2021/6/17
21HH 053
\1790 |
伝説の名演
ヒルダ・ヴァルデラント
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調op. 16 |
(ピアノ) ヒルダ・ヴァルデラント
スティグ・ヴェルテルベリ指揮
デンマーク国立放送交響楽団
(1957年 3月25日 コペンハーゲン録音モノラル
10inch Decca LW5330) |
ARDMORE A100-014の復活盤。
当時のコメントから。
久しぶりにARDMOREの親父が興奮しながら電話をかけてきた。
「ヒルダ・ヴァルデラントのグリーグを見つけた」と。
ヒルダ・ヴァルデラント?
聞いたことあるようなないような。
ただその昔、「誰のグリーグのピアノ協奏曲がいいか」、という話になったとき、どなたかが「北欧の女流ピアニストが弾いた録音がベスト」と語っていた。
店主には思い当たる音源がなく、その方の勘違いだろうと思っていたが・・・これがその演奏に違いない。
さてARDMOREの親父の興奮は止まらない。
「こんなすごい演奏は聴いたことがない、これを聴いたらあんたもきっとのけぞる、アリア・レーベルで出したいといいよるに違いない、でもわたさんで」
ARDMOREの親父は10分くらい一人で興奮しながら喋りつくして電話を切った。
そして翌々日その音源が届いた。
その「すごい演奏」とやらを聴いてみるか。
なるほど・・・最初のピアノ1分で普通じゃないことがわかる。
50年代中盤ということでDECCAといえども音質的に優れているとはいいがたいが、ホール空間にまるで星空のように広がるピアノ。
それが女流とは思わせない重量級で、そして巨大なスケールを感じさせる。
そして他の演奏では聴いたことのないような「タメ」もバッチリ決まってて無条件でかっこいい。
そのピアノには剛毅な抒情がある。凛とした個性がある。
調べた限りほかに手に入りそうな録音がないのがなんとも歯がゆいが、この人が北欧出身の類いまれなるピアニストであることは間違いない。
ヒルダ・ヴァルデラントは、1917年生まれ、そして1961年、わずか44歳でこの世を去った北欧の伝説的ピアニスト。
1934年にオスロでデビューし、北欧地域はもとより、英国、ドイツなどでも同世代有数のピアニストと呼ばれていた。
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2021/6/17
21HH 054
\1790 |
バレンツェンの稀少リサイタル集
ダカン:かっこう ラモー:めんどり モーツァルト:トルコ行進曲
ベートーヴェン:エリーゼのために ウェーバー:常動曲
シューベルト:楽興の時 メンデルスゾーン:春の歌 紡ぎ歌
シューマン:トロイメライ ショパン:ワルツ第7番
リスト:愛の夢 ブラームス:ワルツ ドビュッシー:月の光
他全15曲 |
(ピアノ) アリーヌ・ヴァン・バレンツェン
(1950年代録音モノラル
12inch Trianon 6107) |
ARDMORE M-042 の復活盤。
当時のコメントから。
1897年にアメリカで生まれ、幼くしてパリへ移住したバレンツェン。
パリ音楽院に入学しロンらに学んだ後、わずか11歳でプルミエ・プリ(第1位)を取って卒業(同じく1位だったのがユーラ・ギュラー、そして2位がハスキルだった。なんという年だ。)。またウィーンでは巨匠レシェティツキにも学んだ。
その演奏はズバリ自由奔放。ムチャクチャ・・・の一歩手前。パリ音楽院で長らく教授活動をしていたというが、こんな人に教えられたら一体どういうことになるのか(こういうことになる、といういい例がシプリアン・カツァリスだったりする。なるほど。)。
これまでほとんどCD化されなかったのでその演奏を聴く機会は極めて限られていたが、ここで復刻盤が出てきた。
Trianon というところから出ていたらしいファンにとっては幻の名盤。
素敵な小品ばかりを集めたアルバムなのだが、このとびっきり個性的なピアノには正直面食らった。もう自由自在。自分の感性だけを信じて、あとは出たとこ勝負。しかしその感性がそうとうに研ぎ澄まされているんだろう・・・流れ出てくる音楽は清冽きわまりない。 音符が漫画のように弾け飛ぶ。昔はやっぱりこういう人がいたのだ。
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2021/6/17
21HH 055
\1790 |
ルネ=バトンの1924年ラッパ録音
「幻想交響曲」歴史的稀少音源集
ベルリオーズ:幻想交響曲op.14 |
コンセール・パドゥルー管弦楽団
(1924年10月 パリ録音モノラル 78rpm gramophone
D987/92) |
リムスキー=コルサコフ:「ロシアの復活祭」序曲 |
エオリアン管弦楽団
(1926年 パリ音モノラル 80rpm vocalion A0255/6) |
オネゲル:交響詩「ニガモンの歌」 |
コンセール・パドゥルー管弦楽団
(1926年 パリ録音モノラル 78rpm Polydor 45202) |
ラロ:スケルツォ |
コンセール・パドゥルー管弦楽団
(1926年 パリ録音モノラル gramophone W1177) |
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ルネ=バトン指揮 |
バトンがSP 盤に録音した音源は数少ない、あとは「フランクの交響曲」ぐらいか?
