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さすがARDMORE、この媚びないセレクション
ARDMORE復活!
新企画はロシアや東ヨーロッパ諸国の稀少音源復刻
1CD-R\1800


 店主が最も愛した歴史的録音復刻レーベルARDMORE。
 ご存知のようにアリア・レーベルはこのARDMOREとの共同企画である。

 しかし残念ながら最後に新譜が出たのは4年前までさかのぼる。
 兄弟レーベルHECTORが順調に新譜を出していたのとは対照的に、ARDMOREのほうはほとんど開店休業状態だった。
 

 ところがそのARDMOREがここへきて華々しく復活。
 しかも今回のテーマはロシアや東ヨーロッパ諸国の稀少音源。
 ロシアの大演奏家が顔をそろえるが、その内容は大衆に媚びない相変わらずの硬派路線。いまは消滅した本家MELODIYAのCD部門でさえCD化を躊躇するようなレア音源も含む。

 考えてみればMELODIYAのLP音源を積極的に取り上げるCD-R復刻レーベルというのはかつてなかったように思う。そこにARDMOREが参入してくれれば、いままでほとんど日の目を見なかった、ずっと埋もれてしまっていたすばらしい音源がまた世の中に登場してくれるはず。
 今後のARDMOREの活躍に期待したい。


 折返しジャケットと盤面印刷。日本語表記あり。
 薄CDケース入り仕様。



第6弾


A300 026
(1CD-R)\1800
クルト・ザンデルリンク指揮&レニングラード・フィル
 バッハ:管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066*
 ヘンデル:水上の音楽
クルト・ザンデルリンク指揮 
レニングラード・フィル
10inch Melodiya D893 & 12inch 06103 04
1949年* 1950年代録音モノラル


 ザンデルリンクは1935年にソ連に亡命してムラヴィンスキーの下でレニングラード・フィルの第一指揮者を務めていたが、1960年に東ドイツに帰国し、ベルリン交響楽団の芸術監督、首席指揮者に就任、また1964年から1967年まではシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者を兼務した。
 我々が親しく知っているのは東ドイツに帰って以降のザンデルルンク。
 ソ連時代の録音では、ムラヴィンスキーと抱き合わせのセット物のチャイコフスキーの交響曲第4番だけが突出して有名だが、それ以外の録音が紹介されることは極めてまれ。




ARDMORE「A300」シリーズの旧譜から

A300-007
(1CD-R)\1800
クルト・ザンデルリンク指揮&レニングラード・フィル
 シベリウス:交響曲第5番変ホ長調op.82
 モーツァルト:交響曲第35番ニ長調kv.385「ハフナー」
クルト・ザンデルリンク指揮 
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
10inch Melodiya D5289 D07973 1950年代録音モノラル

HECTOR「オーケストラ コレクション」の旧譜から


HOC23042
1CD-R\1800
クルト・ザンデルリンク指揮
 モーツァルト:交響曲第41番ハ長調「ジュピター」
 ドヴォルザーク:スラブ舞曲集op.72 (全8曲)
クルト・ザンデルリンク指揮 
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
12inch Melodia 5289
1950年代 モスクワ録音MONO


A300 027
(1CD-R)\1800
(ピアノ) スヴャトスラフ・リヒテル
 スヴェトラーノフ指揮&ソビエト国立交響楽団

  ラフマニノフ:交響曲第3番イ短調op.44*
  ショパン:ピアノ協奏曲第2番ヘ短調op.21
(ピアノ) スヴャトスラフ・リヒテル
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ソビエト国立交響楽団
Private tape
 1968年12月30日モスクワ・ライヴ録音*拍手入
 1966年 モスクワ・ライヴ録音拍手入

詳細不明。
BMG/MELODIYAで発売されていたラフマニノフの3番は1966年、オケはモスクワ放送交響楽団だった。
BMG/MELODIYAなどから発売されていたショパン(1966年)と同じ音源か不明。

A300 028
(1CD-R)\1800
コンスタンティン・イワノフ指揮&ソビエト国立交響楽団
 チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調op.36
 ベートーヴェン:「レオノーレ」序曲第3番
コンスタンティン・イワノフ指揮 ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya &Muza -
 1950年代録音モノラル



 コンスタンティン・イワノフは1907年生まれの指揮者。
 貧しい家庭で育つも若くして頭角をあらわし、1938年には第1回全ソヴィエト指揮者コンクールでムラヴィンスキーと第1位を争って注目され、1941年にはモスクワ放送響指揮者となり、1946年にはガウク、ラフリンに続くソビエト国立交響楽団の首席指揮者として活躍、その演奏水準を飛躍的に高めたことで知られる。まさにムラヴィンスキーと並んでソヴィエトの一時代を築いた大指揮者といっていい。
 ただその輝かしい活躍とは裏腹に、現在入手できる音盤は限られている。

A300 029
(1CD-R)\1800
ナタン・ラフリン指揮 
 ソビエト国立響&モスクワ放送響

  ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界より」*
  リスト:ハンガリー狂詩曲第1番ハ短調 第2番ニ短調
ナタン・ラフリン指揮 
ソビエト国立交響楽団*&モスクワ放送交響楽団
12inch Melodiya
1950年代*&1950年頃録音モノラル



