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これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第9弾
ニヒルで凄惨で美しい血の匂いがする
モーツァルト:交響曲第41番
クレメンス・クラウス指揮&ウィーン・フィル
1CD-R\1200→\990


 改めて聴いてやはりすごいと納得。

 ギュルギュルと渦巻きのように突進する第1楽章、優雅な中に不吉さがよぎる第2楽章、生命感あふれ躍動するメヌエット、第1楽章同様あえて終末に駆け急ぐ終楽章。
 すべてに殺気立った緊張感が張り詰めるジュピターとしては異色の快演。

 大人物の私生児と噂され、ナチスの党員として活躍し、戦後活動自粛に遭うもその後復権、ウィーン国立歌劇場音楽総監督を狙い対抗馬の一人エーリヒを策略で追い落とし、ベームと決戦、敗北を帰し、逃げるように一人メキシコに飛びそこで心臓発作を起こしてこの世を去った、最高に俗物の男クレメンス・クラウス。

 「優雅で粋」などという一般的なイメージとはかけ離れたクラウスの、「ウィーンの優雅さ」ではなく、権謀術数と権力闘争の魅力あふれたピカレスク満載の1枚。
 いま日本ではまったく人気のないクラウスだが、これはお薦め。

 いつの頃からかクラウスの「俗物的演奏」ばかり追いかけている。
 いつかCD-Rでリリースされた「ニュー・イヤー・コンサート1954」のライヴは、洒落た優美さと洗練された悪を思わせるデモーニッシュな香りを満面にたたえたウィンナ・ワルツ満載。

 クラウスには裏で何をやっているか分からない、ニヒルで凄惨で美しい血の匂いがする。


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 昔DISQUE REFRAINで出ていたが、そのときはピッチが高く、すごい演奏だということはわかっても人にお薦めすることはできなかった。
 今回RE DISCOVERで出直しになるに当たり、ピッチが直っているといいなと思っていたが、バッチリ!直っていた。



RE! DISCOVER
RED 51
モーツァルト:交響曲第41番
ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲
レスピーギ:交響詩「ローマの泉」
クレメンス・クラウス指揮
ウィーン・フィル

1940-50年代の録音。モノラル。
DR 920041で出ていた。
クラウスの優雅な演奏だと思っていたらとんでもない、ギュルギュルした勢いで怒涛の展開。
ルフランで出ていたときはピッチがおかしかったが今回修正している。


 クレメンス・クラウスはウィーン宮廷歌劇場のソロ・バレリーナ、クレメンティーネ・クラウスの私生児としてウイーンで生まれた。
 クラウスの容姿から父親はハプスブルク家の人物ではないかという噂が絶えず、バルタッツィ侯爵、ヨハン・ザルヴァトール大公、あるいは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世などと言われている。
 10歳でウィーン少年合唱団に入団し、その後ウィーン音楽院で作曲家リヒャルト・ホイベルガーに学び、1929年にフランツ・シャルクの後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に、また翌年ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの後任としてウィーン・フィルの常任指揮者に就任する。
 1934年に国立歌劇場を失脚してウィーンを離れた後、1935年にナチスと衝突して辞任したエーリヒ・クライバーの後任として、ベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任する。
 また1937年には、ナチスによって辞任に追いやられたハンス・クナッパーツブッシュの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任する。
 1941年からはやはりナチスによりザルツブルク音楽祭の総監督に任命されている。
 この戦前、戦中のナチスとの協力関係が後に指弾されることになるが、クラウスはフルトヴェングラー同様に最後までナチス党員ではなく、ナチスの下で要職に就く一方、ナチスの手からユダヤ人音楽家を少なからず救ったとも言われている。

 第二次世界大戦終結直前の1944年、空襲が激しくなったウィーンに戻ってウィーン・フィルと行動を共にする。
 1945年、ソ連軍がウィーンを目前に迫った4月2日にウィーン・フィルと戦中最後の演奏会を行い、ソ連軍によるウィーン占領直後、オーストリア独立宣言の日(4月27日)には、解放記念コンサートでウィーン・フィルを指揮した。
 その後、ナチスに協力したという容疑で連合軍により演奏活動の停止を命ぜられたが、1947年に非ナチ化裁判において無罪となり、活動を再開した。

 戦前の華麗な経歴とは対照的に、戦後は特に重要なポストに就くことはなかったが、生粋の劇場人であるクラウスは、1955年に再建予定のウィーン国立歌劇場の音楽監督への復職を切望しており、そのためにライヴァルのエーリヒ・クライバーに対する妨害工作を行ったといわれている。
 しかし最終的に、時の文部大臣の指示によりカール・ベームが次期監督に決定。決定の直後に失意のクラウスはメキシコへ演奏旅行に出かけ、演奏会直後に心臓発作のため急逝した。

 クラウスはメキシコには行きたくなかったので、わざと主催者側に高額の報酬を要求したが、その要求が受け入れられてしまったため行かざるを得なくなったと言われている。





これもよろしければ。


RM 471/2-M
(2CD-R)
\3400→\2980
クラウス、最後のニューイヤー
 ニュー・イヤー・コンサート1954 
クレメンス・クラウス指揮
ウィーン・フィル

 クラウスはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と最もかかわりの深い指揮者の一人であるが、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを1939年に始めたのはクラウスである(ただし当初は12月31日に行われ、1941年から1月1日にも開催されるようになった)。

 これはクラウスにとっても最後の年のもの。
 この年まで、戦争中の1945年(中止)と戦後の活動停止期間(1946、1947年クリップス)を除くすべての年でクラウスが指揮している。
 この半年後にクラウスはメキシコで亡くなる訳である。





これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第8弾
≪史上最悪・最凶・極悪のブラ1≫
アーベントロート&バイエルン国立管 1956 / ブラームス:交響曲第1番


これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第7弾
轟音あげて走り過ぎ去っていく、おそらく史上最速
マゼール指揮&バイエルン放送響 / ベートーヴェン:交響曲第7番終楽章



これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第6弾
チェリビダッケ、38年ぶりのベルリン・フィル復帰公演
ブルックナー:交響曲第7番


これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第5弾
これをライヴで聴いた人たちは翌日から普通に日常生活を送れたのだろうか
クラウス・ペーター・フロール、北ドイツ放送響との「悲愴」


これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第4弾
ザンデルリンク指揮&ケルン放送響
シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」


これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第3弾
1977年8月27日ザルツブルク / カラヤン指揮&ベルリン・フィル/マーラー:交響曲第6番

これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」第2弾
バーンスタイン&ベルリン・フィル、たった一度の演奏会・・・その無修正版
1979年10月4日ベルリン マーラー:交響曲第9番


これだけは聴いておいた方がいい「名演奏家ライヴCD-R」シリーズ第1弾
言わずと知れたあのリスボン・ライヴ
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル/ブルックナー 交響曲第8番 1994/4/23 リスボン










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