オネゲルとラロは電気初期録音だがコルサコフ「ロシアの復活祭」はラッパ録音でも素晴らしい音がする。(HECTOR)
1924年10月14、17-18日パリ録音。この名曲の世界初の録音。
ルネ=バトン(1879-1940)はフランスの指揮者で作曲家。パリ音楽院でピアノと楽理をアンドレ・ジェダルジュ(1856-1926)に学んだ。
1910年ミュンヘンで開催された「フランス音楽祭」の責任者に選ばれ、1912-13年にはディアギレフ(1872-1929)の「ロシアバレエ団」の指揮者をつとめた。
第1次世界大戦中の1916-18年にはオランダ王立歌劇場の責任者、また1914-19年にはハーグ・レジデシティ・オーケストラを率いて避暑地スケフェニンヘンのサマーコンサートを担当した。
コンセール・パドルーは、ジュール・パドルーが1861年に立ち上げたコンセール・ポピュレール・ド・ミュージック・クラシックを起源としている。
パドルーは高踏的なパリ音楽院管弦楽団に対抗して、大衆向きの曲目と低料金を掲げた交響楽運動を展開し、フランス人作曲家の新作やロシア音楽、リヒャルト・ワーグナーの作品を自らの指揮のもと紹介したが1884年に引退し、それと同時にオーケストラも解散となった。しかし1918年に、事業家のサンドベールがパドルーの意志を継ぎ、1920年にはバトンを迎えてコンセール・パドルー協会が設立された。
その後、後発のコンセール・コロンヌ(1873年設立)、コンセール・ラムルー(1881年設立)に押され1884年に活動を停止した。
1918年に映画企業家のセルジュ・サンベールがオーケストラを復活し、ルネ=バトンに指揮を依頼し、1921年からコンセール・パドルーを名乗った。
その後アンドレ・カプレ、アルベール・ウォルフ、デジレ=エミール・アンゲルブレシュト等が指揮者をつとめた。
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2021/6/17
21HH 056
\1790 |
パレナン四重奏団
シューベルト:弦楽四重奏曲第11番ホ長調D.353
シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調op.
41-1 |
パレナン四重奏団
(1950年代 パリ録音
12inch pacific LDP F76) |
これぞ最高峰の四重奏・・・
パレナン人気はアナログファンのなかでは健在。いまだにオリジナルのパシフィック盤は高額です。(HECTOR)
ARDMORE M-032の復活盤。
当時のコメントから。
幸松肇氏が、著書「世界の弦楽四重奏団とそのレコード・欧米のラテン諸国編」のなかで4ページを費やし最大限に絶賛しているパレナン弦楽四重奏団。
「パレナン四重奏団はSP期が終わって、LP期の始まる時期に突如として現れてきたため、音楽の友社の「名演奏家大事典」などにはまったく掲載されていないという不運な運命を辿ってきた。しかし本書に掲載したフランス弦楽四重奏団の、最終点とも出発点ともなるべききわめて重要な団体であることをここで改めて認識しておきたい。」(幸松肇「世界の弦楽四重奏団とそのレコード・欧米のラテン諸国編」)
いまでも室内楽マニアに聞けばラヴェル&ドビュッシーの名演には必ずこの人たちの録音があげられる。
パレナン弦楽四重奏団は、
ジャック・パレナン
マルセル・シャルパンティエ
セルジュ・コロー
ピエール・ペナスウ
というパリ音楽院の4人の学生で結成され、作曲家のクロード・デルヴァンクールの支援を受けて(戦争中、ドイツに強制労働送りさせられそうになっていたところを偽の身分証を発行してもらい、その後は活動拠点となる家まで与えてもらったと言う)パリで活躍し、やがてバルトーク全曲演奏会でセンセーショナルな成功を収める。
デルヴァンクール(Claude Delvincourt)は1888年パリ生まれの
フランスのピアニスト・作曲家。パリ音楽院の院長だったが、レジスタンス活動に参加したためゲシュタポの脅迫を受け辞職に追い込まれた人。
パレナンは「私たちはいつの時代のどこの国の音楽でも今日に生かし、常に生き生きとした表現と表情を与えることが演奏だと思う」と語り、事実彼らの演奏は1950年代のものでさえ、今聴いて新鮮でモダン、まったく時代めいた雰囲気がない。
これはそんなパレナン弦楽四重奏団が1950年代に残した貴重な音源。
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2021/6/17
21HH 057
\1790 |
ベグネール20代のデビュー録音!
