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NAXOS

「日本作曲家選輯」シリーズ
20枚組ボックス・セット \10000+税




 

NAXOS「日本作曲家選輯」片山杜秀企画・解説のアルバム20枚組ボックス・セット
NYCB-10030
(20CD)
\10000+税


単売の番号 作曲家/作品
8.555071J
8.555351J
8.555321J
8.555881J
8.555882J
8.555350J
8.557416J
8.555975J
8.557162J
8.557587J
8.557693J
8.557688J
8.557763J
8.557819J
8.557839J
8.557760J
8.557971J
8.557987J
8.570319J
8.570177J
日本管弦楽名曲集:外山雄三/近衛秀麿/芥川也寸志/吉松隆 他
矢代秋雄(1929-1976):ピアノ協奏曲/交響曲
大栗裕(1918-1982):ヴァイオリン協奏曲/大阪俗謡による幻想曲 他
橋本國彦(1904-1949):交響曲 第1番/交響組曲「天女と漁夫」
松平頼則(1907-2001):ピアノとオーケストラのための主題と変奏 他
山田耕筰(1886-1965):交響曲 ヘ長調「かちどきと平和」他
大澤壽人(1907-1953):ピアノ協奏曲 第3番 変イ長調「神風協奏曲」/交響曲第3番
芥川也寸志(1925-1989):交響三章/エローラ交響曲 他
諸井三郎(1903-1977):交響曲 第3番/交響的二楽章 他
伊福部昭(1914-2006):シンフォニア・タプカーラ/SF交響ファンタジー 他
黛敏郎(1929-1997):バレエ音楽「舞楽」/曼荼羅交響曲 他
深井史郎(1907-1959):パロディ的な四楽章/ジャワの唄声
別宮貞雄(1922-2012):交響曲 第1番/第2番
早坂文雄(1914-1955):ピアノ協奏曲/左方の舞と右方の舞
大木正夫(1901-1971):交響曲 第5番「ヒロシマ」/日本狂詩曲
武満徹(1930-1996):鳥は星形の庭に降りる/精霊の庭 他
山田耕筰(1886-1965):長唄交響曲「鶴亀」/明治頌歌
安部幸明(1911-2006):交響曲 第1番/シンフォニエッタ 他
須賀田礒太郎(1907-1952):交響的序曲/双龍交遊之舞 他
大澤壽人(1907-1953):ピアノ協奏曲 第2番/交響曲 第2番


 山田耕筰が日本人最初の交響曲を完成させたのは1912(明治45)年。以来、日本人作曲家の生み出したレパートリーは質量ともに膨大です。ところがそれらは日本の音楽ファンにとって必ずしもスタンダードになっていません。不思議ではないか。その問いかけから「日本作曲家選輯」は2001年にスタートしました。まだ道半ばのつもりですが、大きな区切りになる箱物ができました。嬉しいことです。(片山杜秀(2017.6.19))


 ナクソス屈指の人気シリーズ「日本作曲家選輯」から片山杜秀企画・解説の全作品を20枚組ボックス・セットとして発売。

 20タイトルすべての解説を1冊に収録(260ページ 豪華ブックレット)。 2001年に企画・立案され、2002年に第一弾「日本管弦楽名曲集」が発売された「日本作曲家選輯」シリーズ。 多くの埋もれていた日本人作曲家の作品に光を当て、彼らの作品が世界的にアピールできるクォリティであることを示した意義あるシリーズです。
 NAXOS創立30周年を記念し、片山杜秀氏による詳細な楽曲解説を完全復刻。 20枚組BOX、10,000円(税別)の特別価格として限定発売いたします。



 下記に「日本作曲家選輯」のそれぞれのアイテムをご紹介します。
 そのなかで 8.555859 直輸入盤 \2000 武満徹:そして、それが風であることを知った だけは今回のセットには入っていないようです。






 NAXOSのアルバムを紹介するときに、その中の大ベストセラー・シリーズ「日本作曲家選輯」をはずすわけにはいかない。

 これまであまりかえりみられなかった近代の日本人作曲家の作品を総合的にリリースするというこのシリーズ。最終的にはCDにして数十枚、作曲家の数にして60人になるといわれている。
 ひとつひとつのアルバムが非常に密度が濃く、エピソードも豊富。どれひとつとっても魅力的なCDばかり。

 実は店主はこのシリーズのおかげで日本音楽に目覚め、このシリーズのリリースが進むに連れて日本音楽について関心を深め、そしてこのアルバムの片山杜秀氏の詳細緻密、且つ大胆な日本語解説を教科書にして日本音楽について学んだ。
 なので店主の日本音楽についての考え方は片山氏の影響を強く受けているし、その知識も片山氏の解説書から得たものが非常に多い。そのため、以下の文中はっきり片山氏の解説文の引用となるところは(片)というように記載したが、それ以外にも無数の描写や発想が片山氏の解説文から引用・影響されている。ただそれを恥じるつもりは全くない。片山氏の解説にはいつも強く共感し、なるほどなー、と思うことばかりだからである。・・・とはいうものの、読者の皆様には、できることならどうか片山氏の壮絶なる解説文を実際に読んでいただいて、店主コメントの足りないところを補填してほしい。
 また日本音楽に詳しいライターの白木伸哉氏への取材を通して得た情報も、随時交えさせていただいたこともここに付け加えさせていただく。


 まずこのシリーズについて。

 このシリーズは、今まであまり紹介されてこなかった日本人作曲家の作品を取り上げているのだけれども、とにかく、聴きやすく、親しみやすく、面白い。

 シリーズ開始当時、作曲家の吉松隆氏が「日本にも現代(無調)音楽に汚染されていない「クラシック(古典)音楽」が存在する。しかしそれは恥ずかしいほどに「音楽」であり、はらわたをえぐるほど「日本的」であるがゆえに逆に前衛の時代には不当に封印されていたことをご存知であろうか。」と言っていた。・・・その「不当に封印された」日本的「クラシック(古典)音楽」にスポットを当てたのが、このシリーズというわけである。

 日本の戦後の前衛的現代音楽作曲家には非常に優れた人が多くて、そういう人たちの作品はこれまでもいろいろな形で注目されてきた。
 が、そうでない、吉松氏が言うところの「クラシック(古典)音楽」作品と言うのはこれまで本当にかえりみられる機会が少なかった。まさに封印されていたと言ってもいい。それが、今回のシリーズでNAXOSがそれらの作品をリリースしたところ、いきなり大ベストセラーとなった。NAXOSがその封印を解いたわけである。そしてその途端、結界を解かれた妖精や魔物のごとき、ものすごい名曲や名作曲家がブワーっと噴き出してきた。そしてあっというまにそれらは日本の音楽ファンの心に棲みついた。

 日本人作曲家の作品は人気がないといわれてきたが、人気が無かったのではなく、触れ合う機会がなかっただけだった。実際どれも面白くてしかも質の高い作品ばかりだったのである。

 恥ずかしながら店主も、山田耕作や伊福部の音楽は知っていたけれど、あんなわかりやすい作品を書いていた人は日本の作曲界の中では異端児だと思っていた。ところがそうではなくて、そうした人たちによる豪華絢爛ともいえる日本の「クラシック(古典)音楽」の作曲家たちの時代があって、そのあと我々がよく知っている現代音楽作曲家の人たちの時代が来たということを、このシリーズで初めて知った。
 イギリスやアメリカは、すごく自国の作曲家を大事にしているしそれらの人気も高い。今回のこのシリーズが浸透することで、日本も早くそんなふうになればいいと思う。

 さて、まず作曲家たちの年表を見てほしい。

歴史的事象

当シリーズの作曲家(生没年)

有名な作曲家(生年)

明治維新1868

 

 

 

山田耕筰1886-1965

ベルク1885

治外法権撤廃1899

大木正夫1901-1971

 

諸井三郎1903-1977

日露戦争1904

橋本國彦1904-1949

ショスタコーヴィチ1906

 

 

 

 

深井史郎1907-1959

 

松平頼則1907-2001

 

大澤壽人1907-1953

 

須賀田礒太郎1907-1952

メシアン1908

韓国併合1910

 

 

 

安部幸明1911-2006

ケージ1912

第1次世界大戦始まる1914

伊福部昭1914-2006

ブリテン1913

 

早坂文雄1914-1955

ロシア革命1917
シベリア出兵1918

大栗裕1918-1982

 

 

別宮貞雄1922-2012

 

 

治安維持法成立1925

芥川也寸志1925-1989

ブーレーズ1925
ベリオ1925

 

黛敏郎1929-1997

 

矢代秋雄1929-1976

 

武満徹1930-1996

満州事変 1931


 これを見ると、きわめて大雑把な見方ではあるが、NAXOSが取り上げた日本人作曲家が大きく4つの時代に分類されるのがわかる。その見方・考え方は、今後未知の日本人作曲家が出てきたときにもおおよそ当てはまると思うので案外有効である。

 1.〜1904年生まれ 「おのれがよき音楽家となることが日本を一等国にするのに繋がるという、強い目的意識があった(片)」時代。

 2.1905年〜1910年生まれ 「自由で豊かで国家を負わずあくまでインターナショナルな感覚に立つ音楽を、自分のため文化のため世界のために作(片)」った時代。

 3.1911年〜1922年生まれ 第2次世界大戦の影響をまともに受け、民族的意識が極めて強い時代。あるいはさまざまな世代、主義が入り乱れ、時代に翻弄される中、葛藤を余儀なくされる時代。

