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<グッディーズ・オリジナル>
ダイレクト・トランスファー CD-R
その8  最新新譜
1CD-R\1500



 グッディーズ・オリジナル・ダイレクト・トランスファーCD-R。予想通りのすごい反響。その生々しさはやはりただものではなかった。
 グッディーズは東京にあるクラシック専門のCDショップなのだが、ここが自社製作しているSPレコードの復刻CD-Rの評判がすこぶる良い。東京在住のお客様からときどき「グッディ-ズのCD-R扱わないんですか?いいですよ。」と言われるてきた。
 ということで「グッディーズ・オリジナル ダイレクト・トランスファー CD-Rシリーズ。」
 ご覧のように誰もが知る名盤中の名盤から、知る人ぞ知るレアな演奏家の貴重録音まで、実に多彩。お手持ちの復刻版との比較を楽しんでもよし、ようやくの再会にむねをときめかしてもよし。
 なお編集を一切行っていないため、盤が変わる間には空白が入る。これこそがSPの醍醐味か。
 

 これ以前の旧譜はこちらをどうぞ。
 
その1 その2 
 その3
 その4
 
その5 その6
 その7


2025/7
78CDR 3980
\1500
アニー・フィッシャー(ピアノ)
 ベートーヴェン:
  ピアノ・ソナタ第21番ハ長調作品53「ワルトシュタイン」
アニー・フィッシャー(ピアノ)

 チェコ SUPRAPHON H 23396/8 1950年プラハ録音

 ハンガリー、ブダペスト生まれの女流ピアニスト、アニー・フィッシャー(1914-1995)の初レコード録音。彼女は1923年に9歳でフランツ・リスト音楽院に入り、エルンスト・フォン・ドホナーニとアルノルト・セーケイに師事した。1933年の国際リスト・コンクールで優勝し、ヨーロッパを中心に演奏活動を行った。1937年に音楽学者のアラダール・トートと結婚。トートは大戦後ブダペスト歌劇場芸術監督に就任し、トートが招聘した指揮者オットー・クレンペラー(1885-1973)に彼女は高く評価され、アムステルダム、ロンドンで共演し1950年代EMIに多くの録音を残した。アニー・フィッシャーは1980年に日本国際音楽コンクールの審査員として初来日し、その後しばしば来日した。このSPレコードはこれまでほとんど知られていなかった貴重な録音。

 復刻にはDENON DL-102SDカートリッジ(針圧=19g)(昇圧トランスなし)と新忠篤設計・製作 NUTUBE PHONO EQUALIZER、KORG DS DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3981
\1500
エマ・ボワネ(ピアノ)
 フォーレ:ピアノ五重奏曲第1番ニ短調 作品89
エマ・ボワネ(ピアノ)
ゴードン弦楽四重奏団

 米シャーマー RECORD 2527/30 1940年ニューヨーク録音

 エマ・ボワネ(1891-1974)はフランスの女流ピアニスト。パリ音楽院でイジドール・フィリップ教授に師事し一等賞を受賞した。ボワネは指揮者セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)のお気に入りのピアニストで、しばしばボストン交響楽団のソリストとして招かれた。ボワネはフランスのピアノ作品を得意とし、特に作曲家フォーレとは作曲者晩年に交流があった。ゴードン弦楽四重奏団はアメリカの団体。米DECCAやCONCERT HALL SOCIETYに録音があった。

 復刻にはDENON DL-102SDカートリッジ(針圧=19g)(昇圧トランスなし)と新忠篤設計・製作 NUTUBE PHONO EQUALIZER、KORG DS DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3982
\1500
エディ・ブラウン(ヴァイオリン)
 メンデルスゾーン:
   ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64(第一楽章&第三楽章のみ)
 キュイ:オリエンタル 作品59-9
エディ・ブラウン(ヴァイオリン)
フリーダー・ヴァイスマン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団(メンデルスゾーン)
フリーダー・ヴァイスマン(ピアノ)(キュイ)

 ※機械式録音(電気録音以前)の復刻音源
 米 ODEON 3121/3 1924年4月15日ベルリン録音

 エディ・ブラウン(1895-1974)はアメリカ生まれ。1904年9歳でハンガリーのブダペスト音楽院に入りイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。2年後ブダペストのヴァオリン・コンクールで優勝、音楽院を1909年に卒業しデビューした。その後すぐにロンドン、ベルリンでデビュー。ロンドンで名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に会った後、一緒にサンクト・ペテルブルクに移り1916年まで音楽院で研鑽を積み、その後祖国アメリカに戻りコンサート・キャリアを再開した。その後ブラウンは弦楽四重奏団とアメリカ室内楽協会を設立し、インディアナ大学で教鞭をとった。指揮者&ピアノのフリダー・ヴァイスマン(1893-1984)はドイツの指揮者、作曲家。ドイツのパーロフォン&オデオン・レーベルで2000点のレコード制作に関与した偉大な音楽家。

 復刻にはDENON DL-102SDカートリッジ(針圧=19g)(昇圧トランスなし)と新忠篤設計・製作 NUTUBE PHONO EQUALIZER、KORG DS DAC-10R DSD録音機を使用した。

