アリア・レーベル第8弾 オイゲン・ヨッフム指揮&ベルリン・フィル
ブラームス:交響曲第1番
ARIA AR 0008 1CD-R\1700
ベルリン・フィル、1953年のブラームス交響曲第1番。
フルトヴェングラーを愛する人たちは、皆一様にこのころのベルリン・フィルを「フルトヴェングラーのオーケストラ」と呼ぶ。そして他の指揮者が指揮をしても「結局フルトヴェングラーの音がする」と言う。
実際聴いてみると「なるほど」、と思わせられるところもある。
とくに今回聴いていただくヨッフムは、彼自身がフルトヴェングラーの崇拝者であり、また50年代のベルリン・フィル復帰も(40年代末、ヨッフムとベルリン・フィルは関係が悪化していた)フルトヴェングラーが「より」を戻させてくれたことなどから、当時のベルリン・フィルとの演奏は「まるでフルトヴェングラーの影武者が指揮しているみたい」といわれることがある。
ただそれはちょっと違うような気がする。
店主は、フルトヴェングラーの音楽は「神の音楽」だと思う。
しかしそこに降り立つ神は、こちらに向かって優しく微笑みかけてくることはない。ましてや、「さあ、こっちへ来ていっしょに手をつなごう」、などと声を掛けてくれることはない。
苛烈で峻烈で、生きるか死ぬかというようなギリギリの選択をこちらに迫ってくる、そんな厳しい神。
しかしヨッフムの音楽は違う。
このベルリン・フィルは間違いなくフルトヴェングラーのオーケストラだろう。しかしそのオーケストラから流れてくるのは、あふれんばかりのヒューマニズム。
この音楽の背後には畏怖すべき神はいないかもしれない。いるとしたら神ではなく厳しくも優しい一人の人間。
決して聴くものを置いてけぼりにはしない、必ずどこかで振り向いて手を差し伸べてくれる、そんなスケールの大きな人間。
だから聴いていて戦慄し身震いする瞬間もあるのに、聴き終わったあとまるで天国に導いてもらったような幸福感にとらわれる。こちらは何もしてないのに、何かいっしょにがんばったような達成感を感じさせてくれるのである。
「やったよ、ヨッフム!おれもがんばったよ!明日からもがんばるよ!」、まるで無邪気な子供のようにそんな思いを抱かせてくれるのである。
ヨッフムのブラームスの評価は非常に高い。この後も店主が愛してやまないINAの録音(IMV033)など多くのブラームスが遺されている。しかしそれらすべての原点となるのが、この1953年の第1番のような気がする。
そしてふと思ったのである。
想像である。
1953年12月。当時フルトヴェングラーは理解不能の壮絶な多忙さの中にいた。そして同時に自分がそう長く生きられないことも知っていた(翌年の12月、彼はもうこの世にいない)。
そんな中、彼はひょっとするとヨッフムにこう語りかけていたのではないか。
「苦悩と厳しさはおれが受け持つ。幸福と優しさはおまえが受け持て。」
かくして、峻厳で壮大で勇壮でありながら、フルトヴェングラーのものとは明らかに異なる、「幸福と優しさ」に満ちたこの奇跡的な演奏が誕生したのではないか、と。
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