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店主ラスコルのウィーン紀行 その2

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<3日目 11/11(日)>

 夜、暑くて目が覚める。
 何も飲み物買ってない。ウィーンには自販機とかない。あとウィーンではミネラル・ウォーターを売ってない。ドナウ川の水を使った水道水が最高のミネラル・ウォーターだ、というわけである。ウィーン・カードはないかと尋ねたときに「この立地でなぜ地下鉄に乗る?」と答えたホテルのおじさんと同じような理屈だが、これがウィーン流なのだろう。いや、そんなことはどうでもいい。その話を信じるとすれば水道水は飲めるはずだ。
 よし、コップ半分飲んでみよう。ゴクゴクゴク。30分。大丈夫。1時間。大丈夫。ふむ、その話は本当らしい。ウィーンの水道水は飲めるのだ。日本の水道水より全然おいしいぞ。
 近所迷惑だが静かに風呂を入れる。さすがに吹雪の中の王宮踏破が体にこたえた。ゆっくり湯船につかろう。明日はハイリゲンシュタット。天気はどうなるのか。晴れますように。

 目が覚める。体はまだこわばっているが、意識はしっかりしている。天気は・・・・。
 雨。
 ううう。
 ハイゲンシュタットならびにウィーンの森を暖かな陽気の中散歩して、ついでにホイリゲ(自家製ワインを飲ませてくれる郊外の居酒屋)に行く予定なのだが。
 メリメリ言っている体に鞭打って起き上がる。服を着替えて支度をして1階のビュッフェへ。なんでも1回経験するともう我が物顔。昔からの馴染み客のように朝ごはんを食べる。ああ、やだやだこういう図々しい客。

 さて、ようやく元気になってきた。今日の予定は昨日よりさらにタイト。ハイリゲンシュタット行きの郊外列車の始発駅まで裏路地を散策しながら歩いていき、10時までにハイリゲンシュタットに着いて、10時からベートーヴェン博物館。11時にベートーヴェンが第9を書いたという家が今はホイリゲになっていると言うのでそこで昼飯。なんとまったくの偶然なのだが、今日は今年のワインの新酒の解禁日で、ホイリゲでは一斉にその新酒を振舞ってくれる記念日。わははは。そして1時頃には始発駅まで戻ってベートーヴェンの一番大きな博物館、そしてアムホーフという広場周りの裏路地を散策しながらモーツァルト最大の最新博物館へ。そして3時半からC・ヤルヴィ&ウィーン・トンキュンストラー管、そのあとCDショップを回って7時半からまたもやメータとフィレンツェ5月祭管。
 大丈夫か?しかし月曜は休みのところが多かったりするので、この日程でいくしかない。
 ということで意を決して出発。
 寒い。しかも雨。風も強くて傘がさせない。
 日曜の朝ということで、目抜き通りのケルントナー&グラーベン通りもさすがにあまり人がいない。それにこんなに寒いとね。
 魅力的な裏路地をぶらつきながら、ようやく郊外電車の始発駅に。
 写真は途中の裏路地の奥にあった素敵な小庭。ウィーンの街はいたるところにこうした小庭がある。時間が止まったような不思議な空間。

 街の外れ。ここまで来るとさすがにウィーンでもちょっと危険な雰囲気がある。実際はなんてことないんだろうけど。
 電車が来た。ハイリゲンシュタットへは簡単。37番の電車はここショッテントアが始発で、ハイリゲンシュタットは終点HOHE WARTEで降りればいい。間違えようがない。
 電車に乗るころには雨がついに雪に。本格的です。おそらくウィーンでも初雪?そういう意味では貴重な体験か。

 そして終点に着くころには、はい、一面雪景色。まさに雪国。暖かな陽気の中ウィーンの森を散策して、心地よい疲れの中ホイリゲでワインを飲むという当初の計画は・・・。
 ちょっと時間は早いがハイリゲンシュタット到着。人がいない。とっても素敵な郊外という感じ。雪もいい感じで積もって気分を盛り上げてくれる。ベートーヴェンもこのあたりを歩いていたのかな。
 といっている間にベートーヴェンがハイリゲンシュタットの遺書を書いたと伝えられている博物館に到着。しかしまだ20分もある。暖かな陽気ではないが、豪雪の中ウィーンの森(写真)を散策。
  しかし歩きながら思う。
 あそこに見える教会はおそらく200年前にもあったんじゃないか、あそこに植えられている樹も200年前にはあっただろう・・・だとすると、ベートーヴェンは毎日この小路を歩きながらきっとあの教会やあの樹々を見ていたに違いないのだ。時間は違えどもそのときにベートーヴェンが見たであろう景色と同じものを見ているわけだ・・・。ちょっと頭がクラクラしてくる。
 その先の、ベートーヴェンが第9を書いたというホイリゲまで行って、そろそろ引き返す。
 ちょうど10時。開いてるかな。これがベルギーだったら絶対に開いてないけど、ウィーンだから・・・開いていた。ちっちゃな中庭の向こうにある。


 小さな階段を上がると、そこに受付のおじいさんが立っていた。「オープン?」と聞いたら、無言でうなずいて部屋に入っていった。こわい。
 中に入ると、びっくり。6畳ほどの部屋が二間あるだけだった。ここで11時まで時間をつぶさなければいけないのに、これでは5分で見て終わる・・・どうしよう。とりあえず入場料を払おうと思ったら、今日は日曜でいらないという。そして日本語で書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」のパンフレットを渡してくれて、これを読めと言う。ぐるっと部屋を見る。
 ここでベートーヴェンは一時を過ごしたのか?この殺風景な部屋で?
 これでは鬱状態でなくても鬱になる。
 部屋全体にいまだにその鬱々とした雰囲気が漂っていて、健康的な人の心さえ蝕むような暗いオーラが部屋全体を覆っている。ベートーヴェン自身はこのあと希望と光明を見出していったはずなのに、ここに交響曲第2番を書いたベートーヴェンのオーラは感じない。
 いずれにせよここにはあまり長居しないほうがいい。
 とは思うが本を渡してくれたおじいさんの手前、CDの試聴機を聴きながら遺書を読む。
 しかし・・・い、いかん・・・部屋の奥の金色のベートーヴェンのデスマスクがこっちを見ている(この写真だけはあとから消した)。だめだ、ここで1時間待つことはできない。帰ろう。今すぐに。新酒のワインが飲めないのは極めて残念ながら、とにかくハイリゲンシュタットを発とう。
 「アウフ・ヴィーダーゼン」。・・・しかし、受付のおじいさんのこわばった表情から笑顔や言葉が漏れることはなかった。
 まるで逃れるように戸外へ飛び出し、雪道を駆け足で駅まで戻って、ショッテントア行きの電車に飛び乗る。暖かい。
 そこでふと思った。
 観光名所などというものは、多かれ少なかれたくさんの人々のさまざまな思念を集めて遺して蓄えているところ。そういう場所を呑気に鑑賞しながらまわっていたら、いろいろな思念にとりつかれてしまうこともあるだろう。たくさんの人が虐殺されたり、惨殺されたり、幽閉された場所を物見遊佐に見て回るのは危険なことだと思う。観光客は、スリや置き引きよりももっと気をつけるべきことがあるような気がする。
 ・・・・・・・。
 さて、そんなちょっとこわ〜い面持ちでウィーン中心部に戻ってきた。

