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ピアノ・マニアのための
PIANO CLASSICS 特価セール
1CD\2500→\1290
「その3」 16タイトル
~9/1(火)午前9時



 その名も「PIANO CLASSICS」である。
 「お菓子の国」とか「野球王国」なみにド直球。
 ピアノ・マニアのピアノ・マニアによるピアノ・マニアのためのレーベル。それ以上でもなければそれ以下でもない、しかしピアノ・マニアにとってはまさに垂涎。

 登場するピアニストの顔ぶれを見ればこのレーベルのすごさはお分かりいただけると思う。
 ヴィンチェンツォ・マルテンポ、アレッサンドロ・デリャヴァン、ルーカス・ゲニューシャス、ヴァレリー・クレショフ、ジョヴァンニ・ベルッチなどなど今が盛りの(そしておそらくまだそんなにギャラが高くない)アーティストたちを起用してバリバリガリガリ録音させているのだ。当然、いまは無名だが実はとんでもない名手もいるかもしれない。

 そんなPIANO CLASSICS。異常に安いのでこれは現地在庫の処分特価セールなのだと思う。

 セール用在庫の数は限られているようなので気になるものはお早めに。






 PCL10251
\2500→\1290
愛と死をテーマにしたリスト・アルバム
 絶望で終わる「冬の旅」、「怒りの日」が鳴り響く「死の舞踏」
  レオナルド・ピエルドメニコ(ピアノ)


フランツ・リスト(Franz Liszt)[1811-1886]

「冬の旅」(Winterreise, 12 Lieder von Franz Schubert)S.561 [1839]
 1. おやすみ(Gute Nacht) 4:48
 2. 幻の太陽(Die Nebensonnen) 4:39
 3. 勇気(Mut ) 1:14
 4. 郵便馬車(Die Post) 2:39
 5. かじかみ(Erstarrung) 2:53
 6. あふれる涙(Wasserfluth) 2:40
 7. 菩提樹(Der Lindenbaum) 5:14
 8. 辻音楽師(Der Leyermann) 1:59
 9. 幻覚(Tauschung) 1:20
 10. 宿屋(Das Wirtshaus) 4:47
 11. 嵐の朝(Der sturmische Morgen) 0:54
 12. 村で(Im Dorfe) 3:41

13. 「グレートヒェン」(ファウスト交響曲 第2楽章)(Gretchen from Faust Symphonie) S.513 [1874] 17:53

14. 「死の舞踏」(Totentanz- Danse Macabre for pianoforte)S.525 [1847] 15:13
レオナルド・ピエルドメニコ(ピアノ)

 愛と死をテーマにしたリスト・アルバム。
 シューベルトの「冬の旅」から12曲を選んで曲順を変えて絶望で終わるようにした編曲と、「怒りの日」のパラフレーズで名技満載の「死の舞踏」の編曲、およびファウスト交響曲の第2楽章「グレートヒェン」を収録。
 演奏はイタリアの名手レオナルド・ピエルドメニコで、Piano Classicsでのリスト・アルバムはこれで3枚目となります。



 フランツ・リストの楽譜収入は、出版状況などから「ピアノ曲」よりも「ピアノ編曲」の方が多かったと考えられています。「ピアノ編曲」の元ネタは、自身の作品と他の作曲家の作品で、当時人気のあった音楽にあやかるだけでなく、自身の管弦楽作品や、知名度は低くても良質な音楽を名技を織り込んで紹介するのが主な目的です。
 愛と死をテーマにしたこのアルバムでは、シューベルトの「冬の旅」から12曲を選んで曲順を変えて絶望で終わるようにした編曲と、「怒りの日」のパラフレーズで名技満載の「死の舞踏」の編曲、およびファウスト交響曲の第2楽章「グレートヒェン」を収録。
 演奏はイタリアの名手レオナルド・ピエルドメニコで、Piano Classicsでのリスト・アルバムはこれで3枚目となります。




「冬の旅」S.561 (トラック1~12)

 1839年に編曲。
 リストはシューベルトの作品がまだあまり知られていない時代にその作品に注目しており、1838年にまず十数曲の歌曲編曲をウィーンのディアベッリとハスリンガーから出版。それらが売れ行き上々で成功すると、「冬の旅」と「白鳥の歌」の編曲も出版するよう要請。
 シューベルトに関しては紹介者として貢献したリストは、24曲から成る長大な連作歌曲集「冬の旅」から12曲を選び、曲順を変更してドラマの流れを絶望で終わる形に明確化して圧縮、ピアノの名技も盛り込んで聴き映えのするアレンジとしています。




「グレートヒェン」S.513 (トラック13)

 フランツ・リストは元々はドイツ語話者ですが、友人のベルリオーズから1830年代にフランス語訳によってゲーテの「ファウスト」を紹介されています。しかしすぐには作曲に取り掛からず、構想を開始するのは1840年代に入ってからのことでした。リストはファウスト博士のブルジョア的な様子とマルガレーテへの卑怯な対応に共感できず、1850年に「ファウスト」フランス語翻訳者のネルヴァルがワイマールに滞在した時に熱く議論したことや、1852年にベルリオーズから「ファウストの劫罰」を献呈されたこと、1854年にゲーテの伝記を書くために活動していたイギリス人がリストの自宅を訪れた時に語り合ったことを経て、同年8月にようやく作曲を本格化してオーケストラだけの初版を10月に完成。1857年に自身が指揮して初演しますが、同年に神秘の合唱をエンディングに加え、そのヴァージョンの初演は1861年に義理の息子のビューローがおこない、1880年には第2楽章に10小節を追加して決定稿としています。
 ピアノ編曲については、1862年に2台ピアノ版を作成し、1874年に第2楽章のみピアノ独奏への編曲をおこなっており、このCDにはその独奏版を収録。
 ファウスト博士のブルジョア的平凡さをあまり好まなかったリストですが、グレートヒェンについてもゲーテの描いた汚れた要素にはあまり注目せず、壮大化されたファウスト博士の思い描くピュアな存在としてあくまで美しく描いています。




「死の舞踏」S.525 (トラック14)

 オリジナルはピアノと管弦楽の為の作品で、1847年から1849年に作曲したのち、1853年に改訂したものが第1版。1859年から1964年にかけて改訂したものが第2版で、1865年にビューローにより初演。2台ピアノ用の編曲が1859~65年のどこかでおこなわれ、ピアノ独奏版はその翌年に作成されています。
 グレゴリオ聖歌「怒りの日」を用いた最初の成功例は1830年に書かれたベルリオーズの幻想交響曲で、リストは1833年にピアノ独奏用に編曲して大成功しています。
 オリジナルのピアノ曲で用いた先例としては、1837年に完成したアルカンの「悲愴な様式による3つの曲」の第3曲「死せる女」があり、アルカンは作品をリストに献呈していました。
 リストは若い頃から死に関心を持ち、死刑判決を受けた人々に会うために刑務所の地下牢を訪れていたという逸話があるほか、1838年にはイタリアのピーザのカンポサント(墓所)にあるブオナミート・ブルッファマッコ[1262-1340]の「死の勝利」を見て感銘を受けています(下の画像)。





レオナルド・ピエルドメニコ(ピアノ)

 1992年、イタリア中部アブルッツォ州に誕生。地元ペスカーラの音楽院で学んだのち、2017年にローマの聖チェチーリア音楽院の修士課程を優等で修了。
 2017年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで「レイモンド・E・バック」審査員特別賞を受賞。
 ソリストのほか室内楽にも力を入れており、チェロのエリカ・ピコッティとデュオを組んで活動。
 フランツ・リストの作品を収録したデビューアルバムは、英グラモフォン誌のエディターズ・チョイスを獲得し、ドイツ音楽批評家連盟賞の年間最優秀録音賞にノミネート。
 また、最近ではショスタコーヴィチがストラヴィンスキー「詩篇交響曲」の管弦楽パートをピアノ4手に編曲したヴァージョンのイタリア初演をおこなっています。




 PCL10272
\2500→\1290
ドヴォルザーク協奏曲集
 ピアノ協奏曲は原典版、高解像度演奏!


 ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲 Op.33 (トラック1~3)
 ドヴォルザーク:チェロと管弦楽のためのロンド Op.94 (トラック4)
 ドヴォルザーク:ヴァイオリンと管弦楽のためのマズレク Op.49 (トラック5)

レオナルド・ピエルドメニコ(ピアノ/Op.33
マルケータ・チェピツカー(ヴァイオリン/Op.49
 
ダヴィド・マトウシェク(チェロ/Op.94
 
チェコ室内フィルハーモニー管弦楽団
 
ヴァハン・マルディロシアン(指揮)


録音:2022102829日、パルドゥビツェ、スーク・ホール


 ピアノ協奏曲は原典版での高解像度演奏!

 座席数約800のプラハ国民劇場仮劇場での規模感で書かれたピアノ協奏曲は、室内オケとの相性が良いようで、ここではまるで室内協奏曲のような濃密さと迫力を兼ね備えた演奏を高解像度な録音で聴くことができます。
 このアルバムの演奏は室内オケで一貫しているため、「ピアノ協奏曲」だけでなく、組み合わせの「マズレク」も「ロンド」も素材が明晰に示されるのが嬉しいところで、3曲ともにソロとオケの各パートが密接に対話し絡み合う作品であることがよくわかります。

  


● ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲 Op.33 (トラック1~3)