「リサイタル集」 原点がここに凝縮されている演奏。
ショパン:ワルツ第6番 第9番「告別」 第18番遺作
即興曲第2番 バラード第4番
シューベルト:即興曲変ホ長調op. 90-2
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」 |
(ピアノ) ミシェル・ベグネール
12inch PHILIPS 77417L
1960年代初期録音モノラル
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今年悲しくも亡くなりました。追悼盤としては最高の音楽を聴いて頂けます。
オリジナルジャケの愛らしさとは異なる凄すぎる音の表現力には圧倒されます。「熱情」なんか凄すぎる。(HECTOR)
ミシェル・ベグネールは1941年リヨンに生まれ、パリ音楽院でペルルミュテールとジャック・フェブリエに師事し、その後ケンプとゲザ・アンダに学んだ。
ERATOやCALLIOPEでいくつかの録音をリリースして、とくにモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンとシューベルトの名演で知られる。
ショパン:ワルツ第18番遺作
https://www.dropbox.com/s/nt7vwrvrfdw9vx8/21HH057Track03.mp3?dl=0
熱情も聴かせてもらったが、テクニックのすごさはもちろん、聞き手の感情を盛り上げるすべを知っている。
手練手管。
ただの品の良いフランスの名手では終わらないなかなかの達人。
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2021/6/17
21HH 058
\1790 |
ルフェビュールの素晴らしさを知る!
バッハ:前奏曲とフーガイ短調BWV.543
幻想曲とフーガト短調BWV.639
コラール前奏曲「来た、異教徒の救い主よ」
ベートーヴェン:ソナタ第30番ホ長調op.
109
第31番変イ長調op.
110 |
(ピアノ) イヴォンヌ・ルフェビュール
(1955年1956年 パリ録音
10inch VSM FBLP1079&1080)モノラル |
ARDMORE ASS024の復活盤。
当時のコメントから。
イヴォンヌ・ルフェビュール。
1898年生まれのフランスのピアニスト。
20世紀を代表するフランスのピアニストのひとりと呼ばれるが、教育活動に熱心だったので録音はあまり多くない。
そんな中ずば抜けて有名なのはフルトヴェングラーとのモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。1954年5月15日、ルガノのアポロ劇場で行われたライヴ録音。ただそこでのルフェビュール、もちろんすごいのだが、やはり彼女を聴くというよりフルトヴェングラーを聴く、という録音かもしれない。
その後、フランスのSOLSTICEから、いきなり80歳近いルフェビュールの録音が登場、年齢を感じさせないみずみずしい演奏でファンを驚嘆させた。一連のシリーズはSOLSTICEの大黒柱としていまだにベストセラーを続けている。とはいうものの「これはルフェビュールの全盛期の演奏ではないよ」と言われてしまうと、決して悪い演奏ではないのに、どこか壊れ物を扱うような感じでハラハラしながら聴いてしまい、あげくに「全盛期はどんなだったのだろう」と思ってしまう自分がいた。
しかし・・・今回ARDMOREから登場した復刻版は・・・ルフェビュール、50代。まさに「全盛期」の録音。
すごいというのはいろいろな人の話でわかっていたのだが、それほど大きな期待をしないで聴いてしまったものだから・・・かなり大きな衝撃を被ってしまった。
・・・これがルフェビュールの本性か・・・。こんな人だったのか。
最初の一音から、びっくりするほどの圧力。太くて強い。
女性とは思えないといっては失礼なのかもしれないが、ピアノの音が黒光りしているのである。聴いているこちらの胸に「ズン!」と響いてくる。こんな迫力は後年の録音にはなかった。
しかももちろん力任せとかいうのとは違う。まったく力んでないのに音圧だけがこちらにブンブン響いてくる。この類まれな荘厳さ。だからバッハが生々しくも神々しく聴こえる。こんなバッハを演奏する人がいたか。
そして・・・ベートーヴェン・・。
しかも曲はピアノ・ソナタ第31番。
おそらくベートーヴェン好きの人が最も愛するこの曲・・・。
こんな人の演奏でこの曲の終楽章を聴かされたら・・・一体どんなことになってしまうのか・・・。
後年のSOLSTICEの演奏はもちろん聴いた。とても自然体で、悟ったような清らかな演奏だった。でもこの50年代の演奏は第1楽章の冒頭からしてそんな「清純」な演奏じゃない。もっともっと深くて強い。荘厳な響きの中にきわめて人間くさい何かを感じさせる。
まるで魔物が夜の闇から降りてくると聞かされているかのように、まんじりともせず終楽章が始まるのを待った。
やがてにわかに始まった「悲痛な歌」。
これが・・・ルフェビュールか・・・。
こんな・・・人だったのか。
間違いなくここ最近で、最も衝撃的な瞬間を味わった。
スタッフがいる事務所で、顔が上げられなくてしばらくうつむいたままだったのは、本当に久しぶりのことである。
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