 ナタン・ラフリンは1905年生まれ、ウクライナ出身のソビエト連邦の指揮者。

 ユダヤ系の家庭に生まれる。1920年から1923年まで赤軍に所属。1923年から1927年までキエフ音楽院に在籍し、ヴァイオリンをD.F.ベルティエに、指揮法をアレクサンドル・オルロフに師事。また、トランペットも学んだ。その後はレニングラードでマクシミリアン・シテインベルクにも指揮法を師事している。
 ハリコフやキエフ、モスクワ、カザン、ドネツクで指揮者として経験を積んだ後、1937年から1941年まで、また1946年から1962年までウクライナ国立交響楽団の指揮者に迎えられた。
 その間の1941年から1945年にかけてはソヴィエト国立交響楽団の指揮者に就任している。1957年にショスタコーヴィチの《交響曲 第11番「1905年」》の世界初演を指揮。
 1966年よりタタールスタンのカザン管弦楽団の首席指揮者に就任した。
 このほかに、モスクワ放送交響楽団やレニングラード交響楽団なども指揮している。

 19世紀のロマン主義音楽を得意とし、ベルリオーズの《幻想交響曲》とリストの交響詩やチャイコフスキーの管弦楽曲など、なかんずく標題音楽の解釈に長けていた。ボリス・リャトシンスキーやヴィクトル・コセンコ、ワディム・ゴモリャカ、ヘオルヒイ・マイボロダ、レフコ・コロドゥープなどのウクライナ人作曲家の作品もレパートリーに入れた。生前は、多くのソヴィエト映画に音楽監督として名を連ねるなど、ソ連の名指揮者の一人に数えられたにもかかわらず、遺憾なことに重要な録音が入手し難い現状にある。



A300 030
(1CD-R)\1800
スパイ活動を拒否してアメリカに亡命した
 ルーベン・ヴァルタニアン指揮&モスクワ放送交響楽団

  ハイドン:交響曲第82番ハ長調「熊」
  フリードリヒ・ヴィット:交響曲ハ長調「イエナ交響曲」
ルーベン・ヴァルタニアン指揮 
モスクワ放送交響楽団

12inch Melodiya
1960年代中期録音ステレオ



ルーベン・ヴァルタニヤンはモスクワ音楽院(指揮科)で学び、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団(芸術監督・首席指揮:キリル・コンドラシン)、ソビエト連邦ボリショイ劇場(首席指揮:エフゲニー・スヴェトラーノフ)でアシスタントとして活躍。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは彼をウィーン国立歌劇場のアシスタントに任命した。
1967年から1970年にかけて、アルメニア・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督兼首席指揮者と、1970年からは、ボリビア国立交響楽団の芸術監督兼首席指揮者、ソビエト連邦ボリショイ劇場の指揮者を務めた。
ボリビア政府に対するスパイ活動を拒否したため、ソビエト当局と衝突。ブレジネフ政権により、1980年にモスクワのボリショイ歌劇場で指揮者に戻ることができたが、1988年にボリビアで客演指揮をした際、亡命してアメリカに移住した。
1991年以来、アメリカのアーリントン交響楽団で芸術監督および首席指揮者を務め、2008年に亡くなっている。




第5弾


A300-021
(1CD-R)\1800
ポーランドの名匠ヴィトルト・ロヴィツキ
 (1)ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズop.22
 (2)グリーグ:「ペール・ギュント」第1,2組曲
 (3)モーツァルト:交響曲第35番ニ長調kv385「ハフナー」
(1)
(ピアノ) ハリーナ・チェルニー=ステファンスカ
ヴィクトル・ロヴィッキ指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
12inch Muza XL0057 ― 1950年代後期録音モノラル

(2)
アルノルト・レズレル指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
10inch Muza L0095 ー 1950年代録音モノラル

(3)
ヴィクトル・ロヴィッキ指揮 ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
10inch Muza L0037 ー 1950年代録音モノラル




 ポーランドの名匠ヴィトルト・ロヴィツキ(1914年2月26日 タガンログ - 1989年10月1日 ワルシャワ)。ヤン・クレンツやスタニスワフ・ヴィスウォツキとともに、「ポーランド三羽烏」と並び称せられた。
 クラクフ音楽院にてヴァイオリンと作曲を学び、戦時中にドイツに渡り、ルドルフ・ヒンデミット(有名な作曲家パウル・ヒンデミットの弟)に指揮法の個人指導を受けるが、終戦まではヴァイオリン奏者として活動を続けた。
祖国解放までにポーランド国立放送交響楽団やワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の結成に参加し、1958年から1977年まで後者の音楽監督を務めた。
1982年から1985年までバンベルク交響楽団の首席指揮者に迎えられた。
 アントニーン・ドヴォルジャークの交響曲全集を発表したほか、同時代のポーランド人作曲家の諸作品を好んで録音した。どちらかというとリヒテルやミケランジェリなどの巨匠との録音が有名。
 今回はあまりおもてに出ることのない「ハフナー」が収録されている。




 アーノルド・レズレルは1909年生まれのポーランドの音楽家で、チェロ奏者、指揮者、作曲家として活躍した。
 第二次世界大戦前後にポーランド各地で音楽活動を展開し、ポーランド国営放送のオーケストラ指揮者や、ワルシャワ・フィルハーモニー副指揮者を務めた。また、軍楽隊の芸術監督や音楽大学の教授としても活躍し、多くの録音や編曲を手がけた。
 1992年にドイツに移住し、2000年に91歳で亡くなった。



レズレルの指揮が聴ける

Burg 1213
\1800
ギンペル/レズレル指揮&ワルシャワ国立フィル
 華麗なポロネーズop.21 op. 4
 マズルカ「旅芸人」 「オベルタス」 「クヤヴィアク」
 スケルツォ・タランテッラ
 「ファウスト」の主題による幻想曲op. 20
 伝説op. 17
(全8曲)
(ヴァイオリン) ブロニスワフ・ギンペル
レズレル指揮 
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団
12inch Muza SX0104
1962年1963年録音ステレオ