 作曲時間を増やしたかったドヴォルザークは、1871年にプラハ国民劇場仮劇場管弦楽団のヴィオラ奏者を辞し、個人レッスンで生活することにします。しかし、1873年11月に19歳のアンナと結婚してアパート暮らしを始めたことでレッスンでは賄えなくなり、劇場裏手にある教会のオルガニストとして働くようになりますが、報酬はオーケストラ楽員時代の3分の1ほどで、1874年4月には子供も生まれて家計はさらに悪化。
 そんな中。友人の勧めであまり期待せずに政府(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)の奨学金審査に交響曲第4番などを送ると、翌1875年1月、ウィーンの文化省から合格通知が届き、2月には奨学金400グルデンが支給されています。これは当時のドヴォルザークの教会での固定給年収の3倍以上に相当する金額でした。このお金で借金を返済し、五線譜も大量に買い込むなどして、心にも時間にも余裕のできたドヴォルザークは、以後、4年連続で奨学金を得ることに成功し、やがて審査員のひとりであるブラームスの知己も得て有名作曲家の仲間入りを果たすことになります。
 ピアノ協奏曲が書かれたのは、弦楽五重奏曲によって2度目の奨学金を勝ち取った1876年のことで、若いピアニストのカレル・スラコフスキー[1846-1919]の演奏に触発され、8月から9月14日にかけて作曲。初演は1年半後の1878年3月24日、スラコフスキーのソロ、アドルフ・チェフ[1841-1903]の指揮により、ドヴォルザークの古巣でもある仮劇場管弦楽団の演奏でおこなわれています。この仮劇場は座席数約800の小さな劇場で、当時のドヴォルザークのオーケストラ・サウンドのイメージ醸成に貢献したことは確実です。
 このピアノ協奏曲は、一般的なピアノ協奏曲とは異なると批判されることも多かったようですが、一般化を意識しなかったのはむしろ立派なことですし、ドヴォルザークの想定した規模感で聴けば、ピアノとオケの各パートの絡みが室内協奏曲的な面白さで迫ってくるのがたまりません。
 名手ピエルドメニコのピアノと、マルディロシアン指揮チェコ室内フィルの演奏は、そうした作品の魅力を細部まで超高解像度で引き出すもので、迫力にもすごいものがあり、複雑な味わいに富む原典版こそドヴォルザークの真意が反映されたものあることを納得させてくれます。

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● ドヴォルザーク:チェロと管弦楽のためのロンド Op.94 (トラック4)

 1892年、ドヴォルザークは、チェロのハヌシュ・ヴィハン[1855~1920]、ヴァイオリンのニストのフェルディナント・ラハナー[1856~1910]とともにピアノ・トリオを組んでボヘミアとモラヴィアを巡演。このロンドはその際に披露する新曲としてチェロの腕前の披露を目的に用意されたチェロとピアノのための作品で、1891年12月25日から26日にかけて作曲。ピアノ・パートを室内オケ(オーボエ2、ファゴット2、ティンパニ、弦楽)に置き換える編曲作業は、1893年10月16日から22日におこなわれており、翌年、ベルリンのジムロック社から両方のヴァージョンが出版され、ヴィハンに献呈。
 曲は「A-B-A-C-A-B-A」のロンド形式で書かれており、民俗音楽のイディオムによる魅力的な音楽が多彩な表情で展開されていきます。

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● ドヴォルザーク:ヴァイオリンと管弦楽のためのマズレク Op.49 (トラック5)

 1878年に「スラヴ舞曲集」を出版して大きな利益を上げたフリッツ・ジムロック[1830-1901]は、さらにヴァイオリンとピアノのための作品を出版することを熱望してドヴォルザークに手紙を書き「ハンガリー風、スラヴ風、ボヘミア風、あるいは他の新しい、しかし馴染みのあるもの!」を書くよう懇願。ドヴォルザークは翌1879年1月に手紙で承諾を伝え、翌月に「マズレク」を作曲。その際にピアノ・パートを室内オケ(クラリネット2、ファゴット2、ホルン2、ティンパニ、弦楽)に編曲したヴァージョンも完成。初演は1879年3月29日、フェルディナント・ラハナーとズデニェク・フィビフ[1850-1900]によって行われ、同年にデュオ版、オケ版ともにジムロックより出版。話題性を考慮しパブロ・デ・サラサーテ[1844-1908]に献呈。
 曲は3部形式で、ポーランドのマズレクのスタイルをさらに強調・変容して仕上げています。


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● レオナルド・ピエルドメニコ(ピアノ)

 1992年、イタリア中部アブルッツォ州に誕生。地元ペスカーラの音楽院で学んだのち、2017年にローマの聖チェチーリア音楽院の修士課程を優等で修了。
 2017年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで「レイモンド・E・バック」審査員特別賞を受賞。
 ソリストのほか室内楽にも力を入れており、チェロのエリカ・ピコッティとデュオを組んで活動。
 フランツ・リストの作品を収録したデビューアルバムは、英グラモフォン誌のエディターズ・チョイスを獲得し、ドイツ音楽批評家連盟賞の年間最優秀録音賞にノミネート。
 また、最近ではショスタコーヴィチがストラヴィンスキー「詩篇交響曲」の管弦楽パートをピアノ4手に編曲したヴァージョンのイタリア初演をおこなっています。
 CDは、Piano Classicsから発売。

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● ヴァハン・マルディロシアン (指揮)

 1975年、アルメニアのエレヴァンに誕生。1993年にパリに移住。1996年にパリ音楽院を優秀な成績で卒業。指揮者、ピアノ・ソリストとして活躍。長年、フランスのカーン交響楽団の首席指揮者、アルメニア国立室内管弦楽団の音楽監督を務め、2019年より香港室内管弦楽団の首席指揮者を務めています。マルディロシアンは、ヨーロッパとアジアで定期的に客演指揮者として招かれており、これまでに、プラハ放送響、ロワール国立管、アルメニア・フィル、プラハ・フィル、チェコ室内管、レバノン・フィル、アマルガム管、トゥーロン歌劇場管、ノヴォシビリスク・フィル、東京フィル、N響、日本フィル、ブルガリア国立管、ウクライナ国立フィル、関西フィル、ロシア・フィル、新日本フィル、九州響などを指揮。2017年にはピアニストとしてカーネギー・ホールでピアノリサイタルを開催。
 CDはこれまで、Brilliant Classics、Intrada、Transart、Skarbo、Warner、Cypres、Quadrigaなどから発売。


 





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\2500→\1290
リトヴィンツェヴァによるラフマニノフ・アルバム

セルゲイ・ラフマニノフ [1873-1943]
 (1)ピアノ協奏曲第1番 嬰ヘ短調 Op.1 [1890-1891、1917] 
 (2)ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 Op.36 [1913、1931] 
  コレッリの主題による変奏曲 Op.42 [1931]

エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ(ピアノ)
北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァハン・マルディロシアン(指揮)


録音:
 (1)2021年11月5日、ドイツ連邦共和国、ノルトライン=ヴェストファーレン州ヘルフォルト、シュタットパルク・シュッツェンホーフ(ライヴ録音。終演後の拍手入り)
 (2)2023年3月27日、11月6日、オランダ王国、ユトレヒト州、フェーネンダール、ストゥディオ・ファン・スクッペン


 ピアノ協奏曲は冒頭からハイテンションのライヴ録音。

 2011年からドイツを拠点に活動するピアニスト、リトヴィンツェヴァによるラフマニノフ・アルバム。
 ロシア帝国時代のピアノ協奏曲第1番(1891年)とピアノ・ソナタ第2番(1913年)、およびスイスで書いたコレッリ変奏曲(1931年)を収録。協奏曲とソナタは、ラフマニノフがのちに手を加えて更新した現行版楽譜を使用。
 協奏曲の共演はマルディロシアン指揮北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団で、ピアノもオケも個々の素材を明確に示しながら作品構造を浮き彫りにしており、緩んで平板になったり甘ったるくなったりすることがないのがさすがです。
 ピアノ・ソナタ第2番とコレッリ変奏曲はスタジオ録音で、旋律や動機の形が崩れること無く完璧に示された見事な仕上がりです。
 
 なお、名前はロシア語読みではイェカチェリーナ・リトヴィンツェワですが、ドイツ在住が長く、ふだんのコミュニケーションもドイツ語と英語が主体ということなので、エカテリーナ・リトヴィンツェヴァとしておきます。
 
 ブックレット(英語・12ページ)には、アルフレード・イノチェンティによる解説などが掲載。

    


エカテリーナ・リトヴィンツェヴァ


 1986年、カムチャツカに近い港湾都市マガダンに誕生。1990年、4歳の時にピアノの勉強を開始。1994年、マガダン(北緯59度33分)の北東約1500kmでほぼ北極圏に位置し、オーロラがさらに美しいいチュクチ自治管区の都市アナディリ(北緯64度44分)に転居し、同地の音楽学校で勉強。ロシア最北東端都市の厳しくも豊かな自然の中で過ごしたのち、2001年、15歳のときに一家はモスクワに転居。2002年、モスクワ国立ショパン音楽学校に入学し、イリーナ・ガブリエロヴァに師事。卒業後、2006年にマイモニデス・クラシック・ピアノ・アカデミーに入学し、ヴィクトール・デレヴィアンコ、アレクサンダー・ムンドヤンツ、エカテリーナ・デルジャヴィーナらに師事、卒業後、2011年にドイツに移住し、ケルン音楽舞踊大学で学び、2013年に修士号を取得して卒業後、ヴュルツブルク音楽大学でも学んでいます。
 以後、ベルリンのコンツェルトハウス、シュトゥットガルトのリーダーハレ、ボンのベートーヴェンハレ、ニュルンベルクにあるマイスタージンガーハレ、ハノーファーのNDRフンクハウス、ハンブルクのムジークハレといったドイツの有名な会場などで演奏。


北西ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団


 1946年、先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」が結成。ドイツ北西部を統治していたイギリス占領軍政府のプロイセン解体により誕生した「ニーダーザクセン州」の支援も受け、温泉保養地バート・ピルモントで、同地で指揮者をしていたヴァルター・シュテーヴァーらの主導により設立。メンバーは、「ライヒス=ブルックナー管弦楽団」元楽員と、「プラハ・ドイツ・フィルハーモニー管弦楽団」元楽員、及び占領地域のフリーランス音楽家(ライヒス=ブルックナー管弦楽団はリンツ・ブルックナー管弦楽団とは無関係)。
 1946年、「ヘルフォルト交響楽団」が結成。指揮者のハインツ・シュリューターにより集められた36名から成る楽団。本拠地は、イギリス占領軍政府による合併で誕生したドイツ最大人口州「ノルトライン=ヴェストファーレン州」のヘルフォルト。
 1949年、前年に占領軍政府(米英仏)により実施された通貨改革により、西ドイツが深刻な経済難となり、ニーダーザクセン州から先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」への資金援助が打ち切りとなり存続の危機に。
 1950年、先代の「北西ドイツ・フィルハーモニー」と「ヘルフォルト交響楽団」が合併し、「都市同盟交響楽団」が誕生。名前の由来は、オーケストラを運営するために、ヘルフォルト、デトモルト、パーダーボルン、レムゴー、バート・ザルツフレン、バート・リップシュプリンゲ、バート・エーンハウゼンの各都市などによる後援協会が設立されたことによるものです。本拠地はヘルフォルト。これが現在の「北西ドイツ・フィルハーモニー」の設立となります。初代首席指揮者はアルメニア系ドイツ人指揮者のロルフ・アゴップ[1908-1988]で、最初のコンサートはシュッツェンホーフで実施。
 1951年、「都市同盟交響楽団」が先代と同じ「北西ドイツ・フィルハーモニー」に改名。
 1959年、西部ドイツ放送とブレーメン放送が定期的な音楽放送を開始したのに伴い、オーケストラは放送録音にも乗り出し、西部ドイツ放送だけで約2,000件の録音を実施。ブレーメン放送のためにも約600の放送録音をおこなっています。
 レコーディングにも積極的で、豊富な経験によりどんなレパートリーでも演奏できることからすでに制作数は200を超えています。