 4.1923年以降の生まれ   前衛の波やさまざまな価値観が押し寄せる中、より個人の感性や主義に忠実な作品を生み出した時代。


 もちろん人間は一人一人違うからすべて完璧にこれに当てはまるとは言わない。が、にもかかわらず上のカテゴライズが極端にずれていないというのも、ある意味怖い。人間は自分だけで生きているようなつもりでいても、実は歴史の流れの中で生きているのである。


 それではまさに豪華絢爛、「日本作曲家選輯シリーズ」、見て行きたい。


 ちなみに代理店のほうですでに取り扱いがないものは海外からの直輸入となるが、その場合は日本語帯がついていないのでご容赦ください。
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このパイロット的アルバムは残念ながら廃盤
8.555071J
廃盤
<日本作曲家選輯>
 外山雄三:管弦楽のためのラプソディ
 近衛秀麿(編):越天楽
 伊福部昭:日本狂詩曲
 芥川也寸志:交響管弦楽のための音楽
 小山清茂:管弦楽のための木挽歌
 吉松隆:朱鷺に寄せる哀歌
沼尻竜典指揮
東京都交響楽団
川本嘉子(Va)
古川展生(Vc)
金崎美和子(P)
2 0 0 0 年7 月に東京芸術劇場で録音されたこの一枚は、日本の民族主義や古代宮廷の典雅な響きなどを特徴とした作品を集めたもの。一大プロジェクトとなるこのシリーズのパイロット的アルバムだが、このアルバムに収めた作品は今後リリース予定のアルバムに収録される予定はない。まさしく画期的な「名曲選」である。



まぎれもない、天才
山田耕筰

8.555350J \1500 山田耕筰 / 交響曲ヘ長調「かちどきと平和」

山田耕筰(1886-1965):
 序曲ニ長調(世界初録音)/
 交響曲ヘ長調「かちどきと平和」/
 交響詩「暗い扉」/
 交響詩「曼陀羅の華」

湯浅卓雄(指揮)
アルスター管
ニュージーランド交響楽団

8.555350J

.
 侍の息子として生まれたが、激動の時代に翻弄され、涙ぐましい貧困生活の中(12歳のとき働きすぎで死に掛けた)まともな教育も受けないまま少年時代を過ごした山田耕筰。だが、14歳のときにイギリス人と結婚した長姉のところに転がり込んでから運命が一変する。
 イギリス人の兄は彼に音楽を教え、音楽の道までも付けてくれた。貧しき侍の子は、なんとその後努力が実って東京音楽学校(後の東京芸大)に進学することになるのである。まさに驚天動地の展開。しかも彼の幸運はまだ続き、三菱財閥の後継者岩崎小弥太の援助を得てドイツに留学、マックス・ブルッフ、カール・ヴォルフに師事することになる。ある程度の如才なさがあったのかもしれないが、おそるべき強運の持ち主である。
 そうしてベルリンでヴォルフに古典的作曲技法を徹底的に仕込まれた山田は、そこでの課題として日本人最初の管弦楽作品「序曲ニ長調」と、日本人最初の交響曲「かちどきと平和」を作り上げる。二つの作品は課題作品ということもあって、明るく楽天的で、それほどの深みはない。しかしメンデルスゾーンを思わせるわずか3分の序曲の、なんと美しいことか。そしてシューベルトの初期シンフォニーを思わせる「かちどきと平和」の先進性!すでに師ブルッフの才能を越えて、ワーグナーをも思わせる荘重な雰囲気を感じさせるあたり、ただの秀作にとどまっていない。これらの作品は西洋音楽の模倣の域を出ていないと言われるが、ヨーロッパで本格的に作曲を学び始めてまだ1年しか経っていない日本人の若者が、西洋音楽の完璧な模倣を為しえているのである。・・・奇跡的としか言いようがない。
 さらに留学の後半に自主的に作った2つの交響詩「暗い扉」と「曼陀羅の華」で、このおそるべき日本の若者は、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、ドビュッシーまで取り込み、まだ知らなかった筈のスクリャービン的作風まで見せ付ける。その吸収力、先見性たるやおそるべし!

 その後山田は3年間の留学生活を経て、1913年、日本に一時帰国する。もちろんまたヨーロッパに戻るつもりだった。
 しかし第1次世界大戦が勃発し、ドイツに戻れなくなってしまった。・・・そこで山田は日本で活動する道を選ぶ。日本での啓蒙・開拓が己の仕事と腹を据えた。それはその後の彼の作曲活動にも当然影響する。
 「日本を音楽的に育てるには、純音楽よりは、オペラや楽劇のような劇音楽によるのが早道だと私は考えた。・・・日本のような純音楽的素地のまったくない土地に、純音楽の種子をいくら蒔いたところで、いい芽生えは得られない。」・・・そんなふうに考えた山田は、その後オペラや声楽曲へと比重を移していき、さらに日本でのクラシック音楽普及・啓蒙のため、日本最初のプロ・オーケストラ創設に奔走したり、華々しく演奏活動を行ったり、さまざまな音楽協会を設立するなど、作曲以外の分野でも野心的に活躍する。
 そうした山田の八面六臂の活躍のおかげで、日本のクラシック音楽は芽吹き始める。

が、その一方でこれだけの才能をもった天才作曲家は、絶対音楽の世界から離れていくことになるのである。
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8.557971J \1500 山田耕筰 / 長唄交響曲「鶴亀」

山田耕筰(1886-1965):
 長唄交響曲「鶴亀」/
 交響曲「明治頌歌」/
 舞踊交響曲「マグダラのマリア」

湯浅卓雄(指揮)
東京都交響楽団、
東音宮田哲男(長唄)、東音味見亨(三味線)、溝入由美子(篳篥)、他

8.557971J

.
 そして続く2枚目。ここでは、彼がその後残した数少ない純粋な管弦楽作品、交響曲「明治頌歌」と舞踊交響曲「マグダラのマリア」を収録。

 交響曲「明治頌歌」は、ベルリンから戻った山田が日本の管弦楽作品を国内、そして世界にアピールするために作り上げた野心作。黒船来航、文明開化を経て明治天皇崩御、そして大正への希望。そうした明治の時代絵巻を燦然と歌い上げた一大交響曲。篳篥をオーケストラに織り込んで、そこに西洋と日本との融合を映し出す試みも非常に効果的。まさに山田耕筰だからこそ作り上げることができた作品。
 続く「マグダラのマリア」は、リヒャルトの「サロメ」やワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をも思わせる肉感的な作品。私生活はなかなか奔放でゴシップ的エピソードも多い山田の、その人間的キャラクターを最も感じさせてくれる曲だと思う。
 それにしてもこれらを聴くと、この作曲家が超多忙な音楽活動の合間に、戯れでも絶対音楽作品をもっと残してくれていれば、と思わずにはいられない。
 さて、それはそれとして、今回のアルバムの主役は、やはり長唄交響曲「鶴亀」か。
 実は、この録音の直前に行われたコンサートに行って来た。

 ・・・ショックだった。

 単なる無知というか、ほとんど無勉強のままコンサートに出かけてしまったのである。なので聴くまでなんのことだかわからなかった。長唄「鶴亀」って、長唄を編曲したシンフォニーかな、くらいにしか。
 そうしたら舞台にゾロゾロ三味線やら囃子、歌い手といった長唄軍団が現れた。もちろん都響も後ろにドンと構えている。
 何をするのか?
 おもむろに長唄軍団は、長唄「鶴亀」をそのまま演奏(?)し始めた。するとオーケストラも演奏を開始、それに乗っかった。
 ・・・あろうことか、山田耕筰は長唄「鶴亀」完全体に、そのまんまオーケストラ曲をかぶせたのである!
 これほど露骨で陳腐な和洋折衷があろうか?

 単純に和楽器をオーケストラに盛り込むというのではなく、まるままの日本の伝統音楽にオーケストラをかぶせると言う大胆不敵な発想。ちらし寿司にソースをかけたような。・・・しかしその大胆な発想が、単なる奇想に終わらず傑作として昇華しているところがすごい。むちゃくちゃかっこいいのである。

最後の最後まで瞬きもしないで聴き入った。
 山田耕筰、まぎれもない、天才である。
 演奏が終わった後、指揮の湯浅卓雄氏に「長唄の人たちはどうやって指揮するんですか?」と質問した。そうしたら、「あの人たちは自分たちでいつものようにやっているだけ。我々がそこにかぶせるんです。これがとっても難しくて!」と言っていた。
 確かにこれは、演奏する側は相当大変である。
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日本の「国家」と「音楽」に身を捧げた
大木正夫