 


 
2025/6

33CDR 3977
\1500
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
 1950年ウィーン録音

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮、オーストリア交響楽団

 米 REMINGTON R-199-20 1950年ウィーン録音

 ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1887-1962)に師事し一等賞を受賞して卒業。1943年19歳の時にロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。1950年代初頭に新興レコード会社米REMINGTON に数枚のLP録音を残した。ステレオ時代にはフィリップスやエラートに珠玉の名録音がある。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが、母校のパリ音楽院で教鞭をとり、また日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。指揮者のクルト・ヴェス(1914-1987)はオーストリアの指揮者。フェリックス・ワインガルトナーに指揮法を個人教授で習った。1951年から1954年までNHK交響楽団の首席指揮者を務めた。

 復刻にはGE RPX-050カートリッジ、新忠篤設計・製作 NUTUBE PHONO EQUALIZER、KORG DS DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3978
\1500
ワンダ・ランドフスカ(ピアノ)
モーツァルト:
 ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調 K.333
 ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
 ロンド イ長調 K.511
ワンダ・ランドフスカ(ピアノ)

 米 RCA VICTOR LM-2284 1958年録音

 ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルシャワ生まれ。 4歳の頃からピアノを始め、長じてワルシャワ音楽院に進学した。13歳の時にバッハの作品によるリサイタルでデビュー。19歳の時ベルリンでモシュコフスキ-に師事して作曲も習う。21歳の時パリのスコラ・カントルムで教鞭をとる。やがてハープシコードに興味を持ち、24歳でハープシコード奏者としてデビューし、翌年(1904)バッハの演奏会を開きバッハ演奏のスペシャリストとなった。その後自身の理想とするハープシコードの構想をプレイエル社に持ち込み近代ハープシコードを生み出した。1923年にアメリカ・デビュー。パリに在住していた彼女は第2次世界大戦勃発と同時にアメリカに脱出、1941年に市民権を得た。この録音は最晩年にアメリカで録音された中の一枚。

 復刻にはGE RPX-050カートリッジ、新忠篤設計・製作 NUTUBE PHONO EQUALIZER、KORG DS DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3979
\1500
アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(ピアノ)
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
アレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(ピアノ)
シェルヴェシェフスキー指揮、管弦楽団

 メロディア D 03892-3(ソ連) 録音年不詳

 ピアノのアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(1875-1961)はロシア帝国のキシニョフ生まれ。モスクワ音楽院でピアノをアレクサンドル・ジロティとパヴェル・ハプストに学んだ。1906年から母校のモスクワ音楽院で教鞭をとり、1922年から1924年、1939年から1942年まで楽院長を務めた。門弟にはタチアナ・ニコラーエヴァ、ラザール・ベルマン他がいる。第1回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で審査員長を務め、優勝者ヴァン・クライバーンのラフマニノフ作品の演奏を「作曲者自身の演奏様式を思い出せた」と言って称賛した。
 指揮者のシェルヴェシェフスキーについては経歴不詳。

 復刻にはGE RPX-050カートリッジ、新忠篤設計・製作 NUTUBE PHONO EQUALIZER、KORG DS DAC-10R DSD録音機を使用した。

 

 
2025/5

33CDR 3974
\1500
ギオマール・ノヴァエス(ピアノ)
 モーツァルト:
  ピアノ協奏曲第9番変ホ長調 K.271「ジュノム」
  ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
ギオマール・ノヴァエス(ピアノ)
ハンス・スワロフスキー指揮
ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団

 独 ORBIS CZ 1039(米 VOX PL 8430と同一録音) 1954年録音(モノラル)

 ピアノのギオマール・ノヴァエス(1895-1979)はブラジル生まれ。7歳でサン・パウロの音楽堂で公開演奏会を開いた天才少女だった。1909年パリ音楽院のイジドール・フィリップ(1863-1958)のクラスに入った。2年後音楽院の一等賞を得て、フランス、イギリス、スイス、ドイツ、イタリアでの演奏会で絶賛を浴び、人気者のコンサート・ピアニストになっていた。1914年第一次世界大戦の勃発時に一時ブラジルに戻り、間もなくアメリカに渡り、ニューヨークのエオリアン・ホールでアメリカ・デビューし、その後頻繁にこの地を訪れた。レコード録音は1925年にアメリカVICTROLAのSP盤から始まり、LP時代になって米VOX社に多く残したが、モーツァルトは協奏曲録音がこの一枚、他にピアノ・ソナタが1枚だけだった。指揮者のハンス・スワロフスキー(1899-1975)はハンガリー生まれ。1933年にベルリン国立歌劇場でエーリッヒ・クライバーのアシスタントになり、1940年から1944年までザルツブルク音楽祭のアドヴァイザーを、戦後はウィーン交響楽団の首席指揮者をつとめた。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A MC型カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3975
\1500
エーリッヒ・クライバー指揮&ウィーン・フィル
 モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」
エーリッヒ・クライバー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 日ビクター C 1686/88(英 HIS MASTER'S VOICE C 1686/8と同一録音) 1929年2月2日ウィーン、ムジークフェライン録音