 雪はまだ降っている。相変わらず寒い。
 次に向かうはウィーンで一番大きなベートーヴェン博物館。いろいろ考えたが、行くべきところには行かないと。・・・しかし、そこまでして行かないといけないのか・・・。なんのために?誰のために?
 ちょうどこのショッテントア駅のすぐ近くのはず。
 なのにない。
 地図ではすぐ近くで、この通りのはずなのに、そんな建物はない。
 あっちこっち行って、反対側からアプローチしていたら長い坂が出てきた。ここを登るべきか・・・。ええい、行くだけ行ってやれ。雪の坂道をグイグイと登っていると、突然ベートーヴェンの文字が。え?いや、こんなところじゃないはず・・・。
 でもそこだった。
 そうか、地図は平面図だからわからなかったが、こんな丘の上(写真)だったんだ。なるほど。
  入ると細長い建物。狭い螺旋階段をグイグイ登っていく。と、6階(だったかな)くらいに博物館が出てきた。
 さわやかな、健やかな、眺めの良い部屋。精神的に立ち直ったベートーヴェンはここで交響曲第4番、第5番、第7番、第8番を創り上げた。ここにはそういう輝かしく力強くたくましく、そしてピンと引き締まった優しさが流れている。この健康的なエネルギーはなんだ?ここにいることが嬉しい、そんな場所。


 まあ、雪も小降りになってきた。この建物から見える景色はすばらしい。
 さて、階下にお土産屋があるはず。何か珍しいCDはあるか?
 ありゃ、残念、CDはなかった。ちっちゃい売店だった。
 ということで雪も小降りになってきたし、気持ちもまた晴れ晴れとしてきた。お腹は空いて疲れも出てきたけど、今からモーツァルト・ハウスに向かうぞ〜!
 歩くとちょっと遠いけど、ここからモーツァルト・ハウスまでの途中にとっても素敵な小路がいっぱいあるらしいので、やっぱり歩くことに。時間はいっぱいある。
 少し歩くとアムホーフという広場に。朝市とかあるらしい。そういうのも見たかったな。さらに進んでいくと、ウィーンで一番美しいと言われるクレント小路が。確かにまるでここだけパリのような洗練された区画。その前の広場もまるで映画のセットのよう。
 さて、それでは本格的にモーツァルト・ハウスへ向かおう。・・・と思ってグラーベン通りに出たら、あっという間にたくさんの観光客。たった20メートル歩いただけでまったく別世界。
 シュテファン大寺院の前まで来る。かなり雪が収まってきた。もう傘はいらない。シュテファン寺院のまわりのどこかに、モーツァルトの葬儀が行われた場所を示す碑があるはずだが、どんなに探しても見つからなかった。
 ほとんど雪がやむ。
 日本だと雪が解けると道路が泥でドロドロのぐちゃぐちゃになるのだが、ウィーンの道は雪が解けてもまったく泥で汚れないで、まるで清水のように小川になって流れ出す。ふと気づいて周りを見てみれば、ウィーンの中心街にはまったく土がない。緑がない。完全に自然が排除されている。いや、通りの中庭にはもちろん素敵な樹が植えられているのだが、すべてが人の手によって完璧に統制されているのである。だから道に泥濁が侵食してくることがないのである。
 さて、そしてモーツァルト・ハウス。すぐ近くだった。ということはホテルのすぐ近くということでもある。
 モーツァルト・ハウス、なるほど、最新鋭。しかもなんだか接客もいい。日本語のオーディオ・ガイドも完備してる。会場に上がったら、優雅な身のこなしの日本人のおばさんがいてガイドの機械の説明をしてくれた。ほかの外国人にも説明をしているところを見ると、この館の専門ガイドなのか。数ヶ国語ベラベラという感じである。か〜っこいい!
 さて、最初はガイドを聴きながら進んでいたが、びっくりするぐらい詳細な解説で(なぜかときどきなまる)、全部聞いてたら半日くらいかかりそうだったのでちょっと駆け足に。しかし豪華な設備。おそらく日本の投資が入っているような気がする。トヨタとか?ありえる。
 さて、またもやお土産売り場に到着。珍しいCDはあるか?

4769306
(2CD)
\3800
ウィーン・モーツァルト・ハウス製作
 モーツァルト名曲集
 モーツァルト・ハウスのオリジナル製作アルバム。しゃれたジャケット。内容はすべてユニバーサル音源からの抜粋になっている。モーツァルト・ハウスのでは売店では現在このアルバムが山積みになっていて、みんなこれを買っていた。全33曲、たっぷりモーツァルトが聴ける。まあ、こうしたオムニバスはどこにでもあるが、「ウィーンのモーツァルト・ハウス」で売られている、というのが売り。3枚。


 そして戸外へ、雪は完全にやんだ!青空もちらほら!お腹も減った、何か食べるか、先にホテルへ帰るか。とりあえずこのあたりも素敵な裏路地があるところなのでまたぶらぶらしようかな・・・と思ったらすぐ歩いたところでバイスルのおじいさんがひさしの雪をかいて降ろしていた。その様子をほほえましく見ていたら、なんとなく目が合ってなんとなくそのまま店内へ。

一番奥の席へ。昼ご飯時は過ぎているのでお客さんはいない。
 さて。今日は食べるものは決めてある。ウィーンの一番有名な名物料理。シュニッツェル(写真)。ウィーン風カツレツというやつだ。しかし普通に頼むとものすごいでかいのが出てくる。なのでとりあえず白ワインを頼んで、それからシュニッツェルをハーフでお願いした。
 普通のシュニッツェルは牛だが、ここのは安い豚。でもおいしい。ワインもちょっと甘めにしてもらった。おいしい!いいじゃない。続いてビール!
 アハハハ。もう酔っ払ってきた。おじさんも優しかったし、料理もワインもビールもおいしかったし、満足。
 ホテルに着いてベッドで横になったら熟睡していた。
 目覚ましで起きたことなどないのだが、寝る寸前に無意識にセットした枕もとのアラームが鳴って目が覚める。
 ムニャムニャ。3時10分。1時間寝た。トンキュンストラーのコンサートの開演は・・・確か・・・3時半。
 うわ!急げ!

 