A300-022
(1CD-R)\1800
ダニール・シャフラン
 カルル・エリアスベルク

(1)サン=サーンス:動物の謝肉祭(全14曲)
(2)チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲op.33
(3)ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」より
  ラコッツィ行進曲 妖精の踊り 鬼火のメヌエット
(1)(ピアノ) エミール・ギレリスとヤコブ・ザーク
(チェロ) ダニール・シャフラン他
カルル・エリアスベルク指揮 ソビエト国立交響楽団
10inch Melodiya D1101 ー 1950年代録音モノラル

(2)
(チェロ) ダニール・シャフラン
ミクローシュ・エルデーイ指揮 ハンガリー国立交響楽団
Private tape ライヴ録音ステレオ 拍手入
(不記載の録音データは商品ジャケット裏にて掲載しています。)

(3)
カルル・エリアスベルク指揮 ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya ー 1950年代録音モノラル



 リヒテルはシャフランについてこう語った。
 「ロストロポーヴィチに感動したって?でもシャフランを聴くまでは待ったほうがいい」・・・。
 ロストロポーヴィチと1950年「プラハの春」国際音楽コンクールの1位を分け合った名匠ダニール・シャフラン。
 さまざまな著名人がこれまでシャフランの伝説について語ってきたが、いまだに海外でも彼を熱心に信奉する人は多く、たとえばシャフランを理想のチェリストとするイッサーリスは、かつてどうしてもシャフランの演奏が生で聞きたくて、親友のムストネンとともに彼のコンサートを組んでしまったという。
 シャフランの前にシャフランはいない。そしてシャフランのあとにもシャフランはいない。
 その空前絶後といっていい独特の歌いまわしはまさに孤高の存在である。気ままで、歌いすぎ、崩しすぎのところもあり、まるで場末の酒場で酔っ払いが演奏しているような雰囲気のときさえある。しかし一度人の心を掴んだら離さない。その甘美で妖艶なまでのチェロの音色に引きずり込まれていくことになる。





 1907年、ロシア帝国領ミンスクで生まれた指揮者カール・イリイチ・エリアスベルク。
 ハリコフ音楽院でヨアヒム・ゴルトベルクにヴァイオリンを学び、レニングラード音楽院のヴァイオリン科に進学して1929年に卒業した。
 卒業後から1931年までレニングラードのコミック劇場で働いた後、1932年からレニングラード放送交響楽団の指揮者陣に加わり、1937年から1950年までそこの首席指揮者として活躍した。第二次世界大戦中は、1942年のレニングラード包囲戦の最中にドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲第7番を演奏している。
 1944年には、その功績からソ連政府から功労芸術家の称号を贈られた。レニングラード放送交響楽団の職を辞してからはフリーランスの立場で演奏活動を続けた。
 1978年、レニングラードで死去。


A300-023
(1CD-R)\1800
コンスタンティン・イワーノフ
 ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調op.125「合唱付」(ロシア語)
(S) Korolkova (A) Vinogradova (T) Kuznetsov (B) Praskev
アカデミーロシア共和国合唱団
コンスタンティン・イワーノフ指揮 
モスクワ国立フィルハーモニー管弦楽団
12inch Melodiya 04133 モスクワ・ライヴ録音ステレオ 拍手入

(不記載の録音データーは商品ジャケット裏にて掲載しています。)



 コンスタンティン・イワノフは1907年生まれの指揮者。
 「豪放」で「精力的」、骨太でエネルギッシュな野性味溢れるイワーノフの魅力をたっぷり堪能できる「第9」。

A300-024
(1CD-R)\1800
ナタン・ラフリン指揮/レオポルド・スティンベルク指揮
 (1)チャイコフスキー:交響曲第2番ハ短調op.17「小ロシア」
 (2)チャイコフスキー: 弦楽セレナーデハ長調op.48
(1)ナタン・ラフリン指揮 ボリショイ劇場管弦楽団
12inch Melodiya ー 1950年代録音モノラル

(2)
レオポルド・スティンベルク指揮 ボリショイ劇場管弦楽団
12inch Colosseum CRLP10190 ー 1950年頃録音モノラル

A300-025
(1CD-R)\1800
パーヴェル・セレブリャコフvsムラヴィンスキー
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調op.23
 弦楽セレナーデハ長調op.48*
(ピアノ) パーヴェル・セレブリャコフ
エフィゲニー・ムラヴィンスキー指揮 
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
12inch Melodiya
 1953年1月6日 
 1949年4月20日*録音モノラル



 ロシアの名匠セレブリャコフは1906年生まれ。なんとレニングラード音楽院の院長にまでのぼりつめた人。しかしその職を辞することもいとわぬ爆裂演奏。この院長先生の披露演奏とかを入学式とかで聴かされたら、新入生たちはみんなそのまま自信喪失して家路に着くだろう。
 その爆裂院長先生のチャイコフスキー。
 同い年生まれのムラヴィンスキーとの力関係は不明だが(ムラヴィンスキーはすでにスターリン賞を受賞しているし、セレブリャコフはレニングラード音楽院の院長を10年以上務めて退任したあと)、両者はもちろん一歩も引くことなくわたりあう。さすがに状況が状況なのでセレブリャコフもソロ録音のときのような無茶はしていないが、第3楽章終盤にかけては余裕のクライマックス。ムラヴィンスキーがこの曲最初の録音にこの人を選んだというのもうなずける。