ヴァハン・マルディロシアン(指揮)


 1975年、アルメニアのエレヴァンに誕生。1993年にパリに移住。1996年にパリ音楽院を優秀な成績で卒業。指揮者、ピアノ・ソリストとして活躍。長年、フランスのカーン交響楽団の首席指揮者、アルメニア国立室内管弦楽団の音楽監督を務め、2019年より香港室内管弦楽団の首席指揮者を務めています。マルディロシアンは、ヨーロッパとアジアで定期的に客演指揮者として招かれており、これまでに、プラハ放送響、ロワール国立管、アルメニア・フィル、プラハ・フィル、チェコ室内管、レバノン・フィル、アマルガム管、トゥーロン歌劇場管、ノヴォシビリスク・フィル、東京フィル、N響、日本フィル、ブルガリア国立管、ウクライナ国立フィル、関西フィル、ロシア・フィル、新日本フィル、九州響などを指揮。2017年にはピアニストとしてカーネギー・ホールでピアノリサイタルを開催。
 CDは、Brilliant Classics、Intrada、Transart、Skarbo、Warner、Cypres、Quadrigaなどから発売。


 





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\2500→\1290
シンプルで美しい小品から
 大胆で力強い作品まで魅力的な作品を収録


エイミー・ビーチ[1867-1944]:ピアノ曲集


1. 「深き淵より」Op.130 (1932) 2'43
2. 「バルカンの主題による変奏曲」 Op.60 (1904) 25'12
3. 「夢想」 Op.15 No.3 (1892) 4'29
4. R.シュトラウスにちなんだセレナード「シュテントヒェン」 (1902) 3'49
5. 前奏曲とフーガ Op.81 (1914) 10'30
6. 「カヌー」 Op.119 No.3 (1927) 1'08
7. 「スイカズラ」 Op.97 No.5 (1922) 2'55
8. 「夕べのツグミ」 Op.92 No.1 (1922) 4'48
9. 夜想曲 Op.107 (1924) 3'41
3つの小品 Op.128 (1932)
 10. I. スケルツィーノ「ピーターボローのシマリス」 1'10
 11. II. 「若い白樺」 2'52
 12. III. 「ハミング・バード」 1'01
マルティナ・フレッツォッティ(ピアノ)

 エイミー・ビーチ[1867-1944]はアメリカ楽壇の黎明期に作曲家・ピアニストとして活躍した先駆的存在。女性差別の時代でしたがその作品は存命中から広く受け入れられ、自作がベルリン・フィルによって演奏された最初の女性作曲家、最初のアメリカ人作曲家としても有名。
 そのピアノ曲には彼女の演奏家としての名人芸的要素や、伝承音楽のエッセンスも取り込むという手法も反映され、シンプルで美しい小品から大胆で力強い作品まで多彩なものとなっています。
 このCDでは、性格的な小品のセレクションと、「バルカンの主題による変奏曲」を収録。
 演奏はイタリア人ピアニストのマルティナ・フレッツォッティ。イタリアとモスクワで学び、2012年にカーネギーホールにデビューしています。



エイミー・ビーチ(旧姓チェイニー)

 1867年9月5日にニューハンプシャー州ヘニカーの音楽一家に誕生。1歳までに40曲ほどを正確に歌うことができたビーチは、2歳の時には即興で対旋律を作る能力も示したとか。3歳で読譜を学び、4歳の時には3曲のワルツを作曲。
 母クララ・イモジェン・チェイニー[1846~1911]は、子どもの意思を尊重することは親の権威を損なうことになりかねないという単純素朴な考えから、彼女がピアノを弾くことを禁じていましたが、6歳からは自分でビーチの指導をおこなうようになり、ほどなくビーチは公開リサイタルを開くまでに上達します。
 ビーチが8歳の時に一家はマサチューセッツ州サフォーク郡のチェルシーに転居。同地でフランツ・リストの弟子で友人でもあったカール・ベアマン[1839~1913]に師事。1881年から1882年にかけては和声と対位法をジュニアス・W・ヒル[1840-1916]に師事した以外は、作曲家としてほぼ独学で、入手可能な作曲に関するあらゆる資料を集め、ベルリオーズとフランソワ・オーギュスト・ゲヴェール[1828-1908]の著作については自分でフランス語から翻訳して使用していました。
 1883年10月18日、16歳のときにはボストンのプロムナード・コンサートでピアニストとして正式にデビューし批評家から絶賛。その2年後、18歳のときには42歳のボストンの外科医、ヘンリー・ハリス・オーブリー・ビーチ[1843~1910]と結婚。
 しかし夫は彼女に年に2回以上のリサイタルを開くことを許さず、また、ピアノを教えることも認めませんでした。そのかわりに夫は彼女に作曲を勧め、もともと作曲家志望だった彼女も熱心に取り組み、やがて1890年に作曲したミサ曲 変ホ長調が1892年にボストンのヘンデル・ハイドン協会管弦楽団によって演奏されると最初の成功を収めています。
 1896年にボストン交響楽団によって初演された「ゲール風交響曲」も成功し、彼女は「ボストン6人組(第2ニューイングランド楽派とも。ビーチ、ジョージ・チャドウィック[1854~1931]、アーサー・フート[1853~1937]、エドワード・マクダウェル[1861~1908]、ジョン・ノウルズ・ペイン[1839~1906]、ホレイショ・パーカー[1863~1919]の6名)」の1人に選ばれてもいます。
 1910年の夏に夫が亡くなると、翌1911年にベルリン王立歌劇場のプリマドンナであったアメリカ人ソプラノ歌手、マーセラ・クラフト[1874~1959]とヨーロッパを旅行し、ベルリン、パリ、ローマなどヨーロッパの多くの主要都市でピアニストとして出演し、第1次大戦の勃発とともにアメリカに帰還しています。
 ビーチはニューハンプシャー州ヒルズボローの叔母といとこ(彼女の唯一の近親者)の家に身を寄せながら、コンサートに出演し続けますが、1920年にはいとこ、1925年に叔母が亡くなると、1928年から1929年の冬にかけてローマに滞在。1930年秋にはニューヨークにスタジオ・アパートを借りて、聖バーソロミュー聖公会教会の実質的なコンポーザー・イン・レジデンスとなります。
 その後、音楽に関する記事を多く執筆し、音楽教育の重要性を提唱した彼女は、ニューイングランド音楽院の評議員会会長を務め、1928年にはニューハンプシャー大学で名誉修士号を授与。1944年12月27日、ニューヨークで心不全に倒れ、マサチューセッツ州ボストンのフォレスト・ヒルズ墓地に埋葬。

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マルティナ・フレッツォッティ(ピアノ)

 1986年、北イタリアのウーディネに誕生。生まれのイタリア人ピアニスト。イーモラのピアノ・アカデミーでラーザリ・ベルマンに師事した後、モスクワ音楽院でエリソ・ヴィルサラーゼに師事。
 マルティナ・フレッツォッティは、ヨーロッパ、ロシア、アメリカ、アジアでソロ・リサイタルをおこない、2012年にはカーネギーホール・デビューも果たしています。
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 録音:2023年1月10~11日、スヒーダム、ヴェストフェスト教会
 


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\2500→\1290

2022年クライバーン・コンクール第2位
 アンナ・ゲニューシェネ
  ユニークな子守歌アルバム


アルフレード・カゼッラ [1883-1947]
1. 「悲しい子守歌」 Op.14 [4:18]

エリック・サティ [1866-1925]
2. 「ピトレスクの幼年時代」~「子守歌」 [2:22]

パウル・ヒンデミット [1895-1963]
3. 「子守歌」 [0:47]

アンリ・デュティユー [1916-2013]
4. 「波のまにまに」~「子守歌の前奏曲」 [3:01

バリス・ドヴァリョーナス [1904-1972]
5. 「24のピアノ小品」~「ゆりかご」 [1:45]

ヨーク・ボーエン [1884-1961]
6. 「子守歌」Op.83 [3:58]

レオニード・デシャトニコフ [1955- ]
7. 映画「モスクワ」~「子守歌」 [5:22]

フェデリコ・モンポウ [1893-1987]
8. 「内なる印象」~「ゆりかご」 [2:14]

エンリケ・グラナドス [1867- 1916]
9. 「ロマンティックな情景」~「子守歌」 [3:30]

ヴラジーミル・レビコフ [1866-1920]
10. 「秋の白昼夢」~「子守歌」 [1:45]

ミエチスワフ・ヴァインベルク [1919-1996]
11. 「子守歌」 Op.1 [3:43]

ジョン・フィールド [1782-1837]
12. ノクターン ヘ長調「ゆりかごの歌」 [5:51]

フェルッチョ・ブゾーニ [1866-1924]
13. 悲歌集~第7曲「子守歌」 [4:41]

フランツ・リスト [1811-1886]
14. 「子守歌」 S.198 [4:49]

ジョージ・クラム [1929-2022]
15. 「クリスマスのための小組曲」~「幼子イエス」 [1:58]

クロード・ドビュッシー [1862-1918]
16. 「英雄的な子守唄」 [4:14]

ドミトリー・ショスタコーヴィチ [1906-1975]
17. バレエ組曲第3番~「エレジー」 [4:14]

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー [1840-1893]
18. 「18の小品」~「子守歌」 Op.72-2 [6:20]