 大急ぎで仕度して部屋を飛び出る。
 また雨が激しく降っている。風が強いので傘がさせない。ビショビショになりながらケルントナー通りを早足で歩く。心臓がバクバクいっている。まだ3時だというのにあたりはすでに薄暗い。悲壮感漂う。
 国立歌劇場を右手にムジークフェラインに到着。
 コート・・・コートを預けないと。クロ−クへ。昨日と同じで2ユーロ渡して、お釣りを渡してくれようとしているので「ノー・サンキュー」というと怪訝な顔をされた。あ、そうか・・・。昨日は預ける荷物が2つだったから1.7ユーロだったが、預ける荷物がひとつだったら1ユーロなのだ・・・1ユーロで2ユーロわたしてお釣りを受け取らなかったら確かに変だ。なかなかバシっとは決まらんなあ。
 今回は1階。
 それより急いだせいかものすごく喉が渇いた。ウィーンはとにかく喉が渇く。まだそんなに混んでいないドリンク・バーに行って「トニック」と言うと、カウンターのお姉さんが「あっちいってこっち」と言うから不思議な顔をして「トニック?シュウェップス・・・レモン・・・」ともう一回いうと「おほほ、トイレじゃないのね、ごめ〜ん」みたいなことを言ってシュウェップスを注いでくれた。チャーミングなお姉さんとちょっとでも意思が通じるとそれだけで疲れが取れるからなんとも単純である。ぐいっと飲み干して客席へ。
 1階、右サイドのはしから2番目。あら、今回も隣は日本人だ。一人でムジークフェラインにトンキュンストラーを聴きに来るとは随分酔狂な。・・・おれもか。
 あ、パンフレット買いに行こう。
 入り口付近にいたおじさんに「ハウマッチ」と尋ねるが、ここでハウマッチと言っても、返事が「フィフティ〜ん」とかじゃなくて「ブンガラガッタツヴァイヤンドレングナッシュセンヴァラガッチャ」とか言われて、結局何を言ってるかわからんから聞く意味がない。そこで2ユーロとか出してもまた「ドンガラガッチャーン」みたいな返事が返ってきてまた訳がわからん。こういう場合は、値段を想定してそれよりちょっとだけ高い硬貨なり紙幣を出すとスマートだということがわかった。人生、勉強。
 さて、開演まであと5分。えっと、曲は何だっけ。リヒャルトの「4つの最後の歌」とマーラーの5番か。ふむふむ、これはいいね。トンキュンストラーにはそれほどものすごい期待はしていないが、指揮のクリスティアン・ヤルヴィはヤルヴィ兄弟の中でも最近特に頭角を現していて楽しみ。
 で、1曲目のソプラノは誰だっけ??あれ、ニナ・ステンメ?だったっけ・・・急に変わったのかな。ん?その下にある指揮者クラウス・ペーター・フロールってなんだ。うえ、別の日だったらフロールの指揮で聴けたのか!ちくしょー。ん?でもこれ、今日のパンフレットだよな。
 え!?
 うわ!?
 今日の指揮、クリスティアン・ヤルヴィからクラウス・ペーター・フロールに変更になってる!クリスティアンには悪いが、いやっほー!!
 ま、まさかここでフロールが聴けるとは!いつかCD-Rで「悲愴」を聴いてからずっと恋焦がれていたフロールの実演をムジークフェラインで聴くことができるとは!!なんという幸せ!!神様、ありがとうございます!!!しかもマーラーの5番・・・ああ、なんということでしょう!!
 で、思わず隣の人に「今日の指揮、フロールに変わったんですか!?」と話しかけてしまった。おもむろにすみません。
 ということで興奮のまま開演。
 団員が登場して、続いていよいよフロール登場。店主の印象では、ライモンディとかレイミーとか、そういう颯爽とした長身・スマートな伊達男のイメージ。
 ありゃ、出てきたら、今まで写真で見たイメージと大分違う。マゼールの髪を伸ばして背を30センチくらい縮めた感じ。怪物的。しかし出てきた瞬間に全身から発されるおどろおどろしいパワーはさすが。
 ただ、リヒャルトは、なんというか、あっさり終わる。
 トンキュンストラーは若い人中心で、女性も多い。技術的にはうまいが、音量的なものなのか少しスケールが小さく、こじんまりとまとまった印象。最近まったく動向を聞かなかったこのオーケストラ、ひょっとしたらこれから再生に向けて再発進したのかもしれない。その舵取りを任されたのがきっとクリスティアン・ヤルヴィなのだろう。・・・とはいうものの、今日は指揮もソプラノも急に変更になって・・・・、何かあったのか知らん?
 休憩。隣の日本男性と雑談。なんとウィーンには20回も来られているらしい。今回の4,5日のツアーで店主は6公演観るが、この人も同じくらい観るらしい!なんと。しかも今日は朝がウィーン・フィル&プレートル、そして今、さらにこのあとメータ&フィレンツェのトリプル・ヘッダー!ちなみに先ほど聴いたプレートル&ウィーン・フィルのマーラー、完璧だったらしい。うらやまし〜。昨日第1楽章がへロヘロだったからコンマスのキュッヒルが気合入れなおしたんだろうなあ。
 さて、続いてマーラー。最初さえこなしてくれれば後はきっといい感じでいけるんじゃないかな。
 と、思ったが、みんなが緊張するしょっぱなのトランペット・ファンファーレ、残念ながら思いっきり最後で外してしまった。こうなると昨日のウィーン・フィルと同じで連鎖反応。第1楽章はまたまたあっちゃこっちゃでプヒャプヒャとなってなかなか立ち直れなかった。しかしトランペットがその後がんばり、ホルンが超一流だったおかげでその後はどんどん回復の気配を見せ、アダージェットなど、フロールの奇怪的に遅いスローテンポにもぴったりついてきてラストは気合抜群に終了。
 フロールは緊急登板にしては結構好き勝手自由自在の解釈。そういう意味ではオケは良くついていったと思う。オケは発展途上だが今後に期待したい。
 フロール自体は、やっぱり緊急登板で不完全燃焼のところがあったと思う。全体的にまとまりが悪く、少しだらしない印象を受ける瞬間もあった。・・・そこまでいうと厳しすぎるか。怪物の片鱗を随所で示していたし、それがCD-Rの「悲愴」のようにバッチリはまればやっぱりものすごいことになるんだろう。またいつか万全の演奏を聴いてみたい。
 さて、終演。隣の男性とカフェーへ行くことに。お酒を飲むのはさすがに気が引けるし、ウィーンに来たらやっぱりカフェーに行っておきたいし。次のフィレンツェ五月祭までの時間は近くのCDショップ回りの予定だったが、明日にも時間は取れるので次のコンサートまでの2時間はカフェーで音楽の話をしながらつぶしましょう。
 ということで、明日ウィーン・フィルの人と会う約束になっているお隣のインペリアル・カフェへ。ちなみにインペリアル・ホテルは迎賓館でもあり、ウィーン最高級のホテル。そこのカフェである。
 緊張はしたが、クロークのおばちゃんも優しいし、中に入ってからはちょっと戸惑ったけど、まあ普通の喫茶店か。
 何を飲もうか迷ったけど、コーヒーにオレンジ・リキュールの入ったマリア・テレジアというのに興味があったのでそれを頼む。コーヒーにリキュールを入れる感性がわからん。・・・しかし、うまい。・・・しかし喉が渇く。隣にイタリア人っぽい楽器を持った集団が。フィレンツェ五月祭の連中か?ここでお茶しとる場合か(違うかもしれません)。
 ということで、開演30分前、再びムジークフェラインへ。クロークへ行くとさすがにもう顔を覚えられて、おばちゃんが「おー、まいぼーい」とは言わなかったがそんな雰囲気で歓迎してくれる。おばちゃんとでもこうやって意思が通じるとそれだけで疲れが取れるからなんとも単純である。
  今度の席はなんと前から3列目。かぶりつき!メータの汗が飛んできそう。マリア・テレジアで喉が渇いたのでまたドリンク・バーへ。さっきのお姉さんのところへいって「シュウェップス」と言って続きを言おうとすると、「レモン」と先に言われて、笑いながらコップに注いでくれた。チャーミングなお姉さんとちょっとでも意思が通じるとそれだけで疲れが取れるからなんとも単純である。
 さて、2度目のメータ&フィレンツェ。今度はメインは「悲愴」。ブラ−ムスよりはあってそう。
 最初は「シチリアの晩鐘」序曲。昨日の続きみたいで、とっても生命力にあふれた快演。
 続いてはモーツァルトのK.297bの協奏交響曲。ただ偽作というのが最近の定説らしい。フルートとオーボエとホルンとファゴットのための協奏曲である。とくにクラリネットは大活躍。
 このオケの連中はほんとにうまい。グイグイとアピールする力には欠けるが、洗練された大人の演奏をしてくれる。
 休憩。これでもうしばらくはこのムジークフェラインに来ることもない。ひょっとしたら一生で最後と言うことだってありうる。目に焼き付けようと最後列へ。
 そして最後の演目、「悲愴」に。
 しまった。
 管楽器の炸裂が全部頭を通り越していく。ムジークフェラインで聴くならあまり前のほうはやめておいたほうがいい。
 ものすごい音響だと思うのだが、その混ぜ具合が良くわからん・・・。そしてさっきのマリア・テレジアの酔いが今頃出てきた・・・。この大音響の中でどうやったら居眠りできるのか・・・第2楽章の途中で恐ろしい睡魔が。・・・しかし前から3列目で寝るわけにはいかん。必死の思いでがんばる。
 そうこうするうちに壮大な第3楽章がジャジャジャジャンと終了。拍手したくなるこの瞬間、でもまさかウィーンだからそれはないだろうと思ったが、後ろのほうでパチパチと出ちゃった。すると可愛そうに最前列に構えていた日本人女性4人が「ヤンヤー」の大拍手・・・。ぞぞぞずわ〜という険悪な空気がホールに漂い、観客全員とオケとメータは4人が拍手し終わるのを待つ。しばらくしてほかの誰も拍手していないことに気づいて、あれ、なんか私たち変かも・・・ということでようやく拍手は収まる。
 いや、でも彼女たちは悪くないと思う。ツアーでムジークフェラインに来て、当日まで何の演目かも知らされず、先にほかの人が拍手し、しかも最前列で周りの状況がよく読めない。彼女たちなりにすごく感動して一生懸命拍手したんだと思う。だから許してやってメータ!
 ただメータ、今回はかなり憔悴したみたいで、終楽章が終わったときにはまったく動けなかった。指揮棒を降ろしてもしばらく拍手も出ない状況で、場内をかなり緊張した空間と時間が支配する。指揮棒を降ろしてから10秒くらいしてようやく客席を振り返り、割れんばかりの大喝采。それでもメータ、よろよろしてる。
 アンコールもさすがにカヴァレリア1曲。これを考えても昨日は大分体力が有り余っていたんだろう。
 さて、終演後さっきのお隣の日本男性と居酒屋へ行くことに。いつもはロビ−にほとんど人がいなくなるまでじ〜っと横で待って、人がいなくなってからコートを取りにいくのだが、今回は超満員の中コートを取りに。
 これがすごい。日本だったら間違いなく「これからコートを取る人の列」が作られて、続いて「受け取った人が出て行く通路」というのが作られる。しかしウィーンはまったくそれがない。全員がグジャ〜っと取りに行く。しかし早く取りたい人がいれば、「どうぞ」と軽く通してあげるし、コートを取ったらみんなUターンして「ダンケ・シェ〜ン」と言いながら人ごみをにこにこしながらかきわけていく。もちろんみんなもニコニコ笑顔を交わしながら通してあげる。カウンターで引き換え札を出すときでもグジャ〜っとなってるんだが、「ちょっと私のほうが先よ!」なんてことはまずない。みんな大人なのである。
 それは思った。
 街全体が非常に大人。精神的に成熟している。こういう大人になりたい、と思わせられるようなそういう紳士淑女たちが多い。心にゆとりがあって、いつも穏やかで気配りができる。また、家族連れに出会うことがあったが、日本だと「だいすけー!なにやっとんじゃ、おまえは!こっちいこんかい!!」とか言って大衆の面前で幼児を怒鳴りつける母親とかによく会うが、ウィーンでは間違ってもそんなことはない。こっちが見ていてほほえましいほどに、子供たちに優しいのである。そういう風に育てられるから、愛情を受けることに自信が持て、人にも愛情を自然と捧げることができるのかもしれない。
 ただ、老人は非常に怖い。
 おそらく国際社会に慣れていないせいか、東洋人に対してあからさまな差別意識を抱いているのを感じる。
 それにしてもわずか3日間しかいないが、このウィーンの街の精神的にアダルトなことには本当に驚かされた。・・・しかしその反対に、すべての人にそれを要求するようなところもあり常に緊張感と自制心を持っていないといけない。そしてまた、ウィーンの街に受け容れられるにはそうとうな年月と努力が必要であることをひしひしと感じさせてくれる。ちょっとやそっとウィーンに触れたからといって、ウィーンの街は本気では受け容れてくれない。遊びに来るのはいいけれど、本気でウィーン人にはそう簡単にはなれないよ、という空気がある。わずか2日ですっかり土地の人になって完全に溶け込んだアムステルダムとなんと違うことだろう。あの街の雑踏、いかがわしさは同時に誰でも受け容れくれるということの裏返しでもあった。ウィーンはまったく逆。誰もが不快に思うことなくある種完璧にすべてがしつらえられているが、そこで心からくつろぐのは難しい。非常に魅力的な街であるが、同時に非常に窮屈な町でもある。
 さて、そんなウィーンに20回来ていつかウィーンで仕事を見つけたいといっている日本人男性といっしょに居酒屋へ。その人の行きつけのお店である。「ベッテル・スチューデント」・・そうミレッカーの「乞食学生」の名を持つ居酒屋。いいじゃない!
 店はまさに西洋居酒屋。あまり観光客は来そうになく、地元のお兄ちゃん、お姉ちゃんが気ままに飲んでる。こういうところに来たかった。
 お腹はそんなに減っていないのでスペアリブ。それにワイン。残念ながら昨日から出回っているはずの新種は売り切れ。ぐやじ〜。
 結局あれやこれやクラシックの話をしていたらあっという間に1時に。酒を飲むと元気になる。ワインも何杯飲んだだろう。
 さすがにケルントナー通りもまったく人気なし。やっぱりいるのか、穏やかな客引きが2人いたくらい。本当に治安はいい。
 話によると、数年前にルーマニアから変な詐欺集団がやってきて、観光客に「警察です、パスポートを拝見したい」と言ってきて、そのあと「財布を見せてくれ」と言って、「この財布は怪しいのでしばらく預かる」と言ってそのまま消えてしまう犯罪が相次いだ。話だけ聞くとそんな馬鹿な〜と思うが、わざわざサクラを用意して、観光地で2,3人列を作っていて、みんなパスポートを見せて財布を渡すものだから、その後に並んだらついつい同じようにやってしまうんだそうだ。日本人などまじめだから言われもしないのにパスポートと財布をカバンから取り出して列に並んで待っていたそうである。で、その事件が相次いだとき、ウィーンは徹底的に最後の一人まで犯人を見つけ出しルーマニアに強制送還したらしい。その徹底ぶりはすごかったという。そこまでやるからウィーンの中心街にはほとんど犯罪がないし、ましてや凶悪犯罪は皆無だという。罰則を強化するより、どんな小さな犯罪でも徹底的に捜査して捕まえる、というのは日本の警察も参考にしていいかもしれない。
 帰って1時半。風呂に入って寝る。

