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これだけは聴いておいた方がいい
「半世紀前の名演奏家ライヴCD-R」
愛と勇気と情熱の指揮者
こんな男がいたのだ
リチャード・バージン
ボストン交響楽団との「復活」
(2CD-R)\3400
オケは下手である。
「ここは難しい」というところで管はことごとくひっくり返る。
「こりゃあ、あんまりだろう、どこのB級オケだ?」と思ってオケの名前を見る。
ボストン交響楽団。
え?ボストン?
年代を見る。
1960年。
え??
1960年のボストン響・・・、すでにアメリカ屈指の楽団としてその名を轟かせていた。
ミュンシュ、モントゥーの輝かしい録音ももうとっくに登場している。
なのになんでこんなに下手なんだ。
そう思ってようやく指揮者を見た。
バージン。
え・・・
そうだったか・・・リチャード・バージン Richard Burgin 。
リチャード・バージンは1892年、ポーランド出身の指揮者。
6歳でヴァイオリンをはじめ、ベルリンでヨーゼフ・ヨアヒムの指導を受け、ペテルブルク音楽院でレオポルト・アウアーに師事した。
1920年にモントゥーに招かれアメリカにわたりボストン交響楽団のコンサートマスターとなリ、さらに1927年からクーセヴィツキーのアシスタントとして指揮をするようになった。
1960年代にはボストン響をかなり指揮していて、1960年の初来日の折には、ミュンシュやコープランドに同行して、マーラーやチャイコフスキーを指揮している。(松山での公演もこの人だったらしい。)
ただ、この人をご存知の方は少ないと思う。
要は録音が残ってないのである。
スーパースターのミュンシュやモントゥー、クーゼヴィツキーの陰に隠れ、コンマスをやりながら、状況に応じて必要があれば指揮をする・・・そんな完全に縁の下の力持ち的存在だったんだろう。
日本公演のときも、松山や大分や長岡のような地方都市のときはバージンが請け負っている。おまけに重労働が災いしたのか、最後の公演ではついに倒れている。
そういう損な役回りの、都合のいい指揮者だったのか・・・、そんな人にわざわざレコード会社が録音をしようと言ってくるはずもない。
でもそう言われると、この人の大曲録音は残っていないのかと探してみたくなる。
そう思っていたときに出てきたのがこの「復活」だったわけである。
・・・それなのに、この下手さ。
ひょっとしてあれか。
モントゥーやミュンシュじゃない二線級の指揮者のときは、オケも二軍みたいな連中が来て弾いているというわけか。
それか気も抜けてしまってやる気もないのか・・・
・・・ということでちょっとがっかりしながら聴いていたのだが・・・・
なんか違うのだ。
下手は下手なのだが。
相変わらず管楽器は思いっきり外してるのだが。
熱いのである。
むちゃくちゃ熱いのである。
なんだか異常に熱いのである。
異様なエネルギー、高揚したパッション、若さあふれる絶倫パワー。
なんなんだ、この情熱は?
普通こんなに音を外したら
1973年8月28日、マーラー:交響曲第5番
でのベルリン・フィルみたいにヘニョヘニョになりそうなのに、そんな様子は微塵もない。
どこかの野球部の監督が言っていた。
「エラーしても攻め続けてくるチームが一番怖い」
そんな感じ。
どんなにミスしても音を外してもまったくへこたれることなくガンガン突き進んでくる。
なんなんだ、この連中。
同じ下手でも、練習不足のベルリン・フィルより全然すごい。
技量はなくてもハートは熱い。
卒業公演で涙を流しながら演奏している学生オケのように熱い。
若い連中が多いのか、終楽章になってもそのタフさは変わらず、いや、・・・それどころか終わりに近づくにつれてそのパワーはさらに増していく。
下手だろうが何だろうが、なりふりかまわず想像を絶する推進力と圧倒的な生命力でこちらに迫ってくる。
異様なスタミナ。おそるべき集中力。無謀なほどの燃焼度。
聴いている手が汗ばむのは外の暑さのせいではない。
そして迎えた大団円。
この破天荒な「復活」は、並み居る歴代の名盤・名演を押しのけるほどの驚天動地のラストを迎える。
この音楽には命と情熱がある。
ここには音楽を愛する人々の勇気と喜びがある。
なぜだ、なぜこんな演奏ができるのだ??
