アリア・レーベル第113弾
一期一会の奇跡
マルティノン&ウィーン・フィル
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ARD 0113 1CD-R\1800
1950年代、DECCAはウィーン・フィルとほぼ独占契約を結んでいた。
DECCAはウィーン・フィルとの録音のために、最新の設備を整えたゾフィエンザールを用意。
これによりEMI, RCA, CBS, DGに次ぐクラシック・メジャー・レーベルの地位は保証されたかに見えた。
ところが大きな問題があった。
誰にウィーン・フィルを指揮させるかという問題である。
1回、2回ではない。
これからのDECCAとウィーン・フィルを引っ張っていき、歴史に残る大ヒット録音を残してくれる指揮者。
楽員が指揮してほしいと願ったのは、すでに死んでいるか、あるいはもうすぐ死にそうな指揮者ばかりだった。
ショルティは最有力候補だったが、団員は気に入らなかった。
クーベリックでも頼りなかった。ベームは売れそうになかった。若いケルテスやマゼールもまだダメだった。
もちろん指揮したがる人は多かったが、ミュンヒンガーのように「二度と来るな」と言われてしまうこともあった。
そうしたなかで最後に落ち着いたのがカラヤン。まさかのカラヤン。
カラヤンが本当にDECCAと契約してくれるのか、きっとDECCA内部の人間も思っていたと思うが、「ウィーン・フィル」を最新式設備で録音できるという魅力にはカラヤンも逆らえなかった。
かくしてカラヤンはDECCAと電撃的に契約。1959年3月からDECCAによるカラヤン&ウィーン・フィルの黄金録音が続々登場することになるわけである。(代わりにEMI/フィルハーモニアO.の録音は消えていく)
さて、そんな状態だった1950年代後半。
DECCAはまるでお試しのようにいろいろな指揮者とウィーン・フィルを組ませていろいろチャレンジさせている。
何かが起きるかもしれない、と思っていただろうし、いまのうちにおもしろそうなものを録音しとけ、という思いもあったかもしれない。
クーベリックのブラームス交響曲全集 1955年-1957年
クリップスのチャイコフスキー交響曲第5番 1958年
ショルティのベートーヴェン交響曲第5・7番 1958年
などなど、まだまだいろいろありそうだが、少し時代は後になるがケルテスの『新世界より』(1961年)もその範疇に入るかもしれない。
そんな時期に、当時も、そしていまも信じられない録音が突然変異的に出現している。
それが今回ご紹介する
マルティノン&ウィーン・フィル
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
1958年
ジャン・マルティノン。ご存知のとおりフランスの大指揮者。
1910年生まれだからまさにカラヤン世代。
EMIと強固な関係を築き、ドビュッシーとラヴェルの管弦楽曲集はこの人の録音で聴き育った人が多いと思う。サン=サーンスの交響曲全集や「幻想交響曲」も忘れがたい。
もちろんそこで登場するのはフランスのオケである。
そんなフランス音楽の権化のようなマルティノンが、ウィーン・フィルを指揮して、チャイコフスキーを録音したのである。
どのくらい突然変異かというと、マルティノンがウィーン・フィルと共演した録音はこれだけ。
マルティノンのチャイコフスキーの交響曲もこれだけ。ロシアものはプロコフィエフの交響曲全集があったがチャイコフスキーの交響曲はこの録音だけなのである。
しかしその一期一会的録音が、いまだに語り継がれる名演になっているのだから面白い。
年配の音楽ファンには「『悲愴』は絶対マルティノン」という方が多い。当時先入観なく聴いて、率直によかったのでそれが刷り込みになっているのである。
またネットでもこの演奏の悪口をみたことがない。いまでもこの曲の名演ベスト10を選ぶとこの演奏が入るのではないか。
ウィーン・フィルとマルティノンの突然変異的化学融合が、想像もしない好結果を生み出したわけである。
その音楽は美しく筋肉質。きりりとして運動性が高い。
決して取り乱したり、激情したりはしない。また必要以上に「美」を強調したり、ロマンを湧出させることもない。
その寡黙さゆえに凛としたアスリートのようである。逆に潜在的な破壊力を感じさせ身震いする瞬間すらある。
そんないでたちゆえに初出当時からずっとマニアに愛されてきた名演。
ただウィーン・フィルがこの指揮者(当時48歳)についてどういう感想をもったかは分からない。
このあと一度もウィーン・フィルの指揮台に立っていないところを見ると、両者の関係はいいものではなかったのかもしれない。
ウィーン・フィルがいやがったのか、マルティノンがいやがったのか、DECCAのスタッフがいやがったのか。それともたまたま縁がなかったのか。
いや、そもそも1回指揮台に上がってくれたことが奇跡だったのか。
そこは分からない。
どうであっても、この奇跡的な一期一会が生んだ緊張感は稀代の名演を生み出した。
それはきわめて興味深い事実である。
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