アリア・レーベル第119弾
幻の音源
クレツキ指揮&ロイヤル・フィル
ブラームス:交響曲第1番
(1CD-R)ARD 0119 \1800
アリア・レーベルのためにいろいろLPやSPを探し回ってくれているHECTORレーベルのオーナーから連絡があった。
クレツキのブラームスの交響曲第1番の状態の良いLPを手に入れたと。
そうとうレアなものらしい。
このブラームスは、1958年から1959年にかけてクレツキがロイヤル・フィルと収録した音源。
これは英国Columbia、そして米国AngelでLP発売されたが、店主が知る限りCD化されていない。
クレツキのブラームス交響曲第1番というとファン歓喜のアイテムだと思うのだが、一般CD発売された形跡がない。
おそらくモノラル録音だったことが各社のCD復刻に二の足を踏ませたのではないか。
当時の英国Columbiaは、オリジナルをモノラルで発売し、米国Anagelでステレオ録音を発売するケースがよくあったが、そのAngel盤がモノラルなので、おそらくステレオ・テイクは存在しないと思われる。
今回はその米国Anagel盤である。
クレツキのブラームスというと、第4番がいくつか出ているくらいで、残念ながらシューマンのように全集にはなっていない。
第1番も知りうる限りではこの音源一つ。なので先ほども言ったようにクレツキの第1番なら聴いてみたい方は多いと思うのだが、これまで日の目を見ず、ほとんどお蔵入りになっていた。
店主も「すごい」という噂だけを耳にしていたが、実際に聴いたことはなかった。いわば幻の音源。
その音源を今回ようやく手に入れることができたわけである。
その演奏は、クレツキらしくヒューマンで温かく、牧歌的で幸福感に満ちた音楽。
だが、それが終楽章で一気に雰囲気が変わる。
とくに第1主題が始まったあたりからは、大伽藍の様相を呈する。
ドイツ系の指揮者のようなカタストロフ的な展開というよりは、崇高で荘厳な神の栄光の世界。
さらに終盤にはいままでまったく聴いたことのない音楽が浮かび上がってきてぎょっとする。
今言ったように20世紀中盤までのドイツ系のブラームス演奏とは明らかに違う、別の種類のブラームスがそこにいる。
もちろんクレツキのことなので変わったことをやろうとか、奇異なものを狙うとかいう意志はまったくない。
必然として、ただただ必然としてそうなったのだと思う。
そうしてすべてを聴き終えた後、フルトヴェングラーやアーベントロートとは違う、またもうひとつの偉大な山脈がここにも存在したのかと畏怖することになると思う。
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1900年生まれ、ポーランド生まれの巨匠パウル・クレツキ。
1925年にはフルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルを指揮。指揮者としても作曲家としても将来を嘱望される。
ところがその後ドイツにナチスが台頭。クレツキはユダヤ系であったためにイタリアへ逃げ延びる。しかしここでもファシスト政権に脅かされソビエトへ移る。そこで今度はスターリンの大粛清に遭遇、なんとか最終的にスイスで市民権を得た。
だがドイツでは両親や姉妹を含む肉親をナチスによって殺害され、自らの精神も一度破綻したという。
そのクレツキ。
今も人気が高いとは言わない。
現在では忘れられた存在といってよく、数年前までは代表作のマーラー、そしてあのSUPRAPHONのベートーヴェン全集(最近SACDシングルレイヤーで復刻された)などわずかな録音が出ているだけだった。
ずっとこの巨匠の処遇はよくなかったといっていい。
しかし・・・思い出してみれば、数年前に発売されて大きな話題となった「EMI 20世紀の偉大な指揮者たち 全40巻」シリーズ、その中で最も早く売り切れになったのがクレツキだった。
ファンはじっと待っていたのである。クレツキの録音を。
確かに同世代のベーム、セル、バルビローリ、コンヴィチュニーといった華々しく有名な同世代指揮者とたちと比べると一見地味かもしれない。
しかしその正々堂々としたまっすぐな演奏を聴いていると、ときおり、クレツキは同世代のスーパースターよりすごいかもしれない、と思うことがある。
フルトヴェングラーが1920年代、どうしてわざわざこの人をベルリンに呼んでベルリン・フィルを指揮させたのか、分かるような気がする。
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アリア・レーベル 第91・92弾
ここまでとは思わなかった・・・
クレツキ指揮&南西ドイツ放送交響楽団
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」 ARD 0091 \1800
ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」 ARD 0092 \1800 |
詳細はこちら
クレツキには、1960年代後半のチェコSUPRAPHONレーベルでのベートーヴェン交響曲全集がある。
レーベルを代表する名演として名高い全集である。
しかしそれとは違う、1960年代前半、コンサート・ホール・レーベルに残したベートーヴェン録音。
現在はほとんど見向きもされない、忘れられた音源である。
しかしこれが本当にすごかった。
「英雄」の第1楽章後半での、異様な間の取り方、見たことのないテンポの落とし方。
「運命」終楽章での、世界を引きずり込むような怒涛のうねり。
かっこよさとかスマートさとかそんなものには全く興味がないのだろう。そういう指向がまったくない。
各楽器の歌わせ方、強調の仕方は、要所要所でうまい。オーケストラにどこでどう奏させれば、どう響き、どう聴こえるか、すべて分かった上で、ひとつひとつを丁寧に、しかし大胆に盛り上げてくる。
難しいことはしてない。きわめてシンプルできわめてストレート。
しかしだからこそ雄渾でたくましく、強い。
だから一音一音に味がある。人生がある。
だからずしりと重い。そしてその重さは尋常ではない。
「英雄」の葬送行進曲。
ここでクレツキが悼んでいるのは、おそらく殺された自分の家族ではないだろう。
人類が抱えてきた深き煩悩、原罪。
そしていまを生きる我々の苦悩、そしてその未来。
音楽にここまでのものをしたためることができる人がいるか。
クレツキ、これほどとは思わなかった。
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