交響曲第1番/同第7番 |
レイフ・セーゲルスタム指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 |
録音:2002年5月ヘルシンキ、フィンランディア・ホール |
店主はセーゲルスタムのファンであるが、それだけにいつもセーゲルスタムの新譜についての点は辛い。
しかし、この1枚はすごい。ほんとうにすごかった。
最近録音がなかったセーゲルスタムだが、昨年のコンサートを聴くかぎり以前にもましてそのパワーは増大していたことから、それなりの演奏にはなっているだろうと思っていたけれど・・・まさかここまでやるとは。
鬱憤を完全に晴らす超天空演奏。
ただ、もちろん透明繊細なシベリウスが好きな人は絶対に聴いてはいけない。
そのメリハリの強さ、あまりにも濃厚な感情表現、強烈すぎるフォルテシモにきっと吐き気すら催すだろう。
・・・だが肉厚で骨太のシベリウスが好きな人にとってはこれは完全究極体的演奏となるに違いない。
そのスケールと重厚感は、彼自身の1回目の録音、バルビローリ、バーンスタインを含めたこれまでのすべてのシベリウス録音をはるかに超越している。
ここでのセーゲルスタムは昨年の来日公演のときと全く同じ。
指揮棒の代わりに、肉切り包丁かこん棒を持っているかのような音楽作り。
一歩間違えば全編フォルテの大ハリボテ演奏の一歩手前のところで、その緊張感とエネルギーを持続させる。
聴いている人は第1番ではスケルツォに入る前にへとへとになるだろう。しかしセーゲルスタムはそれでもわれわれをそこから逃がしてくれない。あれよあれよといううちに首根っこを掴まれて驚天動地のフィナーレに連れ去られる(指揮者の大半が終楽章の冒頭をフニャフニャと演奏するけれど、セーゲルスタムは潔くスパッと演奏してくれた。感激。)。
そしてフィナーレのラスト3分。我々はこれまで絶対に味わったことのない壮麗絶美なる天国の時間を体験することになる。 その瞬間、彼の指揮棒は天使の羽根と化した。
|
シベリウス:交響曲第2番/同第6番 |
レイフ・セーゲルスタム指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 |
録音:2002年10月、12月。 |
これまでの第2番のベスト盤はセーゲルスタム&デンマーク放送響(CHANDOS)盤だったが、残念ながらその地位を自らの手で引き摺り下ろしてしまった。
「第1番/同第7番」は宇野功芳氏絶賛、そしてレコ芸特選。それにより一気に一般的認知度を高めたセーゲルスタム。
今回の第2番でも天界を瓦解させるような怒涛の音楽を聴かせてくれた。
|
シベリウス:交響曲第3、5番 |
レイフ・セーゲルスタム指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 |
2004年1月、2003年6月。 |
第5番は第1番、第2番に続く天上瓦解演奏で期待どおり。
嬉しかったのが第3番。前回のCHANDOS全集で唯一不満が残ったのがこの第3番だったが、今回は原住民の祭り的な土俗的で原始的なダイナミズムを顕現。時間的にも2分近くシェイプアップし、壮大さはそのままに勢いは加速。セーゲルスタムをただの「爆裂バカ」だと思っている輩に、実は「想像を超える爆裂バカ」だということを証明してみせた。
|
シベリウス:交響曲第4番イ短調Op.63 |
レイフ・セーゲルスタム指揮
ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 |
録音:(1)(3)2003年12月、(2)2004年1月ヘルシンキ、フィンランディア・ホール |
セーゲルスタムとヘルシンキ・フィルのシベリウス・チクルス、その最後は第4番。
シベリウスが苦悩の中で書き残した畢生の名作。簡潔で哲学的。
シベリウスの作品中最も難解で晦渋ともいえる第4番を、セーゲルスタムが持ち前の大鉈で縦横無尽に叩き切る。
考えてみればこの曲を聴いて心から「すごい!」と思ったことはない。
どの演奏を聴いても、「そこはそんなもんかなあ、まあ、そうなんだろうなあ」と、うーんとうなってしまう。
いつか誰か、悩み無用の明快且つ面白おかしい演奏で聴かせてくれないものか・・・、と思っていた。
そこについに登場するのがセーゲルスタム2度目の録音。前回の録音から15年。
はたして第4番を聴いて泣いたことがあるだろうか?
信じられないかもしれないが、このハリウッド・ハリボテ演奏はこれまでのどんな深遠で哲学的な演奏より、あなたの心に迫ってくるだろう。
美しくて壮大なスケール。・・・こんな演奏を待ってた。
|