
MUCD 019
\2,500→\1890 |
宇宿允人の世界19
(1)モーツァルト:交響曲第40番ト短調K.550
(2)ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36 |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィル |
録音:(1)2000年9月16日(土)第125回公演ライブ、(2)1998年9月19日(土)「宇宿允人の世界」inかつしかライブ
モーツァルトの交響曲第40番と、ベートーヴェンの交響曲第2番。
古典派を代表する名曲を組み合わせた、一見すると端正な一枚である。だが宇宿允人が指揮すると、この2曲から「整った古典」というイメージが鮮やかに剥ぎ取られてゆく。
モーツァルトの第40番は、美しい哀愁の名曲では終わらない。冒頭から絶えず脈打つ不安、行き場を失った焦燥、笑顔の向こうに隠された孤独――。宇宿はその暗い影を追い詰め、モーツァルトの音楽に潜む、息苦しいほど切実な感情をむき出しにする。
一方、ベートーヴェンの第2番は、若々しい生命力が爆発する音楽。まだハイドンやモーツァルトの面影を残しながら、いたるところで古典の枠を突き破ろうとする。宇宿は、その反抗心と途方もないエネルギーを逃さず、後の《英雄》を予告するような巨大なうねりへと育ててゆく。
短調のモーツァルトと、光へ飛び出してゆくベートーヴェン。
二人の天才の対照的な世界を通して、宇宿允人の「古典」がどれほど熱く、危険で、人間臭いものであったかを思い知らされる一枚である。
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MUCD 020
(2CD)
\3,500→\2590 |
宇宿允人の世界20
[Disc1]
(1)ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲
(2)ウェーバー:舞踏への勧誘(ベルリオーズ編曲)
(3)清瀬保二:「歌曲『園丁』より」(宇宿允人編曲)
(4)ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房達」序曲
(5)リスト:ハンガリー狂詩曲第2番
[Disc2]
(6)ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲) |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィル |
録音:(1)(2)(4)1996年6月22日(土)第90回公演ライブ、(3)2001年5月20日(日)第130回公演ライブ (5)2003年5月24日(土)第144回公演ライブ、(6)2003年10月10日(金)第147回公演ライブ
これは一夜の演奏会を収めたアルバムではない。1996年から2003年まで、7年間にわたる「宇宿允人の世界」から、宇宿の凄さが最も鮮烈に現れた管弦楽曲を選び抜いた、いわば宇宿允人の名場面集である。
《タンホイザー》序曲の荘厳な祈りと官能、《舞踏への勧誘》の華麗な躍動、《ウィンザーの陽気な女房たち》序曲の目まぐるしい生命力、そして《ハンガリー狂詩曲第2番》の爆発的な熱狂。宇宿は一曲一曲を小さくまとめることなく、短い序曲や舞曲のなかにも、交響曲一曲分のドラマを叩き込んでゆく。
なかでも貴重なのが、清瀬保二の歌曲集《園丁》からの一曲を、宇宿自身が管弦楽編曲した録音。指揮者としてだけでなく、作曲家・編曲者としての宇宿の姿を伝える、ほかではまず聴くことのできない記録である。
そして第2ディスクには、2003年録音の《展覧会の絵》をまるごと収録。MUCD
011にも同曲が収められているが、そちらは1999年、フロイデ・フィルとの歩みが始まって間もない時期の演奏。本盤はそれから4年後の再挑戦である。
宇宿にとって《展覧会の絵》は、一度録音すれば終わる作品ではなかった。一枚一枚の絵をさらに巨大に、さらに鮮烈に立ち上がらせ、最後の《キエフの大門》へ向かって、オーケストラを途方もない音の建造物へと変えてゆく。二つの録音を聴き比べれば、宇宿とフロイデ・フィルが重ねた4年間の歳月まで見えてくるはずである。
華麗、荘厳、狂乱、祈り――宇宿允人のあらゆる表情を2枚に凝縮した、まさしく「宇宿允人の世界」への格好の入口となるアルバムである。
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MUCD 021
\2,500→\1890 |
宇宿允人の世界21
(1)シューベルト:ロザムンデ序曲 作品26
(2)ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88 |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィル |
録音:(1)2004年6月22日(土)第150回公演ライブ、(2)1995年7月5日(水) 第75回公演ライブ
シューベルトの《ロザムンデ》序曲と、ドヴォルザークの交響曲第8番。
録音時期は9年も離れているが、二つの作品を結んでいるのは、どこまでも自然に湧き上がる歌と、土の匂いを感じさせる生命力である。
《ロザムンデ》序曲では、静かな導入部から、シューベルトらしい親しみやすい旋律が次々と姿を現す。しかし宇宿允人は、それをただ優雅に流すことはしない。歌は切実に息づき、リズムは次第に熱を帯び、やがて短い序曲とは思えないほど大きなドラマへと膨らんでゆく。
そしてドヴォルザークの第8番。
鳥の声、民衆の踊り、深い森の静けさ、突然押し寄せる嵐――。宇宿はこの交響曲を美しいボヘミアの風景画として描くのではなく、大地そのものが歌い、踊り、咆哮する音楽として鳴らす。素朴な旋律がオーケストラ全体を巻き込み、終楽章では抑えきれない生命の歓喜となって爆発する。
この第8番は1995年、フィルハーモニアTOKYO時代の記録。後に登場するMUCD-028にも、2009年にフロイデ・フィルと再録音した第8番が収められている。14年を隔てた二つの演奏を聴き比べれば、宇宿がこの作品をどれほど愛し、長い歳月をかけて問い続けたかが見えてくるだろう。
若き日の荒々しい生命力を刻んだドヴォルザークと、晩年へ向かう時期の円熟したシューベルト。宇宿允人の9年間を、一枚のなかで行き来できる味わい深いアルバムである。
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MUCD 022
\2,500→\1890 |
宇宿允人の世界22
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
交響曲第40番 |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィルハーモニー |
第165回「宇宿允人の世界」”モーツァルトの夕べ” 2006年10月20日、東京芸術劇場大ホール
《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》と交響曲第40番。
誰もが知るモーツァルトの名曲を並べた「モーツァルトの夕べ」だが、宇宿允人が描き出すのは、優雅で愛らしいだけのモーツァルトではない。そこには光と影、微笑みと悲しみ、そして古典の均整のなかに閉じ込められた激しい感情がある。
《アイネ・クライネ》では、明るく親しみやすい旋律が、生き生きとした呼吸をもって動き始める。小さく整えるのではなく、一つ一つのフレーズをたっぷりと歌わせ、室内楽的な作品から豊かな生命力を引き出してゆく。聴き慣れたはずの音楽が、まるで初めて出会う曲のように新鮮に響く。
そして交響曲第40番では、世界が一変する。
冒頭から絶えず脈打つ不安、優美な旋律の背後に潜む焦燥、どこへ向かっても逃れることのできない悲しみ。宇宿はその暗い情念を覆い隠さず、モーツァルトの音楽が秘めている危うさを真正面から解き放つ。
宇宿は、この第40番を何度も演奏し、録音に残してきた。同じ作品に繰り返し立ち返りながら、そのたびに新たなモーツァルトを探し続けたのである。
MUCD-019が、まだ荒々しい切迫感を残した第40番だとすれば、本盤はフロイデ・フィルとの歳月を重ねた末の再挑戦。《アイネ・クライネ》の光があるからこそ、第40番の暗闇はいっそう深く見えてくる。
明るいモーツァルトと、悲劇のモーツァルト。その両方を一夜で描き切った、宇宿允人晩年の貴重な「モーツァルトの夕べ」である。
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MUCD 024
(2CD)
\3,500→\2590 |
宇宿允人の世界24
ベートーヴェン:序曲『レオノーレ』序曲第3番
序曲『エグモント』op.84
交響曲 第2番 ニ長調 作品36
交響曲 第6番 「田園」
ヘ長調 作品68 |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィルハーモニー |
第167回「宇宿允人の世界」 2006年12月28日、東京芸術劇場大ホール
第168回「宇宿允人の世界」 2007年4月21日、東京芸術劇場大ホール
《レオノーレ》第3番、《エグモント》序曲、交響曲第2番、そして《田園》。
ベートーヴェンの若々しい反抗、英雄的な闘争、自然への憧れまでを、2枚にわたってたどる壮大なアルバムである。