 ウィーン生まれの指揮者エーリッヒ・クライバー(1880-1956)はカルロス・クライバー(1930-2004)の父親。エーリッヒはプラハのカレル大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び、1911年に指揮者デビュー。1923年にレオ・ブレッヒ(1871-1958)の後任としてベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935に妻と当時5歳の息子カルロスとアルゼンチンに移住した。1939年にアルゼンチンの市民権を得てブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後ヨーロッパに戻り、イギリス・デッカ専属になり活躍した。

 復刻には「音のエジソン」 のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3976
\1500
レナー弦楽四重奏団
 モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番変ロ長調 K.458「狩り」
レナー弦楽四重奏団
 イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
 ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
 シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
 イムレ・ハルトマン(チェロ)

 ※機械式録音(電気録音以前)の復刻音源
  英 COLUMBIA L1606/08(80回転) 1924年10月23日ロンドン録音

 ラッパ吹き込み(機械式録音)では楽章単位の録音が主流だったが、これはおそ
らく初めての全楽章の収録盤。レナー弦楽四重奏団は1916年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト歌劇場の楽員だったが、1918年に起きたハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。 2年間田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年ウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のモーリス・ラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドンにデビュー、イギリスCOLUBIAに最初の録音をした。1925年にマイクロフォンを使用した電気録音時代になった後の1928年11月に、この曲を再録音(78CDR-3097)している。

 復刻には「音のエジソン」のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのDS-DAC-10R録音機を使用した。

 


2025/4

33CDR 3971
\1500
ペーター・リバール(ヴァイオリン)
 ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調
 ナルディーニ:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
ペーター・リバール(ヴァイオリン)
クレメンス・ダヒンデン指揮
ヴィンタートゥール交響楽団

 米WESTMINSTER WL50-49 1950年録音

 ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番はLP最初期にこの演奏で評判になった。この作曲家の初レコード。ペーター・リバール(1913-2002)はウィーン生まれのスイスのヴァイオリニスト。プラハ音楽院で作曲家のヨゼフ・スーク(1874-1935)に師事した後、パリでカール・フレッシュ(1873-1944)にも師事した。1938年からスイスに居住し、ヴィンタートゥール・コレギウム・ムジクムのコンサートマスターに就任した。また同地の音楽院の教授として後進の指導にあたった。大戦後録音活動を活発に行い、特にウェストミンスター録音は評判を呼んだ。指揮者のクレメンス・ダヒンデン(1912-1989)はチューリッヒ音楽院出身。1939年からペーター・リバールが創設したヴィンタートゥール弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンを担当し、1950年からヴィンタートゥール交響楽団の指揮者をつとめ1978年に引退した。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3972
\1500
リリー・クラウス(ピアノ)
 モーツァルト:
  ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414
  ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456
リリー・クラウス(ピアノ)
ピエール・モントゥー指揮
ボストン交響楽団

 米 RCA VICTOR LM 1783 1953年ボストン録音

 リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)に師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1987)とエドゥアルト・シュトイアマン(1882-1964)についてさらに研鑽をつんだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を確立し、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルグと共に日本軍によって軟禁され、大戦終結まで現地で過ごした。指揮者のピエール・モントゥー(1875-1964)はパリ生まれの大指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後はパリ・オペラ=コミック座やコロンヌ管弦楽団の楽員だったが、1906年にコロンヌ管でを指揮者デビュー。1911年からディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者となり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「ペトルーシュカ」など、20世紀の名作バレエ音楽の初演を指揮した。第一次世界大戦後にアメリカのメトロポリタン歌劇場の指揮者に就任、1935年からはサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者をつとめた。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団(1919から24年まで音楽監督)を指揮している。これは第2次大戦後のボストン響との録音。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3973
\1500
ブルーノ・ワルター指揮&ウィーン・フィル
 モーツァルト:
  交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 日COLUMBIA JW 8/10(英HIS MASTER'S VOICE DB 3112/4と同一録音) 1936年12月18日ウィーン、ムジークフェライン録音

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビューし、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーを指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD 録音機を使用した。

 



2025/3
45CDR 3968
\1500
バレンボイム、14歳の初録音集
モーツァルト:
 きらきら星変奏曲-
  ダニエル・バレンボイム14歳の初録音
 きらきら星変奏曲 K.265 (モーツァルト)
 カプリッチョ 嬰ヘ短調 作品5 (メンデルスゾーン)
 間奏曲 ハ長調 作品119-3 (ブラームス)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)

 PHILIPS ELECTICAL LIMITED LONDON NBE 11013(17cm 45回転盤) 1956年ロンドン録音

 ダニエル・バレンボイム(1942-)が1956年、14歳の初録音集。アルゼンチンのブエノス・アイレス生まれ。5歳でピアノを始め、1950年8月19日、7歳のときブエノス・アイレスで最初のコンサートを開いた。1952年に一家と共にイスラエルに移住し、2年後の1954年の夏に両親と共にザルツブルクに行き、イーゴリ・マルケヴィッチのクラスに参加した。その年ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに出会い、この大指揮者に強い印象を与えた。この録音の1年前の1955年にパリでナディア・ブーランジェ教授に和声と作曲の個人指導を受けた。その後ピアニスト、指揮者として20世紀後半のクラシック音楽界で大活躍した。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3969
\1500
リリー・クラウス(ピアノ)
モーツァルト:
 ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
 ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」
リリー・クラウス(ピアノ)

