アリア・レーベル第23弾
ARIA AR 0023 1CD-R\1700
モントゥー指揮&ウィーン・フィル
ベルリオーズ:幻想交響曲
知名度は非常に高いのに、それに見合う人気がない。
先日はそんな指揮者の代表格ということでフリッツ・ブッシュを紹介したが(第10弾)、ピエール・モントゥー(1875-1964)もそういう指揮者の一人といっていいと思う。
同年代のメンゲルベルク、ワルター、シューリヒト、ちょっと下の世代となるクレンペラー、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュと比べて、「風格」の点で全く引けを取らないということはみんな承知なのに、どういうわけかセールス的には大きな差をつけられる。聴き始めると「すごいなあ」と思うのに、なかなか手が伸びない、という感じ。
それはモントゥーの経歴に少なからず原因がある。
実はモントゥーの指揮者としての経歴は、その名声の高さからすると意外なほどお粗末だったりする。例の「春の祭典」の初演指揮者として歴史に名を残し、てっきり世界を代表するフランス人指揮者だったのだろうと思うと、・・・実はそうではない。
モントゥーは、1910年代に自分で作った「コンセール・ベルリオーズ」や、「春の祭典」でおなじみの「ロシア・バレエ団」の指揮者を務めていた。しかしパリの由緒あるオーケストラからはお呼びがかからなかった。
1917年のアメリカ巡演のとき、彼はそのままアメリカに留まりメトロポリタン歌劇場の指揮者となる。要はフランスに見切りをつけたのである。
その後メトを辞めてボストン響の常任指揮者となるが、なにせ1920年代のアメリカのオーケストラである。モントゥーもオケのゴタゴタに巻き込まれ、最終的に退陣を余儀なくされている。
そこで今度はアメリカを去ってヨーロッパに戻り、名門アムステルダム・コンセルトヘボウの指揮者となる・・・が、これもあくまでメンゲルベルクの「次」である。そこで名を成した、という印象はない。
並行してパリでは「パリ交響楽団」というオケの指揮者となるも、スポンサーがすぐに倒産、オケも自然消滅する。
なんだかどうも歯車がうまく噛みあわない感じである。ぱっとしない。
そんなモントゥーの人生がようやく好転し始めるのは、1935年にアメリカ・サンフランシスコ交響楽団の音楽監督になってから。彼はこのアメリカ・マイナー・オケを短期間で鍛え上げ、バリバリのメジャー・オケに急成長させ、40枚に及ぶアルバムをリリースした。もちろん今も聴かれる名演が多い。
そうしてようやく世界的指揮者としての名声を博したモントゥー、1952年にサンフランシスコ響の常任指揮者を退任。その後はフリーとなって世界各地のオーケストラに客演した。
しかしついに1960年、モントゥーはヨーロッパのメジャー・オケと25年の超・長期契約を結ぶ!ロンドン交響楽団である。
・・・しかしこのときモントゥー、86歳。
残念ながら契約満了の111歳まで活動することはできなかったが、最晩年をこのオケとともに過ごした。
その指揮者人生はある意味幸せだったと思う。
しかし、もしこの才能あふれる大偉人にもう少し早くヨーロッパの伝統オケが接近していたら・・・。そうすれば戦後ヨーロッパの音楽地図は大きく動いていたのではないか。
もちろん彼自身があえてそういうものを避けて、自由な音楽活動を選んだのかもしれない。だがその大巨匠的存在感を目の当たりにすると、もしもし彼が1950年代初頭あたりから本格的にヨーロッパで腰を落ち着けて活動していたら・・・と思ってしまうのである。
さて、ということで今回の録音の登場となる。
モントゥーがウィーン・フィルを指揮した数少ない録音のうちの一つ。ベルリオーズの「幻想交響曲」。1958年。
モントゥーの名前がウィーン・フィルのディスコグラフィーに登場するのは1957年の「英雄」。それ以降、交響曲で録音されたのは1958年の「幻想」、「田園」、1959年のベートーヴェンの第8番、ブラームスの第2番、ハイドンの「驚愕」・「時計」、1960年のベートーヴェンの第1番。
以上。
世界最高のオケが、1950年代後半になってようやくこの巨匠に近づいたわけなのだが、しかしその録音も1960年で終わる。
誰もが認める世界的大巨匠であり、ヨーロッパの大メジャー・オケでも軽々とひざまずかせることのできる力量を持ちつつ、結局最後までそれらとはうまく歯車が合わず幻の大指揮者として終わってしまった・・・それがモントゥーという指揮者だった。
そうしたことを考えるとき、80代のモントゥーがウィーン・フィルと遺してくれたこの「幻想交響曲」は、ただの1回の録音を超えた、非常に大きな価値を持っているような気がする。
しかも50年代末のウィーン・フィルである・・・(そしておそらくウィーン・フィル最初の「幻想」録音)。
また「もしも」の話になってしまうが、もしもしウィーン・フィルとモントゥーが長くお付き合いしてくれていたら・・・そんな夢を抱かせてくれ、そしてその夢のかけらを垣間見させてくれる演奏。
モントゥーは「幻想交響曲」をことのほか愛し、録音も少なくとも6つ残されている。
とくに1950年のサンフランシスコ響との演奏は華麗なる爆裂演奏として知られる。
一方このウィーン・フィルとの演奏は、派手さはないが優美で気品にあふれた大人の演奏。
モントゥーは理想の名器を得て、いとおしむかのようにベルリオーズの音楽をつむいでいくのである。その美しさたるや。
この演奏を聴くと「どうしてもっと・・・」といろいろな想いが湧いてしまうのだが、とにもかくにもこの宝物的録音が残されたことを深く感謝したい。
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