8.557839J \1500 大木正夫

大木正夫(1901-1971):
 交響曲第5番「ヒロシマ」
 日本狂詩曲

湯浅卓雄(指揮)
新日本フィル

8.557839J

.
 山田耕筰のような華麗な経歴とは正反対に、いや逆にそうした華麗なものへの反抗心を音楽作りの糧として、大木正夫は作曲を行った。
 彼は大学で工学を学んで丸善石油の技術者となるも、その後東京での生活を離れ信州で教師となる。そしてそこで一念発起、作曲家になるために教師を辞めて再び東京に戻る。
 そこで彼は武蔵野で「野人的生活」を送っていた音楽家石川義一に弟子入りする。大木は石川のそういう禁欲的な生活にも強く惹かれたと思われる。
 その後時代は大正期のつかの間の平和な時代に入る。その時代に生まれた者たちは、自由で平和なその時代を気の向くままに享受したが、大木は違った。大木はこの時代に、自身の技術者や教師としての体験も踏まえ、「都市の労働者地方の農民が、物心両面で如何に幸福を得られるか(片)」について深く考えるようになる。平和な時代に育ったものは平和な時代を何の疑いもなく受け容れるが、大木はそうしたものを無分別に受け容れられるひとつ前の世代だった。平和や自由には「意味」があり「意思」があると考える世代である。だから彼も「音楽とは社会的力になりえ、よい音楽は民衆の幸福の追求に貢献できると(片)」信じ、そういう音楽を作ることを目指した。
 そこには山田とは違う形ではあったが、同じくらい強烈な「国家」と「音楽」に貢献したいという理想があった。
 だから日本が戦争に突入したときに大木は、「アジアから欧米の政治的・経済的影響力を排除することが日本のみならずアジア全体の民衆の幸福に繋がる(片)」という思想に共鳴した。彼は「日本が戦争に勝ってアジア・ブロック経済圏を建設することで、日本民衆もアジアの人々も解放される(片)」と信じて作曲を続けた。1曲目の「日本狂詩曲」はそのひとつである。東北や信州の民謡を引用した、まさに踊りだしたくなるような底抜けに明るい作品。日本の心を歌い、人々の頃を鼓舞する音楽。
 しかし日本は戦争に負けた。
 大木の理想や夢は無残に打ち砕かれた。
 彼は「信州浅間温泉に篭り、苦悩し、厳しく自己批判し、宗教的救済を求め(片)」た。
 大きな悩みにぶち当たりそこから脱しようとするとき、多くの人は自分の中だけで完結し消化しようとする。しかしときおりごくたまに、多くの人が同じ苦悩に直面しているときには、その人たちもいっしょに救われるような解決策を模索する人もいる。大木はまさにそういう人だった。彼は戦後日本人を襲ったさまざまな苦悩について、自分の内部で解脱するだけではすまさなかった。

・・・やがて彼は、アメリカを先頭にして世界に広がる労働者階級を苦しめる帝国主義を打倒することが自分の使命と確信し、そのために音楽を作り始める。
 そして民衆を無差別大量虐殺した「原爆」がその象徴として見出された。
 そうして作られたのが交響曲第5番「ヒロシマ」。

暗く陰鬱で、凄惨な作品。怒涛のように押し寄せてくる暗黒のレクイエム。前衛作品ではないので生理的に聴きにくいということはないが、精神的に追い込まれる。
 大木はその後、代表的な左翼的作曲家として活躍する。そしてかつての師石川義一のように、「自宅の前を畑にして「反農半楽」のような暮らしを(片)」送りながら、「人間を返せ」や「ベトナム」などの問題作を発表し続けた。
 大木は、山田の華やかさとは正反対のきわめて禁欲的な生活の中で、日本の「国家」と「音楽」に身を捧げたのである。
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この交響曲第3番の完成度・充実度!
諸井三郎

8.557162J \1500 諸井三郎

諸井三郎:
 こどものための小交響曲(1943)(世界初録音)/
 交響的二楽章(1942)(世界初録音)/
 交響曲第3番(1944)(世界初録音)

湯浅卓雄(指揮)
アイルランド国立交響楽団

8.557162J

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 山田耕筰は絶対音楽を日本に紹介するのは早すぎるとして、自らもその作曲から遠ざかっていった。そんな山田を、諸井三郎は、「ベルリンで学びながら絶対音楽への夢をあっさり見限った(片)」として痛烈に批判した。
 ほかの産業でそうだったように、日本人でも優秀な模倣力と独自性があれば日本人なりの絶対音楽が作れるはず、と諸井は考え、それを実行した。
 彼は独学に近い形で国内で様々な研鑽を積み、それでは足りないと、ついにベルリンに留学。そこでドイツ音楽の真髄を心行くまで体得した。そうして満を持して、正統派ドイツ音楽の中に日本の感性を注ぎ込み始めたのである。
 彼はそうした高い志を持ち、その意思を凛と貫く気高さを持っていた。

 一族から多くの偉人を排出している諸井家に生まれ、そうした人と普通に接していたことが、諸井にまじめで強い生き方を貫かせたのかもしれない。ちょっと取り澄ました高踏派、という印象もなくはないが、こうした個人の枠を超えた超人によって文化はそのスケールを広げることが多い。いずれにせよ諸井の出現によって日本の絶対音楽は飛躍的に進化した。マーラーやシベリウス、リヒャルト・シュトラウスにも通じる彼の超本格派シンフォニーを耳にすれば、1940年代の日本のクラシック音楽がどれほどの高みにあったかを実感できると思う。山田ももちろんすごいが、この交響曲第3番の完成度・充実度はどうだろう!こんなにも正統で立派な日本のクラシック音楽があったのである。

 先日何気なくベートーヴェンの弦楽四重奏曲のスコアを眺めていたら、そのスコアの詳細な楽曲解説が諸井三郎だった。詳細・堅実・明快。昔から何度も読み返していたこの解説がまさか諸井のものだったとは。しっかりした良い仕事は、そ知らぬ顔をしてずっと後世まで残るものなのだ。
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わずか1回の逢瀬で人の耳目を魅了してしまう
橋本國彦

8.555881 直輸入盤 \2000 橋本國彦


橋本國彦(1904-1949):交響曲第1番
              交響組曲「天女と漁夫」

沼尻竜典(指揮)
東京都交響楽団

8.555881 直輸入盤 \2000

.
 NAXOSの日本作曲家選輯シリーズ。前哨戦となったオムニバス盤がベストセラーとなり、続いて矢代秋雄がリリースされた。当時日本音楽初心者だった店主は、矢代のあまりにも深刻で真剣な内容にはちょっとついていけなかった。続く大栗裕は、踊りだしたくなるような大阪クラシックで、正直戸惑い、どう表現していいかわからなかった。
 そして第3弾。・・・橋本國彦という人。またもや初耳の作曲家。恐る恐る聴いた・・・。

 そうしたらこれがすごかった。

 正直この1枚に出会わなかったら、店主は日本音楽という宝の山を知らずに通り過ぎてしまっていたかもしれない。この1枚を聴いて、日本にも正統派クラシック音楽の大きな山脈があることをようやく知った。この1枚を聴いて、いかに自分が自国の素晴らしい音楽芸術に対して無知であったかを知った。
 橋本の音楽には単純な店主を単純に突き動かしてくれる素直なかっこよさがあった。ただもう、本当にかっこよかった。
 あとから調べたら、かっこいいのは音楽だけではなかった。
 橋本は戦時中でもいつもダンディに決めていて、あの稀代の伊達男黛敏郎が、「あまりに恰好よく、思わず側で見とれていた(片)」。
 またその生き方も実に潔い。戦前・戦中と東京音楽学校(後の東京芸大)で活躍し、ヨーロッパにも長く留学、日本を代表する作曲家となったにもかかわらず、戦後、戦争中の責任を取って教授の職を辞する。そしてその3年後の1948年に人生からも去る。44歳。あまりにも潔い人生。男としてかっこよすぎる。

 そんな外見や生き方は、彼の音楽にもはっきりと表れていたのである。
 多くの作曲家がナショナリズム高揚のために作品を委嘱された「皇紀2600年」(西暦1940年)。彼の交響曲第1番もそのひとつ。ソナタ形式といいつつ、一大音楽絵巻のように大胆に展開する第1楽章、ラヴェルの「ボレロ」のように同一主題が情熱的にダイナミックに陽気に繰り返される第2楽章。そして第3楽章は、唱歌「紀元節」を主題として展開される変奏曲とフーガ。とくに第1楽章と第2楽章には、橋本らしい情熱的でしかも新奇な発想が満ち溢れている。
 「天女と漁夫」は20代後半、橋本がまだヨーロッパ留学前に生み出した「羽衣伝説」を元にしたバレエ組曲。

 いずれもはっきりとしたメロディーとリズムによってきっちりと構成された正統派作品。なのだが退屈さとは無縁。チャイコフスキーやドヴォルザークやマーラーとか、そういったこっちを「その気」にさせてくれる曲。何度も言うが、かっこいい。まさに一目ぼれだった。わずか1回の逢瀬で人の耳目を魅了してしまう、強烈で華やかな音楽だったのである。
 そんな作品には古今東西含めて、なかなかお目にかかれない。
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近代日本最大の個性派
深井史郎

8.557688J \1500 深井史郎

深井史郎(1907-1959):
 パロディ的な四楽章(1936)/
 バレエ音楽「創造」(1940、世界初録音)/
 交響的映像「ジャワの唄声」(1942

ドミトリ・ヤブロンスキー指揮
ロシア・フィルハーモニー管
協力:新交響楽団

8.557688J

.
 わずか18人の作曲家を取り上げてきた「日本作曲家選輯」シリーズだが、製作者側の意図なのか、偶然なのか、1907年生まれの作曲家が4人も入っている。もし意図的でなかったとしたらこれはおそるべき偶然である。
 1907年。一体この年は何を意味するのか。・・・解説の片山氏は大胆な推測をしている。

 明治維新を過ぎ、日清戦争を経て、日露戦争が起きたのが1904年。そして日本が歴史的に大きな転換期を迎えることになる満州事変が起きたのは1931年。その後日本は戦争の泥沼に突き進むことになる。
 その日露戦争と満州事変の間の20数年。この時代は「文化的・物質的環境もなかなか良好(片)」で、軍縮が続く中、人々は平和と自由と文化を謳歌した。
 そんな時代に生まれ、いわゆる「大正デモクラシー」の時代をたっぷりと享受して青年にまでなりえたごくごくわずかな世代の人。それが1907年生まれの人々だったというのである。
 その世代の人間は「日本国家の看板を背負うことにアイデンティティを見出していた先行世代に、時代遅れの骨董品のような感覚を抱(片)。」き、「特定の何かにアイデンティファイせず、狭い信念や矜持や目的意識に囚われず(片)」、「様々な様式や価値観を愛で、調べ、究め、いじり、それと軽やかに遊(片)」んだ。
 まるで平和で自由な時間に吸い寄せられるように生まれてきた1907年世代。彼らの登場は偶然ではなく、歴史が生んだ必然だったと店主も思う。

