数々である。近年は多くのルーマニアの音楽コンテストの審査員を務めるほか、定期的にマスタークラスを行い、後継者の育成に貢献している。


ホリア・アンドレエスク(指揮)


 1946年ルーマニアのブラショヴ生まれ。ブカレスト音楽アカデミー、及びウィーン音楽大学にて学ぶ。ブカレスト放送響の主任指揮者を務める他、ブカレストフィルを指揮する。長年を通じてドイツベルリン放送響、ドレスデンフィルも客演。
 ルーマニア放送響とのジョルジェ・エネスクの作品の演奏は全ヨーロッパにおける各新聞、評論から一律の非常に高い評価を受けている。





ht 5327 
¥3200→\2990
完売
作曲家、指揮者のレオ・シュピースの交響曲集
 Leo Spies (1899-1965)

(1)交響曲第2番(1961)
(2)ヴァイオリン協奏曲(1953)
(1)レオ・シュピース指揮
 ベルリン交響楽団
 1963年2月14日、16日録音、制作:ベルリン放送局
(2)ロルフ・クライネルト指揮
 ベルリン放送交響楽団
 エゴン・モルビッツァー(ヴァイオリン)
 録音:1955年6月24日 

(解説より)
  シュピースはメロディーの発明でしられ、和声音律の拡大のマイスターと言われる。
 1953年に彼は書いている:

  「私を常に驚かせている音楽の世界における最大の奇跡は、音律システムが決して留まるところを知らない、ということである。例えば、過去にみたことのないハ長調における旋律のうち、これで最後のものだ、ということが決して無い、ということである。」

 このような観点から、彼は彼の時代によくある形式の枠を超える、ともいえよう。彼は折衷主義者ではない、いや、全くその逆である。彼の作品からは、常に説得するかの如くの熟慮された彼の個人性が伺われるではないか。
 ヴァイオリンコンチェルトと第2交響曲はまさに彼の最高峰といえよう。このCDはその貴重な初公開なのである。

 「一度聞いたら耳に鳴り止まなくなるこのヴァイオリンコンチェルトのアンダンティーノ・グラツィオーゾは高度な演奏もあいまって、コンチェルト史上に残るものとなるであろう」
  音楽の為の新雑誌より

 
レオ・シュピース


 レオ・シュピースは、1899年モスクワ生まれ、当地で16歳まで暮らした。
 1915年から1917年までヨハネス・シャイラー、ロベルト・カーン、エンゲルベルト・フンパーディンクらに師事。1920年から1928年の間様々なドイツの劇場、及びウーファー(ドイツの当時の映画会社「ウニヴェルズム・フィルム蝓廚領)にて、コレペティトール、音楽担当を務める。
 1928年から1935年には、ドイツ国立歌劇場ウンターデンリンデンのバレエ監督、1935年から1944年は、ベルリンコミッシェオーパーの音楽監督、1947年から1954年は指揮者として、また同コミッシェオーパーの育成部門主任を務めた。その後、1965年5月1日のアーレンショープでの彼の死に至るまで、拘束の無い作曲家として、同時に東ベルリンドイツ音楽アカデミー秘書を担当。アカデミーでは若手作曲家を積極的に育てた。彼の弟子にはゲオルグ・カッツァー、ゲルハルト・ローゼンフェルト、ズィークフリート・ティーれらがいる。
 彼は数多くの作品を残しているが、特出すべきは「アポロとダフネ(1936)」、「シュトララウ(ベルリンの一角)の魚釣り解禁祭」(1936)(これは昔、ある選帝侯がイースターから8月の期間、この一帯での魚釣りを禁止していたことにちなんで今日に至る大きなお祭りです)、「パストラーレ」(1942)、「ハイルブロンの猫によせる劇場音楽」、「ミンナ・フォン・バルンヘルム」(ドイツの有名な喜劇戯曲)、「したいようにすればいい」、「ギリシア神話の英雄アムフィトリオン」、「ファウスト1」、種々の「カンタータ」、リルケやシェークスピアの詩による様々な歌曲集、更には「パウラ・デーメル童謡集」などがある。

 交響曲では1958年と1961年の2作品、チェロコンチェルト(1940)、ヴィオラコンチェルト(1960)、またこのCDに収録されているヴァイオリン協奏曲などが大ホールでの演奏の為の主要作品といえるほか、1939年、1963年に作曲された弦楽4重奏曲、1917年、1938年、1963年作曲のピアノソナタ3曲は室内楽作品の主である。
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ht 6611
Branka Musulin
(2CD)
¥5000→\4590

ブランカ・ムスリン Branka Musulin (1917-1975)

ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲

ラスト・レコーディング(1973/1974年)
 スクリャービン:2つの詩曲 作品32
 メンデルスゾーン:変奏曲 変ロ長調 作品83
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第4番

1964年録音
 (1)ラヴェル:ピアノ協奏曲
 (2)フランク:交響的変奏曲
 (3)ショパン:ピアノ協奏曲第2番
ブランカ・ムスリン(P)
(1), (3)ウィルヘルム・シュヒター指揮
 ベルリン交響楽団
(2)ハインツ・ワルベルク指揮
  バンベルク交響楽団
没後40周年を記念してリリースされた2枚組。未発表のベートーヴェン、メンデルスゾーンやスクリャービンと彼女の最高級の録音とされるラヴェル、フランク、ショパンの協奏曲。

ht 6604
Branka Musulin
\3200→\2990

ブランカ・ムスリン Branka Musulin (1917-1975)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第16番
        ピアノ協奏曲第20番

