2018年5月に続いて2019/11/24 は、店主によるフルトヴェングラー・センター「レクチャー・コンサート」第4弾。
今回のテーマは
★すべての「エロイカ」の第1楽章の録音を聞き比べていく 「その2」
「フルトヴェングラーのベートーヴェンの「エロイカ」第1楽章を全部聴く その2」・・・
これは、フルトヴェングラーが残した11種の「エロイカ」の第1楽章を、録音当時の状況を追いかけながらそれぞれの音源を聴く、その第2回です。
今回は1952/11/26,27のセッション録音から最後の1953/9/4のライヴまで聴きました。
フルトヴェングラーは生涯144回の「エロイカ」のコンサート演奏を行って11の録音を残していますが、今回のレクチャーは、それぞれの「エロイカ」が、彼の人生のどういう状況での演奏会であったのか、そしてすべての「エロイカ」演奏の中のどういうような位置にあるのかを見ていきます
そうするとですね・・・たとえば
6 |
1952/11/26,27 |
VPOセッション録音 |
7 |
1952/11/29,30 |
VPO |
8
9 |
1952/12/7 |
BPO
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1952/12/8 |
BPO |
というわずか2週間の間に行われた4回の演奏が、全部まったく違う演奏に聴こえてくるんです。
ほんとに全然違うんです。
多分びっくりすると思います。
今回も再生した音は適切なイコライザーを通してのち直接DSD収録され、迫真的な音の響きのまま96kHz/24bit
無圧縮ハイレゾPCM で収録。
それが今回頒布されるものとなります。
再生の際には、音声はぜひメインのシステムにつないでお楽しみください。映像はこれまでと同様ハイビジョンビデオです。
当日演奏した音源は次の通りです:
6 |
1952/11/26,27 |
VPOセッション録音 |
南アフリカHMV JALP-1060 |
7 |
1952/11/29,30 |
VPO |
Orfeo D'Or C 834 118 Y |
8
9 |
1952/12/7 |
BPO
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独フルトヴェングラー協会 F 666.848M |
1952/12/8 |
BPO |
LP Audite 87.101 or CD Audite 21.403 |
10 |
1953/8/26 |
ルツェルン祝祭管 |
フランス・フルトヴェングラー協会 CD SWF961-2 |
11 |
1953/9/4 |
VPOミュンヘン |
英EMI 5 62 875 2 |
6の別盤
ボーナス再生 |
1952/11/26,27 |
VPOセッション録音 |
独Electrola WALP1060 2XVH35-3N、
36-3N flat盤
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この商品はフルトヴェングラー・センターの会員でなくても購入できますが、「センター」価格よりも\1000高くなっております。
会員のなかむらしょういちさんのコメントから
昨日は、第94回のフルトヴェングラー・センターのレクチャー・コンサートでした。講師は名古屋のクラシック専門ショップ「アリアCD」の松本大輔さん。お題は「ベートーヴェンの交響曲第3番『エロイカ』の第1楽章を全部聴く その2」という事で、2018年5月にセンターに来て頂いた時の続編になります。
今や「予約の取れない講師」として、各方面から引っ張りだこの松本さんですが、そのお忙しい合間を縫って、今回の年表を含む資料を丹念に作りこんで下さること、そしてその資料に沿って、フルトヴェングラーその人の生き様をそれに対する思い入れを熱く語って下さることには、いつも感激の思いです。今回もその進行に沿って、様々なフルトヴェングラーの「エロイカ」を聴いたのですが、彼のベートーヴェン演奏の金字塔の一つともされる1952年のVPOとのセッション録音から、最後の録音である1953年のヘラクレスザールまで、それぞれの演奏に対するそれぞれの感激を再確認できた、そんな体験でした。