 米 VOX PL 6310 1950年フランス録音

 LP最初期の録音。リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)に師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1987)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1882-1964)についてさらに研鑽をつんだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を確立し、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルグと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで現地で過ごした。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3970
\1500
アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)&ライオネル・ターティス(ヴィオラ)
モーツァルト:
 ヴァイオリンとヴィオラのための
  協奏交響曲変ホ長調 K.364
アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)
ライオネル・ターティス(ヴィオラ)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
ロンドン交響楽団

 英 COLUMBIA DX 478/81 1933年4月30日ロンドン録音

 この名曲の世界初録音。ヴァイオリンのアルバート・サモンズ(1886-1957)はロンドン生まれ。指揮者のトーマス・ビーチャムに見いだされ、ビーチャムが設立したオーケストラのコンサート・マスターに迎えられた。その後ロンドン弦楽四重奏団を立ち上げ、その後ジョージ5世の御前演奏家に選ばれた。ヴィオラのライオネル・ターティス(1876-1975)はライプツィヒ音楽院とロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学んだが、在学中に弦楽四重奏でヴィオラを弾いたのがきっかけで転向した。パウル・ヒンデミットやウィリアム・プリムローズらと共にヴィオラの独奏楽器としての地位を確立した。指揮者のハミルトン・ハーティ(1879-1941)は1920年にハレ管弦楽団の指揮者に就任し、1933年までその地位にあった。1935年にナイトに叙せられた。録音はヨーゼフ・シゲティのソロによるブラームスのヴァイオリン協奏曲(78CDR-3220)が出ていた。

 復刻には「音のエジソン」のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 



2025/1・2
33CDR 3965
\1500
リリー・クラウス(ピアノ)
モーツァルト 「戴冠式」、アダージヨ

 モーツァルト:
  ピアノ協奏曲第26番ニ長調 KV.537「戴冠式」
  アダージヨ  ロ短調 KV,540
リリー・クラウス(ピアノ)
ルドルフ・モラルト指揮
ウィーン交響楽団(協奏曲)

 米 VOX PL 7300 1950年ウィーン録音

 LP最初期の録音。リリー・クラウス(1905-1988)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入学、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)らに師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアル・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで現地で過ごした。指揮者のルドルフ・モラルト(1902-1958)はミュンヘン生まれ、リヒャルト・シュトラウスの遠縁にあたる。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3966
\1500
エヴァ・ヒッツカー(ヴァイオリン)
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲

 モーツァルト:
  ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 KV.219
   (カデンツァ: ヨアヒム)
エヴァ・ヒッツカー(ヴァイオリン)
フリッツ・ヴァイトリッヒ指揮
ザルツブルク祝祭管弦楽団

 米 REMINGTON RLP-149-37(25cm 盤) 1951年発売

 エヴァ・ヒッツカー(1921-2016)はオーストリア生まれの女流ヴァイオリン奏者。
 この録音の他にハイドン:ヴァイオリン協奏曲第3番イ長調 H.VIIa, No.3(1765)"Melk"(Amadeo AVRS 6355)があった。指揮者のフリッツ・ヴァイトリッヒ(1898-1952)はウィーン生まれ。インスブルック楽友協会の指揮者をつとめた。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3967
\1500
エタ・ハーリッヒ=シュナイダー(ハープシコード)
クープラン:クラヴサン組曲第1巻より第24組曲

 大殿様/若殿様/毒槍/
 花飾り/がらくた/
 みごとな犬、またはおどけた恋 /
 美しいおしゃべり女/二重生活者
エタ・ハーリッヒ=シュナイダー
 (ハープシコード)

 米 URANIA RECORDS URLP 5001(25cm 盤) 1951年発売

 エタ・ハーリッヒ=シュナイダー(1894-1986)はベルリン生まれの女流ハープシコード奏者。第2次世界大戦中ナチス・ドイツから「ユダヤ人贔屓」とにらまれ、戦時中を日本で過ごした。この録音は最初期のLPに残されていたもので、ほとんど知られていなかった貴重盤。

 復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

 