 さてそんな1907年世代で最も強烈なキャラクターを持っていたのが深井史郎である。彼はこうした教養主義の時代に似つかわしいひねくれ者で、元は旧制高校で物理学を志していたが、「わざと結核になることで帝大進学を家族にあきらめさせて音楽の道に進んだ」というようなことを話している。またその作曲にしても、菅原明朗らに個人的に師事しただけで、あとは独学だったという(作曲家の楽譜を丸ごと暗記して学んだと言われている)。
 そんな彼が模範としたのはラヴェル。なぜなら「何にも入れあげない近代人の理想の作法を、ラヴェルを一番のモデルにすることで身に付けようとした(片)」というのである。なんだかどこまでも変わり者。自由人。
 だからその作品もやはり変わっていて、彼の代表作「パロディ的な四楽章」は、ファリャ、ストラヴィンスキー、ラヴェル、ルーセルの4人の大作曲家のパロディ作品と言われているが、そこで彼はなんとも皮肉でいやみに満ちた文章を一人一人の作曲家に寄せている。たとえばストラヴィンスキーなら「・・・このあいだ街をとおるチンドン屋を見て、あなたのことを思い出しました。・・・・」、ルーセルなら「・・・これはあなたがひとりでビフテキを四人前お平らげになる図です。・・・」等々。
 もちろん「パロディ」と題されているから、それぞれの作曲家を模したところはある。しかし次元の低い模倣ではなく、この頃の世代の人なら誰もがやった、発展的模倣。「パロディ」という皮肉で意地悪な形態をとり、自虐めいた名称をつけることで、ひねくれ者の深井は安心してそこに身を投じることができたのである。実際出来上がった作品は、「パロディ」という言葉が想像させるものとは正反対の充実した内容。「パロディ」などという名前さえつけられてなければ、「なんと素敵なオマージュ的作品!」とほおずりしたくなるような傑作である。

 また最後に収録されている「ジャワの唄声」は、ジャワ島の民俗音楽の主題を何度も何度も繰り返し、だんだんクレッシェンドさせていく・・・ラヴェルの「ボレロ」のパクリである。しかしその多彩なこと。多くの作曲家がこの手法を取った作品を書いてきたが、さすが近代日本最大の個性派。まさに独壇場と言っていい自分だけの世界を繰り広げる。
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戦前日本人が作り上げたクラシック音楽の最高傑作
大澤壽人

8.557416J \1500 大澤壽人

日本作曲家選輯 
 大澤壽人:ピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」
       交響曲第3番(世界初録音)
エカテリーナ・サランツェヴァ(ピアノ)
ドミトリ・ヤブロンスキー(指揮)
ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
8.557416J

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 ちゃんと勉強せずに聴いたものだから、てっきり「特攻隊賛美」の国威発揚系爆裂音楽かと思っていた。そのわりには随分モダンな西洋風の音楽だなあ、と思ったら「特攻隊」とは全然関係のない作品だった。・・・それどころか!なんと戦前の日本人が作り上げたクラシック音楽の最高傑作と言ってもいいような充実した曲だった。
 大澤壽人。1907年生まれ。この盤が出るまで名前の片鱗すら聴いたことがなかった。ところが片山氏の解説でこの人の海外での逸話を読んだら、本当にびっくり仰天。・・・その一部だけでも書きましょうか?
 23歳でアメリカに渡った大澤はボストンで自作発表会を開き、ボストン響を日本人として初めて指揮する機会にも恵まれる。そして27歳のときにアメリカからパリに渡ってからがすごい。ナディア・ブーランジェに師事、デュカスのレッスンも受け、ルーセルやフローラン・シュミット、イベールとも交流を持つ。その後コンセール・パドゥルー管を指揮して行われた自作やラヴェル、ベルリオーズの公演は大成功。批評家モーリス・ブリヤンは「大澤は国際都市パリに相応しい音楽の書き手である」と絶賛、イベールは「彼は清新かつ感覚的な天賦の才能を有している」と褒め、グレチャニノフは公演後楽屋で大澤の手を握り締めて「おまえは今まで私の接してきた中でも第一級の音楽家だ」と賞賛したという。
 ・・・なんとおそるべき!
 わずか20代の日本から来た若者が、西洋音楽の最先端の技法を身に付け、さらにアメリカのジャズやポップスの感覚まで理解し、そこに日本の伝統音楽まで取り入れることに成功し、それを数多くの大家に認めさせていたのである。
 そんな奇跡的な音楽家は、29歳のとき日本へ凱旋帰国した。

 ・・・彼の不幸はそこから始まる。

 要はその当時の日本が、そんな彼の音楽のすごさを理解できなかったのである。彼の音楽は当時の日本人には「モダンすぎ、お洒落すぎ、気が利きすぎ、日本人ばなれした馴染みにくいもの(片)」だった。そして悲しいかな演奏自体が難しかった。・・・あまりにも大澤の登場は早すぎたのである。山田のときと同じ苦悩を、彼もまた味わうことになる。
 しかしそれでも彼は日本人に受け容れられる作品を書こうと、涙ぐましい努力を続ける。自分を受け容れてくれない日本人を責めず、自らの努力でそれを克服しようとした。山田にしてもこの大澤にしても、この頃の男のなんと潔くまっすぐなことか。
 「皇紀2600年」(西暦1940年)に多くの作曲家がナショナリズム高揚のために作品を委嘱されたことは前にも書いたが、大澤はその3年も前に自主的に「皇紀2600年」のための作品を発表した。交響曲第3番である。そうした時代に合った作品を作ることで、人々に演奏してもらい聴いてもらおうとしたのである。聴いてもらいさえすればわかってもらえる、と。
 さらに朝日新聞社社有飛行機「神風号」(くどいようだが神風特攻隊とは無関係)が東京−ロンドン間の世界最速飛行記録を出して日本中が湧いたとき、今度は彼はピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」を作る。そうすれば朝日新聞社の協力も得られるし、バッチリ時流に乗って日本の聴衆にも受け容れられるに違いない・・・。

そんな大作2曲。
 交響曲第3番は、戦前戦中において、諸井三郎の交響曲第3番と並ぶ完成度の高い作品。作者の様々な思いが幾重にも詰め込まれていて、決して理解しやすい作品ではない。ただ放っておくとどこまでも高度で晦渋な作品になってしまうところを、意識的に大衆的にしようという意図が垣間見える。
 ピアノ協奏曲第3番「神風協奏曲」は、日本から飛び立つ「神風号」の雄姿が目に浮かぶようなモダニズム感覚あふれた第1楽章、「夜間飛行」というにふさわしい洒落たジャズ風の第2楽章、だんだんロンドンに近づく「神風号」が大澤風に華麗に颯爽と描かれる第3楽章。第3番よりはるかにポピュラーで聴きやすい。
 ・・・ところがそんなふうにできあがった傑作2曲だが、作曲家の目論見は残念ながら外れ、やはり一般の聴衆に理解されることはなかった。
 結局その後彼は宝塚のミュージカル、映画音楽、舞台音楽、ラジオ向け作品、セミ・クラシックのジャンルへと移っていく。また一般の人々にもっとクラシック音楽を聴いてもらえるようなラジオ番組の制作にいそしんだ。それが実を結べば、いつか自分の作品を理解してくれる時代が来るかもしれないのだから!
 ・・・しかし結局その日は、彼が生きているうちには訪れなかった。
 「念願の交響曲第4番は楽譜の表紙が作られただけで一音符も書かれ(片)」ないまま、この悲運の天才音楽家は46歳の生涯を閉じた。
 その後彼の作品は完全に埋もれた。が、その死からおよそ半世紀、片山杜秀氏の尽力によりようやくこの埋もれた名作曲家の作品が発掘された。・・・そして生まれたのがこのアルバムなのである。今から100年前に生まれ、そしてその後完全に音楽界から姿を消した悲運の大家、大澤壽人のまがうことなき傑作。

よかった。今の時代なら、十分彼の才能を受け容れてあげられる!
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8.570177J
\1500
大澤壽人(1907-1953):第2弾
 ピアノ協奏曲第2番/交響曲第2番
  *全曲世界初録音
  *録音・編集(24bit/48kHz)
  ※片山杜秀氏による日本語解説書付き
エカテリーナ・サランツェヴァ(P)
ドミトリ・ヤブロンスキー(指揮)
ロシア・フィルハーモニー管

「神風協奏曲」ほかを収録した第1弾(8 . 5 5 7 4 1 6 J)により、あらためてその名前と作品がクローズアップされ、東京や大阪・兵庫では作品が蘇演された大澤壽人。その第2弾となるのは前回同様にピアノ協奏曲と交響曲のカップリング。どちらの曲も1 9 3 0年代中盤、パリでナディア・ブーランジェやポール・デュカスに師事していた時代の名作であり、戦前モダニズムの粋が結晶化されています。



苦悩に満ちた尊厳の現れ
松平頼則

8.555882J \1500 松平頼則

松平頼則:
 ピアノとオーケストラのための主題と変奏/
 ダンス・サクレとダンス・フィナル〜ダンス・サクレ(振鉾)/
 左舞/右舞/
 ダンス・サクレとダンス・フィナル〜ダンス・フィナル(長慶子)

高関健(指揮)
大阪センチュリー交響楽団
野平一郎(P

8.555882J

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 1907年世代の1人、松平頼則。エピソードには事欠かない。
 徳川家康の11男で水戸徳川家の祖、頼房から分かれた常陸府中(石岡)松平家が父方。母は藤原氏の一族、徳大寺実則公爵の娘。