松本さんのお話を聞きながら認識を新たにしたのですが、戦後から晩年に至るまでのフルトヴェングラーのスケジュールは語弊を招く言い方をするなら「常軌を逸した」ものだったという一言に尽きると思います。特にスカラ座での「マイスタージンガー」6公演とか、彼自身が倒れてしまったザルツブルク音楽祭での演目の詰め方などは「ハードスケジュール」などという言葉が霞んでしまう程凄まじいもので、松本さんならずとも、フルトヴェングラーは自身のこの過密スケジュールで生命を縮めてしまったのではないか、とも思えてきます。
逆の言い方をすれば、フルトヴェングラーが最後の入院をした時に発したとされる言葉=「私がこの病院に来たのは、死ぬためだ」という自らの「宿命」のようなものを悟り、それに抗い、残された時間で何が自分に出来るのかと自問し続けた、そんな姿が松本さんの語るフルトヴェングラーの物語から、そしてこの日聴いてきた「エロイカ」一楽章から感じ取れたように思います。そして、彼のこの曲に対する探求心も生涯立ち止まる事がなかったとも。
センターのイベントに携わっている一人としていつも感じる事なのですが、このようにレクチャーを聞きながら、音盤一枚一枚を聴きなおしていく毎に新たな発見がある事に驚かされます。その顕著な例が、1952年の12月7日、8日のBPOとのライブ録音でしょうか。前者は独フルトヴェングラー協会の、そして後者はaudite(アウディーテ)レーベルのアナログを聴いたのですが、そこにも今まで自分が見過ごしていた「気付き」があったように思います。
イベントの前日は、機材の搬入、音出しと共に、選盤や調整に出来るだけ立ち会うというのが、会長の中村さん、音響担当の薬師寺さん、と私、の役目になっているのですが、その前日に聴いた両者の比較では、audite盤=つまり12月8日の演奏の方が整っていて完成度が高い、と感じていました。でもイベント当日に聴くと、独協会盤の方が彼の演奏の特徴をよく捉えているように聴こえたのです。
私自身がフルトヴェングラーの演奏にいつも抱く感想として、その卓越したリズム感、そしてそれを楽団全員に伝搬させる力、があるのですが、この12月7日の演奏でもそれが如実に感じられました。コントラバスからヴァイオリンまで弦セクションが律儀すぎるほど律儀に刻んでいき、それにドンピシャのタイミングで打楽器が絡んでいく。お互いがお互いの音を聴きながら、お互いに高揚していく感じが、そのテンポがどのように伸縮しても保たれている。その集中力たるや凄まじいもので、こんな演奏を良く二日間も通して出来るものだと舌を巻くしかありません。
ただ、この二日間の会場ともなった、ティタニア・パラストの音響がそうなのか、それとも当時使われたマイクがそれを捉えきれていないのか、独協会盤から聴かれる残響はかなりデッドな気がします。逆に言うとそれにエコーを付加して音の広がり感を出そうとすると、それと引き換えに、弦の刻みやティンパニのロールなどの分離がやや甘めになってしまうおそれも無いとは言えないのではないか、そして、そのことによってフルトヴェングラーとBPOが作り出した比類なき緊張感がやや緩んでしまうこともあるのではないか、とも思いました。
そういう意味では、1952年のセッション録音、そして1953年の最後のライブは私がフルトヴェングラーに馴染みのない方にも、彼の飛びぬけたリズム感がその響きと一体となって味わえるという点で、「是非聴いてください」とお勧め出来るものかな、という感想を持ちました。もっとも、1953年のライブの真価は私自身、この日松本さん達と一緒に体験して、慌ててamazonで購入した という次第で偉そうな事は言えないのですけど(笑)。
このように、前日から準備にかかっている私にとっても、このイベントで聴ける音には「何でこんな風に鳴るんだろう?」と不思議な思いに駆られることがしばしばです。最終的には、松本さんをはじめとする講師と参加者の方の「心意気」が鳴らしている音=音楽なんだろうな、と納得することにしているのですが、こういう不思議さもまたレコードの、そしてオーディオの魅力でもあるのではないかと思っています。
この日も、懇親会で松本さんや、日本におけるアナログ再生のオーソリティの一人でもある海老澤先生などから、このスペースでは書ききれない程の楽しく、また「ここでしか聞けない」話も伺う事が出来ました。こういう多方面にわたる素晴らしい知見を持った方を繋げてしまう「フルトヴェングラー」という存在の大きさをまた一つ思い知らさせた一日と言えましょう。改めて、講師の松本さん、そして参加していただいた皆様に心からの感謝を。
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