78CDR 3962
\1500
唱歌「旅愁」
 英語版原曲と犬童球渓訳詞による日本語歌唱

  (1)ふるさとと母を夢見て(旅愁の原曲)(J.P.オードウェイ)
  (2)旅愁(独唱)
  (3)旅愁(少女小曲)
  (4)旅愁(犬童球渓訳詞)
  (5)旅愁(犬童球渓作歌)
  (6)旅愁(犬童球渓作詩・杉田良造編曲)
  (7)旅愁(Traditional)
  (8)旅愁(犬童球渓作詩・杉山長谷夫編曲)
  (9)旅愁(アメリカ民謡・犬童球渓作詞・坂本良隆編曲)
  (10)旅愁(犬童球渓作詞・オードウェイ作曲・飯田信夫編曲)
(1)エヴァン・ウィリアムズ(テノール)
(2)杉本阿さ子(歌)、湯前純親(伴奏)
(3)村山道子(歌)、豊田義一(ハーモニカ伴奏)
(4)植村輝子(歌)、松島ツネ子(ピアノ)
(5)関屋敏子(ソプラノ)
 カルロ・サバンニョ指揮
 ミラノ・スカラ座管弦楽団
(6)松島詩子(歌)、リーガル・オーケストラ
(7)モーリス・マレシャル(チェロ)
 マキシム・シャピロ(ピアノ)
(8)中村淑子、四谷文子、
 藤山一郎、徳山たまき(歌)
 日本ビクター弦楽六重奏団
(9)三枝喜美子(歌)、コロムビア・オーケストラ
(10)藤井典明指揮、日本ビクター女声合唱団
 大堀敦子(ピアノ)

 ※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源

 (1)米Victrora 6321B(1916年3月29日機械式録音)
  エヴァン・ウィリアムズ(1867-1918)は米オハイオ州生まれのオラトリオ歌手。生涯に約100枚のSPレコードを米VICTORと英HMVに残した。
 (2)ニットー・レコード 389B (1922年発売)(機械式録音) 演奏者の経歴は不詳。ニットー・レコードは大正期にあった大阪の会社。
 (3)ニッポノフォン 15939A (1925年12月発売)(機械式録音) 村山道子(1904-1990)は大正中期に童謡歌手としてデビュー。長じてソプラノ歌手として活躍した。
 (4)コロムビア 25658(1929年10月発売) 植村輝子はドラマティック・ソプラノとして昭和初期に活躍した。
 (5)ビクター 4135A(BM654-2)(1929年10月ミラノ録音) 関屋敏子(1904-1941)は偉大なソプラノ。イタリア在留中の録音。
 (6)リーガル 65952(74204)(1933年8月発売)
  松島詩子(1905-1996)は山口県柳井市出身。1932年音楽教師から歌手に転向。これはデビュー後2枚目の録音。後にキングレコードの看板歌手になった。
 (7)コロムビア J5482(200841)(1935 年東京録音)
  モーリス・マレシャル(1892-1964)フランス、ディジョン生まれのチェリスト。パリ音楽院出身。1935年と1937年に来日、コロムビアに小品16曲を録音した。
 (8)ビクター 53397A(7056)(1935年5月発売) 大物歌手四人の斉唱・重唱が楽しめる。
 (9)コロムビア A432z(1210409)(1948年発売) 三枝喜美子(1921-2000)武蔵野音楽学校研究科修了のアルト歌手。藤原歌劇団に所属していた。
 (10)ビクター V-40396(1950年6月発売)
  藤井典明(1915-1994)は東京音楽学校研究科修了。バリトン歌手として、また合唱指揮者して活躍した。ピアノの大堀敦子は愛知県立芸術大学の名誉教授勤めた。

 「旅愁」は日本生まれの歌ではなく、原曲はアメリカの作曲家 J. P.オード ウェイ(1824-1880)が1868年に作曲した「ふるさとと母を夢見て Dreaming of Home and Mother」で、明治40年(1907)に詩人犬童球渓(いんどうきゅうけい) (1879-1943)によって訳詞された翻訳唱歌だった。1907年に発表された「中等 教育唱歌集」に載ってから広く親しまれ、明治・大正のラッパ吹き込みの時代 から親しまれてきた。だが初期のレコードには作曲家や作詞家の名前が記載さ れなかったこともあって日本生まれの歌だと思われてきた。数年前にアメリカ VICTORのカタログにテノール歌手エヴァン・ウィリアムズによる「ふるさとと 母を夢見て Dreaming of Home and Mother」を見つけ約 2年かけてSP盤を入手 した。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用 MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R] DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3964
\1500
ヘレン・エアロフ(ヴァイオリン)
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲/
 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ

  モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 KV,271a
  ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
ヘレン・エアロフ(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団(モーツァルト)
セレニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)(ベートーヴェン)

 米 REMINGTON R-199-46(モーツァルト)1953年発売 米 REMINGTON R-199-93(ベートーヴェン)1952年11月発売

 ヴァイオリンのヘレン・エアロフ(1916-1987)はロシア生まれ(ニューヨーク生まれ説あり)。9歳のとき神童としてサンフランシスコでデビュー。ヨーロッパ に渡りアドルフ・ブッシュ(1891-1952)とジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に 師事した。多くの演奏会で成功をしたが、特に第2次世界大戦中は米軍兵士 (G.I.)の慰問コンサートでアフリカ、ヨーロッパ、中近東で演奏した。エアロ フの最大の功績は、師のエネスコに録音プロデューサーのドン・ガボール (1912-1980)を紹介し、エネスコが録音していなかったJ.S.バッハの無伴奏 ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲(33CDR-3385&33CDR-3385)の録音完成を後押ししたことである。
 協奏曲を指揮するクルト・ヴェス(1914-1987)は オーストリアのリンツ生まれ。大指揮者フェリックス・ワインガルトナー (1863-1942)の個人教授で指揮法を学んだ。1951年から1954年までNHK交響楽団 の常任指揮者を務めたこともある。ピアノのセレニ・シャイエ=リシェはフラ ンスのリール生まれ。1898年にパリ音楽院で一等賞を得た。エネスコの没後ル ーマニアのブカレストでエネスコ資料館を立ち上げ参加した。