ハンス・ミュラー=クライ指揮
SWRシュトゥットガルト放送響
ショパン:「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲 作品2 ヘルムート・ヴェッセル・テルホルン指揮

 ブランカ・ムスリン。

 1917年8月6日、クロアチアの首都ザグレブ生まれ。幼少からピアノ演奏への憧れが強く、即興の才能をみせる。9歳で初の公開演奏、13歳にてピアニスト、スヴェティスラフ・スタンチッチに師事する。
 コンサート資格獲得、高校卒業後、アルフレッド・コルトーとイヴォン・レフェビュレーの元で学ぶ為、パリに移る。そののち、マックス・フォン・パウアーに師事すべくドイツのバーデンヴュルテンベルク州に、またその後はアルフレード・カセッラを訪ねローマで学ぶ。
 1940年代末以降、ソロコンサート、またチェリビダッケ、カイルベルト、フランツ・コンヴィチュニーらの指揮者と共演、しばしば客演も行う。1958年には、フランクフルト音大で教鞭を執り、のち教授を務める。
 ブランカ・ムスリンはヨーロッパ、特にドイツ、また日本でも支持される。これは彼女のカリスマ的演奏のみならず、音楽への真摯な活き活きとした態度、それを非の打ち所の無い技術で奥深く作曲内容に踏み込んでいく姿勢、そして音楽の持つ心を表現する所によるものである。
 1975年1月1日、彼女が57歳でこの世を去ると、生前契約していたレコード会社も含め音沙汰がなくなる。彼女の貴重な録音はCDの時代になってゆっくりと日の目をみるようになる。
 今回のアルバムは、25年ほどの期間に残された大量の放送録音から発掘されたものである。彼女の名前、ブランカ・ムスリンは決して忘れ去られてはならない。



 音楽評「フォノ・フォールム」(2013年2月号、音楽評論家ペーター・ケスター氏の2ページに亘る記事の一部)

「奇才ピアニストへの回想」(記事より抜粋)…ここでブランカ・ムスリンの純潔な演奏に触れることができる。モーツァルト演奏では、控えめで自然なフレージング、清やかでニュアンス深いタッチ、真珠のような輝く運び、ショパンでは、楽器でありながらベルカントのようで繊細なルバート。これらは、各演奏形式を全て認知した上で、精神的にそして意味深く選りすぐられて極められている。…20世紀ピアノ界の歴史の中で、心から推薦せざるを得ない!」






ht 6603
Poldi Mildner
\3200→\2990

ポルディ・ミルトナー Poldi Mildner (1915-2007)
リスト:ピアノ協奏曲第1番
ウェーバー:ピアノと管弦楽のための小協奏曲 作品79

A.M.ローター指揮
ベルリン・RIAS響
リスト:パガニーニ大練習曲 第3番「ラ・カンパネッラ(鐘)」(編曲: ブゾーニ)
ローゼンタール :ヨハン・シュトラウスの主題によるウィーンの謝肉祭
アドルフ・シュルツ=エヴラー:「美しき青きドナウ」の主題によるアラベスク
ショパン:練習曲 Op.25
      バラード第2番

 こんなすごい人がまだいるのか。まったくその存在すら知らなかった。
 ポルディ・ミルトナー。

 1915年、ウィーン生まれ。現在のチェコ、旧ボヘミア王国、クルノフ公国地方に育つ。12歳にてウィーンフィルとリストのピアノ協奏曲変ホ長調を共演。1926年より、フランツ・リストの弟子で音楽史に残るピアニスト、モーリッツ・ローゼンタール(1862−1946)に師事。
 16歳ごろから国際的活躍を開始、ヨーロッパ、北アメリカ、南アメリカの各国で、トスカニーニ、ワルター、ピエール・モントゥー、クナッパーツブッシュ、アーベントロート、チェリビダッケ、フルトヴェングラーらと共演。
 1939年、母と共にスウェーデン経由にてアメリカに移住、ニューヨークにて、プロコフィエフに出会い共演。ラフマニノフのコンサートに学び、ラヴェル、ガーシュイン、アルゼンチンの作曲家アルベルト・ヒナステラらと出会う。ラテンアメリカの大コンサートツアーののち、ブエノスアイレスに留まる。
 戦後になって再びヨーロッパでの活躍を再会、1970年代半ば以降は、ドイツのフランクフルトに居住、音大ピアノ講師を務め、1982年以降はマインツ音大でピアノ教授を務める一方、ブエノスアイレスでの年に二回のマスタークラスを務めた。
 2007年にブエノスアイレスにて生涯を終えた。




ht 6605
Abel & Szidon
¥3200→\2990

Jenny Abel / Roberto Szidon
ジェニー・アベル&ロベルト・シドン
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 1979.5.29
メシアン:主題と変奏 1986.10.11
メットネル:ヴァイオリン・ソナタ第1番 1986.10.11
プーランク:ヴァイオリン・ソナタ 1978.1.27
ラフマニノフ:2つの小品 作品6 1979.5.29
ジェニー・アベル(Vn)
ロベルト・シドン(P)