<4日目 11/12(月)>

 ああ、一番緊張する日が来たよ。
 10時半にウィーン・フィルの事務局の人と待ち合わせしてニューイヤー・コンサートの記者発表会へ。
 ああ。
 行きたくないわけじゃないけど、あまり気が乗らない。わ〜い、ムジークフェライン〜!というのとはちょっと状況が違う。
 英語でさえまともに話せないのに、ドイツ語でどうコミュニケーションを図るのか。
 などとぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ考えて、水泳のテストがある日の小学生のようにぐずぐずする。中途半端に待ち合わせまで時間があるのも良くない。
 そういえば体調も最悪。記者会見のあとCD屋や、昨日までに回れなかったところへ行かなければ行けないし、明日は帰ってから東京のナクソス創立20周年記念パーティの予定も入っている。
 ああ、もう面倒くさい。いやだいやだ、何もかもいやだ。
 なんでこんなにいろいろやらなきゃいけないんだ?一体なんでこんなしんどい思いをしていろいろやらなきゃいけないんだ。
 完全に引きこもり状態。もうこのまま今日は部屋から一歩も出ないでおこう。後はどうなっても知らん。
 わ、いかん。
 これって、昨日のハイリゲンシュタットの「遺書の家」で感じたあのオーラと同じ波長だ!
 やばい!
 昔教えてもらった密教の悪霊退散の呪文を唱える。
 すると、まるで泥の海から出たように、急に気分がすっきりする。体の倦怠感も嘘のように取れてしまっている。
 なに?こんなもんか?マンガみたいだな。でもほんとだから仕方がない。
 さっきまでの自分が嘘のよう。
 よーし、ばりっと決めてエレナ(ウィーン・フィルの事務局の人)を驚かしてやる。
 ということで風呂に入っておめかししていざ出陣。気合も入った。


