追悼ブーレーズ
第65弾
1962年パリ・・・
ブーレーズ&ロリオのモーツァルト:ピアノ協奏曲
ARIA AR 0065 1CD-R\1700
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1989年7月16日、カラヤンが死んだ。
翌年1990年10月14日、バーンスタインが死んだ。
クラシック・ファンはその死を嘆き、音楽関係者はその死を惜しんだ。
が、最も衝撃を受けたのはドイツ・グラモフォンだった。
世界最高のスーパー・スターを相次いで失ったのである。
この時点で彼らの後を継げるようなドル箱スター指揮者はドイツ・グラモフォンにはいなかった。
ジュリーニは売れるが録音してくれない。アバド、レヴァイン、シノーポリも次代を担うほどのパワーはない。
ドイツ・グラモフォンが傾けばクラシック音楽業界全体が傾く。
なんとしてもレーベルの屋台骨を支える大スターを探さなければいけなかった。
そのとき白羽の矢が立ったのが、ちょうどIRCAMを退くことになっていたピエール・ブーレーズだった。
どういう経緯でCD業界から離れていたブーレーズとドイツ・グラモフォンの関係が構築されたかは知らない(新社長アマン・ペダーセンの意向だったらしい)。
しかし電光石火。バーンスイタンが亡くなってわずか半年、1991年3月、ブーレーズの新しい録音が決行されることになる。
クリーヴランド管弦楽団との「春の祭典」。
その華々しい大成功はリアルタイムで体験した人も多いと思う。
ブーレーズ、まさにクラシックCD業界の救世主だった。彼はその後もドイツ・グラモフォンとクラシック音楽業界の期待を一身に背負い、その期待を上回る結果を次々と残していくことになる。
ストラヴィンスキー、ドビュッシー、バルトーク、ラヴェル、そしてマーラー・・・。
その極彩色に彩られたアルバムはCDショップの最高のポジションを陣取り、そして爆発的に売れ、旧世代のカリスマ亡き後のクラシック音楽界がこれからも安泰であることを我々に示してくれた。
そうしてそれから数年間、ヴァント、チェリビダッケ、テンシュテットら「遅れてきた大巨匠時代」のブームが来るまでのクラシック業界を、ブーレーズは一人で担った。
1996年に行われた「レコード芸術」誌最大規模の「指揮者ベスト10」では、フルトヴェングラー、カラヤン、トスカニーニ、バーンスタイン、ワルター、ベームに次ぐ第7位がブーレーズだった。
ブーレーズ、まちがいなく90年代前半のクラシック界を牽引していたのである。
そのブーレーズが死んだ。
実はちょうどブーレーズの録音をアリア・レーベルからリリースする準備をしていたところだった。
実際の発売はもう少しあとにするつもりだったが、今回の訃報を受けて急遽リリースすることにした。
なんとブーレーズとロリオによるモーツァルトのピアノ協奏曲である。
録音は1962年。場所はパリ。
つまりブーレーズが録音活動を始めたドメーヌ・ミュジカル時代。
この頃のブーレーズはベリオやノーノ、シュトックハウゼン、カーゲルなどを精力的&過激に録音していたが、同じ現代系ピアニスト、ロリオと組んだこんなモーツァルトがあったのである。
しかも曲が第1〜4番。
これらの4曲はモーツァルトが他人の曲を使って作り上げたということで全集録音からいつも外される。
しかしご存知の方は多いと思うが、これらの作品はモーツァルトの独創性はさておき、粋で優雅で実に素敵な協奏曲なのである。
だからこそあえてブーレーズとロリオは取り上げたのだろう。
そして演奏はまさに期待通りのクールなスタイリッシュ・ビューティー。
はちきれんばかりの鮮烈さで聴くものを驚かせる。
第2番の第2楽章、第3番の終楽章なんてうっとりするやらびっくりするやら。
さすがに彼らが何の驚きもないモーツァルトを演奏するはずがない。
そこには彼らなりの何らかの警句、箴言といった意味合いがあるのかもしれない。
・・・しかしそうしたアフォリズム的価値はおいておいて、最先端の現代ものをバリバリガリガリ演奏していた鬼のような彼らが、わずか11歳のモーツァルトの作品をこんなにも嬉々として演奏しているのがうれしいではないか。
今回の追悼アルバム、音楽をする喜びにあふれたブーレーズに出会える、貴重な名盤なのである。
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