 ジェニー・アベル(ヴァイオリン)

 ドイツの北、北海に面したフースムの出身。7歳でデビュー。幼少はマックス・ロスタル、ヘンリック・シェリングに、続いて指揮者ルドルフ・ケンペ、ハンス・ロスバウト、ハンス・シュミット=イッセルシュテットらに師事。
 初のアメリカツアーは1975年、その後南アメリカ、カナダ、アジア、オーストラリア、ニュージーランドで演奏。1983年、ドイツのソリストとして中華人民共和国より招待され、セントラルフィルハーモニーオーケストラ北京と共演。

 録音では、シューマン、ブラームス、バルトークのヴァイオリン、ピアノ全曲集などがあり、「ドイツレコード賞」「グランプリレコード賞」などを受賞、「フォノ・ドーラム」で「世紀に残る録音」と高く評価されている。

 西ヨーロッパに限らず、東西統一の前から東ヨーロッパでも定期的に演奏、1998年にはブカレストで「ルーマニア音楽批評家賞」を受賞、これは彼女のソロ活躍のみならず、ルーマニア音楽、音楽家を支援する為に彼女自身で発足した「ルーマニア・フィルハーモニカ」の功績にもよるものである。

 レパートリーは古典派、ロマン派の他、20世紀、21世紀の作品もしばしば演奏している。ゲルハルト・ローゼンフェルト以外、多数の作曲家、フォルカー・ブルーメンターラー、ヤルミ・ブルクハウザー、ヴィオレタ・ディネスク、ラルフ・エーミッヒ、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、タマラ・イブラジモヴァ、ヤンニス・A・パパイオアンヌらが彼女の演奏を評価している。

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ロベルト・シドン(ピアノ)

 1941年、ブラジル、ポルト・アルグレ生まれ、幼少から少年ピアニストと賞賛される。1959年、医学修士課程を学び、医者業を始めるが、6年後にピアニストに移行を決心する。

 国際的活躍はアメリカ大陸、日本、ソビエト、そしてヨーロッパに及ぶ。1960年代末、ドイツグラモフォンにて、ロシアのピアノ音楽の録音を開始。スクリャービンのソナタ全集、リストのハンガリー・ラプソディー、スケルツォ集、ショパンの即興曲、シャルル・ イヴェスのソナタ集など次々に録音。

 ジェニー・アベルとは1970年代にバルトークのバイオリンとピアノの為の全曲集、シューマン、ヴィラ=ロボスのソナタ等を共演。後継者支援では、デュッセルドルフ音大で教授を務める。

 1980年代、病気の為コンサート活動を終止、1992年に、トーマス・クヴァストフと最後の録音、シューマン歌曲集を残した。2011年12月21日、70歳にて他界。








ht 6609
Theodor Kirchner
¥3200→\2990
テオドール・キルヒナー/ピアノ作品集
Theodor Kirchner (1823 - 1903)

I. スケルツォ op. 8
II. カプリッチョ op. 27
III. ピアノのための小品 op. 62
IV. ロマンス op. 22
V. スケルツォ op. 54
ヨハネス・ヴォルフ(P)
Johannes Wolff
2012,2013年録音


 フュルヒテゴット・テオドール・キルヒナー(1823年12月10日 - 1903年9月18日ハンブルク)は、スイスの作曲家・ピアニスト・オルガニスト・指揮者。シレジア・ドイツ人。
 当時はドイツ楽壇の重鎮の一人であり、19世紀の多くの指導的な作曲家から友情や尊敬を勝ち得ていながらも、明らかに浪費癖や賭博癖といった自堕落な暮らしぶりのために、成功した活動を維持することができなかった。

 すでに8歳にして洗練されたオルガニストにしてピアニストであったことから、1843年にフェリックス・メンデルスゾーンの推薦状を得てヴィンタートゥールのオルガニストに就任する。その地でほぼ20年を過ごしたが、たびたびドイツを訪れ、シューマン夫妻やヨハネス・ブラームスと親交を結んだ(クララ・シューマンはキルヒナーのことが大変気に入り、1860年代にはいちど秘密裡に交際したようだが、それでも「彼の性格には、およそ安定感というものがない」と書き残している)。1862年にチューリヒに移り、定期会員制の演奏会を監督した。この職務はわずか3年間しか続かず、ピアニストや伴奏者として巡業に取りかかった。
 1868年に結婚するも、生活は不幸であった。1870年からチューリヒでオルガニストを勤めた後、1872年に宮廷ピアニストとしてマイニンゲンに赴任し、翌年ヴュルツブルク音楽院の院長に就任する。1876年から1883年までライプツィヒに暮らし、その後1890年までドレスデンでスコアリーディングを指導した。1884年、ギャンブルで重ねた負債を清算できるように、ブラームスやハンスリック、ニルス・ゲーゼ、グリーグ、ハンス・フォン・ビューローが3万マルクを掻き集めてくれた。1890年に妻と家族を見棄ててハンブルクに移り、その地で以前の弟子の世話を受けた。1894年に2度の脳卒中によって不随となり、最晩年には全盲となった。

