アリア・レーベル第26弾
ARIA AR 0026 1CD-R\1700 カンテルリ&ミラノ・スカラ座管弦楽団
チャイコフスキー:交響曲第5番
トスカニーニは怒っていた。
自分が目をかけていた若手の指揮者グイド・カンテルリがなんの連絡も寄越さなくなったのである。
トスカニーニはかつてスカラ座で練習していたカンテルリの才能を見抜き、「過去に会った指揮者の中で最も才能にあふれている」と絶賛。NBC交響楽団でのデビュー公演を手配し、その後も最愛の弟子として助言を惜しまなかった。
おかげでカンテルリは一躍若手指揮者のトップとして注目されるようになった。これから彼が世界の音楽界で重要なポストを得ていくことはもはや疑いようがない。
しかしそんな「自分の若いときに似ている」と目を細めて可愛がっていたカンテルリが、まったく便りを寄越さなくなったのである。楽しみにしているクリスマス・カードすら。
ただ、カンテルリにはどうしてもトスカニーニに便りを出せない事情があった。
・・・カンテルリ、そのとき、すでにこの世にいなかったのである。
夭折の天才指揮者グイド・カンテルリ。
1920年4月、イタリアのノヴァラ生まれ。
故郷の歌劇場の音楽監督を務めていたが第2次世界大戦が勃発。軍隊に召集されるも戦闘を拒否したため収容所に送り込まれる。その後脱走してレジスタンス運動をしながら演奏活動をしていたという(処刑寸前だったらしい)。
終戦後スカラ座管弦楽団で指揮をしていたが、そこで上述のとおりトスカニーニに認められたことでその人生が大きく動くことになった。
その後は疾風怒濤の勢い。
アメリカのNBC交響楽団、ニューヨーク・フィル、イタリアのローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団、スカラ座管弦楽団、そしてイギリスのフィルハーモニア管弦楽団と活動を続け、ザルツブルグ音楽祭ではウィーン・フィルと共演、さらにオペラ指揮者としてもその頭角を現し始めた。
カラヤンを擁するコロンビアに対し、フルトヴェングラーを失ったHMVはカンテルリを後継者として立てた。さらにスカラ座はデ・サバタの後任としてカンテルリの音楽監督就任を発表した。
まさに時代の寵児。
しかしスカラ座音楽監督就任発表の8日後。
・・・1956年11月24日。
カンテルリの乗ったニューヨーク行きのアリタリア航空DC-6は離陸に失敗、墜落炎上。才能あふれる前途有望な若き指揮者の命と未来は無残に散った。
享年わずか36才。
カンテルリが生きていればジュリーニの人生は大きく変わっていただろう。スカラ座の音楽監督になれたかどうか。EMIでの録音もどうなっていたか。
バーンスタインもしかり。もしカンテルリが生きていればニューヨーク・フィルの音楽監督になれたのはいつだったか。
いや、直接の影響を受けた人だけではない。
カラヤンを中心に動きはじめた1960年代以降のクラシック勢力図は、この男が生きていればまったく違う様相を呈していたはずである。
このチャイコフスキーの交響曲第5番は1950年9月の録音。
カンテルリは異常な完全主義者だったことでも知られ、その練習は熾烈を極め、またせっかく為された録音でも許可されなかったものもある。今回の録音はそんなカンテルリがスカラ座管を指揮して「ロンドン」で行ったスタジオ録音。その時期に行われたイギリスでのスカラ座管との公演が大評判になったため、急遽スタジオ・レコーディングされたと言われている。
レコーディングに用意されたのは僅か2日だったが、不安がる関係者をよそに、ここでカンテルリは完全な録音を果たす。カンテルリ、2日で仕上げる自信があったからこそ引き受けたのだ。
結果的にスカラ座管との正規録音はこの演奏だけということになってしまった。が、この1枚のレコードによってカンテルリの名は世界中に知られることになる。そしてこのアルバムの成功を経て、翌年からフィルハーモニア管との多くの録音が残されていくことになる。
つまりこの録音はカンテルリの人生を大きく飛躍させる重要なものだった。
演奏は、当時はかなり斬新だったようだが、今聴くと極めてオーソドックス。逆にカンテルリが時代に先駆けた解釈をしていたことが分かる。
スカラ座管の明るく華やかな音色が、突き抜ける南欧の空のように鮮やかに浮き上がり、力みのないストレートな表現が屈託なく抵抗なく心に届く。
個性的な爆裂演奏というのとは全く違う、戦後のクラシック演奏の未来をみはるかすような機能的でスタイリッシュな演奏。
この演奏を聴いて、レコード会社関係者はこれからのクラシック演奏の形がどうなるかを確信したのではないか。
ちなみにこの録音は、英HMVのLP発売第1号だったらしい。
様々な事情はあっただろうが、HMVがこの演奏を歴史的な最初の「LP」として選んだことは、ある意味象徴的と言っていいかもしれない。
ただこの録音はSPでも発売されていて、今回のアリア・レーベルは「LP」ではなく「SP」からの復刻である。
おっかなびっくりで登場した最初期の「LP」よりも円熟期の「SP」のほうが出来がいいのは明らかで、音の豊かさ広がり、そして彫りの深みなどSPのほうが断然に上。そして復刻状況も非常に良い。数年前にリリースされたオリジナル・マスターから復刻されたCDよりも断然いい。安心してカンテルリの若き至芸を味わってほしい。
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