 
アンナ・ゲニューシェネ

録音:2023年1月10~11日、オランダ、スヒーダム、ウェストヴェスト教会

 2児の母によるユニークな子守歌アルバム
 2022年ヴァン・クライバーン国際コンクール第2位のゲニューシェネがピアノで弾くさまざまな子守歌のコレクション。
 子守歌アルバムといっても、ショパンやブラームス、モーツァルト、シューベルトといった有名曲は入っておらず、カゼッラやサティ、ブゾーニ、ヒンデミット、リスト、ヴァインベルグ、デュティユー、レビコフ、グラナドス、モンポウ、デシャトニコフなど意外な作曲家の名前が並んでいるのが面白いです。
 ショスタコーヴィチの「人間喜劇」からの「エレジー」と、ジョージ・クラムの「クリスマスのための小組曲」からの「幼子イエス」は子守歌ではありませんが、静かで優しく美しい作品ということで選ばれているようです。



アンナ・ゲニューシェネ (ピアノ)


 1991年モスクワで誕生。5歳からピアノを弾き始め、8歳でベルリンのフィルハーモニーの小ホールでリサイタル・デビューを果たし、以来、リーズのタウン・ホール、ダブリンのナショナル・コンサート・ホール、テルアビブの美術館、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場、モスクワ音楽院大ホール、ベルガモのサラ・グレッピなど世界の主要なホールで演奏。
 モスクワ音楽院と大学院、ロンドンの王立音楽アカデミーで学び、2017年、F.ブゾーニ・コンクール(イタリア)で3位。2022年、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで2位。力強いサウンド、力強い音楽的個性、そして圧倒的なヴィルトゥオジティと評され、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏で熱狂を巻き起こしました。





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ガイア・ソコーリ (ピアノ)
ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼル [1805-1847]


12の性格的小品「一年」H.385(第2稿) [1841~-42]
 1.  「1月」 夢. アダージョ、クワジ・ウナ・ファンタジア 3'01
 2.  「2月」 スケルツォ. プレスト 3'16
 3.  「3月」 前奏曲とコラール 6'00
 4.  「4月」 カプリッチョーゾ 3'07
 5.  「5月」 春の歌 2'50
 6.  「6月」 セレナーデ・アレグロ 3'26
 7.  「7月」 セレナーデ・ラルゲット 3'05
 8.  「8月」 アレグロ 4'20
 9.  「9月」 川のそばで. アンダンテ・コン・モート 3'13
 10. 「10月」 アレグロ・コン・スピリト 3'38
 11. 「11月」 メスト 5'34
 12. 「12月」 アレグロ・モルト 4'01
 13. 「後奏曲」 コラール 2'13

12の性格的小品「一年」H.385(第1稿) [1841]より
 14.  「6月」 セレナーデ・ラルゴ 5'32

3つ性格的小品 [1846]
 15.  アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ・エ・レッジェーロ H.414 2'54
 16.  アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ H.442 4'27
 17.  アンダンテ・コン・モート H.452 5'10
ガイア・ソコーリ (ピアノ)

 バッハの引用も印象的な個性的力作
 バッハのヨハネ受難曲のアリア「全ては成し遂げられた」の引用で始まり、同じくバッハのコラール前奏曲「古き年は過ぎ去りぬ」の引用で終わる「一年」は、ファニー・メンデルスゾーン充実期の力作。
 Piano Classicsレーベルでは、2022年に第1稿によるマルティーナ・フレッツォッティの演奏で「一年」を発売していましたが、今回は第2稿による演奏となり、違いの大きな「6月」については第1稿も収録。
 組み合わせは同じく充実期に書かれた「3つ性格的小品」で、こちらも聴きものです。

 


ソコーリのファニー・メンデルスゾーン第2弾

 イタリアのピアニスト、ガイア・ソコーリ(ソコリとも。本人の発音ではソコーリ)によるファニー・メンデルスゾーン作品は、2021年にピアノ・ソナタ集が発売されていたのでこれが第2弾。ソコーリの演奏は、作曲された時代にふさわしい粒立ちの良い克明かつ切れの良い音が特徴で、その明確なイントネーションと躍動感は、音を伸ばしてペダルでぼかす20世紀的な耽美系フラット演奏とはまったく異なります。
 ファニー・メンデルスゾーンの創作時期は19世紀前半なので、こうしたアプローチには説得力がありますし、前作のピアノ・ソナタ集でも見事な演奏を聴かせていただけに、今回の性格的作品での成功も納得です。

充実したブックレット

 装丁はディジパック仕様で、ブックレット(英語・12ページ)には、ソコーリの師で、メンデルスゾーンの研究と演奏により権威と目されるロベルト・プロッセーダによる解説のほか、「一年」自筆譜の各曲扉部分に書き込まれている詩文テキストを原語(ドイツ語)と英訳で掲載するなど内容充実。


チャイコフスキー「四季」の35年前

 「一年」、各月を表現した12曲と後奏曲のコラールで構成。似た趣旨のチャイコフスキーのピアノ曲集「四季」が完成するのは1876年のことなので、ファニーが35年ほど先行しています。

凝った自筆譜の体裁

 ファニー・メンデルスゾーンが「一年」に取り組んだのは1人息子ゼバスティアン[1830-1898]にあまり手がかからなくなった頃のことで、時間的余裕もあったのか、作品ごとに色分けした紙を使用して五線譜をつくり、各曲の扉にはゲーテやシラー、アイヒェンドルフ、ティークらの作品から引用した詩文の一節を載せ、曲の冒頭部分の余白には、宮廷画家である夫のヴィルヘルム・ヘンゼル[1794-1861]が挿絵を描きこむという凝りようです。

「3つの性格的小品」

 ファニーの創作の絶頂期ともいわれる1846年の作品群から、H.414とH.442、H.452の3曲を選び、1996年にカッセルのフローレ・エディションが出版した曲集。同社は1989年に「一年」(第1稿)を出版していました。


ガイア・ソコーリ (ピアノ)


 1998年にイタリア北部のエルバ(Erba、エルバ島はElba)に誕生。クラウディア・ボーズにピアノの指導を受けた後、イモラのピアノ・アカデミーでレオニード・マルガリウスに、アカデミア・ムジカフェリックスでロベルト・プロッセーダらに師事。
 その間、13歳でニューヨークのブラッドショー&ブオノ国際ピアノコンクールで第1位を獲得してカーネギーホールのワイル・リサイタルホールにデビューするなど数多くのコンクールでも活躍し、イタリア、アメリカのほか、フランス、スイス、ルーマニア、アルバニア、ロシアでも演奏。CDは、Piano Classicsなどから発売。
 ちなみに左腕のタトゥー「Quod me nutrit me destruit」は、ラテン語で「私を養うものは私を滅ぼす」といった意味の自戒の言葉です。シェイクスピア別人説でもおなじみのイギリスの劇作家クリストファー・マーロウ[1564-1593]の21歳の時の肖像画にも大きく書き込まれており、女優のアンジェリーナ・ジョリーがタトゥーにしたことでよく知られるようになりました。



録音 2023年3月4日、5月9日、20日、イタリア、プラート、ムジカフェリックス・スタジオ




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フェルナンダ・ダミアーノ(ピアノ)
 ショスタコーヴィチと関わりのあった作曲家の音楽


ショスタコーヴィチと生徒たち、VOL.1


アレムダル・カラマノフ[1934-2007] : ピアノのための変奏曲
ゲルマン・ガリーニン[1922-1966]: ピアノのための組曲
ボリス・チャイコフスキー[1925-1996]: ソナチネ
ドミトリ・ショスタコーヴィチ[1906-1975]:
 前奏曲とフーガ第1番 ハ長調 Op.87
 前奏曲とフーガ第7番 イ長調 Op.87
 前奏曲とフーガ第24番 ニ短調 Op.87
  3つの幻想的な舞曲 Op.5
  バレエ「黄金時代」より ポルカ
フェルナンダ・ダミアーノ(ピアノ)

録音:2022年12月5~7日、イタリア、ベルナレッジョ、バルトーク・スタジオ


 個性豊かなソ連作曲家シリーズが開始!

 ショスタコーヴィチはモスクワとレニングラードの音楽院で長年に渡って指導をおこなっていたほか、作曲家同盟の一員としても多くの音楽家と関わっていました。
 今回、イタリアのピアニストで教育者でもあるファエルナンダ・ダミアーノが取り組むのは、ショスタコーヴィチと関わりのあった作曲家の音楽をシリーズで紹介するという企画です。
 第1集には、アレムダル・カラマノフ[1934-2007]、ゲルマン・ガリーニン[1922-1966]、ボリス・チャイコフスキー[1925-1996]の作品を計約26分、ショスタコーヴィチの作品を計約27分収録。

 

フェルナンダ・ダミアーノ(ピアノ)
 1995年、南イタリアのターラントに誕生。17歳でバーリのピッチンニ音楽院を優秀な成績で卒業し、パヴィアのヴィッタディーニ高等音楽研究所で学位を取得。
 内外の多くのコンクールで優秀な成績を収め、2017年からは母校のヴィッタディーニ高等音楽研究所で教えながら、演奏活動もおこなっています。



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102鍵のステファン・ポレロと、1890年製ブリュートナーを使用
 アーラシュ・ロクニ(ピアノ)
  モソロフ、ヒンデミット、ブラームス、シューマン作品集


アレクサンドル・モソロフ [1900-1973]
 ◆ 2つの舞曲 Op.23/b
     1 I. アレグロ・モルト、センプレ・マルカート 4:42
     2 II. アレグレット 2:03

ヨハネス・ブラームス [1833-1897]
 3 ◆ R.シューマンの主題による変奏曲 Op.9 (1854) 17:59

パウル・ヒンデミット [1895-1963]
 ◆ 「組曲1922」 Op.26
     4 I. 行進曲 1:38
     5 II. シミー(舞曲) 3:38
     6 III. 夜曲 6:26
     7 IV. ボストン 5:18
     8 V. ラグタイム 2:27

ロベルト・シューマン [1810-1856]
 ◆ 「色とりどりの小品」 Op.99~「5つの音楽帳」(1841)
     9 I. かなりゆっくりと 1:39
     10 II. 速く 0:46
     11 III. かなりゆっくり、非常にたっぷりと歌って 1:36
     12 IV. 非常にゆっくりと 1:52
     13 V. ゆっくりと 1:37

アレクサンドル・モソロフ [1900-1973]
 ◆ 2つのノクターン Op.15 (1926)
     14 I. エレジアコ、ポーコ・ステンタート 3:44
     15 II. アダージョ 3:53
アーラシュ・ロクニ(ピアノ)