 キルヒナーは、メンデルスゾーンや(『新音楽時報』紙上で手離しで褒めそやした)ローベルト・シューマン、フランツ・リストやリヒャルト・ワーグナー、ブラームスやグリーグからも評価されていた。有能な編曲家であり、ブラームスの二つの弦楽六重奏曲をピアノ三重奏曲に仕立てたり、《ドイツ・レクイエム》のボーカルスコアを作成したり、《ハンガリー舞曲集》の第3部・第4部や《ワルツ集「愛の歌」》をピアノ独奏用に編曲した。作曲家としては、濃密な抒情主義者であり天性の小品作家として、演奏時間が1分しかないような小曲を1000曲以上つくり出し(そのほとんどは小品集として収められている)、あたかも19世紀におけるアントン・ヴェーベルンの《バガテル》の先駆のようである。《ワルツ集》作品23(1876年作曲)はブラームスに献呈されており、性格的小品集《夜景》(Nachtbilder)作品25には、ブラームスの歌曲《ご機嫌如何、僕の女王様》(Wie bist du, meine Konigen)からの引用が含まれる。オルガン曲や歌曲、多少の合唱曲や室内楽曲も手懸けてはいるが、管弦楽曲はまったく遺さなかった。
 しかし友人のハインリヒ・シュルツ=ボイテンによって、キルヒナーのピアノ曲が管弦楽曲に編曲されている。


 「…28曲から成るこのCDは大きく分けて二つのスケルツォを枠組みとしている。リストが「繊細な音楽」と評した奇想曲、小曲と自由形式のロマンスである。踊りのように軽いバラード音調、喜び、ピアノの活き活きとした色鮮やかさ、そして魅力的な新しさが至る所に見られる。ピアニスト、ヨハネス・ヴォルフはこれらの独自性を心地よく表現する事に成功している。ブレーメンのハーシュテット・エディションの評価すべき成功と言えよう」(OTZ東ヒューリンガー新聞、2014年1月18日の記事より)

 今日ではまだ無名に近いこの作曲家は小曲のマイスターであった。大曲は残していないが、1000曲というものすごい数のピアノ曲、そして僅かではあるが歌曲、合唱曲、オルガン曲、室内楽曲も書いている。
 当時の同僚たちは驚き、一部は軽蔑する者もあったが、作曲法はロベルト・シューマンに敬意高く、その内心的、幻想的、天才的な作品に影響を受ける。
 1823年12月10日、ドイツのケムニッツ近郊、ノイキルヒェンに生まれ、家族の住むヴィットゲンドルフを敬愛する。14歳でライプチッヒにてメンデルスゾーン、シューマンと知り合い、基礎を学ぶ。
 1843年、メンデルスゾーンの紹介で、オルガニストとしてスイス、チューリッヒ州のヴィンタートゥールへ。チューリッヒ、ドイツに戻ってチューリンゲン州のマイニンゲン、ヴュルツブルク、そして再びライプチッヒを経てドレスデンへと、収入源、また才能発揮の場を求めて絶え間なく移動を繰り返す。ワーグナー、ブラームス、マティルデ・ヴェーゼンドンクらと出会う他、特にクララ・シューマンとは交友を深める。1903年9月18日、ハンブルクにて病死。
 (エーバーハルト・クナイペル記、2014年1月18日、OTZ東ヒューリンガー新聞)



 ヨハネス・ヴォルフ(ピアニスト)

 1958年、 ドイツ、バーデンヴュルテンベルク州のバート・メルゲントハイムに生まれ、シュトゥットガルトにてパウル・ブック、レナーテ・ヴェルナーに、ミュンスターではグレゴール・ヴァイヒェルト、ケルンではアマデウス・カルテットの演奏家たちに師事。ピアニスト、及び音楽教師としては、主にドルトムントで活躍。





 日本にはまったく入ってこないHASTEDT。今回もドイツの大御所作曲家2人の濃いアルバムをご紹介しましょう。


マンフレッド・ヴァイス(1935−)



経歴:
1935年2月12日、ザクセン州、ゲルリッツ近郊のニエスキー生まれ。
1952年から55年、ハッレ、ザーレの音楽大学に学ぶ。(作曲はハンス・シュティーバー氏に師事)
1955年から57年、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学に学ぶ。(作曲はルドルフ・ワーグナー=レゲニーに、また和声はルート・ツェヒリン、対位法はユルゲン・ヴィルブラントに師事)
1957年から59年、東ドイツの芸術アカデミーでルドルフ・ワーグナー=レゲニーのもと、マイスター学生として学ぶ。
1959年から70年、ドレスデンの「カール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学」にて作曲法、聴音の分野で教授アシスタント及び指導を務める。
1970年から83年、同大学にて作曲及び作曲法の講義を務める。
1983年、教授に昇格。
1986年から92年、芸術教授に昇格。
1991年から97年、ドレスデン音楽大学の副校長を務め、同校の近代化に貢献。
1997年、退職

受賞歴:

1977年、ドレスデン芸術賞(作曲)、ハンス・アイスラー賞(東ドイツ放送)、ハンス・シュティーバー作曲賞
1985年、東ドイツ芸術賞

彼の作曲法は、伝統を20世紀のポジティブに発展した独自作曲法と見事に結び付けたものであり、表情豊かで色彩的な特徴を持つ。

ht 5306

Orchesterwerke
\3200→\2990
完売の可能性あり

マンフレッド・ヴァイス:
オーケストラ作品集

オルガンと弦楽合奏と打楽器のための協奏曲 (1975/76) ジークフリート・クルツ指揮
ドレスデン・シュターツカペレ
1977.1.7
ヴァイオリン協奏曲 (1976) ヨハネス・ウィンクラー指揮
ドレスデン・フィル
ラルフ=カルステン・ブロムセル(Vn)
1979.6.21
交響曲(1986) ローター・ツァグロセク指揮
ドレスデン・フィル
3曲全てが初演の貴重な録音。
ゾンターク紙「彼の作品は現代物に馴染まない聞き手にも溶け込めるものである」

ht 5335
Chorwerke

\3200→\2990
マンフレッド・ヴァイス:「合唱曲集」
I. 「混声4声のアカペラ合唱による旧約聖書の3つの詩篇」(1967)  Meisner Kantorei 1961
エーリヒ・シュミット指揮
1975
II. 「混声アカペラのための4つの旧約聖書詩篇」 (1986) Chor der Hochschule fur Kirchenmusik
クリストフリード・ブローデル指揮
1986
III. 「神の救い−新約聖書のヨハネの黙示録に基づくカンタータ」(1997) Dresdner Kreuzchor Studenten der Hochschule f. Musik, 
R. クレイル指揮
1998
IV. 「…しかし愛こそが最大なものである」 (1999) Meisner Kantorei 1961,
Chor der Hochschule fur Kirchenmusik
クリストフリード・ブローデル指揮
1999
V. 「…死の中に生が生まれるかの如く」 (2001) Sachsische Vocalsolisten
マティアス・ユング指揮
2002
1,3,4,5がてが初演の貴重な録音。
CLASSIS TODAY紙 「ある種の力強く心地よい響きの構造が花開く。その中に作曲家ヴァイスの作曲法的進化の過程が活き活きと目に見えるように感じられる。また、5曲目の「レクイエム、死の中に新たな生が生まれる如く」はナチのユダヤ人大量虐殺の死者に捧げられるもので、「自分はあくまでも作曲家として仕える者」という対等な立場を保ちながら、ネリー・ザックスとパウル・ツェランの詩を音楽化している」

ht 5339
Kammermusik

\3200→\2990
マンフレッド・ヴァイス:「室内楽曲集」
ヴァイオリン・ソナタ バーバラ・メイニン(Vn)
ゾンヒルト・フィーバッハ(P)
2005.2.2
フルートとチェロとピアノのためのトリオ コルドゥラ・ブラウアー(Fl)
カール・B・フォン・ストゥンプ(Vc)
ミカエル・ルディケ(P)
1995.4.23
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ トーマス・メイニン(Vn)
1995.4.23
Vier Lieder auf Texte von Joh. Bobrowski エリザベス・ウィルケ(Ms)
ミカエル・ルディケ(P)
1995.4.23
弦楽四重奏のための「Emotionen」 ドレスデン歌劇場弦楽四重奏団
2010.2.1
1曲目は初演録音となる。



フリッツ・ガイスラー(1921-1984)



1921 年9月16日、ザクセン州、ライプチヒ郊外ヴルツェン、貧しい家庭に生まれ、喫茶店でのバイオリン演奏等を始める
1936-39年、ライプチヒ近郊のナウンホーフの音楽院に学ぶ
1939-40 年、ダンス音楽団の一員の一方個人レッスンを受ける
1940-45 年、自衛隊で訓練を受ける(これは長年義務教育の一環でした)
1945-48 年、戦争で捕虜となる
1948-50年、ライプチヒ音楽大学に学ぶ(師事はマックス・デーナート氏、ヴァイスマン氏)
1950-51 年、ビオラ奏者としてテューリンゲンのゴータで、州立オーケストラに所属
1951-53年、ベルリンのシャロッテンブルクにて作曲法を学ぶ(ボリス・ブラッハー、フリードリッヒ・ネーテル、ヘルマン・ヴンシュ各氏に師事)
1954-58年、ライプチヒのカール・マルクス大学にて音楽理論の教師
1959-1964年、音楽理論専任講師に昇格
1965-70 年、教授に昇格
1970-74 年、独立作曲家の一方、ドレスデンで音楽講義
1972 年、東ドイツ芸術アカデミー会員
1974-78 年、ライプチヒ音楽大学の作曲科教授
1984 年、ブランデンブルク州のバート ザーロフにて、1月11日死去

