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日本音楽を知れば知るほど、この人の偉大さを知る。
日本の近代音楽史。1907年世代から戦中・戦後世代と怒涛のように時代が流れていく中で、この伊福部と言う人が確固たる重さをもって存在したことで、他の作曲家は自分の位置を知ることができたのではないか。伊福部に同調するか否かに関係なく、この人が1人ニョキッといてくれることで多くの音楽家は安心して作曲活動を続けられたようなところはないか。まさに巨人。戦後、前衛手法を敵視し自分の音楽を貫いたため時代遅れとなった時期もあったが、それでもこぶしを振り上げて人を叱咤激励するような熱い音楽は姿を変えることはなかった。彼の熱い音楽はいつの世も健在であり、巨大な仁王像のようにいつもズンと腕組みをしてそこに立っていた。彼は東京音大の学長をしながらもゴジラの映画音楽を書き続けた。彼はいつも変わらずそこにいた。
そして時代が巡り、再び何の先入観もなく彼の作品のすごさ、彼の人間としてのすごさを素直に味わえるときが来た。
今回収録の作品は、伊福部作品の真髄を表すような、民族主義あふれる熱い音楽。頭でっかちの解釈は不要の、心と肉体で味わう音楽。
とくに「SF交響ファンタジー第1番」。「ゴジラ」。
この作品はご存知のように怪獣映画「ゴジラ」のために作られた単体音楽をフル・オーケストラ用に編曲してメドレー風につなぎ合わせたものである。実は伊福部自身は、映画音楽は映画と切り離して演奏されるべきではない、と考えていたらしく、この作品も本来は1回限りの映画音楽コンサートで披露して終わり、というつもりだったらしい。それがあまりの人気に何度も演奏されることになり、ついには代表作となってしまった。伊福部本人は「気恥ずかしい限りです」と語っている。
しかし、この曲はやはりそれだけ多くの人の心を揺り動かすものをもつ。確かにゴジラのテーマがいきなり出てきて失笑する人もいるかもしれない。しかしその土俗的で原始的なエネルギーと、ひたすら扇情的でかっこいいリズムと激しいメロディーの前に人は抗うことは許されない。幼年時代や少年時代の思い出が蘇り、体中を熱い電流がほとばしる。とにかくかっこいい。音楽そのものは現代文明を破壊する怪物を象徴しているのかもしれないが、聴いている我々は手に入る武器を持ってそうした自然の化け物に立ち向かいたくなってくる。何度も言うがとにかくかっこいい。からだの底の方から勇気が湧いてきて元気が出てくるのである。
ただほんの少し惜しいのが指揮のヤブロンスキーとロシア・フィルが少しおとなしく、おっかなびっくり、伊福部のすごさに圧倒されてしまっている感があること。作品のあまりの巨大さ・すごさに、演奏する側がひるんでしまっているのである。足りない迫力部分は、あなたの歌声と身振り手振りでカバーしてほしい。
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