《レオノーレ》第3番と《エグモント》に共通するのは、暗闇を突き破って自由へ向かう意志。宇宿允人は、これらを演奏会の幕開けを飾る華麗な序曲としては扱わない。抑圧された人間が立ち上がり、苦しみながら光を勝ち取る、凝縮された交響曲として鳴らす。短い曲のなかに、宇宿の闘争的なベートーヴェンが燃え上がる。
交響曲第2番では、古典派の端正な姿のなかから、後の《英雄》へつながる途方もないエネルギーが噴き出す。そして《田園》では、その激しい闘いが自然のなかへ解き放たれる。小川、鳥の声、村人たちの踊り、突然の嵐、そして嵐のあとの感謝――。宇宿は美しい田園風景を描くだけではなく、自然のなかで生きる人間の喜びと恐れを、巨大なドラマとして立ち上げてゆく。
興味深いことに、第2番はMUCD-019に1998年の別録音があり、《田園》はMUCD-030に2010年の再録音がある。本盤の演奏は2006~2007年。そのため、この3枚を聴けば、宇宿が同じ作品と十年以上にわたって向き合い、その解釈を変化させていった過程までたどることができる。
同じ作品が何度も現れるのは、レパートリーが少なかったからではない。宇宿にとってベートーヴェンは、演奏するたびに新たな答えを迫ってくる、終わりのない問いだったのである。
闘争から歓喜へ、そして自然への祈りへ。宇宿允人のベートーヴェン観を、最も幅広く味わうことのできる充実の2枚組である。
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MUCD 025
\3,500→\2590
(2CD) |
宇宿允人の世界25
チャイコフスキー:
幻想序曲「ロメオとジュリエット」
バレエ組曲「白鳥の湖」Op.20より抜粋
(1) 情景
(2) ワルツ
(3) 白鳥たちの踊り
(4) 情景
(5) チャルダーシュ
(6) 第4幕のフィナーレ
交響曲第5番 |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィルハーモニー |
2007年8月のライブ公演が早くもCDとして登場!
チャイコフスキーの世界観を再現した演奏の反響の大きさから、急遽CDとしてリリースする事に。雑誌等でも取り上げられ賞賛された演奏を心ゆくまでご堪能下さい。
許されない恋、湖畔の幻想、そして逃れることのできない運命――。
チャイコフスキーの三つの世界を、宇宿允人が一夜の巨大なドラマとして描き上げた、圧巻の2枚組である。
《ロメオとジュリエット》では、若い二人の愛が燃え上がる一方、その背後から破局の影が刻一刻と迫ってくる。甘美な旋律をただ美しく歌わせるのではなく、その美しさがいつ失われるかもしれない危うさまで、宇宿は容赦なく音にする。
《白鳥の湖》では、月光に照らされた湖の静けさ、白鳥たちの哀しい踊り、華やかなワルツ、そして避けられない悲劇が、濃密な色彩をもって浮かび上がる。バレエの伴奏音楽という枠を超え、一曲一曲が人間の愛と絶望を語る交響詩のように迫ってくる。
そして最後にそびえ立つのが、交響曲第5番。
冒頭に現れる「運命」の主題は、その後も姿を変えながら全曲につきまとう。宇宿は、慰めるような美しい旋律も、華麗なワルツも、すべてをその運命との闘いとして積み上げ、終楽章ではオーケストラを巨大な勝利へと駆り立てる。だがその勝利さえ、どこか必死で、危うく、だからこそ胸を打つ。
宇宿は1994年にも《ロメオとジュリエット》を録音し、FPCD1809に残している。本盤は、それから13年後、長い歳月をともにしたフロイデ・フィルとの再挑戦。若き日の切迫した演奏と、晩年に近づいた宇宿が改めて描いた悲劇を聴き比べることができる。
2007年8月の公演は大きな反響を呼び、その熱気が冷めないうちに急遽CD化されたという。宇宿允人とフロイデ・フィルが、チャイコフスキーの愛と幻想と運命に全身で飛び込んだ、シリーズ屈指の壮絶なアルバムである。
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MUCD-026
2CD
\3,500→\2590 |
宇宿允人の世界26
グリーグ: 「ペール・ギュント」第1組曲作品46
第2組曲作品55
ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47
バッハ:G線上のアリア (アンコール) |
宇宿允人(指揮)
フロイデ・フィルハーモニー |
2008年8月。
グリーグの幻想的な《ペール・ギュント》全2組曲と、ショスタコーヴィチの凄絶な交響曲第5番。
一見すると正反対の世界を組み合わせたように見えるが、宇宿允人の手にかかると、その二つは不思議なほど強く結びついてくる。
《朝》の光、《山の魔王の宮殿にて》の狂乱、《オーセの死》の深い悲しみ、そして《ソルヴェイグの歌》の祈り。宇宿は《ペール・ギュント》を、美しい北欧の風景画としてではなく、夢と挫折を繰り返す一人の人間の物語として描いてゆく。