 録音:2021年、フランス、ヴィルティエリー(モソロフ、ヒンデミット)、ケルン、クラヴィーアハウス・ショッケ(ブラームス、シューマン)

 102鍵のステファン・ポレロと、1890年製ブリュートナーを使用

 2種類のピアノを用いたアルバム。20世紀作品のモソロフとヒンデミットでは、全長3mのステファン・ポレロ opus102(102鍵・平行弦)を、ブラームスとシューマンでは1890年製ブリュートナー(88鍵・交差弦)を弾いています。
 演奏はイラン出身のピアニスト、アーラシュ・ロクニ。

 


モソロフ

 「鉄工場」でおなじみのアレクサンドル・モソロフは若い頃はロシア・アヴァンギャルドの旗手で、ピアノ曲も迫力満点。「2つの舞曲」、「2つのノクターン」共にステファン・ポレロの澄んだ響きと余裕のある雄大な響きが生かされています。

ヒンデミット

 ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)を象徴するのが第3曲「夜曲」でのヒンデミットの「Mit wenig Ausdruck(わずかな表情で)」という指示。ヴィオラ・ソナタでも使っていた指示なのでヒンデミットとしても効果ありと判断したのでしょう。
 アーラシュ・ロクニはこの言葉に注目してひねりを利かせ、「WITHOUT WITH A LITTLE EXPRESSION(無表情ではなく、わずかな表情で)」と英訳してアルバム・タイトルとして表示。ステファン・ポレロの怜悧な音が作品の全情報を引き出しています。

シューマン

 「5つの音楽帳(アルブムブレッター)」は小品5曲から成る小さな曲集。シューマンが1852年に出版した未発表作品のコレクション「色とりどりの小品(ブンテ・ブレッター)」に含まれています。1890年製ブリュートナーの味わいのある音が夢幻的な作品によく合います。

ブラームス

 幻覚・幻聴を経て一時は錯乱状態となって自殺未遂騒動まで引き起こしたシューマンは自宅療養を経て1854年3月に精神病院に入院。入院前日には20歳のブラームスがデュッセルドルフに到着して、シューマン家の手伝いを開始。家には妊娠7か月のクララと5人の子供たち(12歳のマリー、10歳のエリーゼ、6歳のルートヴィヒ、5歳のフェルディナント、2歳のオイゲニエ/8歳のユーリエは祖母宅)が暮らしており、使用人がいたとはいえ大変な状況でした。
 ブラームスは前年10月にシューマン夫妻と知り合い、11月にはシューマンの推薦でブライトコップ・ウント・ヘルテル社と契約に漕ぎつけていたため、恩返しのような形で、2年後にシューマンが亡くなるまでデュッセルドルフを拠点としています。
 「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰ヘ短調 Op.9」は、1853年にクララが夫の誕生日祝いのために書いた「ローベルト・シューマンの主題による変奏曲 嬰ヘ短調 Op.20」に触発されたもので、1854年6月と8月に作曲。第10変奏にはクララが幼い頃に書いた「ロマンスと変奏」の主題が織り込まれ、クララも刺激を受けて自分の変奏曲の最後に同じ主題を挿入して改訂。ブライトコップ・ウント・ヘルテル社による出版は、ブラームスの提案で両作品とも1854年11月におこなわれています。入院中のシューマン送られた楽譜を見て称賛しています。

 
◆ アーラシュ・ロクニ(ピアノ)

 1993年、イランの首都テヘランに誕生。子供の頃からピアノに親しみ、15歳からはテヘラン音楽学校でタマラ・ドリゼに師事。続いてアルメニアでジョルジ・ラファエロヴィチ・アバネソフらの指導を受けたほか、ライプツィヒ音楽大学でマルクス・トーマスに、ケルン音楽舞踊大学でクラウディオ・マルティネス・メーナーに師事。18世紀の演奏実践の分野にも興味を持っている彼は、ゲラルト・ハンビッツァーとアンドレアス・シュタイアーからフォルテピアノを、ミヒャエル・ボルクシュテーデからチェンバロの指導を受けてもいます。
 ライプツィヒで行われた第21回ヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールで第2位と聴衆賞を受賞したのち、ハンブルクのエルプフィルハーモニー、デュッセルドルフのシューマン・ザール、ライプツィヒのゲヴァントハウスで演奏し、以後、イラン、アルメニア、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、デンマークなど各地で、ソロと室内楽の両方で活動。また、教育活動にも取り組んでおり、ハノーファー音楽演劇大学の代理教授、ケルン音楽舞踊大学の助手も務めています。
 CDは、Piano Classics、Ars Produktionなどから発売。


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イーデン・ウォーカー(ピアノ)
マニア系ピアニストによるレーガー演奏


マックス・レーガー [1873-1916]

◆ バッハの主題による変奏曲とフーガ ロ短調 Op.81 34:53
1. 主題 アンダンテ(クワジ・アダージョ) 01:50
2. 第1変奏 リステッソ・テンポ 01:26
3. 第2変奏 (センプレ・エスプレッシーヴォ・エド・アッサイ・レガート) 01:19
4. 第3変奏 グラーヴェ・アッサイ 03:18
5. 第4変奏 ヴィヴァーチェ 01:08
6. 第5変奏 ヴィヴァーチェ 01:36
7. 第6変奏 アレグロ・モデラート 01:25
8. 第7変奏 アダージョ 02:09
9. 第8変奏 ヴィヴァーチェ 01:11
10. 第9変奏 グラーヴェ・エ・センプレ・モルト・エスプレッシーヴォ) 03:15
11. 第10変奏 ポコ・ヴィヴァーチェ 01:01
12. 第11変奏 アレグロ・アジタート 01:07
13. 第12変奏 アンダンテ・ソステヌート 02:31
14. 第13変奏 ヴィヴァーチェ 00:52
15. 第14変奏 コン・モート 01:48
16. フーガ - ソステヌート - ピウ・モート - アダージョ 08:57

◆ 「暖炉のそばの夢」 Op.143 37:08
17. 第1曲 ラルゲット 変ロ長調 03:34
18. 第2曲 コン・モート 変ホ長調 02:37
19. 第3曲 モルト・アダージョ イ長調 03:40
20. 第4曲 アレグレット・グラツィオーゾ ホ長調 02:22
21. 第5曲 アジタート ロ短調 02:50
22. 第6曲 ポコ・ヴィヴァーチェ 変イ長調 02:10
23. 第7曲 モルト・ソステヌート ニ長調 04:12
24. 第8曲 ヴィヴァーチェ(エチュード)ハ長調 01:11
25. 第9曲 ラルゲット 変ホ長調 04:05
26. 第10曲 ヴィヴァーチェ(ユーモレスク)ニ短調 02:37
27. 第11曲 アンダンティーノ ト短調 03:40
28. 第12曲 ラルゲット(エチュード) ニ長調 04:10
イーデン・ウォーカー(ピアノ)


録音:2023年10月16~17日、イギリス、ワイアストーン・コンサート・ホール

 マニア系ピアニストによるレーガー演奏

 ブゾーニ、アルカン、ゴドフスキーなどマニアックな作品の探求に注力し、高度な技術によって複雑な音楽を巧みに操るピアニストとして名声を得るイーデン・ウォーカーがレーガーを録音。
 「バッハの主題による変奏曲とフーガ」について、「最後の小節はピアノ曲全体の中でも最も壮大で勝利に満ちたもののひとつ」と惚れ込んでいます。

 

◆ イーデン・ウォーカー(ピアノ)
 1995年生まれ。バーミンガム王立音楽とデンマーク王立音楽アカデミーで学び、現在、ドイツのロストック音楽演劇大学で音楽学の博士課程に在籍しながら、ハンブルクを拠点に活動するイギリス人ピアニスト。レーガー、ブゾーニ、アルカン、ゴドフスキーなどマニアックな作品の探求に注力し、高度な技術によって複雑な音楽を巧みに操るピアニストとして名声を得ています。

 



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\2500→\1290

ジュゼッペ・タッコーニャ (ピアノ)
ガブリエル・エデュアル・グザヴィエ・デュポン [1878-1914]


「砂丘の家」 [1908~1909]
 1.  I. 「晴れた朝の砂丘で」  4'24
 2.  II. 「水上の帆」  5'01
 3.  III. 「追憶の家」  2'58
 4.  IV. 「兄は風、妹は雨」  4'33
 5.  V. 「幸福の憂鬱」  4'31
 6.  VI. 「波に遊ぶ太陽」  5'44
 7.  VII. 「松林の夕べ」  5'47
 8.  VIII. 「夜の海のざわめき」  4'26
 9.  IX. 「星空」  3'36
 10.  X. 「うねり」  9'12

「2つのバレエ・アリア」 [1895]
 11.  I. 「パヴァーヌ」  3'32
 12.  II. 「アリア」  2'15

「アルバムの綴り」 [1897]
 13.  I. 「ワルツ」  1'44
 14.  II. 「フゲッタ」  1'16
 15.  III. 「子守歌」  2'55
 16.  IV. 「舞踏の調べ」  2'47

ジュゼッペ・タッコーニャ (ピアノ)

 回復の希望に満ちた「砂丘の家」とパリ音楽院時代の作品を収録
 サナトリウムで療養中に書いたピアノ曲集「病める時」で知られるフランスの作曲家、ガブリエル・デュポン[1878-1914]は、結核のため36歳で亡くなっていますが、サナトリウム療養の後は、ノルマンディーのアルカションとパリ近郊のル・ヴェジネの長期滞在型医療施設を行き来する生活となり、そのアルカションで1908年から1909年にかけて作曲したのがピアノ曲集「砂丘の家」です。
 今回のアルバムでは、夢も希望もある曲調の「砂丘の家」のほかに、パリ音楽院時代、まだ健康だった頃の洒落た作品を収録。
 装丁はディジパック仕様で、ブックレット(英語・8ページ)にはタッコーニャによる解説を掲載。

  