叔父には後に首相となった公望や、住友家の養子となり大財閥の当主となった公純が居る。

この名門の跡継ぎが松平頼則である。
 そんなおそるべき血統をもつ松平頼則、当然その生家は広大な敷地を持った大豪邸だった。ところが父親が鳥の剥製に異常に金をつぎ込み、お殿様ならともかく、維新後の明治の時代、たちまち財政は破綻。松平頼則は10代半ばで極貧生活を強いられることになる。後に武満がその自宅に行ったが、小さな家にボロボロのピアノ、古くなったブヨブヨの畳。かつての栄華を思わせるのは、芋を食べるときの松平の気品ある仕草のみだったという。しかもピアノには多くの傷跡。刃物でつけられたらしいその傷跡は、おそらく松平頼則の手によるもの。どういう心境で彼がそんなことをしたか、察して余りある。

松平頼則は能天気な大金持ちの坊ちゃん、と勘違いされているが、とんでもない。1907年世代らしい個人主義的で感覚的な作曲家ではあったが、最も悲愴なる作曲家でもあった。
 そんな松平は、そうした血統、あるいはそうした生活ゆえか、「ロマンティシズムやセンチメンタリズムを仮想的とした(片)」。人間的で感情的なものよりも、人工的なものを愛した。卑俗なものより高貴なものを愛した。・・・わかる。
 第2次世界大戦が始まると、戦意高揚の愛国的作品が求められたが、もとより彼がそんな音楽に興味を抱くはずもなく、その間彼は「技術と思想の研鑽につとめ(片)」た。
 そんな彼がたどり着いたのが日本の伝統音楽である「雅楽」。

貴族の血を引いていたということもあるし、「雅楽」は「民謡などと違い民衆の喜怒哀楽とは比較的無縁であり、その響きは時代の生々しい感情をもはや超越して(片)」いる。まさに人工美の極致。彼にとってこれ以上の素材はなかった。早速彼は雅楽と新古典的様式とを組み合わせた作品を作った。
 カラヤンが唯一取り上げた日本人作品「ピアノとオーケストラのための主題と変奏」はこのときの作品である。作曲者の家柄といい、その人工美といい、まさにカラヤンが選ぶに相応しい作品だった。
 曲は主題を「越天楽」から取り、6つの変奏が展開される。

第1・2変奏では華麗で贅沢な香り漂うピアノが楽しめ、第3変奏では12音列を用いた斬新な手法を味わえる。第5変奏は当時はやっていたブギウギ風の音楽が登場。そういう俗っぽいものとは一線置きそうな松平としては珍しい選択だが、当時彼はストリップ劇場でラヴェルの「ボレロ」が使われているのを体験してショックを受けたらしく、そういう「大衆的なものと高踏的なものの融合(片)」を目指したと思われる(それを聴いた早坂文雄は松平に、「そういうことだけはやめてほしい」と苦言を呈したと言う)。実際第5変奏は「ボレロ」に非常に似ている。

そんないろいろな要素を含むこの曲は、戦後すぐの日本作品としてはきわめて高度で先鋭的でありながら、しかし同時に親しみやすさも持ち合わせた作品。松平の代表傑作といっていい。
 ところが1950年代中盤、彼の作風はさらに過激になる。西洋からの前衛音楽の影響を受け、「雅楽」と「前衛手法」の融合に大きく転換することになるのである。「セリエルで点描的な美を究極に現出させてくれる(片)」という点において、雅楽と前衛手法が松平の中で強力に結びついたのである。このアルバムの2曲目以降の作品はその時代の作品である。この頃の作品は日本よりも海外で高く評価され、ロスバウド、ブーレーズ、マデルナ、ギーレン、ブールといったおなじみの人たちによって演奏されている。それどころか「メシアンの「7つのハイカイ」、ブーレーズの「リテュエル」には松平の影響を認めることができる(片)」という。
 ただ、この頃の作品はいかに「雅楽」を用いているとはいえ、やはり「前衛音楽」。親しみやすいとはいえない。この時代のちょっと人を寄せつけない「孤高」の音楽は、松平の苦悩に満ちた尊厳の現れのような気がする。そうそう簡単には、聴く人を中に入れてくれない。
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さまざまな流れをたった一人で融合し完結させた
須賀田礒太郎

8.570319J \1500 須賀田礒太郎

須賀田礒太郎(1 9 0 7 - 1 9 5 2):
 交響的序曲/双龍交遊の舞/生命の律動/東洋の舞姫
  ※片山杜秀氏による日本語解説書付き

小松一彦(指揮)
神奈川フィル

8.570319J

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 1907年世代、最後の1人が須賀田礒太郎である。
 彼もまたまさに1907年世代に相応しく、裕福な家に生まれ、自由に勝手気ままに音楽活動を続けた。途中結核に倒れるという不運はあったが、そのときも療養しながら無理せずに作曲の勉強にいそしんだ。
 学校は中退したものの、ようやく結核の病が癒えてきた須賀田は、山田耕筰と信時潔から作曲のレッスンを受ける。面白いのはその二人の仲が悪かったということである。そんな二人を師に選んだ須賀田。かなり図太い。
 さてそんな須賀田。せっかく日本音楽界の大家二人がドイツ流のアカデミックな音楽理論を教えてくれたというのに、いつしかその興味はドビュッシー、ラヴェル、ストラヴェンスキーといったフランス、ロシアの作曲家に移る。そして須賀田は今度は、「ドイツ一辺倒になりがちな日本音楽界に新風を招きいれ(片)」、「モダンな新味を求める若者の希望の星とされて(片)」いた菅原明朗の弟子になる。・・・やはり須賀田、そうとう図太い。

 須賀田はそこでラテン系やロシア系の音楽を参照し、日本の雅楽とそうした音楽との融合を図る。
 ・・・しかしそれらの音楽は「何か気紛れや偶然に支配されているようで心許なく(片)」、これまでの日本音楽がもっていた「感覚的なアイデアは豊富だが、理論の徹底がない(片)」という欠陥と同じものを須賀田に感じさせた。図太いというか、正直というか。
 そうして須賀田は、またまた再びドイツ音楽へと回帰する。そしてマーラーの弟子だったプリングスハイムの門下となるのである。・・・やはり普通の神経ではない。
 山田耕筰と信時潔、また、彼らと菅原明朗、そして菅原とプリングスハイム・・・。須賀田は全く逆の立場をとる二つの要素を悪びれることなく受け容れる。そして過去にも人間関係にもとらわれない。なんとも楽観的な性格。なんともお坊ちゃん。「人間の可能性は無限である(片)」と素直に信じていたのであろう。

 だから須賀田の作品は日本の伝統音楽的要素、ドビュッシー、ラヴェルなどのフランス的要素、ストラヴィンスキー、R・コルサコフなどのロシア的要素、バッハ、ベートーヴェンからヒンデミットといったドイツ的要素、さらにはバルトークなどの近代民族音楽的要素などまで広範囲に融合し、すべてを調和させていく。まったく悪びれることなく、恥じ入ることなく。
 しかしそれゆえにどんな派閥や楽壇との関係も薄かった。わかりやすい作品なのだがカテゴライズ不能の須賀田の作品を聴いて、誰も自分の仲間だとは思わなかったのだ。「仲の良い作曲家もいたが、数はとても少なかった。須賀田は孤高の人だった(片)。」
 さらに須賀田はその後東京・横浜を離れ、田舎に移り住み、完全に中央から隔絶した世界で作曲を続けた。その状況で人々に忘れられないでいてもらうほうが無理な話である。結局その作品はほとんどが未出版のまま1952年、須賀田は結核を悪化させこの世を去る。

 このアルバムに収録されているのは、皇紀2600年の奉祝曲「交響的序曲」と「双龍交遊の舞」、そして田舎に移り住んでからの最晩年の作品「生命の律動」、また「「大東亜共栄圏」の建設が叫ばれていた(片)」1941年の作品「東洋の舞姫」。いずれも完璧なほどの折衷様式を持った作品。そしてどの作品も、我々にとって非常に親しみやすい作風である。にもかかわらず、始めの3曲はこれが世界初録音、最後の1曲にいたっては初演が行われたのは2002年のことであった。
 日本音楽のさまざまな流れをたった一人で融合し、完結させた孤高の人、須賀田礒太郎。一度聴いてみる価値あり。
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急ぎすぎた時代が、大事な忘れ物に気づき始めた
安部幸明

8.557987J \1500 安部幸明

安部幸明(1 9 1 1 - 2 0 0 6):
 交響曲第1番(世界初録音)/シンフォニエッタ/
 アルト・サキソフォーンとオーケストラのための嬉遊曲(世界初録音)

ドミトリ・ヤブロンスキー指揮
ロシア・フィルハーモニー管、
アレクセイ・ヴォルコフ(アルト・サックス)

8.557987J

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 安部幸明が生まれたのは1911年。先ほどの年表で見るまでもなく、あの壮絶な1907年世代の少しあと。そして伊福部・早坂らの世代の少し前ということになる。

この微妙な時代の違いが、彼の生き方を、そして音楽を大きく左右する。つまり、1907年世代ほどには、自分のやりたいことを楽しむ自由奔放さは持ち合わせていないが、かといって、次の世代のような「日本的であらねばならない」という姿勢にはなじめない。いや、強く反発した。

