アリア・レーベル第50弾
ARIA AR 0050 1CD-R\1700
フルトヴェングラー指揮&ロンドン・フィル
ブラームス:交響曲第2番
アリア・レーベルも創立から1年半、ようやく当初の目標だった50タイトルまでこぎつけた。
記念すべき第50弾はやはり・・・フルトヴェングラー。
でもリリースするとしたら、店主は愛するものの、世間一般にはあまり知られていない録音がいい。
・・・とすると、これになった。
1948年3月、フルトヴェングラーがイギリスでロンドン・フィルとスタジオ録音したブラームスの交響曲第2番。
ベルリン・フィルではなくロンドン・フィル。もちろん収録もベルリンではなくロンドン。
ライヴではなくスタジオ録音。レーベルもDECCA
曲もブラームスの交響曲第2番。
フルトヴェングラーの中でも異端の録音と言っていい。
「異端」だけならまだしも、「フルトヴェングラーが指揮したものの中でもっとも奇妙なもの」という人もいて、「後世に残した大失敗作」とまで断罪されることすらある。
要は、あまり受けがよくないのである。
フルトヴェングラーのブラームスの交響曲第2番にはこれ以外に2つの録音が残されていて、1945年のウィーン・フィルも1952年のベルリン・フィルもどちらもその熱演で知られる。
52年のベルリン・フィルを改めて聴いたがそのエネルギーは本当にすごい。すごすぎる。聴いていて「これは本当にブラームスの第2番だったか」と思わせられるくらいすごい。
これら二つの録音に比べると、この48年のロンドン・フィルとの録音は穏やかでちょっと余所行きで、フルトヴェングラーの「破綻と背中合わせ」の緊張感は少ない。
これは確かに分が悪い。
だが事情は分かる。
フルトヴェングラーは1947年5月にベルリンの演奏会に復帰して大成功を収めたが、「これで完全にベルリン・フィルに戻ってきてくれる!」という周りの期待に反して、そうはしなかった。
彼はベルリンに束縛されることを嫌った。
作曲の時間がほしかったのかもしれないし、ベルリンでの人間関係が鬱陶しかったのかもしれない。
いずれにしてもフルトヴェングラーはこの時期、結果的に世界中で活動することになる。南米ブエノスアイレスでの公演もこのころだし、シカゴ響音楽監督の話が出てきたのもこのころである。
これはそんなちょっと「根無し草的」な時期の演奏。
ベルリン封鎖(48年6月)直前、逃れるようにロンドンにやってきて、外様的なオケを振ったときのもの。
だからなんとなく余所行きなのも分かる。
しかも録音が、天下のDECCAにもかかわらず、音質はあまり良くない。
DECCA録音班が苦労してセッティングしたマイクを、フルトヴェングラーは目障りだと言ってねこそぎ片付けさせ、オケ中央の吊り下げマイクだけにした。
そのためにいつものあの内臓をえぐるような低音はあまり響かず、全体的に遠い印象になってしまった。
さらにもともとはSPなのだが、世間に広まったLPがあまり出来が良くなく、さらにこの印象をひどくした。
もうこれだけ書けば、「ああ、やっぱり駄演なのだろうな」と思ってしまう。
・・・ところが、いやいやどうして、この演奏、聴き方を変えればなかなかはまるのである。
1945年のウィーン・フィルと1952年のベルリン・フィルの演奏は、言ってみれば勝手知ったる古女房との縦横無尽な演奏。結果的にブラームスという作曲家すら超える怪物的演奏に化けた。まさにいつものフルトヴェングラー。
一方この演奏は、ときどきしか会わない絶世の美人とのちょっと緊張気味の演奏とでも言おうか。フルトヴェングラーとロンドン・フィルは決して少なくない共演を果たしているようだが、そうはいってもウィーン・フィルとベルリン・フィルのようにはいかない。遠慮というのか、牽制というのか。その奥ゆかしい、別の言い方をすれば内面的とでも言おうか、柔らかい表現を楽しむことが出来るのである。
そして最後の最後に最大の聴きどころが来る。
老指揮者の様子をずっと伺っていたイギリス最高の名馬は、この曲最大の見せ場でもあるラストのラストに来てようやく手なずけられることを了承したのか、突然峻烈で機敏な反応を見せ、二匹の古愛馬とはまったく違った種類の激しい盛り上がりで老指揮者を喜ばせる。
・・・実はこのラストを聴いてほしいのである。
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