 ホテルを出ると天気もいいし、なんか今日はいい一日になりそう!
 まずはゆっくり見学できていない市立公園。初日にコンツェルト・ハウスを探していたときに登場した金ぴかのシュトラウス像があるところである。ほんわかとした公園で穏やかな空気が流れている。横にはドナウ川(正確にはウィーン川)がゆるゆると流れている。
 そこから歩いて近くのベートーヴェン像へ(写真)。バーンスタインがよく話しかけていたという像。でもすんごく大きい。堂々としていて立派で、遺書まで書いて落ち込んでいたとは思えないような元気なお姿。
 「たのむ、ベートーヴェン、おれに力を!」・・・って記者会見に行くくらいで「頼む〜」もないよな。そんなちっぽけな悩みじゃなく、きっとたくさんのたくさんの芸術家がここで生きるか死ぬかのような思いで力を与えてくれと祈ったに違いない。
 さて、ということで待ち合わせのインペリアル・カフェに。昨日入ったので慣れたもの。
 入ったところに長身のハリウッド美人が。んまあ。デミ・ムーアとレニー・ハーリンの奥さん・・・えっと・・・ジーナ・デイヴィスを足して2で割ったような超美人。身長だって180は軽くある。なんだか握手してるとペット・ショップで引き渡されたサルのよう。いかんいかん、そういう人種的な自己嫌悪に陥っている場合ではない。
 なんとかチンプンカンプンながら会話をこなす。ビジネスではすっごくこわいが、今日はとても優しい。わざと簡単な英語話してくれてるし。そうそう、おみやげ持って行ったのがよかった。いろいろ話のネタができて。コーヒーは最もポピュラーなメランジェを頼む。さすがにマリア・テレジアというわけには・・。
 ということでそろそろ時間。いざムジークフェラインへ。


 黄金の間には何回か行ったが、まさか地下の会場に行くことになるとは。階段で何階か下まで降りていった。地下3階か4階?そんなに下があるとは思わなかった。しかも会場はわりと古めかしいのに、地下の設備は最新鋭。不思議。
 そしていよいよ会見場へ。当然ながら外人ばっかり。20人くらい?幸いにも「なんだ、おまえは!?」と言ってつまみ出されることはないようだ。あ、ユニバーサル・ジャパンの日本人だけ来てた。
 エレナが何人か紹介してくれたが、ははは、と笑ってごまかした。
 会見始まる。まずはデッカのプロデューサーのコメント。そして続いてプレートルの話し。フランス語。プレートルはウィーン響で結構長い間指揮してたが、ドイツ語はあまり話さないのか。でもフランス語で話されてドイツ語に訳されても結局わからん。ただカラヤンのことを嬉しそうにずっと話していた。カラヤンに国立歌劇場の指揮を任されたことや、ウィーンでよくしてくれたことなどを。ときに立ち上がって身振り手振りで話したりするなど、とても陽気で気のいいおじさんという感じ。その後ニュー・イヤー・コンサートの歴史をまとめた映像が流れる。ボスコフスキー、カラヤン、マゼール、カルロス、ヤンソンス、小澤、ほかいろんな指揮が同じ曲を演奏しているシーンを編集してつなげて、1曲にするというなかなか洒落たもの。市販されるのかな?これはかっこよかった。カラヤンが大写しになるとプレートルがこっちに向かって、「そうそうこの人この人」みたいに笑ってる。
 その後評論家らしいおじさんから厳しい質問が飛んでいたが、プレ−トル自体はニコニコしながら受け流していた。ニューイヤー・コンサート、成功しますように!きっと優雅で楽しい演奏会になるだろうな。
 無事会見終了。いつもなら間違いなくプレートルのところに行って、「へい、アイ・ケイム・フロム・ジャパン、フォー・ユー」とかむちゃくちゃ言いながら挨拶しそうなところだが、エレナでもプレートルに近寄ってないのでそれはがんばって慎む。
 さあ、いよいよ撤収。さよならプレートル。
 エレナに連れられてエレベーターを乗り継いで地上へ。そしてさよならムジークフェライン!
 国立歌劇場までエレナといっしょに行って、そこでお別れ。
 ふわー。終わった〜。なんだかよくわからなが、終わった。成果はあったのか?よくわからん。けど普通は体験できないことを体験できたことは間違いない。部屋で寝ていたりしないでよかった!
 空は快晴!さーて、CD屋を回るぞー。
 と言うことでまずは国立歌劇場にある「アルカディア」。な〜に〜。ただのお土産やかと思ったのに、CDも結構いろいろあるじゃん。まずはおみやげ。お、ウィーン国立歌劇場のとっくりかー。これは珍しいなあ。これで日本酒というのも悪くない。親父に買っちゃえ。(ちなみに帰ってよく見たら一輪挿しだった。そりゃウィーンの人は日本酒飲まんわな。)CDもオペラ系を中心にいろいろ揃えてある。今日アメリアを歌うホイ・ヘーのCDをさりげなく置いていたりしてやるじゃん。店員のサービスも悪くないしね。
 さて、続いて歌劇場の裏にあるマニアックな店で有名な「カルーソー」。入った瞬間突き刺すような女主人の目が。「グ、グリュース・ゴート」・・・恐る恐る言うが返事はない。こ、こわい・・・。ウィーンの老人特有の怖さ。店を歩いているとじ〜っとこっちの様子を見てるが、こっちが振り向くと知らんぷりをする。1階はとくにめぼしいものはない。地下があるらしい。地下は・・・地下も特に珍しいものはなかった。
 ひゃあ、こわかった。
 そうか・・・やっぱりCD屋自体は日本の大型ショップのほうが格段に上だな・・・そりゃ、そうか。でもそれならそれでもっとウィーンらしい品揃えにしても良さそうなものだけれど、まあ、ほかの国のCD屋なんて見る機会ないだろうしな。
 さて、続いて古楽器博物館へ。ここは昔「ウィーン美術史美術館制作アルバム」ということで、レオポルド・モーツァルトのヴァイオリンやヤコブ・シュタイナー製作楽器の録音など珍しいものがあった。なので今まで見たこともないレアなCDがあるかもしれない。ちなみにおとつい猛吹雪の中図書館に行くつもりがたどり着いたのがここだった。でも今日は天気もいいし簡単に到着。
 でかい。博物館は、もっとちゃちかと思ったが想像以上にいろいろ珍しいものが置いてあってびっくり。駆け足でまわるつもりがついつい長居をしてしまう。さて、おみやげ売り場へ。
 が〜ん。何もない。「ウィーン美術史美術館制作アルバム」は置いてあるが、それ以外はなんでここに?というようなとってつけたような観光CD。貴重なものはまったくなかった。

 では先を急ごう。今度はアウグスティーナ教会(写真)。
 どうやらここにCDがあるらしい、という話を聞いた。もしほんとだとしたらもちろん世界中でおそらくここでしか手に入らないものだろう。さっそく行く。
 う〜ん、CD目当てに教会へ行くなんぞというのが不謹慎なのか、お目当てのものはなかった。すみません、と懺悔してから出る。
 さて、これからおとつい行ったドブリンガーのあたりを通ってグラーベン通りへ。昨日ここを通ったときにクラシックのCDショップを1件発見したのだ。名前はずばり「グラーベン」だったと思う。なんとなくここは期待できそう。
  入る。
 う、なんかマニアっぽい親父が3人くらい話してる。「グリュ〜ゴ〜」。返事はない。「グリュースゴート」と言うと店の人はみんな笑顔で「ぐりゅうーすご〜っと」と言って返してくれると言うのはCD屋に関してはあまり当てはまらないようだ。ただ、やってきた客に対して「いらっしゃいませ」と言うのは最低のマナーだと思う。そういう意味では昨日のドブリンガーはよかった。CDさえそろっていれば良い、とは店主は思わない。
 商品を見るとさらに気がなえた。あかん。もちろんウィーンでの水準は全うしていると思う。しかしこれでは日本人のCDマニアの心をくすぐることはできない。
 そうか・・・ウィーンの人はCDなど買う必要がないのだ。CDなど聴く必要がないのだ。聴こうと思えば最高の音楽が毎晩のようにそこかしこで聴けるのだ。どうしてわざわざ円盤に入った録音を聴く必要があるのか・・・。ああ、CDなど無用の長物なのか・・・。



