アリア・レーベル第48弾
ARIA AR 0048 1CD-R\1700
マルケヴィチ指揮&ベルリン・フィル
シューベルト:交響曲第3番、第4番
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シューベルトの交響曲第3番、そして第4番が好きである。
人気のある曲ではない。
「未完成」、「グレイト」はもちろん、第5番や第6番と比べても人気があるとはいえない。
だがこの2曲、とても魅力的なのである。
モーツァルトの優雅さとベートーヴェンの重厚さ、その中間を行く。しかしその感性はシューベルトだけのもの。
こんな歌謡的で美しく幸せな交響曲というのはシューベルトしか残せなかった。
そのあとのメンデルスゾーンやシューマンともまるで違う。そしてあまたいる同世代の作曲家のどの作品よりも才能にあふれている。
作曲年代はベートーヴェンの「第9」よりも早い。シューベルト、まだ10代。そして無名。
だが、この時期すでに彼は「魔王」、「野ばら」、「死と乙女」、「ます」などの歌曲を残していた。
つまりもうシューベルトは完全にシューベルトだった。
・・・そして・・・まだ梅毒に罹患していない。
だからその後の彼の作品に突如表れるようになる、あの虚無的で絶望的で不吉な美しさはまだこの二つの作品には登場しない。
ここにあるのはひたすら健康的で牧歌的で天国的な美しさ。「悲劇的」という副題が付く第4番も、「悲劇」というより「少年の憂い」という爽やかさ。
そう「爽やか」。
なのに若者特有の陳腐さや無骨さがない。すでに完成されているのである。
だから聴いているこちらも、未来に希望と夢を抱く純真な天才の音楽に、安心して身を預けて微笑んでいられるのだ。
ただ・・・純真で若々しい音楽だからどんな人間がアプローチしてもいいというわけではない。
逆にそういう音楽だからこそ残酷なほど演奏する人間を選り好みする。
シューベルトの交響曲第3番・第4番、思ったよりも録音は多い。
ただたいていは「シューベルト交響曲全集」の一環として録音された感がなきにしもあらずだが、カルロス・クライバーのように第3番に魅了された人もいる。
そして同じようにこれらの曲に魅入られた人がいる。
イーゴリ・マルケヴィチ。
いつかアリアCDで「指揮者人気アンケート」を取ったときダントツの1位だったのがこの人。
このマルケヴィチがこのシューベルトの2曲を何回か取り上げていて、録音もいくつか残されている。(5番、6番、「グレイト」は残されていない)
とくに有名なのが今回ご紹介するベルリン・フィルとの堂々たる録音。
1954年。
マルケヴィチが「聴け!鮮烈なるバトンを!」と若手指揮者として大々的に売り出されていた時期。
しかしシューベルト同様、この天才の才能もすでに完成されていた。
マルケヴィチの前では、当時全盛期にあったフィルハーモニア管も、ウィーン・フィルもベルリン・フィルも、赤子のようなものだったのではないか。
マルケヴィチの音楽は、いつもマルケヴィチ劇場。
少年のように危険な感性、他を寄せ付けない潔癖さ、狂気に満ちた野蛮さ、洗練された美しさ、冷たく光る知性・・・。
そんな天才マルケヴィチが自らの孤高の音楽性でもって、天才少年シューベルトが書き上げた無防備に明朗な美しさを、残酷なほど露わに描き出す。
第4番など鋭利でクールでスタイリッシュ。まるで妖しい美少年のよう。
穏やかな指揮者による穏やかな演奏もいいだろう。
だがこのマルケヴィチの演奏を聴いてしまうと、ほかのたいていの演奏には、老人が子供の詩を読んでいるような、そんな妙な違和感を感じてしまう。
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