第4弾


A300-016
(1CD-R)\1800
(ピアノ) レギナ・スメンジャンカ
 19世紀のポーランド作曲家によるピアノ曲集

  オギンスキ:ポロネーズ変ロ長調 ピアノのための5つの舞曲
  ヤ二エヴィチ:アンダンテと変奏曲
  レッセル:ウクライナの歌による変奏曲op.15-1
  シマノフスカ:ノクターン変ロ長調 2つのマズルカ ポロネーズヘ短調 練習曲ホ長調
(ピアノ) レギナ・スメンジャンカ
12inch MUZA XL0355 - 1960年代初期録音モノラル

 レギナ・スメンジャンカは1924年生まれのポーランドのピアニスト。
 クラクフ国立音楽アカデミーを卒業した直後、ちょうど再開したフレデリック・ショパン国際ピアノコンクールの11位に入賞、1950年から1955年にズビグニェフ・ジェヴィエツキの弟子となり国際的な経歴を打ち立てた。
 ショパン音楽アカデミーの教授を1996年まで務め、一時期学長も務めた。1970年、1980年、1995年、2000年のショパンコンクール審査員。
 2011年9月15日、ワルシャワで86歳で没した。

  ピアニストの間では有名なこんな本も出てます。


ショパンも聴いてみたいですよね。
CHOPIN, Berceuse
https://youtu.be/4R6dmkquws4?si=ix7syXzmgwwX_hbR


A300-017
(1CD-R)\1800

アルヴィド・ヤンソンスとロヴロ・フォン・マタチッチ
フランク:交響曲二短調 アルヴィド・ヤンソンス指揮
ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya D17503 - 1960年頃録音モノラル
スメタナ:チェコの歌 ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮 
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
プラハ・フィルハーモニー合唱団
private tape ライヴ録音ステレオ 拍手入

(録音データの不記載につきましては、商品ジヤケット裏にて記載しています)


A300-018
(1CD-R)\1800
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
 R.シュトラウス:アルプス交響曲
 J.シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲*
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 
ソビエト国立交響楽団 
モスクワ放送交響楽団*

12inch Melodiya C10 20369008 & 01468
1968年5月5日モスクワ・ライヴ録音ステレオ拍手入
1964年録音モノラル*

おなじみ、はやしひろしさんのページでも絶賛されているソビエト国立交響楽団との1968年のアルプス交響曲が聴ける。ハーグよりすごいらしい。
disc-o-r

スヴェトラーノフのJ.シュトラウス2世の曲は初めて聴くような気がする。

A300-019
(1CD-R)\1800
(ピアノ)ユーリ・ムラヴリョフ
 カルル・エリアスベルク指揮

シュ―マン:交響曲第1番変ロ長調op.38「春」
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op.16*
(ピアノ)ユーリ・ムラヴリョフ
カルル・エリアスベルク指揮 
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 
ソビエト国立交響楽団*
12inch Melodiya D06205 - 1955年頃録音モノラル

 

 ユーリ・ムラヴリョフ(1927年7月8日 - 2012年9月28日)は、ソビエトとロシアのピアニスト。モスクワ音楽院の教授。
 モスクワ音楽院を優等で卒業、全ロシア演奏家コンクール(1943年)、全連合演奏家コンクール(1945年)で3位。
 ブダペストのワールドユースフェスティバル(1949年)、ワルシャワの第4回フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール(1949年)の受賞者、ザルツブルクの国際モーツァルトコンクール(1956年)で名誉賞と銅メダルを受賞。
 以前Russian Compact DiscからCDが出ていたのでご記憶のある方もいるかと。




 カール・エリアスベルクは1907年、ロシア(現ベラルーシ)生まれの指揮者。
 1907年、ロシア帝国領ミンスクで生まれた。ハリコフ音楽院でヨアヒム・ゴルトベルクにヴァイオリンを学び、レニングラード音楽院のヴァイオリン科に進学して1929年に卒業た。
卒業後から1931年までレニングラードのコミック劇場で働いた後、1932年からレニングラード放送交響楽団の指揮者陣に加わり、1937年から1950年までそこの首席指揮者として活躍した。
 第二次世界大戦中は、1942年のレニングラード包囲戦の最中にドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲第7番を演奏している。
 1944年には、その功績からソ連政府から功労芸術家の称号を贈られた。
 レニングラード放送交響楽団の職を辞してからはフリーランスの立場で演奏活動を続けた。
 1978年、レニングラードで死去。
 大家の協奏曲録音で指揮をしている録音が有名だが、VISTA VERAからはハイドンの交響曲なども出ていた。

A300-020
(1CD-R)\1800
アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル
 コミタス四重奏団

  モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番ト短調Kv.478
  ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番二長調op.18-3
(ピアノ)アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル
コミタス四重奏団
10inch Melodiya D12775 &3071
- 1950年代録音モノラル

 アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルは1875年生まれのロシアのピアニスト。ユダヤ系。
 ロシアの名教師の一人。

 モスクワ音楽院でピアノをアレクサンドル・ジロティとパヴェル・パプストに、作曲をセルゲイ・タネーエフとアントン・アレンスキーならびにミハイル・イッポリトフ=イヴァーノフに学ぶ。
 1904年からフィルハーモニー協会附属学園の教授を務め、1906年より母校モスクワ音楽院でも教鞭を執り、1922年から1924年まで、および1939年から1942年までは院長も務めた。

 門弟にサムイル・フェインベルクやグリゴリー・ギンズブルク、タチアナ・ニコラーエワ、ラザーリ・ベルマン、ニコライ・カプースチンら、そうそうたる人たちがいる。
 また、第1回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で審査員長を務め、ヴァン・クライバーンのラフマニノフ作品の演奏を「作曲者自身の演奏様式を思い出させた」と言って称賛した。