受賞歴:
ライプチヒ芸術賞 (1960)
東ドイツ芸術賞 (1963)
東ドイツ国家賞(1970)



ht 5312
Instrumentalwerke

\3200→\2990
フリッツ・ガイスラー:作品集
室内交響曲 (1954) ベルリン放送響
ロルフ・クライネルト指揮
1968.5.21
交響曲第3番(1965/66) ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル指揮
1968.3.12
ナイチンゲール頌賦 (1966) ライプツィヒ放送響メンバー
1971.10.12
ピアノ協奏曲 (1969/70) ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ロルフ・ディーター・アレンス(P)
1977.2.27
「苦しみの中から怒りと凶暴さを打ち出す音楽。しかし、境遇から思い起こされるスウェーデンの作曲家アラン・ペッタションとはまた別のものである」(音楽新雑誌より)

ht 5334
Orchesterwerke

\3200→\2990
フリッツ・ガイスラー:管弦楽作品集
交響曲第5番 (1969) ライプツィヒ放送響
ヘルベルト・ケーゲル指揮
1972.11.18
チェロと小オーケストラのためのコンチェルティーノ (1981) ハンス・ヨアヒム・シェイツバッハ(Vc)
エルフルト・フィル
ウーデ・ニッセン指揮
1982.2.22
交響曲第11番 アルトと大管弦楽団のための (1982) ロストック・フィル
ゲルド・パルス指揮
1988.3.23
クラリネット協奏曲(1983) ミカエル・シム(Cl)
ベルリン響
リボル・ペシェク指揮
「彼の交響曲11番は別名〔3つの最後の曲〕とも名付けられよう。これは〔永遠なるもの〕と〔死〕への別れを歌うもので、ガイスラーの生涯最後の2年を費やした感慨深い作品である。彼は惜しくも62歳で亡くなっている。」
「ガイスラーの作品はものによってその作曲法に差が見られるのが特徴であるが、それでも彼のみの独自の技巧がうかがえる。彼の自分本来の生の意味を問うような作曲による訴えが秘められているのである」(クラシック・ドット・コムより)
「1983年のクラリネットとオーケストラの作品は驚異的な強い印象を与えるものである」(CLASSIC TODAY紙より)






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東独重鎮作曲家
ルドルフ・ワーグナー=レゲニーの芸術
ケーゲル、マズア、ボンガルツ、ザンデルリンク、・・・そして若きテンシュテットまで登場!

 ルドルフ・ワーグナー=レゲニー(1903年-1969年)は旧東ドイツの作曲家。
 トランシルヴァニア系ザクセン人として現在のルーマニア北部に生まれ、レゲニーとは生地レギンにちなんでいる。
 民族の坩堝というべきトランシルヴァニア地方に生まれたため、1930年にドイツ国籍を取得するまでに2度国籍が変わっており、1918年まではハンガリー王国国籍、1919年以降はルーマニア国籍であった。

 ベルリンでジークフリート・オックスとフランツ・シュレーカーに作曲を師事。1930年代と1940年代にフリーランスのオペラ作曲家として活動したが、バレエ音楽によって有名になった。その後1947年に芸術学校を創設するなど、ドイツ音楽の向上に貢献、その音楽学校は現在ロストック音楽大学となっている。1950年よりベルリン国立高等音楽学校の教授に就任。

 現在それほど多く聴かれる作曲家ではないが、ダイナミック且つ厳格、しかし案外わかりやすいその作風はもっと一般に浸透しても良い。戦後の東ドイツではまちがいなく超一級の作曲家だった。
 さてそのワーグナー=レゲニーの2枚のアルバムが出ていたのだが・・・その演奏陣がものすごい。この作曲家がいかに東独で尊敬されていたかを物語る壮絶な陣容なのである。
 ケーゲル、マズア、ボンガルツ、ザンデルリンク、フォルスター、フリッツ・グール、・・・そして若きテンシュテットまで登場する。
 世界には探せばこんなすさまじいアルバムがあるということを知らされた驚きの2枚。

 ただ・・・さすがに当レーベルでも最大のベストセラーなのだろう・・・在庫数を聞いたところそれぞれ40枚のみ(しかも一部は他国での在庫らしい)。おそらくここで買い逃すと一生手に入らないたぐいのアルバムである。セールス・トークではない。


ht 5301 Kantaten
\3200→\2990

廃盤

ルドルフ・ワーグナー=レゲニー:
 カンタータ集
「起源」Genesis (1955/56) ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団、合唱団
ヘルタ・テッパー(Alt)
  27.11.1956
「太陽へ」An die Sonne (1967/68) クルト・マズア指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルタ・テッパー(Alt)
 6.2.1970
「シルアシリム(アラビア語)」Schir Haschirim (1963/64) ホースト・フォルスター指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
Gerda Schriever, Alt
Gunther Leib, Bariton
  6.5.1966

ht 5331 Stucke mit Orchester
\3200→\2990
完売の可能性あり


ルドルフ・ワーグナー=レゲニー:
 協奏的作品集〜歴史的録音の数々
ピアノによる管弦楽曲
 (Orchestermusik mit Klavier

 (1935)
ハインツ・ボンガルツ指揮
エレオノーレ・ヴィカルスキ(P)
ベルリン放送交響楽団
 1967年
歌劇「ペルシャのエピソード」から組曲
 Suite aus der Oper 'Persiche Episode'

 (1940/50)
クラウス・テンシュテット指揮
メクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリン
 1966年
「ダビデ王の賛美歌」
 Cantica Davidi Regis fur Bass, Chor u. Orchester (1954)
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送室内管弦楽団、合唱団
Wolfgang Pfau, Bass
 1968年
序奏とオード
 Einleitung und Ode fur Orchester (1967)
クルト・ザンデルリンク指揮
ベルリン交響楽団
 1968年
14世紀フランスのギョーム・ド・マショーの作曲法への8つのコメント
 Acht Kommentare zu einer Weise des Guillaume de Machaut (1967)
クルト・マズア指揮
ドレスデン・フィルハーモニー室内管弦楽団
 1968年
「ヘルマン・ヘッセの別れの歌」
 Gesange des Abschieds n. Texten von Hermann Hesse (1969)
アドルフ・フリッツ・グール指揮
ライプツィヒ放送交響楽団
ジークフリート・ローレンツ(バリトン)
 1967年