デュポンについて

 兵役に就きながら準備して応募した1901年のローマ賞では、アンドレ・カプレが1位、デュポンが2位、ラヴェルが3位という結果で、活躍が期待されていました。しかしほどなく結核の発作に見舞われて療養生活を送ることとなってしまったため、あまり表舞台に出られなくなり、やがて36歳の若さでなくなってしまったのは不運でした。
 デュポンとほぼ同世代のフランスの作曲家には、デュカス[1865-1935]、サティ[1866-1925]、ケクラン[1867-1950]、ルーセル[1869-1937]、フローラン・シュミット[1870-1958]、セヴラック[1872-1921]、アーン[1874-1947]、そしてラヴェル[1875-1937]、カプレ[1878-1925]などがおり、デュポンの音楽の形容詞としても、印象主義、象徴主義、ロマン主義、ベル・エポックといった言葉が用いられたりしています。
 そうしたフランス近代の黄金時代、ライバルたちの活動に触発されながらも独自の道を歩んだデュポンの音楽に対して最近は理解も進み、CDでもピアノ曲やオーケストラ曲、声楽曲を聴けるようになったのは喜ばしい限り。


楽譜の冒頭にはニーチェの言葉

 デュポンの回復具合を示すかのように、楽譜には「ツァラトゥストラはこう語った」からツァラトゥストラの言葉「澄み切った空と大海原を独り占め」が記されています。これは数々の苦難を乗り越えたツァラトゥストラが口にした言葉ですが、健康上の問題から長くつらい目にあっていたデュポンの心にも響いたのでしょう。

美しい海辺の生活

 「砂丘の家」からは、波のリズム、朝の光、夕方のそよ風に揺れる松林、夜の波、海面に広がるヨットの帆、変わりゆく空模様、木々の間を吹き抜ける風、太陽の光と絶え間なく変化する波のきらめきが感じられ、砂丘の家に一人で住む人物の姿が示されています。 豊かな半音階和声を駆使した音楽はドラマティックで遊び心があり、興奮を呼び起こして感動的です。

デュポン研究者

 演奏のジュゼッペ・タッコーニャはリストやラフマニノフなどロマン派、後期ロマン派のレパートリーを得意とするイタリアのピアニスト。タッコーニャはデュポンの調査・研究をおこなっており、ブックレットに自ら解説を執筆してもいます。



ジュゼッペ・タッコーニャ (ピアノ)


 1991年5月20日生まれ。2011年、バーリのニコロ・ピッチンニ音楽院でグレゴリオ・ゴフレードの指導のもと、ピアノ・ディプロマを取得。ペスカーラ音楽院の専門コースにも通い、国内外のピアノ部門のあるコンクールに出場。ディ・ステーファノ・コンクール優勝、ジョルダーノ・コンクール優勝、トリカリコ・コンクール優勝、リア・トルトラ国際コンクール準優勝等の成果をあげています。
 CDは、Piano Classicsなどから発売。


録音:2024年2月24日、イタリア、モルフェッタ、DIGエリア・スタジオ
 
 


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\2500→\1290
ベートーヴェン的な音楽から
 ショパンを予見する音楽まで多彩な内容


フェルディナント・リース [1784-1838]

1. 幻想曲の夜 シラーの詩「諦め」Op.109 (1821) 15'51

2. 序奏とジプシー風のロンドー Op.184 (1837) 7'44

フィガロの結婚」の主題による幻想曲 Op.77 24'01
3. 第1番 (1807) 12'28
4. 第2番 (1812) 11'33

幻想曲風大ソナタ「不幸せな人」 Op.26 (1808) 23'19
5. I. アダージョ・コン・エスプレッション~アレグロ・モルト・アジタート 7'51
6. II. アンダンテ 2'47
7. III. フィナーレ.プレスト 12'41

 
ジャンルーカ・ファラーリ(ピアノ)


録音:2023年10月、イタリア、イヴレア、SMCレコーズ、バロック・ホール

 ベートーヴェン的な音楽からショパンを予見する音楽まで多彩な内容

 フランス軍から占領国市民への徴兵通知によりベートーヴェンとの師弟生活を中断させられたフェルディナント・リースは、16歳から20歳までの多感な時期に、まだ30代前半だったベートーヴェンと4年間過ごしていたことになります。

 

山あり谷ありだった30代前半のベートーヴェン


 この時期のベートーヴェンは、ピアノ・ソナタ「月光」あたりから「熱情」まで書いており、ジュリエッタに惚れたり、耳の状態が悪化したり、ハイリゲンシュタットの遺書を書いたり、ヨゼフィーネに惚れたり、楽器が進歩してピアノの音域が拡大したり、3度も引っ越したりと、生活も作曲も非常に振れ幅が大きくなっています。


リースへの影響


 そうした創作の激しい面は、長時間身近に接していた弟子のリースにも影響を与えたと思われ、リース初期の、幻想曲風大ソナタ「不幸な人」 (1808) と、フィガロの結婚」の主題による幻想曲 (1807,1812)はどちらもとてもエネルギッシュです。
 その後の作品は少し様子が変わってきて、後年のショパンやシューマンを思わせるようなシラーの「諦め」による幻想曲 (1821)、序奏とジプシー風のロンドー (1837) などまさにロマン派的な作品となっています。


克明な演奏


 演奏はイタリアの若手、ジャンルーカ・ファラーリ。よくまわる指で小気味よいピアノを聽かせています。


ジャンルーカ・ファラーリ(ピアノ)


 1995年、イタリア北部、ジェノヴァ近郊のノヴィ・リグレに誕生。ジェノヴァ音楽院を卒業後、ベルガモ音楽院 で学位を取得し、ピネロロ音楽アカデミーでエンリコ・パーチェに師事。国内外の数々のピアノ・コンクールに出場して優秀な成績を収め、以後、ソロと室内楽の両方で活動し、2020年からはベルガモ音楽院ピアノ科で教えてもいます。
 CDは、Piano Classicsなどから発売。

 




 PCL10309
\2500→\1290
ベートーヴェン:
 ピアノ・ソナタ第29番、第31番、大フーガ


ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン [1770-1827]

ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調 Op.106「ハンマークラヴィーア」
1. I. アレグロ 10:49
2. II. スケルツォ 2:41
3. III. アダージョ・ソステヌート 15:36
4. IV. ラルゴ 12:11

ピアノ・ソナタ第31番 Op.110
5. I. モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォ 6:39
6. II. アレグロ・モルト 2:14
7. III. アダージョ・マ・ノン・トロッポ 9:48

8. 大フーガ Op.133 (L.ヴィンクラーによるピアノ独奏版) 15:59
アンドレア・モルテーニ(ピアノ)

 ベートーヴェン晩年の巨大で多様なフーガの魅力


録音: 2023年9月13、14、15日、イタリア、クローベンスタイン、リッテン、レノン、ペピーター・マイール・ザール


 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」と第31番、および「大フーガ」のピアノ編曲版を収録。
 ベートーヴェンはフーガが大好きで、特に後期作品での工夫の凝らされた作品には見事なものがありましたが、ここではピアノで聴けるフーガの傑作を3曲聴くことができます。
 演奏は国際的な活動もおこなっているイタリアの若手、アンドレア・モルテーニによるものです。

 



対位法好きだったベートーヴェン

 ベートーヴェンはさまざまな分野の作品に対位法を用いて成果を上げていましたが、特に後期作品での大規模なフーガには見事なものがありました。このアルバムでは、フーガの傑作「大フーガ」と、終楽章にフーガを置いた2つの後期ピアノ・ソナタ、第29番「ハンマークラヴィーア」と第31番を収録しています。

大フーガのピアノ編曲

 弦楽四重奏のために書かれた「大フーガ」は、ピアノ4手版に編曲されたヴァージョンが知られていますが、ここではルイス・ヴィンクラー[1820-1886]が、1856年にピアノ独奏用に編曲したヴァージョンを選択。ヴィンクラーはベートーヴェンの交響曲全集や弦楽四重奏曲全集の編曲などをおこなったスペシャリストで、オリジナルに忠実なアレンジにより、弦楽四重奏によるフーガの魅力を巧みにピアノに移し替えています。

イタリアの技巧派による快演

 アンドレア・モルテーニは、2021年にペトラッシとダッラピッコラのピアノ曲全集でCDデビューしたピアニスト。作品が知られていないため、その実力はよくわかりませんでしたが、翌年のスカルラッティでは冒頭のK.24から驚きの演奏を聴かせていました。K.24といえば若き日のプレトニョフによる鮮烈な演奏が有名ですが、モルテーニの演奏はさらに明瞭でよく粒だち、高速演奏の中で作品情報を漏れなく表出するさまが驚異的ですらありました。
 感情移入に依存せず、多くの音符を明晰に響かせるこうした演奏様式は「大フーガ」にはうってつけで、4分51秒からの弱音部分、メノ・モッソ・エ・モデラートでは、端正な美しさでコントラストを際立たせています。



◆ アンドレア・モルテーニ (ピアノ)

 1998年、北イタリアのコーモに誕生。6歳からピアノを弾き始め、コーモのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院を優秀な成績で卒業した後、ミラノでヴィンチェンツォ・バルツァーニに師事。その後、ウィリアム・グラント・ナボレの指導のもと、2020年にルガーノのスイス・イタリア音楽院での高度な演奏研究により修士号を取得。
 モルテーニの活動範囲は、ヨーロッパ各地のほか、イギリス、アメリカ、ロシア、中国、シンガポールなど国際的。
 CDは、Piano Classics、Piano Island Recordsなどから発売。




 PCL10304
(2CD)
\2600→\1490

行方不明になっていたピアノ大作の世界初録音

 ソラブジ:トッカータ第3番

カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ [1892-1988]

トッカータ第3番 KSS76 (1955) 125:48
 CD1
  1. I: モヴィメント・ヴィーヴォ 13:28
  2. II: アダージョ 7:43
  3. III: パッサカリア 48:31
 CD2
  1. IV: カデンツァ 2:58
  2. V: クワジ・フガート 11:57
  3. VI: コッレンテ 3:20
  4. VII: ファンタジア 16:51
  5. VIII: 間奏曲 4:29
  6. IX: カプリッチョ 8:53
  7. X: エピローゴ~コーダ・ストレッタ 7:38
アベル・サンチェス=アギレラ(ピアノ)

録音:2022年7月、マドリード、コルメナール・ビエホ、エストゥディオ・ウーノ


 行方不明になっていたピアノ大作の世界初録音

 どの流派にも属さずにピアノ音楽のひとつの頂点を示したイギリスの作曲家、ソラブジ[1892-1988]の作品の多くは、異様なまでに高密度で複雑で技巧的で長大という特徴を持っていますが、その音楽には独特の美しさも含まれ、カルト的な人気を得ていることでも有名です。
 今回、半世紀以上も行方不明だったトッカータ第3番の楽譜が発見されたことを受けてクリティカル・エディションが作成され、レコーディングまでおこなわれたことはピアノ音楽好きに歓迎されるところです。
 ブックレット(英文)には、校訂もおこなったピアニストのサンチェス=アギレラによる解説が掲載されています。