 ヴラディーミル・ソフロニツキーがスクリャービンの後継者と呼ばれ、軽やかなタッチと自由奔放なリズム感覚、幽玄な音色を特色としているのに対し、ゴリデンヴェイゼルは硬質なタッチとイン・テンポによる安定したリズム感とやや遅めのテンポ設定、旋律を纏綿と歌い上げる傾向においてラフマニノフの演奏様式に近い。
 スクリャービンの《幻想曲ロ短調》作品28の初演者であり、ラフマニノフの「2台のピアノのための組曲第2番」を献呈されている。

 1945年レーニン勲章、1947年スターリン賞第一席。
 晩年のレフ・トルストイと非常に親しく(最期も看取っている)、回想録も著していることで有名。

ベートーヴェンの「月光」が聴けます。第1楽章を聴いたところではどうなることかと思いましたが、終楽章はさすが大巨匠らしい圧巻の演奏を聴かせてくれます。
https://youtu.be/v5fSViutJPo?si=Hxv2CG1g8Hxp8IYQ




 コミタス四重奏団はアルメニア音楽の父とされる作曲家コミタスの名を冠する団体。
 いまから100年前の1924年11月にモスクワで設立されたが、なんと現在も演奏を続けている。実に世界最古の弦楽四重奏団と呼ばれているらしい。
 1946年にはスターリン賞を獲得、EMIなどにも録音を残した。
 幸松肇氏の言葉を借りると、「(ロシアもの、ソビエトものでは)感情を一気に爆発させる部分では、第1ヴァイオリンの無骨なボウイングが全体のバランスを大きく崩壊させている」、今回のベートーヴェンに関しては「力強いタッチで真正面から曲に対応していく逞しさには好感が持てる」・・とのことで男性的で雄渾な演奏なのだろうか。。。聴いてみたい。
 これは2014年のコミタス四重奏団。年代差が激しい!


第3弾


A300-011
(1CD-R)\1800
ゴリデンヴェイゼル、サモスードによるモーツァルト
 (1)モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調kv.466
 (2)モーツァルト:交響曲第40番ト短調kv.550
(1)
(ピアノ) アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル
A.シュレシェフスキー指揮 
ソビエト国立放送交響楽団
12inch Melodiya D03892
1950年代初期録音モノラル

(2)
サムイル・サモスード指揮 
モスクワ国立放送交響楽団
12inch Melodiya D0381
1952年頃録音モノラル

 アレクサンドル・ボリソヴィチ・ゴリデンヴェイゼルは、1875年生まれのロシアのピアニストです。モスクワ音楽院で学び、1906年から同院で教鞭を執り、二度にわたり院長も務めました。
 彼は多くの著名な音楽家を育て、第1回チャイコフスキー国際コンクールの審査員長も務めました。作曲家としても活躍し、歌劇や管弦楽曲、室内楽曲などを残しています。
 演奏スタイルは、硬質なタッチと安定したリズム感、やや遅めのテンポ設定が特徴で、ラフマニノフの演奏様式に近いとされています。
 また、文豪レフ・トルストイとも親交があり、その回想録も著しています。ゴリデンヴェイゼルは1961年に86歳で亡くなりました。




 サムイル・アブラモヴィチ・サモスードは、1884年にトビリシで生まれたソビエト連邦の著名な指揮者です。チェリストとしてキャリアを始め、後に指揮者に転向しました。
 彼は、ペテルブルク人民会堂オペラ劇場、マリインスキー劇場、ミハイロフスキー劇場など、ロシアの主要な音楽機関で指揮者を務めました。1936年にモスクワに招かれ、ボリショイ劇場を主導し、その後スタニスラフスキーおよびネミロヴィチ=ダンチェンコ記念モスクワ・アカデミー音楽劇場の主任監督を務めました。
 サモスードは、その後モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団を率い、1957年にはロシア国立シンフォニー・カペラを創設しました。
 彼は、プロコフィエフやショスタコーヴィチなど、ソビエト時代の重要な作品の初演者として知られています。
 1964年にモスクワで亡くなり、ノヴォデヴィチ墓地に埋葬されました。



A300-012
(1CD-R)\1800
コンスタンティン・イワノフ指揮&ソビエト国立響
 ベートーヴェン:交響曲第8番へ長調op.93
 ボロディン:交響曲第2番ロ短調
コンスタンティン・イワノフ指揮 
ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya D012713 & 10inch 4892
1950年代録音モノラル

 コンスタンティン・コンスタンティノヴィチ・イワノフは、1907年にロシアのトゥーラ県で生まれたソビエト連邦の指揮者・作曲家です。赤軍で音楽教育を受けた後、モスクワ音楽院で指揮法を学びました。
 1938年の全ソビエト連邦指揮者コンクールで第3位に入賞し、その後、様々なオーケストラで指揮者として活躍しました。1946年からは約20年間、ソヴィエト国立交響楽団の首席指揮者を務め、国内外で精力的に公演を行いました。
 イワノフは指揮者としての活動と並行して作曲も行い、交響曲や交響詩、協奏曲などを残しています。彼の功績は高く評価され、1949年にスターリン賞、1958年にソ連人民芸術家の称号を受けました。メロディアレーベルに多くの録音を残し、1984年にモスクワで亡くなりました。