ルドルフ・ワーグナー=レゲニーのアルバム

MYTO
285
(2CD)
\4400→\3990
ケーゲル指揮
ルドルフ・ワーグナー=レゲニー
 Rudolf Wagner-Regeny (1903 ルーマニア-1969 ドイツ):
 歌劇「カレーの市民」
ヘルムート・カファーン(バス)
マリア・クローネン
エルンスト・グルーバー  他
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ライプツィヒ放送交響楽団、合唱団
1958年3月18日ライプツィヒでのスタジオ録音※※作品の解説及び物語の進行を助けるナレーションが入ります。※所々にマスターに起因する破裂音が聴かれますこと、ご了承下さい。
ナチスによって敵視されたユダヤ人の音楽家達がドイツを後にする中作曲され1939年1月28日ベルリンでヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮により世界初演された3幕のドラマティツクな作品です。
イギリス軍によって包囲されたフランスの港カレーで町を守る為に犠牲になるべく立ち上がった6人の人々を描いた1347年の出来事に基づく物語です。
とても良い音質です。鋭く緊張感ある音と共に、聴く者を壮大なドラマに引きずり込む完成度の高い演奏です。

5人の作曲家による共作
ユダヤ年代記
 ボリス・ブラッハー、 ルドルフ・ワーグナー=レゲニ
 カール・アマデウス・ハルトマン
 ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ、 パウル・デッサウ共作
  BERLIN CLASSICS 0032802BC 1CD¥2000→¥1890

Judische Chronik
BERLIN CLASSICS
0032802BC
¥2000→¥1890
5人の作曲家による共作:ユダヤ年代記
 ボリス・ブラッハー
 ルドルフ・ワーグナー=レゲニ

 カール・アマデウス・ハルトマン
 ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ
 パウル・デッサウ共作  
Ekkehard Schall (ナレーター)
Hilmar Thate (ナレーター)
Anna Barova (メゾ・ソプラノ)
Vladimir Bauer (バリトン)
ライプツィヒ放送合唱団
ライプツィヒ放送交響楽団
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ショスタコーヴィチ:
 ユダヤの民族詩より Op. 79(ドイツ語歌唱)
マリア・クローネン(ソプラノ)
アンネリース・ブルマイスター (アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ベルリン交響楽団
クルト・ザンデルリンク指揮
 ブラッハー、ワーグナー=レーゲニ 、ハルトマン、ヘンツェ、デッサウ共作というおそるべき作品「ユダヤ年代記」。しかも指揮がケーゲルときた。前衛ではなく聴き易い作品だが、こんな恐ろしい作品を一介の日本人が聴いていていいのか、悩んだ。
 カップリングは知られざるザンデルリンクの名演。1963年、ショスタコーヴィチに管弦楽伴奏版のスコアを渡されたザンデルリンクが、旧東独ベルリンで行った世界初演ライヴ。体制を批判する告発的意味合いがあることはもちろんであるが、スケールが大きく起伏の激しい作品で、そのバックボーンを知らずともショスタコーヴィチの傑作と認識できる。ときどき映画音楽に通じるダイナミズムを感じるが、手放しで楽しむ雰囲気はもちろんない。それにしても真摯な正攻法演奏。ザンデルリンクが、ロシアで世話になったショスタコーヴィチに対する敬愛の念をこめて演奏しているその心情が伝わってくるようである。取り上げる曲は案外ポピュラーだったザンデルリンクの、隠れた名録音。なぜかあまり日本では流通してこなかったアルバム。


テンシュテットとメクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリンの演奏にはこんな録音もありました

WEITBLICK
SSS 0056-2
\2300→¥2090
「テンシュテットのベートーヴェン」
 (1)交響曲第1番/
 (2)同第5番「運命」、エグモント序曲
テンシュテット指揮
(1)メクレンブルク・シュターツカペレ・シュヴェーリン
(2)キール・フィルハーモニー管
テンシュテットは旧東独出身の巨匠ながら、出身地での活躍はほとんど知られていない。若い頃から、録音時のトラブルが多かったため、テンシュテットとは録音の仕事をするなというのが放送業界では不文律になっていたそうで、旧東独放送録音ではごく初期のオペラ・アリアの伴奏、東独現代音楽が少々しか現存しない。1962年から音楽総監督を務めた古都シュベーリン州の歌劇場管=メクレンブルク・シュターツカペレとのベートーヴェンは、奇跡的な存在ともいえるもので、立派な演奏である上に、一点一画を疎かにせず、しかも十分な高揚がある。この時代から、すでに巨匠的風格を備えていた。 「運命」と「エグモント」は、すでに東独から亡命し、アメリカ、イギリスでの活躍で名を挙げてからの演奏。1972年から音楽総監督を務めたキール歌劇場管=キール・フィルとの凄絶な名演奏。ピリピリとした緊張感とド迫力が共存。マニアからはプライヴェート盤他でテンシュテット最高のベートーヴェンとして知られるものです。
(1)1968年4月19日 ステレオ・スタジオ録音 (2)1980年3月20日 ステレオ・ライヴ録音