 復刻にはKLANG-KUNST Model 10A カートリッジをモノ接続にして、コルグの [DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 



2024/11
78CDR 3959
\1500
キャスリーン・ロング(ピアノ)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 KV.449
キャスリーン・ロング(ピアノ)
ボイド・ニール指揮
ボイド・ニール管弦楽団

 英 DECCA K.784/6 1935年7月19日ロンドン録音

 この曲の初録音。キャスリーン・ロング(1896-1968)はロンドン郊外のベントフォード生まれ。神童として名を馳せ8歳で演奏会を開いた。1915年にロンドンのエオリアン・ホールでデビュー、1920年から1964年まで母校の王立音楽カレッジで教鞭をとった。モーツァルト、ハイドン。バッハなどの作品を得意とし、英DECCAに多く録音を残している。指揮者のボイド・ニール(1905-1981)はイギリス生まれ。外科医師から音楽家に転向し、1932年に自らの名を冠したオーケストラを指揮してデビュー、DECCAと契約して活躍した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3960
\1500
ハインリッヒ・シュルスヌス(バリトン)
ベートーヴェン:連作歌曲「遙かなる恋人に寄す」作品98

 1.丘の上に私は座って
 2.山々の青いところ
 3.空高く軽やかに舞う鳥
 4.空高くゆく雲
 5.五月がめぐってきた
 6.お別れにこの歌を
ハインリッヒ・シュルスヌス(バリトン)
セバスチャン・ペシュコ(ピアノ)

 Deutsche Grammophon 67544/5(Ger.) 1939年7月19日ベルリン録音

 ハインリッヒ・シュルスヌス(1888-1952)はドイツのブラウバッハ生まれ。1915年にハンブルクで初舞台を踏み、1917年から1950年までベルリン国立歌劇場で歌った。その間シカゴ・オペラ、バイロイト音楽祭、パリ・オペラ座にも出演した。シュルスヌスは優れたレガートと気品ある歌唱で知られ、オペラではドイツ人歌手でありながらヴェルディの諸役でも名を馳せた。ドイツリートの歌唱様式の典型を、テノールのレオ・スレザークと共に形作っていた歌い手でもあった。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3961
\1500
アンドレ・マンジョー(ヴァイオリン)
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ、他

 ヴァイオリン・ソナタ ト短調(1917)
 前奏曲集第1集より第4曲「音と香りは夕べの大気のなかに漂う」
アンドレ・マンジョー(ヴァイオリン)
ライエル・バーブア(ピアノ)

 英 NATIONAL GRAMOPHONIC SOCIETY(NGS)127/8 1929年ロンドン録音

 この曲の初録音。アンドレ・マンジョーはパリ音楽院出身のヴァイオリニスト。1919年にロンドンでインターナショナル弦楽四重奏団を結成した。ピアノのバーブアはハンガリー生まれ。ブダペスト・トリオのピアニストをつとめた。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 



2024/9

78CDR 3953
\1500
ワインガルトナーが残した唯一の「英雄」
 ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
フェリックス・ワインガルトナー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 米 COLUBIA 68855/68860-D(英 COLUMBIA LX 532/7と同一録音) 1936年5月22&23日ウィーン録音

 フェリック・ワインガルトナー(1863-1942)オーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻したが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの音楽院で学んだ。1889年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。この「英雄」はワインガルトナーが残した唯一の「英雄」。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3954
\1500
カルヴェ弦楽四重奏団
 ドビュシー/J.C.Fバッハ:弦楽四重奏曲

  ドビュシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
  ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ:
   弦楽四重奏曲第4番ニ短調よりAllgro moderato
カルヴェ弦楽四重奏団
 ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
 ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
 レオン・パスカル(ヴィオラ)
 ポール・マ(チェロ)

 仏 COLUMBIA LFX 210/213 1931年パリ録音

 カルヴェ弦楽四重奏団は1919年に結成された。リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はトゥールーズ出身。生地の音楽院で1904年に一等賞を得て、その後パリ音楽院に進み1919年に一等賞得た後すぐに弦楽四重奏団を結成した。1928年リーダーの死によって解散したカペー弦楽四重奏団の後継四重奏団となったカルヴェ四重奏団の初録音。
 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(Johann Christoph Friedrich Bach, 1732年6月21日 ライプツィヒ - 1795年1月26日 ビュッケブルク)は、バッハとアンナ・マクダレーナの第9子で、下から数えて2番目の息子。活動地に言及して「ビュッケブルクのバッハ」とも呼ばれる。音楽家になった中では一番名前が知られてない人。録音も少ない。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3955
\1500
超人歌姫!関屋敏子名唱集(3)
 (1)ユーモレスク(岸本操子訳詩  ドヴォルザーク作曲  橋本国彦編曲)
 (2)ミネトンカの湖畔にて(妹尾幸陽訳詩  リューランス作曲)
 (3)ラ・パロマ(妹尾幸陽訳詩  イラディエル作曲)
 (4)悲歌(堀内敬三訳詩  マスネー作曲)
 (5)ホフマンの舟唄(堀内敬三訳詩  オッフェンバック作曲)
 (6)ローレライ(近藤さく風訳詩  ジルヒャー作曲)
関屋敏子(ソプラノ)
新響サロン・オーケストラ(1)(2)
ピチネリ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団(3)
日本ビクター管弦楽団(4)(5)(6)

