アリア・レーベル 第103弾
祓うことのできない憑き物が
ケンペン&アムステルダム・コンセルトヘボウ管
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
AR 0103 1CD-R\1700
初心者向けに選んだつもりだったのに失敗した。
これは初心者には聴かせられない。
というか聴いてほしくない。
ケンペン&アムステルダム・コンセルトヘボウ管
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
コンセルトヘボウ管によるPHILIPSへの初録音として知られる録音。
ケンペンのドイツ風剛直さが作品の本質をあぶりだした名演、などと言われる。
だが、そんな通り一遍のコメントでこの演奏を片付けてほしくない。
ケンペンの人生についてはアリア・レーベルAR-0007で詳しくお話ししているのでそちらを参照していただきたいが・・・
オランダ人ケンペンは、戦時中ナチスに協力しドイツで名声を博した。
結果、戦後は活動が制限され、故国オランダでのみ細々と活動を再開する。
1951年5月23日。
この「悲愴」は、ケンペンがオランダで再活動したときのコンセルトヘボウとの録音である。
戦時中敵国ドイツに組した男が、恥知らずにも祖国に戻って祖国のオケを振る。
もちろんキャリアとしては当時の首席指揮者ベイヌムよりケンペンのほうが断然上。
しかしオケの中には「複雑な思い」があったに違いない。
「恥知らず、何をいまさら」
だが「複雑な思い」といえば、当のコンセルトヘボウだって人のことは言えない。
戦時中はメンゲルベルクとともにドイツ・オーストリアでコンサートを開いていたし、観客の大半がナチスの軍人だったのだから。
そしてさらに「複雑な思い」としては、この「悲愴」の2ヶ月前、コンセルトヘボウの元頭領メンゲルベルクが死んでいる。
ナチスに協力したということですべてを奪われて失意と絶望のうちに。
一方当時のコンセルトヘボウは、新鋭ベイヌムの下奇跡的な復活を遂げつつあった・・・が、その肝心のベイヌムがロンドン・フィルとのかけもちだったり病気がちだったりして、クーベリックやモントゥーが指揮台に上がることが多かった。
オケとしては「複雑な思い」の時期である。
自分たちに未来はあるのか?誰が我々を未来に導いてくれるのか。
そこにかつての大将メンゲルベルクの無惨な死。
さらにそこに、過去を思い出させるケンペンの再登場。とはいえ、今は地に落ちた名匠だが、音楽性とカリスマ性はおそろしく高い。
団員たちはこの落ちた英雄と演奏していて、「何をいまさら」という心裏腹、演奏家魂をくすぐられる場面もあったろう。
団員たちは何を感じながらこの曲を弾いたか。
そして一方、かつて祖国を捨てた過去の英雄は、何を思いながらこの曲を振ったか。
この「悲愴」には、そういうさまざまな人間の「複雑な思い」が、まるで祓うことのできない憑き物のように折り重なっている。
そうおいそれと「『悲愴』の名演のひとつ」と軽々しく呼ぶべきものではないのである。
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