アリア・レーベル第6弾
カール・ベーム&ウィーン・フィル/1954年6月
シューベルト:交響曲第8番「未完成」&交響曲第5番
ARIA AR 0006 1CD-R\1700
50年代中盤、ベームと黄金時代のウィーン・フィルによるシューベルト。
均整の取れた響きとつややかな音色に包まれた彼岸的な「未完成」。優美で安らかな春の楽園のような第5番。
ベームの多くのシューベルト録音の中でも、一際輝く名演。
・・・ただ、この美しい音楽の向こうに、どことなく不吉な、なんとなく残酷な気配が感じられるのは気のせいか。
23歳で故郷グラーツの市立歌劇場でデビューしたベームは、その後、バイエルン国立歌劇場の指揮者、ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、ハンブルク国立歌劇場音楽監督、さらにドレスデン国立歌劇場総監督と、次々ドイツの要職を歴任していく。
おそるべき進軍。
そして1943年。ついにベームは49歳にして、念願だった故国最高であるウィーン国立歌劇場総監督の地位を手にする。
ところが・・・翌年1944年6月。ナチスの戦況悪化に伴いドイツ・オーストリアの全ての劇場が閉鎖。それによってベームのウィーン国立歌劇場総監督の任期は、わずか1年で終わることとなる。
ようやく宿願を果たしたベームの思いはいかばかりだったか。
それから9年。戦後処理も終わった1953年。新たに再建されることになった国立歌劇場にあわせて、ずっと不在だった総監督が選ばれることとなった。
候補者にはエーリヒ・クライバー、クレメンス・クラウス、そしてカール・ベームの名が取りざたされた。
そのなかでとくに熾烈を極めたのがクラウスとベームの争い。
クラウスもベームも一度総監督を務めたことがあり、それだけにそれぞれこの地位を誰よりも強く渇仰していた。クラウスには前回のときの不本意な失脚を挽回したいという思いが強くあったし、ベームも1回目のうやむやな地位喪失に納得いっているはずがない。それぞれの陣営の人々は、あらゆる策を弄してこの地位を手に入れようと奔走したに違いない。
いよいよ総監督争いも終盤に入ったところで、ウィーン・フィルの団員たちによってこの地位はクラウスにほぼ決定、教育相も追認していた。
・・・ところが、最後の最後に某有力者の横槍が入り、最終的に首相の鶴の一声で大どんでん返しとなる。
この音楽界最高の地位を手に入れたのは・・・カール・ベーム。
政治、ビジネス、さまざまな事情が複雑に絡み合う中、最後に笑ったのはベームだった。
翌年、新・国立歌劇場のこけら落しがベームの「フィデリオ」で盛大に執り行われたのはご存知のとおり。
一方、敗れたクレメンス・クラウスの末路は悲惨だった。
野望果たせず、もう一歩のところで宿敵ベームに夢を掠め取られたクラウスは、落選決定直後まったく不本意なメキシコ客演を引き受け、1954年5月16日の演奏会直後に心臓発作のため急逝した。
クラウス、憤死したのである。
今回お贈りする美しいシューベルト。そこから漂ってくるのは戦後復興を遂げたウィーン・フィルの芳しい香り。
演奏されたのは1954年6月。
そう、クレメンス・クラウスの死のすぐ後。
このとき団員たちの心にあったのは、新音楽監督への尊敬と祝福の思いだったか、それとも憤死したある指揮者へのはなむけの思いだったか。
そんなこちらの思いをよそに、天国的に美しいシューベルトは馥郁と流れる。
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