 日VICTOR 13190 (1)(2) 1932年7月発売(25cm盤)/日VICTOR 13305 (3) 1933年8月発売(25cm盤)/
 日VICTOR 13397 (4)(5) 1934年12月発売(25cm盤)/日VICTOR 13410 (6) 1935年3月発売(25cm盤)

 関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 




2024/8
33CDR 3950
\1500
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(1)

 ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)

 (Stereo)、米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016 1967年頃のヨーロッパ録音

 クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。この録音は以下の理由で1967年頃のものと思われる。フェラスは当時 DEUTCHE GRAMMOPHONの専属で、カラヤン指揮のベルリン・フィルと多くの録音をしていた。その中にカラヤンと共演したJ.S.バッハ:ヴィオリン協奏曲集があった。当然この録音と同時期にフェラスによるJ.S.バッハ:無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が予定される筈だが、ある事情により録音はなされなかった。その事情を知らないフェラスは録音準備をしていただろうが、録音がないことをを知らされたフェラスは自費で録音を行ったと想像する。それがこの録音である。
 (以下33CDR-3951へ)

 復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3951
\1500
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(2)

 ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
 パルティータ第2番ニ短調 DWV 1004
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)

 (Stereo)、米 SINE QUA NON SOPERBA SAS 20161967年代頃のヨーロッパ録音

 クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。1967年カラヤン指揮ベルリン・フィルとJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集が録音された。フェラスはこの録音に引き続き、無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音要請がDEUTSCHE GRAMMOPHON社から来ると思い準備をしていたが録音依頼はなかった。それはDG社がヘンリク・シェリングの無伴奏ソナタとパルティータ全曲を発売することになったためと推測する。シェリングの無伴奏は、もともとオランダ PHILIPSが発売権を持っていたが、PHILIPSはアルトゥール・グリュミオーの無伴奏が完成したために、シェリング盤の発売をDG社に委ねたからだ。それでフェラスの無伴奏の録音は無くなった。(以下33CDR-3952へ)

 復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dカとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3952
\1500
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(3)

 ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
 パルティータ第3番ホ長調 DWV 1006
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)

 (Stereo)、米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016 1967年頃のヨーロッパ録音

 クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。1967年カラヤン指揮ベルリン・フィルとJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集が録音された。フェラスはこの録音に引き続き無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音要請がDEUTSCHE GRAMMOPHON社から来ると思い準備をしていたが録音依頼はなかった。フェラスは完全に仕上がったJ.S.バッハの「無伴奏」をそのままにしておくのを偲びず、自費で録音をしたと想像する。録音場所は不明だが、音の響き方からスタジオではなくコンサート・ホールだと思われる。時折ホールの外の自動車の音が聞かれる。観客の気配は皆無なのでライヴ録音ではない。

 復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 


2024/7
33CDR 3947
\1500
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
 モーツァルト:
  ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
  ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
カール・ミュンヒンガー指揮
シュトゥットガルト室内管弦楽団

 英DECCA LXT 5044(FFRR録音) 1954年10月14日-11月11日、スイス、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール録音

 ヴァイオリン協奏曲第6番K.268(365b)はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリッヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジェスマイアー(1766-1830)が加筆したという。ジェスマイヤーはモーツァルト最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在ではモーツァルトの作品表から除外されている。ジャック・ティボーの(1880-1953)の快心の名演がSPレコード(復刻CDR:78CDR-3080)にあったが、LP時代には録音はごく僅かだった。クリスチャン・フェラス
(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。これは21歳のフェラスが取り組んだ最初期の録音。指揮者のカール・ミュンヒンガー(1915-1990)はドイツ生まれ。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)に師事し、シュトゥットガルト室内管弦楽団を主宰した。

 復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3948
\1500
ミルシテイン(ヴァイオリン)
 ミュンシュ指揮&ボストン響
  チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団

 米 RCA VICTOR LM 1760 1953年3月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音

 ナタン・ミルシテイン(1903-1952)はウクライナのオデッサ生まれ。11歳でペテルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと知り合い一緒に演奏旅行をしたこともあった。1929年にストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のソリストとしてアメリカ・デビュー。1942年にアメリカ市民権を得た。ミルシテインは生涯に8回もチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をレコード録音している。これはその2番目で50歳の時のもの。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はドイツのストラスブルク生まれ。ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務めた。1929年にパリで指揮者デビュー。1937年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者になり1946年まで在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその地位にあった。1967年パリ管弦楽団が出来たとき、初代の音楽監督に就任したが、同年アメリカを演奏旅行中に心臓発作で死去した。享年77。