 がっくり落ち込みそうになるが、そうはいくか。
 ホテルが近いので近場のおみやげ売り場でチョコを山のように買う。確かもう少し行ったところにEMIがあったと思うのでそこへ行って、それからハウス・デア・ムジークに行ってその1階にあったすごく新しいCDショップに行ってみよう。この二つは最後の砦。
 まずはEMI。4階まである。クラシックは4階。日本では中規模タイプの店だが、ウィーンでは最大だと思う。コーナーもしっかり分けられていてさすが英国資本。ただどうしてもアイテムはメジャーが中心になるのでその分あまり珍しいものはない。ただいろいろ物色するうちにこれまで見たことがないレーベルのアルバムを1つだけ見つけた。スタッフの接客はさっきの2店舗よりはいいが悪い意味でクール。

REUTTERER
170289
\3800
ルネ・ロイッタラー&ウェルナー・ミュラー:
  ウィンナ・ワルツ集
ウィーン・ガイゲン弦楽四重奏団
1960年前後にうまれたロイッタラーとミュラーの合作による現代のウィンナ・ワルツ。思いっきりロマンティックでおしゃれな舞踏曲集と思っていただいてかまいません。二人の作品はウィーン・フィルでも演奏されたことがあるみたいだが、日本で二人の名前を聞くことはまずない。でもこんな素敵な作品ばかり書いているんだからもう少し有名になっても良さそうなものなのに。13曲目には日本の女性に捧げられた「夕月ワルツ」というのがある。ウィーンには「優月」という日本料理屋があるのでもしそれと関係があるのなら「優月」ということになる。ちょっと寂しげで静かな曲である。19世紀のウィンナ・ワルツのパロディとかではなく、真剣に現代の「ウィンナ・ワルツ」を創作しようという意欲と熱意を感じるなかなか興味深い作品集。ウィーン・ガイゲン弦楽四重奏団は2ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス。洒落た味わいでこの現代のウィンナ・ワルツを楽しげに演奏している。3枚。


 さて、続いてハウス・デア・ムジークのCDショップ。
 お、とても明るくて、入った瞬間に店員が明るく「グリュースゴーット」と声をかけてくる。こうじゃなきゃ。「誰のブルックナー?」と聴くと「ティーレマン」と返ってくる。こうじゃなきゃ!
 店の配列も整然としていて悪くない。いい店だ。
 ・・・しかし、珍しいCDはない。品揃え自体は普通の店だ。
 申し訳ないが結局手ぶらで出る。
 これだけ歩いてCDの収穫はこれだけか・・・・。お客さんにがっかりされそうだけど、でもそれはそれで現実として受け止めよう。
 じゃあ、すごく遅くなったけど昼ご飯食べよう。実は2日目に行った可愛いお姉さんがいるバイスルは目の前。これが最後になる。
 入るといつものように優しく明るく迎えてくれて、いつもの(といっても3回目だが)席に通してくれる。
 まずいつものようにワイン。ワーイ、今年の新種ワインがメニューに。さっそく頼む。さわやかでクールな飲み心地。おいしい。
 さて、この食事でいよいよウィーン3大名物料理を完食することになる。今回のメニューは・・・ターフェルシュピッツ。ボイルして薄く切られた牛肉をソ−スにつけて食べる。脂肪を落としているからダイエット食になる。ただ個人的にはちょっと脂肪落としすぎかな。ちと水っぽいし。ワインを飲み干してビールを飲む頃にはまたいい気分に。
 ふや、酔っ払ってきた。そこにウェートレスのおねえさんが。何か喋っている。よくわからないが、その雰囲気と顔つきでいくと、おそらく「いつまでこっちにいるのか?」ということだろう。「ふふ、お嬢さん、残念ながら明日にはもうウィーンを発たなければいけない。人生は旅。別れはつきものだ。寂しいかい。ふふ、きっとまた会えるさ。」と言いたいところだが、搾り出したのは「あい・りたーん・とぅ・じゃぱ〜ん・とぅもるお〜」。
 あはは。まあ、気持ちは伝わったか。
 ということでお世話になったミュラー・バイスル、さようなら。
 さて、大荷物を持っていったんホテルへ帰ろう。
 さすがにちょっと疲れたし酔っ払ったし、少し横になろう。
 うとうとしていたらあっという間にあたりは薄暗くなってきた。そろそろ用意しなきゃ。今夜は国立歌劇場。最高のおしゃれをしていこう。
 風呂に入って、エレナのときも着なかったスーツを出して着る。バシッ。しかしちょっとお疲れ気味だね。
 さあ、ウィーン最後のコンサート、最後の夜に繰り出そう。
 外は相変わらず寒い。気合が入る。
 ケルントナー通りを抜けて国立歌劇場へ。さすがに紳士淑女がたくさん集まってきている。
 中に入ると入り口付近は案外狭い。ぎゅうぎゅうしてる。あ、そうか、これを設計したエドゥアルト・ファン・デア・ニュルは確か皇帝か誰かにここが狭いと言われたのがショックで自殺して、共同設計者のジッカルト・フォン・ジッカルズブルクもその直後に死んだんだった。いやいや、そんな悪くないよ。全然。すごい。死んじゃいかん。
 それから中へ。あら、一応座席表で座るとこを確認したつもりだったのに迷っちゃったよ。まあ時間はあるからゆっくり探しながら行こう。
 迷いながらガイドに聞きながらようやくたどりつく。2階のボックス席。今度こそボックス。そしてコートをかけるハンガーもある。これはいい。
 さて、中へ。
 おお。これが国立歌劇場か。なるほど。映画で観たとおりだ。美しい。豪華。しかし思ったよりは大分狭い。東京のコンサート会場でオペラを見慣れていると、かえって本場のオペラ座のほうが小さく見えるのだろう。ただ、こっちのサイズがスタンダードなわけだ。ということは日本での引っ越し公演はいろんな意味で大変だな・・・。
 席に座る。椅子はやっぱり安っぽい。何でこっちの人は椅子にお金をかけないんだろう。
 うわ、なんだかたくさん日本人がいる。4組くらいツアーが参加してる。50人はいる。自分もその一人です。ひとつの団体はすごく幼い。大学生か高校生か。こらー、走っちゃいか〜ん。お、昨日の最前列大拍手女性4人組も懲りずに来てるな。
 こうしてみるとここは今や大観光地な訳だ。西洋人もどれくらいが地元の人かはわからない。
 といっているうちにいよいよ開演時間。今回のコンサートで唯一のオペラ。演目は「仮面舞踏会」。指揮はハラシュ。グスタフ3世は本当はサバティーニで、それが目当てでこの公演にしたのだが、直前に無名のマシミリアーノ・ピサピアという人に。アメリアは中国人歌手のホイ・ヘー。この人はOEHMSからアリア集のCDが出てる。ほかの出演者もみな無名。地元では案外こんなものなのだろう。でもやっぱり演目がいい。
 「仮面舞踏会」、暗殺されたスウェーデンの国王グスタフ3世をモデルに作曲されたが、検閲で引っかかって舞台をボストンに登場人物設定ももちろん大幅に変更させられた。が、やっぱりこの豪華絢爛でおどろおどろしいドラマにアメリカは似合わないということで、最近は元のスウェーデンに戻されて上演されることが多い。懸命だと思う。ただ、個人的には、あの賢王を愛に目がくらんだ男として描いていることにはちと不満があったりもする。でもまあ、音楽が素晴らしい。「運命の力」や「アイーダ」や「椿姫」や「リゴレット」のように超名曲があるわけではないのだが、第1幕から第2幕へかけてのたたみ掛けるような劇的な展開はヴェルディ・オペラの中でも白眉。第3幕で少しトーン・ダウンするが最後の舞踏会上での派手な終幕などまさにこれぞイタリア・オペラ。ウィーン国立歌劇場とカラヤンが最後に録音したオペラがこの曲だったこともあり、特別な演目であることは間違いない。
 さて、そんな注目のオペラ、いよいよ開幕。
 と思ったら、いきなり舞台装置が幕に引っかかってメリメリと言ったかと思うと柱が舞台上に倒れてきた。ステージ上の合唱団の一人がこともなげに片付けたが、おいおい、吉本やドリフじゃないんだから。大丈夫か、国立歌劇場。
 と思ったが、そんなへまはそれっきり。それからは白熱の公演。
 主人公の二人は、スタイルやルックスはもうひとつだが、歌唱力や演技力は抜群。確かに小姓のオスカルよりちっちゃいリッカルド(グスタフ3世)というのは視覚的に問題あるかもしれんが、まあそういうこともある。
 それにしてもその小姓のオスカルのイレナ・トンカも、敵役になってしまう親友のレナートのラド・アタネリも、占い女ウルリカのナディア・クラステヴァも・・・全員初耳だが、揃いも揃ってお見事。結局5人の登場人物がみんな抜群だった。主人公のピサピアも、どうやらこれが国立歌劇場デビューらしくものすごく張り切っていて(でも浮いてません)、最後なんて横たわった状態でホールが揺れるような絶唱。これには観客全員おったまげた。
 指揮のハラシュもツボを得た好演で、雄大且つ優美。
 う〜ん・・・こんなレベルの高い公演を毎日毎日やっているわけか・・・ウィーン国立歌劇場。おそるべし。莫大な費用をかけた日本での引っ越し公演と同じくらいの、いやそれ以上の緊張感と完成度。さすが世界最高のオペラ座といっていい。ぶらぼー。
 ちなみに時間は前後するが、さすがにオペラ座というだけあって休憩所はとても広く、マーラーの弾いたピアノや指揮者が書き込みを入れた楽譜などを展示した部屋まである。ムジークフェラインのドリンク・バーは満員電車のようになってしまうが、ここウィーン国立歌劇場ではくつろいでゆっくりとワインが飲める。素晴らしい。
 いやあ、最後にウィーン芸術の最終兵器を見せられた。感激です。
 もう10時半。お腹もいっぱい、胸もいっぱい。今夜はこのまま帰ろう。
 あ、ホテル・ザッハーが開いてる。あの有名なザッハ・トルテのあるホテル。もちろんここでしか売ってないチョコがあるらしい。家族に買って帰ろう。
 なんだかすんごく重いドアを開けると、薄暗い中にショーケースがズラリ並んでいる。その向こうにアイドルのようなきれいなお嬢さんが立っている。
 「これをください」みたいなことを言うと、「そーるど・あうと」とやる気なさそうに言われる。う、接客は悪いのか。ホテル・ザッハー。仕方ないから「どれならあるのか」と聞くと、「さっきの以外は全部ある」と言われ、不思議な形の三角柱のチョコを頼む。ちなみにチョコなんて普段まったく食べない店主だが、家に帰って食べた。さすがにこれはうまかった。
 接客は悪いがチョコはうまい。ザッハー・トルテ。
 ということで三角柱のチョコをもってホテルの部屋に帰る。

