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アリア・レーベル第120弾
フルトヴェングラー
エーリヒ・レーンとのベートーヴェン、ヴァイオリン協奏曲
そして戦時中最後のベルリン・フィルとのコンサート

(1CD-R)ARD 0120 \1800



(1)ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
  エーリヒ・レーン(ヴァイオリン)
  ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
  ベルリン・フィルハーモー管弦楽団
   1944年1月12日 ベルリン/フィルハーモニー楽堂 モノラル

 今から8年ほど前、もうすぐベルリンに行くというときに、エーリヒ・レーンがフルトヴェングラーと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いた。

 これは特別な演奏なのである。
 1944年1月12日。
 ベルリン、フィルハーモニー楽堂での録音。

 当時のベルリンはイギリス空軍の無差別爆撃にさらされ、ベルリン・フィルの団員にも被害が及び、本拠地フィルハーモニー楽堂も正面に爆弾が落とされ図書館が消失していた。
 コンサートのプログラムには「空襲時の退避のお知らせ」が掲載されていたという。

 そして訪れた1944年1月12日。
 焼け残っていたフィルハーモニー楽堂の前の瓦礫の山は、今日のコンサートを待ちわびる人のために撤去され、ベルリン・フィルはなんとか公演にこぎつける。

 ここに収録したレーンとフルトヴェングラーの共演によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、その日の演奏。

 エーリヒ・レーンは戦後イッセルシュテットに請われてハンブルクの北ドイツ放送交響楽団の初代コンサートマスターに就いたが、この当時はベルリン・フィルのコンマスだった。
 アリア・レーベル「ARIA003」でもその逸話が出てくる。



 さて、1944年1月12日、ベルリン、フィルハーモニー楽堂での演奏会。
 その演奏会は無事開催された。
 この後の1月30日、フィルハーモニー楽堂には無数の燐光爆弾が放たれ、多くの夢を生み出したこの歴史的な音楽ホールはここでついに命運が尽きることになる。
 結局、この日の演奏会が、旧フィルハーモニー楽堂での最後のコンサートになってしまったわけである。

 フルトヴェングラー未亡人は

 「当時はみんな爆撃破壊された瓦礫の山を踏み越えてコンサートに来た。楽員はみなこれが最後と思って弾いていた。」

と語っていたという。
 「そんなときにコンサートを・・・」と思ってしまうが、当時のドイツの人たちにとって「生きるということ」と「音楽」とは同義語だったのかもしれない。こんな時期にコンサートが開かれたというのも彼らにとっては「奇跡」ではなく「当然」のことだったのだろう。
 食べるものを減らしてでもコンサートに行くお金をためたというのだから。

 そんな危機的戦乱の状況で開かれたエーリヒ・レーンとフルトヴェングラーによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。

 エーリヒ・レーンのヴァイオリンはおそろしいほど美しい。
 強烈なほどに美しい。
 こんな生きるか死ぬかという切迫した状況の中、まるで天使のように美しい。
 ある人はレーンのヴァイオリンを「高く舞いながら天空に音を漂わせる」と表現していたが、ほんとにそう。

 耐え切れないほどの悲しみと苦しみを抱きながら、それでも高潔で優雅でいようとしている。そしてここまで絶望的な状況の中、それでもまだ平和が来ることを、少なくともここに平和があることを証明しようとしている・・・そんな感じなのだ。
 それはもう演奏というより「祈り」に近い。

 先入観で音楽を聴いてはいけないというのはよく分かっている。
 でも、これは先入観じゃない。
 そういう状況でこの演奏が為されたことは事実。
 たくさんの人間が死んでいくのをその目で見てきて、そして自分たちもこれからどうなるか分からない、いや、今上から爆弾が落ちてくるかもしれない、そんな状況での演奏なのである。

 ライヴ録音だから観客の咳が頻繁に聞こえてくる。だからある人はこの録音を聴いて「ちょっと観客の咳がうるさい」と言っていた。
 うるさいですか?
 1月の真冬に命がけで演奏会にやってきた人の咳はうるさいですか?