 復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
33CDR 3949
\1500
スポールディング&ドホナーニ
 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78
エルンスト・フォン・ドホナーニ(ピアノ)
アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)

 米REMINGTON R-199-84 1952年録音

 ピアノのエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はオーストリア=ハンガリー帝国のポジョニュ(スロヴァキア語名:ブラティスラヴァ)生まれ。ブダペスト音楽アカデミーを卒業後、1897年オイゲン・ダルベルト(1864-1932)のレッスンを受けてピアニストとしてデビューした。 ヨアヒムの招きでベルリン高等音楽院で教鞭をとった(1905-1915)。その後祖国に戻り、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をつとめた。その後アメリカに渡り定住した。
 ヴァイオリンのアルバート・スポールディング(1888-1955)はシカゴ生まれ。1906年にパリでデビュー。1922年にパリ音楽院管弦楽団初のアメリカ人独奏者に迎えられた。その1年後同音楽院の卒業審査員に選ばれた。スポールディングはエジソンの円筒式レコードの時代から小品の録音を始め、縦振動のダイアモンド・ディスクにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTOR社の専属だった。
 LP時代に米REMINGTONにブラームスとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集などを録音していた。

 復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 




2024/6

78CDR 3944
\1500
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス-スペイン古謡集
 (1)うぐいす-カタロニア 古謡 DA1970A
 (2)アメリアの遺言-カタロニア 古謡 DA1970B
 (3)(a)さようなら、わたしのいい人
  -(b)かあさんは私を嫁にやろうとして
   ガリシア 古謡 (3:04) DA1971A
 (4)峠をめざして-アストゥリアス 古謡 DA1971B
 (5)わたしの心はここにあるカスティーリャのファンダンゴ
  DA1972A
 (6)(a)泣いていたあの娘
  -(b)羊飼いは行ってしまった
   カスティーリャ 民謡
    DA1972B
 (7)(a)ベツレヘムの鐘 Campanas de Belen -
   (b)私が歌うハエンの調べ
   DA1973A
 (8)すぐにおやすみ-ムルシア 古謡 DA1973B
 (9)歌の文句が知りたいならば グラナダの歌
  DA1974A
 (10)嘆きぶし-アンダルシア 古謡  DA1974B
 (11)(a)麦打ち歌
  -(b)パルデモーサのバラード
   マジョルカ 古謡 DA1975A
 (12)(a)わたしのもの-(b)いいなずけ
  バスク地方の古謡 DA1975B
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス
 (ソプラノ)
レナータ・タラーゴ(ギター)
ガルシア・タラーゴ(編曲)

 英 HIS MASTER'S VOICE DB 1970/1975
 1950年9月12-15日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
 HIS MASTER'S VOICE D1970/1975
 Recorded 12-15 September 1950, EMI Studio No.3,Abbey Road, London

 ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(1923-2005)はスペインのバルセロナ生まれ。
 幼少時からギターと声楽を習い、長じてリセウ高等音楽院に進みピアノと声楽を学んだ。1944年にバルセロナでリサイタルを開いてプロ・デビューした。その後1947年ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。1949年にはパリ・オペラ座、1950年にはザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラハウス、ミラノ・スカラ座でデビュー。この録音は彼女の最初期のもの。その後EMIにオペラの全曲録音を20作以上残した。ギターのレナータ・タラーゴ(1927-2005)はバルセロナ生まれの女流奏者。父親からギターの手ほどきを受け、14歳で最初の演奏会を開き、17歳でバルセロナ音楽院の助教授に就任した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3945
\1500
ストラヴィンスキー:カプリッチョ(ピアノと管弦楽のための) イーゴリ・ストラヴィンスキー(ピアノ)
エルネスト・アンセルメ指揮
ストララム管弦楽団

 仏 COLUMBIA LFX 81/3 1930年5月8-10日パリ録音

 この曲は作曲者ストラヴィンスキーがピアニストとしての力量を示すために作曲された。1928年から29年にかけて南フランスで書かれ、初演は1929年末にパリのプレイエル音楽堂で、作曲者自身のピアノ、エルネスト・アンセルメ指揮パリ交響楽団によって行われた。エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイス生まれ。1910年モントルーで指揮者デビュー。間もなくモントルーのカフェでストラヴィンスキーと運命的な出会いをし交友を深めた。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 
78CDR 3946
\1500
シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120 ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 日POLYDOR 40141/4A (独 POLYDOR 66410/3と同一録音) 1926年ベルリン録音

 ハンス・プフィッツナー(1869-1949)はドイツ後期ロマン派の作曲家。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれ、幼少時にドイツに移住し指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。レコード録音は機械式録音(1925年以前)の後期から電気録音の初期の時代にベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものがドイツPOLYDORに残されているが、その後は作曲活動に専念したためか録音はほとんど無い。この録音は米ブランズウィック社が開発した「ライト・レイ」方式の電気録音。プフィッツナーは機械式録音時代の1923年にベルリン・フィルを指揮してこの曲を録音していた(独POLYDOR 69625/7)。
 この音楽家のお気に入り作品。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

 




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