1954年2月から3月にかけて録音されたフルトヴェングラー指揮&ウィーン・フィルによる「運命」。
店主が生まれて初めて購入したクラシックのLPである。
裏面が、第34弾で出した1950年の「未完成」。
クラシック・ファンが100人いれば、100人それぞれ異なったクラシック視聴の歴史があると思う。
交響曲から入る人もいるだろうし、ピアノ曲から入る人もいるだろうし、オペラから入る人もいるだろう。
ただ、おしなべて交響曲から入る人が多いのではないだろうか。
交響曲はどうやらクラシックの王道中の王道らしい・・・ということで。
そして交響曲から入った人は、最初に「運命」を選ぶ人が多いのではないだろうか。
「運命」はどうやらもっとも有名な交響曲らしい・・・ということで。
そしてこの「運命」をLPなりCDで買おうと思えば、いろいろな趣味はあるだろうが、「フルトヴェングラー」という人の指揮したものを選ぶ人が多いのではないだろうか。
フルトヴェングラーという人はもっともすごい指揮者らしい・・・ということで。
で、そのフルトヴェングラーという人の指揮した「運命」をレコード屋に買いに行った人は、1954年のウィーン・フィルとの録音を選ぶ人が多いのではないだろうか。
EMIという有名なレーベルで、音も一番いいらしいし、何より一番手に入りやすい・・・ということで。
とすると、このフルトヴェングラーという人の指揮した1954年のウィーン・フィルとの「運命」・・・。
店主のように、クラシック・ファンになった人が極めて早い段階で手元に置く音源なのではないだろうか。
第93弾の1950年の「第4番」は、「放っておいたら埋もれてしまう音源」だったが、この1954年のウィーン・フィルとの「運命」は、王道中の王道中の王道、「クラシック・ファンの聖典たる音源」。
この音源が手に入らなくなる日は人類が滅亡する日だろうというくらいの。
そんなおそれおおい音源を今回あえてアリア・レーベルで復刻してみた。
第94弾にして、アリア・レーベルの名刺代わりとなるアルバムが出せた、そんな思いである。
フルトヴェングラーは2,8,9番を除いて、1950年代にウィーン・フィルとベートーヴェンの交響曲のスタジオ録音を残した。
1番 1952/11/24・27・28
3番 1952/11/26・27
4番 1952/12/1-3
5番 1954/2/28-3/1
6番 1952/11/24・25
7番 1950/1/18・19
そのなかで第5番「運命」だけ死の年に録音された。
そんなこともあってか第5番「運命」だけ、ほかの番号のものと比べると少し雰囲気が違う。
また残された「運命」の録音の中でも、ほかの録音と比べると随分色合いが違う。
きわめて整然として、落ちついた、安堵感(安心感というよりも)のある演奏に聴こえるのだ。
そこをどうとらえるかは聴くものの判断にゆだねられる。
(フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第5番の録音)
戦前 |
1926 |
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BPO |
ポリドール |
1937.10.8/11.3 |
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BPO |
EMI |
戦中 |
1939.9.13 |
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BPO |
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1943.6.27-30 |
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BPO |
アリア・レーベル第11弾 |
戦後 |
1947.5.25 |
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BPO |
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1947.5.27 |
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BPO |
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1950.9.25 |
ストックホルム |
VPO |
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1950.10.1 |
コペンハーゲン |
VPO |
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1952.1.10 |
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ローマ・イタリア放送管 |
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1954.2.28-3.1 |
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VPO |
当録音 |
1954.5.4 |
パリ |
BPO |
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1954.5.23 |
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BPO |
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1952年の夏、ザルツブルク音楽祭「フィガロ」のリハ途中倒れたフルトヴェングラー。
今度は翌1953年の1月、ウィーン・フィルの「第9」指揮中に倒れる。
半年の間に2回。
さらに1953年の冬、今度はインフルエンザにやられ、このときは3ヶ月間休養。ベルリン・フィルとのツアーも、ウィーン・フィルとの初めてのポルトガルへのツアーも中止となった。
結局コンサート復帰は年が明けた1954年の3月12日。
ただこの3ヶ月も完全休養というわけではなく、交響曲第3番の作曲に専念、さらに2月後半からはウィーン・フィルとの録音を行っていた。
今回の「運命」はそのときの録音である。
これが最後の交響曲スタジオ録音となる。
そしてこのあと、いよいよフルトヴェングラーは死の年の異常とも言える強行軍に突入するわけである。
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