 でも・・・そんな状況の中で・・・この美しいコンチェルトは奏でられたんです。


 その後、ベルリンに行ってきました。
 旧フィルハーモニー楽堂の跡地にも行ってきました。

 今は広場になっていました。


旧フィルハーモニー跡地




(2)ブラームス:交響曲第1番(4楽章のみ)
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
 ベルリン・フィルハーモー管弦楽団
   1945年1月23日 ベルリン/アドミラル・パラスト モノラル

 戦時中、多くの、本当に多くの音楽家たちの命をナチスから守ったフルトヴェングラーだったが、ついにその魔の手が自分に迫っていることを察知した。
 フルトヴェングラーに恨みを抱くゲシュタポ長官ヒムラーがその命を狙い始めていたのである。
 フルトヴェングラー、今度は自らの命を守らねばならない。

 そこでフルトヴェングラーはウィーンでコンサートを開くことを口実にベルリンから脱出、そこからさらにスイスへと亡命を図る。
 音楽の神様の助けもあってその目論見はうまくいく。が、ひとつ間違っていたらフルトヴェングラーの人生がそこで終わっていた可能性も十分あった。(ARD 0112

 今回ご紹介するブラームスの交響曲第1番終楽章は、フルトヴェングラーがベルリンを脱出する直前の、戦時中最後のベルリン・フィルとのコンサートでの演奏。
 1945年1月23日。
 今度いつベルリンに戻ってくるか、いや戻ってこられないかもしれない。
いや、それ以前に今日、連合軍の激しい空襲があるかもしれない、そんな状況でのコンサート。

 当日、モーツァルトの「魔笛」序曲が演奏され、続く交響曲第40番の演奏中、突如照明が消える。
 演奏はしばらく続いたが、やがて薄暗い非常灯の中、途中で死ぬように終わる。
 団員も観客もまんじりともせず事態を見守った。何が起きてもおかしくない状況だったが、誰も帰ろうとしなかったという。
 そしてそれから1時間後、公演は再開された。
 曲はモーツァルトではなく、後半に予定されていたブラームスの交響曲第1番。
 残念ながら全曲が録音されることはなかったが、誰かの意地だったのだろう、終楽章だけが残された。

 この日の公演は午後3時から始まった。夜は空襲があるから。
 実はこの日の連合軍のベルリンでの爆撃音を聞くことができる。この1月23日にはギーゼキングによる「皇帝」のコンサートも開かれており、そのときの録音が残っていてそこに爆撃音がはっきりと入っているのである。
 ベルリンの音楽家はこんな状況下でコンサートを開き、ベルリンの音楽ファンはこんな状況下でコンサートを聴きに来ていたのである。

 そのおそろしい状況下での演奏は、聴く者の想像を絶する。
 「命がけ」とか「死と隣り合わせ」とか、そうした言葉の形容が軽く感じられる。
 すでに音楽というレベルを超えているのだ。

 フルトヴェングラーの名演の中でも、鑑賞とは別の次元の体験をさせられることになる、最も特殊な演奏のひとつ。
 とくに第1主題が奏される直前の「永遠の1秒」では、おそらく心臓が止まりそうになる。


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ARD 0120
\1800
アリア・レーベル第120弾
 (1)ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
 (2)ブラームス:交響曲第1番(4楽章のみ)
(1)エーリヒ・レーン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモー管弦楽団

音源:(1)(2)private tape
録音:(1)1944年1月12日 ベルリン/フィルハーモニー楽堂 モノラル
    (2)1945年1月23日 ベルリン/アドミラル・パラスト モノラル
復刻:ARDMORE

CD-R製作。薄型ケースで、シンプルなデザインのジャケットと盤面印刷の仕様です。






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