 



トッカータ第3番

 曲は10の部分で構成され、バッハに因むパッサカリアは48分かかる大規模なものとなっています。ソラブジ63歳の1955年に作曲されたものの行方不明となり、ソラブジの死後31年が経過した2019年に自筆譜が発見。ソラブジ・アーカイヴがサンチェス=アギレラに連絡を取ったことで、自筆譜からクリティカル・エディションを作成し、2022年7月にオランダのスヘルトーヘンボスで世界初演、2022年7月に世界初録音が実現することになりました。



カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ [1892-1988]

 1892年、イングランド東部エセックス州に誕生。父はゾロアスター教徒の土木技術者で、母はイギリス人。生涯の多くをイングランド南西部ドーセット州のコーフ・キャッスル村で過ごしたという異端の天才。もともとはレオン・ダドリー・ソラブジですが、父親の影響で、ゾロアスター教由来の名であるカイホスルー・シャプルジ・ソラブジという名前を使用していました。
アルカンやブゾーニ、シマノフスキ、レーガー、バッハなどの影響を受けたソラブジは、演奏至難な曲をたくさん作り、さ
らに当時の聴衆や演奏者の態度に腹を立ててそれらの作品の公開演奏を40年ものあいだ禁じたこともあってなかなか普及し
ませんでした。



◆ アベル・サンチェス=アギレラ (ピアノ)


 アベル・サンチェス=アギレラ(アベル・サンチェサギレラ)は、1977年にマドリードに誕生。マドリード王立音楽院で現代音楽に関する修士号を取得して1999年に卒業したのち、ボストンのニューイングランド音楽院で2年間学んでいます。
 音楽と並行して医学の研究もおこない、2006年に生化学と分子生物学の博士号を取得。2011年にボストン小児病院での研修を終えたのち、マドリードの国立心臓血管研究センターで血液幹細胞と白血病の研究に取り組んでいました。
 ピアノの練習も欠かさす、2011年6月に第6回ボストン国際ピアノ・コンクールで第1位と聴衆賞を獲得。2011年8月にはモーツァルテウム音楽大学と楽譜出版社のウニヴェアザールが開催する現代音楽の解釈のためのコンクール「ムジーク・デア・エクストラクラッセ」で第1位。2015年にはアレクサンダー・スクリャービン・コンクール(ザルツブルク)で第1位などと高い評価を得ています。
 2009年リオデジャネイロ、2010年ニース、2011年ブダペスト、2012年サンクトペテルブルク、パリなどこれまでにリサイタルでヨーロッパとアメリカの12カ国を訪れており、2015年にはパリでスクリャービンのソナタ全曲公演も開催。
 現在はマドリードの「ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス」音楽院の教授を務めながら、主に現代音楽の領域で活動をおこなっています。


 
 
 PCL10215
\2500→\1490
アンダルシア由来の作品をアンダルシアの禅僧ピアニストが演奏
 ホアキン・トゥリーナ:ピアノ作品集


ホアキン・トゥリーナ [1882-1949]:ピアノ作品集

絵のように美しい組曲「セビリア」 Op.2 (1909)
1. 第1曲「オレンジの木の下で」 6'15
2. 第2曲「聖木曜日の真夜中」 8'01
3. 第3曲「ラ・フェリア(祭り)」 5'59

「5つのジプシーの踊り」 Op.55 (1929)
4. 第1曲「サンブラ」 3'43
5. 第2曲「誘惑の踊り」 3'39
6. 第3曲「儀式の踊り」 2'56
7. 第4曲「ヘネラリフェ庭園」 1'52
8. 第5曲「サクロモンテ」 1'58

幻想的舞曲 Op.22 (1919)
9. 第1曲「高揚感」 5'15
10. 第2曲「夢(幻想)」 6'13
11. 第3曲「饗宴」 5'25
ペドロ・ピケロ(ピアノ)


録音:2023年10月12日~14日、スペイン、ヴィリャヌエヴァ・デ・ラ・セレナ、パラシオ・デ・コングレソス


 

 アンダルシアの作曲家、ホアキン・トゥリーナ[1882-1949]が書いたアンダルシア関連のピアノ曲には、視覚的な要素、踊り、儀式、心理状態などが盛り込まれており、アンダルシア育ちのピアニスト、ペドロ・ピケロにはうってつけのアルバム。
 ディジパック仕様で、ブックレット(英語&スペイン語・16ページ)には、スペインの音楽評論家で、スペイン放送協会(RTVE)のクラシック専門放送局「Radio Clasica」のディレクターでもあるカルロス・デ・マテサンスによる各作品の解説を掲載。

  




親子2代で民俗風俗的な芸術を追求


 父親、ホアキン・トゥリーナ・イ・アレアル[1847-1903]は、セビリアの民俗風俗を写実的な手法で非常に美しく描きあげた画家で、トゥリーナの音楽作品に与えた影響には大きなものがあると考えられます。また、トゥリーナは絵画だけでなく写真にも興味があり、その遺品にはセビリアの写真家、エミリオ・ベオウチ・カノ[1847-1928]の作品(父の絵の複製写真も制作)などが含まれていました。


民俗風俗の写実的な美術や写真の影響


 当初はパリで学び印象主義的な手法にも感化されたトゥリーナでしたが、やがてアルベニス[1860-1909]やファリャ[1876-1946]と交流するうちにフランス志向からスペイン志向に切り替わり、アンダルシアの民俗音楽も研究して、民俗風俗的な素材に想を得た音楽に取り組むようになります。


組曲「セビリア」


 1909年作曲。正確には「絵のように美しい組曲」と題された「セビリア」はパリ時代、エコール・ノルマル在籍中の作品ですが、すでに頭はアンダルシア・モードで、まるで父の絵のような「オレンジの木の下で」、「聖木曜日の真夜中」、「ラ・フェリア(祭り)」で構成されています。


「5つのジプシーの踊り」


 1929年作曲。カタルーニャを頻繁に訪れて文化人や音楽家らと交流していた時期の作品。アンダルシアのジプシーの踊りはフラメンコの先祖とも言われますが、1曲目のサンブラなどフラメンコの形式にもなっています。4曲目の「ヘネラリフェ庭園」はアルハンブラ宮殿の庭園。5曲目の「サクロモンテ」はグラナダの丘にあるジプシー地区の名前で、「サンブラ」発祥の地。


幻想舞曲集


 1919年作曲。ディアギレフのロシア・バレエ団と仕事をしていた時期の作品で、この曲集も本格的な舞曲集で、のちにオーケストラ版もつくられています。第1曲「高揚感」、第2曲「夢(幻想)」、第3曲「饗宴」という、民俗風俗の写実とはまた違った世界を描きあげています。


セビリア生まれのピアニスト


 アンダルシア尽くしのアルバムを演奏するのは、地元セビリア生まれのピアニスト、ペドロ・ピケロ。



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ペドロ・ピケロ (ピアノ)


 1976年、アンダルシア州セビリアに誕生。スペインの名手、エステバン・サンチェス・エレーロ [1934-1997]と、ブラジルの名手で新ウィーン楽派など20世紀作品に強いカイオ・パガーノ [1940- ]に師事。以後、南北アメリカ、スイス、ベルギー、スペイン、ポルトガル、スウェーデンなどで演奏。
 音楽演奏と並行して、近年では宗教家としても活動。日本の仏教学者、西嶋和夫(法名:愚道和夫)[1919-2014]の弟子として道元の「正法眼蔵」の翻訳にも携わり、曹洞宗僧侶として、スペインの仏教団体、道元サンガで会長を務めるほか、禅道、求道の指導もおこなっています。
 CDは、Piano Classics、Verso、Columna Musica、NIbiusなどから発売。



 




 PCL10246
(2CD)
\2600→\1490

チーロ・ロンゴバルディ

メシアン:
 「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」、
 「鳥の小スケッチ」



「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」 [1944]
1.  第1曲「父の眼差し」 6'56
2.  第2曲「星の眼差し」  2'49
3.  第3曲「交換」  3'16
4.  第4曲「聖母の眼差し」  5'32
5.  第5曲「子を見つめる子の眼差し」  5'36
6.  第6曲「それに全ては成されり」  11'15
7.  第7曲「十字架の眼差し」  3'22
8.  第8曲「高き御空の眼差し」  2'30
9.  第9曲「時の眼差し」  3'19
10.  第10曲「喜びの聖霊の眼差し」  8'44
11.  第11曲「聖母の初聖体」  6'39
12.  第12曲「全能の言葉」  2'45
1.  第13曲「降誕祭」  4'24
2.  第14曲「天使たちの眼差し」  5'00
3.  第15曲「幼子イエスの接吻」  9'27
4.  第16曲「予言者たち、羊飼いたちと博士たちの眼差し」  3'12
5.  第17曲「沈黙の眼差し」  5'15
6.  第18曲「恐るべき感動の眼差し」  6'58
7.  第19曲「我は眠っているが、私の魂はめざめている」  9'16
8.  第20曲「愛の教会の眼差し」  13'37

「鳥の小スケッチ」 [1985]
9.  第1曲「ヨーロッパコマドリ」  2'20
10.  第2曲「クロウタドリ」  2'14
11.  第3曲「ヨーロッパコマドリ」  2'28
12.  第4曲「ウタツグミ 」  2'04
13.  第5曲「ヨーロッパコマドリ」  2'43
14.  第6曲「ヒバリ」  2'26
チーロ・ロンゴバルディ
 (ピアノ/ファツィオリ F278 mkIII)

録音:2023年9月21~23日、10月26~28日、イタリア、カヴァリッコ、アルテスオーノレコーディング スタジオ

 現代音楽ピアニストによる超精密演奏!