 結果として彼は、当時大きくなりつつあった「民族主義的」立場に反抗し、あえてベートーヴェン的古典主義やドイツの後期ロマン派へ接近した。しかもそこには無骨なまでに「重い」意思があった。1907年世代の楽観的な「軽さ」とは随分違う。結局わずかな年代の隔たりが、安部に、旧世代の作曲家の人たちとも新世代の人たちとも距離を置かせることになる。前述の須賀田礒太郎は何でも取り込んで孤高の道を進んでいったが、安部は自分の立場を守り、わが道を進んだ。
 それはおそらく片山氏が言うように、彼が「じっくり一歩一歩足下を踏み固める」タイプの人だったことにもよると思う。妄信的に過去の一派に身を寄せることもしないし、逆に新しい波が来たからと、ホイホイとそちらに移ることもしない。自分で経験し完全に理解し、咀嚼しないうちは取り込めない人だったのである。事実、解説を読むと後年になって彼はドイツのオルフが作った「カルミナ・ブラーナ」を知ることで原始主義を取り入れるようになり結果的に「民族的」作風を持つようになったし、宮内庁楽部の指揮を務めることで日本の「雅楽」と親しみ「日本的」作風を持つようになる。
 つまり彼は頑固で保守的な人で、時間はかかるが、ちゃんと納得すればいいものは取り入れる、そういう昔かたぎの人だったのである。

 なのでここに収録されている1950年代以降の作品は、後期ロマン派的要素を背景に、民族主義的華麗さ、新時代のモダンな要素、そして日本の伝統音楽を思わせるような部分も持ち合わせている。実際聴いてみてほしい。それらの作品はさまざまな音楽的要素が完全に消化されてひとつになっていて、しかも恐ろしいほどにわかりやすくかっこいい。・・・頑なだった安部幸明だが、ようやく時代に追いつく素晴らしい音楽を作り出したのである!
 と思ったら、時代はまた先に行っていて、「前衛に非ざれば相手にされず(片)」という風潮になっていた。・・・安部幸明、またもや時代から取り残されることになる。

 しかし面白いもので「前衛」が特別な位置を与えられなくなり始めた1990年代になると、再び彼の戦後の作品が評価され始めた。
 ・・・急ぎすぎた時代が、大事な忘れ物に気づいたのである。
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心と肉体で味わう音楽
伊福部 昭

8.557587J \1500 伊福部 昭

伊福部 昭:
 シンフォニア・タプカーラ(19541979改訂)
 ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ
 SF交響ファンタジー第1番 8.557587J

ドミトリ・ヤブロンスキー指揮
ロシア・フィルハーモニー管弦楽団
エカテリーナ・サランツェヴァ(p) 

8.557587

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 日本音楽を知れば知るほど、この人の偉大さを知る。

 日本の近代音楽史。1907年世代から戦中・戦後世代と怒涛のように時代が流れていく中で、この伊福部と言う人が確固たる重さをもって存在したことで、他の作曲家は自分の位置を知ることができたのではないか。伊福部に同調するか否かに関係なく、この人が1人ニョキッといてくれることで多くの音楽家は安心して作曲活動を続けられたようなところはないか。まさに巨人。戦後、前衛手法を敵視し自分の音楽を貫いたため時代遅れとなった時期もあったが、それでもこぶしを振り上げて人を叱咤激励するような熱い音楽は姿を変えることはなかった。彼の熱い音楽はいつの世も健在であり、巨大な仁王像のようにいつもズンと腕組みをしてそこに立っていた。彼は東京音大の学長をしながらもゴジラの映画音楽を書き続けた。彼はいつも変わらずそこにいた。
 そして時代が巡り、再び何の先入観もなく彼の作品のすごさ、彼の人間としてのすごさを素直に味わえるときが来た。
 今回収録の作品は、伊福部作品の真髄を表すような、民族主義あふれる熱い音楽。頭でっかちの解釈は不要の、心と肉体で味わう音楽。

 とくに「SF交響ファンタジー第1番」。「ゴジラ」。
 この作品はご存知のように怪獣映画「ゴジラ」のために作られた単体音楽をフル・オーケストラ用に編曲してメドレー風につなぎ合わせたものである。実は伊福部自身は、映画音楽は映画と切り離して演奏されるべきではない、と考えていたらしく、この作品も本来は1回限りの映画音楽コンサートで披露して終わり、というつもりだったらしい。それがあまりの人気に何度も演奏されることになり、ついには代表作となってしまった。伊福部本人は「気恥ずかしい限りです」と語っている。
 しかし、この曲はやはりそれだけ多くの人の心を揺り動かすものをもつ。確かにゴジラのテーマがいきなり出てきて失笑する人もいるかもしれない。しかしその土俗的で原始的なエネルギーと、ひたすら扇情的でかっこいいリズムと激しいメロディーの前に人は抗うことは許されない。幼年時代や少年時代の思い出が蘇り、体中を熱い電流がほとばしる。とにかくかっこいい。音楽そのものは現代文明を破壊する怪物を象徴しているのかもしれないが、聴いている我々は手に入る武器を持ってそうした自然の化け物に立ち向かいたくなってくる。何度も言うがとにかくかっこいい。からだの底の方から勇気が湧いてきて元気が出てくるのである。
 ただほんの少し惜しいのが指揮のヤブロンスキーとロシア・フィルが少しおとなしく、おっかなびっくり、伊福部のすごさに圧倒されてしまっている感があること。作品のあまりの巨大さ・すごさに、演奏する側がひるんでしまっているのである。足りない迫力部分は、あなたの歌声と身振り手振りでカバーしてほしい。
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ときどき不思議な気持ちになる
早坂文雄

8.557819J \1500 早坂文雄

早坂文雄(1914-1955):
 ピアノ協奏曲/左方の舞と右方の舞/序曲ニ調

ドミトリ・ヤブロンスキー指揮
ロシア・フィルハーモニー管
岡田博美(P

8.557819J

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 早坂の音楽を聴いていると、ときどき不思議な気持ちになる。
 彼の音楽では、親友だった伊福部にも似た力強く逞しい響きや、黒澤明の映画で聴けるような土俗的で男っぽい躍動感を強く感じるが、それと同時に、同じ人が作り出したとは思えないような、繊細でなだらかな雰囲気を感じることがある。
 勇ましい武道家が試合後に楚々とお茶を立てているような、そんな相反する感性を感じるのである。
 それがなぜなのかは、片山氏の解説を読んでわかった。
 早坂は「繊細でとりとめのない旋律、朦朧とした音色や和音、何となく始まり何となく終わるような、どうもはっきりしない形式をもっている(片)」雅楽や、「装飾的に繊細にずっと流れてゆくような(片)」ショパンや、「朦朧とした和声と音色や、つかみどころのない旋法的なメロディ(片)」をもつドビュッシーに惹きつけられていた。元々彼はそうした「曖昧さや朦朧さや、輪郭のぼやけた夢のような時間や、押しの弱さから生まれる美への志向(片)」を持っていた人だったのである。

 しかし同時に非常に周りに影響されやすい人でもあった。おそろしく感受性の強い素直な性格の人だったのである(名曲喫茶でプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番を聴いて、あまりの衝撃に失神したらしい)。だからいいと思ったものはどんどん吸収していき、その作風は周りにいる強烈な個性の人に強く影響されていく(その最大の影響者はもちろん伊福部である)。
 彼がもともと持っていたそんな「曖昧模糊」としたものを好む趣向と、時代が彼につきつけたダイナミックでエネルギッシュな民族主義。それらがないまぜになって、彼の音楽は生まれていたのである。
 「雅楽」の世界が最後には激しく荒れ狂う「左方の舞と右方の舞」(最後の最後は不思議な終わり方をするが)、また「七人の侍」を思わせる単純で勇ましい「序曲ニ調」。これらはまるで早坂という真っ白なキャンパスに、「伊福部」や「ストラヴィンスキー」という太い筆で描かれた絵のようである。しかしときおり覗く真っ白なキャンパスが、早坂の個性を強烈に印象付けてくれる。早坂、ただの模倣者であったりすることは絶対にない。

 そしてそれを最高に感じさせてくれるのが彼の最高傑作「ピアノ協奏曲」。
 まるでブルックナーのように荘重な雰囲気で開始される第1楽章。劇的で悲愴感にあふれ、ロマンティックな楽章。松平はこの楽章を「瞑想的な静謐さと、たとえば恋の苦悩に満ちたような悲しさ」があると評した。ただその深刻さから、片山氏がいう「肉親への鎮魂歌であり、敗戦国民への哀歌(片)」という表現のほうがよりぴったり来る。そんな第1楽章は早坂の本来の個性が露骨に表れているが、もうひとつの楽章は一転・・・まるで早坂が伊福部やストラヴィンスキー、プロコフィエフやショスタコーヴィチらといっしょにダンスを踊っているかのよう。ここで彼は「明るいエピキュリアン的性格と、ダイナミックな近代的性格との結合をはかった」という。この楽章は、そうした素材をかき集めて、早坂が丹精かけて自分流に再創造したかのようである。
 ・・・しかしどんなに他の人から影響を受けようが、素材を取り込もうが、主役は絶対的に早坂である。その気品ある個性は、どんな強烈な連中の影響を受けようと決して消えることはない。
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なにせ「大阪」なのである
大栗裕

8.555321J \1500 大栗裕

大栗裕(1918-1982):
 ヴァイオリン協奏曲/大阪俗謡による幻想曲/
 管弦楽のための神話
    −天の岩屋戸の物語による(管弦楽版)/
 大阪のわらべうたによる狂詩曲

下野竜也指揮
大阪フィル
高木和弘(Vn

8.555321J

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 大栗裕の作品は、ここまでのシリーズの中で最も親しみやすい音楽といっていい。日本的素材がいやというほど使われる。もう恥ずかしいほど。
 大栗はもともと吹奏楽関係者には有名な作曲家で、その作品はそのジャンルの中では定番と言ってもいい。だがクラシック・ファンにはこれまであまりなじみが無かった。