A300-013
(1CD-R)\1800
3人の名手たち
 アウグスティン・レオン=アラ、アイラ・エルドゥラン、マルク・コミサロフ
ルクレール:ソナタ第6番ハ短調(le tombeau)
パガニーニ:ラ・カンパネルラ
(ヴァイオリン) アウグスティン・レオン=アラ
(ピアノ) タマラ・フィードラー
10inch Muza L0223 &Eterna 720102
1957年頃録音モノラル
ヴィエニャフスキ:ポロネーズニ長調op.4 (ヴァイオリン) アイラ・エルドゥラン
(ピアノ) インナ・コレゴルスカヤ
ヴェラチーニ:アカデミック・ソナタ「コンチェルト・ソナタ」ホ短調op.2-8
プロコフィエフ:5つのメロディ
(ヴァイオリン) マルク・コミサロフ
(ピアノ) タマラ・フィードラー
チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォハ長調op.34 (ヴァイオリン) レオニード・コーガン
アレクサンドル・ガウク指揮 
ソビエト放送国立交響楽団
Private Tape
1952年ライヴ録音モノラル
チャイコフスキー:ワルツ・スケルツォハ長調op.34 (ヴァイオリン) ガリーナ・バリノワ
サムイル・サモスード指揮 
モスクワ放送交響楽団
Private Tape 1953年 
ライヴ録音モノラル

 アグスティン・レオン・アラは、スペインのカナリア諸島サンタ・クルス・デ・テネリフェで生まれ、ロンドンの王立音楽院とブリュッセルで研鑽を積みました。
 国際コンクールで受賞後、ヨーロッパ、南米、アメリカ、日本で著名なオーケストラや指揮者と共演し、ヴァイオリン・ソリストとして輝かしい国際的キャリアを築きました。多くの現代作曲家が彼のために作品を捧げています。
 教育者としても卓越した貢献をし、ブリュッセル王立音楽院やバルセロナ音楽院など、様々な機関で教鞭を執りました。また、室内楽奏者としても活躍し、1994年にはホアキン・ロドリゴ室内管弦楽団を設立しました。
 レオン・アラは多数のレコーディングを行い、ホアキン・ロドリゴのヴァイオリンとピアノのための全作品などを録音しています。




 アイラ・エルドゥラン。トルコのイスタンブール生まれ。1934年9月22日生まれ。
 幼いときにアメリカでフランチェスカッティに師事し、モスクワでオイストラフに教えを受けたこともあったというエルドゥラン。
 1987年、彼女のコンサートを聴いてしまったピアニストの「ファジル・サイ」は、絶対にそのときのコンサートを忘れないだろう、と語った。「苦しみ、不屈の闘志、愛、死、勇気、恐れ、すべての感情がそのコンサートにはあった」と。「あなたが石のような心をお持ちでなければ、彼女の演奏を聴いて泣くことになるでしょう」。
 オイストラフが彼女の演奏を聴いて「才能が炎となって吹き出してくる」、と語ったのは決して誇張ではない。



 マーク・コミサロフは、1928年に当時レニングラードと呼ばれていたサンクトペテルブルクで生まれ、彼の世代で最も才能あるヴァイオリン奏者の一人でした。
 故郷の音楽院(後に彼自身が教授となる)を卒業、1957年 第3回 ヘンリク・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール 第3位入賞。
 主に国内で演奏活動を行い、非常に活発なコンサート生活を送りましたが、1998年にアメリカ合衆国で亡くなりました。




A300-014
(1CD-R)\1800
カルロ・ゼッキ指揮&ソビエト国立響
 ハイドン:交響曲第96番ニ長調「奇跡」
 シューマン:交響曲第4番ニ短調op.120
カルロ・ゼッキ指揮
ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya 016727
1960年頃録音モノラル

 カルロ・ゼッキは、1903年にローマで生まれたイタリアのピアニスト兼指揮者。
 ローマの音楽院で学んだ後、ベルリンでブゾーニとシュナーベルに師事した。
 1920年にソリストとしてデビューし、一時はベネデッティ・ミケランジェリのライバルとして注目された。しかし、1939年には室内楽に重点を移し、エンリコ・マイナルディとデュオを組んだ。
 1938年から指揮法を学び始め、1947年から世界的に活躍。1966年からはウィーン室内管弦楽団の首席指揮者を10年間務めた。
 教育者としても有名で、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアでピアノを教えたほか、ザルツブルクでもマスタークラスを開講した。指揮者としてはバレンボイム、アバド、メータなど多くの著名な音楽家を指導している。
 1984年、ザルツブルクで死去。



A300-015
(1CD-R)\1800
パシャーエフ指揮&ボリショイ劇場管
 シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」D759
 ベートーヴェン:
  フィデリオ序曲
  エグモント序曲
  コリオラン序曲
アレクサンドル・メリク=パシャーエフ指揮
ボリショイ劇場管弦楽団
12inch Melodiya 011156/6
1960年頃録音モノラル

 アレクサンドル・メリク=パシャーエフは、1905年にグルジアのティフリスで生まれたソビエト連邦の著名な指揮者・作曲家。
 トビリシ音楽院とレニングラード音楽院で学ぶ。
 彼の経歴は、1923年からのトビリシ歌劇場での指揮者としての活動に始まり、1931年にはボリショイ劇場の指揮者陣に加わり、1953年から1963年まで音楽監督を務め、その間に国外公演を成功させた。
メリク=パシャーエフは、1942年と1943年にスターリン賞第1席を受賞している。作曲家としても活躍し、オペラや交響曲、歌曲などを残した。
 1964年にモスクワで死去。