 「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」は、メシアンがドイツ軍占領下のフランスで1944年の3月から9月にかけて作曲。
 メシアンは20の楽章のそれぞれに深遠な神学的象徴を吹き込み、聖母マリア、ベツレヘムの星、東方の三博士の礼拝といったテーマを探求。
 メシアンはここで、オルガンでは実現不可能な複雑なリズムと精密なデュナーミク、粒立ちの良い音に加え、「間」を作品に盛り込んでいるため、演奏時にそれが高精度に再現されることが望ましいですが、実際にはピアノと言えども、会場の響きやマイク・ポジションの問題もあってなかなかむずかしそうです。
 今回登場するロンゴバルディ盤は、ピアノならではのメシアンの特徴を最大限に追求したもので、その情報量には恐れ入ります。
 
 ブックレット(英語・12ページ)には、演奏のロンゴバルディによる解説などが掲載。
 ディジパック仕様の装丁。


 メシアンは、神学者ならではのカトリシズムを感じさせる作品を数多く書いたことでも有名で、60年以上も教会オルガニストとして活躍、高度な即興演奏と宗教音楽の作曲によって深い信仰心をあらわしてもいました。 メシアンは鳥の声にも絶大な関心を持ち、鳥類学者として世界中の鳥の声を採譜して作品に取り込み、また、「リズムの創作家」と自ら称し、インドやギリシャなどのさまざまなリズムを研究、作品にも反映させてユニークな世界を構築しています。 メシアンはまた、音を聴くと色彩や模様が思い浮かぶという「共感覚」の持ち主でもあり、そのことは、彼の作品のユニークな性格を決定付ける大きな要因になっているものと考えられています。


  



チーロ・ロンゴバルディ (ピアノ)


 1994年のオランダ・ロッテルダムでのガウデアムス国際現代音楽演奏コンクールでファイナリストおよび最優秀ピアニストに選ばれ、同年、ダルムシュタットで開催された第37回現代音楽講習会でクラニヒシュタイナー音楽賞を受賞。その後、現代音楽を中心にヨーロッパ各国で演奏。
 2019年には、Piano Classicsからメシアンの「鳥のカタログ」全曲がリリースされ、イタリアの批評家にとって最も重要な賞であるアッビアーティ賞を受賞したほか、フランスの主要な雑誌「ディアパソン」では5つ星の評価を獲得。2021年には、Piano Classicsから、メシアンの初期の作品と晩年の鳥類学作品を集めた2枚組アルバムもリリース。
 2020年から2022年の間、ロンゴバルディはレッジョ・エミリアのアペルト・フェスティヴァルで、メシアンのピアノ作品全曲を5回のコンサートでイタリア初演しています。
 CDは、Piano Classics、Stradivarius、Kairos、Limen、Mode Records、Rai Trade、Neos、Die Schachtelなどから発売。


 
 


 PCL10324
(3CD)
\3200→\2990
スカルラッティ、ソレールを継承するスペイン鍵盤楽曲の精華
 ネーブラ: ピアノ作品全集
ペドロ・ピケロ(ピアノ)
 マヌエル・ブラスコ・デ・ネーブラ (1750-1784)
  CD1  70'57
   6つの鍵盤ソナタ(オスナのエンカルナシオン修道院より)
    1. ソナタ第107番 ト長調  4'26/2. ソナタ第108番 ホ短調  2'47/
    3. ソナタ第109番 イ短調  2'22/4. ソナタ第110番 ニ長調  4'06/
    5. ソナタ第111番 イ長調  4'15/6. ソナタ第112番 ハ短調  2'19
   ピアノのための6つのパストレラ(モンセラート修道院の写本2998より)
    パストレラ第1番ト長調  9'00
     7. アダージョ  4'35/8. パストレラ  2'48/9. メヌエット  1'37
    パストレラ第2番ヘ長調  8'17
     10. アダージョ  4'07/11. パストレラ  3'07/12. メヌエット  1'03
    パストレラ第3番イ短調  7'18
     13. アダージョ  2'53/14. パストレラ  3'11/15. メヌエット  1'14
    パストレラ第4番 ロ短調  7'49
     16. アダージョ  3'08/17. パストレラ  3'08/18. メヌエット  1'33
    パストレラ第5番ハ長調  9'04
     19. アダージョ  4'37/20. パストレラ  2'52/21. メヌエット  1'35
    パストレラ第6番ホ短調  9'02
     22. アダージョ  4'38/23. パストレラ  3'18/24. メヌエット  1'06
  CD2  71'54
   ピアノ・ソナタ集(モンセラート修道院の写本2998より)
    ソナタ第1番イ長調  9'03
     1. アダージョ  5'55/2. アレグロ  3'08
    ソナタ第2番ハ短調  8'20
     3. アダージョ  5'27/4. アレグロ  2'53
    ソナタ第3番ニ長調  7'08
     5. アダージョ  4'24/6. アレグロ  2'44
    ソナタ第4番ハ長調  7'09
     7. アダージョ  4'58/8. アレグロ  2'11
    ソナタ第5番ニ短調  7'20
     9 アダージョ  4'55/10. アレグロ  2'25
    ソナタ第6番ホ短調  6'52
     11. アダージョ  4'51/12. アレグロ  2'01
    ソナタ第7番ヘ長調  7'22
     13. アダージョ  4'39/14. アレグロ  2'43
    ソナタ第8番ハ長調  6'52
     15. アンダンテ  3'19/16. アレグロ・モデラート  3'33
    ソナタ第9番イ短調  3'37
     17. アレグロ  3'37
    ソナタ第10番ハ長調  8'00
     18. アダージョ  5'20/19. アレグロ  2'40
  CD3  61'34
   チェンバロとピアノのための6つのソナタ Op.1
    ソナタ第1番ハ短調  9'31
     1. アダージョ  5'21/2. アレグロ  4'10
    ソナタ第2番変ロ長調  9'13
     3. アダージョ  5'42/4. アレグロ  3'31
    ソナタ第3番イ長調  8'42
     5. アダージョ  5'32/6. アレグロ・モルト  3'10
    ソナタ第4番ト短調  9'05
     7. アダージョ  5'20/8. アレグロ・モルト  3'45
    ソナタ第5番嬰ヘ短調  9'32
     9. アダージョ  5'24/10. プレスト  4'08
    ソナタ第6番ホ長調  9'18
     11. アダージョ  5'18/12. プレスト  4'00
   ピアノ・ソナタ集 (モンセラート修道院の写本2998より)
    ソナタ第11番 イ長調  2'46
     13. アレグロ  2'46
    ソナタ第12番ヘ長調  3'20
     14. アレグロ  3'20

 録音:2008年9月8、9日 (CD1)、2009年10月31日、11月1日 (CD2)、2010年11月13、14日 (CD3)、スペイン王国、マドリード、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス音楽院/204'25

 スカルラッティ、ソレールを継承するスペイン鍵盤楽曲の精華
 18世紀スペインの作曲家、マヌエル・ブラスコ・デ・ネーブラ(1750-1784)は、職場がマドリードの南西約400kmに位置するセビリア大聖堂でメインの仕事がオルガニスト、しかもわずか34歳で亡くなってしまったことから知名度が低く、現存する楽譜も170曲作曲したうちの30曲のみと限られています。
  これらの作品は、主にチェンバロまたはフォルテピアノ用に作曲されており、優雅な旋律線、複雑な装飾、突然のダイナミックなコントラスト、ロマン主義の傾向を予感させる革新的なテクスチャーの使用などを特徴とするソナタとパストレラで構成されています。

 セビリア大聖堂オルガニスト
 セビリア大聖堂は世界最大級の大聖堂で、大司教の座には枢機卿が就くことも多く、ネーブラがセビリアに生まれた頃の大司教はのちにボッケリーニの雇い主になるドン・ルイス枢機卿(1727-1785)でした。
 ネーブラは18歳で父ホセの部下としてセビリア大聖堂のオルガニストになり、28歳のときには父の後を継いでいます。
 オルガンだけでなく、チェンバロ、フォルテピアノの優れた演奏と即興演奏でも有名でしたが、34歳で急死しています。
 ネーブラ在職中の大司教は、1768年から1775年までがフランシスコ・デ・ソリス・イ・フォルチ・デ・カルドナ枢機卿(1713-1775)、1776年から1781年までがフランシスコ・ハビエル・デルガド・ベネガス枢機卿(1714-1781)、1783年から1784年までがアロンソ・マルコス・デ・ヤネス・アルグエイェス(1732-1795)の3人。

 ボッケリーニと同世代
 ネーブラはボッケリーニ(1743-1805)とほぼ同世代で作風も古典派的という共通点がありますが、宮廷で長く働いていたボッケリーニに対し、ネーブラはセビリア大聖堂で18歳から亡くなるまで16年間働いており、マドリードの王室礼拝堂にいたのは修業時代の1766年から1768年頃の2年間のみ。
 しかも当時ボッケリーニはイタリアからフランス、スペインと移動している時期だったので接点は無さそうです。

 スペインの鍵盤楽曲
 スペインの鍵盤楽器作品といえば、バロック後期の1729年から1757年までの28年間に渡って宮廷でドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)が働き鍵盤ソナタ500曲以上を作曲、修道院ではアントニオ・ソレール(1729-1783)が1744年から1783年まで39年間働いて鍵盤ソナタ150曲以上を作曲していたことが大きなトピックとして挙げられます。

 スペイン王室の日常
 スペイン王室は年に何度も国内各地の宮殿や修道院を移り住んだり訪れたりするのが習慣になっていたので、修道院でも世俗音楽が演奏されており、スカルラッティ → ソレール → ネーブラという流れが存在しても不思議ではありません。

 装丁・ブックレット
 装丁は8面デジパック仕様で、差し込みブックレット(英語&スペイン語・16ページ)には、音楽学者のロベルト・モンテスによる解説などが掲載。

 ペドロ・ピケロ (ピアノ)
 1976年、アンダルシア州セビリアに誕生。スペインの名手、エステバン・サンチェス・エレーロ [1934-1997]と、ブラジルの名手で新ウィーン楽派など20世紀作品に強いカイオ・パガーノ [1940- ]に師事。以後、南北アメリカ、スイス、ベルギー、スペイン、ポルトガル、スウェーデンなどで演奏。
 音楽演奏と並行して、近年では宗教家としても活動。日本の仏教学者、西嶋和夫(法名:愚道和夫)[1919-2014]の弟子として道元の「正法眼蔵」の翻訳にも携わり、曹洞宗僧侶として、スペインの仏教団体、道元サンガで会長を務めるほか、禅道、求道の指導もおこなっています。
 CDは、Piano Classics、Verso、Columna Musicaなどから発売。
 
 





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