その物語の先に現れるのが、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。
重苦しい沈黙、押し殺された悲鳴、抵抗するような激しいリズム。そして終楽章で鳴り響く、勝利なのか、強制された歓喜なのか分からない巨大なクライマックス――。宇宿はそのすべてに真正面からぶつかり、音楽を安全な場所へ逃がさない。
宇宿は1996年にも、オリエンタル・バイオ・フィルとこの交響曲を録音している。だが本盤は、それから12年後、長い歳月をともに歩んだフロイデ・フィルとの再挑戦。同じ第5番でありながら、決して同じ演奏ではない。宇宿がこの作品に何を見つけ、何を問い続けたのか――二つの録音を聴き比べる楽しみも大きい。
最後に置かれた《G線上のアリア》が、激しい闘いのあとの祈りのように静かに響く。幻想、悲劇、抵抗、そして安息。宇宿允人の音楽世界を2枚に凝縮した、なんとも濃密なアルバムである。
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MUCD-027
\2,500→\1890 |
宇宿允人の世界27
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」変ホ長調作品55
マスネ:タイースの瞑想曲 |
指揮:宇宿允人
管弦楽:フロイデフィルハーモニー
録音日:2009年1月21日(水)第179回公演
場所:東京芸術劇場大ホール
製作:東京芸術音楽協会
録音・技術:柳井貴仁(株式会社スタジオシステムラボ)
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混迷の時代に鳴り響く、希望のシンフォニー。
宇宿允人が晩年にもう一度立ち向かった、ベートーヴェンの《英雄》である。
《英雄》は、一人の偉大な人物を称えるだけの交響曲ではない。理想を信じた人間が挫折し、傷つき、それでも再び立ち上がろうとする音楽である。宇宿は、その闘いを遠い歴史上の出来事として描かない。一つ一つの音に自らの信念を刻み込み、いまを生きる私たちの前へ、巨大な問いとして突きつける。
第1楽章冒頭の二つの和音から、音楽は迷うことなく前進する。激しい衝突、思いどおりにならない現実、何度倒されても再び歩き始める意志。葬送行進曲では、一人の英雄だけでなく、人間が失ってきた無数の理想に対する弔いの歌が響く。そして終楽章では、すべての苦しみを引き受けたうえで、もう一度未来を信じようとする生命力が爆発する。
宇宿は2004年にも《英雄》を録音し、MUCD-015に残している。本盤は、それから5年後、2009年1月の第179回公演。フロイデ・フィルとさらに歳月を重ねた宇宿が、同じ作品へ再び戻り、改めて「英雄とは何か」を問い直した記録である。二つの《英雄》は重複ではなく、宇宿の歩みを刻む二つの節目なのだ。
その巨大な交響曲のあとに置かれたのが、マスネの《タイースの瞑想曲》。闘争と勝利の余韻のなか、ヴァイオリンの静かな旋律が、傷ついた魂をいたわる祈りのように立ち上がる。
戦うことだけが英雄なのではない。苦しみを知り、それでも希望を捨てないこと――。宇宿允人が晩年に残した《英雄》は、そんな静かで強いメッセージを私たちに語りかけてくる。
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[MUCD-028]
(2枚組)
\3,500→\2590 |
宇宿允人の世界28
ドヴォルザーク 交響曲第8番 ト長調
ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」
ホ短調 |
指揮:宇宿允人
管弦楽:フロイデフィルハーモニー
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録音日:2009年9月12日(土)第181回公演
東京芸術劇場大ホールにて収録
ドヴォルザークの交響曲第8番と第9番《新世界より》を、一夜の演奏会で一気に取り上げた豪壮な2枚組。
第8番には、ボヘミアの自然、鳥の声、民衆の踊り、そして大地から湧き上がるような生命の喜びがある。一方の《新世界より》には、故郷を遠く離れた者の郷愁と、新天地へ踏み出そうとする巨大なエネルギーがある。
宇宿允人の手にかかると、その二つの交響曲が単なる「名曲二本立て」ではなく、一つの壮大な物語となって迫ってくる。第8番では、素朴な旋律がむくむくと膨らみ、やがてオーケストラ全体を巻き込む祝祭へと変わる。そして《新世界より》では、あの有名な旋律の美しさに安住せず、その背後にある孤独、憧れ、祈りを掘り起こしながら、最後には巨大な奔流となって押し寄せる。
