交響曲
第2番 |
公に出た最初の交響曲、第2番。パリで学んだレイボヴィッツの影響が最も色濃く出た作品。
そう言う意味ではペッティション節はそれほど聞かれない。 |
交響曲
第3番
第4番 |
パリから戻り、レイボヴィッツの影響から実験的な色合いを見せながら、けっして前衛への安易な道へは流れないペッティションの強烈な個性。
第3番、第4番ともに、ひょっとして大作曲家になれるかも、という片鱗を見せてくれるのが嬉しい。実際は全く認められなかったが。 |
交響曲
第5番 |
第6番からはじまる大悲劇交響曲シリーズの前奏曲とも言うべき作品。第4番までの実験的な作風から、ついにペッティション節が聞かれ始める。
まだ「悲痛」というよりは「哀しみ」といった程度だが、一般の方はこれくらいの作品で止めておいたほうがいいかも。でも「哀しみ」も、全曲ずっと続くと喜劇か。 |
交響曲
第6番 |
これぞペッテション。60分にわたってこれでもかとこれでもかと人生の悲痛さを訴えかけてくる絶望的な作品。これが単一楽章だから逃げ場はない。 |
交響曲
第7番 |
その第6番の悲痛さを絵空事に変えてしまうほどさらに絶望の底の底に潜り込んでいく第7番。
どうしてこの作品がドラティの指揮で批評家からも聴衆からも熱心に受け容れられたのか・・。
「人生の苦しみと正面向いて立ち向かえ」と半狂乱になって説得しておきながら、結局救いは与えてくれない。 |
交響曲
第8番 |
第7番の大成功の後に書かれた、彼の交響曲中最高傑作と呼ばれている第8番。
彼の作品としては珍しく、透明な抒情性をたたえた音楽。 |
交響曲
第9番 |
ペッティションの交響曲に人気のランクをつけるとすれば(何人が投票してくれるかわからないが)、第1位はこの第9番か?
本来演奏不能と言われ(100分近くの単一楽章交響曲など一体誰が演奏するだろう)ていたが、実際はCD1枚に入る長さだった。
しかし、第6、第7、第8と続いた「人生の悲劇」への哀しみ絶望が、ここへきて突き抜けて・・・・いくはずもなく、さらにパワーアップして眼前に露出してくる。
「ほら、こんなに苦しいんだ、苦しいだろ、でも逃げるなよ、逃げるなよ、どうせ逃げられないんだから、逃げたって無駄なんだから、どうせ負けるんだから」と。
・・もうやめろ。 |
交響曲
第10番
第11番 |
晩年多くの病気に苦しめられたペッテションだが、70年の始めには重い腎臓病を患った。
その入院期間中に書き始められたのがこの第10番と第11番。
苦しみ・哀しみへの怒りが外に向かって爆発したのが第10番で、それらが内に向かっていって昇華を遂げたのが第11番、ということらしいが、いずれにしても暗く沈痛な作品であることに変わりはない。 |
交響曲
第12番
「広場の死者」 |
合唱を伴う第1 2番は1 9 7 3年に委嘱された大作で、政治的なテキストも話題となった作品。
チリの左翼系詩人パブロ・ネルダのテキストを引用。全9楽章、延々と悲痛で神秘的な歌が歌われる。
打楽器もすごい。 |
交響曲
第13番 |
またもやペッテション節炸裂。
70分間ノンストップの悲劇の押し売りにあなたはどこまで堪えられるか。
よほど体力に自信のある方でなければ全曲聞きとおすことは不可能。家族のいる方はやめたほうがいい。
(ただ途中ちょっといい感じのところがありますが・・) |
交響曲
第14番 |
少し穏やかにきこえた第15番と同じ年に作られながら、対象的に、「いや、やはり音楽は悲痛でなければならぬ、私が一見幸せそうに見えるのは実は錯覚なのだ、実際私は癌と戦いとてつもない悲劇に見舞われているではないか」と、精一杯自らの悲劇性を搾り出しているかのような作品。 |
交響曲
第15番 |
死の2年前、といっても彼にとっては最も創作意欲が盛んだった’78年の作品。
スウェーデンの作曲家としては最高のランクに位置付けられていた頃の彼の、さすがに穏やかで、聞いているものに多少の安らぎを与えてくれる音楽。 |
交響曲
第16番 |
完成した最後の交響曲。中期から続いた「ペッテション節大悲劇シリーズ」は第14番で一段落し、この作品ではこれまで聞かれなかった軽い勢いのようなものすら感じさせる。
死を目の前にしてして人生の苦痛から逃れることを察知しようやく安らかな境地に至ったか。
完成したのは死の前年である。ちなみにサックスの超絶技巧部分があり、この楽器を演奏する人からは恐れられている難曲でもある。 |