だが、これが抜群に面白い。
 なにせ「大阪」なのである。
 大阪船場の小間物問屋に生まれた大栗はバリバリの大阪人。大栗の作品には、その大阪商人の血がいやというほど注ぎ込まれている。

極端に饒舌だったり、明らかな「ボケ」と「突っ込み」があったり、なんだかすごくにぎやかで楽しそうだったり、とてもサービス満点だったり・・・。これまで紹介した作曲家も、日本の伝統音楽を自分流に噛み砕いてたくさんの作品を生み出してきているが、ここまで露骨に恥ずかしげもなくそうした素材をぶち込んできたのは大栗だけだろう。しかも陳腐の一歩手前。だからうまくはまればノリノリで非常に楽しめる。
 これはまるでタコ焼きの音楽。伝統音楽をむき身のタコにして、だしのきいた衣で包み込み、濃厚デリシャス・ソースをたっぷりつける。
 もし店主が外国人に、「ニッポン・クラシック」を聴きたい、と言われたら、間違いなくこのアルバムを薦める。親しい外国の友人には、日本の伝統的な会席料理も悪くないが、案外熱くてホカホカのタコ焼きのほうが喜ばれるんじゃないだろうか?
 大栗は朝比奈率いる大阪フィルのホルン奏者でもあり、「座付き作曲家」でもあった。だからとにかくみんなが楽しんでくれる音楽を書き続けたのである。
 ちなみに朝比奈がベルリン・フィルで大栗の「大阪俗謡による幻想曲」を指揮して大成功を収めた事件は、大阪クラシックの歴史の中では伝説となっている。
 指揮者の下野は2 0 0 1年ブザンソン指揮者コンクール優勝。これはそのあとの本格的デビュー盤となる。知り合いが所属していたアマオケに、有名になる前の下野が指揮をしにきたことがあったらしいが、あまりにも要求が厳しく、最後は決裂してしまったと言う。しかし下野はオケにも厳しいが、自分にも厳しかった。そうした妥協を許さぬ姿勢が、現在の彼の名声を築いたといえる。まるでマンガの主役のようである。
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永遠の「反・前衛派」
別宮貞雄

8.557763J \1500 別宮貞雄

別宮貞雄(1922- ):交響曲第1番(1961
             交響曲第2番(1977-1978/2005改訂)

湯浅卓雄(指揮)
アイルランド国立交響楽団

8.557763J

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 祖父は東大医学部首席卒業、父は東大工学部電気工学科首席卒業。そんな日本最高の知性の血を引いた別宮貞雄。当人も神戸一中、一校、東大理学部に進み、物理学者を目指した。・・・しかし幸か不幸か大学は戦争により荒廃し、まともに授業を受けられる体制になかった。なんとなくそのまま卒業してしまった彼は、その後哲学科に入りなおしたりもするが、24歳のとき、ついに本格的に音楽への道を歩み始める。それまでにすでに池内友次郎に師事していた別宮は、あっという間に頭角を現し、多くの作曲コンクールに入賞。大学卒業後、フランスに留学する権利を得る。

 パリ音楽院に入学した別宮はミヨーに師事(そのときたった一人の外国人生徒枠を争って別宮に負けたのがシュトックハウゼンだったらしい)。またメシアンにも多くを学ぶ。別宮はこのパリ留学で多くのものを学ぶが、ひたひたと迫り来る「前衛の波」に「居心地の悪さを感じ(片)」た。そんなこともあって彼は3年間のパリ留学に別れを告げ、ついに日本に戻った。
 ところがその日本もまた「前衛の波」にさらされていた。かつての同僚たちの多くが前衛音楽家の旗手として活躍し始めていたのである。しかし別宮は「前衛と距離を置くだけでなく、公然と歯向かった(片)。」「協和と不協和の両方があってこそ劇的な推移が生まれうるのだから、不協和にばかり頼る無調は、音楽を劇的な推移を表現しえなかった原始状態に戻すのみである。前衛音楽に認められるリズムやテンポの煩雑化も、せっかく到達したポリフォニーの喜びを人間の耳から奪うだけだ(片)。」と。
 日本最高の知性を受け継ぎ、自らも理系のスーパー・エリートだった別宮。一見すると「超・前衛」としてその急先鋒に立っても良さそうなものだが、元々の気質がロマンティストだったのだろう、「前衛の波」が彼を呑み込むことはなかった。また他の日本人音楽家より一足早くパリで「前衛の波」に遭遇し、それに対して懐疑的な思いを抱いて帰国してみたら、仲間たちが次々とその「波」に呑み込まれていった・・・、その様子を見た彼は、まるで友人たちが次々吸血鬼に犯されていくような恐怖感、疎外感を感じただろう。だから彼は余計に「前衛の波」に猛然と反抗したのである。ヘルシング教授のように。

 ここでの交響曲第1番はそんな「前衛派」と「保守派」の抗争期に生まれた、正統派のシンフォニー。ドイツ的で堅牢な構成にフランス的和声。そして美しい旋律。「正常で健全で意思的で理性を保った人間の精神活動の全体(片)」を投影した、時代を超越した作品。

 交響曲第2番はメシアンに激賞された。第1番から15年ほど経った1970年代に作曲されたが、その音楽的姿勢は全く変わっていない。感情の表出度合いは第1番ほど露骨ではないが、抑えた表現の中に別宮の知性的ロマンが凝縮されている。なんと2004年に改訂され、これがその初演だという。永遠の「反・前衛派」別宮のエネルギーはいまだ衰えていないのである。
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いやはや、ほんとにすごかった
芥川也寸志

8.555975 直輸入盤 \2000 芥川也寸志

芥川也寸志:
 オーケストラのためのラプソディ
 エローラ交響曲
 交響三章

湯浅卓雄(指揮)
ニュージーランド交響楽団

8.555975
直輸入盤 \2000

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 芥川也寸志といえば、クラシック・ファンでなくともその顔になじみがあるほどの有名文化人だった。テレビやラジオにも頻繁に登場し、さまざまな協会や財団の運営に奮闘、著作権協会の理事長として作曲家の社会的地位向上に努めた。アマオケ育成にも尽力し、政治活動にも熱心だった。父、龍之介よりもある意味有名になった。

 しかし顔と名前は知っていても、その音楽に接する機会はあまりなかった。
 それがこのアルバムを聴いて、芥川也寸志が大作曲家であることを初めて知った。
 橋本國彦の抒情的感性を継承しつつもそれをさらに過激にし、伊福部昭のすさまじさを継承しつつもそれをさらに洗練させ、そこに華麗なロシア音楽要素をねじ込みながら独自の美学でまとめあげたような音楽。
 絶対的に下品にはならないけれど、人間の持つ根源的なエネルギーをとことんまで放出させたような劇的な音楽。
 前衛に少し傾いた時期に書かれた「エローラ交響曲」にしても、難解なんてことはない。すべて身体全体で受け止める音楽。左脳の出番はない。有無を言わせないかっこよさ、すさまじさ。深い思想も屈折した哲学もなく、ただひたすら突き進むこのおそろしいほどに無防備な音楽。
 いやはや、ほんとにすごかった。まいった。もし幸いにもこれまで日本音楽に触れたことがない人がいれば、橋本と伊福部と、この芥川を聴いてみるといい。自分の中に流れる日本人の根源的なエネルギーを感じ、嗚咽さえ漏れるだろう。

 もちろん演奏のよさもあると思う。この爆発的演奏を実現した湯浅&ニュジーランド響の技量は賞賛に値する。
 湯浅は大阪人で人懐っこくとても気さくな人。なにげなくNAXOSでいろいろ録音しているが、実はとてつもない才能を持った人。職人的な人のように思われているが、その底知れぬ音楽的包容力と、人並みはずれた読解力は日本人指揮者の中でも秀でている。
 考えてみれば、日本では全く無名だったが、英EMIは15年以上前から湯浅の「シェエラザード」をリリースしていた。
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覚悟を決めて飛び込めば歓迎してくれる
黛敏郎

8.557693J \1500 黛敏郎

黛敏郎:
 シンフォニック・ムード(世界初録音)/
 バレエ音楽「舞楽」/曼荼羅交響曲/
 ルンバ・ラプソディ(世界初録音)

湯浅卓雄(指揮)
ニュージーランド響

8.557693J

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 「第2次世界大戦後の日本作曲界に現れた最初の輝かしい星(片)。」。
 武満よりはるかに早く欧米にその名を響かせ、ベルリン・フィル、ニューヨーク・フィルといった名門オーケストラに作品を取り上げられ、ハリウッド映画の音楽まで作曲。まさに戦後日本のスターでありアイドルであった黛敏郎。
 かつてそれほどの威光に包まれた黛だが、現在その音楽のCD化は思ったより進んでいない。暴力的ともいえるアヴァンギャルドな作風、「曼荼羅交響曲」、「涅槃交響曲」、「金閣寺」といった重量級の作品は、今の時代には少し不似合いか。
 しかし実際に聴いてみるとその音楽は思った以上にポピュラーで、決してこわもてではない。聴かず嫌いにならないで思い切って聴いてみたら、案外親しみやすい。
 実はそれには片山氏が言うところの、黛敏郎の2つのキャラクターが強く影響している。

 黛敏郎は外国船長の息子として横浜で生まれた。彼はほとんど日本にいなかった父親に強い憧れを抱くようになり、そこから「父性」、つまり「強いもの」、「逞しいもの」に対して強烈な執着を持つようになる(三島由紀夫とのつきあいもそれを物語る)。
 またそうした生活環境から、モダンなものに対して過敏ともいえる反応を示すようになる。それゆえ、師となった橋本國彦のダンディーさかっこよさにも強く影響を受けた。常に最高の服を着こなし、ジャガーを乗り回し、大女優と結婚、テレビ番組の司会を務めた。彼は常に人々の注目を浴び続けたし、彼自身もそれを自然に要求した。そんなふうに、常に人の注目を浴びることを宿命付けられたような人だったのである。天才ではあったが、決して厭世的ではなく、世間や大衆と隔絶しては彼は存在しえなかった。
 そんなふたつの強力なキャラクターが、彼の音楽の性格を形作った。