第2弾


A300-007
(1CD-R)\1800
クルト・ザンデルリンク指揮&レニングラード・フィル
 シベリウス:交響曲第5番変ホ長調op.82
 モーツァルト:交響曲第35番ニ長調kv.385「ハフナー」
クルト・ザンデルリンク指揮 
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
10inch Melodiya D5289 D07973 1950年代録音モノラル

 ザンデルルンクは1935年にソ連に亡命してムラヴィンスキーの下でレニングラード・フィルの第一指揮者を務めていたが、1960年に東ドイツに帰国し、ベルリン交響楽団の芸術監督、首席指揮者に就任、また1964年から1967年まではシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者
を兼務した。
 我々が親しく知っているのは東ドイツに帰って以降のザンデルルンク。
 ソ連時代の録音では、ムラヴィンスキーと抱き合わせのセット物のチャイコフスキーの交響曲第4番だけが突出して有名だが、それ以外の録音が紹介されることは極めてまれ。

A300-008
(1CD-R)\1800
オイゲン・ケルダー/ドミトリー・バシキーロフ
 (1)モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番イ長調kv.414
 (2)モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調kv.491

(1)
(ピアノ) オイゲン・ケルダー
レオニード・ヴィグナー指揮 
ラトビア放送交響楽団
10inch Melodiya 26313-4 1950年代録音モノラル

(2)
(ピアノ) ドミトリー・バシキーロフ
アレクサンドル・ガウク指揮 
ボリショイ劇場管弦楽団
12inch Melodiya D5524/5 1955年頃録音モノラル

1925年生まれ、エストニアを代表するオイゲン・ケルダーの貴重な録音集。
昔この人のラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を聴いてびっくり仰天した。ホロヴィッツ顔負けの晴れ晴れとしたテクニック、当のラフマニノフ顔負けのダイナミズム。とにかくスケールがでかい。そして頑固なまでの個性。興が乗ってくると自己流にいなせに崩してそれがかっこいい。
ちなみにケルダーは1979年、わずか54歳でこの世を去る。腹部の手術の失敗だったらしい。


ドミトリー・アレクサンドロヴィチ・バシキーロフ(1931年 - 2021年)は、ロシア(グルジア・チフリス出身)のピアニスト・教授。娘はピアニストのエレーナ・バシュキロワ(ダニエル・バレンボイムの2番目の妻)。
アナスタシア・ヴィルサラーゼに師事した後、モスクワ音楽院にてアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事。1955年開催のロン=ティボー国際コンクールピアノ部門にて最高位(一位なしの二位をフランスのベルナール・リンガイセンと分け合う)。
以後、第一線のピアニストとして活躍し、1968年にロシア功労芸術家の称号、1990年にロシア人民芸術家の称号を得ている。
その他の栄誉としては、ドイツのツヴィッカウ市からシューマン賞、マドリード自治大学から名誉メダルを贈られている。
長らくモスクワ音楽院で教鞭を執った後、スペインのソフィア王妃高等音楽院の教授職に就き、欧州を中心に教育活動を続けている。著名な弟子には、ダン・タイ・ソン、アルカーディ・ヴォロドス、デニス・コジュヒンなどがいる。


A300-009
(1CD-R)\1800
ダヴィッド・オイストラフ指揮&モスクワ・フィル
 J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調BWV1067
 ヘンデル:組曲「水上の音楽」(ハーティ版)
ダヴィッド・オイストラフ指揮 
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
12inch Melodiya 03343/4 1960年代録音ステレオ

オイストラフには指揮者としての活動歴もあり、ベルリン・フィルを自ら指揮しながらのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲、モスクワ放送交響楽団を指揮したブラームスの交響曲第2番、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してのチャイコフスキーの 交響曲第5番 の録音もあった。

A300-010
(1CD-R)\1800
グラズノフ四重奏団&ルーマニア放送四重奏団
 (1)シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」
 (2)ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
(1)グラズノフ四重奏団
  (1st Vn) ルカシェフスキー
  (2nd Vn) ギンスブルク
  (Vla) シェール
  (Vc) モギレフスキー
   12inch Melodiya D02509/10 1956年頃録音モノラル
(2)ルーマニア放送四重奏団
   10inch electrecord MTS13/4 1950年代後期録音モノラル

 グラズノフ四重奏団。この弦楽四重奏団の弦楽四重奏団の歴史は長く、1917年のSP時代にまでさかのぼり、作曲家のグラズノフが自分の弦楽四重奏曲第6番を彼らに献呈したことから、グラズノフ四重奏団と命名されたのが始まり。



第1弾


A300-001
(1CD-R)\1800
ナタン・ラフリン指揮
 リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェヘラザード」op.35
 ムソルグスキー:交響詩「禿山の一夜」*
ナタン・ラフリン指揮 
モスクワ放送交響楽団 
ボリショイ劇場場管弦楽団*

12inch Melodiya D0510/1 & CDM LDX1501
1950年代録音モノラル

 ナタン・ラフリン(1905年-1979年)は、ウクライナ出身のソビエト連邦の指揮者。
 ユダヤ系の家庭に生まれる。1927年までキエフ音楽院に在籍し指揮法をアレクサンドル・オルロフに師事。その後レニングラードでマクシミリアン・シテインベルクにも指揮法を師事している。

1937年-1941年 ウクライナ国立交響楽団の指揮者
1941年-1945年 ソヴィエト国立交響楽団の指揮者
1946年-1962年 ウクライナ国立交響楽団の指揮者
1966年 タタールスタンのカザン管弦楽団の首席指揮者

 1957年にはショスタコーヴィチの《交響曲 第11番「1905年」》の世界初演を指揮している。
 19世紀のロマン主義音楽を得意とし、ベルリオーズの《幻想交響曲》とリストの交響詩やチャイコフスキーの管弦楽曲などの録音が知られる。