ここからは店主の想像である。
1920年にバージンはボストン響にやってきた。
そしてそれから数十年、彼はずっとこの楽団と共に生きてきた。そして次々と入ってくる楽団員と共に生きてきた。
楽団最古参だろうが(1960年の時点で68歳、楽団在任40年)、決して偉ぶることなく楽団の連中と共に生きてきた。おそらく楽団員を恫喝したり怒鳴ったりすることはなかっただろう。
ときおり指揮をすることもある、しかしそのときのバージンはミュンシュやモントゥーのような天上のカリスマではない。
苦楽を共にし、いつも情熱を分かち合ってきた仲間。
ひょっとすると、バージンのときは控え組や二番手の奏者が出てくることが多いかもしれない。
しかしそんな彼らがバージンの前では燃えるのだ、遠慮なく自分たちの力を発揮させてもらえるのだ。
みんな生き生きと心の底から音楽の喜びを分かち合えるのだ。
バージンは彼らにとって仲間の棟梁であり、愛すべきボスだったに違いない。
だからここで聴けるのはカリスマ指揮者によって築き上げられた畏怖すべき演奏ではなく、オケの黄金時代を築いた者同士が共に作り上げた熱く燃え盛る情熱と喜びに満ちた演奏。
そんなバージンが、このあと、苛烈なトレーナー、鬼将軍ラインスドルフの音楽監督着任と共に引退したというのは偶然ではないだろう。
ミュンシュ末期の技術低下の責任がバージンにあったとはもちろん言わないが、しかしバージンの退任とともにこのマーラーで聴けるようなおそるべきスケール感もなくなったかもしれない。
この男の演奏の下に広がるこの異様なるスケール感、異様なる高揚感、異様なる愉悦感。
この音楽はすべて、バージンとその手下たちが作り上げたのだ。
・・・以上はすべて店主の想像。
しかし演奏後の鳴り止まぬ拍手と歓声を聴けば、店主の言ってることもあながち間違ってないと思われるはずである。
そしてバージンという指揮者が、楽団員と同じくらいボストンの市民にも愛されていた・・・、そんなことを思われるはずである。
リチャード・バージン。
こんな男がいたのだ。
RARE MOTH
RM-617/8-M/S
(2CD-R)
\3400
マーラー:交響曲第2番「復活」
1960年2月27日、モノラル
ナンシー・カール(S)
エヴィンス・アルバーツ(Cont)
リチャード・バージン(指)
ボストン交響楽団
ボストン・プロ・ムジカ
ストラヴィンスキー:カンタータ「星の王」
1962年1月19日、ステレオ
後にボストン響はラインスドルフや小澤とマーラーを手がけているが、この時代にはほとんどマーラーの録音は残っていない。
「復活」の録音は小澤だけではないか。モントゥーもミュンシュも交響曲は録音していない。
50年代から60年代初頭にかけてのボストンでは、バージンがマーラーを担当しているようなところがある。
貴重なライヴ音源を提供してくれる「
名演奏家ライヴCD-R
」。
フォーマットはCD-R、ブックレットも極めて簡素、音質もさまざまで音飛びやノイズが入ることもありえるようなきわめてマニアックな音源です。なので本当にかなりのマニアの方で、こうしたアイテムに免疫がある方でなければ近寄らないほうがよいでしょう。
CD-Rは通常のCDとは違いレーザー光線で情報を記録するメディアですが、再生方法・保存方法はCDとまったく同じです。ただ光には弱いのでお気をつけください。また、水に濡れると表面の印刷が落ちることがあるのでご注意ください。
そんなバージンの数少ない交響曲録音
VIBRATO
2VHL 338
(2CD-R)
\3400
(1) C.P.E.バッハ:弦楽のための協奏曲 ニ長調
(2)マーラー:交響曲第3番
R・バージン指揮
ボストン響
F・コプレフ(Ms)(2)
プロ・ムジカ合唱団(2)
(1)1955年4月2日、モノラル、(2)1962年1月19日、ステレオ ライヴ
1962年のマーラー。バージンはこのシーズンでボストン響を退いている。
EN LARMES
ELS 12-896
\1700
ブルックナー:交響曲第5番<シャルク版>
バージン(指)
ボストン響
1959年12月26日 シンフォニーホール
*鮮明なステレオ録音
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