 彼の作品はストラヴィンスキーをさらに肉厚にしたような重厚な音響や、先鋭的で厳しい手法で彩られたアヴァンギャルドな音楽である。だが、いざ中に入ってみると思ったよりも居心地がいい。必要以上に人を排斥したり威嚇したりはしない。ちょっと見はこわもてで近寄りがたいが、覚悟を決めてその懐に飛び込めば、きちんと歓迎してくれる。まちがいなく男っぽく強くて逞しいが、孤高の存在ではなく、ちゃんと人が入れるように入り口を開けてくれている。彼は非常に面倒見のいい親分肌の人だったと言うが、音楽もそれを思わせるような懐の深さを見せてくれるのである。
 ちなみにこのアルバムでは、世界初録音となる「シンフォニック・ムード」と「ルンバ・ラプソディ」という初期の作品を収録している。これがとてもわかりやすくとても素敵な曲で、代表作とともにこれらの曲を聴くと、より黛敏郎の魅力を味わえるようになっている。黛敏郎同様、大衆のことを考えた抜群の選曲である。
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それなりの真剣な視聴態度を要求する
矢代秋雄

8.555351 直輸入盤 \2000矢代秋雄

矢代秋雄:ピアノ協奏曲
       交響曲

湯浅卓雄 指揮
アルスター管
岡田博美(P

8.555351
直輸入盤 \2000

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 矢代秋雄を語るのは案外簡単である。まるで音楽の申し子のような人だから。おそらく天使のように純粋な心を持った情熱家だったのではないか。
 矢代秋雄は日本を代表する美術史家矢代幸雄の息子として生まれ、芸術・文化に満ちた裕福な少年時代を過ごす。10歳の時にはすでに作曲家を目指して諸井三郎に師事している。おそろしく早熟だが、ここで彼は諸井から「動機の有機的で厳格な発展(片)」の重要性を学ぶ。そして作曲には感性だけでなく、確固たる書法が何よりもまず必要である、ということを体得する。
 矢代は続いて橋本國彦に師事、ドイツ音楽の諸井に対して、フランス音楽の橋本。ここで矢代はドビュッシーやラヴェルを知る。とくにドビュッシーには相当強い影響を受けることになる。また矢代自身がのちに「自身の音楽の原点(片)」と語ったフランクについて、二人の師から教わっている。

 さらに矢代は池内友次郎と伊福部昭に師事。池内からは「仕上げよく完璧に彫琢された音楽を作る(片)」ことを学び、伊福部からはストラヴィンスキーやプロコフィエフのような「緻密で力強い管弦楽法(片)」、「寡作の精神(片)」を学んだ。つまり二人から矢代は「作曲とはこうあるべき」ということを教わったのである。
 そうしてその後彼はパリ音楽院に留学。ここで自身の音楽精神、音楽技法、作曲に対する姿勢を完成させる。「数少ない作品を完璧に磨き上げて残す」、という作曲に対する彼の厳格な姿勢はフランスから帰国してからさらに極められ、その後完成した絶対音楽はわずか5つに過ぎない。しかしそのいずれも、当然のことながら日本人作曲家の残したたぐいまれな傑作ぞろい。ここに収録された2曲は特に、交響曲とピアノ協奏曲というジャンルにあっては間違いなく日本の最高傑作である。

 とはいえご想像のとおり、一聴してわかる親しみやすい作品ではない。情熱的に単刀直入に矢代が没入して作り上げた音楽、実はなかなか手ごわい。バリバリの前衛ということはないのだが、その毅然とした完成度の高さゆえ、聴く側にもそれなりの真剣な視聴態度を要求する作品なのである。
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別次元の存在
武満徹

8.555859 直輸入盤 \2000 武満徹:そして、それが風であることを知った

武満徹:
 そして、それが風であることを知った (フルート、ヴィオラとハープのための)/
 雨の樹(3人の打楽器奏者のための)/
 海へ(アルト・フルートとギターのための)/
 ブライス(フルート、2台のハープ、マリンバと打楽器のための)/
 巡り−イサム・ノグチの追憶に(フルート独奏のための)/
 ヴォイス(声)(フルート独奏のための)/
 エア(フルート独奏のための)/
 雨の呪文 (フルート、クラリネット、ハープ、ピアノとヴァイブラフォンのための)

ロバート・エイトケン(Fl
ニュー・ミュージック・コンサーツ・アンサンブル
[ノーバート・クラフト(G)、エリカ・グッドマン(ハープ)、サンヤ・エン(ハープ)、
ロビン・エンゲルマン(Per)、ジョン・ワイヤー(Per)、ボブ・ベッカー(Per)、
ラッセル・ハーテンバーガー(Per)、ライアン・スコット(Per)、他]

8.555859
直輸入盤 \2000

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 そして最後に登場するのが武満徹。
 これまで紹介してきた人たちは、その時代や生涯を追うことで、おおよそその音楽の輪郭を把握することができた。しかし武満は違う。幼少時代大連にいたが、それが彼の人格や音楽観に絶大な影響を及ぼしたとも考えにくい。またほとんど独学だったり東京芸大に入れなかったりするなど権威ある音楽教育を受けなかったため、そうした教育方面から彼の音楽について理解を進めることも難しい。またどこかの一派に加わって何かを攻撃しようとしたり、異常に擁護したりすることもない。なのでそうした主義主張の面から彼をとらえることも難しい。

彼が生み出した特別な作品は、時代がどうとか、生まれがどうとか、交友関係がどうとかと、あまり関係がないのである。
 もちろんその作曲技法は研ぎ澄まされた高度なもので、決して素人芸ではなく、その技法的な面から武満の存在を何かと結びつけたり説明したりすることはできるだろう。だが作曲技法はあくまで技法であり、感性とは別物である。あの独特の現実離れした音楽観・感性は、武満一人のものであり、特に何かの一派やどこそこの先生から影響を受けたものではない。武満は黛を尊敬し、いつも黛の真似をして作曲しているのに、出来上がったものは全然違うものになっていたように、あの感性は持って生まれたものであり、誰からも侵されなかった。
 奇跡的で突発的で突然変異的な1人の男が、ふらっと現れて、ふいっといくつかの不思議な作品を残して、ふわっと去って行った。・・・「武満」とは、そんなイメージなのである。

 だから武満を知るには、結局その音楽を聴くしかない。
 しかしその音楽が、決定的に他の作曲家と違う。これまでこのシリーズで聴いてきた人たちとは面食らうほどに違う。
 芥川や矢代とは比較するまでもなく、武満自身が最も影響を受けたと言っている早坂でさえその作風はまったく違う。同じ「前衛」にしても、松平が人を寄せつけない「前衛」で、黛は人を受け容れてくれる「前衛」などと言ったが、武満の作品にはもともと「人」というものがあまり介在しない。・・・何か宙に浮いた別次元の存在なのである。
 だから武満を聴くときは、それまでの作曲家のことはすべて忘れて、まったく白紙の状態で聴くことをお奨めする。・・・「前衛」かどうか、クラシック音楽かどうか、いや「武満」であるかどうかさえ忘れて。

 ここに収められたのは、そんな武満のフルートを中心としたアンサンブル作品集。水のような風のような。

まるで自然の風景、あるいは事象そのもののように、ただそこに在る音楽。音楽はただそこに存在し、流れ、落ち、沈み、蒸発する。さまざまな日常の事象がきわめて高度な次元に昇華されたような音楽。そこに強烈な自我や人間的個性や感情はない。極端に言うとメロディーもなければ、リズムもない。遮二無二理解しようとがんばる音楽ではなく、聴く人もただそれとともに在ればいい音楽である。
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8.557760 直輸入盤 \2000 武満徹:精霊の庭

武満徹:
 精霊の庭
 ソリチュード・ソノール
 3つの映画音楽
  『ホゼー・トレス』より訓練と休憩の音楽、 『黒い雨』より葬送の音楽、 『他人の顔』よりワルツ
 夢の時
 鳥は星形の庭に降りる

マリン・オールソップ指揮
ボーンマス響

8.557760
直輸入盤 \2000

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 そしてもう1枚のアルバムに収録されたのは管弦楽作品集。
 編成は大きくなるが、もちろん作風は変わらない。ただ、より「幻」のような「夢」のような、浮遊した感覚が強い作品が選ばれている。
 さて、その中で店主が最も心動いたのは「3つの映画音楽」。
 武満は純正クラシック音楽だけでなく、映画音楽やポップス・ソングまで手がけていて、店主は昔石川セリの武満アルバムを聴いてそのあまりの美しさに涙が出そうになったことがある。武満はそんなびっくりするようなポップス感覚も持っている人なのである。

 その武満のもうひとつの顔を垣間見せてくれるのがこの「3つの映画音楽」。その他の、現実離れした超越的前衛作品とは趣を異にする、誰もが親しめる素敵な作品なのである。
 とくに「ワルツ」。
 退廃的でロマンティックで切ない円舞曲。映画の中では「ナチ台頭期のワイマール共和国の記憶をだぶらせるような音楽(片)」として使用されたというが、その作成の過程はあえて忘れて、出来上がったこの美しい音楽をただただ享受してほしい。初めの頃は、この3分足らずの1曲のためだけに、このアルバムを何度もかけた。
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