 生前はソ連の名指揮者の一人に数えられたにもかかわらず、現在は重要な録音が入手し難い現状にある。





シュライバー・ディスク
ラフリンの代表的音源

SH 141
(1CD-R)\1800
ナタン・ラフリン指揮
 ベルリオーズ:幻想交響曲
ナタン・ラフリン指揮 
モスクワ放送交響楽団
12inch メロディア盤 01440/2
1950年代初期録音モノラル

第1楽章(約16分30秒)から異様な雰囲気の遅さは、クレンペラー並に超スローです。全曲約57分の遅さ!もはやこれまでのイメージとはかけ離れた演奏。
金管楽器の息が続かないのが印象的で第5楽章の鐘には驚愕!(Schreiber Disc)



A300-002
(1CD-R)\1800
ムラヴィンスキー指揮&レニングラード・フィル
 ブラームス:交響曲第1番ハ短調op.68
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮 
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

12inch Melodiya D01257/8
1949年録音モノラル

 かつてBMGなどからも復刻されたムラヴィンスキーの代表的録音。
 ARDMOREの復刻の良さを知らしめる一枚となるだろう。1950年1月20日の記載もあり。

A300-003
(1CD-R)\1800
アルヴィド・ヤンソンス指揮&モスクワ放送響
 チャイコフスキー:組曲第1番ニ短調op.43*
 ドヴォルザーク:スラヴ舞曲集op.46(8曲)
アルヴィド・ヤンソンス指揮 
モスクワ放送交響楽団

12inch Melodiya D17503/4 & 16370/71
1960年頃録音ステレオ* モノラル

 アルヴィド・ヤンソンスの珍しい録音。

 ラトヴィア共和国生まれのアルヴィド・ヤンソンス(1914~1984)。
 稀代のオーケストラトレーナーとして知られ、東京交響楽団を振った時の名演の数々は伝説となっていて、「鉛を金に変えた」とまで言われた。
 1952年からレニングラード・フィルでムラヴィンスキーのアシスタントを務めたが、案外レニングラード・フィルの水準を上げたのはアルヴィドだったかもしれない。



A300-004
(1CD-R)\1800
キリル・コンドラシン指揮
 バラキレフ:交響曲第1番ハ長調*
 チャイコフスキー:ピアノと管弦楽のための協奏幻想曲op.56
(ピアノ) タチアナ・ニコラーエフ
キリル・コンドラシン指揮 
モスクワ国立フィルハーモニー交響楽団*
ソビエト国立交響楽団

12inch MK0143/4 &Melodiya
1960年代初期*&1950年代 
 ステレオ*&モノラル録音

 かつてVeniasの9枚組ボックスの中に入っていたが、ふつうのレーベルだとなかなか1枚ものアルバムでこの楽曲を出さないと思う。
 が、しかしそこはARDMORE。まったくなんのおそれもなくこの渋いところをリリースしてくる。
 売れる売れないとか全然関係ないのだ。

 第3楽章冒頭にて小さな音トビ等があります。

A300-005
(1CD-R)\1800

エミル・カミラロフ、アルベルト・マルコフによるパガニーニのコンチェルト


パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調op.6 (ヴァイオリン) エミル・カミラロフ
ヴァシール・ステファノフ指揮 
ソフィア国立フィルハーモニー

10inch Balkanton 0300
1960年代録音モノラル
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調op.7 (ヴァイオリン) アルベルト・マルコフ
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 
モスクワ放送交響楽団

10inch Melodiya D15351
1960年頃モノラル

 エミル・カミラロフ(1928年 - 2007年)は、フランス生まれのブルガリアのヴァイオリニスト。「ブルガリアのパガニーニ」の異名を持つ。
 ソフィア音楽院でヴラディミール・アヴラモフに師事し、1952年のヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールで第4位入賞を果たした。
 1955年にはレニングラード音楽院に留学、1961年にはパガニーニ国際コンクールで優勝し、1963年からレニングラード音楽院で教鞭をとったというからまさに天才。
 1980年代初頭にブルガリアを出国したまま戻らず、ブルガリア政府のブラック・リストに載ったことで、国内で行った録音の一切が封印されることとなった。
 その後はスウェーデンを本拠にして演奏活動及び教育活動を展開し、2007年にウプサラで亡くなっている。これはそうとう珍しい音源ということになる。



 アルバート・マルコフは1933年生まれのロシアのヴァイオリニスト。
 ウクライナの ハルキウ生まれ。ユリ・ヤンケレヴィッチ、アドルフ・アレチンスキーにヴァイオリンを、アラム・ハチャトゥリアンに作曲を師事。
 1959年にエリザベート王妃国際コンクールで第1位と併せてイザイ賞を受賞。
 1975年にアメリカへ移住。1983年から2003年までロンド室内管弦楽団の音楽監督を務め、ソリストと指揮者として活躍した。
 モスクワのグネーシン音楽学校、マネス音楽学校、1981年からはマンハッタン音楽学校の教員を務めている。
 息子のアレクサンダー・マルコフも有名なヴァイオリニスト。




A300-006
(1CD-R)\1800
アルヴィド・ヤンソンス指揮&モスクワ放送響
 ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」(1925年版) 全13曲
 ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」(4曲)
(ms)Irina Arkhipova
アルヴィド・ヤンソンス指揮 
モスクワ放送交響楽団

12inch Melodiya CM03395/6
1960年頃録音ステレオ

 アルヴィド・ヤンソンスからもう一枚、これまた珍しいファリャ。





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