SACHER CLASSCS
472518-2
\3500
ウィーン・ホテル・ザッハー
ロッシーニ:「ウィリアム・テル」序曲  カラヤン指揮、BPO
プッチーニ:誰も寝てはならぬ  パヴァロッティ、メータ指揮
コルンゴールト:「死の都」より フォン・オッター
モーツァルト:「フィガロの結婚」より ハンプソン、レヴァイン指揮
J・シュトラウス2世:南国のバラ
            「こうもり」序曲、ほか
マゼール、VPO
カラヤン、VPO
グルベローヴァ、プレヴィン指揮
レオンカヴァッロ:マッティナータ カレーラス、アセンシオ指揮
ツィーラー:ウィーン市民 ガーディナー指揮、VPO
シュトルツ:プラーターに再び花は咲き シュトルツ指揮、シュトルツSO
レハ−ル:メリー・ウィドウ、
     ほほえみの国
スチューダー、スコウフス、
ガーディナー指揮、VPO
ドミンゴ、ロジェス指揮
シュランメル:ウィーンはいつもウィーン カラヤン指揮、BPOブラス
ルドルフ・シーチンスキ (1879-1952) :ウィーンわが夢の町 ツェドニク、
フィルハーモニア・シュランメルン
リヒャルト・ホイベルガー(1850-1914):「オペラ舞踏会」より アンダース、シュトライヒ
マックス・ショーンヘル:
 「ホテル・ザッハー」〜チャルダッシュ
ショーンヘル指揮、
ヨハン・シュトラウス管
ペーター:クロイダー:
 「ザッハ・トルテ」〜コンツェルト・ワルツ
ブッフビンダー(P)
 
 ケーキ屋のお姉さんの接客が悪いと書いたが、実際のところは接客が悪いと言うよりちょっとお高くとまっているという感じなのだろう。今更だがホテル・ザッハーがウィーン最高級ホテルであることは間違いない。そしてウィーン国立歌劇場の隣に位置することから、大勢の演奏家たちの定宿になっている。そんなホテル・ザッハーが製作している珍しいCD。日本では流通してない。
 音源はユニバーサルを中心とした編集ものだが、さすがに選ばれた曲はザッハーに関係のある作曲家や演奏家。いまとなっては貴重な音源もあるし、何より最後4曲はそんな音源がユニバーサル系にあったのか、というようなお宝的録音。そのものずばりの「ホテル・ザッハー」や「ザッハ・トルテ」なんて曲があること自体がやっぱりすごい。ちなみに前作はとても激しく冒険映画のような音楽。ブッフビンダーが弾いているワルツは、まさに店主が食べたあのザッハ・トルテのような甘くて優雅で気品ある作品。素敵です。
 またブックレットは20ページほどだが、このホテルを訪れた大演奏家たちの貴重な写真が満載。
 今回は1枚だけ入手したのですが、その後の交渉で輸入できることになりました。ちょっとお時間はかかりそうですが、持ってて悪くないアルバムかと思います。


