78CDR-3830
¥1500
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シューベルト:子守歌 作品98の2, D.498
(1)エミー・デスティン(ソプラノ) 、ワルター・B・ロジャース指揮、管弦楽団
(2)三浦 環(ソプラノ) 、アルド・フランケッティ(ピアノ)
(3)宮川美子(ソプラノ) 、日本コロムビア交響楽団
(4)関屋敏子(ソプラノ) 、ナサニエル・シルクレット指揮、ヴィクター・サロン・オーケストラ
(5)ロッテ・レーマン(ソプラノ)、エルネ・バロー(ピアノ)
(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)、ジェラルド・ムーア(ピアノ) |
1915-1937年録音
※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
シューベルトは「子守歌」を四曲書いている。1815年に作曲した「子守歌」Wiegenlied
D.304(T.ケルナー詞)、1816年作曲の「子守歌」Wiegenlied
作品98の2,D.498の2(M.クラウディウス詞)、1817年作曲の「子守歌」Schlaflied
作品24の2,D.527( マイルホーファー詞)、1826年?作曲の「子守歌」Wiegenlied
作品105の2,D.867(J.G.ザイトル詞)である。今回取り上げるのは二番目の作品98の2。なおこの曲の作詞者はM.クラウディウスとなっていたが、最近の研究で作者不明とされた。また日本語歌詞「ねむれねむれ、母の胸に」で始まる内藤濯訳がよく知られている。
(1)VICTOR 87214(U.S.)25cm片面盤 1915年1月13日録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱 (3:00)
エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年20歳の時、ベルリン国立歌劇場でデビューし大成功を収めた。その後ロンドンのコヴェント・ガーデン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のスーパー・スターになった。オーケストラを指揮するワルター・B・ロジャース(1865-1939)は軍楽隊のコルネット奏者出身。1904年にヴィクター・トーキング・マシン会社に入り、指揮者、編曲者、作曲者として活躍した。
(2)NIPPONOPHONE 5154(JP)(25cm盤) 1922年録音(機械式録音)
(内藤 濯訳 日本語歌唱) (3:10)
三浦 環(1884-1946)は日本人演奏家と初めて国際的名声をつかんだオペラ歌手。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。1912年の初レコード録音は日本での本格的なクラシック音楽の最初のレコードとされている。1914年医師の夫と共にドイツ留学。第一次世界大戦(1914-1918)の勃発でイギリスに移動。翌1915年イギリス・デビュー。同年渡米し各地で公演。1920年にヨーロッパのオペラ劇場に客演。1922年に帰国した。1925年から再び海外で活動し1936年に帰国して日本国内で活躍した。
(3)COLUMBIA 35216(JP)(25cm 両面盤) 1931年録音(電気録音)
(内藤 濯訳 日本語歌唱) (3:04)
宮川美子(1911-1995)はアメリカのサクラメント生まれ。1929年フランスに留学、1931年パリのオペラ・コミック座でデビューし、宮川美子の「マダム・バタフライ」が高く評価された。その年の8月に初めて日本を訪問し、全国で演奏会を開いた。この録音は大中寅二編曲のオーケストラ伴奏でレコード会社も力を入れた一枚だった。宮川は戦後の1946年に兄弟のいるアメリカに戻り、声楽の指導者として活躍した。その後時々来日していたが、1995年アメリカのフロリダで死去した。
(4)VICTOR 13233(JP)(25cm 両面盤) 1932年ニューヨーク録音(電気録音)
(内藤 濯訳 日本語歌唱) (3:34)
関屋敏子(1904-1941)は大正・昭和時代前期に活躍したソプラノ歌手、作曲家。8歳から三浦
環に師事。1937年イタリアに留学、スカラ座のオーディションに受かり各地をまわる。帰国後オペラ、歌曲などの作曲・公演を行った。1941年11月23日睡眠薬自殺を図った。伴奏指揮者のナサニル・シルクレット(1889-1982)は作曲家、指揮者、ピアニスト、クラリネット奏者。1926年VICTOR社の軽音楽部門の責任者となり多くの録音を残した。
(5)VICTOR 1856(U.S.) 1937年3月13日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱) (3:34)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場、1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。1935年にナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノのエルネ・バロー(1897-1989)はハンガリー生まれのアメリカのピアニスト、作曲家、教師。
(6)VICTOR 15168(U.S.)same as HMV DB3426(U.K.) 1937年11月29日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱) (2:41)
エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。1938年にアメリカに移住し1944年に市民権を得た。彼女はオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。
復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu
1DSD録音機を使用した。
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78CDR-3831
¥1500
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ドメニコ・スカルラッティ:ハープシコード・ソナタ集
第2巻(20曲)
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB11205/11211(1939年1月&1940年3月パリ録音) |
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード) |
ソナタ
(1)ニ長調 L.206(K.490)/(2)ロ短調 L.449(K.27)/(3)ニ長調
L.213(K.400)/
(4)ハ長調 L.102(K.423)/(5)イ短調 L.138(K.109)/(6)ヘ短調
L.382(K.69)/
(7)ヘ長調 L.520(K.276)/(8)ニ短調 L.422(K.141)/(9)ト短調
L.49(K.234)/
(10)ニ短調 L.423(K.32)/(11)ニ長調 L.418(K.443)/(12)ニ長調
L.14(K.492)/
(13)ニ長調 L.461(K.29)/(14)変ロ長調
L.497(K.544)/(15)ヘ長調 L.228(K.256)/
(16)ヘ短調 L.187(K.481)/(17)ト長調 L.103(K.259)/(18)ハ長調
L.255(K.515)/
(19)ニ長調 L.56(K.281)/(20)変ロ長調
L.97(K.440) |
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)によるドメニコ・スカルラッティ・ソナタ集第1巻(78CDR-3260)の続編。第1巻の5年後の録音。録音時パリは戦火に見舞われTrack1の演奏中に爆弾の破裂音が入っている。ランドフスカはワルソー生まれ。1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二段鍵盤と七個のペダルを有する自分用のハープシコードをパリのプレイエル社に特別注文し生涯この楽器を使用した。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は生涯500曲を越えるハープシコード曲を作曲した。L.はロンゴによる整理番号、K.はカークパトリックによる整理番号で便宜のために両方を記した。
復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu
1DSD録音機を使用した。
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78CDR-3832
¥1500
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エネスコ:
ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調作品25
「ルーマニアの民俗様式で」
仏 COLUMBIA GFX 121/3 1948年パリ録音 |
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
セリニー・シャイエ=リシェ(ピアノ) |
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)が作曲した最後のヴァイオリン・ソナタ。1926年11月に完成し、同年に他界したルーマニア出身のヴァイオリニスト、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に献呈された。エネスコはルーマニア出身。1894年13歳でパリ音楽院に入りヴァイオリンをマルタン・マルシック(1848-1924)、和声と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ジュール・マスネ(1842-1914)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1910年にピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を開いた。録音の数は多くなかったが、それらはいずれもレコード史上に輝く傑作と言われている。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1898年14歳で一等賞を得た。彼女は1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を何度も開いた。エネスコとシャイエ=リシェの演奏は本シリーズですべて出そろった。
復刻には「音のエジソン」カートリッジ(3mil針)とコルグのNu
1DSD録音機を使用した。
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