洗練された響きを表面だけ楽しむ演奏ではない。リズムは大地を踏みしめ、旋律は人間の声のように歌い、クライマックスでは宇宿とフロイデ・フィルが一体となって燃え上がる。
2009年9月、第181回「宇宿允人の世界」。
晩年の宇宿が、ドヴォルザーク最後の二つの交響曲を正面から見据え、その喜びも郷愁も、すべてをむき出しにして鳴らし切った。2枚を通して聴いてこそ、その途方もないスケールが見えてくる、宇宿流ドヴォルザークの集大成である。
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[MUCD-029]
\2,500→\1890 |
宇宿允人の世界29
1.モーツァルト 交響曲第35番二長調K.385 「ハフナー」
2.ベートーヴェン 交響曲第1番ハ長調作品21 |
指揮:宇宿允人
管弦楽:フロイデフィルハーモニー |
録音日:
(1)2008年10月24日(金)第178回公演 第一生命ホールにて収録
(2)2009年11月14日(土)第182回公演 第一生命ホールにて収録
第一生命ホール公演の響きがCD化されました。モーツァルトとベートーヴェンの2つの交響曲がダイナミックにそして繊細に奏でられ、名曲であることを再認識させてくれる名演です。
二人の天才が、それぞれの時代を飛び越えようとした瞬間――。
モーツァルトの《ハフナー》と、ベートーヴェンの交響曲第1番を組み合わせた、生命力あふれる一枚である。
《ハフナー》は、祝典的な輝きに満ちた交響曲。だが宇宿允人は、それを優雅で美しいモーツァルトに収めることなく、冒頭から猛烈な推進力で音楽を前へ進める。晴れやかな響きのなかにも、鋭い緊張と激しい意志が走り、終楽章では音楽が抑えきれない歓喜となって駆け抜けてゆく。
一方、ベートーヴェンの第1番は、表面上はハイドンやモーツァルトの伝統を受け継いでいる。しかし、その端正な姿の内側では、すでに新しい時代のエネルギーが沸騰している。冒頭から聴く者の予想をずらし、突然アクセントを打ち込み、古典の枠を内側から揺さぶってゆく。宇宿は、若きベートーヴェンの野心と反抗心を逃さず、後の《英雄》や《運命》へつながる巨大な可能性を鳴り響かせる。
宇宿は1992年、シリーズ第1巻でも《ハフナー》を録音していた。本盤に収められたのは、それから16年後となる2008年、第178回公演の再録音。同じ作品へ戻りながら、長い演奏活動のなかで宇宿が何を深め、何を守り続けたのかを知ることのできる貴重な記録である。
さらにベートーヴェン第1番は、翌2009年、第182回公演の演奏。録音会場はいずれも第一生命ホールで、その明晰な響きのなか、フロイデ・フィルのダイナミックな力と繊細な表情が刻み込まれている。
完成されたモーツァルトと、これから世界を変えようとするベートーヴェン。二人の作曲家の若々しい生命が、宇宿允人のもとで鮮やかに出会った一枚である。
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[MUCD-030]
(2CD)
\3,500→\2590 |
宇宿允人の世界30
モーツァルト:歌劇「魔笛」序曲
交響曲第39番
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 |
指揮:宇宿允人
管弦楽:フロイデフィルハーモニー |
録音日:2010年5月27日第185回公演、東京芸術劇場大ホール。
収録されたのは、《魔笛》序曲、モーツァルトの交響曲第39番、そしてベートーヴェンの《田園》。
激烈な《運命》でも、巨大な《第九》でもない。宇宿允人がその晩年に残したベートーヴェンが、自然への感謝と安らぎを歌う《田園》だったということが、なんとも胸を打つ。
もちろん、宇宿の《田園》が穏やかなだけの演奏で終わるはずはない。小川のせせらぎも、鳥の声も、村人たちの踊りも、すべてが生々しい生命をもって動き始める。そして嵐が襲い、世界を揺さぶり、その激動を越えた先に、ようやく静かな感謝の歌が現れる。
モーツァルトの2作品にも、晩年の宇宿がたどり着いた、簡潔で揺るぎない音楽が刻まれている。華やかさを飾り立てるのではなく、楽譜の奥にある生命をまっすぐにつかみ取り、聴く者の前へ差し出す。
2010年5月、第185回「宇宿允人の世界」。
翌2011年に世を去る宇宿にとって、これはまさしく最後期の記録となった。シリーズにはこのあと第31巻が存在するが、残念ながら現在は完売。したがって本盤は、いま新品で手にすることのできる「宇宿允人の世界」の、事実上最後の一巻となる。
長い闘いの果てに宇宿が見つめていたものは、勝利でも喝采でもなく、自然と生命への祈りだったのかもしれない。
シリーズの終着点を目前にした、静かで、深く、そしてかけがえのない一枚である。
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