 ゲルハルト・ローゼンフェルト
管弦楽作品集&ヴァイオリンとピアノのための作品集

 ゲルハルト・ローゼンフェルトは1931年生まれ、2003年に亡くなったドイツの作曲家。
 ベルリンのフンボルト大学にて、上記ルドルフ・ヴァーグナー=レゲニー氏に師事して音楽理論と作曲を学び、卒業後は教師等も務め、ヴァイオリン協奏曲 (1963) が大成功して以来、東ドイツ映画音楽作曲家の一人者に数えられ、国民栄誉賞他、様々な賞を受けている。


ht 5305
\3200→\2990
ゲルハルト・ローゼンフェルト
 管弦楽作品集
ヴァイオリン協奏曲  (1963)   ゲルハルト・ロルフ・バウアー指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
グスタフ・シュマール(Vn)
 1963年
「アンドレアス・シュリューターの為の建築家的な草案」
 Architektonischer Entwurf fur Andreas Schluter 
ジークフリート・クルツ指揮
ベルリン放送交響楽団
 1987年
フルート協奏曲 (1972) オラフ・コッホ指揮
Halleschenフィル室内管弦楽団
オーットー・ルールマン(Fl)
 1977年
交響曲 (1983) ペーター・ギュルケ指揮
ワイマール・シュターツカペレ
 1983年
 ヴァイオリン協奏曲については、南ドイツ新聞が「1963年のヴァイオリン協奏曲から、一気に猛烈な影響力が感じられる。この作品は、音楽的に泣かせる要素やテクニックを一切用いることなく、精神的嘆きというものを非常に濃厚な「気」をもって再現している」と評していた。
(ちなみに、この一曲目のバイオリンコンチェルトも初演のライブ録音とのことです!)」
 アンドレアス・シュリューターという人は、17世紀プロイセンの著名な建築家、彫刻家で、ベルリンやハンブルクに多くの銅像や建築物を残している。ちなみにこの録音は1987年9月20日の初演のライブ録音!

ht 5324
\3200→\2990
完売の可能性あり

ゲルハルト・ローゼンフェルト
 ヴァイオリンとピアノのための作品集
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ (1991) ジェニー・アベル(Vn)
ミハイ・ウングレアーヌ(P)
「彫刻家ブランクーシに捧ぐ−ヴァイオリンとピアノの為のソナタ」
 Pour Brancusi - Sonate fur Violine und Klavier (1995)
3つのピアノ小品 (1999)
ヴァイオリン・ソナタ 2002
 「これらの作品は10年の歳月をかけて、女性バイオリニストのジェニー・アベルと彼女のピアノ伴奏者ミハイ・ウングレアーヌの為に作曲されたものである。
 ローゼンフェルトは、この作品で類を見ない特殊性を見せている。演奏家のもつ驚異的な技巧能力や才能を考慮し、活かしつつ、聴衆の耳を疲れさせない作曲法が生きている、という点である。聴く者には、演奏家のこの上ない演奏の喜びが伝わり、冷静さとユーモア、思慮といたずら心が最高に調和しているのである。」
 ブランクーシはルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家。この作曲家自身がルーマニア生まれであるが故に、故郷を思う気持ちや、故郷を誇る気持ちと重なっているのかもしれない。
 ジェニー・アベルについて
 北海に面した来たドイツのフスム出身。7歳でデビュー。マックス・ロスタルとヘンリック・シェリングに師事。ルドルフ・ケンペ、ハンス・ロスバウト、ハンス・シュミット・イッセルシュテットからも絶賛された。
 海外演奏は1975年のアメリカに始まり、南アメリカ、カナダ、アジア、オーストラリア、ニュージーランドに及ぶ。1983年には、中国北京での客演に呼ばれ、ドイツ共和国初のソリストとして演奏。その録音はドイツレコード賞、グランプリ・デ・ディスクなどの賞を受賞している。
 ミハイ・ウングレアーヌについて
 1958年ルーマニアのクライノヴァ生まれ、ブカレスト音楽院にてピアノを学ぶ。1985年、1986年、1987年にはピアノソロ演奏コンテストにて3年連続一位受賞、ルーマニアの音楽、劇場批評家に高く評価される。ドイツ東西統一前は、活動範囲に限られたが、その後はヨーロッパのほぼ全各国、アルゼンチン、カナダ、アメリカでも演奏している。
 彼のレパートリーはクラシックの大家バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、リスト、ラフマニノフ、チャイコフスキーからガーシュインに及ぶ。これに加えて欠かせないのは、もちろんルーマニアの作曲家、ベントイウ、リパッティ、そして音楽界の全時代に至るピアノ、室内楽曲の数々である。近年は多くのルーマニアの音楽コンテストの審査員を務めるほか、定期的にマスタークラスを行い、後継者の育成に貢献している。

 ジェニー・アベルとミハイ・ウングレアーヌは1991年以来パートナーとして共演を重ねており、二重奏の夕べやコンサート、また種々のオーケストラとの共演を行っている。






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