<5日目 11/13(火)>

 目が覚める。2時半。結局最後まで時差は治らんかった。
 とりあえずもう帰る支度を始める。
 ただ、問題は明日ホテルを11時に出るとして、それまで何をするかということだ。
 CD屋はまわった。行きたい名所も大体行った。・・・11時までに行ける範囲は限られている。
 そこで誰かが耳元でささやく。
 ウィーンに来たらシュテファン寺院とシェーンブルン宮殿は絶対に行け。
 ぐ。
 シュテファン寺院は行った。しかしシェーンブルン宮殿は行ってない。バスのオプショナル・ツアーは出ているらしいが半日かかる。場所はかなり遠い郊外だし。11時までには帰って来れない。
 ・・・と思ってたけど、ハイリゲンシュタットに行って思ったけど、ウィーンはそうとう狭い。うまくすれば帰ってこられないか?
 調べた。
 なになに、地下鉄を乗り継げば、あら、なーんだ3,40分で着くよ。これならバス・ツアーで行かなくてもいいじゃん。
 問題はシェーンブルン宮殿の見学が何時からか、だ。それが10時からだと朝どんなに早く行こうと間に合わない。
 んま。
 8時半。ということは1時間で見学して十分間に合うじゃん!
 ということで翌朝シェーンブルン宮殿に行くことに決定。何か面白いCDがあるかもしれんしね。
 荷物の整理が終わって再び寝る。
 6時半に目が覚める。風呂に入って仕度して朝食へ。これがおそらくウィーンでの最後の食事だ。バリバリ食べる。
 そして出発。シュテファン・スプラッツから昨日シュトラウス像があったあたりのカール・スプラッツまで行って乗り換えてシェーンブルン近くの駅まで。さすがにウィーンでも満員電車。ぎゅう。
 着いた。ん、目の前に大きな宮殿が広がっているのかと思ったが、・・・なにもない。ただの郊外の薄汚れた駅。ウィーンの清潔で品格のある町並みはもうここにはない。どこだろう?とりあえず緑があるほうへ行ってみよう。開館まで少し時間もあるし。
 そうしたら思いっきり正反対だった。そのままグイグイ歩き続けなくて良かった。
 シェーンブルン宮殿は街があるほうだった。それらしい宮殿のトン先も見えないけどなあ・・・。
 でも5分ほど歩くとそれらしい入り口が。
 なるほど確かにあるある。ここから広大に広がっているのだろう。ちょっと意外。だって、目の前をブンブンすごい勢いで車がガンガン通ってる。とても宮殿がある観光地とは思えない。
 しかし一歩庭園に入るとそこは別世界。しかもほぼ朝イチなのでほかに人がいない。
 宮殿の中に入る。それでも2,3人の人が会場を待ってた。
 10分ほど時間がある。
 いろいろあったウィーン旅行だが、いよいよこれでイベントも終わり。大変だったがなんとか乗り切れそう。
 さて、シェーンブルン宮殿開場。2種類の入場券があるが安いほうは本当にちょろっとしか観られないみたいなので高いほうのグランド・ツアーで入場。
 入っていきなり迷いそうになるが、あまり深く考えずにグングン奥へ。2階(?)へ上がるといきなり展示の部屋が現れる。こ、これは何の部屋だ??荷物になるからどうしようかと思ったがガイドブックをもってきてよかった。ガイドブックを観ながらさらにどんどん奥へ。
 宮殿は宮殿なんだけど、きわめてプライベートな感覚が残ってる。ちょっと覗き見趣味っぽい。しかも途中でフランツ1世の息子が幽閉されて病死した部屋とかもあって結構生々しい。ハプスブルク皇帝の夏の離宮だったということだが、いたるところに女帝マリア・テレジアの勢力のすごさを思わせるものがある。部屋を見ただけでもこの女帝がいかに強い精神力を持っていた人かが伝わってくる。厳しくて厳か。華美な色合いよりも、自らを律しようという雰囲気が漂っているのである。だからフランスの宮殿などに比べたらやや地味に映るかもしれない。
 さらにグイグイ進む。開場前に一緒にいた人はかなり後ろになったので、この広い宮殿でまるで一人のような感じになってしまった。
 そしていよいよあの、幼いモーツァルトがマリア・テレジアの前で演奏して大成功した、あの「鏡の間」に到着。
 うわ・・・。
 あの歴史的な出来事があった部屋に今いる。しかもほかに誰もいない。ピンとした静けさの中、数百年のときを越えて、その瞬間がまるで目の前で繰り広げられているかのような錯覚にとらわれた。時間はずれるかもしれないが、今自分がたっているこの場所で、モーツァルトはマリア・テレジアの前で演奏したのである。何かがどうかなってしまって時間がスリップしたら、その場面に遭遇できるのである。
 頭がクラクラしてきた。
 そして、数多くの部屋を闊歩し、最初から最後までたった一人で好き勝手見て回ることができた。なんと素敵な体験。
 さあ、おみやげ売り場。
 CDもまあまああるが、おみやげではない珍しい本格的な録音のアルバムとかはあんまりない。お、1つだけ見たことのないアルバムが。変わった編成のシュランメルン・アルバム。

NFF 2304
¥1490
完売
ニュー・ウィーン・シュランメル・コンサート
 ヨハン・シュランメル:猟の冒険、ウィーン情緒
 パウル・リンケ:朝のワルツ、ほか
ニュー・ウィーン・コンサート・シュランメルン
おそらくシェーンブルン宮殿の宮廷コンサート会場とかで売られているものか?編成が洒落てて、2つのヴァイオリンとハーモニカとコントラギター。コントラギターはベースとギターが一体となったシュランメルには欠かせない楽器。ハーモニカとこの楽器が入ることで格段にシュランメルンっぽくなる。3枚。

 ということでシェーンブルン宮殿見学も終わり。ぐるりと回って最初の入場口のところに戻ってみると、たくさんの人が。さらにあっちからもこっちからもたくさんの観光ツアー軍団が押し寄せてきてる。ひゃあ、たった40分で全然違う。
 時間があれば近くの庭園とかも見ると面白いと思うけど、今日はホテルへ帰ります。
 行きと反対のルートを通ってホテルへ到着。
 荷物をまとめてチェック・アウト。
 タクシーで一路空港へ。タクシー、高速道路で140キロでぶっ飛ばしながら、手元の葉巻とか見てる。ひえ〜、しっかり前見て運転してくれー。
 スーツケース預けるとき荷物が10キロ・オーバー。1キロあたり6000円取られるという。ぎえ〜。仕方なく買ってきたCDを全部手荷物へ。ただでさえ手荷物いっぱいあるのに。
 ちょっと早く着きすぎたが空港の中をうろうろして時間をつぶす。
 行きに来たときは無限のように広く感じた空港だが、帰りにこうしてきてみると、思ったより、というかそうとうにちっちゃい空港だった。
 さあ、あと1時間でウィーンともおさらば。
 今はひどい疲れだけが体に残っているが、やろうと思ったことはほぼできたような気がする。また来ることはあるか?それはまだわからない。

 ウィーン。
 ハプスブルク家が「戦争」の代わりに「結婚」という戦略で周りの国々を次々と陥落させていった、その拠点となった街。そしてそのために多くの人々の心を懐柔させるための道具として重用された「音楽」。つまりウィーンの街にとって人々にとって、「音楽」は武器であり必要不可欠な栄養剤でもあった。音楽があったからすべてが出会い、すべてが結合し、すべてが生まれた。ウィーンにとって「音楽」は’文化’などという洒落た装飾物ではなかった。「音楽」は、ウィーンの街と人々の細胞の奥深くに入り込み決して取り除くことのできない一部分、いやあるいは全体。・・・そしてその細胞に潜んだ「音楽DNA」が、世界中の音楽家の魂をそそのかし、くすぐり、この街に誘い込むのである。
 古今東西、数多くの音楽家がなぜウィーンに集まったのか。いや、過去形ではない。ウィーンが政治・経済的に大きな意味を持たなくなった今もなお、音楽の中心地として世界中の多くの音楽家がこの街に集まってくるのはなぜなのか。
 その謎の一端は少し理解できたような気がした。

 ということで、短かったような、ものすごく長かったようなウィーンの旅、これにて終わりです。
 長々とお付き合いいただき本当にありがとうございました!またどこかの街でお会いできるといいですね!それでは、ダンケ・シェ〜ン!アウフ・ヴィーダーゼ〜ン!!

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<コンサート一覧>

11/9 ブラームス:ドイツ・レクイエム ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
オルケストレ・レヴォリューショネル・エ・ロマンティーク管
モンテヴェルディ合唱団
コンツェルト・ハウス 大ホール
11/10 ビゼー:交響曲
マーラー:交響曲第1番
ジョルジュ・プレートル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ムジークフェライン、黄金の間
11/10 ウェーベルン:管弦楽のための3つの小品
ワーグナー:ジークフリート牧歌
ブラームス:交響曲第1番
ズビン・メータ指揮
フィレンツェ五月祭管弦楽団
ムジークフェライン、黄金の間
11/11 リヒャルト・シュトラウス:「4つの最後の歌」
マーラー:交響曲5番
ニナ・ステンメ
クラウス・ペーター・フロール指揮
ウィーン・トンキュンストラー管弦楽団
ムジークフェライン、黄金の間
11/11 ヴェルディ:歌劇「シチリアの晩鐘」序曲
モーツァルト:協奏交響曲K.297b(フルートとオーボエとホルンとファゴットのための)
チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」
ズビン・メータ指揮
フィレンツェ五月祭管弦楽団
ムジークフェライン、黄金の間
11/12 ヴェルディ:「仮面舞踏会」 ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
ミヒャエル・ハラーシュ指揮
マシミリアーノ・ピサピア
ホイ・ヘー
イレナ・トンカ
ラド・アタネリ
ナディア・クラステヴァ
ウィ−ン国立歌劇場




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